口福~不幸と幸福の交わる言峰とシスターの仄暗い日常~ 作:アイコ
冷たい風が背後から吹いてくる。この先の不幸を暗示させるような、死が手招きしているような感覚は何度も味わったことがあるが、今回もそれに相違ない。
首筋を這う低い温度に身体を一度震わせ、シスター服を着た女は腹をくくって教会の敷地に入った。サナトリウムにでもいそうな陰鬱な表情をした美女が歩くたび、かつかつと音が鳴る。赤いビーズ――もしかしたら本物の宝石かもしれない――をチェーンでつなげたロザリオを左手で握りしめ、入口へと向かう。
風は止まない。
なびいて顔に当たる髪を左手で押さえながらも、禁煙を始めたばかりの口が寂しくて右手でガムを取り出し口に入れる。噛むとメンソールの味が口内いっぱいに広がった。
扉を開き教会の中へ入る。典型的なカトリックの教会らしく御堂が広がっていた。
これから上司となる神父だろう男が一番前の座席に座っており、私が入ってきた音を聞いて立ち上がり、こちらを向いた。
「私とて忙しい身だ」
いきなりの言葉に戸惑うも、その通りだろうと首肯し続きを促す。
「わざわざ君を待っていたわけではない。だが、教会の意向というのなら、君を歓迎するとしよう」
「ええ、承知の上だわ。わたくしも早く聖杯戦争の後片付けを終わらせて、元いた部署へかえりたいもの」
「そう簡単にことが運ぶかな。まあいい。君の部屋へ案内しよう」
神父もそうだが、シスターにしても教会に住み込みらしい。教会とはいえ、男女がひとつ屋根の下に住まうというのは少々不健全ではあるまいか。そう思うも、神父を一目見て思う。この美丈夫は女性に不自由しないだろう。手を出されるならば、むしろ美味しいくらいだ。
好みかそうでないかでいえば、彼の外見は女の好みの範疇だった。
「そうだ。既に聞いているだろうが、私は言峰綺礼という。君の資料に名は添付されていなかったな」
「そうね。わたくし、信頼できない人には名を明かさない主義なの。名を知らぬ者には、何人たりとも傷つけられない。そうやってつくられたから」
ここで初めて神父――言峰は表情を変えた。面白そうに笑いながら、冗談めかして言葉を発する。
「出し惜しみをされると、余計に興味深い。いつか聞き出してみせよう」
「教えることなんてなくてよ」
ツン、と私が澄まして言うも、気にした様子はない。それどころか慣れている様子で受け流し、首から掛けている十字のペンダントを弄った。
「では、こちらだ。ついてくるがいい」
奥の扉をくぐり、回廊を歩く。食事をするための食堂、浴室など生活に必要な施設は大体教えてもらった。最後に一つの部屋の前で、言峰は立ち止まった。
「さて。ここが君に与える部屋だ。質素倹約を好む聖堂教会のシスターなら充分だろう。私には職務がある。そう暇ではないが、ある程度の片付けもしておいた。……が、まあ、気に入らなければ、自由に模様替えでもするんだな」
「きっと充分よ。ご丁寧にありがとう、言峰神父」
女が礼を言ったことに、驚いた様子の言峰に「なんですの」と追求すれば、「素直だったので、少々……」と言葉を濁す。
「あら、わたくしだってちゃんと感謝くらい伝えられますわ。失礼な人ね」
「悪かった、手のかかる子どもを思い出してしまった」
「子ども?」
「後見人を務めている子どもがいる。少々と言わず、生意気でね」
「そういうの嫌いそうなのに」
「師の遺言だ。従わないわけにはいかないだろう?」
「事情がおありなのね」
意外なこともあるものだと目をぱちくりさせれば、少し気まずそうに言峰は視線を逸らした。
「さあ、早く寝るが良い。いつまでも女性の寝室の前に立ち往生する趣味はない」
「そうね、朝も早いわけだし……明日からよろしくお願いします」
言峰が去っていく背中を目で追って、そうしていても仕方がないとばかりに女はドアノブに手をかけ、部屋に入った。
鳥の鳴き始める頃に目が覚めた。
目覚ましはかけなくとも、いつもこの時間に自然と起きだしてしまう。
与えられた部屋は思いのほか広く贅沢に感じるも、軽い運動をするのにちょうど良い。何せ女は事務処理もそうだが、一番は聖杯戦争に関わった言峰の護衛のため、派遣されてきたのだから。
(わたくしに、それが務まるのだろうか)
女は人を殺したことがない。
そういう意味では、代行者をやっていたこともある言峰自身の方がよっぽど腕がきくだろう。彼女ができるのはせいぜい、その体質を利用して『盾』となることだけだ。
一瞬の隙も見せてはならない。責任が体中にまとわりつくように重い。アイシーンの五ミリを探そうとして、禁煙していることを思い出し舌打ちをした。
もうすぐに朝食だというのに、手放せなくなっているガムを口の中に放り込み、奥歯で噛んだ。染みわたるメンソールの味、だけど物足りないニコチンの要素にイライラしながらストレッチをしていると、バターの良い香りが漂ってきた。
十中八九、言峰だろう。今朝の朝食を作ると申し出てくれた彼を待たせるのも悪いと思い、まだ味の残っているガムを捨てる。未だ馴染んでいない自室から出て、食堂へ向かった。
食堂へ辿り着いて驚いたのは言峰の他に、まだ年若い青年がいたことだ。当たり前のように座席に着席している。金髪の、おおよそ日本人ではない顔つきをした青年は何が面白いのか、にやにやと笑い、こちらを見ている。
「言峰、貴様の嫁がようやくやってきたぞ」
「ギルガメッシュ――彼女は私の部下だ。そういう関係ではない」
どこかで聞いたことのあるような、大層な名前だ。聖書の元になったとも言われているギルガメッシュ叙事詩なんてものをふと思い出してしまったのは、職業病だろうか。女が考えている間にも、名に恥じない態度の青年は話し続ける。
「だが、この国では男女が共に暮らすというのはそういう関係だと聞き及んでおるぞ。なあ?」
突然こちらを向き、話を振ってきた青年に何と答えればよいのか測りかね、女は沈黙を選んだ。途端、おもしろくなさそうにむすっとし「面白味のない女か」と呟いた。
「言峰神父、こちらどなたなんですの? 大層失礼な御方だこと」
「気にする必要はない。少々訳ありでな」
「まるで王様のようね、美味しい所しか食べないみたい」
パンの耳を切り取ったトーストを食べている彼に、そう言うと目の色を変えた。表情の良く変わること。女がそう思っている間に満足そうにうなずいた青年は「よし。貴様は我のことを王と呼ぶことを許そう」と言い、スクランブルエッグを持ってきた言峰を見る。
「案外好い拾い物をしたのではないか、言峰」
「まだ仕事ぶりを見ていないから、何とも言えん」
「器量は……雑種にしてはなかなかだ。貴様に似合いだぞ」
二人で自分に対し妙な評価を下そうとしているのに頭痛がしてきた女は、話を切り変えるべく頭を押さえながら言葉を発する。
「……王様のことを突っ込むと、面倒なことになりそうだわ。神父、わたくしはパンの耳もちゃんと食べてよ」
「なんだと! 貴様、家畜の食い物を食うというのか!?」
「あら。わたくしなんて、王様にとっては家畜も同然ではなくて?」
女がそう言えば、彼は言葉に詰まったらしい。黙りこんだギルガメッシュを見て、言峰が四人掛けのテーブル、ギルガメッシュの向かいの席につきながらにやりと笑った。
「お前がしてやられるのは、愉快だな」
「言峰、無礼だぞ。女、貴様もだ」
神父はその言葉を無視して、十字を切る。女もそれに倣うように手を動かし、食事を始める。
食卓は静かなものだった。
女を含め、その場にいる全員が基本的に食事中は喋らない主義だったからだ。ラジオが無感動に流れており、たまに外で鳥の声や風の音が聞こえてくる。
全員が全員、カトラリーの音を立てないのもそれぞれの教養と育ちの良さを物語っていた。
それぞれが食事を終えた頃、朝食を用意してくれた言峰に代わり女が後片付け――当然、まだよく知らない場所なので指示されながらだが――をする。これからはきっと交代で食事を作ることにもなろう。
冬木教会では平日もミサを行う。それ以外にも信徒たちのお話を聞いたり、聖書通読をおこなったりと忙しい。
新しいシスターに興味津々の子供たちに囲まれた際や、耳の遠いおばあさんの案内をする際には特に気を使わないといけない部分もあって困った。
言峰はここで慕われているらしい。良い神父さんだから、シスターも心配しないでねと何度言われたことか。あんな胡散臭い神父もそうはいないだろうと思いながら、笑顔で「ご心配なく、よくしていただいていますわ」と答えておいた。
目まぐるしく、冬木教会での一日目は過ぎ、夕食を済ませ、女は風呂へ入った。
風呂から上がった女は、廊下で言峰と鉢合わせた。もう今日は疲れ切っていて、泥のように眠りにつきたいところで彼と鉢合わせて、舌打ちをしそうになったのを堪える。
言峰はくっ、と笑ってそんな女に話しかけた。
「疲れたか。いや、そのようなこと聞くまでもないな。表情を見ればわかる」
「見知らぬ土地で愛想を振りまくのは慣れていないの。まさか、シスターとしての本業までやらされるなんて。なんて人使いが荒いのかしら」
「忘れないでほしいのだが、先の聖杯戦争の後処理が君の本来の役目。この程度は日常業務にすぎん」
「勿論、わかってるわ」
女が囁くように言うと、言峰は「まあいい」と言って付いてくるように指示をした。
「初日の労をいたわってやろう。なに、歓迎会というやつだ」
「そんなの望んでないのを分かっていて、よく言うわ」
「あいつも待っているぞ」
「あいつって、王様?」
首肯した言峰に、逃げられないことを悟った女はしぶしぶ付いていった。
案内されたのは言峰の自室。窓のない薄暗い室内は彼の性格と好みを表しているのだろう。女は自分の自室までこうでなくてよかったと思いながら、部屋に足を踏み入れた。
ギルガメッシュが一人で赤いソファを使っている。赤ワインの入ったグラスを揺らしながら、言峰と女を見る。
言峰は扉の近くにある同じ柄のカウチを指差しながら「座りたまえ」と告げた。彼自身は慣れたように部屋の奥のカウチに腰かける。
女は「お言葉に甘えて」と言峰に続き、腰を落ち着けた。ふかふかしていて座り心地の良い。
「待っていたぞ、雑種。この我をどれだけ待たせるつもりだ?」
「あら、王様はもう一人で始めているじゃない」
「たわけ。何故我が雑種如きを待ってやらねばならない?」
香りを嗅いで、ワインを一口。金髪の青年の、その動作はふてぶてしいまでに様になっていた。
「貴様もどうだ、言峰の秘蔵の品だぞ。早く注いでもらえ」
「でも、悪いわ……」
「貴様が飲まんと言うのなら、我が全て飲み干すだけだ。さあ」
そんなやり取りをしている間に言峰はすべて承知したかのように、ワイングラスを二つ棚から取り出し、ワインを注ぐ。無言で手渡されたそれを、言峰のもつグラスとぶつけ乾杯してからひとくち、口に含むと芳醇な香りが喉を通り鼻の奥に広がった。
「まあ! とっても美味しい!」
「貴様、さてはいけるクチだな。いいぞ、おもしろくなってきた」
「わたくし、これでも元居た部署では〝酒飲み殺し〟と呼ばれていたものよ」
「言峰、貴様は飲まんのか」
「……いや、少々驚いていただけだ。品行方正なシスターかと思っていたからな」
「そんなことなくてよ。わたくし、タバコも嗜みますもの。赴任にあたり、禁煙中ですけれどもね」
女がグラスの中身をグイっと一気に飲み干すと、ギルガメッシュは喜んだ。言峰は酒をたしなみながらも「言葉遣いのわりに品がない」と零す。
「いいじゃない。生臭坊主が何を言うの?」
「私は神父だが」
「でも、あなたからは魔術の匂いがするわ。魔術協会に赴任していた時期があるのは知っているけれど、それだけじゃないわね」
言峰は瞬きをする。その間に何を考えたか、女には計り知れない。ただ、藪蛇だったことだけは分かった。「いい度胸をしているな」女の言葉に答えるのはなぜかギルガメッシュの方で、ぞっとした。彼がもしかしたら魔術師なのかもしれない――
「何も聞かなかったことにしてやろう、少々お前は軽率だ」
それが何かしら魔力に関わることを今現在も行なっていると肯定したことと同義なのはさすがの女にも理解ができる。
酔いが醒めてしまった。
女はここで辞することを告げ、言峰もギルガメッシュも止めはしなかった。