口福~不幸と幸福の交わる言峰とシスターの仄暗い日常~ 作:アイコ
女がこの教会にきて、半年以上が経った。戦後の処理は少しずつ進んでいるものの終わる目途が付かず、さすがの言峰も、女自身も嫌気がさしてきた頃合だ。
今日の夕食は外で済ませてきた。品行方正で理想的なシスターを歓迎する冬木の中では、あわよくば彼女とそのような関係になろうとねらう男たちもいるのだ。女はうまくそういう男達を誘導して食事と酒を奢らせて、その気にさせたところで教会に帰宅をする。彼女なりのストレスの発散方法だった。
夜道は好きだ。
ただし今日は事情が少し違うと、女はため息を吐いた。
物分かりの悪い男はたまにいる。いいや、男は誰も彼も馬鹿なのかもしれない。美しい肢体を目の前にしたら、跡をつけてまでモノにしようと考える者もでてくるのだ。
素人み溢れる追跡にわらいを堪えながら、どうしようか考える。面倒なことになったものだ。無意識に立ち止まると、後ろから腕を掴まれた。
「どうしてだ! あんなにも甘やかに笑ってくれたじゃないか。今夜は俺と過ごすとばかり!」
予想通り、つけてきていたのは先ほど奢らせた男で、その未練がましさに呆れが混じる。逃した魚は大きいのかもしれないが、シスターを落とすことが出来た男は未だ冬木にいないというのに。女は淡々と告げる。
「わたくし、神に捧げた身ですもの。神の血を共には出来ても、夜までは共にできませんわ」
「どうせ神父には抱かれてるくせに! この阿婆擦れ女」
女は目をぱちくりさせた。素直に驚いたのだ。言峰と女がそういう関係にあると見られていることに。そういえば、自分だって神父とシスターとはいえ、ひとつ屋根の下、生活を共にするのはどうなのかと思ったくせに。
「言峰神父は無体を働きませんわ」
「嘘をつくな。冬木の女は皆あの神父に憧れるんだ!」
「わたくし、神に誓って嘘はつきません」
どうしたものかと思案していると、暗い影の中からひときわ目立つ金髪が姿を現した。無言で女を掴む男の手を外す。「いてて、何だお前は。お前もこの阿婆擦れにしてやられたか」男が叫ぶと、大きくため息を吐いて、金髪の青年は男に向かって言う。
「醜い言い争いを我に見せるな」
特段脅すような言い方ではなかった。だがギルガメッシュの言葉には言い知れぬ凄みがある。「ひぃっ」男は情けない声を上げて、その場から逃げ出した。
「助かりましたわ、王様」
「あの程度の下衆、己の器量で処さぬか、雑種」
「王様はここで何を?」
「貴様を迎えに来たに決まってるだろう。言峰が心配している」
「あら。光栄なことね」
「それに、今宵は良い酒が手に入った。飲むぞ」
片手をあげ、赤ワインの瓶を見せると歩き出す。女も慌てて歩み始めた。
ギルガメッシュは唯我独尊でいて女の扱いには慣れているのか、歩調を早めなくても良く、隣を歩いていて気分が上がる。先ほどの男のことなど、もうとっくに忘れていた。
教会につくと、一度解散した。女を心配したというのはあながち嘘ではないようで、言峰は女の姿を確認すると無言で去っていく。
「素直じゃないのが、昔からあいつの面白いところでな」
ギルガメッシュは何かを思い出しながら、くくっと笑った。
「さっさと風呂に入れ。十分間待ってやる」
「女性には短すぎる時間だわ」
「王が待つには長すぎる時間だ」
それ以上粘るのはそれこそ時間の無駄だと思い「はいはい」と頷いて、浴室へ向かう。髪を洗うのは諦めた。そんな背中に「言峰の私室で待ってるぞ」と言葉が追ってくるが、振り返ったらもういなかった。不思議なひと。
ひとなのかどうかも判断できない、名前も知らぬ青年に、女は好感を抱いていた。彼女に対し、女性を求めず、等しく雑種扱いなのが楽なのかもしれない。
女は顔と身体を洗い流し、申し訳程度に保湿すると、急いで言峰の私室へと向かった。ぬぐいきれなかった横髪から滴る雫も気にせずに扉を開く。
言峰とギルガメッシュはいつもの定位置に腰かけていた。
「遅い」
「なんですの、ちゃんと十分じゃない!」
「一分過ぎてる」
「横暴ね、王様ったら」
女がくすりと笑うと、ギルガメッシュは多少むっとした表情をしたが「座れ、注いでやる」とグラスを差し出した。女も定位置に座り、受け取ったワイングラスを傾けた。ギルガメッシュは先ほど持ち歩いていたワイン瓶を持ち、片手で注ぐ。
グラスの中で赤い液体の跳ねる音がする。とぽとぽ、とぽとぽ。充分に注がれた神の血の香りは重厚で、胸がときめいた。
口にする。舌で転がした後、喉に流れていくアルコールの熱さが心地よい。
「ん……これ、美味しい……」
「雑種のわりに、貴様は味がよく分かるな」
「何しろ、ギルガメッシュが自分で探してきたワインだからな」
「それは美味しいのも当然ですわ」
ギルガメッシュの審美眼は女も認めている。
ご機嫌な酒宴だった。
通常よりもかなり大きいはずのワイン瓶の中身はすっかり目減りし、残すはあと一杯分といったところだ。瓶に手を伸ばすと、右側からも伸びてくる手があった。瓶を掴む寸前で、お互いが静止する。シン、静まり返った場で視線を交わす。
先に動いたのは女だった。
ギルガメッシュの右手を掴み、捻りあげる。
しかし青年は見た目によらず、力が強い。並の男なら圧倒できるはずの女が逆に引っ張られ、肩が無理な角度に上がる。
「う、ぐぅ……」
痛みに顔をゆがめる女を露とも気にせず、ギルガメッシュは左手で酒瓶を取ろうとする。だが、引っ張る力が強すぎた。そのまま女が倒れ込んでくるのを、王は受け止めるほかなかった。
ギルガメッシュの驚いた顔を、女はにんまりと見ながらその胸の中へ自ら飛び込んだ。勢い付いたままソファに倒れ込む二人。世間に言わせれば美男美女のカップルだというのに、その状況にも微動だにしない。
(王様ったら、着やせするのかしら……)
押し倒した状態、案外分厚い胸板に顔があたり、そんなことが頭によぎる。しかし、右腕は彼の右手を拘束したまま、反対の手でギルガメッシュの顎から首筋を撫で、挑発する。
だが、ギルガメッシュもそれに乗る性格ではない。
「最後ぐらい、レディに譲りなさいよ」
「王たる我が最後の一杯にふさわしかろう?」
二人がピリピリとにらみ合っていると、「まあ、そう熱くなるな」と言峰が足を組み替えながら言う。薄暗い部屋の中、それでもしっかりと見えた。絡み合った二人が手を出せない状況で、彼がゆっくりと酒瓶に手を伸ばし、自分のグラスに注ぐのを。
「なっ」
「ああっ」
ギルガメッシュと女は声を失う他なかった。
「子どものような喧嘩をするくらいなら、家主である私がもらってやろう」
ククッと笑いながら、言峰はグラスの中でワインを転がしつつ、女を見やる。
「ああ。それと、シスター」
そこで一拍置いて、言峰は続ける。
「明日、会わせたい人物がいる。夕方、時間を空けておけ」
「ええ、ええ。そうでしょうとも。家主であるあなたに従いますわ」
女が厭味ったらしく言う。しかし、それに堪えた様子はない。最後のワインを惜しげもなく飲み干して、フッと笑った。
「こちらから会いに行くからそのつもりで――ああ、気負う必要はない。会いに行くのは小さな子どもだ」
子ども――それが意外で少し酔いが醒めた。と同時に今の自分の姿勢を思い出す。ギルガメッシュの右腕を離して、自席に戻った。
「王に口付けのひとつでもしないのか」
「あなたほどのひとなら、わたくしからのキスなんて必要ないでしょう?」
「美人からの請いに応える、これが好かぬ男などおるまい?」
女は自分に対して美人と評するギルガメッシュに驚きを得たが、それよりも言峰に言うべき嫌味を見つけられず彼女に当たる様子がそれこそなんだか小さな子どものようで、声を立てて笑った。
坂道の多い市街地を抜け、とある屋敷に辿り着く。うろこのような瓦が壁一面に貼ってあるのが特徴的なその屋敷の主は、玄関先で言峰の後ろに女がいるのを見て、こう言い放った。
「ふぅん。綺礼と一緒にいるなんて、あなた趣味が悪いのね」
「ええ、仕事だから」
さらっと流されたのにむっとしたのか、ツインテールが特徴的な女の子――遠坂凛は「この人を信用しちゃだめよ」と続けた。
「あなた、どうしてこんなに嫌われているの?」
「最初から馬が合わないらしくてな」
「まあ、わたくしでもあなたを信用しようとは思わないけれど」
「クッ……酷い言われようだ。一応、師……いや、彼女の父親に後見人を任されている身なのだがな」
まだ幼い小学生の女の子に本性を見抜かれているなんて情けないわねと思ったが、それよりもこの男の本性を見抜けなかった父親の方が情けないのかもしれない。
よりにもよって言峰綺礼が後見人だなんて、この子もかわいそうなものだ。
「初めまして。私のことはシスターって呼んでくれたらいいわ。あなたのことは何て呼べばいいかしら」
「初めまして、お姉さん。私のことは凛でいいわよ」
彼女がツンとした態度を崩さないのに苦笑していると、言峰は話を進める。
「凛、まずは中に案内してもらっても良いかな。客人を玄関先に立たせるものではないぞ」
「別に私が招いたお客さまではないもの。でもいいわ、応接室に案内してあげる」
凛が先導するのを、言峰は慣れた様子でついていく。
女も慌てて二人の後を追った。
応接室の赤いソファに言峰と並んで腰かける。凛は小学生ながらもこの屋敷に一人で暮らしているそうだ。母親が生きていた頃は共に住んでいたようだが、その母親も今は他界しているとのこと。
ちいさな身体、それでも慣れた様子で紅茶を持ってくる。
「お姉さんはお砂糖とミルクいる?」
「ええ、ありがとう」
言峰には何も確認せず出すものだから「私には用意してくれないのかね」と言い出した。
「いつもはいらないって言うじゃない!」
「今日はほしい気分かもしれない、と言ったら?」
「じゃあ、今日の綺礼にはお砂糖とミルク必要かしら?」
「では、お気遣いに甘えよう」
「もう~! 自分から用意させたくせに!」
子ども相手にもからかって遊ぶのかと思うと、そのおとなげのなさが面白くなって女はくすっと笑った。それも凛の逆鱗に触れたらしく「お姉さんも酷いったら!」と両手をぶんぶんと振り回した。
「ごめんね、凛ちゃん。紅茶、頂くわ」
そう言って一口。子どもが用意したとは思えないほどの味で思わず「美味しい」と感嘆の声が出た。
凛は女のその様子に満足したようで、ようやくソファに腰かけた。
「で。今日はどうしてその人を連れてきたの?」
「凛も知っていると思うが、この女性は今、教会で私の手伝いをしてくれているシスターだ」
「ちゃんと喋ったことはないけどね。知ってるわ」
「すっかり忘れていたのだが、凛にもきちんと紹介しておかなければと。私が忙しいときは、この女性が君の生存確認に来る」
初耳なんですけれども……と思いながらも、仕事の一環だろう。
「今まで通り、体術は私が教えに来るが――彼女もそこそこの手練れだ。凛の相手くらいはできよう。身体が鈍らないように、彼女にも相手をしてもらうと良い」
「いつも聞くけど、魔術師に体術が必要なのかしら」
「今日び、自分を助けるための技術はいくらあっても損はないわ。この言峰神父みたいな方が万一にも敵に回ったら――そう思うと、少しでも強くなっておいたほうがお得でしょう?」
「そりゃあ、そうだけど……いつまで綺礼が私を傷付けないかもわからないし」
「こんなにも面倒を見てやっている私にそれを言うか。私とて暇じゃないのだが」
「わたくし相手にも、そんなこと仰っていましたわね」
暇ではないのは知っている。だが、わざわざ厭味ったらしく言うのが言峰らしくて、おかしい。
「いつもそんなこと言うのね、綺礼は」
凛と女は二人で笑うと、言峰はふてくされたように紅茶を飲んだ。
久しくなかった、清々しい昼だった。開け放してある窓から風が入ってきて、机の上に置いてある書類を飛ばす。言峰が慌てて掴んだ様子がおもしろくて、また笑った。