口福~不幸と幸福の交わる言峰とシスターの仄暗い日常~   作:アイコ

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口福

 遠坂凛も、もう高校生となった。

 女はその事実に感慨深く思った。あの幼子がここまで成長するなんて。

 学校帰りの凛が一人で教会まで来ている事実が、時の流れを感じさせる。

 一人暮らしの彼女がわざわざここまで来たのは、言峰に用事があったからだ。なんでも近く、三者面談なるものがあるらしい――言峰が後見となっているのは事実なので、彼を招集するのは正しいが、言峰と凛が隣に座って教師と話している姿を想像するとなんだかおかしい。

 そう思っている女に対して、凛はぽつりと聞いた。

 

「本当に綺礼と一緒になるの?」

「さあ、どうなんでしょうね」

 

 女自身もまだ信じられてはいなかった。言峰と結婚するという事実も、言峰自身も。

 神父となった身では結婚できないのが、教会の決まりだ。それを破ってまで、言峰綺礼という男が自分を望むのか。女はあの夜から考え続けている。

 

(けれど裏のあるあの男を好きになってしまった、それがわたくしの罪だから)

「ほんっとに綺礼だけはやめたほうが良いと思うけど、あなたは分かっていてそんな綺礼が良いのよね」

「ええ。その通りよ、凛ちゃん」

「これでも、男の趣味が悪いことと名を明かしてくれないこと以外は、あなたのこと信頼しているのよ」

 

 いつの間にか、先ほどまで信徒と話していた言峰は、会話相手をギルガメッシュに変えていた。

 今、女と凛がいる庭からは、教会の中が見える。信徒はもう誰もいなくなっていた。

 珍しく何か楽しそうに会話をしている二人をしり目に、視線を凛に戻す。

 

「凛ちゃん」

「なんですか」

「わたくしが急にいなくなっても、気にしないでくださいまし」

「いや、気にしますけど。突然どうしたんですか」

 

 女は少し悩んだ後、慎重に言った。

「わたくし達の任務は突然どこかに行かされることがあるの。それも内密に。今回冬木に来たのだってそうだったわ。だから、挨拶は出来ないかもしれない」

「綺礼と結婚するのに?」

「そういうことは教会に関係ないから」

 

 ふぅん、と納得いっていなさそうに頷いた凛はまだ若いなと思った。けれど、女が突然こんなことを言い出したのは、ただ任務のためではない。

 なんらかの予感が彼女にはあったからだ。

 もしかしたら、このまま凛に会えなくなるかもしれない――

 風が吹いた。冷たい、不吉な風が女の首筋を撫でた。

 

 

 

 

 そこには、豪勢な音楽隊も何もなかった。

 教会にいるのは三人だけ、ここの主と仮宿としている二人だ。

 ギルガメッシュは神父の代わりに祭壇に立っている。ひとりでも着られる簡素なウェディングドレスを纏った女と、白い礼服姿の言峰がその向かいに立っていた。

 指輪を運んでくれる幼子もいないから、それぞれがリングケースを持っている。

 

「綺礼、貴様はこの女と結婚し、妻としようとしている。貴様はこの結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従って、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、貴様の妻に対して、堅く節操を守ることを約束するか?」

「そうしよう」

「女、貴様もか?」

「ええ、約束します」

「ここに婚姻は成った」

 

 ギルガメッシュがそう言うと、ふたりは結婚証明書にそれぞれサインをした。女はここで初めて、名前を明かすこととなる、その重大性を考えてはいなかった。

 満足そうにうなずく言峰、「――」名前を呼ばれ、性急に唇を奪われる。両肩を掴んで引き寄せられた、そのしあわせに女は浸った。

 誓いのキスが成った、そのあと抱きしめられたかと思えば、言峰が唐突に詠唱を始める。

 女は瞠目する。何が起きたか、分からなかった。

 

「私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」

「神父……? 言峰……綺礼?」

 

 何事か、確認したくて離れようとするが背中に強く回された手がそれを許さない。

 

「打ち砕かれよ。敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

「ああ、おやめになって。綺礼」

「装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を」

 

 言葉を失い、あえぐ女。もう彼の企みは女に伝わっていた。この男は自分を壊す気なのだと。やめて、と息も絶え絶えに言うが、言峰は詠唱をやめない。淡々と紡がれる言の葉のひとつひとつが、女の魂に突き刺さる。

 

「休息は私の手に。君の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ与えられる。――許しはここに。受肉した私が誓う」

 

 ギルガメッシュがにやりと笑うのが目に入った。彼は言峰の計画を初めて知るようだった。でなければこんなに楽しそうに笑わないだろう。

 女からは言峰の表情は見えなかったが、いつもと同じ真顔でいるのは声色から想像がついた。

 次の瞬間、詠唱が終わると同時に、女は意識を失った。

 

 

この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これをずっと計画していたのか、言峰」

 

 ギルガメッシュは壊れた玩具を見るように、倒れ込んだ女を見やる。言峰はそれに対して、淡々と返事をする。

 

「この女の保有する魔力は使い物になる。お前も血液の接種だけでは足りなかったろう?」

「かといって、この女と身体を繋ぐのは貴様が許さなかった」

「シスターも了承しなかっただろう」

 

 ククッと笑ってギルガメッシュは否定した。

 

「酷い言い訳だ。この女は貴様が頼めばそれこそ身体も差し出したろうよ」

「どうかな」

 

 相槌を打ちながら、言峰は魔術を使って女の体を腐敗しない様に加工していく。死んだのは魂だけ。身体はそのまま生きながらえている。花嫁を横抱きにして、地下の礼拝室に連れていく。

 白いドレス姿、用意していた棺桶の中に横たえて、腹のあたりで手を重ねる。左手の薬指にはきらりと光るリング。

 

「言峰、お前は死体愛好家か。まるで白雪姫のように眠っているではないか」

「私は王子なんぞにはなれん。キスで起こしたいならお前がなってやるんだな」

「おお、魂を破壊しておいてよく言いおるぞ。しかし、嫉妬ができるようになったのは良い傾向ではないか」

「何?」

「結局、貴様はこの女が誰かのものになるのが許せなかったのであろう? 神の御許に逝くことさえ許さなかったのは、それ故だ」

「……ふむ」

 

 いっぱしの所有欲が自分にもあったのかもしれない。かつての妻に抱いた気持ちとはまた違うそれを、何と呼ぶのか言峰には分からないけれど――

 

「そうかもしれないな」

 

 言峰は頷いた。この感情はきっと言峰を人間めいたものにしてくれるに違いない。ある種の救いでもあった。

 横たわる女を見下ろす、静かに眠っているだけのような彼女は、もう人形のように空っぽだ。

 

「ゆっくりおやすみ、――。約束は果たすつもりだ。君のことは生涯、私が見守ろう」

 

 

 

Fin.




「口福」は「絶望レストラン」よりフレーズを頂きました。

最後までお読みいただきありがとうございました。
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