Destiny Unchain Online 〜吸血鬼少女となって、やがて『赤の魔王』と呼ばれるようになりました〜 作:resn
――ゲーム内から脱出不能となってから、早くも四日目。
眠りから目覚めたクリムの目に飛び込んできたのは、見知らぬ天井だった。
「ふぁ……あ、そうか。『Destiny Unchain Online』の中だっけ」
目を擦りながら、まだ日も昇り始めたばかりの薄暗い中、ベッドから起き上がる。
……通常、VRゲーム内で寝落ちした場合、一定時間以上反応が無い場合は自動的にログアウトされる。
そのためゲーム内で目覚めるということはまず無いはずなので……どうにも慣れないのだった。
「それに、早起きする吸血鬼っていうのも変な話だけど……」
カーテン越しに、まだ上り始めたばかりの陽を浴びてでさえ、早くも不調を訴える体をなんとかなだめすかし、もそもそとベッドから出る。
「人間のフリっていうのも、楽じゃないよね……」
清廉な朝の空気の中だというのに、クリムは陰鬱に、はぁ……と溜息を吐くのだった。
「あ、クリムお姉ちゃんおはよー」
日課になっている朝の体操をしていると、頭上からかけられた声。
声がした方向……ルドガー家本宅の二階、窓の一つを見上げると、そこにはジョージより更に幼い女の子が、寝巻き姿のままクリムに向かって手を振っていた。
ルドガーたちと同じ赤茶色の髪はふわふわと柔らかそうで、ころころ笑顔に変わる表情も相俟って柔らかな印象のある少女だ。しかしその手足は細く、全体的に儚げな少女だった。
彼女……ルドガーの娘さんであるジュナは、あまり身体が丈夫じゃなくて、普段は家から出られない子らしいのだけど……今は比較的元気にこちらへ手を振っている彼女に、ふっと表情を緩めて手を振り返した。
「おはよう、ジュナちゃん。今日は調子いいみたいだね?」
「うん! お姉ちゃんは、今朝もお父さんのお手伝い頑張ってね!」
――うん、可愛い。
こんな妹欲しいなぁとか思うくらいには、すっかり絆されている自覚があるクリムだった。
そんなわけで、ジュナの頑張ってという言葉にほっこりとしながら、体操を切り上げた。
家からあまり出られない彼女は、初対面の時からクリムに興味津々で……放っておけず、色々な話をしてあげていたら、その日のうちにすっかりと懐かれていた。
そんな彼女にもう一度手を振ると、すでに森に入る準備を終えて待っていたルドガーと合流する。
クリムが初めてこのネーブルの町に着いて、ルドガーの世話になってから、すでに四日。
ただ部屋を借りているのも気が引けて、情報収集と熟練度稼ぎの合間にこうしてルドガーの朝仕事……薬の材料となる薬草集めの手伝いをしていた。
なんというか、彼ら彼女らはNPCだということを、最近ではうっかりと忘れそうになることに困っているクリムなのだった。
『ピギッ』
やけにしつこく首を狙って飛び掛かってくる兎の鼻先に、クリムの放った闇の礫が命中する。
大した威力はないものの、文字通り出鼻を挫かれた兎が無防備に飛んできたところへ、その首目掛け短剣を突き通す。
『……ッ!?』
串刺しとなった兎が、悲鳴も上げずに光る砕片となって消えていく。
「ふぅ、ふぅ……あと……お前だけだ……ッ!」
ここまでの連戦に上がった呼吸を呑み込んで構え直し、続けて眼前に相対するのは、初日と同じ灰色熊。
ここまでに、角が生えた兎とか、巨大な甲虫とか、蔓を操る植物の魔物などと戦ったりもしたが……見える範囲に残るは、この熊のみ。
左手はターゲットを示すように前へと突き出し、逆手に短剣を持った右手を矢を引くように構え、地を這うかの如く低姿勢に腰を落とす。
すると、設定された『
「……『神威』ッ!!」
地面が小さく爆ぜるほどの脚力によって、長い白髪を残像のようにたなびかせ、弾丸のように疾駆する小さな体。
ギリギリまで体を沈めた体勢で突進し……敵の直前で浮き上がるように跳ね上がり、その首へと短剣を一閃する。
それは、見事に
クリムの高い魔力によって製作した、高い攻撃力を秘めた影の短剣と、速度を制御し切った正確な狙い。
反応することさえも許されぬままに、首の半ばあたりまで絶ち割られた灰色熊が、ズズンと地響きを上げて地に崩れ落ち……残光を残して消滅した。
短剣、突進系
昨日、短剣熟練度20に上がった際に習得した、割と初期のほうのスキルだが……距離を詰めるのに便利で重宝していた。
「……ふう。ルドガーさん、もう安全ですよ」
律儀に再現された汗を腕で拭いながら、後ろに隠れていた彼へと声を掛ける。
……この世界での戦闘も、だいぶ慣れてきた気がする。
「お、おぅ……何度見ても凄いな、嬢ちゃんの強さは。特に最後なんかは全く見えなかったが……」
「師匠が良かったんですよ」
AIだけど、とクリムは内心で独りごちる。
しかし何度も理不尽に打ちのめされたその経験が、紅に大抵のエネミーは「師匠相手にするよりはマシ」と思わせている。
だから、あの陰鬱になるほど積み上げられた黒星にも意味はあったのだろう。
ルドガーは、普段は敵と接敵しないよう気をつけて森に入っているそうだが、当然ながらその分効率が落ちる。
そのためクリムが護衛として同行し、こうして露払いすることで……今まで指を咥えて眺めているしかできなかった希少な薬草の群生地にも手を出せるようになったと、彼は喜んでいた。
「よし、今日の分は十分だ、町に帰ろう」
「あ、はい!」
採取用の背負い籠を一杯にしたルドガーのその声に、しばらく考え込んでいたことに気がついた。
慌てて自分が摘んだ薬草を籠の中に入れて、歩き出したルドガーの横を歩く。
帰路の間も、何度か現れた魔物を倒しながら進み……すぐに森は抜け、町へと帰ってきた。
「……俺も嬢ちゃんみたいに戦えれば、ジュナの病気もどうにかしてやれるのにな」
「……え?」
町へ続く段丘を降りている最中、腕に薬草を満載した籠を抱えたルドガーが、ポツリと呟く。思わず振り返ったクリムに、彼が話を続けた。
「娘に必要な薬、残りの素材の場所も分かってる……だがそこは、この森の主の棲家なんだ」
そう、悔しげにルドガーが話した直後……視界端に、『新たなクエストが発生しました』の表示。
どうやらこれは、隠しクエストのトリガーイベントだったらしい。
「だが、悪いことは言わねえ。嬢ちゃんでも無理だ、絶対に突っ込むんじゃあないぞ」
真剣な表情で釘を刺すルドガー。次の目的地も教えてもらえなかった。
クエストNPCがこうも強く引き留めるということは……何かフラグが足りないか、あるいは今のクリムには本当に手に負えない強敵なのか、だろう。
今はどうにもならないのだと、渋々引き下がるしかできなかった。
「はぁ……パーティが組めればなあ」
借りた部屋のベッドにゴロゴロしながら、紅が呟く。
おそらくはルドガー家との交流は、なんらかの連続クエストだと……紅は交流を楽しむ傍らで、冷静に考えていた。
そして……それは充分に修練を積んだ
「ここで都合よく、誰か来てくれたらいいんだけどねぇ」
だが、そううまくはいかないだろう。
そう諦めの心境で枕へと突っ伏すのだった。
――そういえば、今の今まで他のプレイヤーと一度も会っていない。
「おかしい……これはおかしいぞ」
ガバッと顔を上げたクリムが、今更ながら呟いた。
MMORPGのプレイヤーなんていうのは好奇心の塊で、サービス開始翌日には未開エリアに旅立つ冒険者が現れ、三日後にはエリアほぼ全域の繋がりを記した図が出回っていることもあると言う。
「なのに、いまだに一人のプレイヤーとも会っていない……これは絶対におかしい……っていうかどれだけ広くマップ作ったの父さん!?」
この町は、それほどに『始まりの街ウィンダム』から遠いのだろうか。
サービス開始直後のMMOでこのようなことになるなどと予想もしていなかったが、これは由々しき問題ではなかろうか。
……そういえば、今までなんとかなっていたから忘れていたけど、これって立派なGMコール案件だよね。
そう思い立ったが早いか、迷わず初使用となるGMコールボタンを押すのだった。
『――やあ紅さん。そろそろ忘れられたんじゃないかと心配していたところだったよ』
「あ、父さん。ちょっと相談があるんだけど……」
そう前置きして、ここまでの強制ソロプレイの経緯を説明するクリムなのだった。
『……なるほど。それは確かに由々しき問題だね』
「というわけで、なんとかならないかな」
『うーん……こちらの手違いだからなんとかしてあげたいけど……その場合、ここまでのプレイ内容をリセットすることになるよ?』
「それは……」
宙の言葉に、クリムは「うーん……」と考え込む。
確かに、そのほうが楽なのは間違いない。ないのだが……脳裏にちらつくのは、ジュナやジョージ、仲良くなったNPCの顔。
リセットして、始まりの街に行くのが正解に決まっている。
だがクリムは、どうしてもその選択を選ぶ踏ん切りがつかなかった。
『……あ、そうだ。もし人との交流がしたいっていうだけなら、町ならどこかにトランスポート・プラザがあると思うんだけど、起動してみた?』
「何それ」
『やっぱり知らないよね、ウィンダムでチュートリアル受けてないんだから。えぇと……』
宙が、本来チュートリアルで教わる内容だったはずのその装置の起動方法を説明してくれる。
言われた通りに、町中心の広場にある装置を起動すると……中心のコアらしき青い結晶の周囲にいくつも複雑に絡み合ったリングが地面から浮かび上がる。
同時に、紅の前に、ステータスとは違うウィンドウが展開された。
『そこから、行ったことがある中立か友好関係の町に飛べるんだけど……その中に、ヴァルハラントに行く、っていうボタンがあるはずだよ。無制限交流エリアっていう勢力関係なしにどこからでも飛べる街に行けるから、迷っているなら遊びに行ってみたら?』
「……あ、見つけた。ありがとう、行ってみるよ」
『うんうん、楽しんできてね』
にこやかに手を振る父に礼を告げて通信を切ると、早速ボタンを押してみる。
すると、周囲に浮いていたリングがクリムを包み込むように移動したと思うと……次の瞬間、真っ白な光へと包まれる。
途端、クリムの耳を叩く音の奔流。
直前まで静かだった世界が、突然ガヤガヤとした無数の人の喧騒に包まれたのだった。