まだタイトル詐欺です。
「暑いな……」
とある県の山間にある長閑な温泉郷。
そこで一両編成の電車を降りて駅舎の外に出ると焼けつくような日差しに目を細めた。
文政四年開湯と言う由緒ある歴史を持ち、放射能泉、硫黄泉、酸性泉の三湯が自噴しているこの地が大きく発展していないのは、温泉の八割が個人の敷地にあると言うだけでなく、あまりにも広大な森林と湖沼のせいだろうと思っている。
この温泉にも150年ほど前に病院が建てられ、古くからの湯治と並んで近代医療に基づいた長期療養も行なわれるようになった。らしい。
病院の医師――特にウマ娘スポーツ医学科の医師が不足しているという事を知り、研修医として働くようになったのは年末の事だ。
医師免許を持つ身とはいえ、地域に根差した開業医や薬剤師の家系に生まれでもしない限りは本格的に将来の事を考えなくてはならない。
そんなわけで。某中堅私立大学医学部に現役入学したが早々に内科や眼科などのヒト相手の医科に見切りをつけ、なぜか年中不足しているウマ娘スポーツ医学科を選択したが、そこでも名門トレーナー一族の出身者が幅を利かせ、特にコネのない者はこうして病院や療養施設に潜り込み、少しでも顔を繋いでおかなくてはならない。何らかの役に立つかと思いトレーナー資格試験も受験し、無事トレーナー資格も取得出来たが果たしてこの資格が死格にならない事を祈るばかりである。
そんなコネのない者でもこの時期はすでに卒業後の進路が決定しているものがほとんどで、将来に向け予定が詰まっている。
従って、私みたいな進路が決まっていない者には大学からの
「進路が決まっていないお前らは暫らく講義の出席を免除してやる。代わりにどんなコネを使ってでもどこかの病院か施設に顔を繋いでおけ!」
との有難いお達しがあり、コネと言っても叔父が院長を務め、祖父が理事長になっているこの病院ぐらいしかない私は半ば強制的にこの地へ送り込まれたのだ。
「……こんな所でのんびりするのもいいかな。トレーナーにも少し未練が在るけど、どのみちトレセン学園には入れないだろうし」
肩の荷物を軽く掛け直し、冬の間、半ば雪に閉ざされていた長い長い坂道を歩き出した。
標高のそこそこ高いこの地も夏ともなるとさすがに暑い。
切り開かれた道は影を作る物もなく、首筋を焼き付ける日差しは、済んだ空気の恩恵を余すことなく味方につけて攻め立てる。
「……避暑地じゃないよな、やっぱり」
療養を目的とした温泉郷ということで、此処に来るまでは整った環境を想像していたが、来た当初にそんな幻想は打ち砕かれていた。
「此処を過ぎれば……木陰路だ……」
そう解っているものの、周囲の景色などを楽しむ余裕は消えていた。
「……水が欲しい……」
まさかこれほど暑くなるとは思わなかった。
切り開かれたアスファルトの照り返しは、暴力的なまでにこの身を焼きつける。
「……なんでこんなに切り開かれているんだ……」
冬は『何でこんなに狭い道なんだ』と言っていた気もするが、そんなものはとっくに何処かに蒸発している。
切り開かれた路をそれ、木陰路に入る。
木陰路に入ると、両端の爽やかにして瑞々しい若い木々が初夏の空の一部を覆い、足元からは土の涼気がなんともいえない幸福感を伴って伝わってきた。
蒼穹の空を横切る白い雲が、涼陰に瞬く木漏れ日の囁きが、さわさわと揺れる風の調べが、語りかけてくる。
森の中に湧き出た冷冷とした泉を横切る、羽のように舞う清涼な自然の息吹が、その翼をこの場全体に広げると、焼かれてしまった肌から熱を消し去っていく。
何もかも忘れて地面に倒れこみたい衝動を押さえる影が道の先に小さく見えた。
木陰路の向こう、日差しの映える影の切れ目。
「あれは……」
その影もこちらを見つけたらしく、小走りに駆け寄ってくる。
「こんにちは、お兄ちゃん」
「ダイヤちゃん。久しぶりだね。お迎えありがと」
息を切らせて出迎えてくれたのは、この地で親しくなったウマ娘の女の子だった。
ダイヤちゃん――サトノダイヤモンドちゃんは、体調を崩してこの温泉郷で湯治中のお爺さんの付き添いで逗留中のウマ娘ちゃんだ。
学校の授業はオンラインで受けているらしいが、トレセン学園を受けるにはやはり不安なところもあるという事で御爺さんが家庭教師を探していたところに院長の推薦を受けた私が冬の間だけという事で家庭教師を引き受けていた。
冬の間病院の見習い医師とダイヤちゃんの家庭教師という二足の草鞋で生活していたが、春になる頃にはすっかり懐かれ、帰るとなった時に随分大泣きされたものだ。
「こんにちは。またお世話になるよ、ダイヤちゃん」
迎えに来てくれたダイヤちゃんとの間で会話を温泉郷の中央にある病院まで楽しむ。
一頻り会話を楽しんでいると、目的地は目の前だった。
「あら、今日も元気ね。ダイヤちゃん」
病院の前で、年末お世話になった看護師さんに出会った。
「お久しぶりです、デイジーギャルさん」
「あら? ああ、そう言えば今日だったわね。お久しぶり。またよろしくね」
その言葉を聞き妙に緊張感が走る。
年末この病院でお世話になったとき、この人には随分と絞られたものだ。
言葉の当たりは優しいが、仕事に関しては自分にも他人にも厳しい人だった。
「あら。随分緊張しているわね。この前、そんなに厳しく接したかしら?」
そう言って肩をすくめるデイジーギャルさん。
「院長達が待っているから挨拶してくるといいわ。尤も、一番楽しみにしていたのはダイヤちゃんだけど」
笑いながらそう言うデイジーギャルさん。
「あぁ! 内緒って言ったのにぃ」
剥れるダイヤちゃんの背を押して病院へ送っていくデイジーギャルさん。
「内緒だって言ったのに……」
「ごめん、ごめん。仲良さそうだったから、つい……」
「もう……」
病院に消えていく二人を見ていると何となく微笑ましい物を感じた。
「相変わらず仲良いな、あの二人」
少し歳の離れた姉と妹。そんな言葉が似合う二人だった。
「さてと、そろそろ行こうか」
荷物を担ぎなおし、病院の入口に向かって歩き始めた。
この温泉郷の病院は国立でも公立でもなく私の母方の叔父の一族の先祖が設立したらしい。
去年の秋ごろ、実習先が見つからず途方に暮れていた私を見かねた叔母が声をかけてくれた。院長は私にとっては叔父にあたるが、あまり交流もなく実習先がすんなり決まっていたら此処には訪れなかっただろう。
着任の挨拶の為院長室を覗いてみたが人影は見当たらなかった。
……待てよ。この時間なら……。
冬を思い出し、病院を出て温泉にまわったところで。
「おぅ。来たな」
力強く肩を叩かれた。
振り向くとそこに院長以下、この冬に知り合った医師のほとんどが揃っていた。
どうやら総回診にうまく当たったようだ。
早速『こき使ってやるから覚悟しろよ』だの『患者の女の子に手出すんじゃないぞ』だの手荒い歓迎を受けた。
「まぁなんにせよ、これから暫らくの間、宜しく頼むぞ」
「はい。此方こそ宜しくお願いします、院長」
「よろしい! またビシビシ鍛えてやるからな。……尤も、殆どデイジーギャル君が面倒を見ることになると思うがな」