マックイーンの目標を聞いてから数日経った。
今日は非番にもかからわず朝から急な呼び出しがあった。
どうも郷の祭で食中毒が発生したらしい。てんてこまいであったがようやく患者対応も一区切りついたので、もともと非番だった僕はそのままお役御免となってしまった。
「半休もらってもなぁ……今更行くところもないし。どうしようかなぁ」
この温泉郷に来るには1日2〜3本通る電車と1日1〜2本来る貨物列車以外は、崖や切通しでSUV同士でも10数ミリ単位でのすれ違いがやっとという幅の峠の一本道(これでも国道だ)を九十九折で延々3キロに渡って越えなければならない。郷に入れば幅4〜6mの道路が拡がっているのだが。
そんな峠道は大型トラック等からも敬遠され最低限の配送しか行われない。その結果、郷では個人商店や小規模スーパーはあるがコンビニなど都市伝説まがい。カラオケなどの娯楽もないので、娯楽と言えば夕方から開くバーに繰り出すか、温泉に浸かるか、川で泳ぐか森林を散歩するか林道を駆けるかといった自然相手の物となる。
暇をつぶそうとあてもなく散歩していると、
「……今日もお元気そうですね、マルゼンスキーさん」
マルゼンスキーさんに出くわした。
……周囲を見回しても、清一さんが珍しく近くにいなかった。
「あら、彰君。ええ、今日もチョベリグよ。清一さんはチョベリバだけど。今日はここで診て貰っているわ」
「え? 清一さん、どうかされたんですか?」
「ええ。……食中毒、よ」
「食中毒!?」
「……祭で知り合った女の子に茸貰って食べたらしいのよ。まったく……可愛い子に貰ったからって無警戒に茸食べるなんてね……我が夫ながら情けないわ」
溜息をつくマルゼンスキーさん。
大変そうだな……と、同情しているとマルゼンスキーさんの目が変わった。
……しまった。この顔は……。
「いつもマックイーンちゃんがお世話になっているみたいね」
「こちらこそ……」
「で、どうなの?」
挨拶もそこそこに身を乗り出してくるマルゼンスキーさん。
やはり……。
「どうなのって……何です?」
「マックイーンちゃんとの仲よ。最近ずっと一緒よね? 隠しても無駄よ、二人で森で会っているんでしょ?」
「え……ま、まぁ」
……この人は、かつてのチームメイトにも容赦ないのか……?
「ま、私も犬に咬まれるのは嫌だから、若い人同士の事に口出しはしないけど……。もういい仲なの? ……でも、避妊はしっかりしてね」
「な、何ですか、その避妊って! だいたい現役生とのそう言う行為はダメでしょう!」
「冗談よ。彰君のそういった所、信用しているわね」
まったく……。
確かに僕とマックイーンは『いい仲』かもしれない。
気の合う仲間として、『指導者と教え子』として。
そして……。
そう思ったところでマックイーンの言葉を思い出す。
『東京に戻ったら会う機会がないから』
「マックイーンとはそういう仲じゃないですよ」
「あら、そうなの?」
「はい」
至極残念そうなマルゼンスキーさん。
「ええ。……それで、今日はマックイーンどうしています?」
「マックイーンちゃん? ここに来てないかしら?」
「え?」
「確か今朝、そんな事言ってたわよ。……寝ていたからよく覚えていないけど」
何しに来ているんだろう? マックイーン。
「そうですか……少し探してみます」
「あら? 甲斐甲斐しいわね。……本当はあの娘と……」
「はい、出来ています」
「やっぱり! 早く知らせないといけないわね」
今にも駆け出しそうなマルゼンスキーさんに一言。
「嘘です」
途端に残念そうな表情を見せるマルゼンスキーさん。
「嘘なの? 残念ね……」
「それじゃ。彼女、探してきます」
「あの娘に会ったら言っておくわね。彰君が探していたって」
「お願いします」
……どこにいるんだろう、マックイーン。
病院の待合室や食堂、温泉、敷地内の庭園を周って見たが、その姿はなかった。
「本当にここにいるのかな? マルゼンスキーさん、寝ていたからよく覚えてないって言っていたしな」
院内の廊下を歩いていると、
「……はい」
聞き覚えのある声がした。
「……どうもお世話になりました……」
マックイーンの声だ。
診療室の扉の向こうから聞こえてくる。
診療室から出てきたばかりのマックイーンに声をかける。
「マックイーン!」
「あら、彰さん。こんにちは」
「マルゼンスキーさんから此処にいるって言われて探したよ。……どうしたの?」
「どうしたのって……少し診てもらっていただけですわ」
「どこか具合でも悪いの?」
「ええ……。少し左足の調子を診てもらっていましたの。もうなんともないそうですわ」
「もう……って、怪我してたの?」
マックイーンの左足を見る。
特に治療した痕跡も見当たらない。
「いつ?」
マックイーンは、僕の視線を遮るように手を振っていた。
「え……。えっと……そうじゃありませんの」
「そうじゃないって?」
「えっと……あの……さっきライブの振り付けしてたら足捻っちゃって」
慌てたような声をあげるマックイーン。
「………」
「此処で診てもらっていましたの」
「大丈夫なの?」
「うん。大丈夫ですわ」
「……本当に?」
「今診てもらっていましたのよ? 大した事ありませんでしたわ」
そそくさと立ち去ろうとするマックイーン。
「あれ? もう帰るの?」
「……ん~。そうですね。折角だから外来用の温泉に入って帰りましょうか。……あなたも一緒に入りますか?」
「え、えぇ!?」
「嘘嘘。冗談ですわ、それでは」
笑いながら立ち去るマックイーンを見送る。
何だか様子がおかしかった……。
「怪我……してたのかな?」
「していたよ」
「うぉわぁ!」
何時の間にか院長と……清一さんが立っていた。
「お、驚かさないで下さい」
「病院に責任者がいるのが驚かれる事かね?」
「そ、それはそうですけど……何か御用でしょうか」
「用って……普通、医者が病院にいれば仕事だと思うが?」
「はぁ」
「彼女とは知り合いだったのか?」
院長がマックイーンの立ち去った先を目で指し示す。
「ええ、まぁ……」
「彼女の足の事は知らなかったのか?」
清一さんが聞いてきた。
そうだった。そのことを聞かなくては。
「足。マックイーンの足って大丈夫なんですか? 彼女、怪我していたんですか? 治っているって、いつ怪我したんですか? そもそもどんな怪我だったんです?」
「まあ、待て待て待て。一度に言われても答えられん」
苦笑する院長。
「まず、彼女の足だが、左足は完全に治っている。それは安心していい」
安堵の溜息が漏れる。
「彼女がここに来たのは6月中旬だ。その時には左膝の怪我は治りかかっていた」
「左膝……!?」
「知っているんだろう? 天皇賞の結果を」
清一さんが聞いてくる。
「はい」
あのレースは凄まじかった。あの後天皇賞に参加した選手の大半が足に不調を訴え、一時期は選手生命の危険すらあった選手もいたらしい。
「ここには、足が思うように動かない。走れないといってきたのだが……その時はすでに大した怪我でもなかったし、温泉療養の効果もあって今日の所見では完治していた」
思うように足が動かない……?
初耳だった。
僕は何も知らなかった。
清一さんが続けた。
「……偶に院長とも話しているんだ。今あの子が走れないと感じているのは、あの子自身の心によるものじゃないかってな」
「心?」
「まぁな……久しぶりに姿見せた時は声を掛けられなかったな、沈みまくっていてな」
「沈んでいたんですか……? マックイーンが?」
院長がその頃の様子を話してくれた。
「ああ。診療の際も、最初の頃は目つきは恐いし親の敵みたいに睨みつけてくる。随分と手を焼かされたよ。名家のウマ娘っていうのはこんな感じなのかと思っていたんだが……。必要最低限の会話が出来るようになってきたのはここ数週間だな」
「………」
「実際、さっき話しているのを見るまで、あんなに喋る子だったとは知らなかったぞ」
そう言って苦笑する院長を見やり、清一さんが笑いながら後を引き取る。
「随分仲良くしている様だな、おい」
頭に手を回し、締め付けてくる。
「えっ……って何言っているんですか、僕は彼女とは別に……」
「ほぉぉ? なら森で何しているんだ?」
その様子を見ながら院長が苦笑している。
「なるほどな。……仕事の方もその調子で頼むぞ? んん?」
誤解されている様だ……。
「もう一点。彼女は左足を庇うあまり、右足に負担がかかっている様だ」
「負担が……?」
「今のところは問題はない。ただ、彼女には注意するように言っておいてくれ」
「はい。……でも大丈夫なんでしょうか、マックイーン」
「私の診察に不満な所でもあったかい?」
院長の片眉が上がる。
「いえ。そういう意味ではなくて……」
慌てて取り繕う。
「そんなに心配なら自分で確かめればいいだろう? 触診なり何なりしてな」
清一さんが笑う。
「清一さん!」
「おっと、失敬。もうとっくにしているか」
清一さんが高笑いする。院長まで……。
院長、僕は貴方の甥なんですが。もう少し甥を信用して貰っても良いんじゃないかと……。
「清一さん、その辺にしておきましょう。あなたも今は病人なんですからね。入院手続きに行ってください」
なおも笑いながらそういう院長の言葉に、清一さんはばつが悪そうに、受付の方へ立ち去った。
まったくあの人は……。
「マックイーンが、足を怪我していた……」
一言も聞いていなかった、そんな事は。
「何故、足を捻ったなんて嘘を……。治っているなら問題ないけど……」
何となく釈然としない気持ちは残ったままだった。
*********
翌日、マックイーンの動きはいつもと比べると精彩を欠いていた。
それとなく聞いた所、清一さんの入院が原因らしい。
そう言えば、マルゼンスキーさんも何処となく元気がないし……。
そう考えると、いつものように森で。とは行かず、清一さんの退院までは僕も本業に専念する事にした。
「清一さん! そっちは女性用の浴場です! 入らないで下さい!」
先が思いやられるが……。