いつもの森……。
目の前にいるいつもの彼女……。
ずっと彼女に付き合って……。
僕はどう思っているんだろう。彼女の事を……。
そして、彼女は……。
わからない……。
いつか、マルゼンスキーさんにも同じ事を訊かれた……。
まだ答えは見つからない……。
今は……。
※ ※ ※ ※ ※
マックイーンに、二人で一緒に頑張ろう。と言った手前、マックイーンが再び走れるように練習を一緒に行うことにした。
ダメもとで院長に直談判をしたが、報告を怠らない事と詳細なレポートを提出することを条件に患者へのリハビリ実習という名目でお許しを貰えた。
周りの先輩医師達も事情を話すと、ニヤニヤしていたりサムズアップをしていたりしながらではあったが、笑顔で送り出してくれた。
「今の走りは良かったと思うけど、どう思う、ダイヤちゃん?」
僕達は訓練を再開したが10月末に開催される天皇賞まではもう残り2ヶ月を切っている。
にもかかわらず、彼女は調子を取り戻していない。
限られた時間の中で自分達にできる最良の方法、それがダイヤちゃんも巻き込んだ練習だった。
しばらく前からダイヤちゃんとの交流時間がほとんど無くなり、すっかりお冠だった彼女が森に入る僕の後をこっそり尾行してきて、広場でマックイーンと出会った事が切欠だった。
「それにしてもダイヤちゃんとマックイーンが知り合いだったなんてね」
「私も、まさかダイヤさんが彰と知り合いだったなんて思いもしませんでしたわ」
「あ~! マックイーンさん、いつの間にお兄ちゃんの事呼び捨てにしてる」
ずる~い。と可愛らしくぷくーっと膨らんだダイヤちゃんの頬を二人で突きプシューとさせる。もう。と笑顔でダイヤちゃんがまたも頬を膨らませ、二人で突きプシューとさせる。
そんなことを何度か繰り返しているうちに二人の息が整い終わる。
「んじゃ、2回目行くよ~! ダイヤちゃんも全力で逃げ切ってね~。用意! はじめっ!!」
ダイヤちゃんとの追いかけっこを通じてマックイーンは勘を取り戻す。
ダイヤちゃんも追いかけっこを通じ能力の向上を目指し、二人の走りを見て学ぶことで僕もマックイーンの勘を取り戻す手伝いをする。
それが皆で決めた方法だった。
「それでは、私はこれで帰りますね。お兄ちゃん、マックイーンさんをよろしくお願いします」
森の入口まで三人で帰り、別方向に帰るダイヤちゃんを見送る。
姿が見なくなるまで手を振るダイヤちゃんを手を振って見送るマックイーンと僕。ダイヤちゃんの姿が見えなくなったら、また森の広場でスタートダッシュを行う。というのがいつものパターンだったのだが、今日は……。
「あ、マックイーンさん。清一おじさんからの伝言です。遅くなると狼が心配だから早く帰ってこいよ。だそうです。何で絶滅した狼の事を心配するのか良く判りませんが、食べられちゃうと大変ですから
笑顔で立ち去るダイヤちゃん。
ダイヤちゃんになんてこと教えてるんだ、あの人は!
「あ、彰。……その」
顔を赤らめるマックイーン
「帰ろっか……」
「ええ……」
気まずい沈黙の中で大人しく帰る事にした。
※ ※ ※ ※ ※
「今日から暫くダイヤちゃん、お休みか」
「そうですわね」
ダイヤちゃんがスクーリングの為1週間ほど練習に来れなくなったと連絡があった。
とは言ってもダイヤちゃんが休みでもやることはあまり変わらない。
マックイーンと一緒にジョギングをし、スタートダッシュを何本か行う。日が昇ったところで一緒に泉で泳ぎ、泉から上がった後は森を散策してダイヤちゃんお勧めの丘の頂上まで登る。森の広場に戻ってまたジョギングをする。
……泳ぐのはそろそろ水が冷たくなってきたからやめようと思った。
ウィニングライブの練習とも違うふたりだけの練習。
二人の間に友情以上の強い連帯感が生まれてくるのを、お互いに感じていたようだ。
「……彰?」
ひょっとしたら……良き訓練相手としてだけでなく……。
……もしかしたら、それ以外の日常生活でも良き相棒かもしれない。
「どうしたの? 彰」
学園を卒業すれば……。
お互いに支えあえれば……。
「彰!」
何か聞こえた気がする。
「何ぼんやりしているの? ……何か変な事考えていたら承知しないわよ!」
……気のせいか。炎天下の屋外で訓練に励んでいた為に見た幻覚だったらしい。
……そうだよなぁ。家格が全く釣り合い取れていないし。
「ごめん……」
「返事は、はい。でしょ?」
「はい……って、ん?」
「なに?」
「変な事……? 変な事って何?」
「え?」
「いや、だから……変な事って何かなって」
「え? ……その……」
マックイーンの顔に一気に血が昇る。
……照れている?
「な……なんでも……」
「幻覚、じゃないみたいだ……」
「もう!」
頬を染め、俯くマックイーン。
「……彰。……練習中……よ」
語尾が途切れ途切れ。
マックイーンが恥らう仕草を……。
目を疑った。
「ご、ごめん……でも……」
後が続かない。……気まずい沈黙が……。
マックイーンが顔を起こし、食って掛かってくる。
「もう! この……! もう……まじめに、やってください」
……あまり迫力もない。
照れているマックイーンって可愛い……。
「……雨降って地固まる、だったかな……」
「え?」
「い、いや、なんでもないって」
「……変な彰」
「……よし、もう少しやろう。時間もあまりないし」
「ええ。……それでは、もう2kmジョギングしてその後スタートダッシュを10本。その後ウィニングライブの練習で身体をほぐして午前中は終わりにしましょう」
……ウィニングライブの練習で身体をほぐすって……どんな体力なんだろう?
僕は身体をほぐすのは別枠でやっておこう。
※ ※ ※ ※ ※
「茹だる……」
さすがに炎天下で、実戦さながらの訓練は辛い。
休み無しの連続で練習を行なえる限界は1時間そこそこって言われているが……納得。
流れる汗を拭う。
……拭いている側から汗が噴出する。
……脱水症状に気をつけないと。
「彰、何か飲みますか?」
「あ、ありがとう……動けないから投げて」
「このぉ……怠け者っ」
そんな笑い声と共に水筒が一直線に飛んできた。
「もっと軽く投げてよ!」
「投げましたわよ」
これで、軽くか……。
「お、冷たい……!」
「泉の湧水口に置いていましたから」
「冷たくて気持ちいい!」
「良かったですわ。冷たさが足りないようでしたら泉に落として差しあげます」
「それは勘弁して」
笑いながらマックイーンが隣に腰を下ろす。
「今日はさすがに疲れたかな」
マックイーンも額の汗を拭っている。
「マックイーンも前は汗なんてかいていなかったのにね」
「ヒト相手でしたし、多少は手を抜いても大丈夫でしたから」
「……」
「あ、傷つきました? でも本当の事ですわよ。でも、もうそんな余裕ありませんわね」
「うん。そうだね」
「それにダイヤちゃんもそうですけど、彰も思った以上に成長して。うかうかしてられませんわ」
「え?」
顔がにやついているのがわかる。
「そ、そうなんだ……」
「ええ。だから……、訓練中にあんな事言わないでください」
そう言うとマックイーンは俯いてしまった。
「マックイーン?」
「苦手なのです、そういうのは……。私、あまりそういうのは好きではないのです……」
「……マックイーン」
「ごめんなさい」
「……そういうのって何?」
「え……?」
「そういうのって何?」
「そ、そういうのって……」
絶句するマックイーン。
……少しからかってみよう。
「ね、そういうのって何なの? マックイーン?」
「そ、そういうのって……」
「ね……マックイーン? 何なの?」
「……ですから、そういうことを言わないでって言ってるのです!」
勢いよく突き出される両腕。
「わっ……っとっとっと」
危なかった、もう少しで泉に落ちる所だった。
「危ないじゃないか。落ちたらどうするんだよ」
「え? 落として欲しい。ですか?」
「ごめん……もう言いません」
「まったく……余計な所で疲れましたわ……」
言いながら両足のふくらはぎを揉むマックイーン。
「……揉んであげようか?」
「遠慮します。自分でやりますから」
不機嫌そうな声。
「……痛いの? そこ」
膨れっ面のマックイーンが念入りに揉んでいるのは、この間も痛がっていた右足。
「ええ。少しだけ」
「例の、痛い秘孔?」
「ええ……力を入れると痛むのですわ。痺れるような感じで……。でも普段は何ともありませんから……」
「怪我したのって左足だったよね」
「ええ。ずっと左を庇っていたからかしら?」
そう言えば、院長がそんな事言っていた気がする……。
「やっぱり揉んであげるよ」
「そう……ですわね。折角専門家がいらっしゃるのですから。それではお願いしますわ」
「しっかり丁寧に揉むよ」
ん? 少しだけ、ほんの少しだけ硬いような?
右大腿部にある経絡の風市を押した時にそんな違和感を受けた。
しばらく気をつけて揉んだけどはっきりとはわからない。
気のせいかな?
「姿勢も変になるしね。怪我を庇っていると」
「詳しいわね。さすが、スポーツ診療医」
……笑っている。からかうつもりかな?
「かっこいいですわね、彰」
「そうだろ」
わざとらしく胸を張る。
「……後は、ヒトに付き合ってるからでしょうか? ゆっくり走らないといけないので、気を遣って疲労が溜まっているのかも知れませんわ」
「……さっきは成長したって」
「あら? そんな事言ったかしら?」
すました表情で、そう言うマックイーンが僕に視線を向け、吹き出す。
「……嘘嘘。成長していますわ。それとも……才能でしょうか? この頃急にアドバイスが的確になってきましたわ。……だから、ね。そんな拗ねた顔しないの」
「そ、そうかな?」
「ま、先生も良いからだと思いますわ」
そう言って、エヘンと胸を張るマックイーン。
「……って、僕が成長しても仕方ないんだけど」
「え?」
「マックイーンのほうはどうなの? 自分の思い描くレース運び、出来るようになった?」
「う~ん。完全とはいきませんわ。でも……今、こうしている事が楽しいのです。ですからきっと思い出せます。あなたが驚くような勝ち方で優勝して見せますわ」
「頼もしいな……楽しみにしているよ」
「ええ。期待していてくださいね。……それでは、続きをやりましょう」
と言って立ち上がる。
「もういいの? もう少し休んだ方が……」
「大丈夫ですわ。身体を動かしていた方がいいのです」
「そう……?」
彼女の後を追って立ち上がりながらも、胸中の微かな不安を取り払う事が出来なかった。
揉んだ時、他の所と比べて右足の風市が僅かに硬かったような気がする……。
……後で院長に相談してみよう。
「でも……。辛いと思ったら言ってよ。マックイーンは何でも抱え込むんだから。そのために僕がいるんだし……」
「……彰、説教臭いですわ」