「大げさだと思うけど……彰」
「うん。……でも、『念には念を』って言うから」
「それで彰が納得するなら、いいけど……」
渋るマックイーンを説得して、僕は彼女を病院に連れて来た。
彼女の脚を詳細にCTで
昨日、彼女の右足を揉みほぐした時に感じた僅かな風市の硬さ。それが妙に気になっていた。
怪我した左足を庇った疲労が溜まっているのではないか。というのが院長達とマックイーンの意見だった。
僕もその意見に異存はない。
ただ、痛みはさほどでもないのに実際はひびが入っていた。ということは良くある事だし、詳しくCTで
ただ、問題が脚だけでなかったら……。
「彰君、準備が整ったわ。マックイーンさんは着替えるから、こっちに来て」
別室の扉の向こうから、デイジーギャルさんの声が聞こえる。
「え? 着替えるの?」
驚くマックイーン。
そうだよな……初めて
それに追い討ちをかけるように、
「ええ。……早く来て」
冷たい口調のデイジーギャルさんの声。
デイジーギャルさん、仕事中は大人相手には意図的に会話に感情を込めないからなぁ。
「彰……」
頼りなげな目で僕を見つめるマックイーン。
「行ってらっしゃい。待っているから」
「……うん」
「さ、こっちよ」
頼りなげな動きでマックイーンが別室に消える。
「全身の
背中から声が掛かる。
「院長……。いえ、どうも不安があるもので。特に右足の風市が硬かったような気がするのが」
「……君が感じたというやつか。……屈腱炎か繋靭帯炎を疑っているのかね」
「脊椎の疾患も考えられなくはないですが、それよりはむしろその2点の方が……まさかとは思うんですけど」
「まぁ、いいだろう。骨折などがあれば、それも見つけられるしな」
「お願いします」
「院長」
扉の向こうから、デイジーギャルさんの声がする。
どうやらマックイーンが着替え終わったらしい。
「わかった」
彼女に呼ばれ、院長がマックイーンのところへ向かった。
「……」
マックイーンが息を呑む気配が伝わってくる。
「やぁ、こんにちは。卵でも医者を恋人に持つと大変だろう?」
「な、何言ってるんですか、院長」
扉の向こうの院長に声をかける。
「あ、……はい」
院長の言葉に素で返すマックイーン。
「マックイーン……?」
扉の向こうのマックイーンに声をかける。
緊張して余裕がないらしい。
意外だ……。
「おやおや。……まあ寛いでくれたまえ」
院長が準備の為診療室を出ていき、その後にマックイーンが呆けたように此方に歩いてきた。
衝立の向こうの椅子にマックイーンが座ったのを見計らって、覗いてみる。
「きゃっ! な、なんの真似ですか!!」
薄手の診療服を抱くようなマックイーン。
「……見えませんでした」
「な、何を考えてるのですか!」
「……緊張してたみたいだったから、気分をほぐそうかと」
「ほぐれるわけありませんわ!!」
「そうなの? ……無駄な事したな、見られなかったし」
「な、何が無駄な事ですか! ……全部脱がされているんですから、見られたら大変ですわ」
「……惜しかった」
「後で覚えてらっしゃい……。でも、何で何もつけてはいけないの?」
「ああ、それね。邪魔になるんだ、ワイヤーとかプリントしているものとか。変わったものだと金糸や銀糸で装飾したのもあるらしいし」
「装飾した肌着なんて身に付けませんのに。でもワイヤーが入っているものもダメなのですね」
溜息を吐くマックイーン。
「……ところで、結構小さいんだね、マックイーン」
「いい加減になさらないと引っぱたきますわよ!!」
意図的に言ってみたけど、引っかかってくれたようだ。
「え? 意外とマックイーンって気が小さいんだねって……何と勘違いしたの?」
マックイーンが頬を染めて小突いてきた。
しかし、良かったと思う間もなく、すぐに、しんみりとなる。
「……こういうところって嫌いなの。学園の健康診断だって嫌なのに」
「この匂い、結構好きなんだけどな」
「ホントに?」
「うん。こういう匂いって好きだよ。『この匂いを嗅いでいたい、だから医者を目指している』って言ったら言い過ぎだけどね」
「それ、変ですわよ、絶対。私は……この雰囲気が好きになれませんわ」
そんな言い合いをしているうちに院長の声が聞こえた。
「……なんか、ホントに緊張してきましたわ……」
「横になっているうちに
「それを聞いたら一層早く帰りたいと思いましたわ」
「すぐ済むよ」
「……お手洗いに」
「ついさっき行ったばかりだよね? 我慢して」
「……お水を」
「終わったら食堂で好きなもの飲ませてあげるから」
「彰ぁ……」
マックイーンが頼りなげな声をあげる。
「……胸、透けてるよ?」
「え!? 嘘!?」
慌てて前を隠すマックイーン。
「うっそ~。さて、緊張も解けたようだし、行こうか」
「解けてませんわよ!」
CTでの
マックイーンが待合場所で待っていた。
「マックイーン」
声をかけるなり、マックイーンが不満げな声をあげる。
「まったく! 失礼ですわ、あの看護師。終わったら何て言ったと思います?」
なんとなく想像は出来る……。
「はい、良く我慢したわね。とか言うのよ?」
「デイジーギャルさん、子供には優しいからなぁ……」
笑いを必死にかみ殺しながらそう言うと、
「……子供? 冗談じゃありませんわ、何処が子供ですか」
胸を張り、初めて会った時よりは成長したと自称しているふくらみを強調するマックイーン。
……小さいって言った事を気にしているのかな? 実際の話、同世代にしては小ぶりだとは思うけど、気にしてるのか? って訊いたら殺されるだろうな。
「検査ぐらいでビクビクしているから……」
「あ。そう言えば、検査が終わったら、好きなものなんでも奢って頂けるって……?」
「飲み物だけだよ」
「ケチ……」
「検査が終わった途端、元気になってるよ……。親猫が迎えに来た迷子の仔猫そっくり」
「にゃ~ん」
猫の鳴きまねをし、腕を引っ張るマックイーン。だが……。
「……私、大丈夫でしょうか?」
急に俯き、不安げな声を上げるマックイーン。
「……マックイーン」
彼女の顔を見ていると、今まで押さえてきた物が溢れそうになる……。
『そんな不安な表情をしないで……。本当は、僕だって恐いんだ……』
そう言ってしまいそうになる。
『本当は、僕だって不安なんだ。今だって軽口叩いて気を紛らわそうとしているんだ』
そう言ってしまいそうに……。
そんな重い雰囲気を打ち破るような声が聞こえる。
「あら? マックイーンちゃんに、彰君?」
マルゼンスキーさんだ……。
となると、近くに……。
「清一さん、今日はいないわよ」
考えを読んだかのようなマルゼンスキーさんの声。
「あ、マルゼンスキーさん」
マックイーンがハッとしたような声をあげる。
「何? 二人お揃い? あ、ひょっとして……」
詰め寄るマルゼンスキーさん。
「え? あ、そんなんじゃ……」
マックイーンが焦った声をあげる。
……マルゼンスキーさん、自分で嗾けておいて楽しんでるよな、これは。
「……ま、ご想像通りです」
「ちょ、ちょっと、彰!?」
「まぁ……!」
「ちょっと、彰。あ、あの、違うんです、マルゼンスキーさん」
「……良かったわね、マックイーンちゃん」
「え?」
「良かったじゃない。いい人よ、彰君は。今はこうだけど、この病院の理事長職、継げるのは院長以外は彰君だけだものね。将来性は保証するわ。腕もそこそこありそうだし、ね」
「……マルゼンスキーさん」
顔を赤らめるマックイーン。
「そ、そうですか? ……そう言われると照れますね。じゃ、行こう、マックイーン」
「な! ちょっと、待って!」
無理やりマックイーンを連れて建物を後にする。
「まったく……何て事言うのよ」
「うん。咄嗟に出たんだけど……大成功だったかな」
「成功? あれが成功? それに、咄嗟にって、本当に何を考えているの? マルゼンスキーさん、真に受けていましたわ。……帰ったら何て言えばいいのよ」
「……否定したって信じてくれないって」
「もう……」
「おかげで、あの人から逃げられたじゃない」
「……どうなっても知りませんわよ。マルゼンスキーさん、卒業したテンポイント先輩や財務省主計局にいるトウショウボーイさん、政界入りしているタケシバオー先輩といった方々と連絡とっているのですから」
溜息を吐くマックイーン。
「まぁ……とりあえず、今日はありがとうございました」
「お疲れ様でした。余計な時間、使わせたかな」
「いいえ。構わないですわ」
「……明日からまた訓練再開だね」
「ええ。時間もありませんし頑張りましょう!」
※ ※ ※ ※ ※
昨日の予定だった休暇が今日に繰り越された事を、病院に行って知らされた。
「え? 休暇ですか?」
「ああ。昨日の分の休暇だ」
偶々そこにいた院長の言葉。
「でも、昨日は結局……」
「患者を連れて来ていたな。その患者の不安を取るという医療行為もしていた……休んでいたわけじゃない。従って、昨日の予定だった休暇が今日に繰り越されたわけだ」
「え? ですが……」
「………それに、まだ結果が出たわけじゃない。彼女の側にいて、何か変わった所がないか見ていなさい」
結局、マックイーンといつも通りに過ごす事にした。
練習が一段落し、二人で休憩がてら、だらだらと他愛も無いことを喋り続ける。
「……で、推理ものを二人で読んでいると言われるんです。やっぱりね。って。私は最初からそうじゃないかって言ってたでしょ。って」
「そういうの得意そうだもんな、マルゼンスキーさん。じゃあ清一さんは?」
「清一さんは、男と女の話ですね。私は苦手ですが。こういう話。でも面白い話もありますから。それに、よく当たるのですわ、予想が。不倫、二股、離婚、純愛何でもござれ。という感じですね」
「……わかるような気がする」
何となく光景が目に浮かぶ……。
「……でも、妙齢の女性が不倫だの離婚だのって言う話をしているのもなぁ……。推理ものならともかく……」
「だって、他にやることありませんでしたから。来たばかりの頃は何も無くて暇でしたわ……。スイーツもありませんでしたし」
ここに来たばかり……か。
マックイーンが天皇賞での怪我から立ち直れずに、逃げるように学園を出てきた頃の事だ。
話し相手もいない、一日中読書をする毎日。
「……そりゃ、あの二人も心配するわけか」
「え? 二人が?」
「……何度も、マックイーンを宜しくってみたいな事を言われていたから」
「そう、でしたか……。迷惑かけていたのですね……」」
「それほどの事でもないんじゃない?」
「でも、勝手に転がり込んできましたし、申し訳なく思っていますわ。でも、二人とも嫌な顔一つしないで……」
顔を歪め、鼻をすするマックイーン。
「マックイーンって、結構よく泣くよね」
「泣いてなんかいませんわ!! これは人の情けが目に染みたからですわ」
汗が目に染みた。だろうに……。
ただ、その言葉は、何となくマックイーンに合っているような気もした。
「清一さんもマルゼンスキーさんも……」
「ええ。気風が良いのですわ、二人とも」
マックイーンの両親は二人とも、マックイーンが生まれてからすぐに海外拠点を飛び回る生活をしている。
その為マックイーンは両親の下ではなく、乳母や専門の保育士がいるメジロ家の育児施設で育てられ、5歳の時には全寮制だった日本トレーニングセンター学園幼年部に自ら入学していたとか。
その時に何かと面倒を見ていたのが清一さんのチームメンバーだったらしい。
「随分あの二人にはお世話になりました。子供の頃は寂しくて夜泣いていたり、骨膜炎などでなかなか練習もできなかったこともあったり、他のウマ娘より手が掛かったはずですから」
メジロ家悲願の天皇賞春の三代制覇を目指していましたけど、初等部の頃は難しいと思っていました。とマックイーンが明るい声をあげる。
「でも、無理ではありませんでした。それからは、努力すれば何とかなるって思うようになりましたわ」
努力家にもなりますわよね。と屈託無く笑うマックイーン。
「あ、内緒ですわよ。この話も……」
「ばらす相手がいないけどね。……でも、ばらしてもいいと思うよ、そういう話」
「え?」
訝しげな顔をするマックイーン。
彼女は意外と頑固だから、慎重に言葉を選ぶ。
「前にも言ったよね、一人で抱え込むなって。少しぐらい弱音吐いてもいいと思うよ」
「弱音……。でも、気持ちで負けたらそこで終わりですし、負けるの嫌いですから。私」
「何から何まで勝負でも無いんだから。どうでもいい所は手を抜かないと。弦楽器だって弦を張りっぱなしじゃ上手く鳴らないだろう? ……マックイーンはマックイーンが大切にしている舞台でだけ勝てばいいと思うな」
「そうでしょうか……?」
真剣に考え込むマックイーン。
「うん……でもいいですわ」
「え?」
「だって、私……彰に弱音吐いていますから」
「そうは言っても……」
「いいのです、最初はそれくらいで……。負けず嫌いは親譲りらしいのでそう簡単には直せないと思いますわ」
「親譲り?」
「ええ。両親を知っている親族からよく言われます。負けず嫌いは親譲りだ、血は争えないな。と」
親譲りの性格と、あの二人の影響が合わさると、こういう風になるのか……。
「……小さい頃から皆で一緒になってワイワイやって………。私は……二人に鍛えてもらってからでしょうか」
そう言うとマックイーンは、幼い頃からの武勇伝を語り始めた。
「そう言えば、僕も……」
結局、その日は二人の腕白ぶりを開陳しあって日が暮れてしまった。
「な、何をしているのでしょうか、私達」
笑いころげたままのマックイーン。
「まったく。とり憑かれたように、こんなに暮れるまで」
「それにしても……」
マックイーンが笑いながら続ける。
「……彰、皆にニガヨモギ飲ませるなんて悪戯しすぎですわ」
「それで薬草の正しい使い方を学んだから。それよりマックイーンも、年上の子泣かすなんて腕白過ぎ」
「おかげで弱い人を放っておけない、面倒見のよさが身についたのですわ」
すまして言うマックイーン。
「……」
「……」
顔を見合わせ、同時に笑いあった。
「初めてですわ。小さい頃の事、こんなに誰かに話したの」
「意外と覚えているもんだね、昔の事なのに」
「私、忘れたままの方が良かったですわ」
互いに笑いあう。
「まったく。よく罰があたらないもんだね」
「……罰、ですか……」
罰――その言葉に口をつぐみ、俯くマックイーン。
「私は……今、あたっているのかも知れませんね」
今日一日忘れかけていた……否、思い出さないようにしていたその内容。
二人の周りを冷たい風が吹き抜けたような気がした。
「マックイーン……」
「……結果が気になって練習にもあまり身が入らないのです。……天皇賞は待ってくれないのに」
明日には検査の結果が出る。
「そんなに心配しなくても。何でもなければそれでいいし、何かあっても、そんなのすぐに治せばいいんだから」
「ええ……」
「今までのレースでは大きな怪我なんかしてこなかったんだし足の痛みくらい何ともないって」
「それもそうですわね。…‥そうですわ、なんとかすればいいのですわ。何があっても……何があっても、絶対に秋の天皇賞に出る」
「何もないほうが良いに越したことはないけどね」
「もちろんですわ」
笑みを浮かべるマックイーンを見ながら、真剣に願った。
この不安が杞憂に終わるようにと。
やべ、6千字は多すぎた。