マックイーン……。
あの場にいられなくなって、手術室から出てきてしまった。
……否、わかっている。
……自分の無力さに耐え切れなくて、だから無意識の内に逃げたんだ。
俯く僕の足元に人影が見えた。
顔を上げると、そこにメジロ家の御当主、アサマ様の姿があった。
「何故こんな所にいるのです。マックイーンを守ってくれるのではありませんでしたか?」
「……駄目なんですよ、僕は。マックイーンに偉そうな事、散々言いました……。彼女は逃げなかった……。目標に向かって一歩一歩踏み出していった。でも僕は………彼女が苦しんでいるのに、踏み出せないでいる」
「……同情はしませんよ。自己陶酔している愚か者に同情する気はまったくありません。……不服ですか?」
厳しい目つきで僕を睨むアサマ様。
「マックイーンが何故前に進めたのか考えた事がありますか? 貴方がいたからです。貴方にはそれだけの力がある、彼女の心を溶かすだけの力が」
それが何だと言うのだろう……。
「少し昔話をしてみましょう」
そう言って御当主様が一人ごちる様に言葉を紡ぎだした。
「マックイーンは、本当はあんなに強気ではありません……。本当のあの娘は泣き虫で……甘えん坊で……。あの娘が心を鎧ってしまったのは私の所為です……」
ポツリポツリと淡々とした口調。
「昔は、あの子も泣き虫で……寂しがり屋で、甘えん坊で………当時は私も当主の座を受け継いだばかり。まだまだその地位に振り回されっぱなしで……」
「そんな私を支えようとあの子の両親は早くから海外を飛び回っていました。あの子は寂しかったのでしょう。両親が仕事に出かけるたびに大泣きをして、よく二人を困らせていました」
「あの子が四歳ごろのことでした。ティターン達が連れ立って半年以上海外に行かなければならないことがありました。あの子も一緒に行けたら良かったのですが、あいにくかの地は治安が日本国内とは比べ物にならず、幼いあの子を連れて行くのは危険極まりなかったのです。あの子を国内に残すのは仕方がないことだと思ってはいましたが、一番の問題は当のマックイーンでした。寂しがり屋でよく泣いていたあの娘にどう話すか、随分と話し合ったものです。結局あの子に話したのは二人が出発する一週間前だったとおもいます。話した直後は随分と泣かれましたね。おまけに変なところで意地っ張りだったあの子は2,3日の間は、こう、目に涙を溜めながら廊下の曲がり角で待ち伏せして私を蹴飛ばしてきたり……。落ち着いたのは別れる前日でした」
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
「……マックイーン?」
部屋を訪ねると、早速枕や本などが投げつけられてきました。
「おばあさまなんて大っ嫌い!」
泣きながら手当たり次第に物を投げつけてくるマックイーンの声。
……手がつけられませんね、落ち着かせない事には話もできません。
投げ付けられる物を払いながら幼いマックイーンのもとに近づき、泣き喚くマックイーンの目の前で両手を打ち合わせる。
目の前で起こった甲高い音に一瞬その動きが止まるマックイーンに。
「マックイーン!」
すかさず気を乗せ、強い口調の声を放つ。
その口調に、びくっと身体を震わせ……それでも目に涙を湛えて私をマックイーンは睨みつけてきました。
「……嫌いですか、お婆ちゃんの事」
マックイーンの頭に手を載せる。
「……嫌い、です。……私を独りにしちゃうおばあ様なんて大っ嫌い」
顔を俯かせるマックイーン。その頭をかい抱き、
「独りになんかさせませんよ、マックイーン。ラモーヌ小母様やチエイサー小母様、リベーラお姉さんだっているのですから。それに……いい子にしていれば、お父様やお母さま達にはいつでも会えますよ」
「え……ほんと?」
「おばあちゃんがマックイーンに嘘ついたことありましたか?」
「………なかった」
まだ、しゃくりあげてはいるものの次第に落ち着いてくるマックイーン。
「そんな風にいつまでも泣いていると、お父様達に嫌われちゃいますよ。貴方のお父様達だっていつも言ってるでしょう? 泣き虫は嫌いって」
私がそう言うと、マックイーンは頭を腕から抜き両目を擦りました。
「うん。もう泣かない。私、泣かないよ」
泣き腫らした目で私を見上げ、にっこりと微笑むマックイーン。
「そうですか……いい子ですね、マックイーンは。それでは良いものを飲ませてあげましょう」
「……飲み物?」
内ポケットに忍ばせているものを見せると、マックイーンが目を輝かせました。
「あ、これ……」
「わかりましたか? お父様達が飲んでいる大人の飲み物ですよ」
「飲んでも……いいの?」
「……マックイーンは大人になるのは嫌ですか?」
少し考え込むマックイーン。
「………嫌じゃないよ」
「じゃあ一口だけ飲ませてあげましょう」
「……でもお父様たちに怒られちゃうから」
「……あらあら。これ飲まないと二人みたいな大人になれませんよ」
悩むマックイーン。
「……私、私も大人になりたい」
「それではどうぞ」
ラム酒とシナモンを加え、少しだけマックイーンが嫌っている造血剤を混ぜたエッグノッグを一口だけマックイーンに飲ませます。
「熱いし……変な味だよ」
流石に造血剤の味には気がつきまし……いえ、これはラム酒を変な味と捉えているようです。
「大人の味ですよ」
瓶を内ポケットに戻すと、マックイーンに。
「マックイーン……マックイーンは大人の飲み物を飲んで、もう大人になりました」
「はい」
「ですからマックイーン、あなたはどんなに辛い事があっても頑張らないといけませんよ」
「はい。大人だから頑張るですね、お父様みたいに」
そして、私はそうですと頷きました。
「それから何があっても泣いちゃダメですよ?」
「え……泣いちゃダメ、なの?」
「そうです。メジロの大人になったマックイーンは、何があっても泣いちゃダメですよ。それがメジロ家の大人なんです」
「う、うん……私、泣かないよ」
そうやって二人で大人になった約束をしました。……してしまったのです。
その翌日二人は旅立ちました。
別れの朝、マックイーンは一人俯いて涙を必死に堪えていました。
【大人の約束】を私としていましたから……。
それでもマックイーンの瞳からは我慢しているのに涙が零れ落ちて……。
それでもマックイーンは必死で堪えて……。
哀しそうで……。
それでも涙を堪える、それがとても辛そうで……。
マックイーンは、我慢に我慢を重ねていました……。
私はその場では何もしてあげられませんでした。メジロ家当主として、一人だけをひいきするわけにはいきませんでした。
二人が去った後、誰もいない裏庭にマックイーンを連れ出しました。
「マックイーン、よく頑張りましたね」
「はい、私、頑張りました……」
「辛かったでしょう、マックイーン……」
「うん……」
約束を守って、涙を必死で堪えるマックイーン。
見ているほうも辛くて……。
「今日だけは泣いて良いですよ」
「え……。でも……」
「今日だけは思いっきり泣いて良いですよ。でも明日からは人前で泣いてはいけません」
そう言うと、マックイーンは、
「うん……」
そうして溜めていた涙を零し始めました。
「マックイーン……」
「……おばあ様……」
そう言ってマックイーンが抱きついてきました……。
「おばあ様……おばあ様……おばあ様ぁ!! お母様もお父様も……いなくなっちゃったよぉ……」
涙混じりの嗚咽が耳を打った。
「二人とも、笑っていたよ……。でも、私、悲しくて……我慢したのに、涙が零れて…………一生懸命我慢したのに……でも涙が落ちて……」
マックイーンの声が……。
「でも、笑ってたんだよ、二人とも………変だよ……私は…私はこんなに哀しくて………こんなに泣いているのに……でも、笑ってるんだよ」
そこまで言うと、マックイーンは一層声を詰まらせ泣き続けました。
「……なんで笑ってるの? もうお別れなのに……何で…何で笑ってるの……」
泣き濡れた瞳が私を見つめてきました。
「私…私……笑って見送れなかったよぉ……だって、涙が出ちゃうんだよ………我慢したのに、出ちゃうんだよぉ………わたし、わらって…みおくれなかったよぉ………」
そこまで言うと、マックイーンはただ泣くだけでした……。
マックイーンの哀しみは止まることなく、涙は次から流れてきて、そして流れ続けました………。
……マックイーンの悲しみが伝わって……そして、二人で泣いていました……。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
「――マックイーンの心を凍らせたのは私との約束です。あの日以来、マックイーンは人前で涙を見せることなく、明るく元気に振舞っていました。ですがそれは本当のマックイーンではありません……。あのこはもっと泣き虫でした」
俯くアサマ様。
「……私がマックイーンを、あの子を変えてしまったのです。大人は泣かない、と、辛くても頑張るんだ、と教えた私が…………。それをあの子はずっと守って………………」
そう言うと、アサマ様は顔を俯けたまま肩を震わせていた。
「その凍てついたマックイーンの心を溶かしてくれたのが、彰さん、貴方でした」
遠くを見つめるその眼差し。何か言いかけたアサマ様の声を遮るように……。
「おばあさま!! がけ崩れが!! 峠でがけ崩れが起きて、マックイーンの輸血用の血液が届かないって!! 一緒に乗ってた人達が歩いてこっちに向かってるらしいけど、このままじゃ間に合わない!!」
パーマーさん達が廊下に駆け込んできた。
がけ崩れの事を知ったらしい。
顔を蒼白にし、力なく崩れ落ちるアサマ様を支えソファーに横たえる。
「マックイーン……あの子が……そんな……」
力のこもらないアサマ様の声。
其処に力強い――決意のこもった声が響いた。
「ボクが取りに行く!」
一緒に駆け込んできたテイオーさんの真剣みを帯びた風貌と声だった。
「マックイーンは、僕の大切な存在なんだ!! こんなところで、こんなところで失わせたりしない!! 彰、地図頂戴!」
「ダメだ!!」
そんなテイオーさんにトレーナーさんからの制止がかかる。
道をふさぐトレーナーさん。
「トレーナー!! 行かせてよ!!」
「テイオー、気持ちはわかるがお前の足は未だ完治したわけじゃない。ここで無理をすればお前も歩けなくなる可能性だってあるんだ。マックイーンがそれを望むと思うか!?」
「でも……でもっ!!」
悔しそうに俯くテイオーさん。
「……1時間」
僕が出したその言葉に皆が振り返る。
「1時間の間、僕がマックイーンを支えます。1時間以内に血液製剤を持って戻ってきてください。そうすればマックイーンは助かります」
僕のその言葉にソファーに横たわっていたアサマ様が何かを言いかけ口を噤んだ。
「本当に1時間あればマックイーンは助かるんだね?」
パーマーさんから鋭い声と視線が僕に投げられる。
「絶対に助けます!」
「……いい目だね。信じても良いかな、その目なら」
ふっと視線を和らげるパーマーさん。
「私が行くよ」
あっさりとしたパーマーさんの声。
「森を抜けて峠を通って崖崩れの現場に向かう。途中でこっちに向かっている人たちから血液製剤を受け取って全力で戻ってくる。足場の悪い山道を全力で駆けられるのはこの面子じゃ、野良レースで鳴らした私ぐらいっしょ」
ニカッと笑みを浮かべるパーマーさんに。
「私も行くぜ。一人で行くより二人で行った方が良いだろうさ」
「ゴールドシップ……」
ゴールドシップさんの声がかぶさる。
「私だってマックちゃんは大切な存在なんだ。それに、このゴルシ様の足をなめてもらっちゃ困るってもんよ」
パーマーさんの肩を叩くゴールドシップさん。
「そうだね、一緒に行こっか。途中でどっちかがこけても残った方が1時間以内に戻ってくればこの勝負、私達の勝ちだしさ」
「そう言うこった」
入口を見つめ踵を返す二人。
「パーマーさんにお任せ!! ってね」
「このゴルシ様にお任せ!! ってな」
入口に向かって駆け出しかけた二人に
「これが地図です!」
この場にそぐわない幼い声が聞こえる。
「ダイヤちゃん!?」
「ま、間に合いました。……マックイーンさんの手術があるって聞いたから成功しますようにってお祈りして来たんです。そしたらここに来る途中で崖崩れで道が埋まったって聞いて……。何かの役に立つかもって地図持ってきました。近道とか目印とか描いています。持って行ってください!」
「あんがとよっ」
地図を受け取り駆けだす二人。
「さて、僕も準備しないとな……」
手術室に向かう僕に背中から声がかかる。
「ねっ。1時間の間マックイーンを支えるって、どうするのさ」
その声に振り返らず手を振って努めて明るく声をだす。
「僕の血液型は、Rh nullのO型なんだ」