「……暑い、な……」
一週間振りに病院に続く門をくぐる。
マックイーンの手術の時はあんなに冷え込んだと言うのに、完全に暑さが戻っていた。
額の汗を拭い、僕は建物の中に入った。
中に入るなり、ゴールドシップさんと出くわした。
「おぅ、彰じゃねーか……」
「……ご心配をおかけしました……」
「……いいってことよ。それより……具合はもういいのか?」
気遣わしげなゴールドシップさんの視線に、少々ばつが悪くなる。
「………もう大丈夫です。いつまで寝ていても……仕方ないですから」
「そうか……。無理しなくてもいいんだぜ。マックイーンだって、想い人のそんな姿見たらよ……」
「………はい」
浴場に向かう通路で清一さんに捉まった。
「おう。彰」
「あ、こんにちは」
「………もう大丈夫なのか? 随分やつれた様だが……」
「……ええ。いつまでも寝ていられませんから。暑いから少し体に堪えますけどね」
似たような事を訊かれ同じように答える。
「そうだな……。あの時はあんなに寒かったのにな」
「はい……」
「……元気ないな。……気にしているのか? あれも運命だったんだよ………」
「………そうかも知れませんね。でも……」
清一さんの暖かい視線が今の僕には痛い。
廊下の喧騒から逃れるように、入院患者用の部屋がある上階へ上がった。
通路の半ばに設けられた休憩所の長椅子に腰を下ろし、温泉療養で後一週間程滞在予定のテイオーから貰った『ハチミー:薄め』が入った水筒で喉を潤す。
「……やっぱり体力がなくなっているな……」
自室からここに来るまでで息が上がっていた。
院長への挨拶は少し休憩してから行くことにする。
「……といっても、ゴールドシップさんと会っているからな……」
あまりゆっくりしていても、さぼっているように思われるだろう……。
その時、
「彰」
何処からか、聞きなれた声が聞こえたような気がした。
「………まさか、な………」
気を取り直して水筒を空ける。
「彰………。彰!」
「………まさか」
「彰…………って、無視しないでください!」
後頭部に衝撃。
「……っ!」
振り返ると、
「はぁい! お久しぶり! ……で良かったのかしら」
「マ、マックイーン!」
「きゃっ!?」
僕の声の大きさに、声をかけてきた彼女が驚きの声をあげた。
「な、マックイーン! 何で、何でこんな所にいるんだよ!?」
「なんでって、人を幽霊みたいに言わないでくださいまし」
「何でこんな所まで出歩いているんだよ! 寝てなきゃ駄目じゃないか!」
「え? 大丈夫ですわ。杖も借りていますし」
満面の笑みを浮かべ、二本の松葉杖を掲げて見せるマックイーン。
「そんな問題じゃなくて! まだ傷が痛むだろう?」
「……えぇ、多少は。でも大丈夫ですわ。重い物持ったりしなければ痛みませんから」
「頼むから安静にしていて!! 僕の精神衛生に悪いから!!」
悲鳴に近い声になってしまった。
「ですがデイジーギャルさんも『もう大丈夫みたいね』って仰っていましたし」
デイジーギャルさんも匙を投げたのか……。
「……ひょっとして。マックイーン? ……暴れなかったよね?」
「どうでしょう?」
……その顔で解った。
「だって退屈でしたし。手足動かさないと鈍ってしまいますわ。それに彰も居ないのでつまらないし退屈でしたから」
「マックイーン……」
「そもそもなぜ手術受けた私が大丈夫なのに、そこで見学していただけの彰が倒れるのですか⁉︎」
「い、いや……そうなるのも運命だったんじゃないかなって……」
僕はマックイーンの手術の途中で力尽き、昨夜まで安静状態だったのだ。
「なにが、運命、ですか! 目が覚めたらビックリですわよ。彰はいないし、皆はその事聞くと黙っているし」
「えっと……」
「後でおばあ様が笑っていましたわよ。今頃は恋しいあなたの夢見て魘されている頃でしょうって」
頭をかいて誤魔化す。
「全く! 私、てっきり彰が私の血見て気絶したのかって思いましたわ! 恥かかせないでくださいまし⁉」
「面目ない」
会えなかった時間を取り戻すかのように、二人で話し続けた。
出会って日も浅いけど、これほど長期間離れていたのは初めてだった。
「私を想うあまり憔悴しきったと言う事ですから、許してさしあげますわ。あんまり音沙汰がなかったものですから私から行こうって思っていたのです」
マックイーンには僕が倒れた詳しい理由を知らせていない。
手術が終わった翌日に意識を取り戻した後、ご当主のアサマ様に『マックイーンがあなたが来ない理由を知りたがっています。手術が成功した途端気が抜けて倒れた。と言っていますが、マックイーンにあなたが倒れた本当の理由を話しますか?』と訊ねられた。
僕は否と答えた。
彼女が本当の理由を知ればきっと……。
アサマ様もそれは理解されている筈。だから誤魔化してくれたのだろう。
「……ごめん。って、マックイーン? ……だから松葉杖なんか借りているの? 冗談じゃないよ、早く戻って大人しく……」
「ええ。彰にも会えましたし、早くリハビリ訓練を再開しなくては」
「幾らなんでもそれは早いよ……」
「そうでしょうか?」
「まずは筋力が衰えない程度の運動にするべきだ。傷が塞がった後、温泉療養しながらリハビリ訓練だね。手伝うよ……マックイーンがまた競技場に戻れるまで。それまで無理な事は禁止」
「解りましたわ」
素直に頷くマックイーン。
「基本は大切ですから。それに早く走りたいですから」
「そうだね……」
「退院するまでは彰にお任せしますわ」
「……退院したら?」
「もちろん、お解りですわよね? 彰、貴方と一緒に復帰に向けた運動ですわ」
胸を張って宣言するマックイーン。
レースに復帰して大丈夫なのか院長や武田さん達に確認したが、今後は重篤な合併症を併発しなければ日常生活はおろか、競技にも支障はないとの事だった。腫瘍自体はあの後すぐに取り除けたらしいが出血箇所が多かったこともあり止血処置におわれていた院長たちが、血液製剤が届いた直後から今後の事も考えそのまま出血した血管の人工血管への置換手術を行ったらしい。僕が意識を失うのとほぼ同時に血液製剤が届いてギリギリだったバイタルも持ち直し、血管置換手術ができたとの事だった。因みに僕の血液は血液製剤が届いた直後に意識を失った僕に戻されたらしい。
マックイーンの場合は今までは運よく症状が出現しなかったものが今回たまたま出現したようだ。
そんな話を目覚めたときに聞いた。
⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲
マックイーンの抜糸を見届けてアサマ様や武田さん、トレーナーさん、マックイーンのチームの皆は帰って行った。
抜糸も済み、マックイーンの回復訓練が始まり数日が経った。
回復訓練と言っても、傷に障らない程度に病院の敷地内を歩いたり、傷の回復を早めるために温泉に浸かるだけだが……。
マックイーンの回復の早さには目を見張るものがあった。
本人の努力と同時に生まれ持った回復力が高いのだろう、日常生活では何の支障もなかった。
その事を誉めると激怒されたが。
「メキシコオオサンショウウオも真っ青な回復力だね……」
言い方が拙かったのだろうか?
「メキシコオオサンショウウオってその何処が誉め言葉ですか! それに私は哺乳類!」
「じゃ、シカの枝角も真っ青の回復力」
「だから!」
「ま……そんな事はさておいて」
「おくな!」
「……いや、お腹減ったし……」
「……あのですね……。まぁ……私もお腹すきましたから……」
昼食を食堂で一緒に食べようと席についていたはずなのに何でこんな話になったのやら。
「ならいいね。頂きます」
「頂きます」
マックイーンが僕のメニューを見て顔をしかめる。
「あ……。彰、またそれですか? 好きですわよね、丼物。今日は……アナゴ丼?」
言われてみれば確かにマックイーンとここで食べた献立は全て丼物だった。
「そう言えばそうだね。食べ慣れているからかな?」
大学の寮で自炊していた頃は手軽な丼物にはお世話になっていた。
一口に丼物とは言っても種類はたくさんある。天丼、牛丼、カツ丼、豚丼、親子丼、他人丼。お金が入った時は、ばくだん丼や鰻丼や鉄火丼、海鮮丼。薄く切ったカマボコやシイタケを具材にして彩りに三つ葉やネギを加えた木の葉丼、甘辛く炊いた油揚げと青ねぎを卵でとじたきつね丼、油揚げと揚げ玉を卵とじにしたむじな丼も好きだったなぁ。鶏肉を使ったかしわ丼やカレー丼、中華丼。お金が無くなったら丼一杯の白米の上に学食のテーブルからちょろまかした刻み葱や紅生姜をのせたり、それも無くなると塩やお茶をかけたりして。自炊生活だと紅生姜丼を一番多く作った気がする。
「失敗だったのはパンを載せて丼にしたときだったかな。……パンも米も主食なんだから分ければよかったんだけど、気がつかなくってさ」
そんな話をしながら目の前のアナゴ丼を指差す。
「だから、こういうまともな丼物は僕にとって幸せの象徴なんだ」
マックイーンは眉を顰め、目と耳を伏せ、申し訳なさそうな表情になった。
「……何だか、聞いているだけで可哀想になりましたわ」
「そう?」
僕自身はそんなに苦にしているわけでもない。お金はあるにこした事はないが、おかげで食堂の丼物がおいしく味わえる。
「……栄養とか考えないと駄目ですわよ。……大の大人を一人にするのがこんなに不安になるなんて」
溜息をつくマックイーン。
ばつが悪くなり、切れていた水を汲みに席を立つ。
「あ……お水お代わり?」
「うん。マックイーンもいる?」
「お願いしますわ」
食堂隅に設置されている給水器から水を汲み、戻る途中で壁にかかったカレンダーが目に入る。
「そうか……今日は」
席に戻るとマックイーンが出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま!」
わざとらしいほど明るく振舞う。
「何だか随分元気そうですわね」
呆れ顔のマックイーン。
「無理やりだけどね」
「何ですか、それ?」
「気にしないで」
そう言いながら汲んで来た水を音を立てて飲み干す。
そんな様子を楽しそうに見つめながらマックイーンが言った。
「いつも付き合ってくれて、ありがとうございます」
「どうしたの? 突然。……好きでやっていることだし、これも立派な研修だよ?」
「そうですか。……少しは彰の役に立っているのでしょうか」
「そんな事言わないでよ……僕が好きでやっていることだから」
「……好き……だからですか?」
「もちろん」
そう言うとマックイーンが頬を朱に染める。
「……あの、マックイーン……」
「なに?」
カレンダーを見て気づいたものの言いそびれていた事を話す。
「……今日って……」
頷くマックイーン。
「ええ。今日が天皇賞の開催日……」
「そう、か……」
マックイーンの夢を叶える機会だった。
そのことを考えていると彼女が僕の顔を覗き込んでくる。
「マックイーン……?」
「彰? 私、気にしていませんわよ? 私の天皇賞春秋三連覇の夢は潰えましたが、今日の天皇賞はライアンかパーマーが獲ってくれるでしょうから。そうなればメジロ家による天皇賞春秋三連覇達成ですわ。私はドリームリーグに進み、そこで新しく目標を見つけ走り続けるだけです。彰も支えてくれるのですよね」
そういうマックイーンの表情は明るい。
この明るさが、これまで幾度となく彼女自身を救ってきたのだろう。彼女だけでなく僕を含めた周囲も……。
「やぁ、食事中かね?」
食堂に入ってきた院長が、マックイーンを見つけたらしい。
「あ、院長。こんにちは」
「こんにちは、マックイーンちゃん。どうだね、回復訓練の調子は」
「良いですよ、すごく。だから、早く退院させてください」
「まぁ、後何日かは様子を見たほうが良いな。……それに、早く退院しても良いのかね? 彰と会う機会も少なくなるぞ?」
「あっ。……それもそうですわね」
忘れていたと言う表情のマックイーン。
「そうだろう? ああ、午後は温泉療養だったね。……そうだ、彰をマックイーンちゃんの担当につけようか? 二人で仲良く水着で温泉療養というのはどうだ? ん?」
そう言うと院長は高笑いをする。
頬を朱に染めたマックイーン。
「院長!」
僕が上げた抗議の声を高笑いで黙殺しながら、院長は配膳場所に向かって行った。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
その晩、病棟を見回りながら、何とはなしにマックイーンの事を考えていた。
回復訓練も順調で、直に筋力訓練に移れるだろう。
手術直前に見せていた弱気さもなくなり、退屈しがちな入院生活も上手くこなしているようだ。
患者がいる階から下へ降り、温泉に通じる廊下を見回る。
「……?」
待合所に人影が見える。
「誰だ!?」
灯火を人影に向ける。
「……マックイーン」
そこにマックイーンの姿があった。
「どうしたの? こんな夜遅くに」
近付いてくるマックイーンの表情に怒りと哀しみの感情が浮かんでいた。
「彰……聞きたい事がありますわ。少し宜しいですか?」
「なに?」
「……今日の夕方の事です。私の手術中の事をお医者様が話していたのを聞いてしまいましたわ」
「何処で?」
「何処でもいいですわよね。患者がほとんど来ないところですわ」
「ふ~ん」
気のない返事をしていたが、背筋に汗が滲み出るのを感じた。
「彰。あなたが倒れた本当の理由を教えてください。先に言っておきますが嘘を吐かれるのは嫌ですわよ」
マックイーンが顔を上げ、真っ直ぐに僕を見つめていた。
「……どういう意味?」
「……質問に質問で返さないでください。私の背中に在った腫瘍の摘出時に私の状態が急変したと聞きましたわ」
「それは……」
「私の目を見てください。私の事、本当に大切に想ってくれているなら、誤魔化さないで」
そう言って僕の顔を凝視するマックイーン。
……誤魔化す事はできそうにない。
「…………ああ。急変した。でも――」
言いかけた僕を遮る。
「完全に取り除けなかったら私はこんなに元気ではありません。それは解りますわ」
「ならそれで」
いいじゃないか。と続けようとした僕に、
「……あなたが無茶をしたことも聞きましたわ。だから私が持ち直して手術を続行できたという事も」
そこまで言うと、マックイーンは縋りつくように僕の襟を掴んできた。
「無茶って何の事?」
最後の足掻きに過ぎない事は解っていたが、一応誤魔化してみる。
「私に限界以上の輸血を行ったって聞きましたわ。何でそんな無茶を!!」
マックイーンの目に光るものがあった。
足元に、ポツリポツリと水滴が落ちる。
「…………莫迦……………莫迦、莫迦、莫迦!」
「……マックイーン」
「……莫迦……どうして……どうして……そんな事を……」
後の言葉は嗚咽にしかならなかった。
その瞳から止めどもなく涙を流し続け、力なく僕を叩きつづけるマックイーンの姿があった。
「……自分の全てを賭しても君を助けたかった。……君は誰よりも大切な存在だから」
「…………何で……何で………私が助かっても……あなたが死んじゃったら、私どうなるかわかりませんわ。……もう独りでいるのは嫌。……もう無茶はしないで。……私を独りにしないでください…………」
「……ごめん」
恋人に心配をかけさせたことでなく、彼女の恋人である自分自身をないがしろにしたこと。その行為を黙っていた事を謝罪する。
「……元気になってくれたから、今回だけは許してさしあげますわ」
依然、嗚咽混じりの声のマックイーンだったが、確かにそう応えてくれた。
「ありがとう」
マックイーンの背に手を回し軽く抱きしめる。
「……莫迦」
微かにすすり泣く声が聞こえた。
次回、最終回。
更新は一週間後(先週の日曜日に予約投稿済)