ここに来て1週間が過ぎた頃から朝から暑さが厳しくなり、夏真っ盛りになってきた。
かいた汗をシャワーを浴びて流すと病院に向かうと、何やら浴場前が騒がしい。
何事かと通路の角から覗いてみると、患者の中でも年若い女性達が温泉療養を行なうらしく通路の前に集まっていた。
彼女達から何となく目が離せずにその一団を見つめていると、その中に混じって見覚えのある長い髪が見え隠れしている。
……頭の中に警告が木霊する。
その場を離れようとしたが、肩をがっちりと握られてしまった。
恐る恐る振り返ると……居た。温泉の常連、清一さん──別名『温泉のヌシ』が。
「何やってるんだ? ん~?」
目が笑っている。
僕と同じように角から顔を覗かせると
「ほぉ。これはまた……花園の桜が揃って。……一人姥桜もいるか」
そこまで言うと頭を引っ込め、
「……なるほどなぁ。君、なかなか見かけによらず……」
この人、何か身体を害しているのかと微かに心配していたが、こんな様子を見ているとまだまだ大丈夫そうだ。
そう思ったが沈黙を守る。此処に着いた早々、この人に出会い、口を滑らせ酷い目にあわされた事は未だ覚えている。
「仕方ないな……。君、君にとっておきの場所を教えてあげよう。温泉の前にある樫の木に登ってみたまえ。多少遠いが、君の視力なら露天が覗き放題だぞ。……それでも満足できなかったら男用の露天の岩場を探してみろ。隙間から同じく──」
一頻りからかわれていると、いつの間にかマルゼンスキーさんが居た。
「どうしたの?」
「ん~? ……何だ、姥桜k グォ!」
マルゼンスキーさんの拳が清一さんの顔面を直撃していた。
「桜がどうしたの?」
あくまで、にこやかなマルゼンスキーさん。
「……痛つつ。何、さっきまで通路にいただろ、可愛い娘達が。……どの娘が好みか訊いていたんだよ」
そこまで清一さんが言うとマルゼンスキーさんの目が輝いた。
「あぁ。……うん、確かに今が一番良い時期かもね。……で、どの娘?」
「な、何がですか……?」
「何って……決まっているじゃないの! そんなこと言わせないの!」
そう言いながら僕の肩を叩くマルゼンスキーさん。
「で、どうなの? どうなの? そっちの方は?」
身を乗り出してくる二人。
知らず知らずのうちに壁際に追い詰められていた。
更に詰め寄る二人。
「ど、どうって……そっちの方って何がですか?」
「決まってるでしょ。アレよアレ」
「何ですか? アレって」
「惚けちゃって。どうなの? 誰か好みの娘見つけたの?」
「は?」
「ほら、此処の病院って結構若くて可愛い子多いじゃない?」
「そうだよなぁ。お前もあの娘達も未だ若いしな、堪らんだろ? おまけに今は夏真っ盛りで薄着の季節だしなぁ」
清一さんがニヤリと笑う。
「あの……」
「誰? 誰?」
「もったいぶるな。言えば俺達が紹介してやるぞ?」
「いや……その」
「気にするなよ。ここにいる娘達は皆知り合い見たいなもんだ。な、言っちまえよ」
「はぁ……」
「あら? 遠慮しているの? ダメよ、そんなんじゃ……。清一さんなんてトレーナーの頃はそりゃもうモテモテで凄かったんだから。あなたも……」
「…………」
喋り続ける二人。
……誰か助けて欲しい。
延々と続く二人が若かりし頃の話。
「……って、何の話だっけ?」
マルゼンスキーさんが脱線に気づいた。
「女の子を紹介する……って、あ」
しまった……。
「おお。そうだったな。すっかり忘れていたよ。……で、誰を呼んでくれば良いんだ?」
二人に追い詰められた時、通路の向こうの方で僕を呼ぶ声が聞こえた。
……助かった。
予定がありますからとこれ幸いに逃げ出せたが……。
あの二人のことだ、明日辺りで会ったらまた聞かれるんだろうな。
そう考えると少し憂鬱な気分になった。
昨日は通路前で騒いでいたことがばれて院長から厳重注意を受けてしまった。
午前中の診療を終えると、午後は丸々休暇を貰えた。
……温泉や病院にいるとあの二人に出会う可能性もある。今、二人に出会ったら何言われるか解ったものじゃない。外に出るに限る。
そう考え、食前の腹減らしを兼ねて前にダイヤちゃんに教わった丘にいくことにした。
温泉から見えるその小高い丘に登ると、辺り一面に草花が咲き乱れていた。その草原を心地よい風が通り過ぎていく。
草原に寝転んでいると、何か影が見えた。
「あれ……?」
こちらに登って来る人影。頭の上に見える耳からダイヤちゃんかと思ったら近づくにつれはっきり見えてくる服装が、とある人を連想させた。まさか……。
「あら、珍しいとこで会うわね!」
マルゼンスキーさんだった……。
「……何やっているんですか? こんなところで」
「え? 散歩よ、散歩。たまには身体を動かさないとね! 現役の時みたいに一日12時間とはいかないけど」
「……そうですね」
あれだけの食事量だもんな……。
「それにしても……」
マルゼンスキーさんが丘からの山並みを眺めていた。
「いい景色よね、ここ」
「そうですね」
ダイヤちゃんに教えられたこの丘は、夏の日差しを一瞬忘れてしまうような、荘厳な眺めだった。
こうして見ると、この地は山と森に囲まれ外界から切り離されているような印象を受ける。
この景色を見ているのは、マルゼンスキーさんと二人だけ……。
マルゼンスキーさんが溜息をつく。
「まるでこの世界に二人きりになった気分ね……」
僕も頷く。
「そうですね……」
ん? ……待てよ? マルゼンスキーさんと二人っきり?
…………。
……。
……。
「冗談じゃないですよ!」
とんでもない光景が浮かび思わず叫んでしまった。
「どうしたの? 急に大声出して?」
「……いえ、別に」
仕事がありますからと誤魔化し、大慌てで丘を駆け下りた。
少し遅めの昼食を摂ろうと食堂を訪れると其処にマルゼンスキーさんが戻って来ていた。
「あら。さっきぶりね~」
「うっ……。マルゼンスキーさん」
「どうしたの? さっきは突然……」
「はぁ。……少し疲れているみたいです」
そう誤魔化す。
「あらあら大変。駄目よ、気をつけなきゃ」
そう言うと、マルゼンスキーさんは目の前にあった皿からナポリタンを豪快に頬張った。
「…………」
相変わらず豪快な食事だなぁ……。
呆れてその様子を見ていると、マルゼンスキーさんが大皿を目の前に差し出してきた。
「何? これ食べたいの?」
「い、いえ」
思わずのけぞって首を振るう。
「美味しいのにねぇ。食が細いと大変ね」
食が細いわけじゃない。マルゼンスキーさん達ウマ娘の食事量が凄いだけだと思う……。
ナポリタンを頬張りながらマルゼンスキーさんが話し続ける。
「でもねぇ……。だめよ、君くらいの子が一人でお昼なんて……。そりゃ昔の清一さんみたいにモテモテで取っ替え引っ替えで若い子侍らすのは、ここを利用する方としてはちょっと困るけど」
苦笑を顔に貼り付けたマルゼンスキーさん。
「ねっ。君には彼女いないの? お弁当を作ってくれるような甲斐甲斐しい人は?」
「いませんよ……」
苦笑して答える。
「あら。可愛い子いっぱい居るのにね」
「毎日こき使われてそんな暇ありませんって」
「嘘ばっかり言って……。お気に入りの子が居るらしいって噂じゃないの」
「え? な、何ですか? 誰がそんなことを?」
迂闊な事は言えない……。
下手な事を言うとマルゼンスキーさんが噂の元になる。
多分この噂も元は清一さんかマルゼンスキーさんに違いない。
僕がここに来ているのは恋人探しのためじゃない……。
それなりに忙しいし、そんなことをやっている暇も……あまりない。
話を逸らさなくては。
「そんなの、根も葉もない噂ですよ。それより、お身体の方、大丈夫なんですか?」
「あら? 心配してくれるの?」
「え? そりゃ……まぁ」
「嬉しいわ。若い子からそんな事言ってもらえるなんて。あ、もしかして……あなたのお目当てって、私の事……?」
「え!?」
思わず後ずさりしてしまった……。
「そう言えば、私の事ずっと追いかけていない? 私が行くところ行くところ、必ず居るし……」
「け、研修医ですから、あちこち回されるんです!」
「そんな遠慮しなくっても……いっそのこと、今日の舞踏会、御一緒しない? 招待券もあるわよ~?」
「え、遠慮します!! って……舞踏会?」
この場には似つかわしくない単語が聞こえたような気がした。
「舞踏会ってそんなのあるんですか?」
「あら……知らなかったの?」
艷めかしい視線を注ぎながらマルゼンスキーさんが教えてくれた。
ここの上の丘にある庭園で毎年シンボリ家の主催で舞踏会が開かれるらしい。ここの住民が皆楽しみにしているもので近隣からも人が多く来るとか……。
「どう? 君も一緒に……」
ジリジリと詰め寄るマルゼンスキーさん……。
思わず目をつぶった私に、
「あはは……。君ってホント、面白いわね」
と、いきなり笑い出す。目に涙まで浮かべて笑い転げている……。
「本気にしちゃダメよ。ホント、かわいい坊やよね」
と招待券を押し付けさっさと立ち去ってしまった。
周囲の忍び笑いが耳に痛い……。
「よう! 精が出るな、若いの」
研修を終え、仕事の一つである温泉の管理に訪れた僕の肩を強く叩く手とその持ち主。
清一さん……温泉の『ヌシ』だ。
「んで、どうだ」
肩に手を回しヌシが聞いてくる。
「どうって……何がですか?」
笑い声とともに肩が強く叩かれる。
「何って……これだよ、こ・れ」
耳元に口を近づけ、目の前に小指を立てて見せるヌシ。
「可愛い娘がこれだけいるんだ。一人ぐらいはもう手つけたんだろう?」
「なっ!」
あまりの言葉に二の句が継げない。
「アツムテキちゃんだろ、ウインジェネラーレちゃんだろ、ポジ―ちゃんだろ、年上が好みならデイジーギャルちゃんかな。あの普段の優しさと仕事の時の冷たい感じの差がいいんだよな……。お、そうそう、将来性ならダイヤちゃんが一番だな。あの子は後3年もすれば必ず美人になるぞ」
指を折り数えるヌシ。
この人はいつの間に……。
「で、誰に手つけたんだ?」
身を乗り出してくる清一さん。
「そ、そんな事、患者の女の子達にはしませんよ。大体僕はウマ娘が対象のスポーツ医療の研修医ですよ。ウマ娘のスポーツ医療医というものは……」
「んなこといってもなぁ。お前まだ若いんだし……俺がその歳の時はこういう温泉地に来たらあちこちスポット探しに行ったけどなぁ」
ニヤリと笑い、更に声を顰める。
「何なら、紹介してやるぞ、昔俺のチームにいたウマ娘。今は同僚のチームに移籍してるんだが俺の家に休暇で遊びに来ているんだ。あいつなら歳も近そうだし……ぐぉ」
何時の間にか近付いていた『ヌシの奥様』が後頭部を殴りつけていた。
「馬鹿言ってないの、清一さん。全く。……邪魔したわね」
引き摺られて去る『ヌシ』の姿。
……マルゼンスキーさんの方が強そうだなぁ。やっぱりヒトはウマ娘には勝てないんだな。
そんな感想を抱いた。
一日の仕事を終え、自分の部屋に戻る。
……寝台に横になってもなかなか寝付けなかった。
本当に疲れたのだが……。
いや、疲れたのは身体よりも心の方かもしれない……。
「……からかわれているんだろうな、あの二人に」
あの二人とは、何故かよく顔を合わせる。
出会ったが最後、良いように遊ばれてしまう。
ここにいる間は、あの二人に玩具にされてしまう……そんな気がする。
窓から入る夜風が心地よい。
遠くから微かに楽しそうな音楽も聞こえる……。
「そう言えば、マルゼンスキーさん、舞踏会が催されているって言ってたな」
身体を起こし、少しの間考え込む。
「……行ってみようかな」
あの二人に遭う可能性もあるけど、外だったら何とかなるだろう……。