「よう! こんな所で会うなんてな」
「うっ、清一さん……」
先輩医師に買い物を頼まれた帰り道、近道を利用したところで清一さんに出くわした。今日はマルゼンスキーさんと一緒らしい。
「どうだい、調子は? 研修だけじゃなく、あっちの方もしっかりやってるか?」
「ええ。……まぁ……」
取り敢えず『あっちの方~』のほうは無視することにする。この人を相手にすると疲れる……。
「清一さんは……元気そうですね。今日は病院には行かないんですか?」
「特に用事もないからなぁ……。院長たちは怖いしな」
「……いつも用事もないのに来ているのに」
つい油断した。見る間に『温泉のヌシ』に邪悪な笑みが宿る。
「言うようになったなぁ、ん~?」
言いながら僕の頭に腕を回し締め付けてくる。
と、すぐに力が緩められる。
「まあ、その調子であの子の面倒を見てやってくれ。ひよっこ君」
あの子? ……って誰だ?
「あの子、最近ようやく元気になってきたの。あなたのおかげね、ありがとう」
マルゼンスキーさんが頭を下げる。
「あの……マルゼンスキーさん? あの子って誰の事なんですか?」
誰だか見当もつかないまま尋ねてみる。
「何言っているの。あの子って言ったらマックイーンちゃんに決まっているでしょ。家に遊びに来ているマックイーンちゃんよ」
正直驚いた。何故マルゼンスキーさんがマックイーンの事を知っているんだろう?
「知っているんですか? マックイーンの事」
「モチのロン。あら? ひょっとして知らなかったの? 私はあの子がいるチームで現役選手だったし、この人も元々はそのチームのチーフトレーナーやっていたのよ」
「へぇ……そうだったんですか。って、えぇ!?」
マックイーンが遊びに来ている引退したトレーナーって清一さん!?
「なに? お前に言ってなかったのか?」
顔を見合わせる二人。
まぁ、不思議ではないか。
マックイーンも二人を僕が知っているとは思わなかったのだろう……。
しかし……。
マックイーンと、この二人が同じチームか……。
意外と言えば意外だったけど、確かに実力派トレーナーとメジロ家と同じ名門のノーザン一族のマルゼンスキーさんがいるチームなら、メジロ家の御令嬢が居てもおかしくはない。
名門が揃ったチームだったのだろう。
ただ、同じ名門でもずいぶん違うとこもあるようだ。特にどことは言わないが。
「あらら〜。お・姉・さ・んのどこ見てるのかしら〜? そ・れ・と、何か言いたそうだけど」
胸を上げる様に腕組みをしたマルゼンスキーさんが笑いを含んだ視線で睨みつけている。
気の強さもマルゼンスキーさんの影響があるのかもしれないなぁ。
「い、いえ。ところでマックイーンは今どこにいるんですか?」
互いに顔を見合わせる二人。
「そうねぇ……」
「多分この時間なら森に居るんじゃないかな?」
「あぁ、森ね。……そうね、この時間ならあそこかしら」
「森……?」
「あの子のお気に入りの場所があるらしくてな。確か場所は……」
その森までの道を清一さんに教えてもらい、荷物を届けた後で早速行って見ることにした。
「あっ! でも……」
何かマルゼンスキーさんが言いたそうだったが、急いで頼まれた荷物を届ける事にして御礼を言ってその場を後にする。
「マックイーンによろしくな」
清一さんの笑いを含めた声が背後から聞こえた。
夏の陽気を木々が遮り、時折僅かな隙間を貫く木漏れ日が大地を焼き、視界に強い色彩を生み出す。
交互にやってくる強い日差しと森の暗さに時に目を細め、或は凝らしながら早足で進む。
「お気に入りって……完全に森の中か……」
だが暫らくすると、風に揺れる木の葉の音に混じり、何か別の音が微かに聞こえる。
その音は森の奥に進むにつれ次第に大きくなっていく。
「……歌?」
透き通るような歌声が、はっきりと聞こえる。
視界を覆う緑の天井が突然途切れ、蒼穹の空が広がる森の広場。
その中心にマックイーンがいた。
「……」
こちらに気づいていないらしい。
歌い終わり、空を見上げると美しく腕を上げ、しなやかに身体を傾け、地面の上を滑るように進む。
軽やかに伸ばした片足を軸に回転すると、紫がかった銀髪が日差しを浴び輝く。
「……」
目を閉じたまま凛とした気配を身に纏い、一心不乱に、しかし空を舞う蝶のような軽やかな動き。
何度か見たことのあるウィニングライブの振り付けだった。
彼女の振り付けは今までに見たどの振り付けよりも軽やかで、それでいて凜とした侵しがたい雰囲気に満ちていた。
その額には汗が輝き、身体が舞うごとに雫となって飛び散る。
その姿に声をかけるのも忘れ、見入るうちに、奇妙な感情が湧いてきた。
「マックイーン……」
彼女と初めて会った時の事を思い出す。
「でも、こうやって、旅先で偶然知り合った男女って……」
「……恋に落ちたりしませんか? それも運命的な恋に」
「……でも大抵、どちらかに恋人がいるんですけど……」
他者を圧倒するレースとウィニングライブが彼女の恋人に思えた……。
広場を蝶のように自由自在に舞う彼女は、心の底から楽しんでいるように見える。
「……何が暇だよ。全然、暇じゃないじゃないか」
自分が置き去りにされたような焦燥感を感じていた。
一通り練習を終えた彼女が背中を逸らし動きを止める。
今までの激しい動きが嘘のように、最初からそこにあった彫像のようにマックイーンは静止していた。
……綺麗だ。
素直にそう思った。
大きく息を吐き、彫像が動き出す。
彼女の瞳がゆっくりと開き……目が合った。
「え……?」
沈黙が辺りを覆う。
「彰?」
「やぁ」
静止した状態のまま慌てる声を上げるマックイーンに手を上げ挨拶する。
「こんにちは……」
「こ、こんにちは」
事情を把握していないらしいマックイーンが鸚鵡返しに挨拶を返す。
「ご、ごめん……声かけそびれて」
「いいですわ。ちょっと驚いただけですし」
苦笑するマックイーン。
「それにしても、どうやってここに? 散歩しながら来れる場所では無いはず」
「ああ……清一さんとマルゼンスキーさんに教わったんだ」
「え? 二人に?」
「うん……知らなかったよ、君が世話になっているところがあの二人の所だったなんて」
「そう言えばそうでしたわね。あの二人の事、あなたが知らない訳ありませんわね」
思わず苦笑いが出る。
「清一さんは常連だしね、あの温泉の。マルゼンスキーさんもよく温泉に来ているし」
「二人とも全くの健康体なのに。……あの二人でしたか、ここを教えたのは。折角の秘密の場所だったのですが」
「なるほど。確かに面白いね、ここ。僕が迷い込んだ広場によく似てるね」
深い森の中、ここだけが途切れ広場になっている。
少し奥の方には遠目にも冷たさが明らかと思えるほど澄んだ水を満々と湛える泉が輝く。
「ここの他にも同じ様な場所があったのですか。ここは前に来た時、この森を散策していて偶然見つけたのです。それ以来お気に入りの場所ですわ……。それからはお休みがまとまった時に良くここに来るんです」
辺りを見回す。
確かに静かな場所だった。
「道から相当離れているので誰も来ませんし。何か集中したい時はここに来ると集中できるので」
その後、他愛もない話をして別れる。
帰り際に、明日も此処にいますから。とマックイーンが声をかけてきた。
明日も時間があったら来てみようかな。と思った。