Lycoris Record : 彼岸花の回顧録   作:フェデラルジオグラフィック

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1995年3月22日

 夜明け前、というよりまだ太陽がその片鱗さえ出していない頃、私達はすでに起床し出動準備を整えつつあった。制服、拳銃入りの鞄、微妙にサイズの合っていない運動靴と3Lの水筒。他県の部隊はこれらに加えて最悪の事態に備えて防毒マスクを持たされていたが、急遽参加した私たちの分の手配が間に合うわけもなく、解毒剤のアトロピン注射器を4本渡されただけであった。ちなみにこれもまともにサリンを浴びれば4時間しか持たない。

 

―――こちらは山梨県の富士九一色村です。

   現在まだ夜明け前ですが、道には多数の機動隊員が並んでおり、

   まるで戒厳令のような異様な物々しさに包まれております。

 

 払暁、異様な物々しさに包まれていた教団施設周辺に対し、すぐ北の森は静けさに包まれていた。自分たちのいる場所の北には長野隊が、県道には警察の検問が複数張られていて、今日この時間帯にわざわざ通る車などないからだ。野生動物が遠くでいななき、風が木の葉をゆする音で包まれている。風は南東から吹いていた。私達は道路の南側の森に潜んでいた。道路から見て風上であることと、目の前の道路が前後でわずかに湾曲しており道路に広がるときにその様子をドライバーから見られにくくなると判断したためでもある。ちなみに隠れているところを覗かれていたらしく、隠れ方について発破をかけてくれた赤服からあとで赤点をいただいた。ちなみに彼女が東京隊を一時覗いていたことには山梨組を含めて最後まで気づかなかった。そのため山梨組の二人はこの任務のあとしごかれたそうで、少しばかり同情したものである。

 

―――本格的な突入を前にして、

   腰の防毒マスクを全員がつけ始めました。

   午前7時を回ったところです。

 

 無線で各リコリス隊と毎時00分で状況を報告する。7時現在、各隊異常なし。最後に本栖湖から警察側の状況が周知される。まもなく強制捜査が開始されるとのこと。チームにそのことを伝え、気合を入れさせる。

 

―――捜査員が教団施設に入りました。

   午前7時27分、捜査が始まりました…

 

―――亀戸の教団施設に警察官が突入を開始し…

 

―――こちらは南青山の…

 

 7時30分、東京を含め各地で一斉捜索が開始されたことを無線で告げられる。私達は引き続き待機。目下最大の脅威は熊。少しでも寄ってこないように食べ物の類は持っていない。これはお昼前後には撤収できる算段だったこともある。もっとも()()()()()ので、その時はキツネやタヌキに掘り返されないよう塩素の粉をかけることも昨日教えられて実践していた。

 

 8時00分、各隊異常なし。捜索については教団施設内にバリケードが築かれているということで難航気味とのこと。施設内をバリケードで固めているということは外への脱出をあまり考えていないようだ。懸念の半分は薄れつつある。

 

 8時43分、北のほうから聞きなれない音がする。動物の鳴き声でも風切り音でもない。東京でも聞きなれた機械の音だ。これは…車のスキール音?音が鳴ったあたりで無線ががなりだす。口火を切ったのは長野のファースト。

 

「至急至急、長野1より山梨多重(現地指揮所となっている多重無線車のこと)!」

「こちら山梨多重、長野1どうぞ」

「大室山方面より不審車両1出現、当方現在位置にて左折し県道を南下中、登録番号………、白のワンボックスカー」

「不審車両の件了解した。山梨多重より東京1!」

「こちら東京1、山梨多重どうぞ」

「本件車両は登録番号から教団所有の車両であることが確認された。この車両を断固として阻止せよ。阻止に当たっては実弾の使用を認める。なお報道に銃声を聴取されないようサプレッサーを必ず使用されたい。以上山梨多重!」

「東京1、車両阻止及びサプレッサー使用の件了解」

「続いて山梨多重より長野1…」

 

 さあ忙しくなった。事前に取り決めた通り2チームのうち自分のチームは道路に出て銃を構える。もう一方は森に伏せたままとし、対象車両の阻止に成功した場合は背後に回って退路を断ち、失敗し万一自分が倒れた場合はその旨を他へ伝達してもらう。道路が湾曲し見通しが悪いため、車両が見え次第射撃指示をだすよう心の準備を整える。エンジン音がどんどん近づいてくるのがわかる。音が一段と大きくなったと同時に、林の陰から東京でも見慣れた白い影が姿を現す。私はたった一言

 

「撃て!」

 

とだけ言って真っ先に引き金を引いた。サプレッサーで抑えられた銃声が耳朶を打つ。各員も躊躇なく射撃する。誰の弾かは分からないが、フロントガラスに白い蜘蛛の巣と赤い花が咲き、ほぼ同時に右タイヤがバースト。制御を失ったワンボックスは県道を外れ森の中を北西に向けて暴走する。しばらくして盛大なクラッシュ音が森の中から聞こえた。

 

「東京1より山梨多重、東京1にあっては対象車両を阻止。運転者は負傷したものと思われる」

「こちら山梨多重、対象車両阻止の旨了解」

「対象車両は現在位置より北西方向にある模様、これより現在位置を東京2に引き継ぎ車両の確認を行う」

「こちら山梨多重、了解した。十分警戒の上対象車両の確認を行え」

 

 銃の弾倉を交換しながらもう一方のチームに道路の監視を引き継ぐように指示し、自分たちは茂みに刻み付けられた轍に視線を向ける。ワンボックスカーが300メートルほどまっすぐ済んだところで木にぶつかり白煙を上げていた。銃をいつでも撃てるように狙いを向けながら轍に沿って車に向かう。事前に訓練していたおかげで木の根や藪に足を取られずに進める。100メートルほど進んだあたりで車から上がる白煙が自分の顔にかかって視界の邪魔になってくる。焦げ臭いにおいがすこしする。()()()()()()()()()()()()()()()()。半分ほど進んだあたりでガソリンのようなにおいが混ざり始め、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この時点でもう()()()だった。「下がれ」という言葉を言おうとした口は呂律が回らず訳の分からない大きなうめき声を絞るばかり、引き返そうとした足はたたらを踏んでいうことを聞かない。このあたりで自分はワンボックスカーの積荷が何であるかに気が付いた。()()()だ。「アトロピンを使え」と命じることもできなかったので、気力を振り絞ってアトロピンの注射を自分の腕に刺し、あとは吐しゃ物で喉を詰まらせないように体を横にするのが精いっぱいだった。

 

 チームを二つに分けていたのは結果的に正解だった。もう一方がこちらの様子を少し離れた県道から見ていたのでサリンに曝される私たちの異常について周囲に報告することができたからである。物は言えなくても耳は聞こえていたから、完全に意識を手放すまで飛び交う無線の内容だけはもうしばらく聞き取ることができた。アトロピンと防毒マスクの使用すること、長野隊が自分たちの救援に来てくれること、残余の東京隊は現地の風向きを常に報告し長野隊が到着次第撤退すること、サリンに曝された者の搬送先は最寄りの赤十字病院ではなく自衛隊富士病院とすること、等々。視界がぼやける中、防毒マスクをつけた制服の一団がこちらへかけてくるのが見えた。赤い服を着た一人が私の腕に二本目のアトロピンを刺しながら声をかける。

 

「しっかりしろ!諦めるんじゃない!東京の仇はまだだろう!」

 

その声に対し私はうめき声でしか応えることができなかった。私達は長野組のリコリスに引きずられ、車へと運ばれた。私の意識が途切れたのは県道に止められた車に乗せられたあたりだったろうか。どんな車だったかは今でもはっきり覚えていない。

 

―――捜査開始から三時間余りが経過し、

   段ボール箱数箱と金属缶のようなものを持って

   捜査員が続々と施設から出てきております。

   すでに捜査員たちはガスマスクを外しているもようです。

 

なお教団施設への強制捜査そのものについては()()()()()()()()()()()()ことを申し添えておく。




次回、「その後」の話。
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