Lycoris Record : 彼岸花の回顧録   作:フェデラルジオグラフィック

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過去の事件を扱う利点は原作がどんな展開になってもプロットを練り直す必要がないことです。

要は書きたいように書きます、ということです。


1969年 サクラの彼岸花 サクラダの鈴蘭

 1968年の11月、新宿での大規模衝突の余波がいまだに残るころ、機動隊を統括する警視庁警備部の組織改定が行われ、警視庁警備部警備第一課長の人事が改定され、半年前に香港から帰ってきた外交官くずれが機動隊の総大将を務めることが決まった。この人事、上からも下からも大不評だった。上からすれば年功序列やら組織のその他諸々の慣習をすっ飛ばした抜擢人事であること、下からは警備部での経験がほとんどなく、機動隊の指揮経験がほとんどないことが主な理由である。我々DAも後者に沿った見方で彼を見ていたのであった。…当初は。

 

 ところが彼が来てから機動隊は大きく様変わりした。報道側からの不評を半ば無視して催涙ガスの大量投入に踏み切ったのである。これは効果てきめんだったようで、デモや集会に対して着実な成果をしかも急速に上げていくことに成功していく。一方、リコリスを任務に送ると体はピンピンなのに涙ボロボロで帰ってくる場面が大半を占めるようになり、DAは催涙ガス対策を本格的に考えなければならなくなった。

 

 機動隊側が着実にデモ隊に対して優位を取り、群衆制御の成功例が積みあがっていくにつれて、報道も世論も機動隊側にわずかずつではあったが寄り添うようになっていった。それと対照に劣位になり始めたセクト側が挽回を期して火炎瓶や爆発物に頼り、どんどん過激になって周囲から孤立し始めていく。それと並行してセクト間での意見の不一致、特に「代々木」に与するか否かという問題が先鋭化し始め、セクト間での衝突が頻発し始める。特に混沌を極めたのが東京を含めた日本全国にある大学の構内であった。

 

 そんな中、四ツ谷大学が「大学当局としての正式な出動要請」を警視庁に出し、その要請をもとにバリケード解除作業に機動隊を動員することが決まった。その「正当な手続きに基づく機動隊の投入」を演出するため、リコリス・リリベルの混成部隊による偽旗作戦、通称「サクラ作戦」が計画され、実行に移されることになった。こうして書くと大層な話に聞こえるが、実際にやったことは「四ツ谷大学のノンポリ学生や体育会系に扮し、学生寮の空き部屋や周囲の建物、道路などに展開して大学を包囲する機動隊に対して声援や拍手を送る」だけのことである。よっぽど暇だったんだな、という話ではなく、これはれっきとした警察と連携した広報戦略の一環であった。機動隊の活動を取材する報道陣に対し「機動隊の行動は一般学生から支持されている」という印象を植え付け、学生運動に対して少しでも批判的な記事を書いてもらおうというものである。これはまずまずの成果を上げ、当日の夕刊には

   拍手で迎えられた機動隊

   突入の機動隊に声援

等の大見出しが掲げられることとなった。

 

 あちこちの大学でバリケード封鎖が実行され、内部のリンチや外部での乱闘騒ぎが絶えなかったので警察もリコリスもリリベルも彼らの対処(サクラ作戦を含む)にてんてこ舞いになりながら年が明け、ついに最高学府への城攻めが実行されることになる。1968年1月16日、本郷大学代表代行から警視庁へ機動隊による残余(10学部中8学部はバリケード撤去済)のバリケード撤去要請が出されたのである。本郷講堂事件の始まりであった。

 

 投入人員8500人、放水車・支援車等車両300台。当時の警視庁機動隊の文字通りの総動員。そして我々リコリスもリリベルも当然のように動員された。ただし今回はサクラ作戦ではなく、()()()()が主たる任務とされた。機動隊が根こそぎ本郷大学へ動員されたため、ほかの地域での集会を十分に抑止できる見込みが立たなかったからである。とはいえ我々は元々暗殺部隊、群衆と真っ向から衝突するための装備も経験もない。ゆえに我々の戦術は()()()()()()()()()()()()()()()であった。野次馬に扮して通りをふさぐようにスクラムを組んで学生が集会に行くことを妨害したり、学生に扮して集会のど真ん中でリンチ覚悟のヤジを飛ばして内ゲバを誘ったり。そうやって時間を稼いでいる間に盾や警棒で武装した機動警ら隊(今の自動車警ら隊)が介入して集会を解散させる、という算段である。

 

 この戦術は本郷大学北側ではうまくいった。しかし南側はそうではなかった。中央線の市ヶ谷から御茶ノ水の沿線は大学が集中しておりこれまた学生に占拠されたままだったので、集結速度が尋常ではなく介入する前に群衆の数がこちらの手数を圧倒して制御不能となってしまったからである。集まった群衆は「本郷の同志を助けろ!」を旗印に北へと移動しはじめる。その先には本郷大学があり、そこへ行かせまいと外周部を固める機動警ら隊と大規模な衝突となった。これをのちに神田カルチエラタン事件と呼ぶ。人の流れに飲まれたリリベルに催涙弾が直撃して流血するわ、群衆の向きを何とか制御しようと前に出たリコリスが真っ先に催涙ガスと警棒で制圧されるわ、南側に動員された部隊はまあ色々な意味でさんざんな目にあうことになる。

 

 こういった任務と並行して機動隊の後方支援にも投入された。特に8500人の食事の手配である。その日は土日で弁当業者が休業だったから、食事の手配は機動隊が全量独自にやらなければならない。機動隊の炊事班の給食能力は24時間フル稼働で1200食。これが8班で9600食と間に合っているかに見えるが、実際は朝昼二食を用立てすることをと考えると半分の供給能力しかない。これを補うためリコリスが「志願者」として本部の食堂からガス炊飯器とプロパンガスのボンベを担いでやってきて炊飯と盛り付けを手伝う。時折風向きが変わると作業場に向けて催涙ガスが流れてくるので、玉ねぎを切っているわけでもないのに涙を流しながら飯を炊く。

 

 出来上がった弁当は大学構内だけでなくセクト側増援部隊の阻止線があった神田から後楽園方面にも配達せねばならず、これまた人手が足りなくなる。そこで配達するのは機動隊の出動服を着たリリベルが本職の機動隊員と共に行う。じつはこのときリリベルと機動隊員は制服をよく見れば区別できた。機動隊の出動服は最近になって火炎瓶対策で木綿になったのだが、リリベルの出動服は化学繊維のまま(新式への更新で追い出された服)だったからである。リリベルは火炎瓶の脅威と催涙ガスに曝されながら配達を継続した。運が悪かった3名のリリベルは火炎瓶に直撃して大やけどを負い、5名に石が当たって大けがを負った。そこまでして現場まで運ばれた弁当は催涙ガスと煤まみれ。おまけにガソリンの臭いがして普通ならとても食えたものではなかったが、隊員たちはそれを食べて戦線を維持し続けたのだった。1月18日の最後の朝食が前線部隊に届いたのは13時のことである。

 

 そういった裏方の(文字通りの血涙に支えられた)頑張りを交えつつ、本丸たる時計台のてっぺんから赤旗がおろされ、日の丸が掲げられるのは、翌日の日暮れが迫る18時前のこと。食事の配給が済んでいたことと城攻めの終わりが見えていたことから、そのころにはリコリスもリリベルも半数以上が帰還の途に就いていたのだった。生傷も涙の跡もない要員は全くいなかった。余談だがこれらの任務に就いたリコリスたちは自らのことを自嘲をこめて「ひめゆり」と呼んだ。一方リリベルは「第九」と呼んだ。当時の機動隊は()()までしかなかったからである。

 




本事案はここでおしまい。

ちなみに実際の朝食の配給完了は作中より1時間半近く遅かったりする。
宮仕えの悲哀話がやたら筆が進むのなんなの。

次は別短編でネタ集めしてる時に思い付いた
  ちさたきがハイジャックに巻き込まれる()話
を書くかも。
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