【TRPGシナリオリプレイ】11.4光年の残響【短編】 作:皇我リキ
町から帰った彼等が見たのは、滅びた故郷の姿だった。
誰一人居ない寂しい世界。
水没した故郷はまるで海のような光景が一面に広がるばかり。それは綺麗だといえるものでもなく、ただただ虚しく彼等の心を穿つ。
彼等の故郷が滅びた原因は「流星」と呼ばれる落下物体だった。
ある種の記録装置である「流星」は、他人の潜在意識に働きかけて装置に設定された記録を追体験することができる。
記録されていたのは、何処かで滅んだ世界の記録。
その何処かの文明は発展の末、手に余る力を手にした結果、自滅した。
きっとそれは、自分達を反面教師にしてほしいという想いの記録だったのだろう。
しかし、彼等の故郷の住人は別の受け取り方をしてしまった。
彼等は他の者達よりも高い共鳴感情を持っていて、滅んだ世界の記録に強く共鳴し、同じ道を辿り始めてしまったのである。
戦争の記録。
記録装置「流星」から溢れ出した闘争の道を辿った故郷は滅び、帰ってきた彼等に残されていたのは絶望だけだった。
☆ ☆ ☆
今日も朝が来る。
8月22日。
日めくりカレンダーを捲りながら、高野が三人に声を掛けた。
「朝だよ!」
一日が始まる。
「───っしゃ! 今日もペットボトルロケットの材料を探しに行くか!」
朝から元気な薫が朝食をバクバクと食べながら口を開いた。
真横で煩い薫とは反対に、カイリは目を半分だけ開けながらチビチビと直パンを齧っている。
今日の朝ごはんは食パンに、ジャムはいちごかマーマレードの二択。
下にベーコンの挟んである目玉焼き、千切りキャベツとプチトマト、そしてちょっと高そうなウィンナー。
朝食を食べ終わったカイリはやっと電源が付いたのか、しかしまだ少しポヤポヤと目を半開きにしながら「今日は何処に行く?」と二人に問い掛けた。
「残るはバーと喫茶店、か。そんな所にペットボトルロケットの材料があるとは思えないけどな」
「雑貨屋のおっさんみたいに持ってたりするんじゃないのか? これさ、案外高野さんのお遊びだったりするのかもな」
食器を洗っている高野を横目で見ながら、薫がそんな事を言う。
まさかと思った蓮だが、確かに雑貨屋にペットボトルロケットの羽そのものがあるのもおかしな話だった。
「今日は何処に行くのかな?」
「バーと、お昼ついでに喫茶店に行こうかなと」
「うん、そっか。あ、そうだ。もし体調が悪かったり、怪我しちゃった時なんかはここに病院があるからね。ちゃんと行くんだよ」
そう言って、高野は昨日渡した地図に病院の場所を書き込む。
心配になる程に朝が弱過ぎるカイリを見ての心遣いだろうか、蓮は「わかりました」と答えて頭の隅に入れておく事にした。
「気を付けてね」
出掛ける三人を笑顔で送り出す高野。
「行ってきまーす!」
カイリ達はしっかり振り向いて、高野に手を振る。
ペットボトルロケット打ち上げの期限は明日。
その先に何があるのだろうか、不安と期待を胸に、昨日飲み干せなかった2リットルペットボトルを持って三人はバーに向かうのだった。
昔ながらの雰囲気をしたバーに入る。
ひぐらしの鳴く日中の凄まじい暑さから一転。店内の空気は涼しく、三人は目を細めて目一杯涼しい空気を吸い込んだ。
「あら、若い子が来たわね」
お店の人だろうか。不敵な笑みを溢す女性が三人に声を掛ける。
蓮はともかく、カイリ達二人は未成年でお酒が飲めない。バーという空間には確かに場違い感があった。
「いや、ここにペットボトルロケットの材料があるかもしれないって聞いてな!」
別に高野はここにペットボトルロケットの材料があるとは言っていない。
昨日の雑貨屋の件で何か勘違いしているのか、薫がそう話を切り出す。
カイリは「そんな事あるかな」とを細めるが、女性は一瞬楽しそうに笑ってこう続けた。
「誰に聞いたか知らないけど。そうね、あるのよここに。ペットボトルロケットの空気入れポンプが!」
何故か嬉しそうにレジの裏から空気入れポンプを取り出す女性。聞いた薫もまさか本当にあるとは思っていなかったのか「本当にあった」とすっ転ぶ。
「欲しい?」
「欲しいです」
不敵な笑みで問い掛ける女性に、カイリは素直にそう答えた。
昨日の流れからして、タダでは貰えないだろう。またダンスバトルでもするのだろうか。
「なるほどねー。でも、タダじゃあげられないわね。この空気入れポンプ、凄い便利なのよ。自転車のタイヤも浮き輪も、凄い力で空気を入れられるの」
大切そうに空気入れポンプを抱きながらそういう女性。
しかし彼女は「けれど」と、目を細く開いてこう続けた。
「───けれど、そうね。そこの君! そのスケッチブック、少し見せてくれない?」
「え? 僕の?」
言われるがまま、スケッチブックを持ち上げるカイリ。
スケッチブックには町に来てからカイリが描きたいと思ったものが幾つか描かれている。
聳え立つ展望塔、町の風景、子供に風船を配るしおうさ、雑貨屋等の建物。
そんなスケッチブックを見て、女性は爽やかな笑顔でこう口を開いた。
「それじゃ、そうね。私の事描いて」
「は」
思わず真顔で口を開いて固まるカイリ。
絵を描く事が出来る人にとって、その言葉はタブーである。何故なら基本的に絵を描く人間は好きな物しか描かないからだ。
そして人に頼まれて描くということは、かなりのプレッシャーを有するのである。
しかもそれが、目の前に居る人の似顔絵となれば、引っ込み思案で人見知りのカイリに耐えられる訳もない。
もしコレがカイリでなくても、一つ確かな事。
それは、絵が描ける人に「自分を描いて」と頼んではいけないという事だ。
「私の似顔絵、書いて」
※絵を描ける人に絶対にこんな事を言ってはいけません。
「え、えーと……」
「私の似顔絵上手く描いてくれたら、この空気入れポンプ、あげちゃう」
※絵を描ける人に絶対にこんな事を言ってはいけない。言うな。
「……ぐ、ぐぅ。ぅ……うぅ」
「どした? カイリ。腹でも痛いのか?」
突然苦しみ出すカイリを心配する薫。
そんな彼の顔を見て、内容が最悪だったにせよ、昨日は薫のダンスでペットボトルロケットの部品を勝ち取った事を思い出す。
自分だけ何もせずに、なんて言ってはいられない。
「わ、分かりました! 描きます!」
「ふふ、ありがとう。綺麗に描いてね」
※絵を描ける人に気軽にこういう事を言う人を罰する法律を作ってくれ。
「カイリの漫画は上手いからな!」
「漫画じゃなくて絵、ね」
スケッチブックを取り出して、女性の顔にペンを向けるカイリ。
ペットボトルロケットの材料、空気入れポンプを手に入れるにはただ絵を描くだけじゃない。女性が納得するレベルの絵を描く必要があった。
カイリはこの旅行で一番集中してペンを走らせる。
その隣では、薫が「ウィスキー!」と酒を注文しようとして蓮に殴られていた。
「……出来た!」
しばらくして。
ゲッソリとしながらも、ペンを握りながら拳を突き上げるカイリ。
あまりにも体力を消費したのか、彼の顔は死んでいる。
「そんなに疲れたのか?」
「薫には僕の気持ちは分からないよ……」
嫌味ではないが、この疲れは絵を描ける人間にしか分からない。
「わぁ! 凄い上手ね。ありがとう! お店に飾って良い?」
「絶対にダメ!!」
しかし、精神的な体力をすり潰して描かれたその絵は確かな完成度を誇っていた。女性も喜んでいる。カイリは泣きそうになっていた。
「えー、皆に自慢したいのに」
「本当に辞めてください……!」
「もぅ、しょうがないわね。それじゃ、これは約束の空気入れポンプよ」
そう言って、似顔絵と交換で空気入れポンプをカイリに手渡す女性。
彼女はカイリに貰った絵を嬉しそうに眺めている。正直、良い気分ではなかったが、女性が心底喜んでくれているのだけは救いだった。
『ペットボトルロケットの空気入れポンプを手に入れた』
「絶対に! 絶対に飾らないで下さいね!」
「うふふ、分かったわよ。それじゃ、また来てね?」
店を出る最中、念入りに念入りに女性にそう告げるカイリ。女性の不敵な笑みがとても怖い。
「喜んでもらえて良かったなカイリ。これで空気入れも手に入ったし、後必要なのはなんだ?」
ゲッソリとしているカイリの背中を叩きながら、薫は昨日買ったペットボトルをカイリに手渡す。
「店の中が涼しかったからあんま喉乾いてないけど、俺はノロマ分飲めそうだしペットボトル本体はこれで手に入るだろ?」
「そうだな」
と、返事をしながら蓮はさっき自販機で買った炭酸飲料を飲んでいた。
「先輩……」
「あ、悪い。冷たい飲み物が飲みたくて。そ、それに、そもそもペットボトルは一本で良いだろ?」
「それもそうっすね……」
何故か二本飲めと言われてそのまま飲もうとしていたが、よくよく考えれば手に入ったペットボトルロケットの羽は一つ。
つまり打ち上げられるペットボトルロケットも一つしかないという事だ。
「残りのパーツ、というと」
お茶を飲みながら、二人の会話を聞いてカイリはペットボトルロケットの形を思い浮かべる。
空気を入れるポンプ、真っ直ぐ飛ばすための羽、そして本体のペットボトル。
加工品を除けば必要なのはそのくらいだ。
もう高野の家に帰ってペットボトルロケット製作に移っても良いが、喫茶店にも何かあるかもしれない。
もしかしたら───と、カイリは薫の顔を覗きながら考える。
「その、薫……なんかごめん」
「え? 何が」
「お腹減ったね。予定通り喫茶店に行く、で良い?」
「お? おう? そうだな! 飯食おうぜ飯! またペットボトルロケットの材料もあるかもしれないしな! 他に何が要るのか俺は分かんねーけど!」
絵を描くのに時間が掛かって、昼ごはんには少し遅めの時間。
三人は駅近くの喫茶店に辿り着いた。
町は相変わらず人が疎らだが、居酒屋やスーパーのように喫茶店にはそれなりの人が集まっている。
開放的な洋風の店内には、昔ながらのゲーム機なんかがいくつも置いてあり、近所の子供の溜まり場のような場所になってるようだ。
「いらっしゃい、三人かな?」
「三人です」
「席は空いてるから、好きな席に座ってね」
店員のお姉さんはそう笑顔で言うと、三人が席に座るのを見てメニュー表を用意してくれる。
「今日はなんでも頼んで良いよ。全部、タダだから!」
「またか」
居酒屋もスーパーも、この町はやっぱり何処かおかしい。
ただ、今更疑問に思っても仕方がない。そう思って三人はメニュー表を覗き込んだ。
「僕はナポリタンで」
「それじゃ、俺は同じ奴を」
「俺はハンバーグ! ハンバーグ下さい!」
少し遅めの昼ごはん。三人は注文を済ませると、店内にあるゲーム機を眺めながら料理を待つ。
麻雀やダーツのような物から、インベーダーが遊べる机。
他にもゲームセンターにあるようなゲームが何個も並んでいた。
「すげーレトロなゲーセンみたいだな。後で遊んでいこうぜ?」
「またお前はそうやって思った事を口にして……」
「良いけど、夕方までには帰らないとダメだよ?」
「分かってる分かってるって!」
分かってないような言い方をしているが、薫は案外時間を守るタイプである。昨日の夕方チャイムが鳴った時も、早く帰らないといけないと先に走り出したのは薫だった。
そうやって話していると、店員のお姉さんが料理を運んでくる。
綺麗な形に盛られた二つのナポリタン。そして何故か日の丸の旗が爪楊枝で刺されたハンバーグ。完全にお子様ランチのノリだ。
「なんで旗刺してあるんだ? なんだ? 当たりか?」
「お子様ランチって事でしょ」
不思議がる薫を他所に、ナポリタンを美味しそうに食べながらそう吐き捨てるカイリ。
「お! なる程、プレゼントって訳だな! ありがたく貰っておくか!」
「なんでこんなにポジティブなんだ西馬は」
「僕は薫のこういうところ好きだけど嫌い」
「なんだお前ら!? そんなに羨ましいのか? 言っとくけどハンバーグはやらねーからな!!」
そんな会話が微笑ましかったのか、店の奥で店員のお姉さんがくすくすと笑っている。
そんなお姉さんに気が付いたカイリは、隣で蓮がナポリタンを食べ終わる頃、まだ半分ナポリタンが残っている状態で手を上げた。
「どうした? 腹一杯か?」
「いや、違うよ。ペットボトルロケットの事忘れてて」
「あ、そういえば確かに」
バーもそうだが、三人の本来の目的はペットボトルロケットの材料を集める事である。
高野の言葉を信じるなら、ここにもペットボトルロケットの材料があるかもしれない。
このまま食事を楽しんでゲームをし始めたら目的を忘れたまま帰る事になりそうだな、とカイリは先に用事を済ませようと思ったのだ。
「どうかしたの? お腹一杯? それともおかわり?」
「おかわり良いんすか?」
「晩飯が入らなくなるぞ」
やかましい薫は蓮のチョップで黙らせて、カイリは本題を口にする。
「ここにペットボトルロケットの材料って……ありますかね?」
「……へぇ、知ってるんだ。誰に聞いたのか分からないけど、そうだね。ここに───ペットボトルロケットに使えそうな凄い丈夫なペットボトルがあるの!」
そう言って懐から取り出される大きなペットボトル。
その見た目は普通のペットボトルと同じだが、なんの材料で出来ているのか、市販の飲み物のペットボトルとは比べ物にならない丈夫で軽いペットボトルだった。
「うお!? なんだそのペットボトル!?」
「このペットボトルはねぇ、すっごい丈夫で硬くて丁度良い大きさで、お花の水やりも筋トレも出来るし、料理の水を測るのにも最適なの! 勿論、ペットボトルロケットの材料にしたらそれはもう凄い高さまで飛ぶ事間違いなし!」
何処にそんなペットボトルへの熱い信頼があるのか、ペットボトルを抱きながらそう語るお姉さんは片目だけを開いて悪戯な笑みを零しながらこう続ける。
「……欲しい?」
三人は首を縦に振るしかない。何故なら、明日の打ち上げは失敗出来ないからだ。
「お、俺の努力はいったい……。いや、でも、そんな良いペットボトルがあるなら使わない手はないぜ!」
もし薫が8リットル分のペットボトルを持ち歩いた事が無駄になったとしても、その価値は大いにある。
「そっかー、欲しいかぁ。どうしようかなぁ。……あ、そうだ! あそこのワニワニパニック!」
「ワニワニパニック……?」
お姉さんが指差す先。
ゲームコーナーに置いてある、モグラ叩きの要領でワニを叩くゲーム。そこには大きな文字で「現在の最高得点は99点」と書いてあった。
「あのゲーム、もうずっと最高得点が更新されてないんだよね。もし、あのゲームで最高得点を叩き出してくれたら、このペットボトルをあげちゃう!」
「なるほど。先輩、出番っすよ」
「俺なのか。いやそうか、俺だよな」
ペットボトルロケットの羽を薫が、ポンプはカイリが手に入れてくれている。
蓮もペットボトルロケットの為に何かがしたい。そう思っていたのは確かだ。
「でも、西馬の方が得意なんじゃないか? あの手のゲームは」
「いや俺あの手のゲームイライラするんで嫌いっすね」
「この筋肉馬鹿」
どうも薫は脳味噌が筋肉で出来ているらしい。
そもそもこのゲームは瞬発力だけではなく、視界の情報を整理する頭の回転力も大切である。その点では薫が苦手なのも無理はないか、と蓮は納得する。
ワニワニパニックは穴から出て来たワニをピコピコハンマーで殴るという簡単なゲームだ。
穴から出てきたワニが迫ってくる前にワニを叩けば、ワニは引っ込んでいく。
引っ込ませたワニの数が得点になる訳だが、何故ワニなのかは置いておいて特に考えなければいけない事がある訳でもない。
「やっちまえ先輩!」
「応援してます」
ナポリタンを食べ終わったカイリは、スケッチブックを片手に蓮に声援を送った。
二人が期待してくれている。ここで失敗する訳にはいかない。
「それじゃ、ゲームスタート!」
お姉さんがボタンを押すと、ゲーム機が動き出した。ガタガタと音を立てて、ワニが飛び出してくる。
「任せろ、俺は───」
一分後。
「───俺は、弱い……!!」
崩れ落ちる蓮。
得点は86点。惜しいとはギリギリ言えず、特になんとも言えない数字だ。
「も、もう一度! もう一度チャンスを」
その後何度か挑戦するが、惜しい所までは行っても99点にはギリギリ届かない。
お姉さんは必死にワニワニパニックをやる蓮を見て楽しんでいるが、そろそろ夕暮れである。決着を着けなければならない。
「あの、ここに筋肉馬鹿が居るんですけど」
「え? 俺があれやるの? 多分ワニを壊すぞ?」
「筋肉馬鹿って自覚は大いにあるんだね」
選手交代。
薫なら筋肉の力だけでなんとかしてくれるかもしれない。しかし、カイリの提案を聞いてからお姉さんは「んー」と蓮を横目で見ながら少し悩んだ。
「それじゃ、君はこっち。このパンチングマシーンの最高得点を超えてくれたらペットボトルロケットの材料を上げちゃう!」
「時間もないし一発で決めるぜ」
助走を着けて。
「オラァ!!」
気合いの入った一撃がパンチングマシーンに叩き込まれ、凄い音が店内に広がる。
「おぉ! 凄いね! それじゃ、約束通りこのペットボトルはあげようかな」
「っしゃぁ!!」
結果として最高得点を大幅に塗り替える事になった薫は、お姉さんからペットボトルを受け取った。
『ペットボトルロケットのペットボトルを手に入れた』
そして未だにワニワニパニックに挑戦する蓮。悔しそうにワニを見詰める彼に、お姉さんは小声で「明日も夕方まではお店も空いてるからね」と伝える。
「……うす」
蓮は短くそう答えると、早く帰ろうと店の出入り口で待つ薫の元に走った。
「悪いな、役に立たなくて」
「いや、先輩にはこの後一番大切な役目が待ってるんで」
「うん、そうだね。なんならこの後カイリはなんの役にも立たないっていうか邪魔だし」
「邪魔とかいうなよ!!」
「あはは」
そんな会話をする帰り道。
夕方を知らせる夕焼けチャイムが町に鳴り響く。もう、帰る時間だ。
カイリはこの二日間の事を思い出す。
不思議で、不自然だと思ったこの町の情景。けれど、カイリにとってそれはもう怖い事ではなくなった。
明日の夕方。ペットボトルロケットを飛ばして、展望塔よりも高く打ち上げれば全部が分かる。
不安もあるけれど、それよりも、夕焼けチャイムを聞いている今は楽しかったという気持ちでいっぱいだった。
「やべ、夕焼けチャイム鳴っちまったぞ。早く高野さんの家に帰ろうぜ!」
先頭を走る薫。二人は「元気だなぁ」と目を細めて着いていく。
明日のこの時間になれば、きっと全てが分かる筈だ。
「───ごめんね、三人共。夕ご飯の事何も考えてなかったんだ」
手を合わせて頭を下げる高野。
「んな事気にしなくて良いっすよ」
「そうですよ。お世話になりっぱなしですしね」
「今日は僕達がご飯を作ります」
家に帰ってきた三人は、夕ご飯の支度が出来ていないという事を聞かされる。
そして三人はこう返事をすると、冷蔵庫に卵が沢山残っているのを発見した。お米もあるし、これならオムライスくらいは作れそうである。
「よし、やってみよう」
「二人共料理とか出来るのか、凄いな。俺なんかやる事ある? 卵割るか?」
「あ、うん。卵割るくらいなら───なんて割り方してるの!? 辞めて!! もう部屋の隅でジッとしてて!!」
卵を握り潰そうとした薫を止めて、カイリと蓮は薫を部屋の隅に投げ飛ばした。
オムライスはチキンライスをまず作り、それを卵で包み込む物が一般的である。
カイリの指示で蓮が動きながら、まずはチキンライスが完成。高野と薫はトランプをしながらそんな二人を眺めていた。
「旅行は楽しかったかい?」
「そうっすね、目的もあって色々な所に行って。パーツも集まったし、後は明日の打ち上げが成功すれば最高の思い出になりそうっすよ」
「成功させたいね」
笑顔で薫の持つトランプを引き抜く高野。
同じ数字が揃ったカードを机の上に置くと、彼の手札はなくなり薫の手札にはババが残る。
「何故バレた! 俺のポーカーフェイスが!!」
「薫君は直ぐ顔に出るからなぁ」
二人がそうして遊んでいると、後は卵で包むだけという所まで料理が進んでいた。
オムライスで一番難しいのはこの工程である。カイリは真剣な表情で卵をひっくり返した。
「……うわ、崩れた」
しかし、卵は少し崩れてボロボロのオムライスが完成する。これは自分で食べた方が良さそうだ。
「俺も───うぉ、難しいな」
蓮の卵も崩れてしまい、失敗。
オムライスは作る事そのものは難しくないが、綺麗に作るのはとても難しい。
そんな二人を覗き込んでいた薫が「今度は俺! 俺がやる!」と二人の間に割って入る。
筋肉馬鹿の薫に出来る訳がないと思っていたが、完成したオムライスは確かに崩れはしたもののそれなりに見た目が良い出来になってしまった。良いというかギリギリまともなだけだが。
「ハッハッハッ! こんなもん気合いでなんとかするもんなんだよ。俺のが一番綺麗だし、俺の作った奴を高野さんに食ってもらおうかな」
「お前は卵巻いただけだろ!?」
「待って! 狡い。僕の作った奴を食べてもらう……!!」
薫に料理で負けるのだけは嫌だったのか、カイリの目が強く燃える。
彼は冷蔵庫からケチャップを取り出すと、崩れてしまった卵の上にケチャップで絵を描き始めた。
「何描いて───うわ、すげぇ」
真剣な表情でケチャップを握るカイリのオムライスを覗き込む薫。
なんとそこには、ケチャップで描かれた高野の顔が描かれている。
「よし!」
「凄い! ほぼ一筆書きなのに! 僕の顔だって分かる! え!? 凄い!?」
それはもう完璧な高野の似顔絵としてケチャップで描かれたオムライス。オムライスの出来はともかく、もはやそれは芸術だった。
「この旅行で一番篠宮が本気で描いた絵だな……」
「なんかここまで来ると上手いっていうか怖いっすね……」
「それじゃ、僕の勝ちという事で。高野さんには僕のオムライスを食べてもらおうかな」
ふふん、と鼻を鳴らすカイリ。高野は目を輝かせてオムライスを見ている。
「なんだか食べるのが勿体ないし、選べないなぁ。そうだ、このオムライスは僕が全部食べるから! 三人には僕がオムライスを用意するよ」
そう言ってキッチンに立ち、素早くオムライスを完成させる高野。
「……意外と、食べるんですね」
「せっかく作ってくれたしね」
そして三人分も食べられるのかと不思議に思っていたカイリ達だったが、高野は三つのオムライスを嬉しそうにペロリと完食してしまうのだった。
食事を終えると、片付けをして、寝る準備をする。
旅行も明日が最後。
夕方にペットボトルロケットを公園で打ち上げる予定だ。
展望塔よりも高く。そうすれば、高野は展望塔の中に入れてくれると言っていた。
「完成しそうっすか? 先輩」
「明日打ち上げるペットボトルロケット……よし、コレで完成だ」
「流石器用っねぇ」
カイリが描いた設計図を元に、蓮はペットボトルロケットを組み立てる。
雑貨屋で手に入ったペットボトルロケットの羽は、なんの加工もしなくても喫茶店で手に入れたペットボトルに丁度良い形で取り付ける事が出来た。
その出来栄えに薫は唸る。これなら、本当に展望塔よりも高く飛びそうだ。
「明日で終わり、なんだね」
ふと、スケッチブックにペンを当てながらカイリがそんな言葉を漏らす。
楽しかった旅行が終わるのは寂しい。
それに、気にしていなかった───いや、気にしないようにしていた不安がまだ漠然と心の中で浮いていた。
「いやー、楽しかったな! まだ一日あるけどよ。そうだ、来年の夏もまた来ようぜ! 明日ペットボトルロケットを打ち上げたら、高野さんに頼んでみてさ!」
「薫……お前はやっぱりバカなんだな」
「あれぇ?」
「僕は薫みたいにバカになれないよ」
薫のそういう所は羨ましい、と少し思いながら、蓮もカイリと同じように考え込む。
2006年のカレンダー、ある筈のない展望塔、流星。
本当にここは三人が旅行の目的地にしていた塩稲場町なのだろうか。
考えれば考える程、不安が膨れ上がっていくような気がした。
「……別にさぁ、俺だってそんなバカじゃねーよ」
ふと、少し声のトーンを低くして薫はそんな声を漏らす。バカバカ言い過ぎたのだろうか、蓮が謝ろうとするが、彼は続けてこう口にした。
「おかしい、とか。そんな事くらい俺も分かる。……けどさ、楽しかったのは本当だろ? だったら、それで良いじゃねーか。明日何が起きたって、俺達がこの三日間楽しかった事だけは変わらない。忘れられない思い出に出来た。それで良くね?」
「薫……」
「つまり、二人共もう少しバカになれって事! バーカバーカ!」
「なんだお前!?」
一瞬だけ真面目な顔をしていたその顔が思い出せなくなるような顔ではしゃぐと、薫は「そんじゃ! 俺は寝るぜ! 明日も楽しみたいしな!」と言って布団に潜り込む。
「……ったく、西馬って感じだな。俺も寝るか。篠宮、お前も早く寝ろよ。朝弱いんだから」
「あ、うん。これ描いたら寝るよ」
蓮が布団に入るのを見届けてから、カイリは二人の邪魔にならないように階段に座ってスケッチブックにペンを走らせた。
「薫の言う通り、だけど……」
楽しかったという気持ちには、嘘偽りもない。
けれど、この不安が拭えないというのも事実なのだろう。やっぱり、その不安の方がカイリは大きかった。
分からない。明日になれば、分かるかも───分かってしまうかもしれない。
けれど、この漠然とした不安は間違いなくこの数日が楽しかったからだろう。
8月20日、8月21日の絵日記を眺めながら、カイリはそう確信した。
ページを開いて、今日の絵日記。8月22日の絵日記を描こうとする。
「楽しかった?」
階段の下から、高野がそう声を掛けてきた。
カイリは少し驚いて「へ、は、はい……?」と変な声を漏らす。
「沢山描いたね。少し、隣良いかな?」
「あ、はい。勿論」
少し端に寄りながら、カイリは横目で高野の顔を見上げた。
優しい顔。
見ていると、少し安心する。
「楽しかった?」
同じ質問。
さっきちゃんと答えそびれたその質問に、カイリはゆっくりと、確かな声で「はい」と答えた。
「良かった。僕も、忘れられない思い出になったよ」
「あ、あの! 高野さん!」
「ん?」
「ら───」
来年も、そう言いかけてカイリはその口を閉じる。
来年とはいつの事だ。2007年か、それとも2022年か。それに、ここは何処なんだ。
「ら?」
「ら……ら、落書き! 落書きみたいな絵だけど。これ、高野さん……! 次は……次は! ちゃんと描くから!」
カイリは描きかけの絵日記を高野に見せつけるように腕を伸ばす。
そこには、ケチャップで高野の絵が描かれたオムライスの絵が描いてあった。
ケチャップの絵の絵だからか、確かにここまで来るともうそれが高野であるかどうかの判断は難しい。けれど、確かにそれは高野の絵である。
「そっか。嬉しいな。凄く、嬉しいよ」
高野はカイリの頭を笑顔で撫でながら「でも、もう遅いから寝ないとね」と部屋で寝ている二人を見るように諭した。
「は、はい……。けど! 絶対に描くから!」
「うん。ありがとう、楽しみにしてるね」
部屋に戻っていくカイリに、高野は手を振りながら扉を閉める。
明日、ペットボトルロケットを打ち上げれば、この旅行は終わりだ。
けれど薫が言った通り、この三日間が三人にとって忘れられない大切な思い出になった事だけは何があっても変わらない。
それだけは、絶対に変わらない。
カイリの絵日記。
喫茶店でゲームをする蓮と、ケチャップで高野の顔が描かれたオムライスが描かれている。
今日は8月22日。
バーで女の人の絵を描いて、喫茶店ではゲームをしてペットボトルロケットの材料を手に入れた。
必要な材料は手に入ったけど、精神的に凄く体力を持っていかれた気がする。けれど、絵を描いて喜んで貰えるのはやっぱり嬉しい。
ペットボトルロケットも完済したし、明日は遂に打ち上げをする日だ。ロケットが展望塔よりも高く飛べば、高野さんが展望塔の中に入れてくれる。
展望塔にしんジツがある、なんて書いてあったけどそこには何があるのか分からない。
不安だし、怖い。
けれど、これだけは絶対に変わらない。
僕はこの三日間、凄く楽しかった。