蒼空ノ竜輝兵   作:雪国裕

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 西に煌く太陽は、二人の長い人影を地に映し出す。
 緑の木々に囲まれた墓石達の一つの傍、二人の想い出に捧げられた白い花。
 それが、仄かな赤い陽光に照らされ淡く輝いていた。



君が望んだ、生きるコト

 

 「よし」

 装飾店から出てきた彼の第一声はそれであった。

 右手に包装された花を、左手に小さな箱に入れたそれを、それぞれ大事に握り締めながら、エレイサスは道を小走りで…いや走りながら思った。

 何の変哲もないような、どこにでもあるようなデザインの指輪。

 果たして、これを彼女は気に入ってくれるだろうか。もしかすると、気に入らなくて怒り出してしまうかもしれない。

 なんて、あるわけないじゃないか。

 ……と、そんなことばかりを柄にも無く考えてしまう。

 彼女と出会って半年。ずっと思い留めていた想いがあった。狩りで忙しいという言い訳をして、今まで言い出せない自分が不甲斐なかった。しかし、今日こそは。

 自分はフランが好きだと、そう伝える。

 「よし、よし、ようし!」

 何度も自分に活を入れながら、彼は走っていった。

 

 そして彼は彼女の家の前に着いた。

 フランの家は、エレイサスと違い普通の町民らしい、平凡な小さな家だ。ここで彼女は、両親を亡くしてからずっと、独りで暮らしている。身体が弱いといっても、一人で生きて行けないというほどではないと、彼女は言っていた。

 現に、こうやって彼女は逞しく生きているのだ。

 「あれ…」

 いざ扉の前へ来て、急に自信が失せてゆく。

 どうして。先ほどまでずっと活を入れていたし、頭の中でも予行練習を繰り返していたではないか。不安なんて…少しはあったけれど、むしろ自信のほうが勝っていたはずなのに。

 物凄く緊張してしまう。

 下手をしたら狩りのときよりも、緊張しているのかもしれない。

 呼吸が乱れる。

 「どうしよう…ここまできておいて僕は…まったく、ああ全く」

 どうしようもなくて、その場で地団太を踏む。何時ものように会いに行くだけなのに、どうして「真意」が違うだけで、こんなにも意識は変わるのだろう。

 そんな時。

 「あれ…エレイサス?」

 フランが窓越しに、家の前で独り言を呟く自分に気付いたのだった。

 彼女とばっちり、目が合ってしまう。

 「あ、ああそれは、そのね、用があって」

 不自然すぎる。

 エレイサスは苦笑する。

 フランは小さく笑う。

 「ふふ…まだ何も聞いてないけれど」

 どうやらもう、逃げさせてくれないようだ。エレイサスは玄関前から窓の前へと移動する。

 「…大事な用があって、それで来たんだ」

 大方気持ちの整理がついたエレイサスは、思い切ってそう切り出した。

 窓の奥のフランの瞳を見る。澄んだエメラルドグリーンの瞳を。

 「はい、これ」

 背後に隠していた花束を渡す。窓の奥のフランへ。

 「わぁ」

 これは以前、エレイサスがフランを狩場に連れ出してあげた際に見つけた花。その時、フランが気に入って持ち帰ったもの。

 白い花弁が美しい、綺麗な花だ。

 「あと、これ…」

 そう言って、小箱を開ける。すると、輝きを帯びた白銀の指輪がその姿を現した。

 「これは…指輪?」

 「あ、ああ」

 メインであるところの指輪が、まるでオマケのようになってしまったな、とエレイサスは内心苦笑しつつ。

 高鳴りを覚えながら、震える声で、

 「僕はフランが…好きだ。だからその…これからも、一緒にいてくれないか」

 確かに伝えることが出来た、素直な気持ち。

 「はい」

 フランは澄み切った空のような、飛び切りの笑顔を見せる。

 「本当に嬉しいなぁ。私も大好きよ。エレイサスの事」

 …それと、感動からか、目が潤んでいる気もした。

 彼女は指輪を受け取って、

 それから、

 「じゃあ私からは……そうね」

 そう切り出してきたのだった。

 「?」

 その意味を、エレイサスは全く分からない。

 そんな中、フランは。

 「あなたがくれたものに、私もお礼をします!」

 病弱で静かな印象が強い彼女からは到底想像も出来ない、ハッキリとした強い口調で言った。

 それからフランは首に手をやり、「それ」をはずし、やがて細かな鎖の付いた「それ」をエレイサスへ差し出した。

 「私からの、せめてもの気持ち」

 「ええ、でも悪いよ…それって」

 竜の模様が彫られている、銀のペンダント。

 「うん。お母さんのものだけど…それでもいいの。さぁ……受け取って!」

 白い花よりも。

 銀の指輪とペンダントよりも。

 彼女の笑顔がとてもまぶしく、エレイサスの目に映った。

 

 出来ることならばこの幸せをかみ締め続けたいなんて、そんなことを柄にも無く、思った。

 

 

 「…フラン」

 恋人の名を呼んで、彼は目を開ける。

 辺りには緑が美しく、その中に白い墓石たちが平然として並んでいる。

 花が目の前にある。

 彼が手向けた、白い花。

 白い花弁が美しい、綺麗な花だ。

 「三年目か。早いものだね」

 エレイサスはしみじみと言った。

 「あの日」から三年間、彼はハンターとして生き抜いてきた。

 三年間。

 考えてみればあっという間だった気もする。

 

 狩りの回数はあの日を境にし、極端に減った。昔のように何かに、憧れに向かって走り続けていた頃とは違う。狩りはただ生活を養うためだけの、一定のリズムを取るようになっていった。それは見方によっては安定したとも捉えられるし、また別の視点では狩人としての質が落ちた、とも言える。

 いずれにせよ、彼はその双方のどちらかに自分を定めることは――出来ていない。

 

 風が吹き、花弁がひらひらと揺れる。

 ――その時だった。

 「おい、エレイサス!」

 そんなとき、どこか遠くから男の声がした。慌てふためくようにエレイサスは目を大きくし、辺りを見回す。

 「?」

 遠くに人影が映った。そして、それは徐々に近づいてくる。

 「おーい!!」

 もう一度声がした。声はエレイサスの鼓膜にかじりついた。随分と大きな声だ。

 声の主たる人影がこちらへ向かって走ってくる。誰だろうか。その像はぼやけていたが、近くまで来てそこで、その顔を完全に認識した。

 やはりそうであったか。

 長身で、

 黒髪で、

 面長で、

 切れ目の、

 そしてこの低い声。

 「…ザン!」

 エレイサスは久しぶりに友の名を呼んだ。

 「やっぱりここにいたか。久しぶりだな、エレイサス」

 ザンは生き生きした声で、彼の名を呼んだ。

 

 彼――同い年のザンとエレイサスが出会ったのは、エレイサスがハンターを始めて一年後、つまるところ七年前になる。

 ザンが用事の為、この町に立ち寄った際に彼らは顔を合わせた。

最初は売り上手な商人かと思ったが、話すとすぐにハンターだと分かった。ハンターといってもエレイサスのような剣士ではなく、ボウガンと呼ばれる銃を扱ういわゆるガンナーだった。

 ザンはこの町を気に入ったらしく、それで滞在することになった。ザンとは、一緒に狩りに出かけたことは少なかったが、「話し相手」としては仲を深めた。

 まだ経験の浅かった彼らは、情報を交換しつつ腕を上げていく。

 数年が経ち、ザンは経験を積むため、そして腕を磨くためこの町を離れ、大きな「街」に出て行った。

 そしてそれきり、連絡もなかった。

 しかし、

 巡り合わせというものは唐突だ。

 今こうして再会…現在に至るというわけである。

 

「それにしてもザン。急にどうして」

 突然の再会に目を疑うエレイサス。

 「ちょっとこの近くに用があってなぁ。それで立ち寄ったって訳さ」

 なるほど。エレイサスは頷く。

 「ふうん。じゃあなぜ僕がここにいるって分かったんだ?」

 やっぱり、とか言っていたから。とエレイサスは付け足した。

 しばらく会っていなかったザンが、急にここに、しかも自分の目の前に現れたのだろうと。

 「はぁ…分からないのか…」

 「うん、まぁ」

 エレイサスの答えにザンはため息を吐く。

 「…答えは簡単さ。いいか。お前がここに来た理由を考えてみろよ」

 エレイサスは視線を上に向けて少しばかり悩む。

 「まったく…鈍いなぁ」

 墓石の前にしゃがみこむザン。その手には一輪の白い花が揺れていた。

 エレイサスは気が付いて、思わずはっとした。

 「確か……3年目に、なるんだよな」

 ザンがしみじみとした口調で言った。

 ――決して忘れていたのではない、忘れるものか。

 エレイサスは慌てて頭を下げる。

 今日は彼女の、フランの命日。

 

 エレイサスとザン。

 二人は暫くの間、その場で会話を交わしていた。

 男の声が、談笑が、墓地いっぱいに木霊する。

 ザンの話の面白さは一級品だった。そんな彼の話を聞いて、エレイサスは声を上げて笑った。

 本当に、久しぶりに笑った。

 心の底から笑ったと思う。

 日はいつの間にか西へ傾いていて、会話が時間を忘れ去れるという事は、こういうことなのかと、実感させてくれる。

 やがて再び静まり返る墓地。

 その真ん中。

 夕日が照らす彼ら顔は、どこか引き締まって見えた。

 

 「それでお前は昔を…思い出していたんだな」

 ザンはエレイサスの傍に寄り、そこでしゃがみこんでから語りかけた。

 「まぁね」

 エレイサスは簡潔に答える。

 「僕にとってはとても楽しくて、大切な思い出さ」

 懐かしむように、エレイサスは言う。

 そして続ける。

 「思い出は忘れたくない。けれど…あの日は、忘れたい日でもあったかな」

 「あの日?……ああ、今日、か」

 そう。今日の事。

 そして「あの日」の事。

 「ああ。悔やんでも悔やみきれない、後悔の日。…ザンにも、これを機に話しておこうと思う」

 少しばかり僕の懺悔に、付き合ってくれ。エレイサスは付け足した。

 彼は目を閉じる。

 「狩りから戻る途中、フランは僕を迎えに来ていたんだ。野性のモンスターがうろうろしている中で、彼女は迎えに来ていた」

 複雑な面持ちで彼は話す。

 「本当に嫌な光景だったよ。茂みから一頭のイーオスが現れて、フランへ襲い掛かった。もちろん僕は全力で走ったよ。でも、間に合わなかった」

 自嘲気味に、エレイサスは言った。

 

 紅い身体に斑に描かれた、黒い斑点模様。

 毒々しい紫の、喉元の毒袋。

 毒の大蜥蜴、イーオス。

 

 「すぐにイーオスを倒して、解毒薬を飲ませたけど。彼女の病弱な身体は…無理をしていた分、弱っていたんだね。毒の回りに、解毒が追いつかなかった。フランの容態が悪くなってゆくのが、僕には手に取るように分かった。それが嫌だった」

 彼がイーオスを一蹴したのは言うまでもない。そして彼が……彼女を助けられなかったというのも、おのずと分かる。

 しかしどことなく、エレイサスの表情は暗くはないと――少なくともザンにはそう見えるのだ。

 

 「そんな状況で、彼女はこう言ったんだ」

 そう言って、エレイサスは再び話し始めた。

 

 

 

            君が望んだ"生きること"

 

 

 

 静けさが広がる闇夜に、紅き小型肉食竜イーオスの断末魔が木霊する。静寂の中に残されたのは、一人倒れた女性と一人の狩人だった。

 「フラン!」

 エレイサスは全速力で倒れているフランの元へ向かった。

 抱き上げ、彼女を見る。フランは右肩を噛まれていた――毒を持つ鳥竜種、イーオスに。

 フランはぐったりとしている。彼女は、イーオスの毒におかされているのだ。

 傷口からの出血はともかく、毒は危険すぎる。

特に、彼女にとっては。

 「…くそ、どこだ!」

 ポーチの中を弄り、解毒薬を探す。見つけ、急いで取り出し手にとって、蓋を開けた。中身を傷口に流し、次いでフランに飲ませる。

 彼女と目が合う。

 「あ」

か細い声で彼女は言った。

エレイサスは大きく、口を開く。

 「どうして外へ出ていたんだ!危ないって言っていたじゃないか!」

 思わず怒鳴ってしまう。

 その人が大切ゆえの、怒り。

 「良かった…また会えた」

 フランは、エレイサスを確認するとそう言った。どうやら、意識が薄れているようだ。

 「私、いつも待っていたのよ、あなたがここへ帰ってくるのを」

 こんな状況であっても。

 綺麗な笑顔を、彼女は作った。

 それを見てしまったら、もう、怒りなど消えてしまう。

 「心配していた。エレイサスが狩りに出るたびに、気が休まらなかったわ」

 ――そんな言葉、場違いにも程があるだろう。今、自分のおかれている状況を考えて欲しい。

 エレイサスはどうしようもない気持ちになった。

 だが、彼女を責めることは出来ない。

 今、こうして自分といられる時間も、たとえそれが危機迫る状況であったとしても、彼女にとっては幸福なひとときなのだと、分かっているから。

 むしろ、責められるべきなのは自分の方だ。

知っていたことを、自分は知らないフリをしていたのだから。

 「…何も出来なくて、ごめん」

 エレイサスは謝った。

 「何も出来ないなんて、そんな悲しいことを言わないで。お願い」

 彼女のその優しさが、逆に痛みに変わってゆく。途方もない罪悪感が、エレイサスの胸を打つ。

 「…聞いてくれる?」

 か細い声で、優しげに彼女は言った。

 「私はね……もう、長くなかったの」

 身体が弱いから、病気にもかかりやすいから。彼女は以前、言っていた。

 そのときからおそらく彼女は――患っていたのだ。

 「黙っていてごめんなさい。どうしても…言えなかった」

 素直に。フランはエレイサスに謝った。

 何も言えない。言い返せない。

 そんなことは、いい。エレイサスはうつむいて、絶望的な顔をする。

 「だから、エレイサスと会うたび、話すたびに、好きになるたびに、焦りを感じていた。でも、それから逃げているばかりじゃ駄目なんだよね。だからこうしてエレイサスに…会いに来た」

 「だからって…」

 「ええ」

 エレイサスの言葉を、フランは遮る。

 「危ないのは承知の上だった。でも、私には時間が…無かった。終わりのときが、すぐ先にあった……たまたま今日が、そういう日だっただけなの」

 ――それは私が選んだことだから、あなたが私に責任を感じることはないの。そうフランは言う。

 「そんな悲しいこと、言わないでくれ…!」

 もう終わりみたいな、そんなどうしようもないことを…伝えないでくれ。

 彼女を抱き締める腕に、思わず力が入る。エレイサスは篭手を外した生身の右手で、フランの手をぎゅっと握った。彼女はそれに驚いたようで、一瞬、言葉に詰まる。

 「だってエレイサス、こうでもしないと、気付いてくれないでしょ?私の気持ちに」

 私の気持ちを少しはくんでよ。と、彼女は言った。滅多に我侭など言わない彼女が。

 「でも、指輪を貰ったときは嬉しかったかな。気付いてくれていた?私、本当に嬉しかったんだよ。それこそ、生まれてきて一番目に嬉しいくらいだったんだよ…わかる?」

 彼女は言う。ポロポロと、大粒の涙を零しながら。

 「分かるよ。分かる。あんな笑顔を見せられたら、いくら僕だって分かるよ」

 エレイサスが言うと、フランは笑った。

 痛いはずなのに、苦しいはずなのに。

 「だからエレイサスは、何も出来ていないなんて事は無い。私の幸せな記憶に、なったのだから。それでもう、凄いことをしたのよ?少なくとも、私にしてみれ…ぁ、ぅあ」

 フランは苦しそうにもがく。解毒薬の効果より早く、毒が回っているのだ。

 そんな彼女を、見ていられなかった。

 「……死なないでくれ!頼むから、生きてくれ!僕の傍にいてくれ!」

 たまらず、本当の気持ちを吐き出すエレイサス。

 「私だって…出来ることなら、そう…したい」

 フランは弱々しく言う。

 誰よりも強い意志を抱きながら。

 「死にたくない。生きたい。生きていたい。あなたと生きたい。ずっと先まで一緒にいたい。……大切なあなたの、隣にいて、お話をしていたい。もっともっと、いろんな話をして、笑って…いたい……!」

 必死に失いつつある意識を繋ぎとめながら、彼女は悲しげな顔で、自身の願いを次々と口に出してゆく。

それが叶えられないものと分かっているから……やりきれないのだろう。フランは絶望的な顔をしていた。

そんな中でも、彼女は強く、

 「エレイサス…残された大切な時間を精一杯に生きて。あなたはあなたの誇りを持って生きて。………わたしからの、お願い…!」

 懇願する様に言った。

 残された力を振り絞って、涙を流しながら、フランはそう言った。

 「約束…してくれる?」

 おそらくこれは、彼女自身の願いであったのだと思う。生きられる期間が短く定められた自分からの、これからを生きられる人への――託したかった切なる願い。

 「ああ…!」

 了承する以外に選択肢などあるものか。

 「…良かった。じゃあ……さようなら」

 嫌だ。

 さようならなんて、言わないでくれ。

 そんならしくない言葉、言わないでくれ。

 彼女は今までに一番多く、ものを語った。まるで、残された時間を無駄にしないように。

 ――それが、酷く悲しかった。

 ガクン、と一瞬で重みを増した彼女の身体を――受け止める。それからまるで、氷を抱きしめているような冷たい感触が、掌を通して伝わってきた。

 彼女の寝顔は安らかで、微笑んでいる。

 頬には流れた涙の痕がくっきり残っていた。

エレイサスは事実を受け止めきれずに、その場にいた。

だが、それも長くは続かなかった。事実から逃れること。自分を欺き続けることなど、出来ない。

 ――ああ、だめだ。

 白すぎる手は、あまりにも冷たい。

 彼女はもう、いないんだ。ここにいて、もう世界中のどこにもいない。

 命は、どうしてこんなにも脆いものなのだろう。

 ああ、嫌だ。

 彼女の死を把握できた頃には、涙が溢れ出して、頬を伝っていた。

 

 その後はとにかく、泣いた。

 涙がかれてしまうのではないかというほどに、泣いた。

 後悔と、悲しみと、痛みと。

それらが混ざり合う心境の中で、彼は泣き続けた。

 

 

 「これが、あの日」

 エレイサスは言い終えて、目を開いた。

 「……」

 ザンは言葉を失っていた。

 フランもエレイサスも、どちらが悪いというわけではない。

 そして、どちらが良かったとも言い切れない。

 例えそれが分かっていても、ザンは口を開かない。開かないのではなく、開けない。

 彼は少なくとも、このような状況には遭遇したことがない。単純に彼は、自分の「立場」から発言できないのだ――このような、消えない痛みを伴う過去に対して、かける言葉が見つからないのだ。

 「昔。僕は分からなかった。愛したいその人に、何をしてあげられるのか、何をしてあげればいいのか分からなかった…本当に、ダメだったんだ、僕は」

 ただ傍にいてあげるだけでよかったんだ。と、エレイサスは言う。

 しかし、そのことに気が付いても、愛する人を失った後では意味がなかったのかもしれない。

 だが皮肉なことに。

 それが後々分かったところで、もう何も戻らない。

 

 「あの時は、どうして何時も傍にいてやらなかったのだろうって。心配をかけっぱなしだった自分が、してあげられることはこれくらいだと、気が付いていたじゃないか。そう後悔したんだ」

 「でも」

 エレイサスは首から下げた銀のペンダントを見る。

 「自分を責めること……それはフランを裏切ることになるから。フランは、自分の分も誇りを持って生きて欲しい、そう僕に願ったのだから。自分を責めることを、僕は止めた」

 

 彼にとって、それは苦渋の選択ではあったという。

 自分を責め、十字架を背負っていきてゆくのか。

 自分を責めず、誇りを持って生きてゆくのか。

 前者を取るべきだと、エレイサスは思った。現に、彼はそうしようとした。そうすることで、傷を負うことで、心の痛みを和らげようとした。

 「十字架を背負いながら、人は誇れるわけがない」と。

 本来ならそう考えていただろう――あの時、彼女の言葉を聞くまでは。

 

 エレイサス…残された大切な時間を精一杯に生きて。

 あなたはあなたの誇りを持って生きて。

 わたしからの、お願い。

 

 後者が彼女の願いだというのなら、彼女が自分に託した願いだというなら――迷うことなく後者を選んだ。

 それだけのことだと、彼は言う。

 

 起きてしまったことはどうにもできないけれど。

 これからを変えることは、もしかすると出来るのかもしれない。

 

 「僕は果たそうと思う、フランとの約束を。後悔と一緒に、忘れないように。あの約束を果たせるように、僕は生きてゆきたい」

 そう言って、エレイサスは話を締めくくる。懺悔の最後に、希望の言葉を残して。

 

 「ザン。お墓参り、ありがとう。うれしいよ」

 エレイサスは言った。

 「いや、寄ったついでに何かしてやれないかと思ってさ。まぁせいぜい、俺が出来ることはこれくらいだけども。…当人の思いに比べれば、俺がしていることはほんの他人事さ」

 「それでも、ありがとう」

 エレイサスは続けて言った。

 「…ああそうだ。エレイサス。お前、まだ独りで狩りをしているんだよな」

 ふとザンが訊くと、エレイサスは「まあ」と、頷く。

 「昔は時たま、組むこともあったけれど。今は無いな」

 「そうか。でもまぁ相変わらずといったところだな」

 ソロハンター、エレイサス・アーク。

 「そうだね…時々思うんだ。僕は一体何のためにこうやって今も狩りを続けているのだろうってね。ハンターじゃなくても、生きてゆくことは出来るし、誇りを持ちながら生きることも出来る。彼女との約束はそれで果たせるのにね」

 唐突な質問だった。

 「ん?……いやいや。そんなもん、お前にはまだ、ハンターとしての信念が残っているからだろ?」

 ザンはその質問に難なく答える。

「ほら、目標とかさ」

ザンは言った。

 「目標か」

 

 そう。

 ハンター達、彼らは自らの目的を持ち、それに向かって足を進めてゆく。

 世に名を残そうと高みを目指す者。

 仲間と共に生き、それぞれの成長を喜び合う者達。

 己の腕を磨くため、さらなる強敵に立ち向かう者。

 貧しい日常生活を養うために、糧を得ようと日々努力する者。

 その種類は様々だ。だが同じことが言える。

 それは「このような様々な目的が、夢が、彼等を支えているのかもしれない」と言う事。

 

 「ああ、そうか」

 エレイサスは微笑む。

 何だ、簡単だったじゃないか。と彼は呟いた。

 今や淡くもなってしまった過去に、そっと意識を投じる。

自分が目指したもの、目指したこと。

 思ってみれば、別格他人に訊くでもないことだった。いやただ、確認したかっただけなのかもしれない、と。

 空という約束を思い起こしながら、彼はそんなことを考えるのだった。

 「なんか可笑しいな。自分で思っていたことなのに不思議なんだけど、なんか、ずっと忘れていた感じがする」

 納得したように、エレイサスは頷いた。

 「まぁ…人事に聞こえるかもしれないが…あまりクヨクヨしてちゃ駄目だぜ。フランはお前に誇りを持てって、そう言ったのだろう?だったらその言葉通り、素直に胸を張って生きていけよ。十字架なんて、どこかに置いていけ」

 ザンはそう言った。彼は素性を隠さない性格なので、この言葉は本心だということが分かる。それがなにより、頼もしい。

 「そうだね。お前の言葉は、昔から励みになる。ありがとうと礼を言わせてもらうよ」

 エレイサスはにっこり笑って御礼の言葉を述べる。

 「あ?あぁ。そりゃどうも」

 ザンは首をかしげながら答えた。どうやら礼を言われる理由(わけ)が分からない…というよりも自分の前言を失言だと思っているらしい。

 「それで、あのな。凄く切り出しにくいんだけど…」

 ザンがなにやら場違いな話題を振ろうとしているのは、彼の落ち着きの無い仕草からして察すれば分かる。

 「大丈夫。お前のいったように、僕はもうクヨクヨなんてしていないし、しない。十字架だって、ここに置いてゆくから」

 エレイサスは言った。彼の表情には切迫したものは見えず、むしろ安堵の色さえうかがえる。それを見て、「彼は嘘を言っていない」と、ザンは確信した。

 そして、その上で彼は口を開く。

 「そっ……か。じゃあ…言うぜ。お前に、折入って頼み事があるんだ」

 ザンは今までの雰囲気から一転、きびすを返すように切り出した。声色も、何と無くだが変わった気がする。仕事モードといった感じだ。

 「あの塔へ上ってみないか?」

 そう言いながら彼は指で塔を示す。向こうに小さくだが、小さな塔がそびえている。エレイサスはそれを目で追わずとも、分かった。

 「あの塔か…」

 あの塔、それはあの丘から良く見える、海上の塔――といっても、実際は向こうの島の上に立っている。その幻想的な建造物は、人の好奇心をかきたてる何かがあるのはまちがいない。

 エレイサスも一度は上ってみたい、とも思った。しかし、ザンはなぜ「頼み」と言ったのだろうか。それがわからない。行くだけならば、「頼み」というほどでもないというのに。

 「まあ、行って見たいとは思っていたけども」

 エレイサスは答えた。

 「そうか。ならいい」

 ザンは続ける。

 「どうも、あの塔には、見たこともないような飛竜が棲んでいるらしいんだ」

 「飛竜が?」

 意外だな、とエレイサスは素直に思った。

 「まあ、街の学者が言っていた話だがな。といっても、正確性には欠けないぜ?」

 なにか、そう言い切れる証拠があるのだろうか。強気なザンを見て、エレイサスはつくづくそう感じる。

 「随分と自身ありげだね」

 「ふふん」

 ザンは鼻を鳴らす。

 「その学者だけれども。そいつはもともとこの町にいたらしくて、この地方の鉱石とか地形を研究していたらしいんだ。調査済みってワケさ」

 随分、その学者と仲がいいのだな。エレイサスは思った。

 「それで信憑性が高いってわけかね」

 そして納得する。

 「この前、その学者と話をしていたら、この町の話題になってな。談話が進むうちにそいつから『調査してきて欲しい』と、俺に依頼してきたんだ。それで、俺は調査隊の一人…と言っても俺だけなんだが、派遣されてきた」

 「なるほど、そういうことだったのか」

 用とはこのことであったのか。エレイサスは頷く。

 「そこで、お前にお供を頼みたいと思ってな…頼めるか?」

 「僕?」

 エレイサスは困った。

ザンが任されたのは大方、ギルドによる正式な調査ともいってもいい。それに「学者」ということは、王都書士隊が絡んでいる依頼なのかも知れない。だとすると、重要な依頼であることは間違いなさそうだ。

 「そんな…確かに魅力的だけども…でも大事な仕事だろう?僕なんかでいいのか?もっと適任の人がいるんじゃないかな」

 エレイサスは肩を竦めて、首を横に振った。

 「おい!それでいいのか!?」

 すかさずザンが突っ込む。

 痛いくらいに突っ込む。

 「な、なにぃ…!?」

 エレイサスは驚いて、思わず後退する。

 「興味があるんだろ?だから誘うんだよ、俺は。それにギルドも、仲間は四人までなら現地で集めてもかまわないって言っていたんだぜ」

 四人まで、か。

 ハンターの慣わしだな。とエレイサスは思った。

 「そっか…じゃあ、頼まれようかな」

 「そうそう。それでいいのさ、それで」

 ザンの説得にエレイサスはしぶしぶ頷いた。

 「ところで、どんな飛竜がいるんだい?」

 エレイサスは問う。

 

 飛竜の種族を知ることは重要なことだった。種族が分かれば、少なくとも相応の対処法も練れるし、道具もまた、それ相応のものを用意できる。だから今回のように未知なる相手を狩る場合、いやどんな時であっても、見通しを立てることは人間にとって大きなアドバンテージなのだ。

 

 しかし彼、ザンは。

 「ははは、そこまではわからん」

 素っ気無い答えを、至って自然に返してくれた。

 「下調べは…していないのかね…」

 エレイサスは肩を落としながら呟く。

 「まぁな。だからつまり、それを確かめに行くのが俺たちって事だよ」

 ザンは元から決まっていたかのように話をまとめた。全く、学者や研究者の出す依頼は何時もこういったようにむちゃくちゃなものである。

 「…まぁ、わかったよ」

 「よし。詳しくは帰り道にでも話そう。明日出発でも、問題ないな?」

 「うん。大丈夫だよ」

 じゃあ…そろそろ戻ろうか。そうエレイサスが持ちかけると、ザンは頷いてからエレイサスに背を向けた。

 「…頑張っていこうぜ」

 夕日に向かいながら、ザンは背中で言った。

 「うん」

 やがて、二人は墓石に背を向けた。

 

西に煌く太陽は、二人の長い人影を地に映し出す。

 緑の木々に囲まれた墓石達の一つの傍、二人の想い出に捧げられた白い花。

 それが仄かな赤い陽光に照らされ、淡く輝いていた。

 

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