行き着くはわからない。ただ、これだけは言える。
彼は生きていくだろう。
自らが”生きていること”を、誇りながら。
とある町から離れた道に、一人のハンターが立っていた。
兜は外している。
青空の下に立っている青年、エレイサス・アーク。
彼は辺りを見回してからその場に座り込んだ。ガシャリと鎧が音を立てる。それから、動かない。どうやら、何かを待っているらしい。
彼の鎧は以前と変わっていた。以前は赤色が主だった鎧だが、今は赤と黒の二色になっている。
一ヶ月前。塔へ登った際に遭遇したリオレウスとの激闘により、彼の鎧は大破してしまった。特に右の篭手と右肩の甲殻は粉々に砕けてしまい、原型をとどめていなかった。
その破損した部位に彼等が狩ったレウスの素材を使用し、復元した。黒いレウスの甲殻や鱗などは、軽さは通常種と変わらず、硬度が元の倍近くあったために、おかげでより強固な鎧を製作することができた。「復元」とはいえ形状は前のものとは、随分と変わっている。
そんな赤と黒の素材は今、お互いを認め合うかのように組み合わさり、見事な調和を果たしていた。
〈スカイ・プライド〉
「空の誇り」。そう彼自身が名付けた鎧は、まるで主を認めているかのように彼の一部となっている。
小さいながらも威厳に満ち溢れた彼の姿は、まさしく王者の誇りそのものであった。
エレイサスは馬車を待っていた。出発時間はまだだったが、彼はそれを知っていながらもここへ足を運んでいた。
馬車の向かう場所は街だ。といっても、この町のように小さなものではない。広大な、ハンター達の集まる活気溢れる街のことである。
今までこの町で生活し、近辺で狩りを行っていたエレイサス。そんな彼だったが、あの塔の狩りを介して考えが変わった。
というよりも、それはもともと望んでいたことなのかもしれない。あの場所へハンター達が導かれるように、彼もまた導かれていった。いや、自分で進んでいったというべきだろうか。
ともかく彼もまた、先に旅立った仲間達と同じように答えを出せたのだ。
自分なりの答えを出すことが出来たのだ。
一人の狩人として。
「最後に、話していいかい?」
それまで静かだった道のりの中で、エレイサスは思い切って切り出した。ザンは振り返り、待ちかねたようにこちらをまっすぐに見る。
「ああ、喜んで聞こうじゃないか」
「ありがとう。じゃあ」
二手に分かれた道の丁度真ん中で、
彼らは最後の言葉を――餞別の言葉を、交わそうとしている。
「今まで狩りをしてきて…いや、生きてきて。誰かが死ぬのって、何かを失うのって、凄く身近にあることなんだなと思ったんだよ。僕はそんな、身近にある平凡な死が怖かった。その人を愛せば愛すほどに、失うのが怖くなるって、どこかで分かっていたんだね。…だから一人で行動していて、人を避けていたんだろうと、今は思う」
でも、と。エレイサスは続ける。
「でも、フランと出会ってそれが変わった気がしたんだ。確かに人を愛することは難しくて、怖い事なんだろうけれど、いつまでも逃げていちゃ駄目と……彼女は教えてくれたんだ。人を気にかけることとか、人を心配することとか、人を…愛することも悪くない、むしろ素晴らしいことなんだなって」
エレイサスは穏やかな声で言った。
「今、僕は生きているから」
生きているならば。
「生きていて、これから何でも出来る。…それからあの竜にも教わった。生きていること、それ以上の誇りは、無いってことを」
生きていること。
それは素晴らしくて、誇れること。
「ああそうだ。俺もそう思う」
ザンは同感とばかりに頷き、安心したように微笑んだ。
「いい思い出をありがとう。もし今後会うことがあったなら、宜しく頼むよ。それがいつになるのか分からないけれども、僕はそのときまできっと生き続けているから」
エレイサスは言った。するとザンは、
「そうかい。そりゃ楽しみだ。……俺もまだまだ、死ねないな」
にやりと笑いながら、そう返した。
「まあ頑張れよ。フランも、お前を応援してるはずだぜ。……あと俺もな」
ザン言い、そして豪快に笑う。
「あんな死闘を越えて生きて帰ってきたんだ。これもフランに誇っていいんじゃないか?」
ザンはそう言った。
「死闘か…まぁ…頻繁にはやりたくはないけどね」
思わず、エレイサスは苦笑する。
確かに。それは誇っていいのかもしれないと、内心思いつつも。
「…おかげさまと言っては難だが、いい経験が出来た。謎も解けたし、街の連中にいい土産話が出来たことだし。良かった良かった」
そう、ザンは満足したように言う。
「いい経験…土産話って……本当にそれだけでいいのかい?」
「いいんだよ。なんといっても、今回の報酬は経験だからな」
ザンは腕を組んで頷くと、
「ま、これも手に入れたんだけどな」
背負った巨大な袋を指してそう言った。当然だが、彼はちゃんと素材も持ち帰っている。ちゃっかりしたところは、彼らしいといえばそうであるのだろう。
ザンは指を立てて言う。
「経験が人を強くする。経験が人を豊かにする。今までの経験が重なり合って……今の自分をつくっているのだからな」
傷を負って、人は成長する。
決して癒えることのない傷を負って、人は決して廃れることの無い強さを知る。
「うん」
その意味をエレイサスは、心のどこかでわかっていた。
「それじゃあな、これからも頑張れ」
ザンは組んでいた腕を解いて、
「じゃ、またな!」
右手を挙げ、最後にそう言ったのだった。
エレイサスはザンとの別れを思い起こしていた。
骨折した各所、打撲した箇所…節々が色々と、それらが未だ、ズキンと痛む。
ふと、あのときの共闘が脳裏をよぎった。
…本当に辛い戦いだった。
まだ、傷は治っていない。完治にはあと一週間ほど必要だろう。
すぐに戦闘があるというわけではない。のんびりと、街への移動の日数を使って治していくつもりだ。
今頃ザンは、こことは反対側の停留場に居るのだろう。エレイサスはどこか心地よい風を感じた。ザンもこの風を受けて、同じ気持ちで居ることだろう。
エレイサスはあえて、ザンとは違う街、違う道を進む事を選んだ。親しげな話し相手がいないのも少しは寂しい気もする。
長い間住んでいたこの町との、別れが惜しい、とも思う。
彼女との思い出が沢山、詰まっている場所。
「――それでもね」
答えはもう、出ているんだ。
エレイサスはそっと目を閉じた。行く前にどうしても、伝えておく事がある。
(フラン。今度話を聞かせてあげるのには、どうやら時間がかかりそうだ。でもきっと、時間をかけるぶん、いい話が出来ると思う。だから、お別れだ。でもきっと、いつか戻ってくるよ。こんな身勝手でごめん…)
ゆっくりと目を開ける。言い訳ばかりの別れ言葉にエレイサスは表情を曇らせた。考えれば、後ろめたさが少し、心に残っている。
「まったくもって駄目だね…僕は」
エレイサスは思わず苦笑する。が、すぐに表情を固めた。
(…僕は君をいつまでも愛している。そして誇りを持って、僕は生きる。本当に、君に出会えて…良かった。ありがとう)
一番に言いたいことを、いつも言っていたことを。いつも言ってあげたかった言葉を。
彼は今、伝えた。
エレイサスは町を見た。
この小さな町で育ち、出会い、失い、得て、僕はここにいる。
悲しみは残っていると思う。でも、「生きることに誇りを」そう再度、教えてくれた人に報えるように、生きたい。生きてゆきたい。
僕はそう…誓うから。
「来たようだね」
彼の目に屋根がついた馬車の姿が映る。
そこでまた、彼の心に囁きが起こる。「いまならまだ間に合う、ここに残ることも。思い出を手放さないことも」と。
「でもね。もう決めたんだ」
強く、そう言った。
気がつけば馬車が目の前で止まっていた。踵を返し、乗る準備をするエレイサス。
隣に降ろしておいた相棒のような存在、〈竜輝槍ミラージュ〉を持ち上げ先に馬車に乗せる。ミラージュの柄には真新しい革が巻かれている。古くなっていたため新しいものに取り替え、巻きなおした。
新たに旅立つために。
荷物を乗せている最中、エレイサスはふと気付いた。
人影だ。遠くから、誰かが駆けてくる。
一人…いや二人。
見送りだろうか。
今まで一人で狩りをしてきたから、仲間もいない。
町でも、親しい人は少ない。
ザンは自分と同じく別の街へ行く、彼でもない。
では、やはり。
そうこう考えているうちに、二人はエレイサスの目前まで近付いてきていた。
「はぁはぁ…良かった、間に合ったぁ…」
若い、少年と少女。
予想通り…全く、自分とは面識の無い二人組みである。
エレイサスは苦笑した。見送りが無いと知っておきながら少し、どこかで期待していたから。そんな自分は、もしかしたら心のどこかで仲間を求めているのだろうか。と、一瞬考え耽ってしまい、しばしうつむいた。
少年と少女。彼らはどうやら――見たところ二人とも新人ハンターのようだ。武器や防具、それに付いている傷の数、そして彼らの顔立ち。今までの経験からそれらを見れば、おのずとそれは見えてくる。
それはエレイサス本人ですら気が付かなかった、自分がもう一流の狩人として十分であることを、静かに物語っているのだった。
「お客さんたち、出発しますよ」
馬主が三人に言葉をかけた。出発の合図だ。エレイサスたちは慌てて馬車に乗り込む。
そのときふと、少年の目とエレイサスの目が合わさった。次の瞬間、彼の目は尊敬の眼差しへと変わる。こちらが飛竜種の鎧を身に着けているからだろう。
しかし。
その憧れと同時に、強者への畏怖が生まれるのもまた、当然のことだ。
あからさまに、エレイサスにはそれは分かった。
彼らの行動、仕草から。
少年は急に動きがぎこちなくなった。明らかに緊張が見てとれる。
一方少女は別の行動をとっていた。何やら下を見つめてもじもじしている。
いずれにせよ。
(ああ、僕のせいかなぁ)
たぶん「僕」のせいだろう。
この狭い馬車の中でこの緊迫感はまずい。そう思ったエレイサスは痺れを切らして、行動をおこした。
「君たちは、どこへ行くつもりなんだい?」
表情を柔らかくしてエレイサスは言う。これがコワモテだったら逆効果だったのだろうが、幸い自分はコワモテからかけ離れた面持ちをしている。
むしろ若干、童顔だった。
おかげで、二人の心の壁を取り払うのにそう時間はかからない。彼らは次第に、表情を明るくしていった。
「ええと…街へ、この先の街へ行きます」
「なるほど、それなら僕と同じだな」
「そうなんですか?」
少年はすかさず訊いて来た。
「うん。そろそろ僕も、旅立つ時期だと思ってね」
旅立ち。
「ああ、ちなみに僕の名はエレイサス・アーク。見ての通り、ハンターをやっている……って、それは紹介しなくても良かったね」
見れば分かるか。とエレイサスはジョークをかました。
「あの、アークさん」
「うん?」
「街について訊いてもいいですか?僕ら、この町で育ったから、大きな街の事は詳しくなくて…」
「ああ……それなら僕も良く分からないんだ、実は。なにせ、新米だからね」
街なんて何も分からないんだよ。そう、正直に言った。
「ええ!?」
驚きを隠せない少年は勢いよく立ち上がってしまい、天井の柱に頭をぶつけた。音から分かるように…痛そうだった。
「君は何か、訊きたいことでもある?」
エレイサスは少年の隣の、静かな少女にそう言った。
そして返答を待った。
「あの、その、何でもいいのですか?」
「ああ、何でも。まぁ答えられる範囲だけど」
少女の目は前髪に隠れて確認できなかった。顔立ちから言って少年と同等、相当若い。
おそらく歳はまだ十三、十四くらいか。この年で旅立つとは…。
(たいしたものだな)
エレイサスの顔が綻ぶ。
「では、その、ええと…じゃあ…その」
少女の口元が微かに動いて、彼女は喋りだした。何を訊こうとしているのか、手当たり次第に見つけようとしているかのように。
「…あ」
どうやら、見つけたようだ。
「ハンターの心得、教えていただけますか?私達、師匠とかそういう人に教えてもらったわけではないので、そういうの、良く分からないんです」
それは、最初(はじめ)に求め、そしてそれ以来持ち続けている大事なこと。
「ハンターの心得か……生き方みたいなものだね。本当なら、そういうものは自分達で見つけてゆくものなんだけれど。まぁ参考までに、僕の心得でも聞いておくかい?」
エレイサスがそう訊くと、新米の二人は顔を見合わせ、息を合わして――
『はい!』
高鳴りつつある、どこか心地よい胸の鼓動。
若い二人は、自分の言葉を期待して――待っている。
ひとつ咳払いをしようとしたが、気がつけば既に言葉が出ていた。
「これが僕なりの――心得さ」
この広い大地には、様々な生物が命輝かせている。
例えれば――
地を駆ける生物。
水を泳ぐ生物。
そして、空を翔る生物。
これらは多種様々だけれど、
同じ命に代わりないんだ。
この世界の理、生きるか死ぬか。
世界は生と死のありふれる、そんな非情な場所かもしれない。
しかしそれは確かに、世界のありのままを現しているんだ。
残酷だけれども、それを受け止めなければいけない。
そしてその中で人は、生きてゆかなくてはいけない。
僕らが生きること。
それは何処かで、必ず誰かを犠牲にしているということ。
これを忘れてはいけない。
だから。
奪った命のためにも、僕らは生きなければならないんだ。
命は繰り返し、永遠へとつながっていく。
僕たちは生きている。
そして今も。
一つの命として輝いていくために、
未来へと歩み続けていくんだ。
揺らめき、輝く太陽。
どこまでも続く、青空の下。
揺られる馬車の中。
そこには、青空を夢見た狩人がいた。
大空を翔るという限りなく不可能に近い夢。
例えそれは無理かもしれない。
一生かかっても届かないかもしれない。
――しかし、それを持ち続けることが本当は大事なのかもしれないと、そんな多くの想いを馳せながら、彼は行く。
ふと、空を見た。
澄み渡る蒼空が、旅立ちに祝福をしてくれている。
ささやかな、とてもささやかな祝福。
彼はすっと空へ、手を伸ばしてゆく。
「故郷へ…」
小さく口を開いて、
隣の二人に気付かれない程度に、
そっと。
「今までありがとう。…じゃあ、行ってきます」
――餞別の言葉としては、少し物足りない気がしたけれど。
彼は旅立った。
空を追うものとして。
生きているということを、誇りながら。
二つの約束を――果たすために。
思い出を刻んだ銀のペンダントが、誇らしく輝いた。
〈終〉
「あとがきに」
【挿絵表示】
このたびは朗読に大切な時間を割いて頂き、有難うございます。あとがきゆえに乱文ですが、よければ最後までお付き合いください。
また「これから読むぞ」という方も、差し違えなければこちらからでもどうぞ。
これは私が以前書いた文に修正を施したものです。(ちなみに2007年2月が初めでした)
一度目は普通の改訂版。
二度目はPCデータが消え全文書き直し。
三度目…つまりこれなります。
直せば直すほど文の量が増える。当初よりもずっとボリュームが増したけれども、私はそれを確認する力、推敲の力が足りないのです。
何度も確認はしましたが、もしかするとまだ文章の中に誤字脱字があるかもしれません。
…そこはどうか、勘弁してやってください。
さて、忘れもしない(嘘です、若干忘れていました)初投稿から年月が流れ、拙な過ぎた私の文章力も少しは上がっていれば――いいのですけれども。正直なところ、あまり進歩していません。
ただ。こうやって今、自分の書いたものを読み直すということをやっていると、文章の変な所(語彙が足りず表せない)が直ぐに分かってくる……そういうものは否めない事実でありまして、そこが唯一進歩したところかな、と自負しております。
読み直してみて気が付いたことは、登場人物に関して説明不足だったり、ストーリに矛盾があったり、キャラ同士の会話が不自然だったりと次々と嫌な所を再発見。
画面の前で赤面です(本当です)。
これは流石に恥ずかしいなぁと思って改訂版を書き始め……今に至ります。
いささか、読みやすくなっていればいいのですが。
基本的な設定や文章のニュアンスは、改訂前の根底から殆ど変わっていません。
命と死は切っても切り離せない、それぞれが密接に関わるもの。
世界の理。
どこにでもある死。非情で残酷な世界。
そこで人はどう生きてゆくのか。
なんて、こんな大スペクタルは感じられないと思いますが。これをコンセプトに書き上げたというのが、事実というかなんというか。
もともとの世界観をキープしておくのが難しくて、いっそ独自の世界観を盛り込んでしまおうかとも思いながら書いていたのですが、実際はどうでしょうか。
客観的にみると、果たしてどのような感覚を覚えるんだろう…それがちょっとだけ、気になります。
ああ…なにやら思いのほか、長くなってしまいました。もっと短くするつもりだったのに。
そろそろしめます…では。
素人の私が書いた拙い文章を読みきってくださった皆様の心の広さに、感謝しています。どうもありがとうございます。
色々と無理をしているところがありますが、この物語を気に入っていただけたなら私は嬉しい限りです。
そして最後にお願いと言っては難ですが、どこか記憶の片隅でもいいので「こんな話、あったなぁ」と、軽い気持ちでこの物語を覚えていていただければ、私自身嬉しいというか、満足というか…幸いです。
最後までお付き合い頂き、有難うございました。
(2009年10月13日)
※当時のあとがきを抜粋