明日の月を見たダンプは艮に目線をやると、艮と目があった。
ときめく心をそのままに、5秒、6秒、7秒と見つめ合う。
見つめ合ううちに、艮ともっと深いところで繋がれた気がした。
ダンプはまるでこれから散歩にでも行くみたいに自然に歩きだした。刀を抜いている艮に構わず歩きだした。
互いの刃圏が重なる刹那、ダンプは境内を蹴りあげて砂利を飛ばした。だが、小手先の目眩ましは艮を動かすに至らなかった。
艮はただ目の前の相手を確かに射貫いていた。
瞳に石が当たろうとも、まぶたを下ろさなかった。
蹴り飛ばされた砂利の影から棘が伸びる。
眼を抉る軌道は刀に叩き落とされ、これが開戦の合図となった。
「アハ♡」
「······」
ダンプが両腕の棘で猛攻を仕掛ける。
ダンプの動きは激情にかられた時よりも
眼。肩。腹。膝。
動きを潰せる部位を連続で狙いつつ、時折、首と胸への棘を紛れこませる。
艮はこの不規則な動きを見極め刀で弾いていく。
しかし決して、艮は防御一辺倒ではなかった。
棘を弾いたかと思えば、いきなり突きが飛んでくる。
反射的にダンプは首をそらして致命の一撃を避けたが、切っ先が頬を裂いた。
血が跳ねて、境内を染めた。
棘と刃が互いに血飛沫をあげながら、殺しの手は留まるどころか激しさを増していく。
ダンプは裂けた頬から垂れた血を舐めとって、自分がこれ以上なく満たされているのを感じた。
ダンプの人生において、この日の全てがはじめてだった。
自分の性質を受け入れてくれた人も、それを知ってなお愛そうとしてくれた人も知らない。
ぜんぶ艮がハジメテだった。
ずっと孤独で、ずっとむなしかった人生がひどく鮮やかに見えた。
こんな時間が永遠に続けは良いのに。と、夢見心地で思う。
しかし往々にして、終わりというものは唐突に訪れてしまうものである。
「だいたい分かった。斬る」
底冷えするような低い声が響く。
棘と刀の攻防を斬り裂いたのは、他ならぬ艮であった。
ダンプは耳を疑い、そして気付いた。いつの間にか、刀が鞘へ納められていることに。
避けなきゃ────。
思考すら間に合わず、両手の棘は、一刀のもとに斬り伏せられた。数多の恋人を貫いてきた棘は無惨に地面へ転げ落ちた。
終わりは、あまりに呆気なかった。
ダンプは我が手を見詰め、茫然自失する他なかった。
今までの身を焦がすような興奮の熱が、嘘かのように消えていく。その分、頭は驚くほどに冷え渡っていた。
ダンプはうなだれたまま動かなかった。
対して艮は、ただただ静かに待っていた。
さながら処刑人のように、冷酷に見下ろしていた。
冷たい風が、ダンプの体を絡め取る。もう一度、艮を見た。やはり、変わらぬ目付きで見つめてくれていた。
ダンプは改めて向き合った。ダンプの顔は清々しく、そして穏やかだった。
先ほどまで絶望に近い感情で底に沈んでいたというのに、これはいったいどういうことであろうか。
まさか、この局面を脱する一手を隠し持っているというのか。
ダンプはふたたび、ゆっくりと歩きだした。
俯いていて、殺意の気配は微塵もない。
それを見て、艮は柄から手を離した。憑き物の落ちた柔らかな顔を上げて、瑞々しい唇をふるわせた。
「艮······、さいごに、だきしめてくれ」
ダンプの願いを聞いた艮は、眼を細めた。
その眼は審判者のようであった。
背後に隠された一切を見抜く鋭さがあった。
審判が済んだのか、艮は言った。
「聞くな。わかってるだろう?」
「あぁ、艮。お前はやっぱりやさしいな······」
伸ばされた褐色の手を取り、艮とダンプの距離は無くなった。
ダンプは首もとに顔をうずめた。自分には無いにおいが、肺をいっぱいにする。
艮の背中に手をまわす。
彼の体の厚さも、熱も、直に伝わってくる。
ダンプは体を預けて眼をとじる。全身の感覚が澄み渡って、より手で触れるように感じられる。
心臓の鼓動が重なっている。艮の体温が心をつつんでいる。
心地よくて、微睡んでしまいそうだった。
眠気を振り払ってから、きつく、きつく抱きしめる。
これが最後だとわかっているから。
「ありがとう、艮。愛してる。
······さよなら」
ダンプは、両肩と腹に格納していた棘を突き出した。
あわせて五つの棘は、艮の肉体を確りと貫いた。
棘の先からは血が滴り、根本からドクドクと流れ出している。
血は、体温よりも暖かかった。
ダンプを抱いていた艮の両腕は、力を失ってだらりと垂れてしまった。抱きしめたまま、数秒ほど経っても、艮の動きは無い。
もう終わってしまったのだと悟ったダンプは背中から手を離して棘をしまい込む。
立ち去ろうとしたダンプの首にぐるりと腕が回される。さっきよりも、抱き締める力は強かった。
「俺もだ。ダンプ」
耳のすぐそばで、鯉口の切れる音がした。
艮は
深く沈んだ刃は皮を破り肉を裂き、脈を断ち切った。
パッ。とおびただしい量の血が噴き上がる。
本能として止血のために手を首に持っていこうとしても、全く、持ち上がらない。
死ぬ。
そう思った途端、からくり人形の糸が切れたように頽れる。力の無くなったダンプの体を艮は抱き留めた。
青い空と、自分を見下ろす艮を見てから、ダンプは自分が腕に抱かれていることに気付いた。
「うし、とら。アタ、シ······」
「わかっている。もうしゃべるな」
ちがう。わかってない。だって────
言葉を絞り出した艮の眼は、ダンプが想像するよりずっと険しかった。嬉しくもあったが、同時に少しだけ、怒りも感じていた。
どうして、気付いてほしい時に気付いてくれないんだろう。なんていじわるな人なんだろう。
パク、パクとついばむように口をふるわせる。
もういい。
そう言われても、ダンプは口を閉ざさなかった。
────だってアタシ、まだ、いっかいも······
命を振り絞り、伸ばした手を頬にそえる。
瀕死のダンプに出来たことは、喉を震わせ口から吐息を漏らすことだけで、想いは言葉に出来なかった。形にも成らなかった。
艮が口を動かしている。何を言ってるんだろう。
音が遠くなって、何も聞こえなくなった。
身体が肉になっていくのを感じた。
次第に全身が冷たくなって感覚がうすれて行くのを感じながら、けれども自分を抱えるこの腕だけは忘れまいと、そう思って、ダンプは目を閉じた。
頬にあった手は、力無く落ちていった。
艮は、もの言わぬ彼女をゆっくりとおろした。
***
砂利を踏みしめる音が、背後から艮に近付いて来る。
見上げると、黒いヴェールをかぶった女が太陽を背に立っていた。
誰だ。
その思いを見透かしたように、女は口を開いた。
「あなたが、艮さん······?」
「それが、どうした······」
艮は、ゆっくりと視線を後ろへやった。
大佛の目に飛び込んできたその眼差しは抜き身の刀のようで、首もとに刀が添えられているような、そんな緊張感があった。しかし、剣呑な雰囲気は一気に霧散した。
「なんだ、大佛か。神々廻は、どうした?」
「神々廻さんなら────」
大佛が次の言葉を紡ぐより前に、石階段の方から大きな声が届いた。
「オサラギィー、どこやァー?」
「神々廻さんだ······」大佛は声のした方へ小走りで向かった。
「なんやえらい下の方におるやん。
······お前なに持ってんねん」
「おみくじ。そう言えば、艮さんいたよ」
大佛に連れられて、神々廻がこちらへやってきた。
神々廻はこの惨状を見て驚いたようで、目を見開いた。
「トラさん、どないしたんですか、コレ」
「色々だよ」
「てか、体に穴あいてません?大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ、だ」
「わかりました。もうちょいでフローター来るんで、しばらく待ってて下さい」
神々廻自身、艮の状態が大丈夫だとは決して思えなかったけれど、彼がそう言うから大丈夫だろうと自分を納得させて、血まみれの境内に倒れている女に目を移した。
それにしてもずいぶん綺麗やな。
神々廻が死刑囚を見て最初に抱いた感想であり、疑問でもあった。
件の死刑囚は、血まみれの体や首と頬の傷を除けば、その体は清いままだった。
神々廻が今まで殺してきたりした相手は、首が捻れたり吹き飛んだりなんてのはざらで、体が上下に別れているというのも日常茶飯事だ。
だからこそ、一つの欠損も無いのが不思議だった。
そして一番の疑問は、艮の方が重傷であるという点だ。
ソウやミニマリストら他の死刑囚の報告を鑑みても、艮がこの死刑囚に苦戦を強いられたとは到底思えなかった。
疑問が疑問を呼び、思考が堂々巡りを続ける神々廻をすくい上げたのは、おみくじを振りまくっている大佛だった。
「神々廻さん、フローター来たよ」
「なにしてんねんお前。それあんまシャカシャカするもんちゃうやろ」
「······神々廻。すまん。うそ、ついた」
「は?」
それだけ言い残して、艮は後ろ向きに倒れた。
見たところ呼吸も止まりかけている。つまり、死にかけている。
「フロータァーッ!担架!はよ担架持ってこい!!」
超特急の救急車に乗せられて緊急手術を受けた後、艮が目を醒ましたのは、神々廻と大佛が爆破された殺連関東支部に戻った後だった。
ちなみに推しはダンプです(今更)