ORDER 1『
豹は朝早くから殺連本部に来ていた。今日も今日とて日課である筋トレに勤しむためだ。
ORDERゆえ、豹は多忙の身である。だからかなりキッチリ予定を組まないと、トレーニングの日を一日も作れないことがあり、そのせいで体が
些細なミスが命取りとなる殺し屋にとって、このような事態は何としてでも避けたかったのだが、ここ最近、死刑囚やら関東支部の爆破やらで忙しく、ジムにさえ行けない日が続いていた。
そんな豹にとって今日というこの日は、待ちに待ったトレーニングデイだった。
意気揚々と扉を開ける。まぶしい空と、新品の空気が豹を迎える。
胸いっぱいに息を吸って、豹はダンベルのもとへ向かう。
彼が愛用しているダンベルは100kgを優に超え、並みの筋肉では持ち上げることさえ出来ない。
このダンベルはもはや豹専用になっていた。
それを軽く片手で持ち上げる。
見ると、ダンベルには少しほこりが乗っていた。
豹の耳に、かすかに風を斬る音が届いた。
音は、殺連員が組手などで使用する武道場の方角から聞こえてきた。
気になった豹はダンベルを置いて、音のする方へ歩きだした。
音を頼りに着いた武道場の戸を開けると、すさまじい熱気が飛び込んできた。次に、
音の原因は、抜き身で素振りをしている艮だった。彼は上裸で、ぐるぐる巻きの包帯に血が滲んでいた。
その足もとには大量の汗と血が混じった水たまりが出来ており、艮がどれほど前から素振りをしていたかをうかがわせる。
刀を振るたび、汗と共に血も飛び散って、この武道場は凄惨な殺人現場のようだった。
豹が戸を開けてから少しして、艮は彼に気付いた。
「ん······、豹か。トレーニングだろう。早いな」
艮は入り口の脇に置いていたタオルで汗と血を拭った。瞬く間に赤くなって、タオルは使い物にならなくなった。
「アンタの方が早いじゃねぇか······。それより大丈夫なんすか、きのうに目ぇ醒ましたって······」
「大丈夫だろう。それに、たかが重傷が鍛練を止める理由にはならない」
豹は艮の言葉にドン引きしたが、同時に艮が強者である理由を垣間見た気がした。豹が改めて気を引き締めていると、なにか思い出したように艮が口を開いた。
「そう言えば豹、MRIに嵌まって帰ってきたと聞いたが、それは本当か?」ピシリ、と豹は硬直した。
「······誰に聞いたんすか」
「南雲」
「(潰す······!)」
豹は決意した。必ずやかの軽薄おちゃらけ人間の南雲を除かねばならぬと決意した。
怒りに震えて拳を握り締めた豹だったが、先輩の手前、冷静を繕った。
「······なんで
「いや、重いのかなと思って。昨日それに入ったしな」
「まぁ、そこそこでしたよ」
ふて腐れて投げやりに答えたせいで、ちょっぴり気まずい空気が流れる。
呼吸が落ち着いてきた艮が豹に提案する。
「立ち話もなんだし、組み手でもするか」
「ハッ、アンタとかよ。ウォーミングアップにしちゃあ、十分すぎるぐれぇだ······!」
ふたりは一緒にトレーニングや組み手をして、それは日が傾くまで続いた。
結局、完治すらしていないのに無理に運動したせいで、艮の入院期間は延長することとなった。
***
ORDER 2『
殺連が管理・運営を行う医療機関では、負傷した殺連員たちプロの殺し屋を治療し、復帰までのリハビリも手掛けている。
病棟の廊下はどこまでも真っ白で、ずっと奥まで続いている。左右に引き戸が連なっていて、それぞれに番号が焼き押されていた。
番号を、南雲は頭を振って確認していた。手には黄色い小さな紙が握られていて、1004と印刷されていた。
反対の手にはフルーツのかごが握られていて驚くほど瑞々しく、そしてかがやいていた。
足を止めた南雲は音を立てずに戸を引くとそばのチェストにかごを置いて、音もなくイスを引っ張りベッドの隣を陣取る。
人工呼吸器を付けられた艮の体に、大量の点滴や装置の管が繋がっていた。
艮にかけられた布団の動きはかすかだった。
注視しないと分からないほどで、バイタルを示すモニターの電子音が代わりに呼吸しているみたいだった。
南雲は、ある瞬足の男を思い出していた。
丁度彼も艮と同じ状況でベッドに眠っていた。
ただひとつだけちがうのは、男が何年も眠ったままだということだった。
一瞬、彼の姿が艮に重なる。
大切な人を失った気持ちはごまかせるけど、心に刻まれるひびだけは、どうしようもない。
大切な人はいつも、ぼくの手の届かないところで死んでいく。
守りたいと願っても、その時にそばにいない。
いつだってぼくは間が悪い。
手を伸ばしてもどうせ届かない············かもしれない。
だってそばにいないから。間が悪いから。
暗い感情が、南雲に重くのし掛かる。
不安になって、眠っている艮を見た。
艮はしっかりと呼吸をしていた。さっきよりも力強く。
彼の息づかいが確かに耳に届く。
心臓が、すぐ掴める距離にある。
伸ばせるところにある。
南雲は、艮の手を握った。
手は思っていたよりも大きく、固かった。そして南雲の思いを溶かすほどに、暖かい。
目を閉じたままじっとしていた南雲は、自身の手に伝わる違和感に気づいた。なんとなく、握り返されたような気がした。かすかだけど、確かに。
信じられない思いで艮の顔を見ると、小さく呻吟していた。汗が一つ流れ落ちて、ゆっくりと目が開かれた。
眩しそうに瞬かせてから、現状を確認するように左右に首を傾けて、南雲と目が合った。
艮は南雲の顔を見つめて、震える口を開いた。
「そんな顔してどうした。南雲」
「────······いや。なんでもないよ~。
それよりさ、艮さんが寝てる間に面白いことがあったんだよね~、聞く?」
りんごを丁寧に剥きながら、南雲は艮が起きるまでの騒動や些細なことを話していった。
***
ORDER 3『
夜も深くなり、月明かりが際立つ時間に、神々廻と退院したばかりの艮の姿は居酒屋にあった。
ここは熟年の物静かな老店主が夫婦で営む店で、地域の憩いの場でもあった。
カウンターに、二人が頼んだ料理がつぎつぎ置かれていく。
神々廻の前には京なすとタコの天ぷらが湯気を立てており、艮の方は冷奴と牛とごぼうのしぐれ煮が鎮座していた。
置かれたばかりのハイボール片手に、神々廻は徳利を傾けている艮に話しかけた。
「なんかすんません。退院したばっかやのに誘ってもうて」
「こういう雰囲気が好きだから気にするな。それに、誰かと呑むのは久しぶりだ」
「ホンマ、ありがとうございます」
二人が突き合わせたグラスとお猪口が軽快な音を立てて、それから同時に酒を煽る。神々廻が店主におかわりを頼んでから、京なすの天ぷらを頬張る。
サックリとした衣とトロトロになったなすの対比が楽しく、また衣に散らされた塩が、なすの風味を引き立てていて絶品だった。
タコの天ぷらも同様に対比があり、特に弾力がありつつもしっとりとしたタコの食感がなすの天ぷらを食べた後ということもあって、より際立っていた。
艮もお猪口に日本酒を注いでから、冷奴を口へ運ぶ。
冷たくなめらかな舌触りから、鰹節とほんの少し垂らされた醤油の風味が口腔を満たし、その後を追いかけるように大豆のほのかなうま味と甘味がやってくる。
すかさず酒を流し込み、しぐれ煮を箸でつまむ。
牛肉の肉々しさとごぼう独特の風味が香り、噛めば噛むほど醤油と砂糖の深いコクがじんわりと広がる。
ごぼうと牛肉、そしてそれらに染み込んだ煮汁が三位一体となり、完璧に調和している。
神々廻と艮は同時にグラスとお猪口を置いて、顔を見合わせた。
「自分で言うのもあれですけど、この店当たりちゃいます?」
「だな」
「てかトラさん、えらい渋いもん頼みましたね」
「憧れてる人が“そう”だからかもな」
二人は再びつまみ始めた。
箸休めにタコとキュウリの酢の物を注文してから、神々廻は艮の小鉢が気になって、ジッと視線を送っていた。
流石に気づいた艮は、しぐれ煮と神々廻を交互に見やって、小鉢をずらした。
「食べたいんだろ」
「え、あぁ、はい」
「なら交換だ。
そうだな、タコ天にするか」
艮が徳利を追加で頼み、それを待つ間に神々廻へ話しかけた。
「そう言えば、なんで俺を誘ったんだ。神々廻」
「それは───
(どない言うたらええねん!?正直に『大佛にサイフや思われてて可哀想やったからです』······か!?
いやいやいや、そないなこと言える訳あらへん!言うてもうたらもっと可哀想やろ!
よし、ここはええ感じにごまかさな······)
まぁ、その、トラさんの退院祝いみたいなもんで······」
「······ん?
でもおまえ、退院直後に誘ったことでさっき謝ってなかったか?」
「ッあー、あーっ!そないなことより!!いっこ気になったこと聞いてもいいですか!?」
「お、おう······」
神々廻はジョッキを引っ掴んで唇を湿らせてから話し出した。
「トラさん、死刑囚殺してましたけど、そん時ものすごい重傷でしたやん。なんか、それがどーも腑に落ちへんくて」
「なんでだ」
「なんでってそら、トラさんものごっつ強いし······」
急な誉め言葉に気を良くしたのか、艮は神々廻にこの店一番の酒を奢った。
いい気分のままお猪口を一気に空にして、熱い吐息をほう、と溢して艮は話し始めた。
「
環境もあるし、何より己自身の性質で苦しんでいた。それが何より辛かったんだろう。自分の行動が気持ちと鎮具破具なんだからな。
そう言う俺も、似たようなもんだ。あいつみたいな性質はないが、愛に飢えていた······というより、ただ知らないだけか。
まあとにかく、重ねちまったんだろ。
ガキの頃の俺と、あいつを」
喉を潤すように、艮は酒を流し込む。
その頬はほのかに赤らんでいて、どこか遠くを見るような目付きでお猪口を玩んでいた。
「────さいですか」
想像していた答えと違ったのか、神々廻は艮の方を向いたまま、しばらく硬直していた。
「(トラさんて酔うたら昔のしゃべりに戻んねや······)
お、これか······」
なんとなくそんなことを思っていると、日本酒の薫るビードロが神々廻の前に置かれた。
深い青がきらめくビードロに注がれた透明な揺めきが幻想的で、まさしく芸術だった。
ぼんやり眺めていると、注がれた酒が鏡となり、神々廻を映し出す。浮かび上がった自分と目が合った。
「トラさん、いただきます」
神々廻は、それを掻き消すように飲み干した。
酒は高級と言われるだけあって芳醇で、するりと水のように落ちていった。
神々廻は艮に感謝を伝えて店を出た。
艮がほろ酔いの勢いか奢ると言い始めて、こうなってしまうと頑として譲らないのを神々廻は知っていたから、渋々折れるしかなかった。
のれんをくぐって外に出る。
外は、9月だというのに未だに先月の蒸し暑さを引きずっていた。ネクタイをゆるめると、見計らったかのように風が吹く。
駆け抜けた風は冷たくて、残暑の中にあっても少しずつ、冬へと向かっているような気がした。
振り返って、今しがた出てきたばかりの艮に声をかける。
「ほな、トラさん」
「帰るか」
「いや。シメのラーメン、行きましょ」
「シメにラーメンか······。ちょっときつくないか」
「これが意外とイケるんすよ。
あ、流石に今度はこっちに奢らしてくれますよね」
「分かってるよ。おすすめは?」
「今から行くとこやったら────」
月は、艮たちが飲み始めた時よりずっと強く光っていた。その輝きは、まだまだ衰えそうになかった。
神々廻さんはぜったいザルや。
居酒屋の食事シーンは書きたかったから書きました。
おいしそうだなー、と思って頂けたら嬉しいです。
あと感想下さい(遺言)