データバンクを探すために妻・葵の姿で教育実習生としてJCCに潜入している坂本は現在、押し付けられた雑務の処理に追われていた。
機械じみた速度でハンコを押して書類を捌き、ようやく雑務も一段落したところで、ある老年の教員から学生寮にいる不登校生徒への説得を依頼された。
これを口実に、ようやくデータバンクを探せると思いしれっと学生寮とは反対の方へ行こうとした坂本だったが当然、説得以外の行動が許されるはずもなく。
それに坂本自身、学生寮を見てみたいとも思っていたから、素直に寮へ向かった。
その途中、手持ち無沙汰で出席簿や時間割りなどを歩き読みしていると、見覚えのある名前を見つけた。
佐藤田悦子。
彼女は、坂本が学生の時分に南雲と赤尾の三人でバカをした時に叱ってくれた数少ない先生だった。時間割り表には佐藤田の名前がたくさんあって、この時間だと『暗殺実践実習』で指導している頃だろう。
この授業も、坂本にとって懐かしい日常のひとつだった。
(暗実*1か。簡単すぎてよく三人でサボってたら怒られたな······)
JCCでの思い出を懐かしんでいると、『暗実』担当教師一覧に艮の名前があるのを見つけた。
一瞬硬直した坂本だったが、非常勤教師に艮がなると数年前に南雲から聞いて、JCC生徒に合掌したのを思い出した。
時間割りには艮の名前もそれなりにあるものの、佐藤田と艮が同時に担当しているコマは今日の『暗実』以外に無く、よりにもよってあの二人にしごかれる生徒たちに坂本は再び心の中で合掌した。
***
佐藤田のとなりに立っている艮は刀を帯びておらず、素手の状態だった。武器を持っては授業にならないと、佐藤田に咎められたからである。
銃ならば携帯できると言われたが、そもそも銃なんてほとんど使ったことの無い艮にもはや選択肢は無く、仕方なく素手に甘んじることになった。
その所為か艮の気分は底まで沈み、能面のような顔をしていた。
暗実に出席していた
授業は進み、気配の隠滅が如何に難しいか生徒に身を以て体験させるため、大柄なチョンマゲ先生は目隠しをして生徒と乱取りを開始した。
生徒たちが攻撃を仕掛けていくが、アマチュアですらない彼らが気配を消すことなど出来るはずもなく、きれいにカウンターを貰い次々と床に倒れていった。
そのさなか、エスパー・シンが乱入してあっという間にチョンマゲ先生を気絶させてしまったが、佐藤田がいち教師として生徒のやんちゃを合気を以てたしなめる。
軽々シンを制圧した彼女には、昔のことを思い返す余裕さえあった。
合気をかけられ、話すことさえ激痛を伴うというのに決して挫けることの無いシンの思いを汲んだ佐藤田は、彼に暗殺許可証を手渡した。
自分に一撃でも入れることが出来たなら、データバンクについて教えるという条件付きで。
ただ彼女は、彼に科したこの試練を突破させるつもりなどなかった。
どんな理由が彼らにあったとしても、教え子の訃報など聞きたくは無いから。
だからなのか、「そうだわ」と言って、佐藤田は艮に向き直る。「あなたも渡したらどうかしら、艮先生」
声をかけられてはじめて、艮は意識を取り戻したようだ。
「······? 何をですか?」
「許可証よ」
「許可証を······?誰に?」
「この子によ」
促されて首を動かすと、シンと目があった。
「ん?シンじゃないか」
「げ、艮さん······。
(全然気付かなかったけど、いつからそこに居たんだ?
ハッそうか!これが一流の気配遮断······!)」
シンが艮の評価を上昇させていると、そばにいた気弱そうな声が彼を呼んだ。
「あの、シンさん。この方は······?」
「艮さんだよ。坂本さんの先輩、ですよね?」
「概ねあってる。それで、なぜお前は許可証が欲しいんだ」
全てを見抜いてしまいそうな艮の眼差しを真正面から受け止め、その試すような質問に、はっきりとシンは答える。
「あの人の······坂本さんの力になるためです!」
「────そうか。なら、俺も許可証を渡そう。
ただし、殺し屋らしく殺す気で来い。中途半端はすぐに死ぬからな」
「
闘志に燃えるシンを確認した艮は先ほどの鋭い眼を携えて、シンの一歩後ろでオロオロしている少女に声をかけた。
「それで、君はどうするんだ。シンと一緒にチャレンジするのか」
「えっ、あのっ、私は───」
自分に質問が飛んでくると思わなかったのか、はたまた置物が喋ったことへの驚きか、晶は分かりやすく口ごもってしまう。
晶が口ごもっているのはチャレンジの理由が無いからではなく、一歩踏み出す勇気が無ないからというふうに窺えた。
艮はそれを見かねたのか再び問いかける。
「君は、何のためにここへ来たんだ」
晶は考え込んだ。
彼女は心の中で艮の言葉を反芻しながら、自分の目的は何だったのかを、今一度思い出していた。
いなくなったリオンさんを探すために殺し屋になる。そう決意して、
ドジで、失敗して、皆さんに迷惑かけてばかりだけどでもっ、今ここで変われなかったら、リオンさんに一生会えない!
「───私もやります!シンさんと一緒に、やらせてください!」
艮の目を見て、晶ははっきりと言い切った。
自信の無さや不安を振り払った彼女の瞳には、活力ある決意が満ち溢れていた。
晶の覚悟を見た艮はただ一言、「そうか」とだけ言って教室を出た。
佐藤田はその後を追って、艮に話しかけた。
「やっぱり、ちゃんと先生出来るじゃないですか」
「やりたくてやってる訳じゃ無いです。教師なんてするつもりは無かったんですよ。そもそも四ツ村さんのせいで······」
「はいはい。愚痴は後で聞きますからね」
佐藤田と艮の姿を見送ってから、チャレンジャーであるシンと晶は作戦会議を始めた。
「どっちを狙えばいいんでしょうか······。佐藤田先から?」
「いや、まずは艮さんからにしよう。今の俺があの人にどこまで通用するのか試してみたい。それに、晶もあの人の強さを知っておきたいだろ」
「わかりました!」
本当は佐藤田に合気の技を掛けられたくないだけだったが、嘘ではないけれど、それらしい理由を並べてシンは佐藤田を避けた。
シンが艮の強さや性格を晶に熱弁しながら、スニーキングミッションは始まった。
***
尾行の末、二人は艮が武道場に入るのを見つけた。
「皆、ちゃんと揃っているか」
「トラちゃん先生だ~」
「おひさ~」
「オイそこ。『トラちゃん先生』とか言わない。俺の威厳に関わる」
「(威厳とか気にするんだ~)」
「(なんかカワイ~)」
シンと晶が覗いてみると、艮は出席をとっている最中だった。
道衣に着替えた生徒の数はざっと見ても十人で暗殺科や毒殺科よりもかなり少なく、生徒の態度も気の抜けたものだった。
そもそも生徒たちが
暗殺科なら殺し屋に、諜報科ならスパイにといった具合に。
この通りになるならば、剣術科の将来は剣客となるのが普通である。
しかし現代のキルスタイルのトレンドは銃やナイフなどを用いて徒手格闘を行う
それに加えて授業の内容も素振りといった基礎練習や組み手の連続で実践の試合は少なく、生徒たちからは楽に単位がとれる科目として認識されてしまっている。だと言うのにその地味さから志望する生徒もいない。
この剣術科にやる気のある生徒は少なく、年々受講者数も減っていき存続の危機に陥っていた。
そんな折に、特別講師として投入されたのが艮だった。
数年前、標的が何者かに先回りされて殺されるという事件が多数発生した際、調査員として派遣された
その後、四ツ村がJCC名誉教授だったこともあり、彼によって艮は無理やり教師にさせられた。
艮が剣術科を担当するようになってすぐ生徒が増加した······なんて都合の良いことは起こらなかったが、刀なんて実践では使い物にならないという彼らの認識は、艮との組み手で崩壊することになる。
初めて授業を行う際、艮は「お前たちの実力を測る」と言って実践形式での組み手の開催を一方的に宣言した。
それでも動こうとしない生徒は、一撃でも当てることが出来たなら『秀』と評価すると艮に言われて、餌を見つけた空腹の獣のように、一斉に艮に襲い掛かった。
結果と言えば、皆さまのお察しの通りである。
剣術を疎かにしていたとは言え暗殺技能に関しては真剣に取り組んでいたはずなのに、艮に一撃を入れるどころかその場から動かすことも出来なかった。
こちらは息を切らせて無様に四つん這いの体を晒しているというのに、艮の方は汗ひとつない涼しい顔のままだった。
『圧倒的』。
そんな言葉で言い表せないほどの、隔絶した力の差があった。それほどの差を目の当たりにして、彼らは自分たちの可能性の内のひとつを見つけることが出来た。
平凡に生きて、平凡に殺して、そして平凡に死ぬ。
そう思っていた将来に、かすかでも光がさした。
この時から彼らは、剣術の授業──と言うより、艮とその実力を認めたのだった。
「よし。全員いるな。
ではこれより、剣術科の指導を始める。
よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」十人全員の声が重なった。
「俺がお前たちと会うのは二週間ぶりだからな。まずは前回の授業の復習からだ。
覚えている者は挙手」
「はいはい!アタシ覚えてま~す!」
「
「えっと、前は刀を使った攻撃の授業だったよね。
せんせーが繰り返し言ってたのは────」
開けっぱなしの戸から顔を覗かせて、艮のまともな指導姿を見た晶は意外そうに呟く。
「なんだかきちんと教えていますね······。本当に恐ろしい人なんですか?シンさん······、シンさん!?」
「······」
「(こっちの方がショック受けてる······!!)」
尾行中にシンが晶に話したことは、誇張こそしたものの全て本当だった。
艮が坂本商店に遊びに来た*2とき、エスパーで艮の心を読んでみると彼は、何も考えていない透明な心で人を斬ろうとしていた。
あの日、あの一瞬の出来事はシンの脳裏に強く刻まれた。
だからこそシンの中で艮への恐怖のイメージが勝手に増殖していったし、そんな印象の艮にまともな指導が出来るとは思えなかったシンが、実際の艮を知った衝撃は計り知れないだろう*3。
とは言え艮来店から多少の時間が経ち、シンにも数々の修羅場を潜り抜け強くなったという自負がある。
ここで艮に一撃も当てられなければ、坂本に近づくことなど夢のまた夢だと考えたシンは、壁に備えられていた木刀を手に、艮に一撃を入れんと踏み出そうとした。
しかし武道場の敷居をまたぐ前に、その行動は咎められた。
「そこ。本気で殺しに来いと言ったはずだが」
「ッ······」
視界の端の、シンの愚かな行動を艮はしっかり捉えていた。
指摘された瞬間、二人は胴が上下に別れた己の姿を幻視する。
改めて、二人は実感した。
艮は自分たちよりも遥かに強い。壁は遥かに高い。
じっとりと背が汗ばむ。体は震えるし、鼓動も速い。
けれど。
シンは木刀を戻し本身をしっかりと握り、晶も短刀を構える。
「それで良い」二人を視界の端で見て、小さく笑った。
艮による指導は二人の覚悟をもって、ようやく始まったのだった。
※本投稿における剣術科に関する記述に、剣にまつわる活動を誹謗する意図はございません。ご了承下さい。※
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シンと晶のシーン(激ウマギャグ)は『マイペース』を聞きながら書きました。
とても良い曲なのでぜひ聞いてみてください。