校庭の桜が、美しい花弁を広げようと膨らみを増している頃。
私は、誰も居ない弓道場で一人、
己の描く理想の私と、実際に弓を構えている現実の私とが重なり合ったと感じた瞬間、右手を放した。
放たれた矢は、少し歪んだ軌道を描き──的に描かれた重円の、右下に突き刺さった。円に入ってすらいないことに落胆しつつ、それを表に出さずに弓を持ったまま左足から三歩後退し、一礼する。どんな結果であれ、感情よりも礼儀作法を優先する。どの武道にも共通することだ。
木目の床を、音を出さないように歩いて、矢を回収しに向かう。そこで初めて、ため息をついた。同時に、己の糸が緩むのを感じる。
春休みが終わって、学校が始まったら、私たちは『先輩』になる。新しく後輩が入ってきて──入ってくれるかはまだわからないけど──私たちには、先輩としての態度とか、振る舞いが求められるのだ。小学校までの、ただの年の違うだけの関係とは、全然違う。
そんなことを考えながら歩いていたら、通路の先の壁にぶつかりそうになっていた。ちょっとボーッとしすぎだ。頭を振りかぶり、気を取り直して的へと向き直る。
的に突き刺さった矢を引き抜こう握って、少し引っかかりを感じた。どうやら、狙いから外れた矢の癖に、深めに刺さっていたらしい。なんとなく腹が立って、力ずくで引き抜いた。雑草の根を引き抜くような堅い感触のあとに、矢は的を離れる。無駄に疲れた気がして、また、ため息を吐いた。
ふと、的とは反対側の射場が目に入る。先程までそこで射を行っていたはずなのに、やけに遠くに見えた。
その射場の奥に、掲げられた応援幕が見える。その紺色の布には、大きく『克己心』と達筆で書かれていた。
克己心──自分に打ち勝つ心。いつだったか、先生が言っていた。武道とは、己との戦いだと。対戦相手や、同時に射を行う選手が居たとしても、最後には己に打ち勝てるかどうかなのだ。だから、克己心を掲げているのだ。
パン、と己の頬を両手で、わざと音が出るように叩く。危ない、自分に負けそうになっていた。弱音とか、不安とか、プレッシャーとか、そういった『見えない自分』に、知らない間に敗北しそうになっていた。
私は痛む頬で笑顔を作ると、己に勝つべく射場へと踏み出した。
執筆日 八月十五日