ピピピ、とアラームの音が鳴る。手を伸ばせば、指にぶつかる硬い感触。そのまま目を開けずにスマートフォンに触れ、アラームを止めた。
寝返りを打って、脱力する。しかし、部屋に流れてきた微かな食事の香りに空腹を刺激され、目を開いた。
「あ、先生! おはようございます!」
キッチンでは、エブマロン姿の少女が料理をしている。みそ汁と焼き魚、後ろの炊飯器が白い蒸気を出している事から、和風な朝食になりそうだ。
「もう少しで朝ご飯できますから、座って待っていてください」
彼女に何も言わずに席に着く。テレビは無いので適当にスマホをいじる。メールを確認して、特に仕事の連絡もなかったのでネットニュースを他人事のように眺める。
5分もせずに、彼女がお盆を持ってきた。古き良き日本風の朝食、漬物まであるのは嬉しい。
「いただきます」
「はい、どうぞ!」
ニコニコと正面から見てくる彼女のことは頭から外す。彼女が共に食事をすることは無い。こっちが寝ている間に食事を済ませているみたいだ。たまに、本当に人間なのか疑いたくなる。
「・・・・・・美味い」
「お口にあったなら良かったです!」
感想を口にすれば、ますます笑みを深めている。その背後に犬の尻尾を幻視した。
興が乗ったので、焼き鮭を一欠片、差し出してみる。彼女は驚いたようで、慌てて顔を離した。
「だ、駄目ですよ! 私が先生と同じものを食べるなんて!」
壁際まで離れる彼女に、そういうもんかと食事を続ける。鮭を口に入れた瞬間、「ぁ、ぁ〜」と聞こえてきたので、何か葛藤があったのだろう。知ったことではないが。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様です!」
食材に罪はないので、手を合わせてそう告げる。そうしている間に、彼女はお盆を取り下げる。それを見届けることなく、部屋に戻る。
「あ、お仕事ですか!」
背中から嬉しそうな声が聞こえる。彼女は俺の仕事を見学したがるのだ。こちらに干渉してくる事は無いので、好きにさせている。
そこそこ値段のした椅子に腰掛け、パソコンを開く。アプリケーションを立ち上げている間に、彼女はクッションを持ってきて床に敷き、その上に正座した。最初は床に直接座っていたので、クッションを差し出したら以降はそれを使うようになったのだ。
ようやく起動した複数のアプリ。それらを使って、作業を始める。昨日は各楽器の音を作ったから、ミックスしてから細部を調整することになりそうだ。
いわゆる音楽作家、というのが仕事の内容だ。ボカロP、と言った方が伝わりやすいか。曲を作ってネットに投稿したり、あるいは企業や個人からの依頼を受けて作曲したり。無論、それだけで生きていけるはずも無いが、残念なことに金はある。今、床に座っている彼女が俺の生活費などを、半ば勝手に支払っているのだ。
どうしてこうなったのかという雑念を頭から追い出し、曲作りを進める。取り敢えずデモは出来上がったので保存し、ヘッドホンを耳から外して振り返る。
「・・・・・・聞く?」
「えっ!? い、いえいえ! それは駄目です! 先生の曲を、私だけ先に聴くなんて許されません!」
残念。もし聴いてくれたら、契約違反でクビを切られたのに。無論、彼女ではなくこちらが。
「先生は、神様なんです。だから、私のところまで堕ちてこないでください」
その、希うような悍ましい願いを聞き流して、パソコンに向き直った。彼女との関係は、恋愛でも信頼でも無く、『信仰』と言うのだろう。彼女は勝手に曲に救われて、勝手に家に押しかけ、勝手に奉仕し、理想を押し付けてくる。有難迷惑、という単語の意味を、ここ数カ月でより理解した気がした。
さて、誰かこの状況に気付いてくれないものか。いや、いま彼女は未成年だし、罪に問われるのはこちらの可能性が高いか。それらしいニュースを探してみているが、彼女の捜索願は出て無さそうだ。お陰で名前もわからない。
まぁ、いいか。色々と諦めて、慣れてしまったこの環境にもう暫く身を委ねる事にした。