「結局、あー……あの噂の真偽はどうなんだい?」
「は?」
静かな相談室に男の素っ頓狂な声が木霊する。
担当トレーナーと担当ウマ娘だけが部屋に残って見送り、男がそろそろ部屋を閉めようとした時のことだ。備え付けの調理場で使用済みのグラスを洗っていた男は振り向き、声の元に視線を向ける。顔が黄緑色に輝く男の表情は読めない。
「おっと、勿論誤解しないでくれ給え、君に懸想している訳ではないとも。
「知るか、測ったことさえないぞ」
興味の追求に余念のない
「そもそも、やるにしてもサンプルが足りないだろ?」
「それはそうだが、ホルモンと肉体の関係性は分かるだろう?新たな閃きに至るかもしれない」
「……ふむ」
静かに歩み寄って隣に立つ少女。少女と男の共有する目的を考え、少女の姿を耳の先から爪先まで見た後に、男はやはり首を左右に振った。
「お前の脚はもう十分に安定して来ている。だからお前が主とする研究課題はウマ娘の感情や想いが身体に与える影響に移ったと思っていたが」
「勿論!……だが、昔の君が言った通り、ウマ娘の肉体は出せる出力に対して脆弱だ。それを補うためには、先行研究に加えて更なる肉体改造も欠かせないのさ」
じろりと男は朗々と語る少女を見下ろした。少女は怯むことなく、男の瞳を見詰める。男はその瞳を見つめ返したまま、口を開く。
「解剖学上、ウマ娘の内分泌器官は人間と同じとされる。一方でウマ娘の身体でのみ自然合成されるホルモンが、近年になって数種類発見されている。総称してウマ娘ホルモンと呼び、分泌量が増幅する時期が本格化だ。また本格化前でもミトコンドリアはウマ娘ホルモンの影響を受け、ウマムスコンドリアと呼ばれる状態に変異するとされる」
「どうしたんだい急に」
そんな分かりきったことを言って、と少女は眉を顰めた。彼が今しているのは彼の専門分野、その一端。教科書に載るほど確立された理論体系ではないが、最先端の研究を追っていれば自ずと見つかる有名な本格化の理論だ。男が自分を軽んずるとは思っていないが、その意図はやはり読めない。
「ウマ娘ホルモンの分泌は脚の運動で特に促進され、その濃度や分泌量は身体だけではなく神経系……精神にも影響を及ぼす。ゆえに両脚を失ったウマ娘などには,合成されたウマ娘ホルモンの投与が回復措置として行われる」
「一方で従来の合成ウマ娘ホルモンは,レースなどで禁止薬物として扱われる。更に健康なウマ娘に投与した場合は分泌系に障害を引き起こし本格化を止めることがある。だから一般に出回るのは健康食品の域を出ない」
食器の洗浄を終えた男が、振り向き調理台に寄りかかる。
「タキオンの研究の一つが検体がウマ娘ホルモンを自己生成しないヒト種を検体にした、新しいウマ娘ホルモン剤の開発。ルシフェリン-ルシフェラーゼ反応……蛍の発光原理を応用してホルモン剤の誘導効果を発光部位から検証し、ホルモン剤の影響を受けて一時的に変質したウマムスコンドリアのエネルギーを影響・濃度を色、光度で測定しているわけだ」
彼に試薬の全てを話した覚えのない少女は、少しだけバツが悪そうに耳をしならせる。一方の男は肩を竦めて、大仰に笑う仕草をしてみせた。
「別に研究を秘匿するのは当然だし、生成過程は見当もついてない。ウマ娘ホルモンの話は、俺たちの研究内容だったから推測出来たに過ぎないしな。肝心なのは、これは焦ることではないと言うことだ」
男はそう言うと徐に少女に向けて手を伸ばし、いつものことの様に少女が嫌がる耳と額を避けて彼女の頭に手を置いた。少女はバツの悪さを抱えたまま、瞼を閉じる。少女の不安感を解きほぐす様に、男は頭を優しく撫で続ける。
「皐月の栄誉と引き換えに、脚を砕きかけた時のお前の顔は忘れてないさ」
「勿論、私もモルモット君の絶望した顔をよく覚えているとも」
少女は男の掌に頭を寄せる。忌々しくも噛み締める様な呟き。
「だからこそだ。俺たちが共犯である以上、お前だけが抱え込むことではない」
少女は何も答えずに黙って、掌の感覚を楽しんだのち。
「————それならサンプルとして、検証してもらおうかな?」
話を台無しにした。
もう十分楽しんだと言わんばかりに、少女は自分の頭の上に乗る手を払い退けて、口角を上げて笑ってみせる。一方で男は、驚く訳でもなく半笑いで少女を見つめる。
「私が不安を抱いていると認めよう。次は粉々になるかも知れないと思うと脚が竦むさ。……しかし私には豪華な杖がある。まぁ仮に豪華でなくとも、杖が私たちを支える限り何度でも奮起し、どこまでも夢を追い求めてみせるとも」
「それと勝手に女性の髪に触れるのはマナー違反だよ、モルモット君。これはまたお詫びが必要なんじゃないかな?」
煽って追い詰める様な男を見上げ、優位を取ったとばかりににやにやと笑って見せる。しかし男は意にも介さず、少女を背に歩き始める。
「そこまで言えるなら十分だな。セクハラじゃない内容ならまた手伝ってやるから。今日はトレーニングに行くぞ、そろそろコースの予約した時間だ」
「あっ……こら、私を置いていかないでくれ給えよ。モルモットくん!ピンポイントで光りたいのかい!」
部屋を出ようとする男の背中を、少女は荷物を拾って急いで追いかける。少女が男に追い着いたら、二人は振り返ることなく電気を消して部屋を後にした。
Tips クラシック路線とティアラ路線
ラジオ・トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター!
本日も悩める
それでは一通目 ラジオネーム:最推しデビュー待ちさんから!
『こんばんわ、トレミーさん。いつも楽しくラジオ聴いてます』
『先日、初めてファン感謝祭に行ってきたのですが、そこで見た片目隠れの可愛い生徒のファンになってしまいました。彼女はティアラ路線をメインに、でも日本ダービーで勝つと言っていたのですが、昨年からトゥインクルシリーズにハマったばかりの私にはイマイチ区別がついてません。なので彼女をもっと知るためにもクラシック路線とティアラ路線の違いを教えてください!』
いいねェ!未デビューでもトレセンに居るのは輝く原石ばかりさ!その輝きをもっともっと浴びたいってのは、最高にロックな衝動だ!おじさん感動しちゃうねぇ〜!
さてさてーぇ!クラシックとティアラの違いで一番際立つのは距離適性の違いだ!これはきっと最推しデビュー待ちさんも分かってるかなぁ〜?クラシックは中・長距離の三レース、ティアラはマイル・中距離の三レースから成立する!
ん〜?じゃ〜あ〜?肝心のダービーとオークスはどうなのかって!?レース条件は全く同じさ!これじゃあ、ティアラ路線からダービーを目指すことが、どれだけ
じゃあその話をす〜る〜ま〜え〜に〜ぃ〜
バ
だから昔はこの数値を測定して、一定以上の数値を出せる子はこっちのレースに出てくださいねってしたんだ!今は本格化に関わるホルモンでこの階級分けを行ってるけどな!
つまり、ダービーや朝日杯フューチュリティステークスは無差別級レースって訳さ!勿論、オークスや阪神ジュベナイルフィリーズが限定レースだからと言って、そのG1レースの格が落ちる訳じゃないぜ!そのティアラ路線を勝ち抜いて、シニアの時期にはダービー勝者を負かす子たちだって居るんだからな!
しっかし、ティアラ路線から日本ダービーに殴り込みをかけて勝利をもぎ取ったのは記録上は戦前に二頭しかない!もしも最推しデビュー待ちさんの推しが勝ったなら、歴史に名を刻むほどの偉業って訳だな!ワクワクしてくるなァ!
さぁーて!次のお便りに移ろうか!次のお便りは〜〜
————————
抜粋:トレミーのトゥインクルトゥインクルリトルスターより