「君は!恥というものをだね!」
「……うぅ」
「まさか、そんな意味だったとは……」
室内は阿鼻叫喚に包まれていた。顔を真っ赤にした女の子たちが三人。正気に戻ったばかりで、固まって冷や汗をダラダラと流してる男。汚された机と床、窓も戸口も閉まっているのに巻き上がった紙はひらりひらりと落ちてくる。
話は十数分前に遡る。半ば談話室や屯場となりつつある相談室に一人の少女が訪れたことが事の始まりだった。少女の名前はオグリキャップ。皇帝が抜けた後のトゥインクルシリーズを盛り上げた立役者にして、その世代のアイドル。そして同室の少女とともに芦毛は走らないと言う風説を覆した猛者であり、学園においては随一の健啖家であり。
————そして、天然で純朴な一人の女の子である。
「少し尋ねたいことがあるのだが良いだろうか?」
「おや、オグリ。既に二人ほどいるが構わないかな」
「うん、私は大丈夫だ。……タキオンとカフェは私が混ざっても大丈夫か?」
最初に応答したのは部屋の主たる男だった。彼女とその友人が地方からの転入してきた当初、環境の変化などのフォローとして彼が世話を焼いていたのがこの男だ。親しい来客に対して、彼は鷹揚に頷いて、手招きして空いてるソファの一席を勧める。芦毛の少女ははにかみ、勧められたソファの正面に並んで座る黒髪の少女と栗毛の少女に尋ねた。
「私は大丈夫ですが……」
「オグリキャップ君じゃないか!丁度良かった!ぜひとも君に協力してもらいたい実験があってだね!」
「タキオンさん」
二人の態度は極めて対照的だった。方や黒髪の少女は静かに首肯し、心配そうに来客を見詰めた。方や栗毛の少女は喜び勇み、尻尾を振る。その独特な虹彩を輝かせて、早口に捲し立てたのだ。芦毛の少女は気圧されながら、彼女たちの正面に腰掛け、見兼ねた黒髪の少女が一言で制する。男はその様子を後目に捉えて楽しそうに笑いながら、新たな客のためにジュースを取りに立った。
「それにしても、ここでオグリさんを見るのは珍しいですね……」
「あぁ、トレーナーが付くまでは色々とお世話になっていたが……」
「ほうほう、本当にモルモット君は世話好きだね。あ、私のおかわりも頼むよー、お茶菓子も無くなるから足してくれたまえ」
少女たちは学年の違いを感じさせないほど、自然に会話を始める。最初はオグリキャップ自身のことから、次にそのトレーナーと話は移ろう。男が自分のチームの一員にこき使われる間に話は盛り上がり、帰ってきた頃にはさながら花が咲く様な状態になっていた。
オグリキャップの話が、自身のトレーナーとの惚気に片足を突っ込んだ頃にようやく戻ってきた男は紅茶と茶菓子のクッキーを配膳をする。新しいお客様は礼を述べて軽く頭を下げる。対照的に、自分のトレーナー室かの様に振る舞う滞在者はさも当然の様にご苦労などと言ってみては、男に前髪を崩された。びっくりしたのか彼女は尻尾を逆立てる。
「何をするんだモルモット君!額や耳はやめてくれ給えよ!」
「全く……カフェ、お前のところでタキオンを預らんか?」
「トレーナーさんが困るのでお断りします……」
少し怒って見せるフリをして男が冗談を言った。そしてその男の冗談に乗っかって、呼ばれた少女が首を左右に振る。
「えぇー!酷いじゃないか!私と君は共同研究者。いわば共犯だろう!」
「ふふっ、どこも仲良しだな」
勿論、冗談と分かっているから甘える様に男に抗議する少女とそれを見て笑う三人。一頻りはしゃいでから、男が切り替えのつもりで声を掛けてから飲み物に口をつける。
「それで?オグリの尋ねたいこととはなんだ?」
「うん。トレーナーが言っていたのだが、ウマ面ウマ並みとはなんだ?」
ブフーッと、部屋主である男が口から飲んだジュースを飛沫に変えて吹き出し咽せた。直前に顔を背けたから人にこそ掛からなかったが、机の上と床を汚し、周りに人工甘味料の甘ったるい匂いが漂う。
「あーっ!止めてくれ給えよ、書き付けが汚れるじゃないか」
「どうしてタキオンさんは、そんな落ち着いているんですか……?」
机の上に置いてあった紙に飛沫が掛かったのか、研究の一環としてペンを走らせていた少女が眉を顰め耳を絞って苦言を呈す。男が噴霧するのは原因となる疑問を投げかけた当の少女は分からないと首を傾げて見ている。しかし、唯一意味が分かったのか、垂らした黒髪の隙間から頬を軽く赤らめた少女が、悠然と苦言を呈した少女に問いかけた。
「ふむ?ウマ面はウマ娘の顔、ウマ並みはおそらく量の意味だろう?何も驚くことはないじゃないか。ウマ並みと言うにはオグリ君の食べる量は少し多いが……」
「少し照れてしまうな」
言葉の意味を知らずに、しかし順当に推測を述べた少女は縞模様の入った双眸を正面のオグリキャップに向けた。視線を向けられた少女をは呑気に頭を掻いて、恥ずかしそうに振る舞う。マンハッタンカフェは何と言えば良いか分からず、咽せ続ける男性に視線を向け、意図を察した男は咽せながらも掌を向けて待てと指示を出す。
「疑問は分かった。答えられるには答えられるが、その前にオグリがその話を聞いた経緯を聞かせて貰っても構わないか?ちょっと、担当にする様な話じゃないぞ」
深呼吸までして漸く落ち着いた男は、周りの後片付けより先に話を進める。話の分かっていない二人が不思議そうな顔をしたが、問いかけを受けた少女は額を指先でトントンと叩いて,思い出しながら素直に喋り出す。
「つい先日、トレーナーが同僚と話しているのを耳にしたんだ。『ウマ面ウマ並みになりたい』と。その場でトレーナーにも聞いてみたんだが『ユージンみたいな奴』と、タマにも聞いたが
ユージンと呼ばれた男は、片手で頭を抑えて如何にも頭が痛いと言わんばかりに俯いて見せる。タマモクロスは怒ったのではなくて、恥ずかしかったのだろうと言おうと思って、この場にいない少女の名誉のために止めた。かわりに目を閉じて数秒考え込んでから、顔を上げる。
「……とりあえず、ウマ面はタキオンが言ったのでほぼ正解だ。正しくはウマ娘の様に整った顔という意味になる。タキオンは分かると思うが、ウマ娘とヒトはその起源が異なるという説が存在する」
「ウマ娘とヒト、学名に言い換えればホモ・エクウスとホモ・サピエンスの話だね?ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシス……ヒトとネアンデルタール人が配合可能であったと同じ様に、ウマ娘とヒトも元々は配合可能な異種であり、遺伝子の交雑によって現生人類になったと言う主流な学説さ」
男の話を勝手に引き継いでタキオンが朗々と語り始める。少しは落ち着いて顔色を戻したカフェと始まった話に混乱を始めたオグリ、それぞれの様子を伺いながら、とても楽しそうに説明を進めていく。嬉しそうに語る少女の説明に男は首肯して、話の切り目になると改めて口を開いた。
「そうだ。ここで大切なのは、ウマ娘もヒトも同じ遺伝子によって決まるという点だ。男女を決定するのは性決定のY遺伝子であり、ヒトになるかウマ娘になるかはX遺伝子の中にある因子で決定される。厳密には異なるが、便宜的にヒト顕性因子Xh、ヒト潜性因子Xo、ウマ因子Xuの三つとし、ウマ娘はウマとウマかウマとヒト潜性の二種類から産まれる」
「このウマ因子が遺伝子に蓄積したことでヒト種に様々な恩恵を齎している。ウマ娘には及ばないとはいえ、古代と比べるとヒト種は肉体が強くなったりな。そしてウマ面というのはその一つで、ヒト種の男らしくない耽美さを持った顔という意味合いだ。褒め言葉として受け取るが、あまり嬉しくはないね」
机の上に置かれていて、汚してしまった紙を裏返し。備え付けのマジックを使って男はオグリキャップに向かって説明をしていく。声音こそ変わらないが、故に褒められて嬉しいと言った気配もない。教えを受ける無垢な少女は分からない物の触れるほど無神経ではなく、研究者然とした少女も目を細めこそするものの男を観察するに留まった。だからこそ話は拗れることはなく、男が一息入れることで無事、話に区切りがついた。
Tips 名ウマ娘は血統から産まれるのか?
父親と母親が共に、ウマ娘の設計図となるXu因子を持つ。もしくはどちらかがXu因子を持ち、もう片方がそれを抑制しないXo因子を持つことでウマ娘が産まれてくる。その逆にウマ娘がヒトの男を産む場合は、番となる男からY染色体を得てウマ娘からXuかXoの因子を継承することになる。
この時、重賞勝利経験があるウマ娘や名家の血統となるXu因子を持つヒトの男は、競争において強力な形質を求める特定の人間たちに取って価値のある者とされる。一方ででXo因子の男も、ウマ娘の間に生まれたウマ娘は、ウマ娘として母の形質を継ぎやすく強力な母型の血を繋げるという点で価値があるとされる。
この血統理論は中世では近親交配の話であり、近世の見合い婚で男の家系に求められた素養の一端である。現代では一部のウマ娘たちが破れた夢を子供に託す際に使われる精子バンクで、その精子の価格や人気を左右する要素である。そしてこの配合を連綿と続けて来た結果、現在では名家や良家と呼ばれる血筋も存在する。