2016年 6月 29日(水)
神津市 東区 烏丸超常探偵事務所
「あ、悪霊ですか…!」
「僕達で対処しておきましたけど、気にかかることがありまして……」
探偵事務所に出勤した二人は昨夜の件を事務所の所長である健吾に報告していた。最初こそ、霊絡みの問題に【怖がり】を発揮した健吾だったが、血文字の張り紙の話題になると探偵事務所の所長らしく真剣な面持ちになった。但し、その頬には冷や汗が流れていたが……。
「…ふむ。10年前に殺されたですか…それに、犯人は社長に役員と……」
「はい。写真を撮っておいたので、後で見てください」
「分かりました」
「それと、今回の件はユゴス出版の小山さんにも報告する予定です。元々、彼女からの依頼で件の会社のアルバイトを受けましたから」
「そちらも承知しました。この類の調査は彼女やその相方の方が得意分野ですからね」
ふぅ、と大悟は安堵の息をつく。人畜無害を装いつつも腹黒いところのある健吾ならば、その捜査能力を遺憾なく発揮して真実を白日の下に晒してくれるだろう。それを確信できる程度には、大悟は健吾の善性と捜査能力を信用していた。
しかし、健吾の口にした「彼女やその相方」という言葉には首を傾げてしまう。烏丸超常探偵事務所に所属してから三ヶ月も経過していない大悟にはまだ知らないことの方が多いのだ。
「相方?」
「そう言えば、大悟君はまだお会いしたことがありませんでしたね。小山さんには、
それを聞き、大悟が思い出したのは藍子のマネージャー……正確には、元マネージャーのクソ野郎に引導を渡した時の出来事だった。
《テメェ……! 何かしやがったな……!?》
《私は何もしておりません。ただ、別の腕利きの者が、調査結果を持って御社に伺っております》
《クソがぁ……!!》
恐らくは、調査結果を持って藍子の所属していた芸能事務所に殴り込みをかけた別の腕利きの者とやらが、その草壁明夫という人物なのだろう。以前の芸能事務所と契約を解除した藍子に新しい芸能事務所を紹介したりと美雪は妙に幅広い人脈を持っている。
4月21日(木曜日)に神津市・中央区では大規模な暴動事件が発生した。それ自体は”狂気”の発生源である『生けるオルガン』を破壊したことで収まったのだが、その裏で
その事件とは、元マネージャーによる心理的児童虐待を含む悪質行為である。藍子を金を稼ぐための商品と認識していたその男は、藍子の人生を自分の思い通りになるように弄んでいた。
《ま、それがお前の人生なんだよ。商品は商品らしく、黙って俺の言う事だけ聞いとけや》
前述の通り、同日に発生していた狂気の影響もあって口を滑らせた元マネージャーは、美雪の所持していたボイスレコーダーが決定的な証拠となり児童虐待防止法等違反の容疑で逮捕された。
結果として、藍子の元マネージャーは社会的死を迎えることになり、藍子は他の芸能事務所に移籍することになった。ユゴス出版の関係者が裏で手を回してくれたおかげもあって、現在は美雪の知り合いのタレントと同じ芸能事務所に所属している。
尚、その芸能事務所には大悟の知り合いである元アイドルのホラー女優も所属しており、ピアノの演奏が特技という共通点もあって藍子と仕事をするのを楽しみにしている。藍子の入院部屋で出会した時にはお互いに驚いたものである。
その時、同行していた者は大悟の人脈にこそ驚いていた。当の本人は、自分で築いた人脈ではないと謙遜していたが。
「さて…お二人共、お疲れ様でした。報告書を完成させたら今日は上がってください」
「えっ! いいんですか!?」
「本来だと昨日今日はお休みの予定でしたから。正式な休暇はまた別の日に改めてご用意します」
元々、健吾は出張から帰って来た大悟達に休暇を言い渡すつもりでいた。その予定を撤回することになったのは、大悟達が連れ帰った被花と彼岸に現代日本を案内する必要があったからだ。百年以上前の人間を事務所に連れ帰るなど想定できるはずがない。
職務内容の安全性は深淵よりも深い闇の如くドス黒いものであるが、職場環境に関しては驚くほど真っ白なのが烏丸超常探偵事務所である。
「よっしゃ! 遊びまくるぞー!」
歓喜の声を上げる凛太郎。あまりの喜びように、大悟は苦笑するばかりである。
「…でも、そうだな。中央区の商店街にでも行こうかな?」
「あ、なら一緒に行きます? マジック:トゥ・ギャザーのカードを買いに行くんですが……」
「ギャザか……うーん、今は特に欲しいカードは無いんだよなぁ……」
被花と彼岸の方をチラリと見て、大悟はいいことを思いついたと言わんばかりの表情をした。
「それなら何か食べに行かない? ほら、被花と彼岸の歓迎会も兼ねてさ」
「私たちの歓迎会ですか…?」
「そ。丁度臨時収入が入ったところだから、このお金で今夜はパーッと楽しもう!」
「いいですね! 偶には美味しいものでも食べに行きましょう!」
凛太郎の同意を得たところで大悟は被花と彼岸に改めて視線を向ける。彼女たちはどこか遠慮がちな様子でこちらを見つめていたが、その瞳の奥には期待の色が見え隠れしていた。それもさもありなん、日本人の食にかける執念は生半可なものではない。百年の時を経て磨き抜かれた日本の食文化は彼女たちの胃袋をガッシリと掴んでいた。百年以上、食事を摂っていなかった二人には、現代日本の食事は劇薬だった。
「あ、じゃあアタシも一緒にいいですか? 歓迎会ってことで経費で落としますから」
「え?」
「経費でですか?」
「はい。大悟さんのお陰で誰かさんが無駄遣いしてた分の赤字が無くなったので。歓迎会に使うくらいの余裕はありますよ」
ジロリと恵里に視線を向けられた誰かさんはヒューヒューと下手な口笛を吹いている。
「所長はどうします?」
「…すみません。僕と礼子さんは用事があるので歓迎会には参加できません」
「ごめんなさいね。本当は、私達も参加したいところなのだけど……」
と、残念そうな顔で歓迎会を辞退する健吾と礼子。どうやら、二人にはどうしても外せない用事があるようだ。それなら仕方がないと残りのメンバーで被花と彼岸の歓迎会を開くことにした。そうして、被花と彼岸の歓迎会を開くことが決まったところで大悟の前に楓がやってきた。
「あの…大悟さん、歓迎会の前に少しだけ付き合ってくれませんか?」
「それは別に構わないけど……急にどうしたの? 何に付き合うのか聞いてもいいかい?」
「はい。大悟さん、私と本気で勝負してください!」
「え?」
「お願いします! 私と試合をしてください!」
楓の言葉に、少し面食らった顔をした大悟だったが――
《楓ちゃん、私と勝負して。本気で》
《え?》
《おねがい。私の挑戦、受けてください》
楓と、その先輩兼空手仲間の
恐らくは楓にも言葉では伝えられない……拳でしか伝えられない何かがあるのだろう。そのように考えた大悟は、楓の思いを無下にはすまいとその試合に応じることにした。
「…分かった。その試合、受けて立つ」
ところは変わり、場所は東区の住宅街、公園の中央で二人は向かい合っていた。
「本気で来てください!」
黄色のジャケットを脱ぎ捨てた楓が半身の構えを取る。半身というのは相手に対して体を横に向けたまま顔は正面を向いた構え方であり、相手からの打撃面積を減らすことを目的としている。緑色のタンクトップから覗く白い肌が目に眩しく、否が応でも彼女の魅力を意識させられる。そんな自分に活を入れて、大悟もまた半身の構えを取った。
「当然! 本気で行かせてもらう!」
共に超常事件に立ち向かう仲間として楓の強さはよく知っている。ほんの僅かでも気を抜けば地に倒れ伏すことになるのは想像に難くない。そんな彼女を相手に油断などできるはずがない。神格を相手にする心持ちで、一切の油断なく
その姿に、僅かに口元を綻ばせた楓は、直ぐにその顔をギュッと引き締める。お互いに半身の構えを取ったところで、審判を買って出た姫子が声を張り上げた。
「はじめッ!」
「勝負!!」
「押忍!!」
その場を弾丸のように飛び出した楓は山の如く動かない大悟に掌底打ちを繰り出した。その動きはあまりに直線的なものであり、しかし、その疾さから並の人間には【回避】すら困難である。この一撃を前に倒れた者の数は数え切れないほどだ。
けれど、対峙する大悟も実戦レベルで【格闘技】を身に付けている。前腕部で掌底を横に受け流した大悟は、もう片方の腕で容赦なく掌底打ちを繰り出す。
大悟の扱う【格闘技】は複数の武道を取り入れた実戦向きの【格闘技】である。主に柔道・合気道・空手の三種類を取り入れたものであり、これを伯父の相棒にして師匠である人物が纏め上げた実戦武術を我流に昇華している。
この中で、薄着故に掴むところが少ないため柔道は今回使用できないが、防御の合気と攻撃の空手は使用できるため、この二つを基本とした立ち回りをする。
反射的に腰を落とすことで反撃の掌底打ちを紙一重で回避した楓は、その姿勢から突き上げるように前蹴りを大悟の胸板目掛けて叩き込む。蹴り足の膝を充分に曲げてから、腹に当たるところまで抱え込んだ脚を力強く蹴り出した。
回避不能。即座にその判断を下した大悟は自ら蹴り足に突っ込むことで、前蹴りのダメージを最低限に抑え込む。間を入れず、正拳突きを楓の脇腹に叩き込んだ。
「くっ……!」
「っ……流石ですね、大悟さん!!」
一度、互いに距離を取る。再び、半身の構えで睨み合う二人は互いのことしか見ていない。
「今なら……行ける気がします!」
「……?」
「大悟さん! 私の全力全開、受けてください!!!」
その直後、楓が目の前から消える。
「疾きこと風の如く…………」
「なっ!」
その声が聞こえてきた時には楓は大悟の懐に潜り込んでいた。驚きで目を見張る大悟の前で、楓は既に拳を握り込んでいた。親指と小指をしっかりと握り締めて中指の第二関節が相手に当たるように、何処までも基本に忠実な拳の握り方。
咄嗟に、回避行動を取ることができたのはここ数ヶ月の実戦のお陰だろう。拳の攻撃範囲から逃れようと後ろに下がろうとして――
「動くこと……」
「っ……!」
「雷霆の如し!!」
その胸部に拳が突き刺さる。大悟は、その場から動くことが出来ずに右膝から崩れ落ちた。
「……っ!! 今のは……浸透勁、か……!」
浸透勁とは、発生させた勁(運動量)を作用させる時に幾つかの処理を行うことで効率よく作用させることができる勁、或いはその方法である。中国武術に於ける力の発し方の技術である発勁に由来するものだが、本来、中国武術に浸透勁というものは存在しない。日本にて様々なメディアを通して一般化した日本発祥の定義である。
浸透という言葉から特殊なものを想像されがちだが、そもそも人体に勁を作用させると筋肉の収縮により、その威力が軽減される。例えば、棒立ちの相手に勁を発した場合、小さい勁であれば緊張させた筋肉の弾力で弾かれる、大きい勁であれば作用させた対象を移動させる結果になる。
この「弾かれる」「移動させる」という状態を『浸透していない状態』とするならば、「弾かれないように密着/粘着している」「筋肉が弛緩した瞬間を作り、その時に作用させることで移動するエネルギーにならず、体内を変形させるエネルギーになっている」といったことが、勁が『浸透した』状態である。
楓の拳は、この『浸透した』状態を大悟の体内に作り出した。弾かれることなく、移動させることもない、ピタリとその境界の数値を打撃として大悟の身体に打ち込んだ。この神業としか言い様がない一撃を前に、大悟は崩れ落ちたのだ。仮に人間の客観的能力を数値化できるとすれば、HPの半分以上、下手をすれば四分の三くらいが削り取られたことだろう。
「【疾風迅雷拳】です! 百合恵さんから教わりました!」
「百合恵さん……? それって、まさか……」
「はい! 史上最年少の空手世界チャンピオンの高山百合恵さんです!」
「いつの間に……」
「邪神との戦いから少しした頃のことです。研究所で百合恵さんと出会いました」
研究所というのはD・D・Lの研究所のことだろう。そう言えば、あの研究所には高山という名字の研究員が在籍していた……と、D・D・Lに所属する研究員の顔を思い出す。
「私は、戦うことしかできません……大悟さんは、戦うことができると言ってくれましたけど、私にはこの拳しかありません。だから、もっと強くなりたいと思いました」
「楓……」
「まだ、私の【疾風迅雷拳】は【真似】の域を出ません。この技を編み出した百合恵さんの領域には遠く及びません。それでも、いつかは自分の技に昇華して、百合恵さんを超えてみせます。誰にも負けない……最強の空手家になってみせます!」
拳を強く握る。その握った拳の強さこそが秋元楓の思いの丈を示していた。
「…勿論、恋の勝負にも負けませんから」
「え?」
「絶対、大悟さんを振り向かせます! だから、覚悟していてください!!」
そう笑顔で口にした楓はひどく魅力的に見えて――
「……ごめん。まだ僕は、家族を作るわけにはいかないんだ」
だからこそ大悟は、どこまでも続く底のない暗闇のように陰鬱な表情を浮かべていた。
九条大悟
Lv 31
HP 50/50
MP 14/14
SAN 65/65
秋本楓
Lv 31
HP 48/48
MP 12/12
SAN 55/60