ギィ、と背後から扉の開く音が聞こえた。振り返れば、古ぼけた――けれど、数秒前までのように廃墟というわけではない、趣があると表現すべき木造建築の壁が視界に入ってきた。
燭台の灯りが照らす壁の一面に両開きの扉……ではなく、片開きの扉が開かれた状態にあった。
姫子の言う通り、鏡に触れた四人は本当に別の場所に転移させられたようだ。本来ならば正気度が減少するだろう場面だが、今更転移程度で正気を失うほど彼等の経験は生温いものではない。
大悟は冷静に周囲の状況を確認すると、もう一度、門の役割を担う鏡に触れた。けれど、再び意識が暗転するようなことはなく、周囲の光景が変化することもない。あの鏡は奥に進むための一方通行の門だったようだ。
「…どうやら、もう後戻りは出来ないみたいだ」
「そうみたいですね。尤も、俺達もこのまま後戻りするつもりはありませんが」
元々、大悟達がこの場所に来たのは行方不明になった遠藤健二を捜索するためである。
仮に今すぐ元の世界に戻る方法があったとしても、捜索対象である遠藤健二を見つけずに元の世界に戻るわけにはいかない。あの海底神殿のように自由に侵入できる場所ではないのだから、この一度の探索で遠藤健二を見つける必要がある。
その結果がどれほど悲惨であろうとも。それこそが、彼等の果たすべき目的であるのだから。
「気をつけろよ。どうも、ここは予想していたよりもずっとやばい場所みたいだぜ?」
「…そんなにやばい場所なのか?」
「ああ。オヤジやアタシとは違うやばさだ…こいつは骨が折れそうだぜ」
それでも姫子が神の一柱である事実は変わらない。その彼女が「やばい」等と評するということは、この空間が相当な危険地帯であることを意味している。
それを理解する三人は、今回も一筋縄ではいかないようだ、と改めて気を引き締める。
「早く息子さんを探しに行きましょう!」
この空間の中で普通の人間が長時間生存することが不可能なのは百も承知だ。本当に、捜索対象である遠藤健二がこの世界に迷い込んだのならば、生存は絶望的だろう。もう既に彼は死亡していると考えるのが自然のはずだ。
だが、彼等が遠藤健二の死亡を確認したわけではない。
シュレーディンガーの猫という猫の生死に関する思考実験が存在する。
蓋のある密閉状態の箱を用意して、その中に猫を一匹入れる。箱の中には他に少量の放射性物質と
この状態では、「観測者が箱を開けるまでは、猫の生死は決定していない」とされている。
原子がいつ崩壊するのかは確率的にしか説明することができない。観測者が見るまでは、箱の中の原子が崩壊している事象と崩壊していない事象は重なり合って存在している。観測者が確認をした瞬間に事象が収縮して結果が定まる。
即ち、遠藤健二の姿を確認するまでは彼の生死は確定しておらず、大悟達が彼の姿を確認した時に初めて事象が収縮して、遠藤健二の生死が確定する。生存の可能性はゼロではない。
ならば、0.1%でも可能性があるのならば、彼等四人が遠藤健二を捜すだけの理由になる。
「…随分と雰囲気のある場所ですね」
「おばけが出てきそうです」
「ここに来たのが僕達で本当によかった。烏丸所長はこういう場所が苦手だろうから」
「メガネはビビリだからなー」
大悟達は軽口を叩きつつ薄暗い廊下を真っ直ぐに進んでいく。燭台に灯る火が廊下を照らす唯一の光源であるため、少しでも視界を確保するため先頭に立つ大悟は懐中電灯を使用している。
職務上、夜間に行動することも多い烏丸超常探偵事務所の調査員は、各自でライターや懐中電灯等の光源となるものを持ち歩いている。
そのお陰で、この太陽の光の届かない空間でも十分なだけの視界を確保することができていた。
「【紅蓮】…と、これで火が付きました」
技能:【紅蓮】
榊凛太郎 :MP 12- 4= 8
廊下の突き当たりには火の灯っていない燭台が置かれていた。凛太郎が火を操る【紅蓮】の能力で蝋燭に火を灯すと、その火が燭台の傍らにある木製の引き戸を照らし出す。
「あっ! 棚があります!」
蝋燭の火が照らすのは何も引き戸だけではない。その廊下は突き当たりでコの字に折り返す間取りとなっており、その先には三段の桐箪笥が壁を背にするように置かれていた。
調査の時、収納棚の引き出しは下の段から中身を確認していくのが効率的な調査方法である。
一番下の引き出しを開けると、そこには金色の鍵が入っていた。その鍵を拾い上げた楓は満面の笑みで見せつけてきた。
「鍵です!」
「この鍵は何処で使うものでしょうか?」
「ここで使うものみたいだぜ」
その言葉で、視線を向けた先には引き戸を調べる姫子の姿があった。どうやら、引き戸には鍵が掛けられているらしく、ガタガタ横に動かそうとしても戸は微動だにしない。
丁度、金色の鍵を差し込めそうな鍵穴があったので、物は試しにと金色の鍵を差し込んでみるとその鍵穴にピタリと嵌まり込んだ。
そのまま金色の鍵を時計回りに回すと、戸に掛かっていた錠を外すことは出来たのだが――
「あっ、鍵が…!?」
その直後、金色の鍵はサラサラと崩れ落ち、跡形もなく消え去ってしまう。
「あの鍵は使い捨てだったようですね……まるで、ゼ○ダの伝説の小さなカギみたいです」
「これは、鍵を探すより扉を壊す方がいいかもしれない。本当は鍵を探すべきなんだろうけどさ」
「そうですね。一度の使い切りとなると、あれば鍵を使うでいい気がします」
引き戸を開けると、正面の通路は格子状の仕切壁に塞がれていた。げんなりした顔で仕切壁を調べてみれば、扉の反対側に行くための扉には、案の定、鍵が掛けられていた。
入って左側は小部屋のようになっており、更にもう一つの通路に繋がる扉が存在している。
恐らく、あの扉の先で新しい黄金の鍵を見つけてこいということなのだろうが、そんな面倒臭いことしていられるかと言わんばかりに、姫子は仕切壁に向けて【破壊】の力を解き放った。
技能:【破壊】
小鳥遊姫子:MP 21- 9=12
技能:【古き血族】
小鳥遊姫子:SAN89- 1=88
古き血族である姫子は
人の精神が恐怖を乗り越えることで成長するのならば、神の精神は人の心を学ぶことで狂気からかけ離れていく。なので、本来姫子が攻撃行動をするのは望ましいことではないのだが、本質的に人と相容れることのない彼女がそんなことを気にするはずもなく。
一切の躊躇なく、格子状の仕切壁の扉部分を右掌から放つ【破壊】の衝撃で粉々に粉砕した。
シャン! シャン! シャン!
そんなことをすれば、この異界の住民が気付かないはずがない。耳にするだけで不安を掻き立てられる鈴の音が廊下の奥から近付いてくる。警鐘を鳴らすように蝋燭の火が明滅を繰り返す。
やがて、大悟達の前に現れたソレの見た目を一言で言えば、能面を被った着物の女というのがわかりやすいだろう。神楽鈴を鳴らしながら近付いてくるその女からは、得体の知れない不気味な雰囲気を感じ取ることができた。
その気配が、何の容赦もなく脆弱な人間の精神を蝕んでいく。
判定:《正気度》ロール(1/1d3)
榊凛太郎 《正気度》65 → 56 成功(SAN65→64)
秋本楓 《正気度》60 → 03 成功(SAN60→59)
とはいえ、その程度で狂気に堕ちるほど彼等の精神は軟弱なものではない。凛太郎は冷静に鞄の中から撮影用のカメラを取り出すと、神楽鈴を振りながら近寄ってくる怪人の写真を撮る。
依頼で現場写真が必要な時があるので写真を撮るのが癖になっているのだ。また、異形の存在の写真を集めているユゴス出版という企業が存在しており、写真を高額で買い取ってくれるというのも異形の写真を撮る理由の一つである。
「…見たことない種類の異形ですね」
「この異界特有の異形なのかな……何にせよ、今ので向こうも此方に気が付いたみたいだ」
「来ます!」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン……!
カメラのフラッシュで四人の存在に気が付いたのだろう。一定間隔で振っていた神楽鈴を激しく振り回しながら、神楽鈴の徘徊者はこの世界に侵入した不届き者に襲いかかる。
その速度は、何の力もない普通の人間が逃げ切るのは困難な程度に素早いものであった。
尤も、神楽鈴の徘徊者が目を付けた者達は普通の人間などではない。異形の存在に立ち向かうだけの勇気と力を持った現代の戦士達だ。
「――よっ、と!」
大悟達の中で最も速いのは【ワイルドハート】の能力により、戦闘時限定でDEXが17に上昇する楓である。【ワイルドハート】は多くの動物達の信頼を得たことで【ワイルド】が成長した能力であり、戦闘時限定で攻撃力・DEX・INTを1上昇させる効果を持つ。
だが、本来最速の楓はわざと行動順を遅らせることで、楓に継ぐ敏捷性の持ち主であるDEX16の姫子に最初の一撃を任せることにした。
技能:【束縛】
小鳥遊姫子: MP 12- 5= 7
姫子が行使したのは【破壊】ではなく【束縛】の能力である。姫子の手から伸びた光のムチが神楽鈴の徘徊者に巻き付くと、そのまま神楽鈴の徘徊者を強引に大悟達の下へと引き寄せる。
技能:【疾風】
秋本楓 : MP 12- 4= 8
そこに、行動を遅らせていた楓が【疾風】の如く飛び込んだ。胴体を拘束された神楽鈴の徘徊者は防御することも出来ずに、その胸部にナックルダスター付きの拳を叩き込まれた。
「覇ァ!」
身体をくの字に曲げて吹き飛んだ神楽鈴の徘徊者は背中から壁に叩きつけられる。壁伝いにズルズル崩れ落ちる神楽鈴の徘徊者が動き出す前に、大悟は間髪入れずに迫撃の一撃を叩き込んだ。
「【蒼氷】!」
技能:【蒼氷】
九条大悟 :MP 14- 4=10
氷結攻撃。大悟の放った【蒼氷】が神楽鈴の徘徊者の胸の中央に直撃する。噴き上がる冷気が神楽鈴の徘徊者を凍りつかせる。
もはや神楽鈴の徘徊者は身動きすることすらできない。そんな神楽鈴の徘徊者に止めを刺すべく最後の一人――榊凛太郎は、その右掌に収束させた【紅蓮】の炎を解き放った。
「【紅蓮】!」
技能:【紅蓮】
榊凛太郎 :MP 12- 4= 8
断末魔の悲鳴を上げることすら出来ずに神楽鈴の徘徊者は【紅蓮】の炎の中に消えていく。後には、燃え尽きた人型のナニカと、煤を被った神楽鈴だけが残されていた。
無事、大悟達は神楽鈴の徘徊者との戦いを生き延びた。恐怖を乗り越えた三人の人間は少しだけ能力者として成長を遂げ、姫子は人の体が馴染み、その存在を正気寄りにする。
「扉を破壊することはできるみたいですが…その場合、今の異形と戦うことを覚悟する必要があるみたいですね」
今回の戦利品である神楽鈴を拾いながら、凛太郎は険しい表情で自らの考察を告げた。
この世界には、鍵の掛けられた扉が存在している。その扉は金色の鍵で開くことができるが、金色の鍵は一度の使用で消滅してしまう。
異能者である四人はこの鍵の掛けられた扉を問答無用で破壊することができる。この場合、金色の鍵を必要とせずに扉の先に進むことができるが、その代償として破壊音を聞きつけた異形の存在と戦闘をすることになる。
この状況で全ての扉を破壊すると言うのが愚策中の愚策であるのは間違いないだろう。何せ、この異界がどれほど広いのかを四人は知らないのだ。
超能力で回復することのできる
無論、鍵を探す最中に異形の存在と遭遇する可能性もあるので、鍵を使うことに固執するのも問題ではあるのだが、余計な戦闘を避けるために金色の鍵を探すのも忘れてはならない。
要は、金色の鍵を使用する正攻法による突破と、扉を強引に破壊する強行突破の二つを使い分ける必要があるということだ。
「それなら先に進む前にこっちの通路も調べてみましょう! 鍵があるかもしれません!」
楓の提案で、大悟達はもう片方の通路の先を調査することにした。小部屋の中には特に目ぼしい物は無かったものの、通路の先の壁には2本の金色の鍵が掛けられていた。
回収した二本の鍵を鞄の中に入れて、破壊した扉の先に進んだ大悟達は行き止まりに辿り着く。
そこには鍵の掛けられた引き戸が存在しており、その横にある木の窓から部屋の中を覗き込むと例の鏡を見つけることができた。
どうせすぐに次の場所に転移するのだからと、金色の鍵を使わずに扉を破壊した大悟達は、背後から迫り来る鈴の音をBGMに、門である鏡に触れるのだった。
九条大悟
HP 50/50
MP 14/14
SAN 65/65
榊凛太郎
HP 48/48
MP 12/12
SAN 64/65
秋本楓
HP 48/48
MP 12/12
SAN 59/60
小鳥遊姫子
HP 48/48
MP 21/21
SAN 88/90
所持品
・混沌の神楽鈴
・金色の鍵×2