深夜、街の路地裏で一人の少年が息も絶え絶えになりながら何かに怯えて逃走していた。
表の大通りはまだ
「はあ、はあ、空隙のッ……魔女……!」
「どこの蝙蝠か知らんが、魔族がこの島で暮らす以上は登録証を付ける必要があるぞ。“『聖域条約』”。まさか知らんわけではあるまい」
少年の頭上から、呆れるほどのバカの相手をさせられて疲れたというような声音で語りかけるのは、ゴシックロリータを身に纏った少女のように見える。
ともすれば少年よりも幼く見える彼女だが、その実年齢は立派な大人。
“魔族殺し”の空隙の魔女、南宮那月。
とある一件で世界中の一般魔族たちを恐怖させた有名人だ。
人類と魔族は長年にわたり抗争を続けてきた。宿敵であり戦争相手である筈の両者は、しかしそのぶつかり合いによる被害を無視できなくなり共存を模索するに至った。
どのような魔族でも登録証さえ身につければ人類の領地でも一般市民として受け入れられる。
その価値観が住民一人一人にまで浸透した、世界でも有数の場所。
魔族特区
日本東京都絃神市。
通称絃神島。
そこでは様々な種族が混在して過ごしている。
普通の人間、魔女、
獣人、巨人、精霊などなど。
そして勿論“吸血鬼”も。
吸血鬼は一般的に最強の魔族と呼ばれる。
しかし吸血鬼自身の肉体性能は「人間よりも優れている」程度でしかなく、獣人などには劣る。
では何故そんな種族が最強なのか。
その理由は彼等が血の記憶に宿す“眷獣”に他ならない。
実体化するほど濃密な魔力の塊。
異界からの召喚獣。
召喚・使役の代償は寿命。
無限に近い負の生命力を持つ吸血鬼にしか扱えない。
「差し止めろ────
少年から膨大な魔力が吹き荒れる。
実体化するほど濃密な魔力の塊を、異界から召喚したのだ。
未登録魔族が、国家攻魔官の目の前で。
「……!」
巨大な鳥。
しかし、その半身はまるで毒で融解したかのように存在しなかった。
その奇妙な姿の眷獣に睨まれた瞬間、南宮那月の身体が指一本動かなくなる。
「(ほう。身のこなしが明らかに素人だったから若い世代だと思っていたが、この出鱈目な魔力量は古き世代……それもかなりの上位に匹敵するな。それに身体だけでなく魔力の動きすら止められるとは、かなり強力な能力の眷獣らしい。魔術が一切使えん)」
空隙の魔女もこうなれば無力。
と、油断していた少年は背後から迫る別の影に気がつかなかった。
「
突然現れた妙に綺麗な顔の青髪の少女が背中から巨大な腕を生やし、少年を眷獣ごと殴り飛ばす。
殴られた少年は路地を強制滑空して建物の壁面にぶつかり、一瞬で意識を失った。
あの空隙の魔女が、油断などするはずもない。
元から仲間が居たからこその“余裕”。
「こいつ、使えそうだな」
終始その顔に余裕を携えていた魔女が、にやりと口角を上げた。
◇◇
南宮那月は私立彩海学園の教師である。
過去には魔族相手に少しだけやんちゃしたこともあるし、今でもお上に請われて国家攻魔官をやってはいるが、本職はあくまで教師なのだ。
そんな彼女はつい先日、たまたま丁度良い駒を拾った。
真祖直系、それも第二世代の王女様が気まぐれに人間を拾い血の従者(一代限りの吸血鬼)にした。
だがその
しかし魔族になってしまったため本土には居場所がなく、藁にもすがる思いで魔族特区絃神島に不法入国(逃亡なのでパスポートなど当然ない)した。
飼い主だった吸血鬼以外は少年に微塵の興味もなかったため、追手の心配はないのが唯一の救いか。
そんな行き場のない、けれど力はある、精神性も人間のそれと変わらないという、まさに「使ってください」と言わんばかりの鴨葱。
じゃあ遠慮無く。
そんな感じで今日も今日とてご主人様の命令に従う
「待って下さいよ、お嬢」
「お嬢ではありません、叶瀬夏音でした」
私立彩海学園中等部の廊下で、綺麗な銀髪碧眼の少女を追いかける少年。
周囲の生徒達はみな、モーゼの割った水のように避けながらその様子を興味深げに観察している。
「待って下さい叶瀬夏音さん」
「はい、なんでしょう」
「うおっ」
先程まで背を追っていた相手がいきなり立ち止まって振り向いた。
そうなると、思春期の少年の目の前に少女の顔面が突如現れることになる。
しかもその顔がこれでもかと言うほど整っているのだから心臓に悪い。
少年が思わず仰け反ってしまったのも仕方がないだろう。
まあ仰け反った理由はそれだけではないのだが。
「せめて行く場所と目的ぐらい教えてくれませんかねぇ。こっちも仕事……まあ仕事なんですわ悪いけど。学校の敷地内、ですよね? そしたら安全だし俺も面倒、じゃないや。とにかく付いていくの諦めますから」
「……ごめんなさいでした!」
「あ、ちょっとお嬢!」
そんな失態を犯せばあの傍若無人な飼い主になにをされるかわからない。
そんなマイナスな思考から、必至に少女の後を追う少年。
「うわ、逃げる女の子を無理矢理追い回してるぜ」
「ストーカーかしら」
「さいってー」
「クソ、好き勝手言いやがって……!」
ここで弁明しても見苦しいだけで逆効果になることを雰囲気で察せられる程度には周りの視線が痛すぎた。
編入してきたからここ数週間、少年はとびっきり浮いていた。
◇◇
『この小娘を護衛しろ。何もないとは思うが、万が一何かが起こってあのバカに誘爆したら目も当てられん』
飼い主である南宮那月にそれだけ言われて、詳しい事情も説明されずに勝手に護衛役にされた少年は、その対価として与えられた『私立彩海学園の生徒』としての身分と住む場所を捨てられずにやむを得ず従っていた。
どうやら護衛役の少年にすら詳細を語れないほどの厄ネタらしき雰囲気であったが、しかし「何も起こらない可能性の方が高い」と言われれば断り切れない。
もし断れば、不法入国者兼聖域条約違反者として、中学生にして犯罪者確定なのだ。
「しかし最悪だ……」
この少年、とある理由で美人が苦手なのだ。
特に年上の美人が本能的恐怖を掻き立てるのだが、同い年や年下でも「将来美人になりそうだな……」と思うとちょっと近寄りたくなくなってくる。
しかし普通の男よろしく美人美少女にドキリと胸が高鳴る機能は健在だ。
胸が高鳴り赤面しちゃうけど、怖い。
そんな矛盾した彼のもっぱらの悩み。
それは護衛対象が明らかに美人の卵なことである。
なんなら中学生にしてもう既に美人なのである。
顔面が整いすぎて、魅了の魔術でも使っているのかと疑いたくなるほどの美少女。
学内では“中等部の聖女”などと呼ばれている彼女は、同い年の中では少年が最も苦手とするタイプの相手だ。
「合法的にメスに付きまとえるチャンスなのだから、もっと喜べ」
南宮那月は何故か学校にバカでかい私室を持つ。
ゴスロリファッションにマッチしたアンティーク調の内装だ。
昼休みに少年はそこで飼い主へ報告を上げに参上したのだ。
「無茶苦茶言いますね、ご主人様。それで報告ですが、学校のすぐ近くに壊れた礼拝堂みたいな建物あるじゃないですか」
「ああ、あったな」
「どうやらお嬢はあそこで捨て猫の保護活動をやっているみたいで」
「あそこは……確かここの敷地内だったか。学内への生き物の持ち込みは禁止されている。小娘がお前から逃げていたのはそういうことか」
「俺がご主人様の駒だから、俺経由で教師のご主人様にバレてしまうと思ったんですね」
「実際バラしているしな」
「……言わない方が良かったですか」
「言え、馬鹿者。突然忘れっぽくなる事があるかもしれんが、そのタイミングは私が決める」
「ほへー」
間抜けな声を漏らした少年が南宮那月に扇子で叩かれた。
頭を抑えてうずくまる少年から察するに、かなり容赦のない威力だったことがうかがえる。
「私の持ち駒がそんな間の抜けた言動を取るな。主人である私の品性まで疑われる」
人はそれを教育という。
またの名を愛の鞭……いやこれは違うかもしれない。
「いかんな。最初の手駒──アスタルテが素直且つ優秀だったせいか、ギャップで頭が痛くなってくる」
「そりゃ姉さんと比べられたら俺なんてミジンコみたいなものですよ」
「自慢げに言うな」
「あいたっ」
彼は姉さんと呼ぶが、実際には血の繋がりはない。
戸籍上の繋がりもない。
だが少年は彼女のことを実の姉のように慕っているし、彼女も満更ではない関係が築けていた。
「で、報告に戻りますけど。その猫たちを拾ってきては里親を探し、拾ってきては里親を探しの繰り返しだそうで、猫の数が増えて減ってのループ状態みたいですね。ちなみに今はちょっと大所帯です」
「猫、か……。悪くないな」
「お待たせしました。新しい紅茶が入りました、教官」
「良いところに来た、アスタルテ。今晩は猫鍋だ」
「
「ちょっとご主人様!? 姉さんも! 冗談に聞こえませんからやめてください!」
アスタルテ、本編では古城が眷獣の支配権を得たことによる「延命」とあったけどアペンド1では「吸血鬼の不死身性の一部を分け与えられた」と書いてあった。
アスタルテの寿命についてはかなり解釈の幅があるのだろうか。