「…」
ここは海軍本部。マリンフォード。
私は自室の窓から、眼下に広がる海兵の皆の様子をぼーっと眺めていた。
最近の私は、こんな風に過ごしていることが多い。
目的を見失ってしまったというか。何をすればいいのかわからないというか。
「…〜♪」
そんな時でも、歌は私の心を癒してくれる。
別に私は何かを失ったわけじゃない。私は変わらず海兵で、友達も、仲間もいてくれる。私の歌を聞いてくれるファンの皆も、私が助けた人たちも、皆がいてくれる。私は決して1人じゃない。
だけど。
私が…全てを曝け出して、全てを預けた人だけは、この世に1人しかいない。
「…ルフィ…っ」
歌を歌うのは楽しい。だけど、歌っているとすぐに脳裏に浮かんできてしまうんだ。だって私は、ルフィの音楽家なんだから。
そして思い出す度に…途方もなく寂しくなって、泣き出してしまう。
私は弱い。
必ずルフィの元に戻るって…約束したのに。
私は、もう一度ルフィと会うのが…怖くなっていた。
【“世界経済新聞”本社】
「うっひょー!こりゃ“ビッグ・ニュース”だなァ!!“海の天使”関連のニュースはウケがいい!よし、一面に飾れ!!」
“世界経済新聞社・社長”モルガンズは、社員から送られてきた写真を見比べて目を爛々と輝かせていた。
そこに映っているのは、つい昨日“
「ですが社長、これは海軍の失態を報じる内容で…“世界政府”からの圧力がかかる可能性が…!」
「知るかよそんなモン!人の口に戸は立てられねェ!!ウチが新聞の“覇権”握ってるのは何故だ!?こういうフレッシュなニュースを逃さねェからだろ!!」
モルガンズは拳を振り上げ熱弁を振るう。その瞳は、“事実”を報道するという責任感に駆られてか…あるいは単に人を沸かせる悦びに魅入られたのか、どこか狂気的な色を持っている。
「運べ!!売り尽くせ!!世界中にこの“事実”をバラ撒け〜〜〜!!」
【“
「…なるほど。それで“ウタ少将”はあのような状態に…」
「わしも話に聞いただけじゃが…断言できる。ルフィがウタを忘れることなど万に一つもあり得んとな…!!まァ、十中八九プリンが絡んでおるんじゃろう。証拠がない以上、追及のしようもないが」
「“メモメモの実”か…」
海軍本部“元帥”センゴクは、執務室にて相変わらず我が物顔で居座るガープと顔を突き合わせて話していた。
ボリボリとおかきを貪り食らう姿はいつもの通りだが、その顔は常に顰めつらだ。
「“海の天使”といえば、その名声はもはや世界に轟いている。戦いの意味すら失い、泥沼化した戦争を歌声だけで鎮めたという伝説に始まり…献身的な市民への尽力。前線に立ち戦いへ身を投じる勇姿。電々虫を通じて世界を巡る歌声は…今や“海軍に歌姫あり”と言わしめる影響力だ」
「他人事のように言うでないわ。この10年間を見ていればわかる。その名声に偽りなどカケラもないことはな…!!ウタは本当によく頑張った。海軍内でも皆口を揃えて言うわ。「ウタは海兵の鑑だ」とな」
「…その結果がこれか」
センゴクは新聞を広げ、その見出しの記事の内容を見た。
『“海の天使”、“七武海”を撃退も不落の要塞ローグタウンから初の脱走を許す』
「ガープ、ウタは立ち直れそうなのか。しばらくは休暇を取らせているが…良くない噂も立っている。今や海軍の顔となった彼女が“海賊”に肩入れしているのではないかとな」
「…まァ、本当のことを言えというなら、肩入れなんてもんじゃないわなァ。ウタにとってルフィは…生きる目的だったはずじゃ。10年間、ウタがどれほどルフィを想っていたかはよう知っとる…ショックなどという言葉では表しきれん喪失感じゃろう」
「…厳しいことを言うようだが、元帥という立場である私からしても…今の彼女を“海賊”の身に堕とすことは、看過できないぞ」
「わかっとるわ。わしもウタを慰めるために色々と手を回した…誰か1人だけに責任があるということはない。10年間ずっと目を逸らしていた問題が、ここにきて表出したというだけの話じゃ」
ガープは座っている椅子の背もたれに身を預け、深く息を吐いた。
「…結論を出さねばならん。ウタは“海兵”なのか、“海賊”なのか…!」
「…」
私は、あてもなくマリンフォードを彷徨い歩いていた。
すれ違う海兵の皆は、私のことを心配して声をかけてくれる。それに私は明るい声で返事をして、なんとか心配させないように努める。
…どこか、人目に付かないとことに行きたい。
そんな思いで、私はやがてある場所に辿り着いた。ここは”稽古場“だ。それも古い建物の中にあって、今は殆ど使われていない場所。
私は建物の中に入っていき、しばらくはここにいようと思ってから…気づいた。
音がする。人の声と…あとは、竹刀を振るう風切り音。
「…誰かいるのかな」
私は、どこか必死さを感じさせるその音に釣られて、稽古場へと入っていく。
「たぁーっ!!!」
そこにいたのは1人の少年だった。そしてその少年を見た瞬間、私は直感する。
この人は、ルフィに会ったことがある。
「…」
私は見つからないように部屋の隅に座って、その少年を観察することにした。覗き見はちょっと趣味が悪いと思うけど…興味が湧いたのだ。
強くなろうとひたむきなその姿が…かつての私に重なった気がして。
「はぁ…はぁ…!ダメだ、こんなんじゃ…!!」
少年は汗だくになりながらも、休むことなく竹刀を振り続けている。
その姿を見ていたら…なんだか私は彼が羨ましくなってしまった。一体彼は、何のためにそこまで頑張れるんだろう。
何が、彼の原動力なんだろう。
「こんなんじゃ…ルフィさんに笑われる!!」
「…え?」
「え?…あっ!!」
その”名前“を突然彼が呼んだものだから、私は思わず声を出してしまい、それに気づいた彼が私に気づいてよそ見をして…。
「あだっ!!!」
つま先をトレーニング用品に引っ掛けて、盛大に転んでしまった。
「…だ、大丈夫?」
「いたた…!って、うわァ!!だ、大丈夫です!!」
私は立ち上がり、彼に近寄る。
「見せてみて。軽い怪我でも後遺症で大変なことになっちゃったりするんだから」
もし捻挫とかをしていたら大変だ。その状態で訓練を続けるのは危ない。私は彼の足に顔を近づけた。
「いえいえいえ!!き、汚いですから!!離れてください!!」
「うん?あぁ、確かに私、まだ今日はお風呂入ってないけど…」
「いやいや!!僕がですよぉ!!」
しかし私が顔を近づけると、彼はずざざーっ!という感じで思い切り後ずさってしまった。
「…顔、赤いよ?熱とかあるんじゃ…?」
「い、いいいいえいえいえ!!大丈夫ですから!!」
離れた距離を私が詰め、彼の顔を覗き込む。
「おでこ見せて。熱測るから」
「そ、そんな…!!お、恐れ多いですよっ。あのウタさんにそんなことをしてもらうなんて…!!」
「…え?私のこと知ってるの?」
「し、知らない方がおかしいですよ…!!」
話を聞くに、どうやら彼は私のことを知っているらしかった。
会ったことは…なかったと思うけど。
「“ウタ中佐”…いえ、もう“ウタ少将”でありましたか!僕にとっては、あなたは憧れでしたから…!ま、まさかこんな所で出会えるとは…!!」
「…そんな大した人間じゃないよ、私は」
「いえいえ!!そんな!!世間的にもすごい人気ですし…!!それに僕の、その…“友達”も!あなたのことを僕に話してくれましたから!」
「…友達」
…さっきも名前が出てたけど、やっぱりこの人…。
「あっ、も、申し遅れました!!自分、雑用係の“コビー”と申します!!ウタ少将のご活躍はかねがね…この度の昇進、誠におめでとうございますと言いますか…っ!!」
「コビー君ね。うん、覚えたよ。よろしくね」
「〜〜〜!!!」
私は右手を差し出し、コビー君の右手をこちらから掴んで握手をした。
これで友達だ。
「…ウ、ウタさんの手を握ってしまった…!!もう洗えない…!!」
「ねぇ、コビー君…今、私のことを知ってる友達がいるって言ったよね?それって…」
私は、覚悟を決めてコビー君に聞いた。
「あ、はい!ルフィさんのことですよね。やはり、本当にお知り合いだったんですね!」
「…っ、やっぱり」
コビー君の口からその名前が出てきて…私の胸は締め付けられたように苦しくなった。
「ルフィとは、どこで…?」
「えっと、ある海賊船でルフィさんとは一緒になって…!僕、その時にルフィさんに返しきれない恩ができてしまったんです。それで、僕は海兵になるのが夢だったので、海軍に入りたいと言ったら…」
「“おれの大切な仲間が海軍にいるから、よろしく”と…!」
「…え」
それを聞いた私は、信じられない気持ちになった。
「…それ、いつのこと?」
「えっと…数ヶ月前ですね。ついこの間“
「…何かの勘違いじゃないかな?」
「…え?」
私は、いつの間にか自虐的な笑みを浮かべていた。
「だってさ…私、ルフィとは10年会ってないんだよ?そんなに経ったら…忘れちゃうでしょ?普通。だから、勘違いだと思うんだけど」
「い、いえっ、そんなことは…!ルフィさんは、本当に楽しそうにあなたの話をしてくれて…!!」
知らず知らず、私は拳を握りしめていた。
「そんなワケない!!ルフィが私のこと覚えてるはずがない!!」
「えっ…?」
私が抑えていた感情が、“怒り”となって発露する。
「そもそも、ルフィは海賊だよ!?“海軍の敵”!最低な…皆苦しめる悪人なんだよ!!」
「なっ…!」
「コビー君も、ルフィのことは早く忘れた方がいいよ…?海賊なんかと仲良くなっても、あとで辛くなるだけなんだから…!!」
私の口から、思ってもいない言葉が矢継ぎ早に出てくる。
嗜虐的な笑みを浮かべて、コビー君とルフィとの関係を否定するような、最低なことを言っている。そのはずなのに。
何故か、捲し立てている私の目から涙が溢れてくる。
「…確かに、ルフィさんは敵です。僕も、海兵になるんなら、いつかはルフィさんと戦う覚悟は決めなきゃいけません。だけど…!」
コビー君は立ち上がって、私の目をキッと睨みつけた。強い意志が込められたその目に、私は気圧された。
「いくらウタさんでも…僕の友達を侮辱するのは、許しませんよっ!!!」
「っ…!!」
私に詰め寄り、コビー君は叫んだ。
「あ…!う、うわァ !!す、すいません!!僕、とんでもない生意気なことを…!!」
そして、コビー君は一転して慌てた様子で釈明をし始め、手をブンブンと振りながら私から距離を取る。
「…ホントに、ルフィは…私のこと、覚えてたの…?」
私は、半信半疑のまま…それでも、どこか縋るような気持ちでコビー君に聞いた。もう、感情がぐちゃぐちゃで自分でも何がしたいのかわからない。
「も、勿論です…!僕だって信じられない気持ちでしたけど…誰よりも大事な仲間だって言っていました…!!」
「…〜っ」
私はそれを聞いて…。
「あ、うぅぁ…!!」
膝をついて泣き出してしまった。
「す、すいませんすいませんっ!!本当に、失礼なことを…!!」
「…ごめんっ…大丈夫、だから…!」
私はここ最近、ずっと、毎日泣いてばかりだった。
だから、もうこれで終わりにする。
明日からは…また、笑って前を向かないといけない。
だから今だけは。
「…だ、大丈夫ですから…」
コビー君は、ひたすら泣きじゃくる私を…ただ慰めてくれた。
「…ありがとう。コビー君」
私は、笑顔を浮かべてコビー君にお礼を言った。私に…“生きる理由”をくれた彼に。
誰もいない広い部屋で、私の啜り泣く声だけが…そのまましばらく響いていた。
「…」
コビーは、稽古室で一人ボーッと立ち竦んでいた。
ついさっきまでの出来事が、まるで嘘だったかのようだ。
ウタ少将はしばらくしてから涙を止め、泣き腫らした顔のまま稽古室を後にした。
“また今度ね”とだけ、コビーに言い残して。
コビーは、ウタとルフィの間に何があったのを知らない。そもそもウタ本人から言質を取るまでコビー自身も半信半疑に思っていたのだから。
しかし、ルフィの名前を出した途端に豹変した彼女の態度と、直後の涙。そして…
彼女の…恐らく誰も見てはいけないはずの“笑顔”。
「だ、ダメだ!忘れろ忘れろ〜!!」
コビーは頭をブンブンと振り、記憶の中からウタの笑顔をかき消した。
「あだっ!!」
その勢いで転んだコビーは、熱くなった顔が冷めるまで寝転んだ姿勢まま天井を見つめていた。