千年樹に栄光を   作:アグナ

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真の恋の道は(The course of true love)茨の道である(never did run smooth.)
   ──ウィリアム・シェイクスピア


聖女出立/聖者暗躍

 ……目を開く。

 静かに祈りに務めていた彼女は旅客機の機内放送によって自らが目的地に達したことを確信し、窓の外に広がる眼下の景色に目を落とす。

 

 彼女にとってなじみ深い中世の景色を現代に残したまま今にあるルーマニアの大地。ヨーロッパ最大規模の空港であるシャルル・ド・ゴール空港から二時間半と少しという彼女の生きた時代では考えられない速度で彼女が生きた時代では考えられない距離を走破したのだ。

 知識はあるとはいえ、鉄の翼が空を飛んでいる事実も、これだけの距離をこれだけの時間で潰してみせる現代の移動手段も彼女にとっては魔法よりも魔法だった。

 

 しかし浮かれている暇などない。

 此度の英霊としての現界──それはあまりにもイレギュラーが過ぎる。

 ただでさえ史上稀に見る聖杯戦争の規模であることに加えて、聖杯戦争の調律を司る自分が、今を生きる人間の体に宿って召喚されるという事態。

 

 加えて召喚の折に彼女の『啓示』が告げた明確な『聖杯大戦を止めよ』という『声』。その、調律者(ルーラー)の権限すら逸した役割を告げられたことも含めて彼女はより一層の違和感と警戒感を強く持った。

 

 何かあるのだ。此度の大戦には何かが。

 

「──主よ、どうか私を導き給え」

 

 少女レティシア──否、その体に宿りし者、英霊ジャンヌ・ダルクはその道行に幸いあれと信じる主への祈りを口ずさんだ。

 

 

………

………………。

 

 

「……ふう」

 

 荷物を受け取り、入国の手続きを済ませてルーラーは息を吐く。

 生前は戦場を駆けまわり、死線を潜り抜けてきた英霊たる彼女だが、此度の旅程はそれと同じぐらいに彼女に緊張を強いていた。

 なんせ聖杯より与えられた予備知識があるとはいえ、いきなりフランスからルーマニアへの旅行を、それも現代式で行うことを強要されたのだ。

 

 幸いなことにレティシアが旅費分の金銭や国外へ跨ぐためのパスポートを持っていたため何とか目的地には届いたものの、此処まで来るための諸々の手間や慣れない手続きの数々は到着後に思わず安堵のため息を吐く程度には、ルーラーを緊張させていた。

 

「とはいえ──結局旅費はレティシアのお金で賄う羽目になりましたし、これは後で聖堂教会か魔術協会に請求すべきでしょうか……」

 

 後ろめたさに陰鬱な呟きを漏らすルーラー。

 確かに旅費は一般的な大人がポンと出せる程度の安い移動費であったが、学生であり、また寮住まいである少女の財布には結構な痛手だ。

 如何に役目のためとはいえ、仮にも英霊として名を刻まれた彼女の誇りに懸けて守るべき弱者に負担を負わせたまま退去したのでは面目が無いにも程がある。

 

 ただでさえ憑依により神秘とは無関係の少女を聖杯大戦という戦いの場に巻き込んでいるのだ。それぐらいしなければ申し訳が立たないだろう。

 

「しかし、ここからどうやって移動しましょうか……」

 

 聖杯大戦の舞台はブカレストからさらに北東へ向かわなくてはならない。そのためには再びバスないしはそれに類する車両での移動が不可欠だ。

 だが調べる限りトゥリファスへの直通バスは存在しなかった。

 バスはせいぜいが隣接する街であるシギショアラまでであり、そこからは別の移動手段が必須になる。

 ならば、ここはヒッチハイクでもするか──。

 

 と、空港内に備え付けられていた案内板をルーラーが眺めている時だった。

 

「あら? 貴女レティシアさん? 珍しい所で会いますね!」

 

「え?」

 

 名前を──正確にはこの肉体の主の名を呼ばれ、振り返る。

 そこには一人の女性が旅行カバンを片手に立っている。

 茶髪に童顔、特徴的なシルクハットに丈長のドレス──その人物の姿を記憶しているのはルーラーではなく、レティシアだった。

 ルーラーは驚きつつ、その記憶が示す名を口にする。

 

「シャルロットさん?」

 

「はい、お久しぶりですレティシアさん」

 

 いつかサン=マロでも見えた女性。

 シャルロットと名乗った人物が出会った時、その時と変わらぬ笑顔で微笑んでいた。

 

「それにしても奇遇ですねー。まさかレティシアさんとこんなところで出会うなんて。貴女も旅行ですか? 場所は? やっぱりブラン城ですか? それともシナイヤ渓谷のペレシュ城ですか? やっぱり中世のお城は綺麗ですよねー」

 

 少女(レティシア)の知人に想定外の場所で出会ったことにより呆然としているとシャルロットは前と変わらずマイペースで話し始める。

 

「え……あ、いや、私は観光というわけではなく……」

 

 それにハッとして、慌ててルーラーが言葉を挟んだ。

 

「そうなんですか? それならどのような用事で……?」

 

「……親戚を訪ねて来たんです。歴史の勉強も兼ねてトゥリファスの方に」

 

「トゥリファスですか? あそこはブカレストから向かうバスは出ませんけど……大丈夫ですか? 迎えはあります?」

 

 咄嗟に思いついた理由を口ずさむとシャルロットは小首を傾げながらこちらの身を案じるように問いかけてきた。

 ……無論、迎えなどあるはずもなく、このまま嘘を重ねるのもどうかと思うのでルーラーはやろうとしていたことをそのまま口にする。

 

「その……ヒッチハイクでもして向かおうかと」

 

「……ふぇ?」

 

 シャルロットが気の抜けた声を漏らす。

 こちらを見ていた瞳に心配と正気を疑う色が浮かぶ。

 

「れ、レティシアさんは今一人ですよね?」

 

「……はい」

 

「その、女の子一人でヒッチハイクで見ず知らずの人を捕まえてトゥリファスへと向かうつもりですか?」

 

「…………はい」

 

「……大丈夫です?」

 

「………………大丈夫、じゃ……ないですね……客観的に」

 

 英霊であるルーラーからすれば仮に暴漢に襲われたところで簡単に退けることが可能であるが、目の前の女性……シャルロットからすれば普通の少女であるレティシアが一人で旅行しているということに加え、ヒッチハイクで以て移動しようとしているようにしか見えないのだ。

 それが客観的にみれば、どう見られるか。目の前の女性の反応は全く正しかった。

 両者の間に落ちる沈黙。

 数秒を経て先に沈黙を破ったのはシャルロットの方だった。

 

「送ります」

 

「え?」

 

「トゥリファスまで送ります!」

 

「えええ? いや、でも……シャルロットさんに迷惑をかけるわけには」

 

「迷惑も何もあるもんですか! 女の子一人でヒッチハイク旅行なんて危ないわ心配だわで見逃せるわけありません! 第一、迷惑うんぬんでいうならば此処で貴女一人を送り出した後の私の心労の方がよっぽどです!」

 

「う……」

 

 正論だった。完膚なきまでに正論だった。

 返す言葉を見失っているルーラーの手をガシっとシャルロットが掴む。

 

「幸い私も親戚を訪ねて此処に来てるので、親戚の車があります。そちらでトゥリファスまで送るのでついてきてください。いいですか? いいですね?」

 

 正に有無も言わせぬといった様だった。

 その迫力に思わずルーラーもコクコクと頷くしかなかった。

 

「は、はい……お世話に、なります」

 

「よろしい! では行きましょう!」

 

 そうしてルーラーの手を引いて歩き出すシャルロット。

 思わぬ出会いに、思わぬ出来事だが、おかげで移動手段の確保は意図せず完了した。未だに女の子一人旅が如何に危ないかを説教するシャルロットの言葉に耳を傷めながら、ともあれルーラーは聖杯大戦開催の地へと向かうこととなった。

 

 

 

「その、すいません。ご迷惑をおかけすることになって」

 

「ん? 気にすることは無いよ。シャルロット君も言っていたが、女の子一人で危ない目に遭う方が事だからね。元々シギショアラに向かう予定だったんだ。それがもう一個先の街へ向かうことになっただけだから気にする話ではないよ」

 

 結局、シャルロットの好意に半ば強制的に乗せられることとなったルーラーは彼女の親戚であるという男性の運転する車に乗車し、トゥリファスへ向かう。

 後部座席にルーラーとシャルロット、運転席に親戚の男性という構図だ。

 

「とはいえ、ここからトゥリファスへは半日以上かかる。途中に休憩もいれつつ向かうから結構な負担になると思うけど大丈夫かい?」

 

「はい、大丈夫です」

 

「本当に? 無理しちゃダメだからねレティシアさん。気分が悪くなったりしたらすぐに言うんですよ? 宿泊代とか病院代とかはどうせパッシオ叔父さんが責任もって全額払ってくれるから気にしなくていいですよ」

 

「ハッハッハ、流石はシャルロット君。容赦がないな」

 

「おじさんには貸しがありますからね。用事にかまけている人に対するささやかな意趣返しです」

 

「んー、これは分が悪い。そういうわけだ、レティシア君。何かあればすぐにでも声を掛けてくれたまえ」

 

「はい、お気遣いありがとうございます。何から何まですいません。ホリゾンガーさん」

 

 そういってルーラーはシャルロットの親戚を名乗る人物──。

 右目に付けた片眼鏡(・・・・・・・・・)が特徴的な初老の男性パッシオ・ホリゾンガーにぺこりと頭を下げた。

 

「しかしシャルロット君の話ではレティシア君はルーマニアへは歴史の勉強をしに来たと言うそうだが、やはりアレかね? ヴラド三世のことを調べに?」

 

「ええ、そうですね」

 

 ルーマニアといえば、その歴史からその名は外せないだろう。

 護国英雄、キリスト教世界の盾、大国オスマン帝国を退けた恐怖の領主にして偉大なる英雄──ヴラド三世。

 串刺し公の異名を取り、とある小説のモデルにもされた王である。

 

 聖杯大戦がルーマニアの地で行われていることを考えれば、恐らくは“黒”と“赤”のどちらかがまず間違いなく召喚しているだろう英雄であろう。

 

「ふむ、そうなるとトゥリファスによる前にシギショアラに寄らなくて大丈夫かね? ヴラド公について調べているというならば、やはり生誕の地に寄っていった方が歴史の勉強には良いだろう?」

 

「お気遣いは嬉しいのですが、親戚を待たせてますし。先にトゥリファスの方へ向かおうかと。それにトゥリファスでも少々調べ事がありますから」

 

「そうかね? ならば良いが……正直、ここ最近のトゥリファスは物騒だからね。親戚がいるというなら大丈夫だろうが街を散策する時は気を付けたまえよ」

 

「物騒……それはどういう?」

 

 パッシオの言葉につい目を鋭くして問いかける。

 魔術の原則は秘するもの。なれども街で戦いがあれば多少なりとも違和感は生じてしまう。日常を過ごす一般人からすれば日々に生じた些細な変化は肌で感じ取れてもおかしくは無いだろう。

 ともすれば何かの取っ掛かりになるかもしれないとルーラーは思った。

 

「最近、トゥリファスの街で奇妙な騒ぎが散発してるんですよ。何でも人が襲われたーとか、謎の爆発が起こったーとか、男の悲鳴が聞こえたーとか」

 

「赤い雷を見かけた、銃声を聞いたなどという話もあったね」

 

 ルーラーの問いにシャルロットが口を挟み、パッシオもそれに付け加える。

 なるほど、どちらも事情を知るルーラーからすれば街で何が起きているかは明白だった。“黒”の陣営に“赤”の陣営。

 既にその小競り合いは始まっているということだろう。

 

「シギショアラの方でも突然人が自宅で倒れ、貧血になるという事件が起きているとも聞く。今のルーマニアは何かと物騒なのだよ」

 

 言って静かに首を振るパッシオ。

 その表情は先行きを心配する憂いに満ちていた。

 その憂いに関わる者の一人であるルーラーは思わず口を開く。

 

「……大丈夫です。貴方方のような善良な人を主がお見捨てになるはずありますせん。きっと今回の事件も一時のもののはずですから。だからどうかお気を落とさないでください」

 

「──……どうかな。私は神に愛されないから、ね」

 

「え?」

 

「いや何でもないよ。すまないねぇ。君のような少女に心配をかけてしまうとは私もまだまだ未熟だな(若いなあ)。ハッハッハ!」

 

「……よくもまあいけしゃあしゃあと。気が咎めるとかないんですねー、この人。レティシアちゃん、いいですか? こういう人は心配するだけ損ですからね。こういう人に限って実は図太い上に狡賢いですから。決して騙されないように」

 

「は、はぁ……?」

 

 軽快に笑うパッシオを傍目に、何故か半眼でパッシオを睨みつつ人差し指を立てて忠告の言葉を口にするシャルロット。

 イマイチ二人の関係が読めないが、何やらシャルロットはパッシオに対して中々に当たりが強いようだ。

 

「ふふふ、シャルロット君は相変わらずだなぁ……ともあれ、一日ばかりの旅だがせっかくの異国の地だ。運転は私に任せて今はルーマニアの景色を楽しむと良い。何か聞きたいことがあったら遠慮なく聞いてくれたまえよ。歴史の勉強のタメになるかは分からないがこれでもルーマニアの歴史には多少詳しいのでね」

 

「自業自得です……疲れたり、お腹がすいたりしたら遠慮なく言ってちょうだいねレティシアさん」

 

「はい、少しの間お世話になりますねパッシオさん、シャルロットさん」

 

 そうして一同はトゥリファスへの道のりを走る。

 

 果たして、何故このような形で己が呼ばれたのか。

 聖杯は何を彼女に調律させようとしているのか。

 

 聖女が胸に抱く疑問疑念。その全ての謎はこれより始まる聖杯大戦に関わっていくことで見えてくるだろう。

 

 

 だが、しかし──。

 

 

「外観というものは、一番ひどい偽りであるかもしれない。世間というものはいつも虚飾にあざむかれる──そうだろ? “赤”のキャスター。舞台は既に整っている。これ以上の役者は不要だよ。それについては同意してもらえると思うのだがね」

 

 今しがた『運命』を仕留め終わったアルドルはミレニア城塞に設けられた私室でふとそう呟く。その右目は淡く、そして怪しく輝いていた。

 

 

 

──『聖女出立』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 ルーマニアに根を下ろすユグドミレニアは本拠地であるトゥリファスは勿論の事、ルーマニア全域に一族を配置している。

 浅く広く血縁を広げることによって血を繋げることを選んだユグドミレニアに名を連ねた魔術師は数知れず、此度の聖杯大戦に際してはマスターやサーヴァントを援護するために多くの魔術師が街の至る所で目を光らしていた。

 

 ここ──シギショアラに配置された魔術師。

 彼女、ペメトレキスもその一人である。

 ユグドミレニア一族の一人にして、ユグドミレニアのマスターを務めるフィオレと時計塔で学び舎を同じくした彼女は諜報に特化した魔術師だ。

 

 故に彼女は街での異変やシギショアラを拠点としていると思われる“赤”の陣営の動向を探るため、日々隠密活動を行っていた。

 今日もまた、彼女は聖杯大戦が始まってより日常となりつつある、夜の調査に乗り出そうと礼装を取り出し、入念な準備をし、下調べで作り上げた調査リストを手にして、いざ敵サーヴァントやマスターと遭遇しても逃げられるような万全な態勢を整えてから自室を後にする。

 そして、いつもの通り、扉を開けて自宅を後に外を出ようとして──。

 

 後頭部に強い衝撃を受けたと自覚した瞬間、その意識は闇へと沈んでいった。

 

「……仕方がないとはいえ、気が咎めますね。全く」

 

 バタリと倒れ伏したペメトレキスを見下ろして、彼女の意識を奪い去った少年、シロウは困ったように手首を鳴らす。

 自身の身元引受人となった言峰璃正、彼の操る体術から学んだ術理をこのような闇討ちに使うのもそうだが、敵とはいえ、これから行うこともシロウにとって気を咎めるに値することだった。

 

「これも我が野望のため……というには些か、卑しいような気がしますが……失礼、お嬢さん」

 

 そういってシロウは倒れた女性の手に触れる。

 

「回路、接続」

 

 瞬間、倒れた女性の顔が苦痛に歪む。

 当然だろう。魔術回路を通して自身の魔力を吸い出されているのだから。シロウは女性が死なない程度の……女性が保有していた魔力の七割ほどを略奪したのち、倒れた女性を抱えて運び態々自室のベッドに寝かせてから戻る。

 

「……やはり、あまり気分が良いものではないですね。足軽の略奪でもないでしょうに」

 

 サーヴァント、“赤”のルーラーとして立ち戻ったシロウだが、生身を失った代償として彼は自らの身体を維持するために魔力を必要としていた。

 幸いクラス・ルーラーのお陰でマスターというこの世の楔をある程度、必要としないままでも問題ないが、如何せん魔力の方だけは何とか都合を付けなくてはならない。

 そこで彼はシギショアラに蔓延るユグドミレニア一族の魔術師たち、それを襲うことで自らの魔力を補っていた。

 

 しかしそれは傍から見れば夜盗や盗賊のそれだ。

 仕方が無いこととはいえ、自らの行いはシロウにとって個人的に嫌な記憶を脳裏に思い描かせる。

 

「それは生前の経験ですかな? マスター」

 

 シロウの独り言に反応するように、彼の隣に光の粒が収束し、一人の人間の姿を形どる。中世ヨーロッパ風の洒脱な衣装に身を纏った伊達男である。

 彼はまるで舞台役者のようにバサリと衣服を翻し、

 

「『物事によいも悪いもない。(There is nothing either good or bad,)考え方によって良くも悪くもなる。(but thinking makes it so.)』──ここは敵の魔術師の数が一人減ったと前向きに捉えてはどうでしょう! マスター!」

 

「キャスター、ついて来たのですか」

 

「ええ! それは勿論! “赤”のアサシンを亡くし、計画を潰され、追い詰められたマスターが如何にしてこの逆境を乗り越えるか……そんな面白いことをこの吾輩が見逃すわけには参りませんからなァ!!」

 

 それはいっそシロウに対して侮辱していると取られかねない言い分であったが当のシロウといえば困ったように息を漏らすのみだ。

 なんせシロウは知っている。この英霊が悲劇にしろ喜劇にしろ常に劇的な展開を求める性分であり、この聖杯大戦と呼ばれる物語のためであれば自分のマスターを裏切ることも、早すぎる同盟サーヴァントの脱落をも平気で受け入れるどころか手を叩いて喜ぶ酔狂人であることを。

 

 しかしそれもある意味当然だろう。作家という酔狂人の中でも世界屈指の知名度を誇る酔狂人──ウィリアム・シェイクスピアともなれば、その酔狂さは狂人のそれと紙一重。天才にとって倫理観やら良識などと言ったものは邪魔な虚飾にしかなり得ないのだ。

 

 シロウは苦笑しながら口を開いた。

 

「そう焦らずとも開戦はもう間もなくです。こちらの準備は済ませましたし、城攻めの手筈も整いました。後は動きが不明な“赤”のセイバーに伝言を届けたのち、大聖杯奪取に取り掛かります」

 

「おお! 遂に始まるのですね! 我がマスターが挑む前人未到、苦難にも満ちた道程が! まさに『生きるべきか、死ぬべきか。(To be, or not to be:)それが問題だ(that is the question.)』!」

 

 有名なシェイクスピアの名言を本人から聞きながらシロウは頷いた。

 

「まあ、そうですね。事ここに至ってはもはや小細工を抜きにして正面から挑むしかないでしょう。幸いにもこちらのサーヴァントは何とか引き入れることが出来ました。“赤”のランサーの方も……取りあえずは協力して下さることでしょう」

 

 “赤”のライダーや“赤”のアーチャーが裏切りの事実とマスター交代を受け入れる中、今なおも令呪があることと、魔力の繋がりがあることを理由にマスターへの忠義を立てつづける“赤”のランサーとは事によってはいずれ激突しなくてはならなくなるやもしれないが、ひと先ずは“黒”の陣営を討伐するまでは協力関係を築くことができた。

 “黒”のアサシンによって遭遇すること叶わなかった“赤”のセイバーとそのマスターも先日の“黒”のバーサーカーとの小競り合いのお陰でようやく居場所を突き留め、伝言を飛ばすことができた。

 

 既にサーヴァントを一騎失っている上、シロウの計画を台無しにされたものの、ひと先ず出来る限りの立て直しは済んだといえよう。

 

「それにルーラーに返り咲いたことで得るものもあった。……前回からの残りですので数は五画ですが、残る二つと合わせれば七つ……十分でしょう」

 

 そういって視線を落としながら両手を眺め、握りしめる。

 元より全てが万事自身の計画の通り、上手くいくとは思っていない。些か想定外が重なりすぎたが、だからといってそれらはシロウの足を止める理由にはならない。障害があるなら打ち砕き、邪魔が入るなら排除しよう。

 

 ──全ては人類救済のために、あの日見た地獄を胸にそう誓ったのだ。

 

「それでキャスター。勝手に私の跡を付いてきたことはともかく、頼んでいた仕事は終わりましたか? こちらは貴方の用意が準備が完了次第、仕掛けようと考えていたのですが……」

 

「おっと、そうでしたか! 失礼。吾輩、マスターの行動を気にするばかりに出来高およそ八割といった処で出てきてしまいました。やはりアレですな! 作家として締め切りがあれば破りたくなってしまうのはもはや本能としか言いようがない! 即ち『時というものは、それぞれの人間によって(Something as time runs by respective)それぞれの速さで走るものなのだよ。(speed by the respective man.)』」

 

「……キャスター」

 

「大丈夫ですぞ! そう疑いの眼差しを向けないで下さいマスター! 明日には! 明日には必ず仕上がっているはずですからな!」

 

はず(・・)では困るのですが……まあ貴方を信じましょうか。聖杯大戦という物語を切望している貴方が開戦の時が遅れることを容認するとは思えませんしね」

 

「おっとこれは随分と歪んだ信頼感を向けられた感じですな! しかし否定が出来ないのが苦しい!」

 

 シロウから向けられるジトッとした視線に、“赤”のキャスターは相変わらず劇がかった大仰な様で自身の胸を押さえて苦しむ様を表現する。

 如何にも胡散臭いが、“赤”のキャスターの性格を考えれば、本人の言う通り作業が完了するまでそう時間は掛からないであろう。

 

 困った男ではあるが人生を物語に注ぐほどの情熱だけあって、信頼できないが故に信頼できる。良くも悪くも、だが。

 

「と、すると残る懸念材料は“黒”の陣営の動きですね。今のところ“黒”のバーサーカーを派兵した以外、目立った動きは見られませんが……」

 

「ふむ、例の魔術師殿ですかな? マスターの脚本を破ったという」

 

「ええ。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。てっきり私を殺害したと考えているあの男が何か動きを見せると思っていたのですが……」

 

 白昼堂々、“黒”のアサシンを敵陣に一人送り込むという大胆不敵さであわやシロウを殺しかけた“黒”の陣営。

 その首魁にして首謀者と思われるダーニック。

 実のところ、シロウは本当にダーニックが暗殺を計画したのか疑いつつあった。何故ならば……。

 

「仮に第三次から私が生き残ることを把握していて“黒”のアサシンを派遣したというならば狙いは恐らく私が持つ聖杯戦争の情報やルーラーとしてあった頃の能力を警戒してのものでしょう。単に一人のマスターを殺す為ならば敵陣に単独で踏み込ませるなどと言った危険な真似をするなどリスクとリターンが嚙み合わない」

 

 そう──あの時、あろうことか“黒”のアサシンは文字通り全てのマスターが揃っていた本拠地たる教会を狙ってきた。

 暗殺に失敗していれば即座に複数のサーヴァントに袋叩きにされかねないほどの敵地にあの男は“黒”のアサシンを失う可能性を受けてまで、暗殺に乗り出してきたのだ。その戦果が一人のマスターを殺すことだけ──では収支があまりに見合わない。

 ゆえにこそシロウはもはや敵に自身の正体がバレていることを疑ってはいなかった。だが──。

 

「それはつまり、あの時点であちらはこちらの行動を把握していたことになります。マスターの位置も、我々の存在も。だとすれば──」

 

「そもそも“黒”のアサシン単騎を派兵するまでもなく、“黒”のセイバーやら“黒”のランサーなりの宝具で拠点ごと吹き飛ばしてしまえば良かった。ええ吾輩としては実につまらない可能性ですが……」

 

 神秘の秘匿は大原則だが、此処は彼らの本拠地ルーマニア。

 仮に街で教会が吹き飛ばされるような騒ぎがあっても言い訳は幾らでも効くだろうし、そもそもその時点で聖杯大戦に完勝している。

 聖杯を手にした彼らが果たして時計塔の権力を恐れるとは思えない。

 

「こちらのサーヴァントによる抵抗を警戒した可能性もありますが、完全なる不意打ちを出来る立場にあって、果たしてそれが警戒する要素に成り得るかどうか」

 

 なるほどこちらには大規模な破壊をも防ぐ手段が確かにある。

 例えば“赤”のライダーはそういった宝具を有しているし、『庭園』が完成していなかったとはいえ己が陣地である“赤”のアサシンもまた防御手段というのであれば持ち合わせはあった。

 しかしそれは攻撃が来ると分かってることが前提。あの完全なる不意打ちが決まったタイミングで大規模な宝具を一騎、ないし二騎で放っていれば、こちらは防御する間もなく全滅していた可能性があるのだ。

 

「まとめて一網打尽にするチャンスがありながらただ一人マスターのみを狙った。確かに違和感のある話ですな。ではマスターは敵が何故、態々マスターのみを狙ったのか、その答えをお持ちで?」

 

「……一つの可能性の話です。あるとすれば一つ、敵は“()のアサシンしか(・・・・・・・)動かせなかったのではないか(・・・・・・・・・・・・・)と。もしくは他の“黒”のサーヴァントを動かすのに都合が悪い状況ないしは事情があったのでは、と」

 

「ほほう、それはそれは」

 

 だとすると、またも可笑しな点がある。

 敵はダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。“黒”の陣営の首魁を務めるはずの男だ。そんな男が果たして“黒”のアサシンしか使えない状況や他のサーヴァントの援護が期待できない状況に陥るだろうか。

 

「ではマスターはこう考えているのですな。犯人は別にいる! と!」

 

「ええ。仮に私を知っていたならば、一族に周知し協力を促す程度、出来ていてもおかしくはないはず。それが敢えて単独で行動を起こしたというのであったならば、単独で行動を起こすしかない立場にあったということです」

 

 この予想通りならば少なくとも容疑者からダーニックは外れる。

 一族の王である彼に逆らうことなどユグドミレニア一族の誰にもできない。

 そしてだとするならば、此度の犯行は「シロウという存在の危険性を知り」「“黒”のアサシンを動かせる立場にあった存在」。

 即ちは──。

 

「“黒”のアサシン、そのマスター。恐らくは彼ないし彼女が単独で立てた計画だったはずです」

 

 であればシロウ殺害後に何らアクションが無くても可笑しくはない。

 何せシロウを暗殺した時点で敵のマスターの目標は達せられている。

 同時に単独で動いているとするならばユグドミレニア一族が反応しないのも当然の事。恐らくユグドミレニア一族は単独犯の行動を把握していないのだ。

 事を起こした本人以外、一人のマスターが脱落した事実を知らぬまま七騎対七騎の戦いが始まることを予見しているはず。

 

「これはこれは……また面白くなってまいりましたな! 一枚岩と思われた“黒”の陣営、ユグドミレニア一族とは思惑の異なる単独犯の可能性! 大胆不敵に敵陣に踏み込み、我らがマスターを襲う! なんともや実に盛り上がる展開ではありませんかッ!! 『楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ(The labor we delight in cures pain)』!」

 

「できれば苦悩は少ない方が良いのですが。まあでも……」

 

 これより挑む数多の聖者らや偉人が挑んだ人類救済への道のり。そこに障害が生じないと考える方があり得ないだろう。

 救世主が行く道のりは常に試練が付き物だ。

 主は人を試される。

 

「であれば、これも主が我々に与えてきた一つの試練、一つの運命なのでしょう。ならば私は見事この試練を乗り越え、聖杯を手にするのみです」

 

 全ては──全人類の救済がため。

 例えどれほどの戦慄が待ち受けていようとも、その両足が止まることなどあり得なかった。

 

「では戻りましょうかキャスター。今晩にでも貴方には準備を完了していただき──明日の夜、“黒”の陣営の城攻めを開始します」

 

「おお! いよいよですな! 果たして如何なる喜劇か悲劇を見ることが叶うのかッ! 吾輩高ぶってまいりましたぞッ!」

 

 暗躍する“赤”の主従は夜の闇に消えていく。

 既に運命の車輪は回り始め、物語(サーガ)は幕を上げた。

 機は既に熟しつつある。

 

 ──激突の日は近い。

 




「さあさあ! レティシアさん! 遠慮なくジャンジャン食べてくださいね! まだ学生さんなんですから、きちんと食べなきゃ大きくなりませんよ! お金に関しては気にすることはありません! パッシオ叔父さんが払ってくれますから!」

「はい、ありがとうございます! 全部おいしいので残さず頂きたいと思います。主よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事を頂きます」

「ふむ、果たしてどこまで持つかね。私の財布は……」


──とあるレストランでの会話
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