千年樹に栄光を   作:アグナ

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「おお! 圧政者よッ!!
 今こそ反逆の刻であるッ!!」


聖杯大戦 Ⅲ

 その男は──筋肉(マッスル)だった。

 彼方にミレニア城塞を見据えながら一歩一歩と進む様は戦場を駆け抜けるように征く“赤”のライダーなどと比べれば鈍重としか言いようが無いだろう。

 二メートルを優に超える巨体は四肢も胴もはち切れんばかりの筋肉に満ち満ちており、その有様は一歩と踏み出すたびに地面が陥没し、さながら巨大な象が歩いた跡のような足跡が残ることからも容易に見て取れるだろう。

 

 青白い肌には修練か戦いで付いたであろう生々しい数多の傷痕、鋼のように引き締まった大胸筋に、丸太のような四肢。

 鍛え上げられた筋肉の身体はそれそのものが鎧の様。

 自らの肉体こそが最強の証であると言わんばかりに男は全身を覆う皮のベルトを除けば何一つ纏っていない半裸の状態だ。

 

 そして何より特徴的なのは不気味なほどの笑顔である。

 

 戦場を駆ける悦びに笑みを浮かべるのは“赤”のライダーも同じだが、男の笑みは明らかに気色が違う。例えるならばホラー映画に登場する道化(ピエロ)のような。見るものすべてを恐怖に落とすような一種、怪物的な笑み。

 

 筋肉(マッスル)としか評せない男が満面の笑みを浮かべながらただひたすら目標に向かって進む様は何とも戯画的でありながら同時に恐怖劇のようでもある。

 

 言うまでもなく彼はサーヴァントであり、“黒”の陣営に敵対する存在だ。狂気にして狂喜じみた様は正しく狂戦士(バーサーカー)

 それも桁違いの狂気(ランク:EX)を有する“赤”の陣営を統べる神父をして制御不能と言わしめるほどに狂った英霊であった。

 

「ぬははははははははは!!」

 

 男が笑う。笑いながら進み続ける。

 その道を“黒”の陣営に属するホムンクルスや使い魔たちが止めようと武器を振るうが一切関係ない。まるで見えていない様に、いやお構いなしとばかりに狂戦士は進み続ける。

 

 “赤”のバーサーカー、彼は絶えず雑兵に傷を付けられながらも止まらない止まらない。一切その足を止めない。

 何故か? それは言うまでもない。

 彼方のミレニア城塞(そこ)に倒すべき圧政者(てき)がいるからである。

 

「反逆である! 反逆である! おお世界に反逆せんとする朋友(とも)よ! 今こそ共に圧政者を打ち砕き、世界を覆う全ての圧政から人々を解き放つ時ィ!!」

 

 そう彼が進む道理はそこにあった。

 朋友は言った、世界を救うと。

 そのために大聖杯を手に入れると。

 

 “赤”の陣営の指揮者たる神父はそう言って“赤”のバーサーカーを送り出した。

 

 正気なき狂気の戦士にその言葉の意味は正しく理解できない。だが、神父の言葉が真の真実であり、本気で彼が運命という枷から人々を解き放とうとしていることだけは理解できた。

 

 ならば後はこの通り。そこに圧政者(もくひょう)があるならば過程も結果も一切考慮せず彼は壊れた機械のように進むのみ。

 圧政者を打ち砕き、反逆を為すために。

 たとえ雑兵(ホムンクルス)斧槍(ハルバート)が首元に叩きつけられようが、使い魔(ゴーレム)の拳が鳩尾に突き刺さろうが彼は笑みを浮かべ、攻撃をただただ受けて受けて受け続けながら進む。

 

 “赤”のライダーが有する特性による無敵性とは異なる物理的、精神的な無敵性を感じさせる“赤”のバーサーカーの笑み(それ)を前にして遂に感情の薄いホムンクルスたちも恐怖心を自覚し始めた。

 その直後、ギョロリと狂戦士の眼が唐突にホムンクルスたちを捉える。

 

 瞬間、蹂躙が始まる。

 

「愛ッ!!」

 

 男のサイズ感故にもはや玩具に見える(グラディウス)でホムンクルスを叩き切る。

 

「愛ッ!!!」

 

 丸太のような腕を伸ばし、ゴーレムの顔面を掴むと五指の力だけで正に握りつぶすという様で頭部を破壊する。

 

「愛ッ!!!!」

 

 そして残った敵は諸共すべて体当たり(タックル)一つで轢き壊す。そこに技など欠片もなくただただ力任せの暴力。

 筋肉に物を言わせた力業で悉くを粉砕する。

 最後には他のホムンクルスたちより少しだけ間合いを開けて戦っていた少女のホムンクルスが運よく一体残されるのみ。

 ……いや、この場合は運悪くとも言い換えられるか。

 

「さあ哀れな圧政者の人形よ! 我が愛に抱かれて眠るが良いッ!」

 

「……ひっ!」

 

 笑みであった。今しがた仲間たちの全てを手に掛けた男が浮かべているのは敵意でも憎しみでも恨みでもなく満面の笑みであった。

 その感情、その有様はホムンクルスたる少女には甚だ理解しがたく、未知であり、恐怖である。

 

 ある魔術師に曰く、人を恐怖させる条件は三つ。

 怪物は言葉を喋ってはならない。

 怪物は正体不明でなければならない。

 怪物は不死身でなければ意味は無い。

 

 その条件に当て嵌めるならば彼は言葉を喋り、サーヴァントであり(明確な正体があり)、傷つくが故に不死身であるとは言えないのかもしれない。

 されど彼の言葉は常に一方通行であり、理解不能の論理で以て、痛みに顔を歪めることもなく寧ろ笑みを深めている。

 ひたすらに意味不明であり理解不能であり、そして何より不死身と見紛うものだった。

 

 英霊(怪物)が、慈愛の意味を根本的に履き違えているとしか思えない満面の笑みで少女に手を伸ばし、慈悲という名の死を与えようとしている。

 もはや何もかもが限界であった。

 鋳造されたホムンクルスとはいえ、彼ら彼女らにも起伏は乏しくも感情がある。ユグドミレニアから与えられた命令によって押しつぶされ、覆い隠されていた感情が命令を置いて尚、生命の危機を前に顔を出す。

 

「や、やだ……助けて──!」

 

「さあ我が愛を受け取るが良い。ふははははははッ!!」

 

 だが末期の祈りを聞き届けるほど狂戦士──“赤”のバーサーカーに正しき慈悲も正気も残っているはずはなく、仲間の悉くを殺した筋肉(凶器)で最後の敵を殺さんと、その華奢な体に手を伸ばす──。

 

 果たして少女の命運は──狂気に満ちたもう一つの咆哮を前に、九死の一生を得る。

 

「Arrrrrrrr!!! Fuuuuuuuuuuuuッ!!!!!」

 

「ぬっ、おぉおおおおおおおおおッ!?!?」

 

 咆哮、轟音、そして爆発。

 “赤”のバーサーカーの肉体は彼方より飛来した「何か」に吹き飛ばされ、その爆発で以て少女に向けて伸ばした右腕ごと半身を吹き飛ばされた。

 今の今までホムンクルスたちの全力でもかすり傷程度に収めていた筋肉の鎧による守りはこの一撃で簡単に破壊され、もはや立つことさえ覚束ない。

 

 狂気に濁った瞳で致命傷に倒れ伏す“赤”のバーサーカーが、そしてホムンクルスの少女が何事かと「何か」が飛来した方角に目を向ける。

 そこにあったのは……神秘を巡るサーヴァント同士の戦いにはあまりにも相応しくない、されどこの上なく戦争の象徴とも言えるモノがあった。

 

 鈍い輝きを放つ鋼の装甲に、如何なる荒地でも行けるように備え付けられた履帯(キャタピラ)、堂々と伸びる巨大な砲塔。

 “赤”のライダーが騎乗した重武装を乗せた戦士が駆ける前時代的な戦車などではない。正しくそれは現代の科学の粋が生み出したれっきとした現代兵器。

 黒塗りの戦車が“赤”のバーサーカーの方に砲身を向け、鎮座していた。

 

「おおお! 正しくそれは圧政の証! ならば反逆せねばなるまい!」

 

 果たして“赤”のバーサーカーの言う言葉はまぐれだったのか、はたまた狂気の中でも聖杯より与えられた知識でそれを正しく認識したのか、定かではないものの“赤”のバーサーカーの言葉は一種的を得ていた。

 

 そう──この戦車こそ悪名高き第三帝国で生産された当時最強と謳われた現代科学文明が生み出した無双の兵器。

 VI号戦車ティーガーE型(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung E)──通称、虎号戦車(ティーガー)

 

 “赤”のバーサーカーが敵視する圧政者(ナチスドイツ)が生み出した兵器が、場違いにも“赤”のバーサーカーを阻むように在った。

 

 ……通常、魔力や神秘を纏っていない現代科学の兵器による攻撃でサーヴァントが傷つくことは無い。しかし戦車に騎乗する存在──“黒”のバーサーカーが扱う場合は話が別だ。

 先の“赤”のセイバー戦で銃火器で以て、“赤”のセイバーを害したように、こと“黒”のバーサーカーが操る武器はたとえ木の枝だろうとサーヴァントをも傷つける武具と成り得るのだ。

 それこそが“黒”のバーサーカーが有する宝具の一つ『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』。

 

 騎士ランスロットが敵を前に武器を選ばずして戦ったという逸話を基に宝具の域にまで昇華された“黒”のバーサーカーが切り札の一つ。

 たとえ魔力も神秘も持たぬ武器であろうとも“黒”のバーサーカーが手にした瞬間、低ランクの宝具として武具を強化するという反則的な能力であった。

 

 これによってティーガーは神秘世界においても当時最強とまで言われた驚異の火力を“赤”のバーサーカーにも発揮したのである。

 しかもこのティーガーはただの戦車ではない。この近現代史において英雄として名を轟かせ、『破壊王』の異名を取った男が操った戦車の壊れた破片をかき集めて再び原型を得た、「かつて英雄を乗せた戦車」である。

 

 この無銘ならざる逸話を持った兵器であるが故に通常はDランク程度で収まる“黒”のバーサーカーの宝具付与はC+ランクの領域に踏み込んでいる。

 正に並のサーヴァントであれば容易にその鎧ごと破壊可能な火力を有しているのだ。

 

「Aaaaa……! Arrrrrrrrrrr!!!」

 

 展望塔(キューボラ)に座す“黒”のバーサーカーが吼える。

 戦車は本来は複数人で動かすものだが、“黒”のバーサーカーによる宝具の効果か、戦車の表面装甲を覆う血脈じみた赤い線がドクンと鼓動を奏でると履帯が甲高い鳴き声を上げ、“赤”のバーサーカー目掛けて、凄まじい速度で発進する。

 

 その直線状の道のりには少女のホムンクルスも居たが“黒”のバーサーカーは構わず突進を敢行する。

 再び直面する死の気配にいよいよもって己の命運をホムンクルスの少女は覚悟するが。

 

「Aッ」

 

「きゃあッ!?」

 

 如何なる気まぐれか、激突寸前、“黒”のバーサーカーが僅かに進路をずらし、さらにはすれ違いざまに少女のホムンクルスの腕を引っ張り上げるとそのまま戦車の内部に投げ入れる。

 “赤”のバーサーカーと異なり、狂気に飲まれていようとも騎士としての有り様を忘れてはいないということだろう。

 

「おお! 来るか! 圧政者よ! ならば私はお前を受け止め」

 

「Fuuuuuuuuuuuッ!!」

 

 そして憂いを絶ったが故か、戦車はさらに速力を上げてエンジンを噴かせる。

 もはや通常のティーガーでは出せない二百キロというあり得ない速力を叩き出しながら重戦車に相応しい分厚い鋼の装甲で“赤”のバーサーカーを轢殺する。

 

 “赤”のバーサーカーと言えば相変わらず狂気に満ちた狂喜で真っ向から戦車の突撃を受け止め、当然のように引き潰される。

 ただでさえ砲撃で半身が吹き飛ばされた状態での追い打ちで“赤”のバーサーカーの肉体はミンチとしか言いようがない程無残なありさまだ。

 だが、これで終わらない。“黒”のバーサーカーが吼える。

 

「Fooooooiaaaaaaaaッッ!!!」

 

 砲撃、砲撃、砲撃、砲撃。

 さながら機関銃じみた勢いで吐き出される砲弾はもはや爆撃と言って過言ではないだろう。宝具による元機能を無視した連射を可能とするティーガーの砲撃は原型を失くした“赤”のバーサーカーに更なる追撃を加えていく。

 

 そのあまりにも苛烈な過剰な殺害行為(オーバーキル)は如何に“黒”のバーサーカーが狂気に飲まれて倫理観も騎士道も無くしているとはいえ異常であった。

 しかし、その異常ももう一つの異常を鑑みれば当然の措置と言えよう。

 

 サーヴァントは頭部や心臓など霊体の核となる部分を損壊すれば、その存在を保てなくなり消滅するのが道理だ。

 だが、“赤”のバーサーカーは半身を失いながらも動いていた生きていた。それは今まさにティーガーの砲撃で原型を失くすに等しい無残な有様になっているこの時も……。

 

「O……Ooooo……A、ア、アアアアッセイ……!」

 

 消えない朽ちない生きている。

 肉塊にしか見えない貌で、“赤”のバーサーカーは笑っている。

 その異常に、“黒”のバーサーカーは狂気の中でも騎士としての直感から悟っていたのだ。──このサーヴァントは文字通り、肉片一つ残さない程徹底的に破壊しなければ止まらないと。

 

 予感は、果たして現実となる。

 

「Ooooo、お、おお、O、オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 グズリと不穏な音を立てて肉が脈動する。次の瞬間、それらはまるで風船のように膨れ上がり、やがて“赤”のバーサーカーの元身長を上回るほどに膨張し、見る見るうちに膨張していく。

 

「A、aaaaa──!?」

 

 “黒”のバーサーカーをして驚愕の息を漏らすほどの脅威の光景。“赤”のバーサーカーだったはずのものは気づけば十メートルを超える巨大な肉塊として膨張して聳え立っていた。

 もはやその姿は人型ですらない。恐竜じみた牙やら角やらを生やし、人体としてはあり得ない複数の手を触手のように生やす様は怪物としか言いようがない。

 

 ──疵獣の咆吼(クライング・ウォーモンガー)

 

 “赤”のバーサーカーこと英霊スパルタクスが有する宝具は極めて単純な効果の宝具である。即ち受けたダメージを魔力として変換し、自らの体内に魔力として蓄積するというものである。

 ダメージを受けるほど、傷を増やすほどに“赤”のバーサーカーが強化されていくというあまりにも単純な宝具だ。

 

 その特性ゆえ通常の聖杯戦争であれば、この宝具が十全に効果を発揮する前に“赤”のバーサーカーの肉体は損壊に耐え切れず崩壊していただろう。しかし聖杯大戦という複数のサーヴァントが同じ陣営に七騎と肩を並べて行われている此度の聖杯大戦においては通常の聖杯戦争の時とは異なり、聖杯戦争の著しい狂いによって生じた因果律の影響で魔力の変換率が暴走している。

 

 結果がこの肉塊(ありさま)。度を越えたダメージを飲み干して、異形の姿を得て“赤”のバーサーカーは蘇る。

 次瞬、巨大な「目」が“黒”のバーサーカーが駆る戦車に向けられた。

 

「ああぁいぃッ!!!」

 

「Aa──ッ!!」

 

 巨大な大木と見紛う「腕」が伸び、ティーガーを文字通り叩き潰さんと振り落とされる。“黒”のバーサーカーはその攻撃から逃れるため、ティーガーを急発進させ、回避。続けて伸びてくる他の「腕」も見事な操縦技術で、落ちてくる「腕」と「腕」の間をすり抜ける形で難を逃れた。

 

 切り抜けた先で、“黒”のバーサーカーはドリフトを決めながら反撃と言わんばかりに砲撃。砲弾が着弾し、“赤”のバーサーカーの肉体表面を焼いて破壊するが、それだけだ。傷は即座に塞がり、傷口からぐずぐずとさらに肉が膨張していく。

 

「Fuuuuu……!」

 

 ……無惨としか言いようのない様だ。元となる肉体を失い、ただの肉塊と化してなお動き続ける怪物。

 これを指してとても英雄とは呼べないだろう。

 だが──それでも。

 

「ああぁぁっせいしゃよ……たたきつぶす!」

 

 その意志、その決意は尚も衰えることなく。

 姿形を失えど剣闘士は誇り高く、不屈だった。

 

「Arrrrrrrrrrrrr!!!」

 

 ならばと狂気に飲まれた騎士もまた吼える。

 敵は動く、まだ動く。ならば壊さなければならない。

 

 元より此処にあるのは共に狂気にある狂戦士。

 動くもの、生きる者、目に付くものは悉く敵である。

 

「オオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」

 

 雄叫びを上げてより苛烈に、より過激に戦いの勢いは増す。

 敵は殺す。

 ただそれだけの狂気を携えて狂戦士たちの戦いは更なる激化の様相を得ていった。

 

 

……

…………。

 

 

「……改めてみると酷いな、アレは」

 

 見張り台の上でアルドルはボソリと言葉を漏らす。

 強化魔術によって強化された視力で以て彼は戦場を観察していた。

 

 たとえば“赤”のライダーと“黒”のセイバーとの戦い。

 たとえば“赤”のバーサーカーと“黒”のバーサーカーの戦い。

 

 特に狂戦士同士の戦いを観察しながらアルドルは嘆息する。

 

「あの調子だとやはり筋書き通り何れ臨界は超えるな。まあルーラーが街に到着している以上、特に問題は無いだろう。守るべき弱者(サブアカウントとシャルロット)が街に居るからな。聖女の性格を考えるに必ずあれは介入するだろう」

 

 本来、ルーラークラスは聖杯大戦の戦いそのものには不介入が原則。それゆえに彼女は聖杯大戦の監察業務以外には手を出してくることは無いが例外というものは常に存在する。

 アルドルが今日日ルーラーの存在に勘付きながらも泳がせていた理由はそこにあった。

 “赤”のバーサーカーの宝具。

 アレはユグドミレニアの城は愚か問答無用で街をも吹き飛ばす代物だ。故にこそ聖杯大戦の正しき運用を役目とし、性格上弱者に手を差し伸べる聖女が街を見捨てる道理はない。

 必然的に彼女は街を守るために行動し、結果的に城塞は守られる。

 

「とはいえ絶対ではないから保険はかけているが……あまり使いたくはないのでそちらに関しては私に幸運の女神が味方することを祈るとしよう」

 

 そう言って彼は狂戦士たちの戦いから視線を切った。

 次に見据えるのは“赤”のライダーと“黒”のセイバーとの戦い……ではなく、その数キロ後方、アルドルと同じく後方から戦場を見据えるサーヴァントの影。

 

「英霊カルナ……流石にマスターが人間のままでは動けないか、いや或いは他に何らかの役目があるのか?」

 

 “赤”のランサー、その秘めたる真名を識るアルドルは警戒するように呟く。

 初撃でユグドミレニアの守りを剥がした施しの英雄は沈黙を守っている。

 かの英霊がマスターにとってかなりの魔力食いであることを考えれば、その行動自体に理由は付けられる。初撃で宝具を放ったのだから魔力の消耗を気にして動けないと。

 

 しかし、そんな状況に陥ることを果たして“赤”の陣営を指揮する男が見落とすだろうか。否、それはあり得ないとアルドルの知見が断言する。

 多くを識るアルドルは既に“赤”の陣営の指揮者が生きていることを確信している。何故なら“赤”の陣営の状況を団体的に動かせる者など極々限られているからだ。

 にも拘わらず、こうして“赤”の陣営がまとまって行動しているのを見るに、やはりその限られた人物は生存していると考えて良いだろう。

 

 そしてその場合、潰した懸念の一つが再び浮かび上がってくることになるのだが。

 

「だが、『庭園』は現れなかった。となるとやはり“赤”のアサシンは落ちているか。令呪で以て命ずれば神代の魔術師ならば手立てもあるだろう」

 

 方法や結果こそはハッキリと見えないが、手段があることだけは識っていたアルドルはそのように結論付ける。自分の作戦(プランニング)はどうやら完璧な結果では終わらなかったが、次善の結果だけは齎してくれたようだ。

 この戦地での最大の懸念事項が消えている以上、たとえ暗殺をあの男が生き延びていたとしても、取れる手段は限られる。

 

 であるならば、潰すのは容易だ。

 そもそもアルドルは今からそれ(・・)をやろうとしているのだから。

 

「“赤”のアーチャーと“赤”のセイバーがいないのは不安だが、両者の特性と性格を考えれば奴の下に居るとは考え難い。であればこちらでの作戦のために潜んでいると考えて良いだろう」

 

 即ち状況はこの通り。この戦場には今まさに現存するほぼ全てのサーヴァントが集っていることになる。

 

「残るは“赤”のキャスターだが、アレは私の脅威とはならん。幾つか想定外はあったものの、作戦通りに状況は整ったという訳だ」

 

 “赤”のサーヴァントは大半が戦地に居り、面倒な横槍を入れてきそうなルーラーもトゥリファスだ。ならばもはやアルドルの予定を邪魔する者などただの一つも有りはしないとアルドルは断言する。

 無論、未だに抑止力などの天上からの邪魔者が入る可能性があるが、ルーラーと直接面識を持たない以上、その確率も限りなく低く抑えられている。

 

 そして最後の条件も今まさに……。

 

「……来たか」

 

 バサリという羽音を聞いてアルドルは空を見上げる。

 満月の夜。月光に照らされながら二対の烏が夜の闇を引き裂いて飛んでくる。

 彼らはカァと一鳴きしてアルドルの下へと着地した。

 

「フギン、ムギン。すまんな雑用をやらせてしまって」

 

 アルドルが有する『工房』の素材となったとある木の枝と共に、アルドルの下へ居付くことになった二対の烏にアルドルは詫びの言葉を掛ける。

 すると彼らは気にするなとばかりに一鳴き。

 彼らからは魔力の気配は感じないため、魔術師の使い魔の類ではないようだが、それにしてもただの烏というには人語を解する辺り妙に賢すぎる烏である。

 

 しかし彼らの来歴を知るアルドルはそれらの違和感を気にせず、フッと彼らに右目の焦点を合わせる。

 目を合わせること数秒、唐突にアルドルは頷き。

 

「ありがとう。これで“赤”の陣営の本拠地は分かった」

 

 最後の鍵を入手したことを確認した。

 

 ……聖杯大戦における勝利条件は敵サーヴァントの全滅だが、その手段としてサーヴァント同士による決着を望むほどアルドルは聖杯大戦に最初から劇的要素(ドラマ)など求めていない。

 そもそも彼は“黒”のアサシンのマスターであり、終始一貫してそのマスターとして相応しい行動を取ってきた。

 だからこそ本格的な開戦が為された後でもその方針は一切変わっていない。

 つまりは敵サーヴァントのマスターの暗殺。

 誰もが戦場に目を奪われている中、アルドルはそれを為そうとしていた。

 

 無論、普通は成立しない。そもそも二対の烏から齎された情報からして、“赤”のマスターたちが控える陣営の本拠地はシギショアラ。トゥリファスからは距離があるし、そこまでたどり着く前に戦いが終わる可能性が高いだろう。加えて“赤”のマスターにも令呪がある。

 暗殺という生命の危機にさらされれば如何にプライドの高い魔術師とて“赤”のサーヴァントを令呪で呼び戻すことだろう。

 だが……。彼はそれが不可能であることも識っている。

 

 そう、神父に対して“黒”のアサシンの暗剣を差し向けた時のように、今まさにこのタイミングこそ“赤”の陣営の本体が最も無防備な状況なのだ。

 懸念は一つ神父の動向だが、正面戦闘に持ち込めばたかだか代行者程度の力しか振るえない男などアルドルの脅威とはならない。それはサーヴァントである“赤”のキャスターも同じこと。

 “赤”のキャスターも一種の厄介さを秘めてはいるものの、その厄介さはアルドルの脅威にはならないのだ。残念ながら彼が言う所の役者(・・)にアルドルは該当しないが故に。

 

 そうなると最後の課題は此処から一気にシギショアラまで向かう手段の方だが。

 そちらに関してはとっくの昔に解決している。

 

「──思ったより余裕そうね、貴方」

 

「セレニケか、手間を取らせたな。何分一人では使えない魔術でな」

 

 掛かる声に振り返りアルドルはそう応えた。

 振り返るとそこには予想通り、気の強さを感じさせる三白眼を気怠そうに細めた女魔術師、セレニケ・アイスコルがいた。

 彼女は一つ息を吐いて、片手に持った魔術品……いわゆる魔女の杖をアルドルの方に投げ渡しながら問う。

 

「それで? 手伝いというのは一体何かしら?」

 

「いや何、少し隣街まで飛ぼうと思ってな、その手伝いをして貰おうと思った」

 

「飛ぶ? ……飛行魔術ね」

 

 アルドルのその言葉に目的が不明瞭なまま呼び出されたセレニケは自分の役割をようやく察する。

 いわゆる魔女の杖を利用した飛行魔術。

 それを行うためにアルドルは彼女を呼び出したのである。

 

 元よりセレニケが得意とするのは黒魔術。

 やや魔女の杖を用いた飛行魔術とは系統が異なるものの、女魔術師の一人としてセレニケは専門的ではないにせよ、当然に修めている。

 

 とはいえ人単体を乗せて飛ばす飛行魔術は相当に困難なものである。まず以てかなりの魔力(スタミナ)を必要とするし、杖の補助ありきでも成功率はセレニケの腕でも一割を超えない。

 加えて浮くのと飛んで進むとで別々の魔術が必要となるので術式を二つ同時に操らねばならぬというマルチタスクを要求するため極めて高難易度となるのだ。

 

 そしてそもそも……。

 

「当人が主に扱う飛行魔術に対して外野が手を貸せることは少ないと思うけれど……」

 

 そう、何より飛行魔術は飛ぶ本人が自分に掛ける魔術だ。

 確かにセレニケは優れた黒魔術師だが、だからといって赤の他人(アルドル)を魔女の杖に乗せて飛ばすなどそんな破格の腕を持ち合わせてはいない。

 故にアルドルが言った言葉は尚の事彼女を困惑させる。

 

 セレニケの疑念にアルドルは一つ頷いて回答する。

 

「確かに真っ当な飛行魔術に他人の手が入る余地は無いな。だが、今から行うのは一種の裏技でな。これには乗り手以外の力が必要となる。……そうだな、セレニケ。君は『トーコトラベル』という飛行方法を知っているか?」

 

 そう言ってアルドルは少しだけ悪戯っぽい笑みを口元に浮かべる。

 

 ──持つべき者は柔軟な発想を有する同級生。

 思わずそう考えるほどの妙案を生み出した学友の姿を脳裏に思い出しつつ、アルドルはセレニケに問いに言葉を返すのだった。




「に、義兄さん。この兵器の山は……」

「ああ、ダーニックが大聖杯ごと接収した品らしい。持て余してたから好きに持って行けとのことだ」

「FUUUUUッ!!(歓喜)」


──ミレニア城塞にて、武器庫での会話

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