千年樹に栄光を   作:アグナ

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死というモノを意識しだしたのは六歳の頃だった。

葬式上で見た棺に横たわる死体。

すすり泣く親族たちを傍目に私が抱いたのは悲しみではなかった。

世話になった人だった。身内として好意は持っていた。

知己であり、大切な身内だった。

なのに冷たくなったその手に触れた瞬間、

私が抱いた感情は悲しみでも感謝でもなく、

忌むべきモノに向けるはずの嫌悪という感情だった──。


時計塔にて/サン=マロの乙女たち

 かつて極東のとある地で三度の戦争があった。

 戦争と言っても歴史に残るような戦いではなく魔術師たちの戦争である。

 七人の魔術師と七騎の英霊による戦い、聖杯を巡る戦。

 即ち聖杯戦争と呼ばれる戦いである。

 

 聖杯。魔術世界におけるそれは聖人の血を注ぐ杯に非ず。

 無限に等しい魔力でもって使用者のあらゆる願いを叶える願望器。

 それこそが魔術世界の聖杯である。

 

 英霊という過去の、そして未来史に現れるだろう英雄の影ともいうべき存在を従え、他の魔術師が従える英霊を倒し、最後の一人残った聖杯を手にするに相応しき者にこそ聖杯は姿を顕現させる。

 汝、己が最強を証明せよ──。

 

 極東で開催された三度の戦いはそんな謳い文句で様々な魔術師たちを誘蛾灯のように引き寄せ、滞りなく開催されたという。

 時計塔率いる魔術協会のそんなものはないという胡乱な意識と、極東という西洋圏が主体である魔術世界から遠い場所、そして神秘操る魔術師たちから見ても人の手で行うには余りにも“非常識”であるが故にその儀式は魔術秩序を維持する者たちの目を掻い潜った。

 

 だが、争いによって始まった聖杯戦争の行方は争いによって終わりを告げる。

 七人の魔術師。七騎の英霊。

 それが相争っていたはずの報酬たる聖杯が唐突に消失したのだ。

 

 当時、第三帝国を名乗った悪名高き大国の介入。

 大戦末期にオカルティズムに傾倒していたその国はその軍事力を当時同盟していたはずの極東に態々差し向け、自国のために聖杯を手に入れようと武力でもって奪取を試みてきたのだ。

 

 神秘世界に不介入のはずの表向きの存在の介入。

 まして相手はある意味で本当の戦争屋たち。

 如何に非常識を司る魔術師とて、如何に非常識たる英霊とて、現代の歴史を司る本物の戦争と非常識に敵うはずもなく帝国の目論見通り聖杯は帝国の手に堕ちた。

 

 しかし──聖杯は消えた。

 何が起こったのかは分からない。

 何らかの不具合が聖杯に起きたのか、何処の英霊が有する最大級の神秘『宝具』によって聖杯に何かが起きたのか。何れにしても詳細は不明。

 

 何はともあれ、事の起こりの開催地の魔術御三家の悲願たる聖杯は消失し、手に入れたはずの第三帝国からも消えた。

 これをもって三度の聖杯戦争の幕は閉じ、多くの謎を残しながらも万能の杯を巡る争いは五十年前、静かに終わりを告げたのだった──。

 

「そう、極東の(・・・)聖杯戦争は終わりを告げた。各地に表面上のみ似せた聖杯戦争の術式を四散させての。まさに各地で今なお散発する『亜種聖杯戦争』の原因とも言える出来事じゃな」

 

 嘯くようにひょっひょと笑いながら朽ち果てた枯れ枝を思わせる容姿の老人、ロンドンは時計塔の召喚科学部長ロッコ・ベルフェバンは笑う。

 お陰で魔術師の数も格段に減った、と嘆きながら。

 

「──で? わざわざ俺を呼びつけて俺にそんな話をしてどうしたいってんだ、爺さん? まさか失われた聖杯の居場所を探れ、なんていうつもりじゃないだろうな? そうなら悪いがトレジャーハントは専門外だ。別を当たってくれ」

 

 そう答えるのはロッコの対面の男。

 ロッコとは比べ物にならない筋骨隆々な大柄に、スカーフェイスとサングラス、そこに黒いジャケットを羽織った姿はどう考えても堅気な人間には映るまい。

 一目見たものはどこぞのマフィアかカルテルに属するアウトローとしか思えないだろう。

 

 男の名は獅子劫界離(ししごうかいり)

 フリーランスの魔術師──否、魔術使いである。

 死霊魔術の研究を進める傍ら、半ば本職となりつつある傭兵稼業に勤しむ魔術師で、主なクライアントは魔術協会は総本山、ロンドンに鎮座する時計塔。

 今回も時計塔からの依頼とのことで、此処に足を運んだというわけだが──。

 

「否じゃ。トレジャーハントならばお主の言う通り、お主ではなく別の者に依頼しておったからの。お主に求めるのであれば探すではなく、手に入れるが相応しいじゃろうて」

 

「……なに?」

 

「此度の依頼じゃよ。かの冬木の地から姿を消した聖杯……七人の魔術師と七騎の英霊が相争ったこの聖杯を入手するためにお前さんを此処に呼んだ。時計塔から代表する七人の魔術師の一人としてな」

 

 それが本題じゃ、と意地悪くロッコは告げる。

 その言葉を聞いてなるほど、と獅子劫は合点がいったと頷く。

 聖杯戦争。聖杯を巡る魔術師の闘争。

 

 なるほど確かにそれは戦争屋(傭兵)である己の職分だ。

 だがしかし。

 

「俺に聖杯戦争に参加しろっていうことか。だが冬木の聖杯は──」

 

「ユグドミレニア」

 

 先ほどまでの話。

 冬木の聖杯は消失したと告げようとした獅子劫の言葉を遮ったのはロッコの短い単語。ユグドミレニアという名前。

 その言葉を聞いた獅子劫はすぐさま反射的に思考を働かせる。

 ユグドミレニア、聞いた名である。かつて北欧から時計塔に流れてきた魔術一族だったはずだ。とりわけ寿命以上の時を過ごすという当主の名は時計塔でもよく流れていた。どちらかといえば悪い意味で、だ。

 当主は時計塔で講師として活動していたものの、魔術師としてよりも政治屋として辣腕を振るっていたという話だ。

 

 古より魔術による争いごとより政治闘争の激しい時計塔において新参ながらも派閥闘争、権力闘争、予算獲得闘争において手腕を振るい、時計塔において最高位の魔術師に贈られる称号──“冠位(グランド)”に政治力で漕ぎつけた男。

 その手腕、裏切りと詐術で信じる者、信じない者問わず操作し、騙し抜く、ついた渾名は八枚舌……そう、名前は確か。

 

「ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。聞いた名だな」

 

「そうじゃ、八枚舌のじゃよ。尤も問題は奴ではなく一族諸共じゃがの」

 

 そういってロッコは……この常時飄々とした風情の老人には似合わぬ不快感と苛立ちを込めた言葉で続ける。

 

「ダーニック、いやユグドミレニア一族が離反を起こした。よりにもよって時計塔に代わって新たな協会を結成すると宣戦布告をしてきおった上での」

 

「……ハァ?」

 

 思わず獅子劫も唖然と開口する。

 西暦以降、魔術世界を統べる魑魅魍魎の伏魔殿、時計塔。

 桁違いの歴史と魔道を誇る十三の大貴族。

 そして数多の魔術遺産と神秘と魔術師。

 言ってしまえば魔術世界の全てとも言うべき存在へ向けた宣戦布告。

 

 無謀という話を通り越して愚行以下の愚行。

 自殺志願としか思えない行為である。

 ましてや一族総意ともなれば家ごと取り潰されかねない事案だ。

 下手をしなくても族滅されて終わるのみ。

 

「気でも狂ったのか? ユグドミレニアは」

 

「然り、気狂いの所業じゃよ。じゃが連中の叛意には根拠がある。聖杯という最大級の根拠がな」

 

 そういってロッコは話す。

 

 かつて当主ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは冬木の聖杯戦争に参加したという事実。

 ナチスドイツを唆し、聖杯を冬木の地より持ち出したということから、それを現在のユグドミレニアの本拠地であるルーマニアに密かに持ち帰っていたこと。そしてこの五十年、その起動準備に時間を費やしていたことから全てを。

 

「無論、真実を知って時計塔が黙っているわけもあるまい。時計塔は、我々はすぐさま連中を誅するため『狩猟』に特化した魔術師五十名を派遣した、じゃが……」

 

「悉く返り討ちにあった、か……」

 

「そうじゃ。奴らはよりにもよって英霊でもってこれらを撃滅しよった」

 

 英霊。或いは境界記録帯(ゴーストライナー)

 それは神話や伝説を基盤とした信仰より生まれ出る存在。

 人間を超え、精霊の領域まで押し上げられた人類史の守護者。

 聖杯戦争においてサーヴァントと呼称される戦時における魔術師の剣であり、盾。

 

「なるほど、そりゃあ敵わん」

 

「じゃがこちらも只では転ばなかった。五十人のうち生き残ったたった一人、この一人がユグドミレニア離反の事実と……そして我々の反撃の機会を作った」

 

 現時点でユグドミレニアは通常の聖杯戦争における召喚限界──七騎全ての英霊を召喚し、使役しているという。

 本来であればこの時点で時計塔側に出来ることなどない。だが、しかし生き残ったという魔術師はユグドミレニアが奪取した冬木の聖杯に決死の覚悟で接近し、この聖杯が持つある予備システムに介入した。

 

 英霊七騎が特定勢力に統一され偏りが生じた場合、聖杯戦争を正しく運用できなくなった場合にのみ……新たに七騎の英霊を召喚するという機能に。

 

「即ち、我々時計塔とユグドミレニア一族の聖杯戦争。七人の魔術師と七騎の英霊同士(・・)の戦い──聖杯大戦(・・・・)じゃよ。今一度告げよう獅子劫界離。時計塔の魔術陣営“赤”の魔術師として英霊を従え、聖杯を入手してもらいたい」

 

「────」

 

 嘆息。吐き捨てる息には様々な感情が乗っていた。

 聖杯大戦。

 七対七、計十四騎による聖杯を巡る戦い。

 

 まず生存率は今まで請け負った依頼の中でも遥かに低いだろう。

 何せ、英霊──サーヴァントが絡む戦いだ。

 まして空前絶後の規模ともなれば世界中で行われている亜種聖杯戦争なる偽儀式とでは比較にならない。

 加えて相手は五十年前から闇の中で牙を研ぎ続けていた存在。

 時計塔に叛意を向けるまでに相当な準備と計画を立てているだろう。

 

 しかし……しかしだ。

 

 甘言が鎌首をもたげる。

 時計塔の思惑、ユグドミレニアの悲願。

 それら巻き込む様々な思惑の交差する屈指の戦場を上手く出し抜ければ、手に入るのは曰くこの世のありとあらゆる願いを叶えるという杯。

 

 獅子劫界離には願いがある。

 それこそ聖杯ほどの存在に託さねば叶わぬほどの願いが。

 ゾクリと背筋を這う冷たい感覚。

 恐怖か戦慄か……否、そのどれでもない高揚。

 

 万能の杯という魅力(チャーム)に魅了される感覚。

 そう、この戦にはもしも(・・・)がある。

 そして、それは命を懸けるに値するもしも(・・・)である。

 

 獅子劫の口元が微かに歪む。

 それに我が意を得たといわんばかりにロッコは頷き、

 

「依頼を受けるか?」

 

「……幾つか質問がある。こちらの魔術師についての詳細は」

 

 即答を避け、質問を投げる。

 それにロッコは淡々と言葉を返した。

 

「『銀蜥蜴』ロットウェル・ベルジンスキー、『疾風車輪』ジーン・ラム、『結合した双子』ペンテル兄弟、それから時計塔の一級講師フィーンド・ヴォル・センベルン。時計塔から派遣するのはこの五人じゃよ」

 

「そりゃあまた大盤振る舞いだな」

 

 獅子劫も納得する面子だった。

 界隈で名の通った一級の戦闘に特化した怪物たち。

 戦争を勝ち抜き、ユグドミレニアを殲滅するに不足はない。

 だが、ロッコは獅子劫のコメントに何故か苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 

「……確かに。本来ならばこれで事足りたろうがの。ワシは本音を言うならばマクレミッツ辺りを引き込みたかった所じゃよ」

 

「──ユグドミレニアはそれほどの準備を整えていると?」

 

 マクレミッツ。それはアイルランドに古くからある魔術一族の名であるが、こと時計塔におけるその名は個人を指す。

 『封印指定執行者』バゼット・フラガ・マクレミッツ。

 『狩猟』特化の魔術師など及びもつかない超級の戦闘屋。時計塔より直々の依頼で行動し、在野に隠れ潜む『封印指定』魔術師を仕留める一線級のハンター。

 

 繰り出されるルーン魔術により強化された拳撃の冴えは下手な英霊さえも凌駕するという──彼女の名前が出るということは相当な警戒だといえよう。

 

「戦闘となればダーニックは問題あるまい。他のユグドミレニア一族も然り。奴らは所詮は歴史が浅いか、半ば衰退した魔術一族の集まりだからの。時計塔以上の魔術師は揃えられまい。じゃが『先祖返り(ヴェラチュール)』──アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは別じゃ」

 

「戦場で聞いた名だな。確か隻眼の『先祖返り(ヴェラチュール)』。在野の魔術師の中でも特に戦闘に特化していると聞くが……」

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは近年、名前が上がるようになってきた魔術師の一人である。

 世界中で散発する亜種聖杯戦争に度々参戦する傍ら、しばしば時計塔の魔術品収集を妨げる忌むべき存在としてここ数年で名前が挙がるようになった。

 時計塔の執行者と開戦しながらも悉く勝利を収め、亜種聖杯戦争においても連戦連勝。噂では南米の方で亜種聖杯戦争に死徒が絡んだせいで聖堂教会も介入することとなった大乱戦においても生き延びたという。

 

「元々、アルドルは時計塔の降霊科(ユリフィス)考古学科(アステア)に属した男での。封印指定される以前の蒼崎橙子や在野に下った荒耶宗蓮と交友関係があったということ以外、取り立てて有名ではなかったのじゃが、牙を隠していたようじゃな」

 

 苦々し気にため息を漏らすロッコ。

 だが、獅子劫からすれば顔が思わず引きつる話である。

 特にロッコの口ずさんだ名前の前者……『人形師』蒼崎橙子といえば、ダーニックとは異なり、本当の意味での“冠位(グランド)”を頂いた魔術師。

 それと同期ともなればある意味魔道の冴えはお墨付きといえよう。

 ただの同期であれば名前は埋もれて来ただろうし、近年の評価を聞く限り『封印指定』を受けた蒼崎のそれに勝らずとも劣るものではないだろう。

 

 事実、ロッコもマクレミッツの名前を挙げるほどには警戒している。

 

「その『先祖返り(ヴェラチュール)』も聖杯大戦に参戦するっていうことか」

 

「寧ろしないと考える方が可笑しいじゃろう。今回の騒動はユグドミレニア一族全体に及ぶものだ。ユグドミレニア一族において数少ない本当の意味でのダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの血縁である以上、出てこない方が可笑しいじゃろうよ。それに今にして考えれば幾度も亜種聖杯戦争に参戦してきたのもこの時のため、と考えた方がいいだろうな」

 

「なるほどな」

 

 サーヴァントも脅威だが、これで相手の魔術師の脅威も考えなくてはなるまい。

 時計塔の執行者たちを悉く返り討ちにする戦闘能力に、本家に及ばぬとはいえ数多の亜種聖杯戦争を生き抜いてきた戦歴。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアを何をしてくるか分からない策謀家とするならばアルドル・プレストーン・ユグドミレニアは明確な脅威だ。

 これならばロッコが憂慮するのも仕方がない話だろう。

 

「よし、話は分かった。せいぜい警戒してやるさ」

 

「ひょっ、まだ契約の話はしてないはずじゃがの?」

 

「……フン。こちらは俺を合わせてもまだ六人だが他にいるのか」

 

 暗に参戦を表明と捉えられる獅子劫の言葉にロッコはニヤニヤと笑うが獅子劫は意に介することなく話の先を促す。

 それにロッコは気を良くしたのか続けて語る。

 

「魔術協会からはお主を含めた六人だけじゃな。あとの一人は聖堂教会から出ることになっておる。聖杯大戦の監督役兼、マスターとしてな」

 

「聖堂教会か。監督役兼マスターとはまた胡散臭い話だ」

 

「その意見に同意はするが下手にこちら側だけで事を進めると後が面倒だからの。それなら好きにやらせた方が諸々の処理がしやすいと介入を認めたのじゃよ」

 

 聖堂教会とは端的に言えば古くから魔術協会と犬猿の中たる組織だ。

 争う聖遺物が仮にも聖杯と呼称されたものである以上、かの者らが指をくわえて黙っていられるわけもなく、こうして聖杯戦争と呼ばれる争いのたびに『監督役』と銘打って屡々介入してくるのだ。

 

「なるほど納得はした、なら次だ。英霊……サーヴァントを呼ぶには何らかの触媒が必要だったはずだが、それは準備してあるのか?」

 

 聖杯戦争の肝となる英霊、サーヴァント。

 原点となった聖杯戦争においても亜種聖杯戦争においても彼らの召喚には英霊と生前に縁があった何らかの品……聖遺物が必要になると聞く。

 英霊に縁のある聖遺物ともなればそれだけで魔術品として一級の価値を有することが多いため、自前で入手するともなればかなりの手間となるだろう。

 

 まして昨今は亜種聖杯戦争のせいでその手の品の入手難易度は跳ね上がっている。

 仕事として受ける以上、わざわざその入手に手間を割くのは御免だと獅子劫は考える。だがその懸念はロッコの一声で無用と化した。

 

「無論。話に乗るというならすぐにでも開陳しよう。と、言ってもお主には実際に見せた方が早いか」

 

 そういってロッコは席を立ち、執務机の引き出しから黒檀のケースを取り出すとテーブルの上に乗せ、慎重なしぐさでケースの蓋を開ける。

 中にあったのは何らかの木片。

 一見してただの木片にしか見えないが魔術師である獅子劫の目はそこに込められた熱を確かに捉えた。

 ロッコが木片の正体を口にする。

 

円卓(・・)だ。かつて一騎当千の騎士たちが故国であるブリテンを守るために語り合った、な」

 

「ブリテンの……円卓……まさか、アーサー王のッ!?」

 

 ガタッと思わず立ち上がる獅子劫。

 ここにきて初めての取り乱し様だった。

 

 ブリテンに関わりのある円卓と聞けば、これの正体を突き止めるのはそれほどまでに容易い。

 世界屈指の知名度を誇る『アーサー王の伝説』。そこに登場するアーサー王率いる円卓の騎士たちが語り合ったという円卓の木片。

 ともすればこれを用いて現れる英霊はアーサー王、ランスロット、ガラハド、ガウェイン、トリスタン、パーシヴァル……いずれの騎士にしても召喚する英霊としては文句のない知名度と性能を誇る歴戦の英霊ばかりだ。

 

「向こうに『先祖返り(ヴェラチュール)』がいる以上、こちらも出し惜しむ訳にはいくまいよ。過去の亜種聖杯戦争において奴はランスロットを英霊として従えた戦いもあったという。向こうが円卓の騎士クラスの英霊を呼ぶ可能性を考えればこちらも手を尽くすのは当然だ」

 

「ほう……ネックなのはやはりアルドル・プレストーン・ユグドミレニアか」

 

 話を聞く限り此度の聖杯大戦最大の脅威は間違いなくそいつだろう。

 多数の聖杯戦争経験に加え、当人の戦闘能力に、時計塔と争いながら収集したであろう魔術品の数々。

 それらはユグドミレニア勢力を格段に増力させるに違いない。

 

「とはいえ、一人につき一体が形が変われど聖杯戦争の大原則じゃ。まして七対七であれば如何に個人で優れていようと付け入る隙は必ずある」

 

「同意見だ。それに突出した一人がいるってのはかえって分かりやすい。なんせそいつを挫けばこっちの勝率が大きく上がるって話だからな」

 

「その通りじゃ。──さて、こちら側から開示できる情報は全て晒したわけだが、どうするかね? 此度の依頼、受けてもらえるだろうか?」

 

 もはや答えは分かり切っているという顔でロッコは獅子劫を見る。

 果たして獅子劫は──口を開き、ロッコはニヤリと静かに頷いた。

 

 翌朝、ロンドンを発つ飛行機に獅子劫の姿があった。

 荷物の中には黒檀のケース。

 行先はルーマニアが地方都市──トゥリファス。

 

 まもなく開催される聖杯大戦、その舞台であった────。

 

 

 

 

 

 ──『時計塔にて』

 

 

☆  ☆  ☆

 

 

 フランスのサン=マロはイギリス海峡に隣した港湾街だ。

 中世には修道士たちが身を置く城塞都市として。

 そして現代ではフランス屈指の観光地として知られている。

 

 取り分け、ここサン=マロの海岸から望む教会堂を展望する景色は「モン・サン=ミシェル」と呼ばれ、世界的にも知る者は多いだろう。

 西洋の驚異とも評される絶景は敬虔なカトリック信者であれば一度は必ず巡礼に訪れたいと願う場所であろう。

 

 フランスの片田舎から出てきた少女、レティシアもその一人だ。

 

「……綺麗」

 

 感嘆のため息をほうっと漏らしながら思わず呟く。

 学校の長期休暇中、旅行がてらにと友人に連れ出されてきた場所だが、まさに噂に違わぬといった絶景である。

 時刻がちょうど夕時というのも相まって暗い空と真っ赤な夕日が灯る水平線を背景に佇む教会堂は歴史を思わせる荘厳さと何処か切なさを覚える絶景だった。

 

 昼と夜。海と空。現世へと無言に佇む古代の遺物。

 不思議な感慨を覚えさせる永遠のような風景。

 

 だから、だろうか。

 

「──確かに。私も初めて見ましたけどこんなに綺麗だったんですねー」

 

 黄昏時は、逢魔が時。

 暫しあり得ざるものと出会う時間帯であるということをレティシアは知らなかった。

 だからこそ、この一時に少女たちは無邪気で無垢な邂逅を果たす。

 

「え?」

 

 それが自分に掛けられた声だと気づきレティシアは振り返った。

 女性だった。

 まず目につくのは手品師の身に着けるようなシルクハット。

 それから現代の流行からは大きく離れたフランス革命以前に流行っていたクリノリンドレスのようにスカート部分が膨らんだ丈長のドレス。

 

 何処かの舞踏会を抜け出してきたお嬢様といった風情でありながら全体的に地味な色で統一されているため庶民臭さが残るというチグハグな姿だ。

 茶髪に翡翠の瞳と全体的に整った顔立ちは確かに美人というべき顔立ちでありながら何処となく幼さを残しているため、実年齢は分からない。

 少女と言えば、少女。

 女性と言えば、女性。

 どこぞのお嬢様とも見えるし、逆に世間知らずの田舎娘とも取れる。

 

 曖昧だ。まるで昼と夜の狭間の様──。

 

「初めまして。貴女も観光ですか?」

 

「……ぁ、はい!」

 

 困惑しているとそんな質問を投げかけられる。

 思わずはっとして反射的に大きな声で返事した。

 人気のない辺りに声が響く。

 次いでその事実に気づき、恥ずかしさに赤面して顔を伏せる。

 

 レティシアという少女は純朴な村娘であり、お世辞にも人見知りが良いとはいえない。今回も友達に連れ出されなければ日課のミサに出るための教会と学生寮を行き来するだけで長期休みは終わっていたことだろう。

 それぐらいには積極性に欠けていた。

 

 だがそんな少女の大人しい気質を意に介することなく、女性は勝手に話を続ける。

 

「そうなんですねー、私は半分仕事、半分観光みたいな感じです。私のマス……主人がちょっと用事がてらに寄るということでせっかくだから私も一緒にと、ついてきちゃいました。昼間は街中を巡って、今は帰りがてら最後に此処を見ようと思って来たら丁度いい時間帯に着いたみたいですね。運が良くて助かっちゃいました!」

 

「は、はぁ……」

 

 ニコニコと笑いながら告げる少女然とした女性は困惑するレティシアを傍目に勝手に会話を続ける。

 やれあのレストランが良かったとか、あの道は観光しながらのお散歩に最適だったとか、主人が常時仏頂面の癖に顔に似合わず甘いものが好きだとか、その他諸々、恐らくその身に起きたであろう楽しかった出来事をひたすらに列挙していた。

 

 まさに勝手気ままに喋っているという風だが、何処となく愛嬌のある性格も相まって会話は一方的ながらそれが不快感には繋がらず、寧ろ微笑ましく思えてくるのは彼女の人格だろうか。

 さながら上京したての田舎娘が初めて見る都会の景色に興奮しているような様はレティシアをして既視感を覚える光景であり、自然といつの間にか友人と会話をするような感覚に引きずり込まれた。

 

「──それで、特にそのキッシュが絶品でして! 内装は主人曰くフランスじゃなくて英国風だーってことらしいですけどそんなの気にならなくなるぐらいおいしくって! 思わずおかわりも頼んじゃいました!」

 

「ふふ、そうなんですか。話を聞いているだけでもとても美味しそうです。私も食べてみたいですけど、今はちょっとお値段に手が届きそうにないので社会人になってからもう一度訪れる機会があったら食べてみようと思います」

 

「あ、そうなんですかー。そっか、レティシアさんはまだ学生さんでしたね。あまり私はそういうのに縁が無かったので……あ、そうだ! せっかくなら主人に頼んでみましょうか? あんまりお金に頓着しない人だから意外と了解してくれるかも!」

 

「そ、それはちょっと……。そのご主人さんにも申し訳ありませんし」

 

「そうですか? 私がお願いすれば結構、簡単に了承してくれると思いますよ? ちょっと前にカフェで見かけたケーキを頼むときも色々とお願いしたら最後は了承してくれましたし。まあ「……君はもう少し自分の年齢相応の振る舞いというか、大人らしさというべきものを身につけた方がいいね」とお小言はもらっちゃいましたけど」

 

「……あの、それって呆れられてるんじゃ」

 

「そうですか? 私はそういうことあんまり気にしないんでよくわかりませんでしたけど」

 

 ……会話の合間合間に何となく「適当さ」が垣間見える性格が見えた気がしたがともかく二人の会話はいつの間にか初対面のそれではなく、どこか抜けてる少女と生真面目な少女という友人知人の会話らしいものになっていた。

 そうして時間にしてに十分ほど、いよいよ空が暗くなってきた時に──ふと少女が……女性が今までにない静かな穏やかさでもって口ずさむ。

 

「……平和ですねー」

 

「え?」

 

「ふふ、ごめんなさいね。ついフッと思っちゃったんです。私の居た場所はこんな風に友人と気軽に笑って過ごせる時代(ばしょ)じゃなかったので」

 

 天真爛漫を絵にかいたような女性が見せた聖母のような笑み。

 その横顔をレティシアは吸い寄せられるように見る。

 

怒声(いかり)怒号(いかり)、皆さんいつも何かに怒っていた。叫んで嘆いて、悲しんでいた。私は愚かだったから、皆さんが何にそんなに怒って嘆いているのかが分からなかった。だからこそ私は私がその時に信じた正しいことを行ったんです。……失敗しちゃいましたけどね」

 

 てへへ、と笑う顔には暗い影がある。

 言葉とは裏腹に激しく後悔している証拠だろう。

 レティシアは何も言えない。何も言えないまま話を聞いていた。

 

「だからこそ……あの時間の果てに、あの行為の後にこうした景色を見られたことは幸福だと思うのです。私は愚かで間違えたけど、その間違いの果てにこうして今の平和(フランス)がある。だったら、私は役立たずだったけど、間違えたけれど……良かったな、と安心できる。これで、心置きなく戦えそうです」

 

「戦う?」

 

 似合わない言葉に思わずレティシアは言葉を挟む。

 戦い、争い……この純朴な女性には似合わない不釣り合いな言葉。

 

「ええ、そうです。そのために私は呼ばれました。今はそう、ちょっと午睡のまどろみの中、夢を見ていただけです。かつて願い、そうなれば良いと思った平和の夢を。でもそろそろ行かなきゃですね。役立たずの私の手を取って信じてくれた今生の主人(マスター)のためにも」

 

 言って、女性は半歩引いてこちらに向かって、お辞儀をする。

 そうしてスカートの端を摘み、まるで天使のような風格で、

 

「では、ごきげんよう。レティシアさん。また(・・)、お会いしましょうね」

 

 不意に冷たい潮風が突風のようにレティシアの顔に掛かる。

 とっさに顔を背け、風が収まったころには……女性の姿は何処にもなかった。

 

 全ては溺れる夢のように、そんな再会の言葉を残し、気配も残さずシャルロットと名乗った女性はその姿を夜に消した。

 この出会いに意味はない。

 一人の少女が偶々、見知らぬ地で、見知らぬ女性と会話しただけ。

 旅の道すがらの不思議な出会い以上の意味はない。

 

 

 

 今は(・・)まだ(・・)




思うに、聖人を殺す最も簡単な手段はいつの世もたった一つだ


──とある魔術師の独白

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