シャルルマーニュ十二勇士。
それはフランスにおいて語られる武勲詩、『シャルルマーニュ伝説』に登場するシャルルマーニュこと、カール大帝と彼に仕える
しかし実のところ十二勇士と称えられる彼らだが、実際必ずしも固定したメンバーで十二人語られるわけではなく、叙事詩によっては欠番があったり、メンバーが変わっていたりと語り部によって内実は異なる。
とはいえ、それでも高名な聖騎士というものは常に騎士道物語を彩るもので、例えばシャルルマーニュことカール大帝や、伝説の聖剣デュランダルを携えたローラン、ローランの親友で知将としても名高いオリヴィエなどは、いずれの詩にも登場する十二勇士を代表する聖騎士である。
そして──そんな彼ら伝説の勇士たちに比べれば聖騎士アストルフォは知名度において一段落ちる存在と言えるだろう、その武勲も含めて。
彼が登場するのは『狂えるオルランド』と呼ばれる詩群。その詩においてアストルフォは時にタタール王アグリカーネを撃退したり、邪悪な巨人を捕虜として捕えたり、果ては失恋から発狂してしまったオルランドことローランの理性を取り戻すために月へと旅立ったりと破天荒ぶりな性格故の様々な冒険を繰り広げた。
詩においてすら決して優れた騎士ではないと歌われてしまうほど、弱い騎士ではあったものの、魔法の槍や魔法の本など多くの神秘を纏った道具を携え、友のために多くの冒険を繰り広げた勇ましき騎士として、彼の功績は伝説の一角に花を添えている。
たとえ弱いと語られようとも彼は聖騎士なのだ。
故に此度の戦──聖杯大戦と呼ばれる一騎当千の英霊集う戦場に在っても、彼は彼を全うする。
対する難敵“赤”のアーチャーの放つ弾幕を掻い潜り、死と隣り合わせの中懸命に戦い続けていた──。
☆
「うわっとッ!?」
ヒュンと頬を掠めて彼方に飛んでいく矢を前に声を上げつつ、もう何度目かも分からない敵の攻撃を潜り抜けた“黒”のライダーはほっと息を吐く。
……今のはかなり危なかった。愛馬ヒポグリフが司る異能──『空間跳躍』直後を狙いすました一矢。回数を重ねるごとに精度を増していく敵の狙撃を前に背筋が凍る思いを抱きながらも彼はめげずに進み続ける。
「うーん、でも中々距離を詰められない……どんな足をしてんのさ、あいつ」
しかしその勇猛さをして尚、相対する“赤”のアーチャーは難敵だった。
獅子と鷲の混血である伝説上の魔獣グリフォンの上半身と馬の下半身を持つあり得ざる獣、幻獣ヒポグリフ。
アストルフォの騎乗するそれは空を駆る獣の中でも上位に食い込むほどの速力を誇る存在である。
にも関わらず開戦から既に半刻を数えても一向に距離が詰められないのは敵の巧みな狙撃もあるが、それ以上に敵自身の脚力にあった。
速いのだ──少なくとも容易に追いつけない程には。
戦場はトゥリファス市街地。中世の街並みを今なお保つ石造りの街並みだが、敵はその街を利用し、入り組んだ脇道や建物間に吊り下げられた布天井などを使って“黒”のライダーの視線を外してから矢を放つということを繰り返していた。
自前の速力に加え、如何なる障害物も苦にせず踏破し、注意していてもあっという間に“黒”のライダーの注意から逃れて意識の外から矢を放ってくる。
そのため後手後手で攻撃を回避しつつ、敵に追いつこうとする“黒”のライダーは振り切られるまではいかないモノの、自らの得物の射程に敵を収めるまでには至らないという非常に歯がゆい状況に陥っていた。
「さて困ったぞぅ、どうしようか」
むむむ、と目を細めて状況を打開する術を考えるが、困ったことに彼は頭がよろしくない。スキルとして『理性蒸発』を身に着ける程度には理性的行動を苦手としており、何事に対しても直感的に動くのが彼の流儀だ。
だからこそ未だ姿見ぬ射手──“赤”のアーチャーのまるで冷徹な狩人のような立ち振る舞いを前に打つ手を失っていた。
……無論、本気で距離を詰めようとすれば出来なくはない。愛馬ヒポグリフは空間跳躍という類まれなる異能を司る。これを全力で使用すれば瞬く間に敵との間合いを縮めることができるだろう。しかし──。
「それはそれで嫌な感じがするんだよなァ……」
“黒”のライダーはボヤきながらその手段に着手しない理由を口にする。
根拠のない直感ではあるものの、この敵を前にして「多少の無理をして距離を詰める」というのは危険なのだと第六感が告げている。
そしてそれ故にやはり千日手。
“黒”のライダーは敵を捉えるに至らない。
「うーむ……うわっ!」
腕を組み暢気に考え込んでいると再び矢が“黒”のライダーを襲う。
今度の狙撃は軌道上完全に“黒”のライダーの心臓を捉えていたものの、間抜けな主に代わり、それなりの理性を有するヒポグリフ自身が呆れの色が乗った鳴き声を上げながら見事回避してみせた。
「いやー、ナイス君! ありがとありがと」
『ピューイ……』
お礼に“黒”のライダーはヒポグリフの首を撫でるが、ヒポグリフの方は塩対応だった。尤もそんな部下の反応に気づくことなく“黒”のライダーは再び暢気に如何にして“赤”のアーチャーに追いつくかを考える。
「えーと、こういうときは、まず情報の整理! うん!」
そうして悩んだ挙句に“黒”ライダーはそんな結論に至り、頷く。
……今まさに生死のかかった死線でやるべきことではないが、無策で敵に突っ込むほど流石の“黒”のライダーとて無謀ではなし、しかして思考しながら戦闘をこなせるほど彼は“黒”のセイバーや“黒”のアーチャーほどに戦闘に極まっているわけではない。
だからこそ相棒であるヒポグリフにいったん回避行動の全てを丸投げ、もとい任せて暫し不向きな思考の海に浸かることにする。
──さてまず前提として“黒”のライダーことアストルフォの役割とは分かりやすく、今まさに侵攻してくる“赤”の陣営よりミレニア城塞を守ることである。
その役割の一環として、彼は“赤”のアーチャーが陣取ったとされるトゥリファス市街地に偵察へと赴き、結果、現在交戦中にまで至る。
“赤”のアーチャー……その実力はこの通り、流石は弓術にて伝説を確立させたであろうだけあって、こちらのアーチャーに負けず劣らずな腕を持っており、容易に会敵すらさせて貰えない。
“黒”のライダーが敵に有効打を与えるためには自身の宝具の一つである槍にせよ、愛馬であるヒポグリフにせよ近距離まで接近して攻撃を当てる必要があるが、現状、その距離までは詰めさせてくれない。
こちらの動きを先読みするかのごとき優れた弓術も脅威だが、それ以上にトゥリファス市街地の曲がりくねった街道や細い路地裏などの複雑な街の地形を駆使しながらも、空を駆る“黒”のライダーに負けず劣らずで駆け抜ける“赤”のアーチャーの足こそが、彼ないしは彼女に接敵するために越えなければいけない最大の障害であった。
「ホント、何なのさあいつ。ボクとヒポグリフに走りでどっこいどっこいって」
口を尖らせながら“黒”のライダーは何度目かになる愚痴を漏らす。
そう、現状“黒”のライダーを攻勢を詰まらせるあの“赤”のアーチャーの脚力をどうにかしない限り“黒”のライダーに勝ち目はない。
何かしらの手段を講じて接近しないことには“黒”のライダーは攻撃手段を持たないし、この状態が続けば刻一刻と命中精度を増していく“赤”のアーチャーの狙撃に追いつかれて“黒”のライダーはこの戦いで命を散らすこととなるだろう。
ならばと、一旦退却するという手もあるにはあるが、その場合平原側に加えて市街地側を完全に“赤”のアーチャーに取られることとなり、ミレニア城塞は平原と市街地両方からの挟撃を許すことになる。数的には拠点で構えるこちらが優位であるため、簡単に陥落はしないだろうが、後が無いという意味で“赤”の陣営に対して大きく趨勢は傾くこととなる。
つまり“黒”のライダーは此処でどうにかして“赤”のアーチャーを倒すか、または退却まで追い込む必要があり、そのためにはどうにかして接近して攻撃を加える必要があるのだが……。
「……速さじゃ負けないけどアイツほどボクのヒポグリフは小回り利かないしなァ。かと言って真っすぐ突っ込んでいくのも何か危なそうだし、ねえ君。実は凄い力で一気に“赤”のアーチャーの所まで空間跳躍とか飛ぶことは出来ない? こう……ギュイーンって!」
『…………ピュー』
出来るかバカ主、とでも言いたげな冷たい返事をするヒポグリフ。
今も全力で“赤”のアーチャーの攻撃を避けて回っているというのに、回避をヒポグリフに全振りして戦場で暢気に考え込んだ挙句、出した結論がヒポグリフの底力に任せるというモノでは流石のヒポグリフもついうっかり空中に“黒”のライダーを放り投げたい欲求に襲われるというものだ。
とはいえ“黒”のライダーの頭では考え込んでも解決策というものが浮かぶわけがないという結論は得られた。なので、“黒”のライダーは事ここに至ってようやく……。
「うーむ、此処にケイ──“黒”のアーチャーが居れば、色々とボクに思いつかない良い方法を教えてくれたんだろうけど……あ」
自身が行うべき最善の方法に思い至るのであった。
即断即決は聖騎士であった頃からの数少ない“黒”のライダーの強みである。
半ば忘れられかけていた通信用のルーン石を取り出すと“黒”のライダーは速やかに“黒”のアーチャーへと通信を繋げた。
「やっほー! 聞こえてるかいアーチャー! ちょっと助けて欲しいことがあるんだけど!」
『……“黒”のライダーですか、ようやく連絡してくれましたね。今はどちらに? こちらは少々立て込んでいたため、そちらの状況を詳しく把握できていないのです』
「ん? 忙しいって何かあったの?」
『ええまあ、“赤”のセイバーとそのマスターに上手くやられまして、こちらが戦場の景色に翻弄されている間に彼らのミレニア城塞への侵入を許しました。今は“黒”のキャスターが“赤”のセイバーを。そして“赤”のセイバーのマスターを我々のマスターが対応しています。私もそちらの援護に向かおうとしていた最中です』
「……え、それってかなりヤバいじゃん!」
『その通りです。なのでご用件は出来るだけ手短にお願いしたいのですが……』
“黒”のライダーが“赤”のアーチャーを前に攻めあぐねている間に自陣営が晒されている状況に思わず焦りを覚え、対する“黒”のアーチャーは冷静に言葉を返す。
返ってくる言葉に焦りの色はないため、まだ陥落するほどの窮地ではないにせよ、暢気に“赤”のアーチャーを相手取っている暇はなくなった。
「んじゃあ、手短に。今“赤”のアーチャーと戦ってるんだけど、攻めあぐねてるんで上手く“赤”のアーチャーを倒す方法を教えて!」
『……言いたいことは色々ありますが、まず貴方には“赤”のアーチャーを発見次第報告して欲しいとお願いしたはずなのですが……』
「え? あ、そうだっけ? ……にゃはははは」
『はぁ……それに手短にと言いましたが状況も分からずに事態の打破を考案するのは不可能ですよ』
「あ、そうか。じゃあ今の状況だけど……」
『いえ、問題ありません。こちらで確認します。トゥリファス市街地ですね』
“黒”のライダーに言わせたら長くなると考えたか、或いは自らの目で確認した方が早いと思ったのか、暫し“黒”のアーチャーからの連絡が途絶える。
その間も絶えず“赤”のアーチャーによる狙撃が“黒”のライダー及び、ヒポグリフに加えられるが、精度を増したとはいえ、制空権を我がものとしながら空間跳躍による中距離程とはいえ瞬間移動という反則じみた機動力は“黒”のライダーがそうであるように、“赤”のアーチャーに対しても同じ千日手の状況を強いるもの。
徐々に狙撃の精度が追いつきつつあるとはいえ、未だに敵にしても“黒”のライダーを捉えきるまでには至っていない。無言の攻防は時間にして僅かに一分。
“黒”のライダーからしてみればやや長く感じられる空白を挟んで、“黒”のアーチャーから言葉が返ってくる。
『見えました……なるほど“赤”のアーチャー。中々の使い手の様ですね』
「でしょ? そのせいで全然近づけなくってさ」
流石は弓兵のクラスというべきだろう。ミレニア城塞に居たままであろうに“黒”のアーチャーから現状を捉えたであろう言葉が返ってくる。
市街地からミレニア城塞までは数十キロはあるにも関わらず、“黒”のアーチャーのその眼は確かに戦場の光景を正しく映していた。
『そうですね。私が此処から援護して幾つかの手段も講じられるでしょうが……現状、あまりかけられる時間はありません。状況が状況なら貴方と共に“赤”のアーチャーを討つこともできたのでしょうが』
「あー、いいよいいよ。何とかする方法だけ教えてくれれば。そっちも大変なんだろ? 方法さえ考えてくれれば後はこっちはこっちで何とかするさ」
『いえ、そうではなく。“赤”のアーチャーの腕を見る限り如何なる方法でも“赤”のアーチャーに対して方法一つで接近することは困難でしょう。こちらから見て取れる射線を考えるに、どうやら“赤”のアーチャーはかなり速く、そして巧みに位置を取っている。……真名の特定はできませんが、足の速さと獲物の隙を穿つ巧みさから見るにもしかすれば狩人の類かもしれませんね』
「狩人?」
『ええ。ゲリラ戦を展開する腕もそうですが、貴方の駆るヒポグリフの動きを正確に見て読んでいる辺り、人よりは獣に通じた使い手の様に見受けられます』
“黒”のアーチャーは“黒”のライダーと交戦する“赤”のアーチャーの狙撃に対してそのような感想を漏らす。確かに“黒”のライダーの駆るヒポグリフは騎乗者である主の命に従って動くというよりは主を乗っけて自分で動くというスタイルで、“黒”のライダーその人物が動かしているとはあまり言えない。にも拘わらず、動きを読み切って精度を増していく狙撃は、どちらかと言えば人読みというより、獣の動きを熟知しているのだと言えるだろう。
なればこそ、賢者はその腕から敵の正体を朧気ながら特定する。
ギリシャ神話随一の賢者の目は戦場においてもその効果を抜群に発揮する。
『そしてだからこそ簡単な釣りには乗ってこないでしょう。狙撃の腕にプライドを持っているならばやり様もあるでしょうが、自らの役目に徹し、冷静さと冷徹さを以て確実を期す相手に多少の揺さぶりは通じません。貴方が足止めされているのが現状な様に、貴方という相手を前に足止めされているのは相手も同じです、にも拘らず相手の動きに焦りはありません……つまり』
「最初から“赤”のアーチャーの役目はボクの足止めってこと?」
『もしくは時間が焦りに繋がらない役割といった処でしょうか。或いは初めから貴方を倒すことが相手の狙いということも考えられます。じっくり構えればこのアーチャーの腕であれば貴方を仕留められるでしょうし』
「うわー、それはヤダな」
『そうですね。なので私としては此処で貴方に引いてもらうのも一つの手だと考えます。敵が無理せずこちらを追い詰めてきている以上、無理をして突っ込んでいけばそれこそ敵の思うつぼですから』
「でも、それだと“赤”のアーチャーに城を挟まれちゃわない?」
『そうなりますね』
そしてそれも致し方ないと“黒”のアーチャーは考える。
確かにその選択肢は状況をより悪い方へと傾かせかねないだろう。
だが、無理をして此処で“赤”のアーチャーを倒すために攻勢へと舵を切れば、“黒”のライダーを失う危険性がある。
未だ脱落者を見ない聖杯大戦。英霊対英霊の戦いである以上、七対七と七対六では大きく状況も変わってくるだろう。安全策を取るのであれば、此処は“黒”のライダーを一旦引かせて多少の不利を飲み込むのも一つの手であると。
“黒”のアーチャーはそのように考えた。
しかし……。
「──いや、ボクはやるよ。ここで何とかする」
『ライダー?』
返ってきた言葉は“黒”のアーチャーの考えとは全く逆なものであった。
「そっちはそっちで大変なんだろう? そんな時にボクのせいでもっと大変なことにはしたくないからね。ボクはこれでもシャルルマーニュ十二勇士の一人だ。……そりゃあ槍の腕はそこそこでそんなに強くないし、寧ろ弱っちいのは自覚してるけど……
『ライダー、貴方は……いえ、貴方らしいですね』
「だろ?」
確かに彼は生前から馬鹿だの阿呆だのと言われてきた、さして武名も響かなかった英霊である。だが、それでも彼は英霊なのだ。
武勲詩として名高いシャルルマーニュ十二勇士の一人としてその名を刻み、如何なる状況においてもその誇りを損なわない聖騎士。
或いは別の運命では名も無き一人の少年を救い、生き方の指標とまでなる英雄は、その誇りから仲間の足を引っ張ること厚顔無恥を良しとは決してしないのだ。
不可能可能かは後回し、何とかするしかないなら
「アーチャー、ボクに道をつけてくれ。そしたら後は……ボクがあいつを何とかする」
『……ふう、止めても聞きそうにありませんね。かなり博打になりますが、ライダー。私を信じてくださいますか?』
「それについては大丈夫! ボクより君の方が頭がいいのは知ってるからね! オリヴィエと同じぐらいには信頼してるさ!」
『ふふ、それはまた……分かりました。ライダー、私の知恵でもって貴方の行く道をつけます。“赤”のアーチャーは任せました』
「まっかせてよ、よし行くぞ! ヒポグリフッ!」
『ピューイッ!』
大きく羽を羽ばたかせて幻馬が
聖騎士の誇りを掲げ、“黒”のライダーは長らく続いたその均衡を打ち崩さんと槍を構えて、遂に“赤”のアーチャーとの決着へと乗り出した。
……
…………。
舞い上がる飛影を見上げて“赤”のアーチャー、ギリシャ神話随一の俊足を誇る英雄、アタランテもまた戦場の空気が変わったことを察する。
「来るか、“黒”のライダー」
星々の光を背に夜の暗黒に身を躍らせる飛影の姿に、“赤”のアーチャーもこの交戦にて今までの均衡が崩れることを確信する。
これまで距離を詰めることに苦心していた“黒”のライダーが突如として距離を取る。
或いは退却するつもりかとも思ったが、かの飛影は距離を取りながらも戦場を離れる気配はない。であればこそ、次なる一手を乾坤一擲とすると、そう見て取るのは容易だった。
……事ここに至るまでもう幾度も矢の回避されてきた“赤”のアーチャーだが、所詮その全ては“赤”のアーチャーが敷いた布石に過ぎない。
獲物との速度、獲物の呼吸、そして獲物の間合い。
狩りの成功率を上げるため、狩人が行う謀りごとに過ぎない。
必殺の状況を期し、確実に獲物の息の根を止める。
もう何度となく生前からこなしてきた狩りの流儀。
既に獣狩りの用意は、英霊を射殺す必殺は完成されている。
……“黒”のライダーが駆るあの飛影。恐らくは伝説に聞く、ヒポグリフという奴だろう。
聖杯より齎される知識を参照するに間違いあるまい。
空間跳躍なる規格外の異能を備えていることは想定外だったが、それもここまでの交戦で読み整えて来た。
なるほど前動作なしの瞬間移動とは凄まじい厄介さだが、それだけだ。
矢を躱すという行動を取る以上、その異能を除けば当たれば死ぬという当然の理を持つ獣の一種に過ぎない。加えて、その瞬間移動にしても何ら手立てがないわけではない。
「一つは跳躍したところでどうにもならない程の弾幕を展開すること」
例えば彼女の宝具『
先にミレニア城塞目掛けて放った矢の弾幕を張り巡らせば、如何にヒポグリフとてどうにもならないだろう。瞬間移動の距離は“赤”のアーチャーの目測で精々が中距離……現時点から平均して五十メートルほど。もしかすればそれ以上の跳躍も可能なのかもしれないが、空間跳躍という規格外の異能が要する魔力消費を考えればキロ単位で移動して回れるとは思わない。
そうであれば一度は己の眼前に出現するような事態を引き起こしているだろう。故に最大でも空間跳躍を可能とする距離は百数メートルだろうと“赤”のアーチャーは考える。
なればこそ躱した先をも飲み込む矢の弾幕、それを放てばあの獣は対応のしようがないはずだ。
そしてもう一つ、あの獣を仕留めるために出来る手段がある。
「空間跳躍の直後、次の跳躍までにある一呼吸。そこに隙があると見た」
アレだけ空間跳躍の乱発を見せられれば一流の狩人である“赤”のアーチャーにとって幻馬に生じる僅かな隙というモノを見極めるのは児戯に等しい。
そもそも矢を避けるだけならば空間を跨ぐ際に通るだろう異次元や異空間に潜っていればいいのだ。空間跳躍という短時間で次の地点にまで移動する時点で、一度発動すれば次の地点に必ず現れるという現象自体が、この世界から消えることができるのが短時間であることを示している。
加えて空間跳躍の異能は発動自体は乱発できても、一度潜れば必ずや一度現実に浮上しなくてはならないことも把握している。
“赤”のアーチャーにとって驚異的に映ったその異能も原理さえ分かってしまえば攻略方法は簡単だ。即ち空間跳躍直後、次の出現地点を狙えばいい。
予めそこに矢を撃ち込んでいれば必ず現実に浮上しなければならない能力である以上、先読みから逃れる手段を敵は持たないのだから。
その
しかしその一瞬に矢を番え、敵を仕留める程度。
出来てこそ──彼女はギリシャ神話随一の狩人と称えられるのだ。
……“黒”のライダーを仕留める手段として確実なのはもう一度、己が宝具を切ること。
だがホムンクルスによる魔力供給システムを使う“黒”の陣営とは異なり、自らのマスターに消費魔力を依存する“赤”のアーチャーはそう簡単に宝具を乱発できない。
確かに“赤”のアーチャーの宝具はかの“赤”のランサーや、“赤”のライダーほど燃費の悪いものではないが、それでも今後の戦闘の継続を考えれば活動魔力に余裕を持たせたいと考えるのは当然だ。
獅子は兎を狩るのに全力を出すとは言うが、狩人である“赤”のアーチャーにとってそういったものは最も愚かな手段にしか見えない。
獲物に対し、必要最小限な力を、知恵を見極め、どのような想定外にも対応できるよう常に余力を持って対応する。それが出来てこその一流の狩人である。
なればこそ、宝具は切らない。扱うは生前より研ぎ澄ませてきた己の技量。
何よりも信頼し、何よりも自信を持つ己の腕にこそ他ならない。
「さて……」
飛影をその眼に捉えつつ、“赤”のアーチャーは駆け出す。
臭いで覚えた街の複雑な路地裏を自身の庭とばかり駆け巡り、最短最速で彼女は目的の場所にまで辿り着き、タンと軽やかに跳躍──辿り着いた決着の地はトゥリファス市庁舎。
公において聖杯大戦開戦の地となった場所である。
これまで姿を隠して移動しながら射撃していた彼女が完全に姿を晒してみせたのは獲物への敬意でも武人としてのプライドでもない合理的な理由だ。
即ち──。
「私は此処だ。来るというなら来るが良い。幻馬を駆る“黒”のライダー。此処がお前にとっての死線だ」
獲物の動きを限定し、その未来を摘むために。
罠など、小細工などいらない。
敵が攻勢に出て、自らに突撃してきた瞬間こそ彼女の手にする必殺の間合いである。
夜空を背にした敵との距離はおよそ10㎞。
この距離こそ、敵の余命だ。
かくて──最後の交戦の幕が上がる。
「うおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
深夜の市街地に響き渡る聖騎士の雄叫び。
「ッ!!!」
対するは無言のままに敵の死を幻視し、必殺を創るギリシャ神話随一の狩人。
決戦を覚悟した両者が刹那の交戦へと身を躍らす。
その最中に、聖騎士が吼える。
「『
宝具真名、解放。
幻馬の持つ真の性能を詳らかにし、聖騎士が空を奔る。
「ッ……! 速い……!」
此処までの速力は全力ではなかったのだろう。
次を捨てた決戦の覚悟が見せるはこれまでとは桁の違う突撃。
“赤”のアーチャーは知らぬモノの、出力をしてAランクの威力を誇るヒポグリフの粉砕突撃だ。
様子見にこちらの攻撃を回避してきた時とは文字通り桁違いの速度。
なれども。
「来る場所が読めるならばそれに従って間合いを測るまでのこと……!」
修正、改善……よって未だに我が手の上。
弓の弾き具合により威力が変化する神より賜りしタウロポロスに加える必要がある力を、刹那にも満たない時間で幻馬の突撃に対応するに必要なものへと変更する。
それは必要な力のみを使い、余力を持って対応していたからこそ出来る絶技。狩人としての経験と判断力が“黒”のライダーが生んだ想定外をも上回る。
放たれる百を上回る矢の弾幕。それを前に幻馬は想定通り真正面から飛び込み、そしてすり抜ける。
空間跳躍──発動。
なればこそ、
「いちっ、!」
一の矢……これを以て余裕を飛ばせる。
僅かに届かず、敵の連続空間跳躍を許す速度。
それでいて敵の空間跳躍直後を狙った最速の一撃、それが当たるよりも早く。
(躱す……!)
「に、ッ!!」
放たれる、二の矢。
そこに敵はいない、在るのは幻視する次の瞬間の
果たして未確定の未来は現実に。
距離は五十メートル。出現した敵の前に迫る回避不能の二の矢。
驚愕する敵はなれども、突撃の覚悟を決めていたが故に騎乗槍で奇跡的に対応し、
──故に弾いた先にある。
「さんッ!!!」
最後の
“赤”のアーチャーへの道は半ば。
敵の突撃が届くより先にこちらの攻撃が先に届く。
対策はない、対応は不能。
故に
「これにて詰みだ。“黒”のライダー」
冷酷に告げる死の宣告。
これより逃れる術は“黒”のライダー
「
果たして、その声が全ての前提をひっくり返す。
必殺の矢が“黒”のライダーに直撃する寸前。
“赤”のアーチャーが放った矢を──異なる方向より放たれた矢が打ち落とす!
「なッッ!!」
想定外の事態、全く予期せぬ現実を前に。
冷静を誇った“赤”のアーチャーが初めて驚愕と動揺の声を漏らす。
しかしそれも当然のことだろう。
確実を期して創り上げた必殺が破られただけではない。
周囲に“黒”のライダー以外の敵手が見当たらないことを前提としていたのだ。それがこのような
彼女は知らない──刹那の攻防で披露された絶技は二つ。
一つは威力換算にてヒポグリフに及ぶAランクに匹敵する速度と威力で放たれた彼女の矢という小さな的を、同じ弓矢で打ち落としてみせるという奇跡的なまでの精密射撃。
そしてもう一つは、ミレニア城塞からトゥリファス市庁舎までのおよそ数十キロにまで及ぶ、到達までのタイムラグも完璧に計算にいれた超長距離射撃。
「──なるほど、貴方は確かに一流の狩人かもしれない。しかしこれは聖杯大戦。舞台は戦場で、状況は狩りではなく戦場なのですよ」
故にそこまで考慮するべきだったとミレニア城塞からトゥリファス市庁舎にて立ちすくむ弓兵を前に呟く“黒”のアーチャー……ギリシャ神話が誇る賢者ケイローン。
厳かに告げる彼の言葉は道理であるが、されども考慮していたとしても対応できたかは怪しいだろう。
敵に“黒”のアーチャーがいたと想定してはいても、この距離、この精度の精密射撃が出来る弓兵はそう多くはない。恐らくはアーチャークラスとして最大級の格を誇る、とある救国の大英雄に真似できるかと言った所業である。
だが、元より彼にとってこの程度の距離など問題ではない。
何故ならば彼の
星間を横断する所業に比べれば距離は問題になどならない。
──前提は崩れた。必殺は砕け散った。
よって未来は変わる。
愚直な勇者に勝利の女神は微笑むのだ。
「“赤”のアーチャー、覚悟ッッ!!!」
「ぐっ、おのれぇ!!」
次弾を番えるが間に合わない。
対して突撃する“黒”のライダーはもはや眼前。
獲った──! / 獲られた……!
戦場に居合わせる誰も彼もがそのように確信した。
そう──ここに勝負は決した。
この一戦、この戦い。
シャルルマーニュ十二勇士、アストルフォは間違いなくかの英雄、俊足の足を誇る英霊アタランテの実力を仲間の手を借りながらも上回ったのである。
その勝利は自らの愚直さが引き寄せたものであり、誰にもケチのつけられない結果だ。
だからこそ、それは運命としか言えない不幸であった。
或いは陰から聖杯大戦を仕切る男が齎してしまった必然か。
英霊が導くはずの運命は既に倒れ、世界は異なる未来へと分岐している。
なればこそ英雄の役目は疾うの昔に終わっており、それでいて必然は訪れる。
この戦いに望む英雄に瑕疵はなく、なれども彼の
それは聖杯大戦の奏者たる彼すら望まぬ結論。
即ち──
「え────」
──困惑の声が己から洩れたと果たしてアストルフォは自覚できたか。
突如として足場が消えるような断絶。
まるでコンセントを無造作に引き抜いて消えるようにして、
それが生み出す弊害が一瞬で毒となってアストルフォを巡る。
槍が消える、ヒポグリフが消滅する。
崩し切ったはずの自らの死という未来。
もはや理不尽と言えるまでの領域で、その未来が現実に起こる。
誰もが想定せざる未来。
これを前にかの賢者ケイローンですら打つ手はなく。
「──勝負はお前の勝ちだ、“黒”のライダー」
冷たく囁く自身にとっての死神に、対処する術はない。
「だが、死ぬのはお前だ。“黒”のライダー」
心臓を撃ち抜く、矢の一撃。
急所に当たった攻撃はアストルフォの核を打ち砕き、この世に在ることを許さない。
動揺しながらも反撃を整えようとした者と、
動揺に空白を持ってしまった者。
紙一重の差で勝負の裏表が反転する。
かくして無情にも勝敗は決する。
勇者の無謀は運命の女神に袖にされ、
此処に“黒”の陣営初となる脱落者が確定した──。
今回のあらすじ
運命の女神
「主人公補正? あるわけねえだろ! そんなもの!!」
元運命の主役
「すまない、殆ど登場もなく死んで本当にすまない」
運命の主役
「やっぱり、ダメだったか(諦めの境地)」
被害者のライダー
「ちょ、マスターあああああああああ」