千年樹に栄光を   作:アグナ

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生と死。その二つに関して考えることが二つある。

それは自分という人種は生きることそれ自体に興味がないこと。

そして訪れる死への恐怖よりも、

死体を残すという行為に恐怖すること。

では何故、私は生を選び続けるのだろう。

では何故、私は死よりそれが齎す結果に怯えるのだろう。

私の原点、起源というべき根源は何処にある。


トゥリファスの夜/『先祖返り』

 トランシルヴァニア地方──トゥリファス。

 かのオスマン帝国の侵攻をはね退けたルーマニアの大英雄、ヴラド三世生誕のシギショアラから北方にある小さな地方都市である。

 中世におけるトルコ兵の侵攻を防ぐために作られた城塞とそのうちに囲われた中世欧州の古き良き街並み以外これといって突出するべき特徴がない街でもある。

 少なくとも表向きにおいては。

 

 だが、魔術世界──魔術師であればこの地の意味を知っている。

 此処には魔術研究には潤沢な霊脈と、その霊脈を管理する管理者(セカンドオーナー)が存在するということ。

 そして他ならぬその管理者こそ、半年前魔術世界における絶対の支配者たる魔術協会に宣戦布告を行い、時計塔が揃えた五十名の魔術師を悉く排し、今なお新秩序を築かんという野望に燃える此度の戦乱の首謀者であるということを。

 

 夜の闇深くなる深夜のトゥリファス。

 この街の最たる特徴である此処、ミレニア城塞にて。

 遂に動き出した野望を前に彼は武者震いと感慨に震えていた。

 

 男──ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 百年を生きる魔術師は大聖杯を見上げ、重々しく口を開く。

 

「そう──何もかもすべてはこの日のためだった」

 

 ユグドミレニアの血は穢れている。何れは廃れ、滅びるだろう──。

 そんな戯言を信じ、ユグドミレニアを軽んじた時計塔と袂を分かって久しい今日までの日々。

 必ずや時計塔に目にモノを見せてくれようという怒りを胸に第三次聖杯戦争を生き抜き、冬木の地よりかの大聖杯を持ち出し、この地の霊脈に大聖杯を適応させようと研究を続けること五十年……いや時計塔に復讐を誓ったその日より六十年以上。

 

 通常であれば一代が次代に移り変わるほどの時をダーニックは己が政治手腕とカリスマと魔道によって君臨し続けてきた。

 道は決して簡単なもので無かった。大聖杯を起動させるため、大聖杯の構造を解析し、必要な予算、資源をかき集め、一族の意思統一を図り、何れ来る聖杯大戦に備えるため密かに聖遺物を収集する──。

 誰にも気づかれず闇に潜みながらその牙を研ぎ続けるのは相応の苦労を要した。そして今、その苦労を対価に乗せた彼の一世一代の大博打が始まるのだ。

 

 負けるつもりはない。

 万全に万全を重ね、出来る限りの準備はし尽くした。

 されど負ければ、全てを失うこととなるだろう。

 だが────。

 

「勝つのは我々、ユグドミレニア。そうだな、叔父上」

 

「────」

 

 カツカツと靴を鳴らし、大聖杯を見上げるダーニックに近づく人物。

 足音はやがて、ダーニックの隣に歩み並ぶ。

 

「アルドル、戻ったか」

 

「ああ、当日になってすまない。こちらの仕込みに少々時間がかかった」

 

 そう告げる青年の名はアルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 ダーニックにとって数少ない血縁を持つ親族であり、ユグドミレニアに生まれた希望の千年樹。多くの血を取り込むことで薄く広く繫栄することを選んだ家系にあって未だ直系の魔術刻印を有する最後の一人だ。

 

「それについては問題ない。既にこちらでおおよその手筈は整えているし、お前は自由に動いてもらって良いという方針は告げているからな……とはいえ、もう少し自分の身を大切にしてほしいと叔父として思っていたがね」

 

 その言葉はダーニックを知るものではあれば耳を疑う言葉であった。

 何せ絶対の支配者たるこの男が自由行動を是とし、あまつさえ純粋に身を案じるなどということさえ行っているのだから。

 冷徹と冷酷さで魑魅魍魎の政治世界、魔術世界を生き抜いてきた男とは思えない。暖かな言葉もしかし、目前の青年が相手では仕方がないだろう。

 

 何せ、彼こそダーニックが全幅の信頼を置く唯一の魔術師。何れユグドミレニアが新秩序を築いた暁には新たな支配者として君臨することになるであろう千年樹の新芽なのだから。

 

「亜種聖杯戦争連戦に関する件は許してもらいたい。どのみち、モドキすら生き延びれないのであれば本番に保つはずがない。だがお陰でそれなりの知見と蓄積は得られたと思っている」

 

 心配に対する青年は感情の読めない鉄面皮で言葉を返す。

 親しいものより鋼のようだと例えられる威圧感を感じさせる感情色の無い言葉は喜怒哀楽を見せることを良しとしない政治屋として手腕を振るったダーニックの血か、はたまた生来の特徴であったのか。まあ、些事たる問題である。

 

 重要なのは青年がダーニックと志を同じくし、ダーニックに比する意志力で以ってその牙を研ぎ続けてきたという事実だけ。

 真の意味で青年はダーニックにとって身内であり、同志なのだ。

 

「そうか、ではその成長に期待させてもらおう──時計塔の動きは?」

 

「既に時計塔側から派遣される予定だった五人の魔術師のルーマニア入国を確認している。最後の一人もじきに到着するだろう。何れも手練れだが、前に出てくるなら私で対応できるだろう。聖堂教会の方も監督役を送り込んできている。やはり代行者を選んだようだな」

 

「ふん、向こうの準備も整い始めているということか」

 

 アルドルの報告にダーニックは鼻を鳴らす。

 宣戦布告をした時点でここまでは予定調和。

 今後は本格的にサーヴァント同士の聖杯大戦に発展するだろう。

 此処からは未知数の展開、経験豊富なダーニックとはいえ自分の予想する通りに全ての事が進むとは思っていない。

 

「とはいえ、準備の差で状況はこちらに一日の長がある。こちらは本拠地(ホーム)で戦える上、先んじて英霊を呼び出し、備えも築いた。出だしは我々ユグドミレニアが先行していると言えるだろう」

 

「ああ、少なくとも今のところはな。ロシェには悪いことをしたがキャスターは良く仕事をしてくれている。流石はアイルランド屈指の大英雄」

 

「お前がつけたオーダーか。お前が親族の誰かに直接命令を下すのは珍しいと思っていたが……そうだな、今更だが真意を聞かせてくれるか? 何故、キャスターのサーヴァントを指定した?」

 

 そういってダーニックは思い立った以上の意図がない質問を投げる。

 アルドルはユグドミレニア一族においてダーニックに次ぐ権限を有している。そのため一族に命令し、動かすことに何ら問題はないが、基本的に個人で行動するこの目の前の青年は誰かに何かを命令することはない。

 必要であれば自ら動き、成す。それがダーニックの知るアルドルという青年である。しかし二か月前──ダーニックがサーヴァントを呼び出したのに少し遅れて開戦時期より早くに呼び出すこととなるキャスターのサーヴァント。その召喚に際してアルドルはマスター候補に一つの命令を付けたのだ。

 本来マスター候補者が用意したキャスター用の聖遺物……ではなく、己が用意した聖遺物でのサーヴァント召喚という命令を。

 

「大したことではない。時計塔から選出されるマスターに思うところがあってな。念のため細工をさせて貰っただけだ。杞憂に終わったがな」

 

「ふむ?」

 

 そういって肩を竦めるアルドル。

 彼の言う思うところとやらに興味が無くはないが口にしないというならば特に問題がないのだろうとダーニックは追及しなかった。

 代わりにダーニックは別の話題を口にする。

 

「サーヴァント、といえばお前がアサシンのサーヴァントを選ぶのも意外だったな。真っ当に考えれば三騎士の何れか、或いは最優たるセイバーのサーヴァントを選ぶと思っていた」

 

「ああ、その件か」

 

 聖杯戦争の肝となる英霊──サーヴァント。

 そのサーヴァントには召喚するに至って、七つの枠組みを持ってこの世に招かれる。

 

 剣に武勲を託した英霊──『セイバー』

 槍に武勲を託した英霊──『ランサー』

 弓に武勲を託した英霊──『アーチャー』

 騎乗し、戦場を駆け抜けた英霊──『ライダー』

 魔術と、神秘現象を操った英霊──『キャスター』 

 暗部で、密やかに語られた英霊──『アサシン』

 狂乱し、狂気を恐れられた英霊──『バーサーカー』

 

 基本をこの七クラスとし、計七体が召喚されるのが聖杯戦争である。

 此度の聖杯戦争は倍の十四騎だが基本のルールは変わらない。

 

 そして聖杯戦争において特に七クラスの内のセイバー、ランサー、アーチャーは三騎士と呼称され、いずれも力持つ英雄が呼ばれやすい傾向にある。

 特に全サーヴァント中最優と呼ばれるセイバーのサーヴァントは聖杯戦争に挑むものであれば誰しも選択肢に入れたい存在だ。

 

 かくいうダーニックもまた三騎士のうちのランサーを選択している。であればアルドルも何れかを選ぶと考えていたのだが。

 

「よりにもよってアサシンとは。侮るつもりはないが良かったのか?」

 

「元々、セイバーのクラスは視野に入れてなかった。最優の肩書を欲しがりそうなマスターもいたからな、そして先の命令をロシェにすることを決めていたからキャスターも選択肢にはなかった。残るはアーチャー、ライダー、アサシン、バーサーカーだが……現状のユグドミレニアの魔術師を考えれば私がアサシンを選択するほかあるまい。それこそ侮るつもりはないが、私以上に上手く運用できる魔術師が思いつかなかった」

 

「なるほど、そういうことか」

 

 淡々と告げるアルドルの言葉にダーニックは納得する。

 サーヴァントの強さではなく、サーヴァントの運用を考えての選択ということであればダーニックから見ても合点がいく。

 アサシンクラスは曰く、最弱のクラス。基本として隠れ潜み、マスター殺しが主体となるため、その運用はかなり難しい。

 加えて冬木の聖杯で多く呼ばれるアサシンの英霊──ハサン・サッバーハはもはや世界中の亜種聖杯戦争の影響がため名前が知られすぎており、聖杯戦争に挑む魔術師たちであれば基本、その暗殺に対して対策を立ててくる。

 

 言ってしまえば七騎の枠の中で一番、対応しやすく故にこそ運用は魔術師の腕に依存してくる。此度にアルドルが召喚したのは山の翁(ハサン)に連なるものではないと聞いているが、それでもアサシンクラスがシビアなのは変わるまい。

 だからこそユグドミレニア一族において魔術師として最も秀で、かつ自らが戦闘に特化したアルドルが選ぶことに何ら違和感は無かった。

 

「それに私自身、狙われやすいことを自覚している。ユグドミレニアの宣戦布告を抜きにしても魔術協会は度々活動を妨害してきた私を敵視しているだろうし、死徒の件で南米で揉めた聖堂教会もそれは同じだ。状況的に落とされやすい以上、失った時の損失は少ない方がいいと考えたまでだ」

 

「お前に居なくなられるとそれはそれでプレストーンの損失なのだが……まあいい。お前はそういう奴だったな」

 

 自分の命すら冷静に俯瞰するアルドルにダーニックは苦笑する。

 一族のことを第一に考え、常にその力となることを考えている風情の青年だが、それ故に己の存在を軽く見すぎるのはダーニックが知る青年の数少ない欠点だった。何れはユグドミレニアを引き継ぐものとしてもう少し我が身を労わってほしいと願うのは数少ない血縁者だからこそ抱く情か。

 

「ともあれお互い健全のまま今日この日を迎えられたことを喜ぼう。此処からの展開は未知数だが、どの道勝たねばユグドミレニアに未来はない」

 

「分かっている。緩やかな衰退ではなく、繁栄こそが我らの望みであるならば敗亡と隣り合わせであろうともこの選択以外はあり得なかった」

 

 ダーニックの言葉にアルドルが頷く。

 そう、滅亡の危機、衰退の未来。

 そんな終わりを覆すために今日この日は存在するのだ。

 

「ユグドミレニアに勝利を。必ずや我々が勝利の美酒を呷るのだ」

 

「是非もなし。やるべき事をやり抜くまでだ」

 

 杯を交わす代わりに大聖杯を睥睨しながら二人は誓いを口ずさむ。

 ユグドミレニア最大の勝負に向けて勝利を胸に。

 

 と、胸の内を改めて誓い合った二人の間に割って入る一つの声。

 

「────おじ様、もうそろそろ時間ですよ」

 

 車輪の軋む音と共に放たれる透き通った柔らかな声。

 二人が振り返ると車椅子に座った少女が微笑んでいた。

 一瞬、アルドルの方に戸惑うような視線が向くが、アルドルは気づかない振りをした。

 少女とアルドルの間に交わされた微かな違和にしかし、気づくことなく或いは気づいた上でダーニックは少女に微笑みかける。

 

「フィオレか、調子はどうかな」

 

「悪くはありません。弟の方は少し浮ついていますけど」

 

 そう告げる彼女の名はフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 ダーニックに並び立つアルドルと同じユグドミレニアが誇る数少ない優秀な魔術師の一人であり、此度の聖杯戦争におけるアーチャーのマスター。

 

 アルドルがそうであるように彼女もまたかつては時計塔に席を置き、降霊科と人体工学において輝かしい研究成果を残した天才である。

 ユグドミレニアにおけるその名声は一時は直系のアルドルを置いて一族当主の候補として名が挙がるほどに期待と信頼を向けられている。

 

「フィオレ」

 

「……はい、何でしょうアルドル」

 

 そんな彼女にアルドルは声を掛ける。

 すると彼女は微かに遅れて声に応じる。

 緊張か忌避か、感情の内は理解できないものの親しい者が見れば一目で分かる“苦手”と分かる対応の仕方であった。

 

 しかしアルドルはそんな彼女の様子を知ったことかと言わんばかりに用件だけを短く伝える。

 

「君から見てカウレスはどうだった。浮ついているとのことだが、単なるプレッシャーによる緊張か、はたまた召喚を前に委縮しているか」

 

「どちらもあると思います。英霊召喚に支障はないと判断しますが……姉としての発言を許してもらえるなら少し心配、といったところでしょうか」

 

 ダーニックに向けるそれとはまた別の種類、畏まった堅い言葉で応じるフィオレにアルドルはそうかと一言口にし、

 

「叔父上、少しカウレスと話してきます。召喚に関わる事柄であれば私にも多少の責任がある」

 

「分かった、先に行っててくれ。私たちもすぐに向かう」

 

「感謝する」

 

 そういってアルドルは一礼をダーニックに、目礼をフィオレに向ける。

 視線を向けられたフィオレは気まずげに目を伏せるが、気にせずアルドルは立ち去る。

 ──彼女が自分に向ける複雑な感情は理解できるが。

 

“こればかりは自らが答えを出すべきことだろう”

 

 故にアルドルは語らない。

 彼は変わらず己が為すべきことを為すだけだ。

 

 

 

 ──『トゥリファスの夜』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 刻限が迫る。いよいよもって聖杯大戦が始まる。

 あと数分も経たずに極大の神秘がこの地に降臨する高揚とそんな晴れ舞台に己もまた列席しているというプレッシャーを前にカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは戦慄と畏怖で微かに震える両手を握りしめた。

 

 自分にこの大役が果たして務まるのか──とマスターとして名前を挙げられてからずっと胸に内に繰り返してきた問いを自分自身に投げる。

 

 自他ともにカウレスの魔術師としての評価は凡才の一言に帰結する。

 一流の魔術師たる実姉、フィオレとは異なり取り立てて特徴のない三流魔術師、仮にその手にマスターの証たる令呪が宿らなかったならば自分は姉のサポートに終始したことだろう。

 

 それが何の間違いか自分の手に令呪が宿ったものだからこうして彼は自ら分不相応と自覚しながらこの大舞台に立っていた。

 与えられた枠組みはバーサーカーのマスター。召喚を予定する英霊は自分でもいろいろ考えていたが、急遽、アルドルが口を出したことで変更された。

 

 そのことに関していえば僅かながらカウレスは安堵していた。自らに自信を持たぬカウレスにしてみれば三流の自分が考えた発想より、ユグドミレニアの期待を一身に背負う姉と並ぶ天才の象徴、アルドルの考案であれば聖杯大戦に挑む責任が少しばかり軽くなるという思いからだ。

 

 そんな後ろ向きの発想をしていると、

 

「フィオレのいう通り浮足立っているなカウレス」

 

「うっ、わっ……と!? アルドル……義兄(にぃ)さん」

 

「久しいな。が、その呼び名は辞めておけ。正式に決まっていた話ではないし、そもそも有耶無耶に流れた話題だ。無用に口にすればお前の姉の心が揺らぐ」

 

 カウレスが振り向くと件の人物がいつもの鉄面皮にやや眉を顰めるようにして立っていた。

 ダーニックに似た藍色の髪に、意志の強さを湛えた菫色の瞳。

 白い外套に片眼鏡(モノクル)と一見学者じみた見た目だが、腰に携えた白い鞘に納められた一振りの剣のお陰か、暫しサブカル系の創作品に見える主を守る執事然としたものにも見える。

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 『先祖返り(ヴェラチュール)』の名で一族を執るユグドミレニア最強の魔術師。

 

「あ……すいません、アルドルさん」

 

「……とはいえ、さんも要らん。呼び捨てで構わない。お前には無理も言ったからな。私に気を使う必要はない」

 

「そうはいっても貴方はおれ──自分たちの次期当主ですし、気を使うなっていう方が難しいですよ」

 

「ふむ、それもそうか。ならば呼び名はそちらに任せるとしよう。ただしフィオレに無用の負担を掛けないように、だが」

 

「はは……そこは気を付けます」

 

 ダーニックらに向けたそれと比べればやや砕けた口調のアルドルに対し、カウレスもまた苦笑するように言葉を返す。

 ユグドミレニア一族において、立場や実力もあって畏怖されがちなアルドルだがカウレスとは事情もあって例外的に親しい関係にある。

 少なくとも互いに無用に縮こまってしまう程の溝は二人の間には存在しなかった。それでもカウレスからすれば緊張を抱かざるを得ない相手だが、そこはご愛嬌という奴だろう。

 

「それで、何かありましたか?」

 

「いや何、先に言った通りフィオレが浮足立っていると言っていたからな。気にかかったので声を掛けた、それだけだ」

 

「それは……すいません」

 

「謝ることではないだろう。元より一世一代の戦いを前に緊張しない方が不可能に近い。叔父上、ダーニックも緊張をしている様子だからな」

 

 だから無理はするなとアルドルは告げる。

 ……であれば一族の当主すら緊張する状況に平常運転なアルドルは何だとなるが彼を知ればこの振る舞いも見慣れたものだと気にしない。

 ダーニックに比する意志と、一族の誰しもを上回る才と、それらの要素を束ねる強い責任感と重圧に耐えられる不動の心臓を備えるからこそ彼は今日までユグドミレニア一族最強の魔術師として君臨してきたのだから。

 

「とはいえ、召喚についてはくれぐれも頼む。バーサーカークラスに注文を付けたのは申し訳ないと思うが……」

 

「いや、そんな……! 寧ろ俺としては聖遺物まで提供してもらって助かったというか……!」

 

「そうか、そう言ってくれると助かるな」

 

 カウレスが思わず身振り手振りで断ると相変わらず感情の見えない鉄面皮のまま安堵の言葉を口ずさむ。

 アルドルのいうバーサーカークラスの注文、というのは他ならぬ呼び出す予定のサーヴァントのことに他ならない。

 

 当初、カウレスは己の技量も考え呼び出す狂戦士の存在を朧気ながら決めていた。しかしそれに待ったを掛けたのが目の前のアルドルだ。

 彼はかつて自らが従えた亜種聖杯戦争で使用した聖遺物をカウレスに提供し、そうしてカウレスに言った。

 

 お前にはこのサーヴァントを召喚してもらいたい、と。

 

「……でも本当に大丈夫でしょうか。正直、俺の魔力量は高くないですし、狙い通り呼び出したとしても上手く扱える自信がないですけど」

 

「問題あるまい。そのためのムジークが用意したホムンクルスの代用だ。魔力についてさほど気にするところはあるまい。私自身の懸念を伝えるとすれば、アレをバーサーカーで呼ぶ以上、意志を制すのは相当な手間だ。いざともなればすぐに令呪を切るぐらいの心づもりでいると良い。強さに関しては他ならぬ亜種聖杯戦争を共に勝ち抜いた私自身が保証しよう」

 

「話を聞いて、なおのこと不安を覚えますけどね」

 

「ふむ……なに、此度は一対一ではなくチーム戦だ。無用に責任を覚えることはないだろう。いざというときは私が対応しよう。万が一の事態においてお前への責任追及はダーニックにもさせん」

 

 晴れぬカウレスの顔を思ってか、アルドルはそんなことを口にする。

 自分の責任において当主にすら口を挟ませないとは実にこの男らしい言葉にカウレスは思わず苦笑し、胸のものが少し軽くなるのを自覚した。

 

「そういってくれると少しだけ安心しますね。ホントは俺もそれぐらい見栄を切れれば良かったんですけど」

 

「その辺は年の差だろう。お前も何れ、そのように振る舞う時がくる。その時に間に合っていれば問題なかろうよ。……さて、来たぞ。いよいよだ」

 

 アルドルが視線を向ける。

 それに釣られてカウレスもまた召喚儀式上から見上げる所にある玉座。

 ユグドミレニア当主とそのサーヴァントが君臨する場所に視線を向けた。

 

「準備は整っているようだな──それでは各自が集めた触媒を祭壇に配置せよ」

 

 ダーニックの宣告にアルドルはカウレスに向けて微かに頷き、儀式の中心から距離を取り、見守るように壁に背を預けた。

 残ったのは床に引かれた魔法陣に佇むダーニックと共に現れたフィオレを含む計四名。

 

 一人目──ゴルド・ムジーク・ユグドミレニア。

 やや肥満体形の体に尊大な性格が一目で分かるほど雰囲気と顔立ち。

 錬金術を司るセイバーのマスター。

 

 二人目──フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 車椅子に座る少女はいつも通りの様にやや緊張を宿している。

 触媒となる一本の古びた矢を祭壇に据え、静かに待つ。

 

 三人目──セレニケ・アイスコル・ユグドミレニア。

 怜悧な美貌に反して放つのは血なまぐさい濃密な香り。

 生贄を基本とする黒魔術を操るがゆえのものだ。

 

 最後に四人目──カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 

 以上四名こそがユグドミレニアの誇るべきマスターたち。

 ここにダーニック、アルドル、そして──。

 

「おい! ちょ……引っ張るなよ! 生意気なんだよサーヴァントの癖にッ……!」

 

「はははははは、生意気なのはどっちだっつーの。つか出席しろってランサーのマスターが言ってたのに魔術の研究とやらに調子に乗って時間を忘れてやがったボウズを態々時間通り連れてきてやったんだ。寧ろ感謝してほしい所なんだがね」

 

 ぎゃあぎゃあとこの場に似つかわしくないほど賑やかし現れたのはユグドミレニアのマスターが一人、ロシェ・フレイン・ユグドミレニアとそのサーヴァントであるキャスターのサーヴァント。

 魔術師のクラスにも関わらず快活なその様はキャスタークラスに抱くイメージの逆をいくものだった。

 杖と顔を覆う青いフードの存在が申し訳程度に彼の魔術師らしさを香らせている。

 

「それでは王よ、これより儀式を始めます」

 

 全員が揃ったことを確認し、ダーニックが口を開く。

 彼はその背……空位の玉座に視線を向け、恭しく礼をする。

 

 直後、

 

 

《──うむ》

 

 

 光の粒子が神秘の存在を具現させる。

 夜に溶け込みそうな黒い貴族服。

 ゾッとするほど青白い肌に、無造作に伸ばされた白い髪。

 

 その存在が君臨した瞬間、場の雰囲気が緊迫する。

 畏怖と畏敬……相変わらずのアルドルを除けば、誰しもが飲み込まれそうになる圧倒的な存在感と、その存在特有の冷徹な瞳に見据えられると己がどうしようもなく脆弱な存在だと自覚させるのだ。

 彼こそ、かつてルーマニアを侵さんと迫ったオスマン帝国を退け、恐怖と武勲でもってルーマニアに君臨したこの国最大の英雄にして君主。

 

「さあ、余の手足となってくれる英霊たちを喚んでくれ」

 

 小さき竜公(ドラキュラ)──。

 或いはとある小説家に曰く吸血鬼(ヴァンパイア)とも。

 

 其の真名を『ヴラド三世』。

 ダーニックの呼び出したランサーのサーヴァントである。

 主であるはずのダーニックはしかし王の勅令に、

 

「御意」

 

 と、恭しく一礼して王の勅令を配下に告げる。

 

「それでは、始めようか。我らが千年樹(ユグドミレニア)の誇る魔術師たちよ。この儀式の終結を持って我らは二度と戻れぬ戦いの道へと足を踏み入れることとなるだろう──覚悟はいいな?」

 

 無言。それが何より不退転の覚悟を示している。

 

「よろしい。では──」

 

 

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。手向ける色は“黒”」

 

 謳うは“(ノワール)”のシンボル。

 宣する詠唱はこの世にこの世ならざるものを喚ぶための呪文。

 

「──告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのならば応えよ」

 

 魔力が満ちる。神秘が渦巻く。

 一流の魔術師たちはその額に玉の汗を浮かべ、渦を巻く魔力と神秘を決死の覚悟で制御する。恐怖か歓喜か、魔術師として究極の神秘を操る悦びが魔術師たちの背を撫でる。永遠を思わせる戦慄の一瞬。

 

「──誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者。我は常世総ての悪を敷く者」

 

 かくて終幕を告げる詠唱はしかして、空白に止まる。

 その空隙に加えること二節。

 呼び出す英霊を特定する詠唱をカウレスが唱えた。

 

「──されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」

 

 これを以て、カウレスは自らが予定していた狂戦士の魂を招く。

 全ての準備はこれにて終。

 魔術回路が荒れ狂い、軋む痛みの中、魔術師たちは確かに神秘を握りしめ、最後の言葉を告げ、儀式の終了と舞台の開幕を告げる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天──。

 抑止の輪より来たれ! 天秤の守り手よ──ッ!」

 

 そして暴風が荒れ狂い、手つかずの神秘が収束する。

 ロシェが手で顔を庇い、キャスターが口笛を鳴らす。

 ダーニックとランサーが余裕の表情で涼し気に受け流す。

 アルドルは両手を組み、背を壁に預けたまま無言だ。

 

 風の向こう、四騎の英雄が片膝を付き、礼を取っている。

 

 

『召喚の招きに従い参上した。

 我ら“黒”のサーヴァント。

 我らの運命は千年樹(ユグドミレニア)と共にあり、

 我らの剣は貴方がたの剣である』

 

 疲労困憊といった様子で、それでもなお感嘆の声を漏らす四人の魔術師。

 その様、確とある英霊たちの姿にダーニックは満足げに笑い、ランサーは笑みを深め、ロシェは興味深そうに見つめ、キャスターはへえと見極めるように視線を四騎に向けた。そしてアルドルは、彼だけは──。

 

「では勝負だ。輪廻の果てより生を受けたものの責務として、その運命を打倒してみせよう」

 

 魔術協会でも、聖堂教会でも、ましてユグドミレニアにでもない。

 誰に言うでもなく、その全ての向こうにあるだろう存在に向けて静かに、しかし確かな宣戦布告を行う。

 

 かくて筋書きを逸脱した外典の幕が上がる。

 もはや誰にも止められない、止まらない。

 全てはそう、たった一つの結末へ。

 

「勝つのはユグドミレニア(わたし)だ」

 

 人神(ヴェラチュール)を名乗る男は瞳の先にその結末を視る。




「ん、くぅ……ふわぁあ、ああ……あれ? マスターさんは?
 って、ウソ! もうこんな時間……!?
 完全に寝坊しちゃいましたぁ! ごめんなさーい!!」

とあるサーヴァントの嘆き

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