『ちょっとばかし長話になる。此処で話しても構わんが、どうせだったら場所を移さないか? ちょうどアンタら、飯に行こうって感じだったみたいだし、同伴させてもらうぜ』
突如として訪れた“赤”の陣営に属する“赤”のライダーと“赤”のアーチャー。
同じ陣営とはいえ、前触れもなく突然現れた来訪者に警戒感を強める“赤”のセイバー主従を傍目にまるで勝手知ったる知人と話すといった調子で会話を進める“赤”のライダーの提案に悩んだ末に獅子劫は警戒しつつも乗った。
……元より時計塔陣営として参戦した獅子劫は言うまでもなく“赤”の陣営である。
獅子劫もまた自らが大聖杯に託す願いがあるために潜在的には競争相手と成り得る同胞らであるものの、“黒”の陣営を打倒するという目的だけは共通だ。
加えて未だ“黒”のライダーを除けば脱落の無いまま六騎ものサーヴァントを保有している“黒”の陣営を一人で相手取るのは現実的ではない上、予想外の敵まで出現したのだ。
今の状況を顧みれば単騎で“黒”の陣営を出し抜くことは非常に困難であり、此処は初めに立ち返って情報共有も兼ねて“赤”の陣営の内情を、同じ陣営に属するサーヴァントから聞くことにデメリットは特にないだろう──。
そんな考えの下、獅子劫は“赤”のライダーの提案に頷き──数刻後、話し合いを移した先であるトゥリファス市内のレストランで頭を抱える羽目になった。
「……つまりなんだ。聖堂教会から派遣された監督役、シロウ・コトミネは実は六十年前の第三次聖杯戦争からの生き残りであり、サーヴァントであると。んで、そいつが人類救済とやらの野望を叶えるために既に倒された“赤”のアサシンの力を使って他の“赤”のマスターたちからマスター権を奪って実質的に一人で“赤”の陣営のマスターとして振る舞っていると、そういうことか?」
「おう。理解が早くて助かるぜ。っと美味いなこれ。肉なんて地べたで焼こうが鉄板で焼こうが変わらないって思ってたが、当代では簡単な調理でもこうまで化けるもんなのか。やっぱ知識と体験じゃ全然違うな。なあ? 姐さん」
「店主。次はこのリンゴのマフィンを頼む」
「んだよ、この店コーラはねえのか。現代じゃあ当たり前に飲まれてるんじゃねえのかよ。聖杯の知識も当てにならねえな」
“赤”のライダーの口から明かされる“赤”の陣営の現状。それは今の状況を打開するどころか、寧ろ状況の混沌具合をさらに拡大させるものでしかなかった。
同陣営内で欲に駆られて足並みを乱す者が現れるという事態は別段珍しいものではない。何せ此度の戦いの賞品は万能の願望器。ありとあらゆる願いを叶える杯だ。獅子劫とて、叶えたい願いがあるからこそ“赤”の陣営でありながら独立して行動することを選んだし、そういう意味では同じことを考える輩が他にもいたというだけの話である。
ただ問題があるとすれば、そいつの正体が数十年前から現在に至るまで受肉した状態で生き続けたサーヴァントであり、“赤”の陣営のセイバーを除く、他全てのサーヴァントのマスターとして振る舞い、あまつさえ全人類の救済などという荒唐無稽な
前門の虎後門の狼、そんな言葉が脳裏に過る。
“黒”の陣営という共通の敵を討ち果たすため、此処は一旦、元鞘に戻ろうと思ったら“赤”の陣営もまた時計塔陣営という前提が崩れていたという現状は真実、獅子劫にある種の諦観を抱かせる。
チーム戦だと思って参戦した聖杯大戦だが、どうやら己はいつの間にか本来的な聖杯戦争の参加者になっていたらしい。信じられるのは己が手で召喚したサーヴァントのみ。敵は他の参加者全てというわけだ。
「いや無理だろ」
そこまで考えて口に出た言葉は本心からの飾りのない本音。
状況次第でまとめて全てを相手取る必要はないとはいえ、数字だけ見れば一対十三。裏切者の神父を数に入れれば十四。さらに“黒”の陣営のマスターをも戦力の頭数に入れれば総数は二十。
もはや策や戦術でどうこうなるような状況ではない。
どうしてこうなったと叫びたい気分だった。
「ま、同情するぜ。セイバーのマスター。味方だと思ってた連中が蓋を開ければ敵だったんだ。オデュッセウスの野郎だって困るだ──いや、アイツはそれはそれでどうにかする案を考えるのか?」
「リンゴジュース、リンゴのマフィン、リンゴのオートミール……ふむ、多彩なものだな。すまない店主、このアップルパイを追加注文したいのだが」
「っぷはぁ、食った食った。現代ってのは良いなこりゃ! ガウェインの野郎が適当に作った奴とは比較にならないぜ」
「お? 何だセイバー。もう食わねえのか? 案外肉の一切れで満足だなんて小食なんだな」
「んだと?」
「俺は追加注文だ、ステーキ三つ」
「……大食い勝負のつもりか、いいぜ乗ってやる! オレも追加注文だ!」
あんまりな事態に獅子劫は天を仰ぎ、そんな獅子劫を朗らかに笑いながら同情する“赤”のライダー。それを脇目に暴飲暴食に努めるサーヴァントたち。
状況は、色んな意味で混沌だった。
「……ところでお前さんたち。そんなに食って金はあんのかよ?」
「あん? 金銭か? ねえな。頼んだぜ“赤”のセイバーのマスター。最優のクラスの主様の懐の深さって奴を披露して欲しいね」
「そうか……」
後で違約金がてら時計塔に手形を叩きつけてやる、と誓いながら獅子劫は気を取り直して会話を続ける。
自らの陣営がもはや陣営の体を成していないことは理解した。
しかし理解した上でどうやらまだ最悪の状況ではないのだろうと確信しているが故に気を持ち直す。
悪い状況なのは事実だろう。
だが、その上でまだ聖杯を諦めるほどに絶望してはいないのだ。
その理由は言うまでもなく。
「それで? その伝えなければ俺たちが知る余地のない情報を態々、俺たちに伝えて来た理由はなんだ、“赤”のライダー。助けを求めてってのが柄じゃないのは短いやり取りの中でも分かってる。提案があるんだろう?」
「……へえ、察しが良いな。本当に話が早くて助かるぜ」
寧ろそっちが話の本題だろうと当たりを付けて言う獅子劫に、“赤”のライダーがニヤリと笑う。
そう此処まではあくまで情報共有。話を付ける上で前提とする必要があった、言わば共通認識である。予想通り本題は此処からだった。
「腹芸は得意じゃねえから単刀直入に言うが、そこまでを期限に俺たちと組まないかって話さ。期限は“黒”の陣営の打倒までだ。俺の槍と姐さんの弓、一時的にだが、アンタに託す。どうよ、悪くはない提案だろう?」
「ま、話を聞いてそんなところだろうとは思ったぜ」
“赤”のライダーがテーブルから身を乗り出して出してきた提案。その内容は話の流れから半ば予想がついたものであり、同時に即時即答とはいかないものであった。脳裏で損得の計算をしつつ、獅子劫は慎重に仔細を確認する。
「幾つか質問がある。構わんか」
「おう。長話のために場所を移したんだ。合意にせよ決裂にせよ、俺たちの真名と宝具以外だったら知ってる限りは付き合うさ」
「そいつはありがたいね。……一つ目、俺たちに振った理由は?」
「アンタの所が唯一手を組める相手だと思ったからだ。語った通り“赤”の陣営は既にシロウ・コトミネの手に落ちてるし、“黒”の連中は敵だ。なら組めるのは消去法で唯一、時計塔のマスターで自発的に行動しているアンタの所に限られるだろう?」
「……今からでも“黒”に加わるって手もあると思うが」
「ねえな、どんな事情でも裏切りは矜持に反する」
「──そうかい。二つ目、その提案をシロウ・コトミネは知ってるのか?」
「知ってる。そんで知った上で俺たちを自由にさせてやがる。“黒”の陣営の打倒っていう目的だけは同じだからな。人類救済はともかく、少なくとも敵対者が居るうちは身内同士で争うつもりは無いんだろうさ。それに今の奴は業腹だが、マスターでもある、なら」
「いざともなれば令呪がある、か。成程、それなら放し飼いも納得だな」
シロウ・コトミネ、実質的に“赤”の陣営の唯一のマスターとなった人物というのならば当然ながらサーヴァントへの強制命令権……令呪も確実に押さえていることだろう。如何なる英雄であろうとも従わせる三つ限りの手札がある限り、反感を抱く存在を態々、無理矢理に常時従わせる必要はないという判断か。
「最後だ。お前さんたち以外……“赤”のランサーと“赤”のキャスターはどうなんだ。先に“黒”の連中に落とされた“赤”のアサシンと“赤”のバーサーカーはともかく、そいつらもお前さんたちと同じく裏切られた側だろう」
「あー……ランサーの奴は忠義者でね。あくまで本来のマスターに従うだとよ。キャスターの奴は、面白ければ何でもいいってタイプだ」
「成程ね」
前者は他に共闘を求めるよりも現在のところ“赤”の陣営の支配者たるシロウ・コトミネに付いた方が当初の目的に近いと判断し、後者は聞くところ愉快犯的な人物なのだろう。マスターが替わったところで気にはしないと。
「質問は終わりかい? なら答えを聞かせてもらいたいね」
「ふむ──そうだな」
注文してあった珈琲を口にし、その苦みを口内で転がしながら獅子劫は“赤”のライダーからの提案を考える。
──まずメリットから挙げるなら単純に頭数が増えるということにある。そもそも獅子劫が手詰まりだと考えていたのは敵の数に対してこちらの頭数が圧倒的に足りなかったことにある。
どれだけ自らのサーヴァントが強力であっても、個人単位である限りどうしてもとれる戦術は限られてくる。敵は数に加えて質の面も強力であることを考えれば、こちらの戦術を相手の対応力が上回ることは予想するに難くない。
ゆえに“赤”のライダーの提案……自らの指揮下に実質、二騎のサーヴァントを加えられるというのは色んな意味で魅力的だ。
対してデメリットはどうだろうか。
一番はやはり令呪を握るシロウ・コトミネの存在だろう。
“赤”のライダーと“赤”のアーチャーがこっちに協力的だとは言え、令呪がシロウ・コトミネの手の中にある以上、状況次第で簡単に裏切ってくるだろう。それにもっと疑心を擦れば、そもそも此処までの話を聞くに腹芸が不得意な“赤”のライダーが真実を語っていたとしても、シロウ・コトミネの方が全ての“赤”のマスターを出し抜いた謀略家であることを考えれば、この状況自体が何らかの策の中にあることも否めない。
こちらを利用するだけ利用して都合が良いタイミングでポイなど、正に陣営そのものを掌握した裏切者ならばやりそうな手だろう。
メリットとデメリット。何を選ぶにしても一長一短がある。
ならば。
「セイバー、お前さんは話を聞いてどう思う?」
「あん?」
獅子劫は自らのサーヴァントに話を振る。我関せずと食事していた“赤”のセイバーだが、こちらの話を全く聞いていなかったというわけではないだろう。
思索に耽るという性質ではないが故、“赤”のセイバーもまた腹芸を得意としていないが、それでも“赤”のセイバーには『直感』がある。
加えて彼らが協力者になるとして実際に戦場で手を組むのは主に獅子劫ではなく、“赤”のセイバーとなることだろう。
どの道話は一長一短、ならばと問うた獅子劫の言葉に、“赤”のセイバーは口の中を満たしていた肉を飲み込み、答える。
「んぐんぐ……ま、いいんじゃね? オレは何でもいいぜ。マスターに任せる」
「適当だな、オイ」
「考えるのは性分じゃねえ。オレの役目は最初っから聖杯を獲ることだ。神父が裏切者だとか、そいつらが協力者になろうが関係ねえ──だから任せる。勝つための方法を考えるのはマスターの役目。オレたちはその考えに従って戦う。違うかよ?」
「……へえ?」
「ほう……」
“赤”のセイバーの言葉を意外に思ったのか、或いは単に感じるものがあったのか、“赤”のライダーと“赤”のアーチャーが揃って感嘆の息を漏らした。
「んだよテメエら、揃いも揃ってオレを見やがって」
「いんや別に。ただ大した信頼だと思ってな。そこんところは少しばかし羨ましいね」
本心からの言葉なのだろう。楽し気に笑みを浮かべて言う“赤”のライダーだが、対する“赤”のセイバーは嫌そうに反応するのみ。
そんなサーヴァントたちの会話を傍目に、判断を仰がれた獅子劫の方はといえば、今のセイバーの言葉に心を決めた。
「よし。そっちの提案に乗るぞ“赤”のライダー。“黒”の連中を打倒する迄はアンタらと組む。契約書は必要か?」
「……いや、そこまでは必要ないが……なんだ、えらく突然決めたな。考えるのはもう良いのかい?」
「考えても頭を抱えるだけだからな、埒が明かないだろ。それにうちのサーヴァントが言っただろう? 裏切りも協力者も関係ない。要は……」
「最後に勝てばいいってか。ハッ! なるほどそりゃあそうだ! 良いぜアンタ。剛毅な奴は嫌いじゃねえ。マスターに恵まれたなセイバー!」
“赤”のライダーが呵々大笑と声を上げる。獅子劫の強気な発言が琴線に触れたのだろう。手放しに賞賛の言葉を口にする。
「当然だろ! なんたってオレのマスターなんだからな!」
それに胸を張る“赤”のセイバー。
己のマスターを称賛されるのは悪くないのだろう。
何処となく気分が良さげだった。
「……良いね。悪くない。あの神父の思惑に乗っかってるみたいで癪だったが、これなら手の上で踊ってやるのも一興かね」
呟く一言は、恐らく此処までの状況全てを見越しているだろうかの神父に向けた言葉だ。アレが何を考えて自分たちを送り出したのかは知らないが、少なくとも神父の謀略の一端に知らず乗せられてるとしても眼前のペアであれば、手を組む相手として不満はない。
英雄として振る舞う──目の前の協力者たちならば、その願いに背くことなく聖杯大戦を戦い抜くことが出来るだろうと確信する。
「話は決まったようだな」
と、此処まで一度も話に加わってこなかった“赤”のアーチャーが口を開く。元より彼女は交渉が成立するにしても決裂するにしても、どちらでもいいとしていたのを知っていた“赤”のライダーはただ頷く。
「ああ。アンタは不満はないかい、姐さん」
「無い。私は初めからどちらでも良かったからな。伸るにせよ反るにせよ、私は私の願いを叶えるために聖杯を獲る。それだけだ」
「だろうねぇ。ま、何にせよ“赤”の同盟結成祝いだ。改めて乾杯といくか!」
「……食費は全部、俺持ちなんだが」
「堅いことを気にすんなよ、一時的にとはいえ俺たちのマスターだろ?」
「はぁ……何だかなぁ」
改めて獅子劫は自らの状況を顧みて天を仰ぐ。
あわや孤独な戦いを強いられるという状況から今度は実質、一人で三騎ものサーヴァントを指揮するマスターとなったのだ。
この短い時間で波乱万丈にも程があると呆れる。
同時にこれでゼロに等しいと見られた自らの勝運にも目が見えて来た。状況は未だに厳しい。何せこれで“黒”の陣営を攻略した後に、“赤”の陣営とことを構えなくてはならないことも決定したのだ。
頭の痛い話だが、かの神父の存在を考えれば是非もないだろう。
“こりゃ、文句はともかく一旦時計塔に報告した方がいいかもな”
増援は期待できないが、何らかの支援は受けられるだろう。何せ時計塔自慢の戦力がよりにもよって聖堂教会が引っ張ってきた人物の手によって無力化されているのである。面子の意味でも政治の意味でも無視できる案件ではない。
獅子劫は勝ちに行くためにこそ最善と思われる策を堅実に打っていく。
そう──たとえ不利であろうとも完全に願いを諦められるほど、獅子劫とて胸に抱いた願いは軽くないのだ。
忘れられない願いがある。忘れてはいけない矜持がある。何もかもを諦めていたと己は思っていたが、熱は今もこの胸にあると知ってしまったから。
「なら、諦められるわけはねぇわな」
故に手を伸ばし続ける。
まだ負けたわけではない。まだ敗北したわけではない。
ならば勝ちに行くのみだろうと死霊魔術師は獰猛に笑った。
「……んじゃ、乾杯がてら。これからの話をするとしようか。頭数も揃ったことだし、“黒”の陣営の攻略、その作戦会議を提案したい」
「っし! 良いぜ」
「最優のマスターの手腕を見させて貰うとしよう」
「ようやくか。腹ごなしには丁度いい」
かくして此処に同盟が成る。
“赤”の陣営は“赤”のセイバー、“赤”のライダー、“赤”のアーチャーからなる同盟。神父の思惑の外より神父の謀略を唱えるもの。
……敵が万全盤石だというならば、更なる混沌の戦場を。
全てを凌駕し、勝ちを狙うはかの魔術師のみに非ず。
何もかもを利用しつくして、聖者は己が野望に手を伸ばすのだ。
──全人類に救済を。
その一念だけを胸に燃やして。
……
…………。
それぞれの思いが交錯する。
己が栄光がため、己が救済がため、己が願いがため。
誰しも譲れぬ大望が胸の中にあるからこそ譲らない。
故に激突するほかなく、戦うほかに有りはしない。
だが、それはあくまで参加者側の事情だ。
争いは彼らの内で為されるもの。
戦争とは無法の戦いではなく、合意の下に行われる秩序の下の暴力的な最終交渉である。それは何者であっても変わらない。
なればこそ渦中に関係のない者を巻き込んではならない。
ならないと思ってはいるものの──。
「レティシアの協力の下、此処に立っている私は既にそれを言う権利を失っているのでしょうね」
嘆息しながらルーラーは独り言を漏らす。
此処はトゥリファス市内は市役所近くのアパートメント。
以前知り合ったレティシアの知り合い──シャルロットとパッシオが居住地である。
足を運んだ理由は言うまでもなく、知らず聖杯大戦という魔術師と英霊による神秘世界の争いごとの火中と化したトゥリファスにある彼らの身の安全を確かめるためだ。
既に街には殆ど被害が出ていないことは確認済みだが、それでも直接身の安全を確かめた方がレティシアも安心するだろうというルーラーの心遣いだった。
果たして、呼び鈴を鳴らすと間もなくゆったりとした足音が扉の前までやってくる気配がする。
いつも通りに客に応対するといった様に異変の類は無く、どうやら此処の住人に変事の類は起こっていないようだとホッと一息。
扉が開く。
「おや、君はレティシア君。いらっしゃい、早速来てくれたようだね」
そう言って、己をトゥリファスまで送り届けてくれた恩人。
初老の男、パッシオは穏やかに笑いかけた。
「すまないね。シャルロット君は少々出払っていてね」
コトリとテーブルに着いたルーラーに対して、来客用と思われるティーカップを置き、慣れた手つきでお茶を汲む。
湯気と共に芳醇な香りが立ち、気分を穏やかなものへと誘う。
「ありがとうございます。その、突然お伺いして申し訳ありません」
「はは、気にしないでくれたまえ。君も知っての通り、シャルロット君はああだからね。我が家には来賓は少なくないのだよ。昨日今日近所で知り合った人を連れてくる、なんてこともあるからね」
困ったものだ、とのほほんと言う様は何処か楽し気だった。
それを横目にしながらお茶を口に含む。
香りもそうだが、不思議と気分を落ち着かせるような味わいだ。
「美味しいです」
「カモミールティー。口にあって何よりだ。紅茶の類は独特の苦みもあって嫌う人もいるがこちらは口に障る刺激が少ないからね。来客用に出しているのだよ」
「なるほど」
確かにルーラー……ジャンヌダルクも生前、紅茶の類を口にすることはあったが、彼の言う通り美味しいものは美味しいが中には苦みの強いものも存在した。
彼の言う通り、カモミールティーは独特の味わいを苦手とするものもいるだろうが、あからさまに人嫌いする特徴がない分、大半の者は受け入れやすいものだろう。
「それにカモミールは古来より薬用効果のある植物として重宝されてきた歴史があってね。特にエジプトなどでは太陽神ラーに捧げる神聖なハーブとして扱われていたようだ。実際、安眠や鎮痛作用といった薬効もあって、かのクレオパトラも愛用したそうだよ」
言いながらパッシオは興味深そうにティーカップに注がれた黄緑色のお茶を見る。
……エジプト神話に語り継がれる太陽神ラーといえば、古代エジプトにおいて『光の主人』とあだ名された最も偉大な神であり、クレオパトラはエジプトの王たるファラオにして絶世の美貌を誇ったという偉人である。
そんな彼らに捧げられた、或いは常用したというものを今にお茶として味わう。
そう考えると中々、感慨深い歴史の妙を感じさせる。
しかし、それにしても……。
「パッシオさんはお茶に詳しいのですね。やはりお好きなんでしょうか?」
「嫌ってはいないね。が、詳しいのは職業病だよ。考古学というのは遺跡やかつて街があった土地を掘り起こして、土器やら遺骨やらを掘り出すというイメージが付きまといがちだがね。その真髄は遥か過去の人間の営み、文化、生活風景を推考することにある。なので、まあ自分の分野と関係のない知識も無駄に身につけていってしまうのだよ」
「パッシオさんは考古学者でいらっしゃったのですね。確かに、似合いそうです」
「おっと言ってなかったかな。これでも昔は随分とやんちゃをしてね。今でこそ、フィールドワークよりも報告を通しての情報精査を主としているが、昔はエジプトを始めとする中東地域に出向いては現地の協力者と共に遺跡の採掘作業にも直接関わったりもしてね」
「遺跡の採掘作業、ですか……」
ルーラーも、レティシアの方も当然ながらパッシオの言う遺跡の採掘作業など想像もつかないが、イメージ通りならば何となく鉱山夫のように機械や手作業などで地中を掘り出すような絵が思い浮かぶ。
中々に体力が必要そうな作業だが、パッシオのように知的好奇心が強そうなものにとっては確かに楽しそうな作業である。
「大変そうですけど、楽しそうです」
「楽しかったとも。修羅場も多かったけどね。ふふ、懐かしいものだ。作業員がこっそりと貴重な金品を掠めとると言った可愛いものから、盗掘団が銃器を持って突撃してきたり、異教文化許すまじと信仰者たちが遺跡や遺物を破壊すべく現れたりと刺激に困らなかったよ」
「は、はぁ……えっと、それはかなり、何というか……」
一応、大聖杯からの知識とレティシアから現代の認識があるため、そういうこともあるとは知識で知っているが、直接その道の従事者から聞く内容は今まで抱いていた考古学者というイメージをがらりと突き崩すものであった。
彼が特殊だったのか、はたまた本当にそんな事ばかりなのかは分からないが、思いの外目の前の男性は穏やかに見えてアクティブなのかもしれないと思い直す。
「おっと、話が脱線しすぎたね。今日はどうしたのかな? 何か困ったことにでも遭遇したのかね?」
「あ、いえ。単純に挨拶とお礼を兼ねて訪ねさせていただいたのです。その、パッシオさんたちから聞いていた通り今のトゥリファスは少し物騒ですし、顔を見たくなったというか」
「……ああ、なるほど。今朝もミレニア城塞が崩落した、などとニュースでやっていたからね」
テーブル脇に置いてあった新聞紙を一瞥し、納得するように頷くパッシオ。
内容は表向きは老朽化に伴う事故だと報道しているが、それが真実でないことを当然ルーラーは把握している。
今も裏で進む聖杯大戦。その影響が、今こうして彼らの日常を侵しているのだ。
「私たちの方は見ての通り無事だよ。シャルロット君なんかも今朝は友人とお茶をするなんて言って出て行ったからね。昼過ぎには戻ってくると言っていたが……そうだ、レティシアくん。君は昼食はすませたかね? まだならばせっかくだ。少々遅めの昼食を取らせるが……」
「いえ、まだですがお構いなく。先日もお世話になったばかりですし、またお世話になるわけには……」
と、そういった直後まるで図ったようにルーラーが空腹の音を鳴らす。
……朝食は世話になっている教会できっちり取ったはずだが、生来健啖家であるルーラーの性質が一時的な受肉先であるレティシアの体質にも影響を齎しているのか。
それにしても思わぬタイミングにルーラーは顔を赤くしながら黙り込む。
「ふふふ、昼はパスタでも食べに行こうか。ちょうど近くに美味しいお店があってね」
「……はい」
もはや断りを口にするのが逆に申し訳なくなり、何も言えずに頷くルーラー。
パッシオはこちらの内心を察してか苦笑して話題を変える。
「そういえばレティシア君は歴史の勉強でトゥリファスを訪ねたのだったかな。昨日の今日だが何かわかったかね。これでもしがない学徒の一人だ。簡単なものであれば、私も知識の一つや二つ披露できるが……」
「……そうですね、まだ来たばかりなので」
パッシオの親切心に対し、少しだけ困ったように言葉を返す。
元よりルーラーことジャンヌダルク、彼女の本当の役割は聖杯大戦の調停者として、此度の戦いを正しく見定めることにある。
そのため言うまでもなく、歴史の勉強とはこの街を訪ねる上での言い訳に過ぎず、返せる言葉もないのだが……ふと、そこまで考えて思いつく。
考古学者らしき目の前の初老の男性パッシオ。彼がこの街で何年過ごしているかは知らないが、もしかすれば何かこの街で起こっていることを違和感として覚えてることがあるかもしれない。
神秘の存在を知るものは魔術師や人の領域を外れた存在に限られるが、人間社会に地続きであるため中には神秘と関わり合いが無くともその存在を察している者も居ると聞く。
聡い者ならば魔術を知らずともそういったものがあると知っている、という風にだ。
とはいえ流石に一般人が魔術師の所在を知り、あまつさえ身分を隠す上で隠蔽工作を大なり小なりしている彼らの所在を突き止める、などという真似ができるとは思わないが、風聞や噂話というものは何処かで必ず生じるもの。
もしかすればこの街を統べる影の支配者、ユグドミレニア一族に関しても、何か噂話が出回っているかもしれない。
そこまで考えてルーラーは慎重に口を開いた。
「では──最近、街で変わったことはありませんか。先のミレニア城塞のように普段とは違うことや以前とは違うことなど……噂話で良いのです。些細な違和感を覚えることでも」
「うむ? 随分と変わった質問だが……平時とは異なる違和感か。無いこともないがね、少し物騒だよ? 歴史とあまり関係もないが」
「その……ええ、私がこの街に来た理由の一つなんです。詳しい事情はお伝えすることは出来ませんが、大事なことなのです」
言い淀みながらも真剣な眼でパッシオを直視するルーラー。
視線を受けて、パッシオは少しだけ考え込んだ後、ティーカップに注がれたカモミールティーをゆっくりと飲んだ後、ややあって口を開いた。
「──同じ考古学に従する者から聞いた話だがね。つい数か月前からかな、遺跡から発掘された石器や歴史的な意味合いを持つ品々の幾つかがトゥリファスに持ち込まれているなどという話を聞いたことがあるね。それもミレニア城塞……私有されているはずのそこに送られていると」
「それは……」
「他にも最近トゥリファスで見慣れぬ外国人らしきものが増えていると聞いているよ。中には物騒な面貌の東洋人もいたとか。……おかしな話だ。ルーマニアは確かに歴史的な史跡の少なくない地域だが、それでも欧州では物珍しい土地柄ではない。加え、ブカレストならばいざ知らず、このトゥリファスに人が集まってくるというのはおかしな話じゃないかね」
恐らくは学者の横繋がりによる独自の情報網からの伝手なのだろう。
そして彼の告げる内容はルーラーをして、どれも心当たりのあるものである。
“やはりユグドミレニア一族は大戦を見越して色々と準備を重ねて来たようですね。そして街中に出てきているのは恐らく“赤”の陣営の魔術師とサーヴァント。やはりこの気配は間違っていない”
先日の大規模な攻勢が失敗に終わったらしい“赤”の陣営である。
ミレニア城塞攻略のために街に下見に出てきているのだろう。
「それから、うむ……これも違和感と言えば良いのかね。どうにも我々の界隈で名の通っている若者がこの地に姿を見せているらしい」
「界隈……というと考古学者の間で有名な人物、ということでしょうか」
「そうだよ。数年前ほどから主に北欧に関する分野で活躍していてね。加えて功績を挙げているのが若者ということもあって界隈で名が通っているのだよ。それに北欧地域は宗教的な変質も多い。あの辺りは布教によって本来の形が損なわれた典型例だからね。……おっとレティシア君は聖教徒かな? 不愉快にさせたなら謝ろう」
「……いえ、どのようなものであれ、功罪は生じるものです」
ルーラーは神を信仰する敬虔なる身の一人であるが、自らが信じるその教えにもまた悪しき部分があることを認めている。
それに対して不快感を覚えることも、何か言い訳を探すこともしない。
ただ事実を、事実として受け入れるそれだけだった。
加えて今は他に聞くべきことがある。
「パッシオさん、その若者についてもう少し詳しく教えていただけないでしょうか? 話の流れから察するにトゥリファスでは珍しい人物とのことですが」
「ああ。知り合いの学者曰くデンマークの人間だと聞いていたからね。それに専攻する分野も語った通り北欧文明に関するものだからルーマニアに訪れる理由はないと個人的に思うのだが……」
「…………」
首を傾げるパッシオを傍目にルーラーは静かに考え込む。
魔術師の中には表の顔として人間社会で一定の地位に就く者も居ると聞く。例えば魔術の本場、英国などでは、テレビの有名人という表の顔を持つ魔術師などと変わり種も居るらしい。
そのことを思えば神秘の追求に、考古学という相性は高く、表向き考古学者という顔を被った魔術師というのも珍しくないだろう。
或いは件の人物がユグドミレニア一族に関わりある人間である可能性も、と考えてルーラーはふと気づく。
「そういえば名前を聞いていませんでした。何という名前の方なのですか、その若者は」
「おっと、言ってなかったね。これはすまない」
そしてパッシオは──
「彼の名はアルドル・ブレイザブリク。近年、北欧神話にまつわる研究で名前を通すようになってきた人物だよ」
その名を耳にした刹那、胸が不穏な鼓動を奏でる。
未だ霞がかった『啓示』の予見。
霧がかった景色の向こうに含み笑う誰かの横顔を幻視した。
パッシオ
主に中東圏で活躍していた考古学者。
若かれし頃はバリバリのフィールドワーカーで研究の過程で火事場に遭遇することもしばしば。実は銃器の取り扱いに一言あり、相手の意識を縫った不意打ちを得意とする。朗らかに世間話をしながらズドンという秘技がある。
魔術の存在は知っていても直接の関わり合いは無かった。
生来、知的好奇心が人よりも高く、世間が第一次世界大戦の最中にあっても考古学の研究に従事し続けた剛の者。
友人にトーマス・エドワード・ロレンスという人物がいるらしい。