千年樹に栄光を   作:アグナ

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黄昏の残響

「──世界は一つの樹である」

 

 『九つ廻る千年神樹』──自らが創り上げた決戦術式にして、計画の根幹を成す大礼装を見上げながらアルドルは誰に言うでもなく独白する。

 

「別に陰謀論に傾倒しているわけではないし、かと言って妄想を口にしているわけでもない。つまるところ、惑星が球体であり、世界に果ては無く、宇宙の上に浮かぶ一つの星である──などと、その様な現実は重要ではないという話だ」

 

 この惑星が球状であることなど、それこそ紀元前に生きたサモスの賢人が既に言い当てていたし、中世ともなれば海の男たちの誰もが知っていた観測的事実だ。

 しかし現代──惑星の形や大地の果てはおろか、天動説すら否定され、地球という星に由来する神秘が暴かれたこの時代にあって、未だ占星術や星の運行にまつわる魔術が廃れず、確かに存在している。

 

 しかも占星術では未だに否定された天動説を基盤としながら、である。そしてこの事実こそが魔術においては重要なのだ。

 

「そう、現実はさほど重要ではない。重要なのはその様に捉えること。世界は樹であるという説が星の記録に、人の記録に確固として刻まれていること。そこが重要だ」

 

 何故ならばこれは魔術だ。

 魔力を使用して、神秘たる現象を発現する、現実を蝕む魔術師の技である。

 

 であれば重要なのは発動するに足る魔力量とそれを成立するための術の形だ。成立さえしてしまえば現実など簡単に砕け散る。

 それこそが魔術が魔術たる由縁なのだ。

 

「かつて樹は一つの世界であり、人も神々も妖精も竜も、その内界で生きていた。樹より分かたれた枝葉には九つの階層があり、世界に生きる者たちはそれぞれ種族と役割によって各々の階層に存在した」

 

 その世界の名を曰く、世界樹(ユグドラシル)

 北欧神話に起源を持つ、かの神話の宇宙観そのものと言える樹の名だ。

 原初の巨人たるユミルの亡骸を基盤とした一つの世界。

 

「だが黄昏を経て神代は終わり、全ての神々はこの世を去った。世界に満ちていたという真エーテルは消え失せて、魔法使いも役目を終えた。科学技術の進歩によってあらゆる神秘が暴かれた現代において魔術師はただ過去を思い、届かぬ星を見上げるのみだ」

 

 神代と現代。神話の物語など関係なく、世界はとうに断絶した。

 世界は球体であり、世界樹などは存在しない。

 だが──。

 

「しかし北欧神話には続きがある(・・・・・)。続きが記されている。ならばこれは矛盾だろう。そして理論に隙間があるならば、そこに神秘は生ずる」

 

 結局のところ魔術などと大層な名を与えられたこれらの現象は全て世界に対する詐術だ。現実に存在している微かな不明やまことしやかに囁かれる噂話、或いは陰謀論や空想。人々があり得るかもしれないと思う無意識の信仰こそが魔術と呼ばれる技の真髄。

 

 だからこそアルドルは信じた。続きがあるならば、伝承を証明する何かがこの世界には存在するはずだと。神々は魔術史にも現実にもこの世を去ったが、北欧神話には生き残りが居ると。

 

 ……多くの魔術師たちは笑った、有るかもわからない神代の痕跡を求めるなどと砂漠で一粒の砂金を見つけ出すようなものだと言って。

 そしてアルドルはそれを否定しなかった。己もまたその通りだと思ったからだ。

 

 現実的に考えれば(・・・・・・・・)、神代の痕跡を発見するなど不可能だ。しかも時計塔という現代魔術史最大勢力が多くの神秘を管理下に置くこの時代において、真の意味で手つかずの神秘を見つけ出すというのはほぼ(・・)不可能だ。

 魔術師として、神秘を学び、魔術を学び、この世界の住人としての価値観を育んだ己の知見は、それがどれほどの愚行なのかを嫌というほど承知していた。

 

 けれど同時にアルドルは知っていた。両義(思想)を継承する一族に生じた全知全能の貴人、何の因果もなく唐突に生じた怪物王女(ポトニアテローン)、英雄の武具すらも模倣する世界の使い手、自分と寸分違わぬ自分を作り上げる人形師、現代に生まれた魔法の継承者──。

 

 鬼、真祖、仙人、人狼、神喰らい、統一言語──英霊。

 

 神代の終わったこの時代においても想像だにしない神秘は数多く存在する、何の因果もなく生じる奇跡はいつの時代にも発生する。

 であれば無い、と断言することは出来ない。

 いいや、寧ろこう考えるのが普通だろう。

 

 存在するのが当然だ(例外は常に存在する)──と。

 

「何より私自身が何の因果もなく生じた奇跡の産物だからな。存在自体は疑うべくもなく、賭けは単に私自身の運命力と巡り合わせ、その一点に限られた」

 

 アルドルは探した。書物を漁り、伝承を辿り、口伝を聞いて、自らの足で土地を駆け巡り、黄昏の残滓を己に許された時間の限り、探して探して探し続けた。

 執念──否、未来に懸ける桁違いの情熱は彼に歩みを止めさせない。

 必ず勝つ、勝って運命を変える。その一念でアルドルは必勝を確信するだけの産物として、かの神話を選び、その痕跡を探し続けた。

 

 そして──その果てに見つけ出したのだ。

 

 アルドルは邂逅する。北欧圏に存在する国家、アイスランド……その国土を覆うヴァトナヨークトル氷河に生じた蒼き洞窟。数世紀もの悠久を過ごした自然神秘の最奥にあった自然ならざる神秘の御業によって形成された異界空間、二対の鴉に守られるようにそれ(・・)はあった。

 

「ユグドラシルの枝葉──北欧世界の残滓」

 

 そしてそれは此処とは違う位階に通じる起点でもあったのだ。

 神話において生き残ったとされる……かの神を証明する楔として。

 

「痕跡どころか本家本元を探し当てたのは完全に想定外だったが、僥倖だった。何せ私との相性値は最高だ。枝葉も使えばそれこそ大聖杯を獲得する栄光どころではない、向こう千年の我が一族の繁栄を確約するようなものだ」

 

 アルドルの冠位指定──己の計画はあの時点で完成したと言っていい。必勝を確信し、後はすべての条件を整えるのみ。

 過程で幾つかの想定外は生じたが、そこはそれ。

 野望への試練のようなものだったと思えば良い。

 

 何であれ構想は、成った。

 

 その証明こそユグドラシルの枝葉を基盤として、神話伝承をなぞり、固有結界を利用して内に一つの内界を抱える工房『九つ廻る千年神樹』である。

 残る課題はただ一つ、これを完全起動させるに足る超抜級の魔力炉心。

 即ちは大聖杯。

 

「だが──工房は既に完成している(・・・・・・)のだ。……抜かったな抑止力。あの対決を経て勝利したのが私という時点でお前は既に手遅れだ」

 

 地球の霊脈上に工房を固定したのは何も霊脈に干渉するためでも、樹という在り方を証明するためでもない。他ならぬ世界の一部として、組み込むこと。

 全てはそこにあったのだ。

 

「これより時代を再演する。もはや誰にもひた隠しには出来ないだろうが、計画の肝は聖杯大戦が始まるまで気取られないことにあったからな。何よりお前を迎え撃つのに手加減などしていては此方が食われかねん」

 

 故に自重は彼方に投げ捨てよう。

 現状可能な最大戦力を使い、介入者を粉砕する。

 

「『我が言葉を聞け(Hljóðs bið ek allar)』」

 

 それは工房内に展開された世界を起点として術式を通すのではなく、工房そのものを起動させる詠唱。アルドルが完成させた決戦術式の全貌にして、冠位指定の到達点。

 

 ──世界が変わる、宇宙観(テクスチャ)が上書きされる。

 工房内に展開されるは固有結界だが、工房それそのものは固有結界に非ず。物質として世界に在り、具現するもの。

 なればこそ、霊脈を介して世界に流れ出す変革の波動は心象世界という偽りを重ねるのではなく、森羅万象という在り方を侵略する。

 

 されど現実に生きる人々の認識に影響はないだろう。何故ならば魔力を持たない人々は、これを見るに足る高さに居ない。世界に九つの視点(カメラ)がある。北欧神話を選び取ったのは魔術師としての親和性や相性以上に、その世界観にこそあったのだ。

 

「剪定などさせん、特異点にもならん。そんなことをしては本末転倒も良い所だ。栄光とは後に続く未来があってこそ得られるものなのだから」

 

 強いて言うならば魔術史に多分な影響を及ぼすだろうが……裏で竜の遺骸の探索やら、世界を滅ぼしうる七つの兵器やら、時代を跨ぐ時間扉やらを築き上げた魔術協会の連中に文句を言われたところで別段何も感じやしない。

 運命を変えるとはそういうことだ。

 

 文字通り、続く全ての筋書きを破壊する。

 心は痛むが、それも心の贅肉というもの。

 既に己は此処の住人なれば、それらしく好き勝手に振る舞ってやろう。

 

「それでは出陣といこうか。一度乗り越えた障害だが、だからと言って二度目は簡単に乗り越えられる、というものでもなし。事には全力で当たらせて貰おう──異論はあるかね?」

 

 そこでアルドルは初めて、話しかける。

 樹に宿るモノに、ではない。

 

 彼に無言で侍る三人の少女──彼女らに問う。

 返事は簡潔に、ただ一言。

 

「──我らは貴方の意に沿うのみです。マスター(・・・・)

 

「その承諾に感謝する──では行こうか、帰還を宣する凱旋へと」

 

 かくてアルドルは霊脈を介し、空間を飛び越える。

 もはや此処は己の世界。

 であれば■が世界に遍在するように、己もまた遍在する。

 

 この寄り道に決着を付けるべく、『(ヴェラチュール)』が降臨する。

 これぞ本当の意味での宣戦布告。

 

「征くぞ、世界(・・)よ。()が相手だ」

 

 

 

……

…………。

 

 

 

 世界の創世、審判の始まり、或いは終末の大洪水。

 今ある世界が変貌する瞬間を目の当たりする人間の反応に例外はない。

 

「──ッ! 一体何が……!」

 

 ルーラーは動揺した。

 

「冗談だろ……おい……!」

 

 獅子劫界離は戦慄した。

 

「何だこれ……」

 

 モードレッドは困惑した。

 

「ハッ……こいつはまた……」

 

 アキレウスは冷汗を流した。

 

「……なんだと?」

 

 アタランテすらも驚嘆した。

 

 世界が変わる。

 その現象を生きながらに目の当たりにして平静であれる者など存在しない。

 歴戦の英雄も、神秘を手繰る魔術師も。

 その光景を前にして例外なく、心を乱す。

 

 ……敵と味方の区分さえ、関係なく。

 

「……アルドル殿、貴方はこれほどまでに」

 

「あ、アーチャー……これは一体……?」

 

「まさか、義兄さんの魔術なのか……? これが……?」

 

 期せず援軍として訪れ、そして巻き込まれた“黒”の陣営の者たち、フィオレ、カウレス、ケイローン。魔術というには桁違いの光景を前にして、彼らもまた身震いする。

 

 嘗てダーニックが、セレニケが、ゴルドが目の当たりにした光景の片鱗。

 その全貌が現実に姿を現したのだ。

 なまじ魔術と世界の常識を有するからこそ例外なく、飲まれた。

 

 

 ──それは現代を生きる者には異界であり、そして懐かしさを覚える原風景(過去)だった。

 

 

 沈むことすら想像もできない程に高く地上を照らす太陽、何処までも何処までも続くような澄み切った悠久の空。地上を流れる風は一切の空気汚染がなく、肺を通すだけで全身が洗われるように心地よく、草原が奏でる草のざわめきは自然が生む音楽のよう。

 

 天空を駆ける竜。草原を駆ける幻想種たち。草木に、岩陰に、身を潜める妖精の仔ら──。

 

 比喩ではなく、そこは別世界だった。

 トゥリファスの街のみを元の世界の痕跡として、あらゆる全てが書き換わっている。

 

「固有結界……? いやそうじゃねえ……対象を飲み込んだんじゃなくて世界そのものの書き換え? 冗談だろオイ、そんなものサーヴァントの宝具でも……それこそ神霊の──」

 

 呆然と呟きながらも正確に状況を把握しようとするのは獅子劫界離。

 “赤”の陣営に起きた思わぬ想定外(ハプニング)を前にして尚も冷静に自らの身の振り方を見極め続けた生粋の戦闘屋にして魔術師は世界が変貌したこの渦中にあっても目前の状況を受け入れて考察を開始する。

 

 大気に満ちるエーテル濃度、余震が如く脈打つ霊脈。

 眼前の光景にばかり目を取られてしまうが、重要なのはこの環境の変化だろう。

 局地的にとはいえ惑星環境そのものを変化させてしまうこれは紛れもなく、固有結界──否、それよりも度外れた空想具現化の類だ。

 

 それこそこの星において星霊(ガイア)の具現たる者たちが行使できる規格外の権能であり、紛れもなく星に由来する者のみが振るうことの叶う究極域の技である。

 この領域の神秘を具現化させ得る英霊などきっと存在していない。

 あり得るとすれば星の端末たる存在か、或いは原初より星と共にあった自然原理そのもの、即ちは神霊や高位の精霊ぐらいであろう。

 

 景色だけならば幻術、或いはそれこそ虚と実を入れ替える固有結界の存在を疑うべきであるが、此処は間違いなくトゥリファスの街であり、地続きの大地もまた地球環境そのものである。

 違うのは環境(在り方)。信じがたいことに、まるで時代を巻き戻したかの如く、地球環境そのものが過去の時代へと逆行している──。

 

「ふふ、流石はライオンさん。経験豊富なだけあって、中々の推理ね。半分ぐらい正解に届いていると言えるわ。けれど一点、サーヴァントの宝具を舐め過ぎなのは頂けないわね。世の中には世界を上書きする皇帝様だったり、世界を壊せる王様だったりがいるのよ。だったら、案外世界そのものを侵食する英霊だっているかもしれないでしょう? 私は見たこと無いけど」

 

 悪戯っぽく笑う声。

 鈴の音が鳴るような可憐さで気づけば街路に人影があった。

 影が二つ。少女と、青年。

 英霊と思わしき騎士と──恐らくは元凶(魔術師)

 

「……へえ、流石は英霊。俺が知ってんのは此処に居るセイバーたちぐらいだからな。色々知ってるなら今の状況ごと色々と教えてくれると有難いな、お嬢さん」

 

「いいわよ、別に。──ああ、自己紹介がまだだったわね、私はルクス。見ての通り非力なただのお嬢さん(レディ)でこの状況を作った人の身内よ、そしてこちらは“黒”のセイバー。本来の主が謹慎中だからお手伝いを頼んだの、よろしくって?」

 

 そう言ってクルリと回転(ターン)を決めると豪奢なドレスの裾を摘み、丁寧にお辞儀をする少女ルクス。その様はまるで舞踏会に登場した貴族の令嬢のようだ。

 対して社交的なルクスに比べて“黒”のセイバーは無言。敵を眼前に構えながら臨戦態勢を取るのでもなく、ただただ仁王立ちのまま立ち尽くしている。

 

 しかし厳しい表情には微かな隙も無く、眼光は鋭い。

 一瞬も気は抜かないという態度は敵対者を前にしたこの状況では納得がいく態度だったものの──。

 

「前にあった時よりもえらく堅い態度じゃねえか“黒”のセイバー、流石に三対一のこの状況じゃ理解できなくはないものの──だからこそ分からん。何故、単騎駆けで現れた?」

 

「…………」

 

「無視かよ、相変わらずの堅物め」

 

 やれやれと“赤”のライダーは肩を竦める。

 異常事態に動揺したのは彼も同じだが、それでも敵対者が現れた以上、即座に意識を立て直せるのは流石は英霊ということだろう。事態の正確な把握を務める獅子劫界離とは違い、この状況変化が敵対者の存在によって成立したというのならば、是非もなし。

 変化を置いて、まず敵を倒すという元来の目的のために行動を起こすのだ。

 

 だが、激情家の性質にあって同時に一流の戦士たる心得を有する俊足の英霊とは異なり、冷静沈着を地で行くはずの狩人はと言えば、“赤”のライダー以上に動揺していた。

 この環境の変化に──ではない、現れた敵対者の存在に彼女は動揺した。

 

「──……子供、だと……」

 

「姐さん……? いや、そうか……アンタは」

 

 似合わない動揺をする同胞たる“赤”のアーチャーの様子を見て“赤”のライダーは一瞬、驚きの表情を浮かべるもすぐに原因に行きつく。

 その動揺は“赤”のアーチャーの願いに起因するものだ。

 何故ならば彼女は──。

 

「──全ての子供たちに父母の愛を。素敵な願いだと思うわ、英霊アタランテ。父母に見捨てられ、アルテミスの遣わした聖獣に育てられた貴方が、子が慈しまれる世界を望むのは当然でしょうし」

 

「……ッお前! 真名を、いや……姐さんの願いを何処で──!?」

 

「さぁ? 強いて言うなら()から。彼女の叫びは今もこの胸にあるの」

 

 そう言って少女は慈しむように自らの胸に手を当てる。

 まるで大切な宝物を抱えるかの如く。

 

 その態度に“赤”のライダーは困惑すると同時に警戒心を跳ね上げる。

 見た目にそぐわない態度と言い、底知れない知見と言い、目前の少女は何かがおかしい。魔術師というには人間的で、人間というには何処か致命的にズレがある。

 

 “赤”のライダーの視線を受けて、対するルクスは無言のまま微笑む。

 

「あら? 無駄に警戒させてしまったかしら? 困ったわ、ただでさえ数的劣勢なのにさらに大英雄アキレウスの警戒まで買ってしまうなんて。これは俗にいう絶体絶命という奴じゃないかしら? ねえ?」

 

「……の、割にはえらく楽しそうだな嬢ちゃん。絶望って態度じゃないぞそれ」

 

「ふふ、御免なさいね。ちょっと本当に楽しくって。一騎当千、万夫不当の英霊を三騎も眼前に控えながらまるで魔王様のように掛かってこいって構える構図。童話みたいで楽しいの」

 

「……はぁ、何というか。そいつは良かったな」

 

「ええ。良くってよ」

 

 真実、状況を楽しんでいるのだろう。

 からころと笑う少女の微笑みに嘘偽りはない。

 

 ……だからこそ、より異常なのだ。

 この状況でこの余裕。殺気立つ三騎の英霊に当てられながらも依然、平静な態度を崩さないなど戦に優れた魔術師でさえも困難であろう。

 もしも、そんなことが可能だとすればこの状況にあっても能天気な思考を持つ人物であるか、或いはそもそもこの状況が絶望的ではないという最悪の答えしか残っていない。

 

「おいチビ。下らねえ軽口叩いている暇があるならさっさと掛かってこい」

 

「ちょ……セイバー、お前」

 

 だが、それら一切知ったことかと言わんばかりに“赤”のセイバーは剣の切っ先をルクスに向ける。あまりに喧嘩っ早いその態度に獅子劫は驚き、ルクスは目を丸くさせ、ぱちくりとさせる。

 

「まだ状況も相手の底も分かってねえんだぞ? むやみに食って掛かると痛い目に遭うだろ。まずは冷静に状況の整理と納得をだな」

 

「まどろっこしいわ、そんなの! 大体、この手の怪しい奴は口八丁でこっちを翻弄するだけの性格の悪い奴だって相場は決まってるんだよ、だからさっさと叩っ切るに限んだよ!」

 

 言いながら“赤”のセイバーは脳裏に生前出会った白い魔術師を思い出す。

 王の知恵者として控えたあの男もまたその手の類のものだった。

 忌々しいことに連想で「あっはっは」と胡散臭い笑い声まで聞こえてくる。

 

「だからさっさとやるぞマスター。どうあれこの変化の直後にあのチビが英霊連れて現れたんだ。元凶には違いないだろうしな」

 

「待て、“赤”のセイバーッ!」

 

 敵対心を隠しもせず構えた剣を今にも振り下ろさんとする“赤”のセイバーを制止する声。

 それは意外にもマスターたる獅子劫ではなく──。

 

「あん? 何のつもりだアーチャー。テメェもあのチビのまどろっこしい会話に付き合おうって口かよ」

 

「…………」

 

 “黒”の陣営と“赤”の陣営。

 距離をしておよそ五十メートルの間を取る両者の間に“赤”のアーチャーが割って入る。

 弓こそ構えていないものの、剣先をルクスたちに向ける“赤”のセイバーを厳しく睨むその態度はとてもではないが同じ陣営に向けるものではなかった。

 

 “赤”のセイバーは舌打ちしつつ、真意を問う。

 いざともなれば敵が増えるだけの話だ。

 

「黙ってねえで応えろよ。オレは良いぜ? 元々、旗だけ同じの、大聖杯を競う間柄だろうしな。今更敵の一人や二人、増えたところで……」

 

「……子供(・・)なんだぞ」

 

「はっ?」

 

 “赤”のアーチャーの言葉に“赤”のセイバーは呆然と、気の抜けた声を発する。

 それは殺気立った“赤”のセイバーをして予想外の発言であった。

 思わず気を惑う程に。

 しかし、“赤”のアーチャーは呆然とする“赤”のセイバーの態度に気づくことなく、言葉を重ねていた。

 

「あの少女は、まだ子供だ。子供なんだぞ? もしかしたらただ戦いに巻き込まれたのかもしれないし、親の魔術師の言い分に付き合わされているだけかもしれないんだぞ? 我々の目的は“黒”の陣営を、ひいては連中のサーヴァントを倒し、大聖杯を手にすることにある! ならば、ならばあの少女を殺す必要はないはずだ!」

 

「ばッ──!」

 

 “赤”のアーチャーの言い分を聞いて、“赤”のセイバーは再び呆然として、次瞬、烈火の如く言葉を叩きつける。

 

「馬鹿かテメエ! この状況で無関係もクソもあるか! 大体、向こうもあんだけやる気満々なんだぞ! これで殺さず見逃すなんて選択肢があり得るかよ! 敵は殺す! それがこの聖杯大戦だろうが!」

 

「巻き込まれただけかもしれないだろう! 意に反して操られているだけという可能性だってあるはずだ。あの少女はまだまだ幼い、善悪の区分も正しくついていないかもしれない! それを問答無用に殺すなど汝とて英霊の矜持に反しよう! 言葉が通じるのであれば説得してからでも問題ないはずだ! 尚も敵対するというならば、まずは無力化を──!」

 

「……あー、こいつは」

 

「……姐さん」

 

「あらあら、これは」

 

 獅子劫は“赤”のアーチャーの発言から、“赤”のライダーは嘗て聞いた彼女の祈りから、そしてルクスは自らの知識から、“赤”のアーチャーの真意を悟る。

 

 ──弱きは死ぬ、強きに喰らわれて。

 ギリシャ神話の狩人、俊足のアタランテは弱肉強食を良しとする自然真理(ワイルドルール)の中で育ってきた英雄である。

 故にその価値観は獣に等しく、現にシロウ・コトミネによるマスターの挿げ替えに納得している点からも彼女の冷徹な思考は読み取れよう。

 

 性差すらも些事たるもの。男であろうが女であろうが、弱きは奪われ、強きは得る。彼女にとって全てはそのように出来ており、それを彼女も良しとしている。

 しかし、そんな彼女にも一つだけ例外はあった。

 肯定すべき弱き存在が居た。

 

 それが子供である。

 

 無垢にして無色たるもの。

 親の助けなくば生きることさえ困難な存在。

 ……何よりも、彼女が守りたいと願った存在。

 

 父母に見捨てられ、神の庇護あって英霊となるまでに育った彼女だが、故にこそ彼女は父母の愛に飢えていた。父に守られ、母に慈しまれるという当たり前に。

 そして飢えは転じて祈りと化す。自分に愛がなかったからこそ、他の子どもたちには父母の愛を。守られ、慈しまれる世界を、と。

 

 それこそが彼女の祈りであり、聖杯に託す願いであった。

 だからこそ眼前で子殺しが行われるなどと見過ごすことが出来るはずがない。

 たとえ、それが敵対者であれ、この異変を起こした元凶であれ、子どもに手を下すなど、許容できるはずがないのだ。

 

 だからこそ──。

 

「……ホント、容赦ない上、性質が悪いわね貴方(・・)。時計塔からの執行者を警戒して、キャスターにあのランサー(・・・・・)を据えたことといい、聖女様の良心を利用してあんな物騒なナイフを後ろに控えさせることといい、実は神父様や金ピカの王様と同類なんじゃないかしら?」

 

 誰にも聞こえない声量でぼそりとルクスは呟いた。

 足止めとしてこの場にルクスを遣わせたのも恐らく此処まで全て見越しての選択なのだろう。眼前の“赤”のアーチャーにとって子供が鬼門なのを知って彼──アルドルは少女(ルクス)にこの場を任せたのだ、

 

 何故ならば彼は知っている。“赤”のアーチャーの子供に対する想いが、畜生に落ち、聖女に弓を向けることを良しとするほどに大きなことを。

 その可能性(事態)はホワイトチャペルに語られる子供たちの地獄を目の当たりにした果ての選択だったが、足並みを乱すだけならば大仕掛けは必要ない。

 

 適当に動揺を誘えればいいと言わんばかりに平然と弱点を突く辺り、人心を弄ぶ素質ありと見做されても文句は言えまい。

 

「ま──私は何でもいいけど。保険を重ねた上で私に一任する辺り、実際、言葉ほどに余裕があるわけじゃないだろうし。貴方は貴方でせいぜい頑張りなさいな」

 

 と、ルクスが呟いた直後。

 トゥリファスの街に極大の魔力が渦巻くのを感じ取る。

 

「向こうも始まったようね」

 

「ッ……次から次へと今度はなんだ……!?」

 

 度重なる状況変化に、事情を知るルクスは肩を竦め、獅子劫は吐き捨てるように叫ぶ。

 この場より数キロ離れた別の街区。

 恐らくはトゥリファス市庁舎近隣と思われる地点で火柱が上がる。

 

 天を突かんとする膨大な火力は同じ“赤”の陣営のランサーを思わせるもの、だが違う。

 かの炎が太陽が如き業火であるならば、こちらは神聖さを感じさせる聖火。

 如何なる悪性をも払わんとする輝きが街を照らす。

 

紅蓮の乙女(ラ・ピュセル)……であるなら私はとんと仕事せずに済むのだけれど、あの様子だと違うわね。大方、前と同じ連中(・・)強化(・・)か。予想通りだけれど億劫ね、適当に会話してジャンプすれば脇役で済んだのだろうけど、やっぱり私もダンスを踊らなきゃいけないみたい」

 

 やれやれと言葉はやる気なさげだが、それに反してルクスは楽し気に微笑む。

 そうだとも。

 せっかく出張ってきたのだから自分もそれなりに動いてみたい。

 裏方ばかりで動かされていたのだから偶には舞台に上がってみたい。

 

 然るに。

 

「セイバー」

 

 彼女は優しく、そして何処か年に似合わない蠱惑的な笑みを浮かべて。

 

「往くわよ。気を強く持って、歯を食いしばりなさいな。でないと──」

 

 まるで遥かな高みにいる■■のように、宣する。

 

「自分を忘れてしまうから」

 

 ──その変化、敵対者において感じ取ったのはただ一騎。

 

 俊足の英雄は槍を構えて問答無用に突撃する。

 同時に陣営の同胞たちにあらん限り叫ぶ。

 

「……まさか──チィ、“赤”のセイバーッ! 姐さん! 今すぐアイツから目を逸らせ! それから魔術師! 出来るなら精神防御を──ッ!」

 

「遅いわ、俊足の英雄。競争は私の勝ちね」

 

 躊躇いなく突撃する“赤”のライダー。

 秒と掛からずかの英霊の槍は少女の胸に突き刺さるだろう。

 

 五十メートルの間合いなどかの英霊には無いも同然。

 駆り出しから僅か0.5秒。

 神速の攻勢に対して少女にできるのは迫る死を前に一言、遺言を残すぐらいか。

 

 されど──その一言こそ致命の一撃。

 そも彼女が操るは魔術にあらず。

 その身は、か弱き少女なれば、出来ることは精々名乗る(・・・)ことぐらい。

 

 だからこそ刮目して聞くが良い、人界駆ける英霊たち。

 黄昏より響き渡る残響に、今こそ酔いしれる時だ。

 

 

「──フレイヤ(・・・・)

 

 

 言葉は一言。

 されど、世界は忘我した。

 

 かくして誰そ彼時が訪れる──。

 




「起きよ、乙女の中の乙女。起きよ、友よ。
 今は夜の闇も闇。
 ヴァルハラへ、神聖な神の宮殿へ、馬を進めましょう」

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