千年樹に栄光を   作:アグナ

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嬰児賛歌

 人間に限らず、生まれ出でた生命体にとって誕生期の記憶というのは自己という存在を定義する上で極めて重要な要素としてある。

 雛鳥が初めて目の当たりにしたモノを親だと確信するように、まだ自己のあやふやな無垢な記憶に刻み込まれる微かな記憶は、たとえ成長という過程を経て記憶を失ったところで簡単には覆らない。

 

 泣き声を無視した親の記憶を持つ赤子が諦観を抱きやすい人間に成長する。何もかもを面倒見る親の下に過ごした子供が、我がままで反抗的な大人になる。子の意志を軽視し、親の命令を絶対とした家庭の幼児がひたすらに消極的な性格を持つ。

 

 正にこれらは幼少期の記憶が無意識下に顕在した例と言えよう。

 

 環境が自己の全てを決定する、などと断言はできないが、少なからず幼少期の記憶が自己を確立する上で大切な要素となるのは既に医学的な知見においても証明されていることだ。

 

 そう、始まりの記憶は強烈だ。どれほど強くなろうとも、どれほど美しくあろうとも、始まりに刻み付けられた記憶(キズ)を拭い去るのは容易ではない。それはたとえ英雄であっても変わらない。

 

“女は要らぬ”

 

 ──そう言って、去り行く背中を今も覚えている。

 

 泣いた、叫んだ、懇願した。まだ何も、何の力も持たなかった赤子は、森に己を捨てて目の前から去っていく父に必死になって願った。

 手をバタつかせて、必死になって父母の愛を求めた己。赤子として与えられるはずだった無償の愛を受け取れなかった己。

 

 助けて欲しかったことを覚えている。手を取って欲しかったことを覚えている。抱きしめて欲しかったことを、覚えている。

 

 しかし願い虚しく、己には何も、何も与えられなかった。

 無力で、無価値で、何の生きる術も持たなかった赤子は幸運にもその憐れさが女神の同情を誘い、天然自然に命を育まれることでその生を拾ったが、幼少期のその経験は彼女に歪みを生み出した。

 

 彼女の価値観は弱肉強食。初めから何も与えられず、自然の中で己の力のみを頼りにして生き長らえた獣の論理。

 即ち男であれ、女であれ、大人であれ、老人であれ、強きが生きて弱きが死ぬという単純なものだ。

 

 だが、その方程式の中に子供は含まれていなかった。いいや自覚の有無を問わないのであれば、含みたくなかった(・・・・・・・・)、というのが正しいだろう。

 

 ……だって彼女は知ってしまったのだ。この世には無償の愛というものが存在して多くの赤子は、子どもたちはその揺籃に抱かれて育つのだと。寧ろ己のような捨て子の方が例外で、そちら側が希少な不幸なのだと。

 

 親が、周りが……属する環境が不運にも恵まれていなかったからこそ起こる悲劇。ならば間違っているのはそちら(・・・)だろう。

 

 元より無償の愛など存在せず、ただ強きが生き残る形が世界ならば、彼女は孤高の、強き女傑のまま生き抜き、その生に疑問を抱かなかったはずだ。

 だが彼女は知ってしまった、無償の愛があることを、穏やかな優しさがこの世界には存在することを。

 よって強者の論理は此処に歪む。

 

 弱肉強食を良しとしながら、されど子が絶対的に慈しまれるという世界を望むその価値観。獣にも人間にも依れない半人半獣の半端者。

 それこそが英霊──アタランテの持つ唯一無二の弱点だ。

 

「ああ──」

 

 手に弾く弓がかつてないほどに重い。

 眼前には武の心得も、魔術の知恵も持たぬ幼子がこちらに向けて微笑んでいる。命を狙われ、殺し合いを傍観する立場にあっても無垢。

 怒りも憎悪も恐怖もなく、世界に在るその姿は正に無邪気に生きる子供のそれで、何もかもがダメだった。

 

 だから彼女は気づけない。自らの弱点を突かれた彼女は、眼前の少女の右目が輝いていることにも、この場において最弱の存在であるはずの少女が今も不遜であれることに気づけない、気づかない。

 

 敵は己の願いを知っている(・・・・・・・・・・・・)

 

 これがどれほど致命的な事実なのかに弓兵は未だ気づけなかった。

 形は変われど、これは聖杯戦争。

 

 何故、英霊が真名を隠すのか、

 何故、英霊が正体を隠すのか。

 その常識とも言える事柄を忘れることがどれほど致命的なのか、彼女は未だに気づかない。

 故に傍観は続く。戦いの渦中に身を投じるわけでもなく、弓兵は葛藤に飲まれ、自己の傷と向き合うのだ。

 

 

 剣の英霊(セイバー)剣の英霊(セイバー)

 通常の聖杯戦争ではありえない最優の英霊同士の戦いは拮抗を経てから徐々にその天秤を傾けつつあった。

 

 赤雷を纏う剣が唸りを上げて竜殺しの肉体を抉る。

 魔力放出によって底上げされた剣の一撃は生身で受ければ問答無用に何であれ粉砕することの叶う凶剣だ。

 最優のサーヴァントとされる剣士の英霊(セイバー)にして、世界屈指の知名度を誇る円卓の騎士。

 

 叛逆の騎士モードレッドの技は相手が並のサーヴァントであれば宝具を使わずとも一蹴できるほどに強力である。

 例えばこれが既に敗退した“黒”の陣営の騎乗兵(アストルフォ)などであれば容易に倒しうるだろう。

 

 だが先に苦戦を強いられた“黒”のキャスターと同じく相手は断じて並ではなかった。いや、それどころか常識外れはこちらが上だ。

 

「おお……!」

 

 気合を発して“黒”のセイバーが踏み込む。そう、踏み込む(・・・・)だ。目の前の敵は“赤”のセイバーの凶剣に対してあろうことか防御ではなく、攻勢を仕掛けてくるのだ。

 常識的に考えるのであれば無謀を通り越して狂気だろう。生身で受ければ問答無用に致命的な凶剣を生身で受ける。

 

 論理の破綻したその振る舞いは狂気としか言いようがあるまい。“黒”のセイバーの真名がジークフリートでなければ、だ。

 

「クソが……ッ!!」

 

 剣が弾かれる。まるで硬質な鋼を切りつけたかの如き、反動を受けて、凶剣はその攻撃力を発揮することなく、竜殺しの生身に弾かれる。

 その何度目かになる光景を目の当たりにし、“赤”のセイバーは毒づきながらも、敵手が繰り出す反撃を飛び退いて躱した。

 

 大剣を扱っているとは思えない程、小器用に胴を抉りこむような斬撃は踏み込みと、その長身な躰を余さず使うことで見た目以上に、刃の射程範囲が伸びる。

 仮に半身になる、足を引く程度の回避運動では躱し切れない。だからこそ距離を取るというのがより確実な方法だ。

 

 直感に頼るまでもなく、戦場の経験と此処までの観察結果から導き出される当然の答えに則り、彼女は正解を選び取った。

 だが、その場における最善手が戦場における正解とは限らない。

 矮躯と称されるモードレッドに長身のジークフリート。同じ大剣という大振りな武器を使う剣士ながらも、その体格差という使い手の特徴が牙を剥いた。

 

「シッ!」

 

 “赤”のセイバーを追撃する一撃。大上段からの大振りが“赤”のセイバーの首筋へと振り下ろされた。

 

 得物と体格。“黒”のセイバーの攻撃範囲はもはや槍の間合いに近い所がある。よって飛び退いた“赤”のセイバーを襲う“黒”のセイバーの一撃は距離をしてギリギリ“赤”のセイバーの反撃が届かない位置にある。

 なればこそ相手側の攻撃に対して回避という手段を使い切った“赤”のセイバーが取れるのは防御という手段のみ。

 

“ぐ……重ッ──!”

 

 剣を引いて、首元で大剣の一撃を防御する。

 受ける際に傾斜を作り、勢いを逃がすという咄嗟の判断は流石は百戦錬磨の円卓の騎士とだけあったが、それでも相手の膂力は想定以上。受けた剣を通じて、両手が痺れ、衝撃を受け止めきれずに足は僅かに後退する。

 

 それを見て、“黒”のセイバーは更なる追撃を加えんと大剣の柄を短く握り直しながら最速で次弾の準備を終え、“赤”のセイバーも次弾に備えて身構える。

 が、その動きは陽動(フェイント)。本命は……上からの攻撃に意識を逸らした上での下部打撃(膝蹴り)

 

「ガッ……!?」

 

 予期せぬ衝撃に“赤”のセイバーの身体がくの字に曲がって、宙に浮く。そして“黒”のセイバーは意識外からの打撃に硬直する“赤”のセイバーの足を掴み取り、雑に地面に叩きつける。

 

「ッは……ッ!」

 

 この場においては“赤”のライダーと同等とも言える筋力を十全に発揮した二度の衝撃はただそれだけで“赤”のセイバーに強烈な損害(ダメージ)を与える。

 意識を完全に刈り取られなかったのは“赤”のセイバーが全身甲冑(フルプレート)に身を包む騎士であったことのみだ。

 

 仮に先の“黒”のセイバーの様に生身で攻撃を受けていれば、まず間違いなく昏倒していただろう。

 しかし意識の有無で状況が改善するとは限らない。地面に叩きつけられ、総身を襲う痺れに悶え苦しむ間もなく、“赤”のセイバーの目に映るは必死の刃。全身の力を乗せて、剣を突き立てに掛かる敵剣士の姿。

 

「あああああッ……!」

 

 身体が軋むのも構わず、声を張り上げて“黒”のセイバーが止めと放つ一撃を己が剣で横一文字に切り払う。

 左手を支えに、魔力放出も交えて放った緊急防御の手段は、位置関係、体勢の差から不利を強いられているにも関わらず、“黒”のセイバーを剣ごと弾き飛ばす。

 

「っ……!」

 

 砂煙を上げながら押し戻された“黒”のセイバーは一瞬、その表情に驚きを浮かべるものの、即座に剣を構え直し、正眼で立ち上がる“赤”のセイバーを見据え、“赤”のセイバーの方も呼吸を荒げ、よろけながらも瞳に強烈な敵意を浮かべたまま体勢を立て直した。

 

「……不味いな」

 

 一連の攻防を歯噛みしながら見守る獅子劫は我知らず呟く。

 戦いの状況は劣勢。徐々に、徐々に“赤”のセイバーが追い詰められつつあった。

 

 技量の差は向こうが一枚上回るが、魔力を放出する“赤”のセイバーの方が通常攻撃による殺傷能力が高い。

 よって純粋な能力値にのみ争点を置くのならば両者の差はそれほど離れていない。共に最優の冠を有するサーヴァント同士、差は歴然と言うほど隔絶してはいないはずなのだ。

 だからこそ、この差はやはり宝具と。

 

「……あの嬢ちゃんか」

 

 サングラス越しに獅子劫と目が合う。

 忌々し気にする獅子劫とは対照的に相変わらず少女は楽し気に笑いかけてくる。

 ここまで来るといっそ呆れるほどの余裕ぶりだ。

 

 とはいえ、あの少女然とした常識外れにいつまでも意識を割かれているわけにもいかないだろう。隙あらばあの少女の命を刈り取るチャンスを狙いつつも、獅子劫は間違いなく分析が苦手だろう、“赤”のセイバーに代わって、敵兵の脅威度を正確に測っていく。

 

「まず厄介なのがあの多少の攻撃じゃ小揺るぎもしない身体だな。全力で打ち込んでもかすり傷程度で済ませられるから防御を必要とせず、こっちの動作を無視して完全に攻撃一辺倒で来やがる」

 

 ルクスがいるため、完全に攻撃に振り切っているわけではないようだが、あの桁外れな耐久性があるからこそ“黒”のセイバーは構わず踏み込んでくる。

 そして絶えず攻勢に乗り出してくる相手を前にはどうしても防御や回避といった受けの行動に回らざるを得ないのだ。

 

 とはいえ受け一辺倒では状況が打破できるはずもなく、当然攻撃の隙間を掻い潜って反撃を“赤”のセイバーは繰り出す。

 しかしそのどれも、首に打ち込もうが、胸に打ち込もうが、悉くが弾かれてしまうのだ。

 この耐久性は間違いなく宝具であり、ルクスの言動から考えてその正体も明らかであった。

 

「ニーベルンゲンの歌に登場する竜殺しの大英雄ジークフリート。となると弱点は背中だけか」

 

 竜殺しのジークフリート。欧州を中心に広く叙事詩で語られた存在であり、十九世紀ごろに誕生した「楽劇王」の助けもあって西洋を中心に世界的な知名度を誇る紛れもない大英雄である。

 

 竜殺しの武功を立てたことにより獲得したという無敵の肉体は彼に様々な栄誉と栄光と、そして悲劇を齎したとされる。

 まさに円卓の騎士と同等以上に渡り合うのも納得の存在である。

 

 であれば伝承通り。その身は弱点たる背中を除けば無敵と呼ぶに相応しい耐久性能を有しているということだろう。

 この事実は同時にかの英雄の致命的な弱点もまた伝承通りという証明材料であるものの。

 

「言うは易く行うは難しってか。ありゃあ早々に背中を取らせてくれはしないだろうな……」

 

 回避も防御も必要としない“黒”のセイバーは常に正々堂々、正面から敵に構えてくる。そのため弱点を突こうにも簡単には背中に回らせてもらえない上、ルクスの存在もあるせいで、“黒”のセイバーは背後に対して、かなりの警戒心を上乗せしている。

 それが“黒”のセイバーが完全なる攻勢に移らない理由であり、今も劣勢を強いられつつも“赤”のセイバーが張り合えている理由である。

 

 そして無敵の身体という宝具に加えて厄介な要素がもう一つ。

 

「ッ──はッ──!」

 

 “黒”のセイバーが虚空に三つの軌跡を刻む。

 剣閃によって描かれる軌跡はあろうことか“黒”のセイバーが元来、持ち得るはずのない神秘なる智慧の術理。

 次の刹那に来るであろう攻撃に対して、“赤”のセイバーは忌々し気に吼えながら回避へと動く。

 

「チィ──ランサーモドキといい、あのわけわからん魔術師といい、同じ芸しか出来ねえのかテメエらッ!!」

 

 “赤”のセイバーの文句など知らぬとばかりに発動するはルーン魔術(・・・・・)。あろうことか魔術師の英霊(キャスター)でも魔術師でもない、よりにもよって剣の英雄(セイバー)がルーン魔術を使用する。それも原初のルーンなどという下手な魔術師の英雄をも凌ぐ常識外の術理を。

 

 虚空に刻まれるは何れも『(スリサズ)』。薔薇の棘を連想させるような短剣を生み出し、それらを殴りつけるようにして“赤”のセイバーへと投擲する。

 

 恐るべき三連暴投に“赤”のセイバーは迎撃と回避を交ぜ合わせて、魔術による攻撃を凌ぎ切るが、直後に飛び掛かってきた“黒”のセイバーの大剣を凌ぎ切れずに右肩の鎧装甲を粉砕され、浅く傷を負う。

 

「ッのやろ……! ッ!? く……!」

 

 反骨を叫ぶ“赤”のセイバーの顔面目掛け、無言のまま襲い掛かる“黒”のセイバーの掌底。見れば仄かに輝いており、明らかにルーン魔術で強化されている。ただでさえ高い膂力を有する“黒”のセイバーに高位の魔術の助けが伴えば、その威力は間違いなく“赤”のセイバーの頭蓋を破壊しうるだろう。

 

 直感的に身を屈め、掌底を回避し、更なる追撃を避けるために魔力放出を敢行。“黒”のセイバーの脇を潜る様にして“赤”のセイバーは弾丸じみた勢いで“黒”のセイバーの攻撃圏より逃れ出る。

 

 だが、逃れた“赤”のセイバーを襲うのは鋭い氷の礫、無数の刃、雹の嵐。ルーン魔術によって編み出された遠距離攻撃手段がこれでもかと言わんばかりに“赤”のセイバーを強襲する。

 それを“赤”のセイバーは赤雷で以て切り払うが、自らの雷の輝きによって一瞬視界を塞がれた“赤”のセイバーの隙を見切って、またも“黒”のセイバーが懐まで踏み込んできて──。

 

 剣術と魔術。二つを組み合わせた変則的な戦いぶり。絶えず間合いを支配するその様に獅子劫はより苦い顔を強める。

 

「……単純な強化じゃねえ。霊器……いや、霊格そのものに働きかけているのか。クソ、厄介なんてもんじゃねえぞそれは……!」

 

 英霊ジークフリート。少なくとも彼は魔術的な伝承を残す英霊ではない。ルーン魔術を揮う竜殺しの英雄は北欧神話のサガに登場する同じ竜殺しの英霊シグルドを語る伝承に登場する描写であり、そしてジークフリートとシグルドは同一の起源を持つ英雄であっても同一の存在ではないのだ。

 

 故に本来、あそこに在るのがジークフリートである以上、ルーン魔術など使えるはずがないのだ。にも拘わらず、あの英霊が我が身の技であると言わんばかりにルーン魔術を揮える理由は一つだけ、他ならないルクスの存在にある。

 

 曰く、神名接続(セイズマズル)。認識を通じて概念に接続するという未知の呪詛によって強化されたジークフリートは、今や大陸ゲルマン、北欧圏を中心に広く伝播されている「竜を殺した不死身の英雄」という伝承に接続されている。

 

 それ即ちあそこにいるのは『ニーベルンゲンの歌』に登場する英霊ジークフリートという存在などではなく、「竜を殺した不死身の英雄」という伝承の全てを包括した存在として一時的な霊器の増幅(ブースト)を受けているということだ。

 

「全く、滅茶苦茶にもほどがあるだろチクショウ!」

 

 お陰で今、“赤”のセイバーと相対する剣の英雄は、不死身の身体を有し、原初のルーンを揮い、大幅に切れ味(ナーゲルリング)(やど)した魔剣を携える怜悧な見た目を持った英雄王子として君臨している。

 

 イングランドで召喚されるアーサー王、ギリシャで召喚されるヘラクレスの様に、生前にも等しい霊威を持って“黒”のセイバーは猛威を振るう。

 

“少なくとも真っ当にやりあって勝てる相手じゃねえ。効果時間は分からんが少なくともあの嬢ちゃんの様に一瞬で効果を失う様子がない以上、それなりの効果時間があるということだからな”

 

 となれば、時間切れを狙うのは悪手だろう。それに戦いの天秤が既に向こうへと傾きつつある現状、耐え凌ぐだけの拮抗がこのまま続くとは限らない。“赤”のセイバーが奮戦しているモノの、流石に此処まで悪条件を突き付けられては手の施しようがないだろう。

 

 やがて来たる展開を嫌うならば何としても戦いの流れを変える必要があるだろう。そしてそのために必要な最も簡潔な手段と言えば一つだけ。

 獅子劫の視線が弓を構えたまま膠着する“赤”のアーチャーの方へと向く。出来れば友好的な関係のまま進めたいが、事ここに至ってはそんな甘えは通じまい。多少強引にでも状況を動かさねば詰むのはこちらだ。

 

「……アーチャー、お前さんに子供相手がキツいのはよく分かった。だからアンタはセイバーの奴を援護してやってくれ。あのお嬢ちゃんは俺がやる」

 

「ッ──いや、しかしッ!」

 

 その声掛けに“赤”のアーチャーはびくりと竦み、次いで拒絶するかのように首を振るが、彼女の心情に付き合える余裕はない。

 獅子劫は多少荒っぽくなろうとも言葉を続ける。

 

「よく見ろ! ありゃあ何の力も持たねえ無力なガキじゃねえ! 自分の意志で戦場に立ち、今も“黒”のセイバーを援護して戦う立派な魔術師()だ! 間違えるな、あいつは誰かの庇護を必要とする子供なんかじゃねえだろ!」

 

「……まあ酷いこと。どこからどう見ても幼気な少女じゃない?」

 

「どこが幼気だ! どこが!?」

 

 例によって言葉の途中に茶々を入れてくるルクスに思わず、勢いそのままツッコミを入れるが、この一連の余裕すら少女が無力ではないことの証明だろう。この状況下、命を狙われている現状で微笑むものなど尋常な精神強度じゃない。器はともかく、精神力という一面は既に子供の領域にはない。

 

「……戦えないならせめて引け。手を出すな。こいつらは俺たちだけでやる。文句も後で聞いてやる。それで満足しろ“赤”のアーチャー」

 

 最終勧告とばかりに獅子劫は“赤”のアーチャーに告ぐ。

 果たして──葛藤する“赤”のアーチャーは弓を下ろし、歯噛みする。

 

「……ッ……っくぅ──わかっ」

 

「『助けてくれないの? お姉ちゃん!!』」

 

 響き渡るは懇願する子供の声。

 身を切られる痛みで覚悟を固めた“赤”のアーチャーの意志を一瞬で折りに掛かる致命打が、空隙に叩き込まれた。

 

「ッッッ!!」

 

「……ッの、流石に趣味が悪いだろ嬢ちゃんッ!」

 

 流石の獅子劫も少女のやり口に言葉を荒げるが、当の少女はすまし顔のまま、やや感情の色を欠いた口調で淡々と言う。

 

「これは聖杯戦争でしょう? 貴方たちだって“黒”のセイバーの弱点を狙おうとしているじゃない? だったらこちらもそちらの弱点を突くだけよ」

 

「くっ……!」

 

 正論、だが此処まで徹底していると底知れない恐怖すら感じる。

 敵は天真爛漫な少女として振る舞いつつも、行動は全て的確だ。感情と理性を完全に切り離し、容赦なく勝つための手段を叩きつけてくる。

 そこに躊躇は一切ない。

 

「私ね、ライオンさんも、あっちで奮戦しているセイバーも、葛藤しているアーチャーも。みんな好きよ。その強さ、その輝きに敬意を持ってることに嘘偽りはないわ」

 

 そう言って微笑みかける少女の瞳はやはり敬意と好意が隠されることなく映っており、敵たるはずの“赤”の陣営に降り注がれている。

 だが(・・)しかし(・・・)

 

「ええ。だから、油断なんかしないわ。躊躇はしないし、迷いもしない。慢心なんて以ての外。そんなもの、敬愛する貴方たちに失礼にしかならないでしょう。なので尊敬の意も込めて私()徹底的にやらせてもらうの」

 

 本来、友好を示すはずの敬意や好意、尊敬がそのまま敵評に裏返る。英霊や敵魔術師に高い好感を覚えているから、それがそのまま容赦のなさに反転する。

 

「ホントッ……質が悪いな!」

 

「ふふ、御免あそばせ?」

 

 これが神代司る少女呪術師。

 現代を生きる魔女(ヴォルヴァ)の本性。

 

 容姿(すがた)変われど、性格(たましい)変われど、その本質は普遍かつ不変なれば、同じ起原が色濃く出たものとして方向性は自ずと似通う。

 たとえ魔術師でなくとも、彼ら彼女らは、彼ら彼女らという理由(だけ)であらゆる全てへの脅威と成り得るのだ。

 

 もはや考える猶予はない。

 このままやられるぐらいならば出来る全てを懸けて状況を覆さんと獅子劫は銃の引き金を振り絞る──。

 

 ──刹那、一陣の風が駆け抜ける。

 

「──そうかい。だったらこっちも容赦なくやらせてもらうぜ?」

 

「ッ、させん!」

 

 突風としか思えないほどのそれは、凄まじい勢いで“黒”のセイバーの背後に守られるようにして突貫する。

 ルクスに反応すら許さない壮絶な疾走はあわやルクスを貫きかねんと迫るがルクスの眼前数センチという所で“黒”のセイバーに止められる。

 

 危うく死にかけた──そんな状況にもかかわらずやはり少女は穏やかに笑いかける。

 

「流石、早い復帰ね? アキレウス?」

 

「ああ、嬢ちゃんのお陰で目ェさめたからな。こっから先は手加減も油断もできやしねえよ」

 

「そ。とっても怖いわね、それ」

 

「楽し気に言いやがるぜ」

 

 “赤”のライダー──俊足の英霊アキレウス。

 踵を貫かれ、無敵を失い、失速を味わったものの、それらは決して致命的ではない。弱点を貫かれた代償にサーヴァントとしての大幅な負荷(デバフ)と先にフレイヤの魅了を強引に引きちぎった影響で霊器に多大なる損傷を負っているモノの、そんなものは全て些事だ。

 

「ハッ、満身創痍からが英雄の花だろうがッ! なァァァ!!」

 

「く、おおおおおおッ!!」

 

 たかだかその程度(・・・・)、我が疾走を止めるに能わず。

 “赤”のライダーの気合を反映するかの如く槍技が怒涛に乱舞する。

 瞬きほどの間に二十七。

 壮絶な槍の嵐を“黒”のセイバーは見事に凌ぎ切る。

 

「忘れてんじゃねェェェェ!!!」

 

「ぬぅ、おおお!?」

 

 だが直後、赤雷と共に飛び込んでくるは叛逆の騎士。

 ルクスを守るためとはいえ、強引に振り切られた“赤”のセイバーは怒りと共に“黒”のセイバーを強襲。

 魔力放出を多分に込めた弾丸じみた一撃を正面から受け止め、堪らず“黒”のセイバーはたたらを踏む。

 

「そこォ!!」

 

 その隙に繰り出される、一閃の槍。

 “黒”のセイバーと言えどもこの予期せぬ怒涛の攻撃を前に防御も回避もすることが出来ず、さらに速度や無敵に制限が掛かったとはいえ、元より彼は大英雄。その身が揮う渾身技はたとえアキレス腱を射抜かれても変わることはなく。

 

「ぐぅぅぅぅぅぅ!!」

 

 “黒”のセイバーが吹き飛ばされる。

 空中に舞うは微かな鮮血。

 無敵を貫き、遂に“黒”のセイバーは手傷を負った。

 

「よーし、悪くない援護だったぜ“赤”のセイバー。そのまま援護は任せた。こいつはきっちり俺が仕留めてやる」

 

 得意げに槍を回しながら“赤”のライダーは調子よさげに言う。弱点を射抜かれ満身創痍となっているとは思えない程堂々たる様だった。

 しかし、その言動が癪に障ったのか、“赤”のセイバーが噛みつく。

 

「アァ!? 援護じゃねえオレが主力だ! 勝手に割って入ったのはそっちが先だろうが! 寧ろお前が援護しろ! オレがコイツをぶっ倒すッ!!」

 

「おいおい、さっきまで追い詰められてたやつが良く言うぜ、少しは感謝して欲しいんだがね?」

 

「まんまと踵射抜かれて動けなくなってたやつに言われたくねえよ」

 

「く、くは、ハハハハハ! 言うねェ! 全くそりゃそうだ! ならこっからは汚名返上といかせてもらおうか。つーわけで競争だ。貸し借りは無し、この場は先に倒した方のお陰ってのでどうよ?」

 

「……いいぜ乗ってやる。だが邪魔はすんじゃねえぞ。足が痛いなら引っ込んでろ」

 

「抜かせ、貴様こそ我が疾走に遅れるなよッ!」

 

 此処に、天秤が再び動いた。

 不死身の竜殺しに相対するは叛逆騎士と俊足の英雄。

 新たな参戦者に数的劣勢を“黒”のセイバーは強いられるが、彼の様子に変化はない。浅く吐息を吐きながら大剣を構える様は威風堂々。

 

 如何なる苦難、如何なる敵を前にも決して怯まず、打倒するという明確な意思がその眼に浮かんでいる。

 

「さあて、お礼参りといこうか」

 

「そのすまし顔をぶった切る!」

 

「……俺の役目は変わらない。まとめて斬り捨てる」

 

「「ハッ、やってみろォ!」」

 

 英雄たちが激突する。

 もやは魔術師の介在する余地はなく、英霊のみが立ち入ることが出来る聖杯を巡る戦争はより華々しく激烈に、新たな局面を迎えるのだ。

 

「形勢逆転……とまではいかなくとも状況は好転したか」

 

「そうね、流石は大英雄。足を射抜かれてからが本番なのがあの英雄の恐ろしさよねえ」

 

 怖いわーとルクスは続ける。

 大英雄アキレウスの復活。それを目の当たりにしても少女は変わらぬままだ。まるで動揺などない、全て予定調和だといいたげなその態度に流石の獅子劫も不気味さを覚えながら言葉を投げかける。

 

「清々しいぐらいに余裕だな嬢ちゃん。この程度は何でもないってか?」

 

「そういうわけじゃないわよ? ただメインステージの演者じゃないから気が楽っていうのはあるわね。どうあれこの場は大局に何の影響も及ぼさないもの。残念ながらね」

 

「あん? そりゃあどういう──」

 

 意味だ、と問いただそうとした時の事だった。

 魔力が濃くなる(・・・・・・・)

 

「ぐ、ご……おぇ……こいつ、は──」

 

第四世界観(ムスペルヘイム)……いえ第五世界観(ニヴルヘイム)ね。一気に随分と下げるなんて、やっぱり一筋縄ではいかないか」

 

 空を見上げながらルクスが独り言のように呟く。彼女の視線に釣られてみればいつの間にか青空は真冬を思わせる曇天へ。トゥリファスの街の外は極寒を凍土を思わせるあらゆる生命を許さない雪原と化していた。

 

「一瞬で、景色を……それにこの魔力の濃さは……」

 

「おおよそ循環魔力はこの惑星の十一世紀と同じぐらいじゃない? 貴方たち魔術師の感覚で言えばね。もう一段ぐらい落とすと神代に踏み込んじゃうからこの辺りまでが現代魔術師の生存圏ね」

 

 さらりと魔術師としての常識に当てはめればとんでもないことを口にしつつ、動揺する獅子劫を傍目にルクスは空を、次いで今も戦うサーヴァントたちを見る。

 彼らの激闘は今も激しく続いているものの、その激しさたるや先よりもより激烈なものとなっている。

 

 気づけば“赤”のセイバーの赤雷はマスターの魔力供給も殆どなしに桁違いの出力を発揮し、“赤”のライダーはその身のダメージにも拘わらず速さに磨きが掛かっている。そしてそれら両雄を相手取る“黒”のセイバーはよりいっそう強靭な肉体と魔術と剣に冴えが加わっており──。

 

 既に戦いの規模はサーヴァントの枠を超え始めていた。

 

「……やれやれ、こうなってくると魔力消費で勝負が決まるなんてつまらない結末にはなりそうにないわね」

 

 そう言ってルクスは初めて笑みを消して嘆息する。

 

 ──獅子劫は未だ悟っていないだろうが、今の世界、その視点における魔力濃度は既にサーヴァントが単独現界出来るほどの魔力濃度を誇っている。

 よってこの世界観では魔力消費でサーヴァントが形を失うなどあり得ない。それは同時にこの場でサーヴァントを打倒するには霊核を直接傷つけて倒すのが必須条件ということを示すのだ。

 

 だからルクスは疲れたように息を吐く。

 手早く済ませられるのなら、このまま“赤”の陣営を有耶無耶にやり過ごして撤退する選択肢もあったものの、呪詛の効果時間を考えれば何れ形勢は“黒”のセイバーの不利へと傾きうる。

 

 よって“赤”の陣営を引きつけつつ、適度に時間を稼ぎつつ、彼らをこの場に繋ぎとめるには。

 

「御免なさいね。やっぱり手抜きはいけないみたい」

 

 ルクスの視線が“赤”のアーチャーを射抜く。

 その視線、先ほどまでとは毛色の違う瞳に捉えられ、“赤”のアーチャーは初めて自身の理念からなる躊躇ではなく、言いようのない不安感から思わず弓矢を構える。

 しかし、ルクスは動揺も恐怖も、まして躊躇も抱かない。

 

 一歩、前に踏み出す。

 

「勘違いしないでくださいね。私は別にライオンさんが言う通り、悪い趣味を持ってるわけでも歪んだ楽しみを持ってるわけでもないの。ただ必要だから、勝つために、貴女たちを上回るにはそうするべきだと思ってるから、確実な手段を的確に実行しているだけなの、決して、そこだけは誤解しないでね?」

 

 目を開く、揺籃の様に、右目が輝く。

 

「ふふ、カウンセリングをしましょうか。“赤”のアーチャー、いいえ、ギリシャ神話の女狩人アタランテ」

 

「ッ……く、来る──」

 

 その、どうしようもない不吉に。

 獅子劫に言い募られても動くことのなかった弓弾く指が震えるように動こうとして。

 

 

 

「それじゃあ──その歪み(キズ)を切開しましょう。貴女自身と向き合うときよ、アタランテ」

 

 《望郷》の眼が啓く。

 合理を以て必要なことを必要な時に。

 敬愛するからこそ躊躇いは無し。

 

 ──聖杯戦争において英霊が名を隠すのは自らの武功を刻んだ伝承からその弱点を突かれないためにある。

 英霊アタランテの伝承に聖杯戦争における分かりやすい伝承は刻まれてはいないが、英霊アタランテを識れば、その弱点は自ずと見えてくる。

 

 初めに少女がアタランテの秘めたる祈りを口にしたこと。

 その意味を、決して軽視してはならなかったのだ。

 

「『アイリアーノス』」

 

 魔女の言葉によって鏡が起こる。

 英霊たるものの弱点を抉り取るために。

 此処に少女は神話を謳う。

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