『──ねえ、アーチャー。もしも、もしもの話ですけれど、私が此処で我が儘を言ったとしたら、貴方は付き合ってくれますか?』
彼の力になりたいと、その一心で私は己のサーヴァントにユグドミレニアの魔術師ではなく、自分自身の祈りのために協力を乞うた。
もしかしたら私の助力なんてなくたって、彼は一人で事を済ませられるのかもしれない、或いは余計なお世話になるかもしれない。
けれど焦がれた《光》の背を見送って、何もせず何も成さずに立ち止まって、また置いていかれるのだけは嫌だった。
だって、かつて私は逃げ出した。痛みに耐えかね、足の治癒を断念したあの時。私の願いに寄り添って、根気よく決して諦めずに付き合ってくれた彼に背を向けて、自分には無理だと立ち止まってしまった。
その後悔は今も胸に残っている。
もしもあの時、私が諦めずにいたら足は治っていたかもしれない。そうでなくとも挑戦しつくした果ての結論であったならば、譲れぬ願望を携え、昔と同じように彼と共にこの聖杯大戦で共に肩を並べ、戦えていたかもしれないのだ。
でも、それは今になっては叶わぬ光景だ。
立ち止まった私とは違い、彼は一人で駆け抜けた。幾多の死地、幾多の死線にその身を晒し、命を懸けて願いのために走り続けた。
そして、今も走り続けている。戦略を練り、戦術を操り、敵陣営の秘密を暴き、状況をつぶさに観察し、的確な手を打ち続ける。
聖杯大戦において一族を代表するサーヴァントのマスターという枠組みに留まらず、しっかりとユグドミレニアの主力たる魔術師として本気でこの戦に挑んでいるのだ。
迷い惑い揺れに揺れ、今もこうして悩み続ける私なんかとは違って、彼は今この時も彼自身の意志と心でこの戦いに向き合っている。
だからこそ今度こそはと、そう願って私は彼と同じ戦場に立つことを望んだのだ。今度は逃げ出さず、そして何より己の意志で、ユグドミレニアの魔術師としてではなく、聖杯に願いを託さんとする一人の人間として、戦う。
そうすれば今度こそ後悔せずに済むと思って……。
──いや違う。結局のところ私が此処に居るのはそう難しい話ではないのだろう。ただ昔のように彼と話したかった、接したかった、笑い合って、共に一族の未来のために歩きたかった。
言葉にすれば本当にそれだけ。魔術師としての責務、自らが抱える祈り、それらを置いてもただ昔日の日々を取り戻したかっただけ。
そんな極めて俗な、およそ魔術師らしくない人間的な理由で私は彼の立つ戦場に赴いたのだ。
心に決めたささやかな誓いのために。
今度は一緒に戦うのだと胸に決めて。
そして、そして……。
「────嘘」
そして彼女は──フィオレは、現実を目の当たりにするのだった。
あんまりにも断絶しすぎたアルドルとの道。
後悔しながら立ち止まったフィオレと迷いなくに進み続けたアルドルとの間に築かれていた差。奇跡のような幻想が、無情な現実を叩きつける。
──それは神話であった。
晴れわたり、澄みわたる空の群青。
肌を撫でるそよ風は何処までも心地よく、草原の奏でる音楽は遥か彼方に忘れて来た懐かしき故郷を思い出させるよう。
木陰で体を休める幻想種、楽し気に踊り舞う妖精たち、空と宙の境を飛ぶ竜。
御伽噺の風景が現実に書き起こされている。
此処は正しく神話の世界。
かつてないほどに好循環を繰り返す魔術回路と、魔術師として培ってきた常識が信じがたい現実の直視と不信を繰り返す。
あり得ない、あり得ない──だが、これが現実だと。
「……アルドル殿、貴方はこれほどまでに」
ふと何処か呆然とするように、今まで一度も取り乱す素振りを見せてこなかったフィオレにとって頼もしきサーヴァント──“黒”のアーチャーが思わずと言った様子で言葉を紡ぐ。
その声は微かに震えており、それがどれ程の動揺を覚えているかをこの上なく示していた。
反射的にフィオレは目の前の真実から目を背けるように、答えを知る愚問をアーチャーに問う。
「あ、アーチャー……これは一体……?」
「──敵の宝具、という可能性もありますが……いえ、事ここに至れば憶測などという逃げ口上は止めるべきでしょうね。これはアルドル殿の魔術でしょう。如何なサーヴァントの宝具とて昨日今日でこれほどに大掛かりな魔術は用意できません。少なくとも数年、いいえ、数十年単位の用意があっても出来るかどうか、そのような類いの大儀式でしょうから」
「まさか、義兄さんの魔術なのか……? これが……?」
険しい表情で頷く“黒”のアーチャー。
そして彼の言葉に信じがたいと反応するカウレスはフィオレの胸中を言葉として形にする。
──ユグドミレニア最強の魔術師アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。
あのダーニックすら惚れ込んだ、ユグドミレニア一族が誇る歴史史上間違いなく最高峰の才能を有する魔術師。
幼少期より遥かな未来の景色を見据え、研鑽に研鑽を重ねて来たアルドルの成果。思えば初めて目の当たりにすることとなったアルドルの
言葉を失くす姉弟に“黒”のアーチャーが自らの見解を語る。
「流石にこうして見るだけでは魔術の詳細は掴めませんが、恐らくは土地と地脈を経由した魔術なのでしょうね。空想具現化……信じがたいことですが、今この瞬間、この場は紛れもなく一つの神話に彩られている」
「く、空想具現化……!? あり得ないだろ! 固有結界ならまだしも、幾ら義兄さんでも精霊の真似事だなんて……!」
「……そうですね。しかしどれ程認めがたくても目の前のこの光景こそが現実でしょう。ただ、より正確に言うならこれもまた空想具現化の亜種ですね。思い描いた幻想で現実を塗りつぶすのではなく、かつてあった幻想を呼び起こす……逆行運河、いえ、あくまで魔術の延長線上にある術理だというのならば『再現』の成せる術か。いずれにせよ規格外には違いありません」
「再現……」
“黒”のアーチャーが語る見解は現実を目の当たりにした今でさえあり得ないと言いたくなるほどの荒唐無稽だ。
現代魔術師にとっては非常識とさえ言い切っていい。
だが、『再現』という単語を聞いてフィオレは何処か納得していた。
再現、神話の再現。道は分かたれたとはいえ、フィオレはアルドルと共に魔術を共同研究していた身だ。アルドルの得意としている魔術は覚えているし、全容はともかく彼が昔から何を研究していたかも知っている。
かつてフィオレに彼は語った。ユグドミレニアが祖の目指した風景に至りたい。夢を捨て去らざるを得なかったダーニックに代わり、ユグドミレニアに栄光と未来を齎すのだと。
古くは北欧地域に地盤を置いていたユグドミレニアにとって、なるほどこの光景はユグドミレニアが目指した道の一つなのかもしれない。
遥かな過去、断絶した神代の景色、北欧神話世界。
アルドルが目指し続ける
とりわけ古い魔術遺産の発掘や術式の再現に特化した技能を有するアルドルならば手間と労力を惜しむことなく使えば、このような光景に至るだろうと。彼を良く知るものの一人として理由のない確信を得る。
「では……アーチャー、これがアルドルの魔術だとして、彼は何のためにこれほど大掛かりな魔術を……? いえ、魔術を発動させた理由については“赤”の陣営やルーラーで説明を付けることが出来るんでしょうが……」
「そもそも何のためにこれほどの準備を行っていたか、という話ですね。確かに聖杯を獲るための準備というには些か規模が大きすぎます。これもまた予想の話ですが、これがアルドル殿の追い求める栄光の一環、と考えるべきなのでしょうね」
フィオレの質問の意図を読み切ってアーチャーは丁寧な回答をする。
自身の考察と今までのアルドルの言動。
そこから組み上げた予想を開示した。
「マスターもご存じの通り聖杯……我々が勝ち取るべき願望器とは無限にも等しい魔力の源泉です。純粋無垢な魔力が満ちた無限の杯は願いや祈りを託せば原則、どのような願いも叶えることが出来る」
そう、よって万能の願望器。
それが聖杯。私たちが目指すべき勝利の証である。
アーチャーは知識の復習を行いつつ本題に入る。
「ですが──如何な聖杯とはいえ叶えられる願いにも限度がある。特に方法論が存在しない願いに関しては特に」
「……あ、そうか。聖杯自体はあくまで無限に等しい純魔力の集積体だから、術者である魔術師本人が聖杯の使い方、願いを叶える方法を知らないと魔術が成立しないのか!」
「その通り」
目敏く気づいたカウレスの言葉に“黒”のアーチャーが頷く。
“黒”と“赤”の両陣営が追い求める万能の杯、聖杯。
この高度な魔術式によって成立した術式の本質は内に秘めた無限にも等しい魔力量を以て、ありとあらゆる過程を超略して術者の願いを叶えるという面にある。
よって聖杯とは万能の杯としてどのような願いであれ際限なく叶えることができるが、過程が確立していない願い……つまりどのような形であれ、理論的に成立している願いでなければ叶えることは出来ないのだ。
「そう、どのような形であれ、聖杯に祈りを託すのならば、その際に術者当人に明確な願いを成立させるための理論が必要となります。……これまた推測ですが、この大魔術こそがアルドル殿の願望、ユグドミレニアに栄光を齎すという願いを結実させるためのものなのではと考えます」
「アルドルの、願い……」
“黒”のアーチャーの考察を聞きながら茫洋とフィオレは改めて眼下の景色を見る。
トゥリファスの街を飲み込んだ異界の展望。
この惑星を神代というテクスチャが覆っていた頃の風景。
或いはユグドミレニアという一族が始まったとされる旧き北欧神話の時代。
アルドルがダーニックの諦めたユグドミレニア元来の目指すべき地点を目標に突き進むというならば正にこの空想こそが到達地点と言えるのかもしれない。
フィオレはまるで遠くの星を仰ぎ見るように彼の世界を眺めた。
それはカウレスもまた同じであった。
しかし──“黒”のアーチャーだけは違和感を覚えている。
アルドルの願望を叶えるための過程。
自らそう予測しておきながら彼は自らの言葉を疑った。
“
なるほどこの光景は正しく“赤”の陣営との激突を終えた日の黎明に告げた言葉の通りだ。よもやこれほどの規模、これほどの術式を既に自力で達成するほどにまで完成度を高めていたとは予想だにしなかったものの彼は彼の語った通りに、事を進めている。
“だが、本当にこれがアルドル殿の言う
魔術師にとって確かにこの光景は紛れもなく栄光といえるだろう。
失われた神話世界の実現もそうだが、何より魔術師という生き物の生存原理、次代に悲願を託し続けた果ての結末という意味でも最高の形だと言える。
だが──そう、だが。
“これではアルドル殿という卓越した
“黒”のアーチャー……ケイローンが違和感を覚えたのはそこだ。確かにこの風景を大聖杯の力でより強固な形に押し上げれば、アルドルという到達点を生み出したという形でユグドミレニアには栄光が満ちるだろう。
結局のところ魔術師という生命体は一つの到達点へと至るための土台に過ぎず、その目指した一つの到達点に至るというのならば、そこに至る道筋全てに栄光の光明は注ぐだろう。
ユグドミレニアはアルドルという天才を生み出すために存在したのだと。それだけでも魔術世界にユグドミレニアの名は栄光のために伝わるだろうが……。
それはアルドル・プレストーン・ユグドミレニアという人物を抜きに語った客観的な話である。
彼が目指す栄光は別段、彼自身に帰結する必要がないもの。ユグドミレニアという
でなくば、自らの一族に千年の繁栄をなどという台詞は口にするまい。
そこまで考えてケイローンはふと思う。
「……まさか、この光景すら
至った恐るべき考察にケイローンは言いようのない悪寒を覚えた。
まさか、とは思う。
自分でも信じがたい話だが、この風景、神代を再現するという魔法にも等しい奇跡の偉業。たったこれだけで現代魔術師たちからの称賛と憎悪を買うであろうこの成果ですら、彼が追い求めるというユグドミレニア一族の栄光へ至る過程の一つでしかないのではと。
この予測が本当だとして、彼の目指す結末とは一体何なのか。
神話の再現という奇跡すらも踏み台に齎す栄光とは一体?
ケイローンはもはやアルドルという魔術師を侮りなどしない。彼は現代を生きる人間であり、ケイローンの生きた神代、ギリシャ神話世界の英雄たちと比べれば纏う神秘も魔力も劣る存在だが……その執念、その才能は紛れもなく本物だ。
ともすれば嘗て育てて来た英雄たちにも負けず劣らず、こと魔術の才能に限って言うならば間違いなく今までケイローンが出会ってきた中でも最高クラスである。
彼に勝る存在といえばケイローンの知識が届く限り、コルキスの王女ぐらいしか思い至らない。
それほどまでにアルドルという魔術師は隔絶していた。
であれば、それほどの天才が目指す地点はケイローンの想像すら及ばぬ領域である可能性も十分にある。
ケイローンはあらためて眼下の景色を見る。
彼方を征く竜種も、草原を駆ける幻想種たちも、木陰の妖精たちも。
皆が皆生きている。
作り物ではない、無機物有機物問わず時代を生きた者の記録を纏めて再現する規格外の魔術。
ある意味では魔法以上の魔法といえる風景はケイローンからしても時代が巻き戻ったとしか思えない。
正に空前にして絶後の改変である。
……だからこそ、彼は身近な変化に気づくのが遅れたのだ。
アルドルの目指すユグドミレニアの栄光。
その正体とは、既に身近で起こっていたということに。
「……あれ?」
疑問符を鳴らしたのはカウレスだった。
景色に見入るのもそこそこに、ふと気づいたと言わんばかりに彼は自らの両手を見下ろして、そのまま調子を確かめるかのように両手を握りしめ、放すという行為を繰り返す。
「カウレス? どうかしたの?」
「あ、姉ちゃん。いや、何か調子が……んん?」
弟の不自然な様子に疑問を抱いたフィオレが問いを投げるが、それに対するカウレスの言葉は釈然としないものだ。自らも自らに起きた変調をいまいち読み取れないのか、不可解そうに首を傾げる。
「カウレス殿? どこか調子がおかしいのですか?」
「おかしいって言うか、逆かな。なんかやたらと調子がいいみたいなんだ。今気づいたけど、魔術回路の通りが良いっていうか……何だこれ」
「……ふむ」
カウレスの言葉を聞いて、ケイローンはカウレスの様子を観察する。
言われてみれば今のカウレスは確かに調子が良さげだ。
外観から察するに魔力の生成量が増しているのだろう。普段のカウレスと見比べるまでもなく、今の彼を覆う魔力の気配は高まっており、それこそフィオレと何ら遜色のない……。
“────待て”
「──カウレス殿。少し様子を見させて貰っても構いませんか? 貴方の魔術回路と接触させていただきたいのですが」
「え? ……あ、いや、別にそこまでじゃ。悪いって感じじゃないし」
ケイローンの提案に少しばかり渋い顔をするカウレス。
魔術回路とは魔術師にとって生命線である。これを破壊されれば魔術は疎か、生命活動にすら支障を及ぼす場合がある。そのため魔術師にとって自らの魔術回路を他者につなげる行為は極めてハイリスクな行為なのだ。
如何に信頼するに値する血の繋がりを持った姉のサーヴァントとはいえ、反射的に嫌悪が顔を出すのは仕方がないことだろう。
対して渋る弟とは逆に姉の方はと言えば心配そうにケイローンを見る。何故ならこのような常識、ケイローンが知らないはずもなく、それを押して提案するということは、常識よりも優先せねばならぬ事情が発生したことを示していたから。
「ケイローン、カウレスに何かあったんですか? まさか……」
「いえ、悪い変化というわけではないでしょう。マスター、その点についてはご心配なさらずとも大丈夫ですよ。ただ少しばかり確かめたいことがあったのです」
「確かめたいこと?」
「ええ。恐らくは、アルドル殿が関わることです」
「……アルドルが?」
思わぬ答えを聞いてフィオレが少し驚いたような反応をする。
突如として弟に起こった変化に彼が関わっているとは思わなかったのだろう。
だがカウレスの方はと言えば思い当たることでもあったのか、ケイローンの言葉を聞いて少しだけ合点が言ったように言葉を漏らす。
「あ……そういえば義兄さん、前に俺の魔術刻印に何か細工してたような……」
「それは本当? というかカウレス、それってかなり重要なことじゃ? そんな大事なこと今の今まで隠してたの?」
「い、いや隠してたわけじゃない。あの時は“赤”の陣営の奴らが攻め込んできてた最中だったし、義兄も急いでるみたいだったし、それに咄嗟のことだったから、忘れてて……」
「寧ろ、そっちの方が問題なんじゃないかしら?」
ややジト目になりながら非難するような視線を向ける姉に対して、カウレスはしどろもどろになりつつ言い訳をする。
確かに魔術刻印……フォルヴェッジではなくユグドミレニアのものとはいえ、仮にも魔術刻印と言える代物に何らかの細工を施されながらも今の今まで思考の外においていたのは魔術師としては落第も良い所だろう。
如何な身内のアルドルとはいえ、自身に何らかの術を施したというのならば、当人に問いただすか自ら確かめるかと然るべき措置を取るのが当然である。
にも拘らずこれまで特に何ら変化を与えてこなかったことと、あの接触自体、突然の出来事であったがため完全に記憶の隅から落としていた。
魔術師として幾ら何でも迂闊すぎる……と自らの未熟をこんなところで直視する羽目になり、カウレスはチクチクと劣等感を刺激された。
しかし姉はともかくケイローンの方はと言えばその言葉を聞いていっそ、考え込むようにして黙り込み、次いで改めてカウレスに提案をする。
「カウレス殿、その魔術刻印の件についても少し調べたいことが出来ました。できれば……」
「分かった分かったよ、元々俺の未熟だしな。このやたらと調子がいい感じも含めて、まとめて調べてくれ。頼めるか、アーチャー?」
「ええ。無論です」
カウレスは降参するように両手を上げた後、そのまま手をケイローンの方へと向ける。
それにケイローンは頷いて、差し出されたカウレスの手を握り、その魔術回路に接続する。
カウレスの魔術回路の変調。
アルドルが施したという魔術刻印への細工。
神話の再現。ユグドミレニアの栄光。大聖杯。
……ケイローンの内で静かに組みあがっていく、アルドルがその胸の内に隠している展望。掴みかけた真実を確信するためにケイローンはカウレスの魔術回路に接続する。
瞬間、自らに返ってくる走査の結果。三流魔術師と揶揄されたカウレスには見合わない、一流魔術師のものとしか思えない程の魔力精製率、循環量──そして、もう一つのあり得ない変化。
「
──遂に全てを察した大賢者は戦慄と共に感嘆のため息を漏らす。
なるほど、この方法であればユグドミレニアという一族は栄光と共に千年の繁栄を確立させ得るだろう。魔術協会も、聖堂教会も手が出せない、第三勢力として以後の魔術社会において独自の地位を築き上げるに違いない。
だが、その発想、その過程。
こと此処に至るまでの手段。
大聖杯というものを除けば文字通り全てを自力で整えたアルドルに対してケイローンは呟いた。
「……貴方は何処まで見ていたのですか、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア」
その誓いに偽りはなし。
何処までも高く、何処までも遠く。
賢者の視点すら凌駕してかの者は歩み往く。
自らではどうしようもない悲願、自らではどうしようもない祈り、それら聖杯に縋らざるを得ない者たちが競い合う最中、ただ一人徹底して聖杯すらをも手段としか見做していない魔術師。
用意が違う、願いが違う、熱量が違う、抱いた執念が違い過ぎる。
よってかの者こそ聖杯大戦における最強の魔術師。
孤高を貫く背を幻視し、ケイローンは初めて恐れを抱いた。
☆
アルドルという魔術師を指して、第三者が受ける印象は決まっている。
即ちは〝常識外れ”という評価だ。
神話に対する深い理解は元より古き神秘に簡単に手を伸ばし、掴み取って見せる様は普通の魔術師にとっては異質であり、驚異的なものに映るだろう。
だが、実のところ本人──アルドルにとって掴み取る結果は常に当然のモノであり、謙遜でも卑下でもなく本当に大した偉業ではないのだ。
その自己評価の理由は『視点』にある。そもそもアルドルにとっては神秘の探求とは五里霧中の果てに妄執と万感の思いを携えて手に入れるものではなく、識っている結果から逆算して到達するもの……明瞭な解答があると知った上で解く数式に他ならない。
なるほどこの世界に生きる魔術師にとって精霊種に等しい英霊や、彼らが歴史に携えてきた伝説的な宝具、神話的存在というものは書物や伝聞でのみ存在する代物なのだろう。
しかし、アルドルの場合は初めからそれらの存在を在るかどうか分からぬモノではなく、在るモノとして探求を進めているのだ。
それは生来、独自の視点を持つアルドルならではの見識であり、故に彼にとって常に神秘も伝承も在るという結果から逆算して掴み取るものなのだ。
言うなれば因果の逆転──結果が先にあり、そのための手段を考えることこそアルドルの魔術探求なのである。
かつて彼とは異なる方向で〝常識外れ”とされた人形師はアルドルの事を指して「未来視における測定の視点に近いのだろう」と称した。
その言は流石というべきかアルドルの特異性の一端に触れており、聞いた当時のアルドル当人は思わず苦笑したものだが、閑話休題。
ともあれアルドルにとって全ては『結果』ありきの問題なのだ。
彼が理想とする結果、彼が求める結果、彼が欲する結果。
最初に答えがあって、そこに辿り着くために手段を考える。
これこそがアルドルという魔術師の特異性だった。
だからこそ聖杯大戦という結果が見えた彼にとって喫緊の課題である自己の強化。それに魔眼という手段を講じるのは至極当たり前の発想であった。
『魔眼』──端的に言えばそれは見ることを利用した魔術である。
多くは先天的に発露する異能として区分されるそれは、見たものを燃やす、視界の存在を捻じ曲げる、目を合わせたものの動きを止めるなど、複雑な過程を抜きにただ見ただけで干渉する単純なれど強力な魔術だ。
また『魔眼』の特性として眼球自体が魔術回路となっているようなものなので、先天的に持たなくとも後から移植することも可能ということもまた手っ取り早い自己強化の手段として魅力的な点であろう。
魔眼のリスクも特性もアルドルは十二分以上に承知していたし、何より獲得するために手段が彼の基準ではかなり簡単であったのも大きかった。
何せ質や特性自体は運任せだが、『魔眼』を手に入れるだけならば当時時計塔に所属していたアルドルにとって極めて容易いことであった。
これに関しては結果どころか手段までをも最初から識っている。
存在自体はメジャーでも、モノ自体は希少な『魔眼』。
それらを取引する場所の存在をアルドルは既に知っていた。
よって彼は懇意であったカルマグリフ──時計塔が
その成果こそ、アルドルの右目。
工房を接続する回路として利用する《望郷の魔眼》である。
有する異能は端的に「ものの起源を観測すること」。
死を直視する魔眼ほどではないが、古い神秘を突き止めることを旨とするアルドルにこれ以上ない魔眼であった。何せ少なくともこれがあったからこそ彼はユグドラシルの枯れ枝を正しく利用できたし、自己観測と神名接続によって
結果を識る魔術師に、存在起源を辿る魔眼。
この二つの視界を有するからこそ彼は誰よりも古き神秘に通じることが出来たのだ。
アルドル・プレストーン・ユグドミレニアにとって最大の武器とは誰よりも深く識り、誰よりも深く見て、それ故に誰よりも雄弁に語れることにある。
そう──その一点に関しては、彼は下手な詩人をも上回るのだ。
『アイリアーノス』
──気づけば、懐かしの森に居た。
思考は何処かボンヤリと、まるで他人事のように彼女は過去の一幕を直視する。
少女がいる。
身なりは気にしない性質なのか、まだ幼い顔立ちの少女の身なりは貧相でぼろ布で最低限、身体を隠す程度で、泥に汚れた横顔や碌に手入れもされていないだろう髪の毛からも少女が見た目に頓着しない、或いはできない存在であるのは間違いないだろう。
ただ少女は美しかった。
存在を飾る装飾品こそ無粋とばかりにただ在るがままに美しい。
彼女の名前はアタランテ。
父母に見捨てられ、それを憐れんだ女神アルテミスによって命を拾った野生の嬰児。望む望まないを置いて弱肉強食を生きることを強制された子供である。
彼女は弓を弾いている。であればこれは恐らく狩りだろう。
生きるためには肉がいる。
果実や魚だけでは人間の肉体を維持するタンパク質が足りない。
肉食動物が狩猟によって糧を得るのと同じく、彼女もまた弓という彼女にとっての牙を使って、得物を求めている。
何を狙っているのか。
そう、視界を動かしてみれば。
「あ……」
猪の子供であった。
少し先を歩く母親の姿を数匹の子猪がひょこひょこと追いかける姿は愛らしく。平時の人間らしい感性があれば微笑ましく見送るような光景だ。
だが。
射る射る射る──殺す。
ものの五秒で小さな幼い命は簡単に散った。
突然の出来事に母猪が呆然としている。
植物や虫と異なり、ある程度の知性を有する動物には人間ほどではないにせよキチンと情が備わっている。故に動きが止まる。愛する子供たちの命が唐突に散らされたことによって母猪の警戒心が完全にかき消えた。故に──。
「フッ──!」
射──命中。
最低限の労力と最大効率で殺し合いにすら持ち込ませず、狩人は美しいほどに無駄がない狩りを終わらせたのだった。
「……今日は大量だな」
微かに、口元を綻ばせて少女が言う。
それを彼女は他人事のように直視して──。
『人間じゃなければ随分とあっさり子供を殺すのね』
えーんえんえん
えーんえんえん
嘆きの声がこだまする。
女たちの声であった。
彼女たちの前にあるのは惨たらしい程に晒された首。
まだ若い顔立ちの男たちであった。
その死に顔は皆、恐怖と絶望に歪んでおり、そんな若い男たちの亡骸を前に女たちが嘆いている。恐らくはこの若者たちの母親や近親に当たる存在なのだろう。
無惨な息子家族の姿に悲痛な泣き声を上げている。
「あ……ぁ……」
覚えがある。覚えがあるということは彼女はこの光景を知っている。
これは、ああ、これは……。
『当時の倫理観に否を唱える傲慢さは無いけれど、求婚者皆殺しはやり過ぎなんじゃない?』
──その矛盾は現代の医学的な知見においては愛着障害と呼ばれるものの一種なのだろう。
或いは願いの自己投影ともいうべきか。
子供は無償に愛されるべき。
それは彼女にとって願望であり、祈りであり、歪みだ。
愛されたかったのに愛されなかった。
そんな己の不遇をせめて他人には当てはまらない様にと。
だから彼女は子供を愛する。だから彼女は子供を慈しむ。
彼らが父母からの愛を正しく受け取り生きることを望む。
だが、彼女は弱肉強食を生きた者。
愛が在ることを知っていても愛の何たるかを知らないモノ。
故に、故に。
『幼く、無垢で、愛しい存在以外は守るべき存在ではないのね』
──……霧が覆う街の中を女が足早に歩いている。
何かから逃げているのかその顔には焦りがあった。
背には小柄な一つの影。
恐らくは十代と思われる白髪の少女だ。
子供だ。
怪我をしているのか苦し気に顔を歪めながら母の存在を求める姿はこの上なく痛ましい。
〝──……ねぇねぇおかあさん。また、ピアノ、聞きたい”
〝──……分かったわ、何とかしてあげる”
痛みから目を背けるように口ずさむのはささやかな我が儘。
それを困ったように、けれど本当に愛おしいとばかりに微笑みかける様は正に彼女が祈る母が子を慈しむ場面そのもので。
「……ちが、止めてくれ……! 私は……!」
それを……己は上から見下ろしている。
見晴らしのいい高台、得物に気取られない位置。
弓兵が
不意に、眼下に見下ろす女……母親と視線が合う。
諦めるような、嘆くような、それでいて、祈るような。
矢が放たれる。
〝──……おかあ、さん……?”
〝私がいなくても、あなたは大丈夫……■■■■”
〝やだ、だめ、だめだよ、おかあさん! だめ、だめ、だめ……!!”
母は子を庇い、子は母の死に涙している。
理由は分からない、過程は分からない。
記憶には、こんな光景、欠片もない。
けれど、この手ごたえは、このやり方は、この狩猟方法は。
『子供は良くて、
「違う! 私はッ!! 私は本当に、全ての子供たちが愛される世界をッ……!!」
否定する。
そうだ、嘘ではない、嘘ではない、嘘ではない!
私は真実、子どもたちを愛している。
彼らの誰一人、不幸にならずに慈しまれる世界を望んでいる。
そうなるように望んだ、そうなるように走った。
それが英霊アタランテの願望。
英雄として走り抜けても足らず、その欠落を埋めるために聖杯を……!
『ふ、ふふ、うふふふふふふふふふふふ……』
『嘘つき』
『貴女は、愛なんて知らないじゃない』
「……………………………………………ぁ」
──
泣いている。泣いている。泣いている。
まだ幼い赤子が一人泣いている。
それに背を向け歩き出す男。
〝まって、まって……! おいていかないで!”
短い手足をジタバタとさせて、その背中に手を伸ばす。
泣いて叫んで懇願する。
振り返って、抱きしめて──あいして。
男が微かに振り返る。
冷めた眼で赤子を一瞥し、たった一言。
〝女は要らぬ”
『だって──貴女は誰にも一度も愛されなかったんですもの』
誰よりも深く識り、誰よりも深く見て、それ故に誰よりも雄弁に語れる。
それ即ちは語り部、詩人の技である。
古今東西、英雄にとって最大の鬼門たる存在は不死身の怪物でも、恐るべき竜でもない。
時に英雄の雄姿を民衆に語り、時に英雄の疵を声高に叫ぶ。
言の葉を操る彼らは武力ではなく、風聞という情報で以て人を殺す。
よって弁舌、彼らの言葉は時として聖剣魔剣よりも遥かに質が悪い。
何処までも自由に、恣意的に、面白おかしく。
現実を捻じ曲げて物語を語るのだ。
そう彼らこそが……言葉を武器とする彼らこそが。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
英雄殺しなのだ。
《望郷の魔眼》
感想欄で既にコソッと語ったアルドル君の右目。
『黄金』に位置づけされる魔眼。
その特性は「物事の起源を視る」というものだが、これは今ある形から起原にまで辿って行ってそのものを観測するという過程を得るため、一目この目で一瞥した瞬間から起原から始まる目の前のモノの足跡を瞬時に読み取る。
言ってしまえばあらゆる事象を一つの大河小説として読み取る魔眼。
最大性能を発揮すると人間の脳では処理しきれない情報量が流れ込むため、前の所有者は《オークション》に流したようだが、何故かアルドル君は相性が良かったのかその情報量を捌き切れるかつ使いこなすことが可能、ナンデヤロナー。
存在そのものを読み取ってるので、人間に使えば起源から始まる終着や衝動、性格は勿論こと辿った人生や心理描写、感情のうねりまで汲み取るので、愉悦部がまともに運用すると酷いことになる。
現在は工房に紐づく魔術として使用法は解析や接続という装置としての役割に落ち着いているが、対人の魔眼として使うと作中の通り。
どうでもいいけどルクスちゃんは多分ドSだと思いました、まる