千年樹に栄光を   作:アグナ

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九天に注ぐ杯

 アルドルの築き上げた魔術工房にして、彼の計画の根幹にある大魔術式。

 名を『九つ廻る千年神樹』。

 

 かつて北欧世界に存在した神々と幻獣と人間たちの暮らした世界観、宇宙観を完全再現し、固有結界内には今は失われた神秘が数多秘蔵されている。

 北欧世界に息づく妖精や幻獣は勿論のこと、神々を害した魔狼の末裔、神々と敵対した巨人族の末裔など、友好的かそうでないかを問わず、北欧神話観に存在したか否かのみを制限とし、余さず彼らを内包していた。

 

 正に規格外──とはいえ、実のところ工房を形作る魔術式自体はとても単純であり、必要となる聖遺物や素材など発動するに足る条件を揃えることは難しくともやっていることは何処まで言っても再現の枠から飛び出さないのだ。

 

 術式自体は魔術でも基本とされる照応や伝承の模倣。『望郷の魔眼』を始めとして再現に特化した魔術や異能を有するアルドルがユグドラシルの神枝という特級の神秘遺産から嘗て存在した世界の歴史、テクスチャの一端を読み取り、それを神話観になぞって創り上げた魔晶の模倣樹に転写しているというだけのもの。

 

 再現──そのルールに縛られる以上、アルドルにできるのはかつて存在した世界観を作り上げる事までであった。

 ならばこそ、彼の創り上げた世界観に住まうものはあくまでも模造、模倣。記録から呼び起こした形だけのものとなるはずであった。

 

 しかし彼の固有結界内の存在は例外なく生きている。

 生命体として独立し、個我を有して生活している。

 

 それは余りにも矛盾であろう。

 

 生命体の創造……それも既に地上から消え失せた幻獣や妖精といった存在をも独立した生命体として再現するなどというものは魔法の領域に等しい。

 アルドルという魔術師はあくまで「魔法使いじみた魔術師」である以上、舞台を再現することは出来ても登場人物までは用意できないはずだ。

 

 にも拘わらず、アルドルの固有結界には生ける神秘が息づいている。

 その不明、その矛盾の原因は『彼』にあった。

 

 

 ──元々、北欧神話世界に生きた『彼』は神々が黄昏を経て地上から消え去った後もかの偉大なる大神の後進として次代の世界を担う責務があった。

 神々亡き後の北欧神話世界観にて生き残った者たちを引き受けるという役回りである。

 

 北欧の神々の方針は、黄昏を経て訪れるだろう人の世を尊ぶというものだ。そして霊長の繁栄に際しては余分な残滓は不要だろうとし、生き残りを星の内海へと隔離し、人よりその存在を分かつことを選んだのだ。

 元より大神の後進という立場であった『彼』はその役目を引き受け、生き残りたちを引き連れて星の内海へと潜り、残されたささやかな世界を照らし続けていた。

 

 誰からも忘れられた黄昏後の楽園。

 永劫不変に沈黙し続けると思われた光の園は、しかし一人の魔術師が辿り着いたことで千年ぶりに開かれることとなる。

 

 魔術師は己が願いと展望のために『彼』へと『契約』を持ち掛け、『彼』もまた数奇な運命を持ち合わせた魔術師の行く末に興味を持ち、力を貸すことを約束した。

 だが、『彼』がいなくなれば内海に残された世界からは『光』が無くなり、残されたモノたちは忽ち泡沫として消えてしまうことになる。

 

 故に『彼』の懸念を失くすためにアルドルは『契約』に際して新たな移住先を提案した。それこそが極大規模の固有結界『九つ廻る千年神樹』である。

 

 そう、『九つ廻る千年神樹』が世界観の模倣に留まらず北欧世界の住民まで再現している理由はそこにあった。文字通り、当初より新たな移住先として用意されたこの世界には北欧神話の生き残りたちが今も息づいているのだ。

 

『おや?』

 

 よってこの世界に生きる住民たちの王は彼らに動きがあれば当然気づく。第五世界観。その深淵。今にも尚、その憎悪を燃やし続け、アルドルは疎か『彼』すらも制御不可能なかの悪竜が身じろぎしたのを感じ取り、言葉を漏らした。

 

『いきなり最大最高の大砲を使い切るとは、思い切りが過ぎやしないかい? アレの憎悪は筋金入りだ。砲の指向性を確保するだけでも君には相当な負荷だろうに』

 

 ニーズホッグ。それは北欧神話において語り継がれる世界樹の根を食む悪竜の名だ。『彼』と同じく黄昏の果てに生存した数少ない生き残りの一人であり、神代より現代まで生存し続けた純血の竜種。

 並の英霊どころか大英雄のカテゴリに収まるサーヴァントにすら匹敵する超抜級の幻想種である。

 

 神代が終わった後は地底(ナーストレンド)を住処とし、現代文明からは完全に距離を取っているが、今なお北欧神話の神々への憎悪を燃やしている。

 

『アレに協力の概念は無い。仮に現世へと呼び出せば真っ先に僕を狙ってくるだろうし、次点は他ならぬ君だ。利用法としてはせいぜいが、こちらの気配を敢えて悟らせ、攻撃させ、その攻撃の指向性のみを操って便利な大砲に仕立て上げるぐらいだ』

 

 そう、邪竜の憎悪は誰にも制御できない。

 

 アレほどの神秘存在を使役することなどそれこそ大神クラスでも出来るかどうかという話だ。

 よって、アルドルは自らの固有結界にかの者の存在も組み込むと決めた段階で制御ではなく、利用することに注力し、術式を構築している。

 

 第八世界観(ヘルヘイム)ではなく、第五世界観(ニヴルヘイム)に扉を作ったのも、神秘が減衰し、ギリギリ現代の枠に収まっている時系列(ピリオド)とすることでニーズホッグが扉を食い破って地上へと現界させないための措置である。

 

『それでも君自身に掛かる負荷は尋常じゃないだろう。一度の制御で君の魔術回路が殆どすべて焼き付くほどだ。少なくとも開戦早々に切っていい手札じゃないだろうに』

 

 『彼』はアルドルらしくない判断に一人、小首を傾げた。

 誰よりも未来へと視線を向け、誰よりも慎重に事の全てを運んできた男だ。

 当然、現在敵対する抑止力がどういうものか知っているはずだし、純粋な力比べではどう足掻いても勝ち目がないことだって知っているはずなのに。

 

『南米の折は相手があくまで抑止力から援護を受けた、ただの英霊(サーヴァント)であることを利用して『本体(ボク)』に成る(・・)ことで返り討ちにできたけれど、此度の相手は冠位英霊(グランド)それも僕の見る限り、幾つかの反則を乗せている。思うに君対策だろう』

 

 人類の抑止力、カウンターガーディアン。

 人類の永き存続に障害を齎すものを問答無用で排除するそれは、前提として排除対象よりも強大な存在、ないしは排除対象に対して特攻が働くようなものを用意してくる。

 

 現秩序に多大な影響を及ぼすであろうアルドルの計画を害するために派遣されてきた『冠位英霊』も例外ではない。しかも一度、排斥に失敗した記録を有する抑止力だ。二度目は確実に抹殺すべく、それこそ世界そのものがアルドルの不利に働き続ける。

 

こちらの領域(トゥリファス)に入った段階で彼らの関与は減衰するが、大聖杯を未だ獲得していない以上はあくまで聖域(・・)止まり、人理の延長線上だ。守護者の力は精々が三割減程度、勝率が僅かに残されている、といった処か』

 

 半ば『工房』の枝と化しているトゥリファスの霊脈。

 そこを介して『彼』は現在の状況を的確に知覚していく。

 

『まさかとは思うが相手が底を出す前に決めに行ったのかな? 純粋な出力比べに持ち込まれる前に何もかもを決めようと? それでは前と同じだ。流石に二度目は通じないよ。そんなことが君に分からないはずないのだけれど』

 

 はて、如何なる意図があるものかと『彼』はアルドルの狙いが読み切れず思考を回す。

 

 敵の数に対応するだけならば、戦乙女たちやニーズホッグを早々に呼び出して宝具という切り札を使い切らずとも魔狼たちか、巨人どもを当てれば十分だっただろう。あくまで敵の兵士たちは多少強力な霊体だ。神代より血を繋いできた幻想種たちに霊格は遠く及ばない。

 

 彼らを宛がい、兵士たちを食い荒らせば事態を打開するため、例の聖女は新たな手を打ってくるだろう。少なくともそうしてある程度、敵の力の底を見切ってからでも遅くはない。

 

『ニーズホッグの出力を上回る手札となれば、あとは僕ぐらいだろうけど、二度目は無いと君自身よく理解しているだろうに。まさか寄り道で消滅するつもりかい。確かに戦況は優位を築けているけど、君の記録を見る限り、君抜きではあの聖人の相手は厳しいだろう』

 

 現在までにアルドルの暗躍もあって“赤”は殆ど一方的な消耗を負っている。通常、この状況であればアルドルが居なくとも彼の叔父であるダーニックの手腕で如何様にも進められるだろう。

 だが、それは相手が単純に魔術協会から派遣された魔術師たちの組織であればという話だ。

 

 “赤”の裏に例の神父がいる以上、まだ逆転される余地があるというのが『彼』の見立てだ。そうでなくとも自身へ向けられる好意に鈍いアルドルは気づいていないようだが、アルドルはユグドミレニアの精神的な主柱である。彼が消えれば“黒”のアーチャーや“黒”のバーサーカーのマスターは勿論のこと、ダーニックですら動揺するだろう。

 そして、そんな隙を例の神父が逃すはずなどない。

 

 天秤は依然、拮抗しているのだ。

 途中下車が許されるほど楽観していい状況ではない。

 

『サーヴァントの数も未だ健在だしね。主力と呼ばれる英霊は未だ誰一人落ちていない。特に君が最大級の警戒を向けている“赤”のランサー辺りは君の状態から薄々、僕にも察している節があるからね。まあ伝承的に彼は今の君と似たような状態(・・・・・・・)を体験しているみたいだから言わずもがなだけど』

 

 同一起源体(ルクス)の活躍によって、“赤”のライダーを筆頭に完全回復が厳しい損害を与えることに成功したようではあるが、結果的には敵を討ち果たせてはいない。

 最も警戒する敵方の英霊は無傷のままで例の神父は何やら怪しい動きを匂わせている。

 

 この聖杯大戦が決着を見るには、恐らくあと一度決戦を行う必要があるだろう。

 

『だからこその『寄り道』だ。彼女の存在は大局に大きく影響を齎すが、それは“赤”の方も同じ事情だ。上手く整えれば呉越同舟で打ち滅ぼす盤面にも持ち込めただろうに』

 

 第一にアルドルにとって厄介な聖女の存在は相手にとっても同じである。

 例の神父もまた不相応な理想を掲げ、杯を求める者。

 上手くすれば、“赤”を利用して彼女を討ち果たすことだって出来るのだ。

 

 本命は聖杯大戦の勝利。

 抑止力の介入を嫌うあまりそちらにばかり戦力を割いていては本末転倒というもの。

 ニーズホッグや戦乙女など持ち出さずとも、やり様はあっただろう。

 

『というか、だ。僕はてっきり彼女を討つ役目は君のサーヴァントだと思っていたんだけど、そのためにわざわざ迂遠な立ち回りをしていたんだろうし、いつの間に方針を────…………ん?』

 

 突然、独白が止まる。

 何かに気づいたように『彼』は黙り込む。

 次いで霊脈を介して街を精査し、現場の状況を把握する。

 

 二秒ほどの沈黙ののち、『彼』は納得したように頷く。

 

『ああ──だから派手に立ち回っているのか。成程、勝てないことは重々承知。最後の最後でひっくり返せば委細問題なしと。ははは、相変わらず性格が悪いな君は』

 

 声音は何処か呆れるように。

 演者に対して至上の礼を払いながら容赦なく叩き潰しに行くアルドルの姿勢に『彼』は困った風に独白を続ける。

 

『初手、こちらの領域に全員を取り込んだことで既に手は打ち終えていたという訳か。『冠位英霊』の上書きで聖女の記録はほぼ初期化されている。後は視点(カメラ)を変えられるこちらの特権で向こうの視点から自然な形で映らないよう仕向けさせるだけでいい、と』

 

 恐らく、ルーラーと会敵し、抑止力が干渉してきた段階で方針は決まっていたのだろう。ルーラーがルーラーのままであった場合と、何らかの変調をきたした場合。

 前者ならば予定通りに、そして後者ならば注目を利用するという作戦に。

 

『そういうことなら、精々派手に負けると良い(・・・・・・)。僕はその時が来るまで依然、こうして観客に努めよう。泥臭く意地汚く、何より後悔しないように戦うと良い』

 

 ひとしきり笑い、納得し、『彼』は再び沈黙する。

 『光』は静かに事の推移を見守るのみ。

 

 魔術師がその魂を燃やし尽くす選択を行うまで観客に徹するのである。

 

 

 

 

 ──白く、白く、ただ白く染め上げられた視界。

 身の毛がよだつ憎悪の咆哮を前に聖なる軍は為すすべもなく飲み込まれた。

 

「──……かはっ!」

 

 沈黙する銀の世界。

 それを拒むようにして白い大地を跳ねのけて、乙女は立ち上がる。

 オルレアンに奇跡を呼び込みし英雄ジャンヌダルク。

 雪崩のような竜の咆哮(ドラゴンプレス)を受けながら彼女は何とか生存を勝ち取った。

 

「はぁ……はぁ……くっ……!」

 

 無論、無事ではない。

 咄嗟に全力で発動した自身の宝具は五体満足こそ、保証したが尋常ならざる魔力消費を要求した。今や抑止力の使者として桁違いの魔力供給を受ける彼女であるが、それでも器の方は無限ではない。どれ程、多くの魔力を受け取れようと、一瞬のうちに自身の器に収まる魔力を使い切れば、消滅は必至だ。

 

 つまるところ、彼女は今、死にかけたのだ。

 時間経過によって再び魔力は回復の兆しを見せているが、即座に全快まで達しないという事実が、先の攻撃が要求した消耗の深さを物語っている。

 

「状況は……!」

 

 自身の消耗を無視して聖女は戦を優先した。

 ……何が起こったかは把握している。

 

 ニーズホッグ、恐るべき冬の災厄。

 北欧神話世界に君臨し、黄昏からも生き延びた邪竜。

 一体如何にしてかは知らぬが、アルドルはそれを旗下に置いていた。

 その結果こそが銀色の世界だ。

 

 邪竜の咆哮は悉くを飲み込み、周囲は雪崩後のように一面は白く染め上げられた。今なお続く吹雪の余波がその威力の程度を語っている。

 聖女が守れたのは精々が自分の身一つであり、旗下の軍勢がどうなったかまでは把握していない。

 だが、楽観できないことは明らかであった。

 

 永遠のような体感。時間にして僅か三十秒の白い闇(ホワイトアウト)が晴れる。

 そこに広がっていたのは……。

 

「────」

 

 何もかもが止まっている死界であった。

 

 兵士たちは末期の恐怖を顔に張りつけ固まっていた。

 ──氷の中に閉じ込められているわけではない。

 ──氷点下に晒され、凍死しているわけでもない。

 

 まるで魂の熱ごと寿命(時間)を止められてしまったように。

 彼らは皆、生命活動を停止していた。

 

「──バロール王の死を齎す魔眼、或いはメドゥーサの石化の魔眼の同類だ」

 

「ッ!」

 

 声を聴いて聖女が咄嗟に身構える。

 しかし、臨戦態勢を整える聖女を意に介すことなく、魔術師の方は朗々と、雪の大地を踏みしめながらかく語る。

 

「氷獄の呪い──生命体の寿命を停止(とめ)る邪竜の災いだ。冬が呼び込む凍死を概念化したものであり、触れれば最後、例外なく熱は止まる。魂も、思いも、全て。本質が呪いである以上、仮に焔を司る宝具であっても対応は出来ん。かの邪竜に対抗するならば属性でなく、概念で対応するのが正しい。例えば聖火や、聖女の祈りと言った風に、な」

 

「……そのようですね。肉体ではなく、その魂を射止める呪い。肉体は無事であっても中身が止まってしまえばそれは死んでいるのと変わらない。そういう呪い(もの)です」

 

 生身であれば凍死免れないはずの世界にあって、視界に収まるその魔術師は悠然と。白い息を吐くことすらなく立っている。

 魔術師アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 不倶戴天たる敵は今にも飛び掛からんとする聖女とは対照的に無手。油断なく構えながらも剣を交えようとする気配はなかった。

 

「どういうつもりですか?」

 

「それは寧ろ、こちらの言葉だ。抑止力の守護者。まさかお前がこの程度で詰むほど手ぬるい存在ではあるまい。さっさと次の手を指せと、そういうつもりだよ」

 

「……やはり貴方は知っている、いいえ、知っていたのですね。私の事も、抑止力の介入も」

 

「予想できたのは後者までだ。こういう形で介入されるのは二度目だが、こういう形での介入もあるのだとは識らなかったよ。私は所詮、人間でね。全知全能は程遠い」

 

 肩を竦めながら自身の能力の限界を語るアルドル。

 だが、聖女に言わせれば謙遜にすらならない。

 

 何故なら目の前の魔術師は抑止力という存在の介入すら予想の中にあると言い切ったのだ。ある意味では聖杯よりもあり得ない抑止力の直接介入という事態を。

 それはもはや用意周到や思慮深いなどという次元の話ではないだろう。精度としては未来予測に近い次元の異能を保持してるとしか考えられない異常である。

 

「やはり、本当に根源に……?」

 

 聖女の問いにアルドルは虚を突かれたような顔になる。

 推測が本当に予想外のものであったのだろう。

 感情の読めない鉄面皮に珍しく人間らしい表情を浮かべて嘆息する。

 

「……成程、そっちに行くか。まあ、ある意味ではそちらの方が現実的な予測ではある。我が身のことながら私という存在は余りにも奇天烈だからな。全ての生涯(記録)を保持したままの転生などあの『蛇』辺りが知れば憤激は免れんだろうし」

 

「何を……」

 

「こちらの話だ。……私の身の上を探る余裕はあるまい。それとも役目を全うすることを諦めるか、抑止力の遣い」

 

 人間らしい反応も一瞬の事。

 聖女の疑問にハッキリとした答えを返すことなくアルドルは、聖女の動きを観察する。

 対する聖女の方は眼前の魔術師を鋭い眼光で見据えて──不意に自身の聖旗を地に立てた。

 

「──聖杯大戦を運行するルーラーとして、主より遣わされたものとして、問います。“黒”の陣営のマスター、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。貴方は何の目的があって、大聖杯を、奇跡の成就を願うのですか」

 

 武器を置いて、問いを投げる。

 それは戦場において愚行であろう。

 ただでさえ敵は抑止力をして排除対象の烙印を押した存在。如何な手段か神話を現実に持ち出すことを可能とする空前絶後の魔術師である。

 

 先の邪竜に加え、恐らく白い闇の奥に控えているだろう戦乙女もいるのだ。一瞬の油断も許されない状況下において武器を置いて言葉を語るなど愚かという他ない。

 

 だが、同時にこの疑問は絶対に解かねばならないと聖女は確信したのだ。これほどの規模、これほどの手札を揃えてまで聖杯大戦に挑む者。

 これだけの神秘を司りながらも、万能の杯に手を伸ばさんとするその真意を。

 

「……こと此処に至って問答か。時間稼ぎのつもりか?」

 

「いいえ、私が知るべきだと判断したからです。私を……世界を敵に回してまでも叶えたい貴方の望みというものを」

 

「ふむ、それで善きものであれば見逃してもらえるのか?」

 

「いいえ、それが善きものであれ悪しきものであれ、貴方の願いを叶えさせるわけにはいきません。主がそのように判断した以上、ルーラーとしてその役目を果たします」

 

「では無意味極まる問答だな。答える義理は──」

 

「ですが、()は知るべきだと判断しました。貴方ほどの魔術師が願う奇跡の正体を。世界そのものが否定の烙印を押したものの正体を。それが……願いに命を懸けるマスターを一方的に罰する私の義務です」

 

「……義務、義務と来たか」

 

 聖女の言葉にアルドルは目を細める。

 

 世界による一方的な介入。ルーラーとしての役割。

 迷わず役目を実行する覚悟がありながら同時に、参加者たちが自身の全てを懸けた争いに横やりを入れるという無粋。それすらをも自らの責務と背負い、倒すべき命を対等と見做した上で、絶つ。

 

 聖教において殺人は罪である。だからこそ、かつて教徒たちは倒すべき敵に異教の烙印を押し、隣人ならざる異端として排除したというのに、聖女は人を人としたまま倒す覚悟で相対している。

 

 自身の罪を見つめ、受け入れ、背負った上で進む。

 それは何とも真っすぐで眩い覚悟であることか。

 

「『私は聖女などではない』──(ガワ)が多少変わっても聖女は聖女という事か。まったく、呆れるほどの真っ当さだな」

 

 微かにアルドルは笑みを浮かべる。

 魔術師としてではなく、かつてその勇姿に見入った者として。

 人間らしい感動の笑みを。

 

 ──ならばこそ、全身全霊で相手せねばなるまい。

 

 余分(感情)が消える。

 人から魔術師へ、挑む者へ。

 

 焦がれた本を破り捨てるように、魔術師が進み出る。

 

「……私の願いを問うたな、聖女。ならば返す答えは単純だよ。千年樹に栄光を──私の願いは終始一貫してそれだけだ」

 

「聖杯に、一族の繁栄を願うと?」

 

「ダーニックは、そのようだが。私は違う。君に私がどう見えているかは知らぬが、これでも私は悲観者でね。たかだか聖杯程度(・・・・)で我らユグドミレニアが魔術世界を凱旋できるなど想像できない」

 

「聖杯程度、とは。魔術師たちが追い求める万能の杯を随分と軽く見るのですね」

 

「正しい評価だろう。万能と言えど好き勝手に扱えば抑止力(お前たち)が現れる。叶えられる願いに制限のある万能など不完全も甚だしい。実際、幾度も聖杯の儀式は失敗している。『冬木』の聖杯の完成度を以てしても精々が人並みの望みを成就させる程度であろうよ」

 

 アルドルの言葉は魔術師として余りにも異端であった。魔術師たちの誰もが全てを懸けて追い求めるほどの願望器、聖杯を不完全と言い切るなど真っ当な価値観の魔術師ではありえないことだ。

 だが、同時に……恐らくは聖杯を入手した()にあるであろう大望を抱えるアルドルらしい言葉でもあった。

 

「それに世界は広く、深淵に底はない。魔術協会にせよ、聖堂教会にせよ、聖杯ほどの万能性が無くとも聖杯に匹敵する神秘は蓄えていることだろう。たとえ聖杯があろうともたかが数世紀の積み重ねで数十世紀の歴史に敵うなどとはとてもとても」

 

「なるほど──ユグドミレニアという魔術一族の独立には聖杯では足りない、そう考えるからこその評価ということですか」

 

「そういうことだ」

 

 聖女の言葉をアルドルは肯定する。

 彼の聖杯に評価が低い理由は単に、聖杯ほどの並外れた聖遺物(アーティファクト)であろうとも相対するものの強大さと比較しての言葉だった。

 彼は自らを悲観者と表したが、この発想は寧ろ現実主義者(リアリスト)故のものだろう。

 確かに「一族の繁栄」という願いだけでは、ユグドミレニアに栄光は程遠い。

 

 仮に聖杯を手にし、願いを成就させたところで、せいぜい魔術世界に魔術協会に合流しない魔術一派が出来る程度であり、今日まで続く魔術社会に何ら影響を及ぼさないことだろう。

 アインツベルンのような独立した魔術一族にユグドミレニアという新たな家が加わるだけで今までと大差はない。

 

「或いはダーニック程の政治的手腕があれば協会とも渡り合えるのかもしれないがね。どちらにせよ聖杯を手にした所で得られるのは衰退の時の先延ばしだろう。協会に替わる新秩序を作り上げるという栄光には程遠い」

 

 或いは聖杯を悪用し、ユグドミレニアに勝る全ての組織の絶滅を聖杯に願えば、望みが叶ったと言えるやもしれぬが、それこそその手法では抑止力の粛清対象だろう。

 敵を滅ぼす方法を用いようが、自らを底上げする願いを用いようが、ユグドミレニアが魔術世界を凱旋するためには聖杯だけでは足りなさすぎるのだ。

 

「……分かりませんね。では貴方は何のために聖杯を求めるのですか。聖杯では自らの悲願が叶わないと知りながら何のために」

 

部品(パーツ)だよ。聖杯という機能に用はない。欲しいのはあらゆる願いを成就させるほどの出力を誇る魔力にある」

 

 不明を問い質す聖女の言葉。

 それに間髪無くアルドルは言葉を返す。

 

「要は質も数も足りていないから無意味なのだ。聖杯一つでは協会や教会の積み重ねには決して届かない。ならばどうすればいいか、答えは単純だ。こちらも質と数を底上げすればいい」

 

 口にした願いは王道だった。

 一族を繫栄させる。それはユグドミレニア当主、ダーニックと同じ結論でありながら、ダーニックよりも箍が外れている印象を抱かさせる言葉。

 

 胸騒ぎにも似た焦燥感。抑止力が敵と見做した男の結論。

 聖女は意を決して、問う。

 

「それは、聖杯を使って一族の力を底上げすると、そういう事ですか」

 

「違うな。言っただろう、聖杯は部品に過ぎないと」

 

 不意にパチンと、アルドルが指を鳴らす。

 刹那、背後に展開されたのは無数のルーン魔術。

 

 それもただのルーン魔術ではなく原初のルーン。

 神代に連なる者が操る神代魔術の一端である。

 

「時に聖女、君は神代魔術がどういうものか知っているかね。これらは言葉の通り、神代……まだ根源が近き所にあった時代に魔術師たちが行使したもので、現代魔術とは比較にならない、神秘や力を秘めている。今にこれを使うことができるのは『彷徨海』のような神代より今に時を重ねて来た一部のものたちのみだ」

 

 中空に瞬く原初のルーン。

 それを横目に眺めつつ、アルドルは不敵な笑みを浮かべて聖女に笑いかける。

 

「もしも──これら神代魔術が、才能も適性も関係なく、誰にでも(・・・・)扱える(・・・)ようになった(・・・・・・)ら魔術世界の秩序がひっくり返るとは思わないか?」

 

「────な」

 

 アルドルの言葉に聖女は絶句した。

 神代魔術。遥か過去に魔術師たちから失われた神秘の行使。

 彼ほどの空前絶後の才能と努力で以てようやく実現する魔術の業を誰にでも扱える領域に落とし込む。それは確かに魔術協会や聖堂教会の歴史に追いつくだろう手段であり、あまりにも狂った発想であった。

 

「魔術協会が今日まで圧倒的な勢力として魔術社会の秩序を担っている理由は、連中が魔術の研鑽に必要な術式や魔導書、霊地を独占しているからだ。つまるところ、連中は魔術研究の環境を手元に置くことで一大勢力を築き上げたと言える。ならばこちらも同じことをすればいい」

 

 神代魔術に、聖杯という無限の魔力供給源。

 才能も適性も何もなく、ただユグドミレニアであるというその一点だけでこの二つが手にできるとなれば確かにユグドミレニアは魔術協会や聖堂教会に匹敵する勢力に、いいやそれをも凌駕する一大勢力に成りあがることが可能であろう。

 

 何せ垣根の低さに対して得られるメリットが桁違いだ。

 魔術協会にしろ聖堂教会にしろ、より深い部分にある神秘には相応の立場と政治的な立ち回りが要求されるが、アルドルの言う構想ならば、ユグドミレニアであるというだけで、神代魔術という現代の魔術よりも深い部分にある神秘に触れることができるのだ。

 

 衰退しつつある名家や歴史の浅い新参者ほど、ユグドミレニアの提供する環境は楽園に等しい価値がある。

 そして参入した魔術師らが悉く神代魔術を体得した魔術師ともなれば……ユグドミレニアは質と量ともに魔術社会を一変させる勢力となることは間違いあるまい。

 

「不可能です! 如何に聖杯の力を以てしても一族全てに神代魔術を扱わせるなんて。魔術には縁がありませんが、貴方の願いの非常識さは分かります。魔術世界における現代と神代の壁は簡単に越えられるものではないでしょう。それこそ歴史の改変、時代を組み替えるほどの禁忌に等しい!」

 

「そうだな。現環境に干渉を掛けるのであれば、どこぞの怪獣王女(ポトニアテローン)の如く、人理そのものに干渉しなくてはならない。そんなことをすれば下手をしなくともこの偏向線(ライン)ごと剪定されかねん。だが、神代魔術を扱うだけならばそのような規模の改変は必要ない」

 

「……どういうことです」

 

「魔術師であっても知るものは少ないが、神代魔術とは『契約』だ。仔細は省くが、文字通り神代に生きた神々と契約した魔術師が行使するのが神代魔術と呼ばれるものの正体だ。そして私がこうして証明するように契約は、環境に左右されない」

 

 たとえ環境が神代の終わりであっても、神との契約さえ生きているのであれば、現代の環境下でも神代魔術は行使できるとアルドルは語る。

 恐らく、契約に際して細かな条件は伴うのであろうが、単に神代魔術を行使する上で必要なのは神々、神霊との契約が鍵となるのだと。

 

「……では貴方の目的はユグドミレニアに与する神の召喚──いえ、待ってください」

 

 神代魔術は神と契約することによって成り立つとアルドルは語った。

 だが既に現代にありながらアルドルは平然と神代魔術を行使している。

 

 時系列が合わない。

 願いの順番が逆であろう。

 

 終点がユグドミレニアたる者が神代魔術を行使できる未来であるのなら。

 そのために聖杯を使って『神』の召喚を望むのであれば。

 

 今、アルドルが神代魔術を扱えているのはおかしい──。

 真実に気づいたように目を見開き、聖女は魔術師に視線を向けた。

 

 ──然るに、もう遅い。

 『工房』は既に完成している。

 

「──悲願は自らの手で勝ち取ってこそ価値がある。私に聖杯に縋りつくような願いはない。杯は我が九天に注がれ、その果てに黄昏の果ての栄光は訪れる。構えろ、人理を守護する防人よ、新たな理を築く者として、古き秩序を此処に排する。聖杯を手にし、私は神話を再演する」

 

 それが最後通告だった。

 同時に白い闇を引き裂いて、聖女へと襲い掛かる光の矢。

 言うまでもなく、それらはワルキューレたちの攻撃であった。

 

 聖女は聖旗を再び手に取り、身を翻して光槍を回避する。

 

「──抑止より人理を託されたものとして、聖杯戦争の秩序を担うものとして、貴方の願いは許容できません。自らが願いにより人の理を反すのであれば……貴方は敵です! アルドル・プレストーン・ユグドミレニア!」

 

 よって、これより先に言葉は不要。

 不倶戴天の敵として両者は再び激突を再開した。

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