聖杯大戦において魔術師の剣となり、盾となる存在──英霊。
彼らは長きに渡る人類史で類まれなる功績、或いは罪科を残し、その己が伝説を起点として過去、現在、そして未来に至るまで伝承されていった結果、人にして人ならざる存在に到達した存在である。
霊体であるがために物理的な干渉が通用せず、高位の霊器を有しているために幻霊や悪霊といった存在を一蹴してしまう程の極めて高い魔力密度を誇っている。
魔術世界において、彼らの存在は
そして今回のような聖杯を巡る戦ではサーヴァントと呼ばれる一使い魔として顕現しているが、本来彼らの役割は一個人に尽くすことではなく、人々の祈り、無意識下での叫びを聞いて、人類の脅威となるものに立ち向かうことこそが本分だ。
あくまで聖杯戦争の発祥たる遠坂、マキリ、アインツベルンは、元から存在していた霊長の守護を担うシステムを聖杯戦争用に
……その守護者の中においても特に
衰退、災厄、星の死──人類に滅びを呼び込む要因は数あれど、その中には一英霊ですら対処しかねる大災害。結果的に人類に滅びが訪れる要因ではなく、人類を明確な意図の下に滅ぼそうとする悪意があった。
その名は『人類悪』。人が人であるが故に有する悪性。自らも霊長に属しながらも霊長の滅びを望む
世界に七つあるとされる獣の因子。それらに対応するために生み出されたのが、英霊召喚システムの上位に位置づけられる
滅びを打ち倒す希望の灯火。それこそが
まず英霊の中でもトップクラスの功績を打ち立てた者しか、前提としてこの資格を得ることは出来ず、対応する災厄が災厄なだけあって性能も、時として神霊すら上回るという。
よって──たとえ一騎駆けとはいえ、一個人が撃滅できるような存在ではないのだ。ましてや此度は
何しろ相手が相手だ。抑止力が成立して以来の異常事態、人にも■にも属さない全く別の法則が紛れ込む事態。そのうちに抱える法則が世界に流出するだけで問答無用で人類の存在意義を殺す最悪である。
何としても撃滅せねばならぬ──その意志の下に召喚された英霊はもはや抵抗するという前提が大間違いなのだ。
かくして《光》の予言は的中する。もはや、その既知感は何の役にも立たず。一方的に障害を粉砕する理不尽が、遂に本領を発揮する。
☆
炎が爆ぜる。光が地を照らす。
聖女に直撃する二種の攻撃。
確かな手ごたえを感じながらアルドルは炎と光に飲み込まれた聖女の様子を伺う。
「…………」
先の攻撃は聖女に対して現状、己が行える最善だった。
単純な攻撃力では聖女の宝具は凌駕できない。であるのならば、そもそも宝具を使わせなければいい。その発想の下、敢えて不利な近接戦闘を選び、加えて自分自身の首を絞めかねない単騎決戦を挑んだ。作り出した一瞬に必ず致命の一撃を叩き込む。
言うまでもなく、難業だ。
一つ間違えれば自らの命を落としかねない紙一重であったが、それでも真っ当にサーヴァント戦を行えば抑止力の援護がある聖女には、まず勝ち目がないとアルドルは判断した。
三対一に己の援護を加えれば状況の有利を作り出すことは叶うだろうが、アレの性質を考えれば下手に不利を押し付けてしまうと更なる強化が加えられる可能性がある。
運命力──己が置かれる立場を考えれば幸運に端を発する外因は全て聖女の有利に働いていくだろう。ならばこそ初めから敢えて己を不利な立場に置くことによって、少しでも何かしらの補正が掛かる可能性を引き下げ、紙一重の可能性にアルドルは懸けた。
目論見はこの通り達成され、聖女の霊器には確かな
「傷は入った、かな?」
沈黙するアルドルの傍に三騎のワルキューレが舞い降りる。
口を開いたのはヒルド。
彼女らもまた敵対する聖女がどのような存在であるか、アルドルから、そして彼女たちの主から教えられている。彼我の差が理不尽なほどにかけ離れていることも楽観視していい程の相手でないことも。
だが、それでも先の一撃は渾身だった。
最大出力での宝具発動、並びに聖女の死因を狙い撃つ概念魔術。
いずれも回避不能、防御不可能なタイミングでの攻撃。
技は確かに決まったのだ。少なくとも無傷では済まされない──。
ヒルドはその様に思う。
そして、その判断は他のワルキューレたちも同じだ。
「いや……」
しかし戦闘に長けた戦乙女たちの判断をアルドルは否定する。
視線を聖女の消えた地点に合わせ、何が起きても即応できるように魔術回路を回しながら傍らに立つ少女たちの判断に言葉を返す。
「確かに絶好のタイミングで勝ちにいった。攻撃も間違いなく通っただろう。それでも、それで勝てる程度だとは思えん。何せ相手は理不尽の権化だ。聖域を構築しているとはいえ、基本的に我々は物語に於ける「必ず打倒される敵役」に属している。勝勢からの逆転など連中の得意分野だろう」
「……こちらの領域ではヒトの抑止力は機能しにくいのに、ですか?」
「現状、効果はあくまで減衰だからな。聖杯を獲得し、領域として安定化まで済ませられれば別だが、基本的には絶対に倒せない相手を、倒せる可能性が僅かに残された相手に落とし込める程度のものだ。まあ実際、それすらこちらの理論値だ。つまるところ何が起きても可笑しくないということだよ、オルトリンデ」
「討伐を確認するまでは油断大敵ということですね」
「そういうことだ」
オルトリンデの疑問に丁寧に回答しながら、同時にアルドルは考察を深めていく。
何事に対してもまず以て最悪こそが起こり得る状況だと悲観した思考を有するアルドルだが……アルドルとて何も自らの判断や能力を過小評価しているわけではない。
例えば、この異界──『工房』内に展開されている北欧世界観をトゥリファスの地に現界させる聖域化の術理。これはアルドルが考えうる中で最も抑止力に有効であると考案し、数年掛けで構築した渾身の対策だ。
人の抑止力、そう呼ばれる理不尽がどういう性質を持っているのか。
アルドルはよく理解している。
抑止力には真っ当に対抗すればまず勝てない。何故ならば現状の惑星環境下に於いて人間こそが最も秀で、繁栄している理だからだ。無意識下の人の信仰こそが抑止力の強大さだとするのであれば、数十億の人々が基準となるこの
或いは存在する■の理を基準とした吸血鬼たちが跳梁跋扈する
どうあれ力比べでは勝ち目がない。
だからこそ、この力の根底にある理に罅を入れるために構築したのが、このトゥリファスという地に敷かれた聖域化の術式である。
東洋圏における神社の構築と西洋圏における原生保存の思想。
言ってしまえば環境保護という人類の自制を利用したのが、この魔術だ。
“今や地球の殆どを網羅する人類だが、それでも未明領域は未だに存在している。例えば地底、例えば深海。たとえそれが人類が有するリソースを全て費やせばいつか到達可能な場所であっても、そのいつかが今でない以上、人類の限界点は存在する”
神秘は今日この日にも減衰している。
人類という種がより科学を発展させ、謎という謎を明かせば明かすほどに神秘という輝きは過去のものとなっていく。
だが、それでも今は魔術が成立している。その事実こそが人類の今の限界点。人類という法則はまだ星を覆いきってはいない。
ならば抜け道はあるのだ。絶対的な人の抑止力に干渉されない、星の領域。未だ人の増長を窘めている人知未踏と呼ばれる領域が。
アルドルが目を付けたのはその領域の中においても……敢えて人類が踏み込むことを避けた領域だ。
“ブータンのガンカー・プンスム。インドのセンチネル島。アイスランドのスルツェイ島──宗教的、民族的、自然保護的観点から人類自らが、人類からの接触を禁止した領域……即ち聖域”
トゥリファスに展開された大規模な環境干渉は、そういった人類の持つ価値観、概念を魔術的に解釈したものだ。此処より先に踏み入ってはならない──人類自ら規定した禁足の地。
そこに『工房』に住まう『彼』を組み込むことで杜を構築し、神が住まう聖域として人の抑止力の干渉を受け付けない場所として成立させたのが、聖女や魔術師たちが戦慄した空想具現化の正体。文字通りこの場所は外部とは全く違う理で機能しているのだ。
本来であれば理論上、この街においては人の抑止力は働かない。何故ならば、此処は神話を基準とした世界。枝を宿した者は等しく神域に至る存在なれば、此処に人類は存在しないのだ。
……尤もそれは聖杯を獲得した後の話。アルドルの地力だけでは展開限界がある以上、精々が抑止力に不便をかける程度のものだが、しかしそれでも。
“効いてはいる。そのはずだ。でなければとっくの昔に私は聖女の持つ『啓示』によって存在を捕捉されているはずだからな。ルーラーの多重存在によるエラー……そのような事例があることを知ってから抜け道は必ずあると確信していた”
あり得ないなどというのはあり得ない。
それはとある魔法使いの言葉であり、自らも体験した事実だ。
だから、勝ち目はあるのだ。
「しかし──」
それで容易く敵うなど、アルドルは楽観しない。
今の一連は戦乙女たちの言う通り手ごたえを感じた。
その上で自らの手腕に疑義を覚えるのは、偏に状況に不明があるからだ。
「再召喚による
何か、ある。
アルドルという劇物を撃滅するために、アルドルという存在に刺さる特攻要素。
敵は必ず己の上を往く──その確信がアルドルに油断を抱かせない。
確信は果たして現実となる。
「炎が……収束していく──?」
「……やはり此処からが本番ということだな。ヒルド、スルーズ、オルトリンデ。来るぞ、構えろ」
聖女の身を滅ぼさんと牙を剥いた破滅の炎。
その余韻とも言える熱が渦を巻き、収束していく。
アルドルの魔術干渉ではない。
考えるまでもなく敵手が何かをしたと見て良いだろう。
戦乙女たちに警戒を呼び掛けながら、アルドルは一挙一動をも見逃さぬと視線を強めた。
風向きが変わる。炎が一点に収束していく。
気づけば──人影が見え始めていた。
「──主は仰られた」
凛と響く声。
耳にする者全ての心に沁みるような声である。
言葉よりも厳格に、何者に対しても自らの意思を通す強さを感じる声。
「──罪人に罰を。不浄に浄化を。そして──人々に救いを」
人影は一つではない。
聖言を口ずさむ乙女の下に傅く様に。
さながら古の騎士が如く、人影が傅いている。
「──我が名はジャンヌ・ダルク。主の言葉を聞き、主の意志を代行し、主の御名に祈りを捧げる者。かの者が唱えた光を覆う影を払う者。異教にして異境なるもの一切の、侵犯を阻む者です」
一歩、乙女が踏み出す。
アルドルは剣を構えたまま無言。
その表情は厳しいものだった。
……断じよう、楽観はしていなかった。
敵は必ず何かをしてくると確信はしていた。
その上で。
「最後の慈悲です。告解の機会を与えます。
──魔術師、貴方は自らの罪を認め、贖いを行う意志はありますか?」
「……笑止、この身に贖罪の意志は無し。元より私は秩序に挑む者、秩序を下さんと欲するモノ。我が祈り、我が願い、その一切の障害となるモノは等しく敵である。御託は結構だ、抑止力の聖処女よ。お前が抑止に属する限り、我らに相互理解はあり得ないと知れ」
「──いいでしょう。その言葉、確かに聞き入れました」
嘆息、瞑目、そして開眼。
アルドルの視線を返す聖女の視線にもはや
最終勧告を払いのけた愚者。そのような者に慈悲は無い。
何処までも冷めきった裁定者の瞳が、ただ障害を見据えている。
「罪には罰を、悪人に裁きを。主の御名の下、あらゆる不浄を此処に正しましょう」
乙女の背後で傅いていた影が立ち上がる。
その出で立ちは騎士だった。
顔から爪先まで銀の鎧で身を包み、手には聖なる銀色の剣。
立ち振る舞いに一切の隙は無く、一種の気品すら感じる。
神の使徒、聖なる騎士。
なれど一点──人に在らぬはずのモノがある。
かの者の背中には、白鳥のような
「ク──成程、それが本命か。確かにそれは
喜びとも怒りとも取れる凄絶な笑み。
アルドルはそれを見ながら魔剣を強く握りしめた。
不測の事態、未知なる展開。
そういったものに対してアルドルは強い。
特殊な出生から獲得した圧倒的な知見に、物事の本質を辿る望郷の魔眼、数多の死線を潜り抜けたことによる膨大な経験値。こと知識において、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアに本当の意味での未知は無いに等しいと断言できる。
だが──此処に例外が存在している。
「
アルドルの言葉を肯定するように、騎士の翼が広がる。
穢れの無い純白の六枚羽。
教会の定義において
神への愛と情熱を燃やす焔の属性を有するモノ。
「ジャンヌ・ダルクの身元に現れるのを見るに、名づけるのであれば天使ミカエルか。尤も、天使相手に名を定義することが果たして意味のある行為か疑問だが……」
視る。たとえ己が知識に無くとも、アルドルの瞳は本質を看破する魔眼だ。初見の相手であってもこの目を前には正体の不可侵は許されない。
数多の神秘を解き明かしてきた視線が天使を捉える──。
「……視える、が……これは……
脳に流れ込んできたのは膨大な情報流。
人類の知識では理解不能であろう何もかもが異なる原理。
アルドルは僅かに知識の断片に触れ、一瞬でその
特殊な出生を持つアルドルをして理解不能のカタチは通常の魔術師であれば視た段階で流れ込む知識に脳が耐えきれず狂うだろう。
冷静にその事実を受け止めたアルドルは読み解くのを諦めた。
「となると、これは……ああ、最悪だ。出たとこ勝負とはな。一体いつ以来になるのやら……」
未知なる相手、未知なる戦力に対して全くの初見で戦わねばならない。
ある意味では生まれて初めて体験する展開にアルドルは覚悟を決めた。
聖女の手には聖旗ではなく、剣。
羽を模したであろう装飾の柄が特徴的な
その切っ先をアルドルへと向ける。
「──お覚悟を」
「上等──」
言葉を返す、その刹那に。
聖女と共にアルドルの前に構えていたはずの天使は、アルドルの背後に顕れていた。
……
…………。
「は────?」
あっさりと首元に迫る銀の聖剣。
それを前にアルドルは走馬灯のように思考を回していた。
“空間転移? 次元跳躍? ──いや違う。魔力の揺らぎなど無かった! どんな手段であれ、この環境下で私が予備動作を見逃すことなどあり得ない! 魔術干渉でも概念干渉でも異能力でもない! コイツ、一瞬ですらなく、私の背後に顕れたのかッ!?”
平時より冷静を心がけるアルドルをして声にならない赫怒を抱く。
巫山戯るなと吼えた。
何らかの能力の行使など、そんな生温い現象じゃない。
ただヒトの前に顕れる者──
理不尽を呪う声にならない怒り。命の危機に反応する身体。
それら全てを天使の剣が上回る。
あらゆる意味で命を繋ぐには手遅れだった。
“────死”
何処までも無慈悲な天使の粛清が、愚者の首を斬り落と──
「……タ、ぁぁアア!!」
音が弾ける。
迫る刃は
敵の襲撃を警戒して、傍に降り立った三騎の戦乙女。
その一騎たるヒルドが決死の反応で天使の刃を阻んだのだ。
「くっ──!」
飛び退く。薄皮一枚逃れた死線から脱するためにアルドルは振り向くことすら手間であると、敵を視線に捉えるよりも早く、ほとんど反射の領域で飛んだ。
「戦術同期──!」
「……これ以上は、やらせない!」
アルドルが離脱すると全くの同時にスルーズとオルトリンデが動いた。
敵手を仕留め損ねた僅かな空白。
ヒルドが全霊を懸けて作り上げた一瞬を戦乙女は無駄にしない。
言葉ではなく思考を同期させた行動の共有。
スルーズの手には原初のルーン。
オルトリンデの手には大神の模倣槍。
左右からの挟撃で天使を落としに掛かる!
『────』
次瞬、起こったのは理解にし難い現象であった。
放たれる灼熱のルーンと、大神の光槍。
天使の背後、反応すら許されない左右の死角から放たれた攻撃に対して、天使はただ自らの六枚羽を動かした。行動はそれだけ。そして、たったそれだけでルーンも槍も、天使に届く直前にまるで力を失ったように威力を衰えさせ、虚空に掻き消える。
「そんな──!?」
「一体何を──!」
予想外の出来事に動揺するスルーズとオルトリンデ。
彼女たちが動揺から立ち直るのを待たずして天使が動く。
さながら機械の様に、目に映る邪魔者を排斥せんと天使はヒルドに止められた剣を力任せに動かして、そのまま回転するように付きまとう戦乙女たちを切り払う。
吹き飛ばされる戦乙女たち。それぞれ武具や防具で受けたため、斬撃による傷はない。
しかし傷をも上回る衝撃が彼女たちを打ちのめした。
「噓でしょ!? 私たちを纏めて跳ね返すなんて、なんて
驚愕をヒルドが叫ぶ。
仮にも神霊。サーヴァントなどとは文字通り桁が違う霊器で現界するワルキューレの
そんな彼女たちを目の前の天使は
その事実は即ち──。
「コイツ、私たちより二段は上だ──!」
少なくとも膂力に限ればワルキューレたちをも優に凌駕する。
その事実を悟って彼女たちは驚愕したのだ。
『────』
「ッ! 攻撃、来ます! 狙いは──!」
「ヒルド、避けて!」
「こ、の──!!」
天使が動く。
鎧に隠れた視線が射抜くのはヒルドの姿。
恐らく、戦力が同一化されたワルキューレの中でも最も早く先の一撃に反応したヒルドこそがこの場における最大脅威だと判断したのだろう。
大神によって創造された戦闘機体であるワルキューレ以上に、感情を伴わない機械的な判断の下、0と1で構成された
剣に技は無い。武具を振るだけ、ただそれだけの行動。
なれど──。
“ただ純粋に速い! 避けるのは、間に合わないか! 受けきれる!?”
一瞬の判断でヒルドは回避機動ではなく、盾を翳すことを選んだ。
──鎧の真名解放には間に合わない。
確信と同時に原初のルーンを奔らせ、膂力及び鎧そのものの性能強化。
しかし、そこまでしても不安は消えない。先に見た通り、敵の性能はワルキューレのそれを遥かに凌駕している。加えてスルーズとオルトリンデの攻撃を掻き消した謎の特性。
万が一、それが攻撃にも有効の場合、下手をしなくてもルーンで底上げした盾ごとヒルドの身を絶ちかねない。
受けの選択は賭けに近い。それも相手が相手なだけに幸運補正が期待できない状況下での運任せ。
「やられたらゴメンね──マスター!」
「……いいや、その謝罪は必要ないッ!!」
ヒュンと風を切り裂き飛翔する一筋の光。
攻撃行動を取る天使は背後に迫る脅威を知覚する。
『────』
空を飛ぶように、羽ばたく。
それは先ほど原初のルーンと光槍を焼失させた行動。
魔術・宝具起点の魔力干渉を消し去る異法。
だが──。
『Gi────!』
止まる。今度の攻勢は掻き消すことが出来なかった。
背に刺さったのは小さな青銅の刃だ。
内臓を抉るほどの長さも鋭さも持ち合わせない、剃刀のような刃。
それが刺さった瞬間、初めて天使が声を上げる。
硬直し、まるで機械が軋むような悲鳴を漏らした。
脅威とする判定が移る様に、ヒルドに目もくれず天使が振り返る。
視線の先には、脅威として下に数えた魔術師が敵意を向けていた。
「効いたか。聖人由来の遺物だからな。仮にも聖女に紐づけされて召喚されたお前が相手ならば何らかの効果を発揮すると判断した。ふん、最初の礼だ。水を掛ける程度には貴様の目を覚ましたようだな」
振り向いた天使に差し向けるように手に握る刃を向けるアルドル。
魔剣ではない。これはアルドルの収集した遺物の一つ。
「以前、代行者共に狙われる機会があってね。その際に連中が持ち出した聖遺物の一つだ。名を、『デリラの剃刀』。霊的、魔力的に問わず
『────』
聖書において、とある聖者の力を封じ込めたという聖遺物。襲撃して来た代行者から戦利品として取り上げたアルドルの手札の一つである。
武具よりも魔術的触媒に使用するため、懐に忍ばせていたが備えは上手く働いたらしい。
“封印効果があるとはいえ、所詮は対魔術師想定の品。それを連中が兵器加工した投げナイフ。使用法などアサシンの真名隠し程度の役割だったが……ある意味、天使さんに救われたか”
自身に幸運はないが、稀代の暗殺者の幸運には預かれたらしい。
「ごめん! 助かった! ありがとうマスター!」
「礼は不要だヒルド。助けられたのはお互い様だからな。それに状況が悪いのは変わっていない」
見れば天使は自らの背後に手を回し、剃刀を抜き去って放り捨てる。
すると、浅い傷口はすぐさま回復して消えた。
アルドルは眉を顰める。
「……聖遺物の特性上、不治の効果があるのだがな。モノがなければ回復する辺り、理不尽な瞬間移動とは違って攻撃を無効化する特性は何らかの原理で行われているようだな」
『────』
返ってくる言葉は無い。
天使は剣を構え直して、アルドルを眼前に構える。
どうやら再び攻撃対象を変更したらしい。
“機械的な反応……というより機械そのものだと仮定した方がいいだろうな。出現時に召喚に伴う魔力反応、物理世界への干渉が見られなかった。先に見た瞬間移動の異法が発動している可能性もあるが、一番高い可能性は、やはり……”
“となると、アレ自体を倒したところで意味はないな。聖女の状態を考えるに苦労して倒したとしても再度、展開される可能性がある。……やはり討つならば聖女だな。直接抑止力から遣わされている彼女を打倒しない限り勝利はない”
問題があるとすれば、先ほどから無法を働く天使の背後に守られるように聖女は控えているということか。天使を倒すにせよ、放置するにせよ。何とかしてアレを止めることをしない限り、聖女を討つことは出来ないだろう。
であれば、己がすべき選択は。
「方針は変えん。聖女は私が直接何とかしよう。ヒルド、スルーズ、オルトリンデ。お前たちはあの天使を押さえつけてくれ。それと、今後は私の守りは不要だ。瞬間移動は一度見た。二度目は、無い」
「……お待ちを、マスター。先ほどとは状況が違います。幾らマスターでも敵との一騎打ちなど無謀に過ぎます」
スルーズが諫言を口にする。
だが、それも当然の反応だろう。
敵は、此処に来て本気になった。
先ほどまでの様子見とは訳が違う。
未知の手段を隠し持った敵が本気で殺しに来る。
それもアルドルに対する特攻を持った敵が。
顕れたあの天使だけでも手に余るほどの強さなのだ。
聖女が他に理不尽を持っていないと誰が断言できよう。
既にアルドルは無茶を演じており、消耗は明らか。
この上でたった一人で英霊を相手取るなどというのは無謀の極みだろう。
「その無謀を通さねば勝機は無いだろう。この聖域にある限り、取れる手段はまだ──」
ある、そう言いかけたアルドルにポツリと。
何気ない一言を差し込むように聖女が口を挟んでいた。
「なるほど、貴方の自信の根源はこの場所にあるのですか。確かにこの場所は『主』の声が聞きづらい環境下にありますが……ええ、そういう事なら
「なに──?」
不穏に響く聖女の言動。
アルドルが疑問を抱くより、既に。
聖女は剣を抜いていた。
「“天の輝きの宿る都の輝きよ、平和にあふれる神の国ではたたえの歌声。やむことはない”」
唱えるのは教会の聖言。
奇蹟を謳うフランスの乙女が此処に主の意志を代行する。
「“憂いと嘆きの雲は消え去り、罪と苦しみの夜霧も晴れて、真昼の太陽、輝き渡る”」
聖女を中心には炎が舞う。
アルドルが使用した破滅の焔とは違う。
強く、雄々しく、其れでいて優しくも荘厳な黄金の火。
「
身構える。最速で構築する防御の術式。
並びに『工房』に控えた黄金宮の再現を発動待機状態に移行する。
威力は不明、効果も不明。
なればこそ全力で守る必要があるだろう。
しかし──そんな生温い考えは次の瞬間に破壊される。
「“全ての縄目は解き放たれて、儚いこの身も蘇られさせ、まことのいのちに歓び憩う”」
「これは──!?」
炎が輝きを増していく。
それに伴い、あり得てはいけない事態が発生した。
法則に、揺らぎが生じる。
アルドル渾身の環境変動型大結界。
『
その基盤にあろうことが罅が生じているのだ。
原因は、明確だった。
「改教──そうか、貴様! 貴様の特性は
気炎を吐く。
明確なる憤怒の発露。
聖女の力の根源を見切った
「“今こそ十字架を進んで担い、この世の旅路を勇んで進もう、勝利の冠を授かる日まで”」
だが、彼の怒りを意に介すことなく、聖女は粛々と聖言を唱え終える。
己が為すべきことはただ一つ。罪を
「『
魔術師が激情のままに右手を地に叩きつける。
刹那、まるで木の根の様に伸びる魔術回路。
それは空を地を、遍く世界を覆いつくし、崩壊を拒むように支える。
浮かび上がる膨大な
人の行使する魔術とは明らかに原理の異なる魔術が発動する。
「──
「──
太陽の様に世界を灯す天上の輝き。
抗するはかつて世界の
二種の理がそれぞれの正しさを世界に唱え、激突した。