千年樹に栄光を   作:アグナ

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幼き頃から物語が好きだった。

きっかけは既に忘却の彼方だが、

懐かしい始まりの物語(ほん)は覚えている。

寝物語として祖母が聞かせた昔話。

悪しき鬼たちを対峙するための物語。

挿絵も何もない文字だけで描かれた世界。

しかし私はそれを聞いて確かに視たのだ。

一つの世界を、一つの空想を。


彷徨えるルージュ/とある聖者の詩

 ──かくて“黒”の陣営。

 悲願を征く千年の大樹は動き出した。

 そして大樹に揃うは一騎当千、万夫不当の英雄たち。

 

 “黒のセイバー”

 “黒のアーチャー”

 “黒のランサー”

 “黒のライダー”

 “黒のバーサーカー”

 “黒のキャスター”

 “黒のアサシン”

 

 意志を持つ災害が如き偉大なる神秘が、いざ魔術世界の秩序を書き換えんと遂に動き出したのである。

 ではその脅威を前に成すすべは無いのか──。

 それこそ否である。

 

 其は西暦以後、魔術世界の全てを統べる絶対の支配者。

 幾つもの秘宝、秘奥を蔵に収める秩序の具現。

 英国はロンドンに君臨する魔術協会『時計塔』。

 

 彼らは決して不遜なる魔術師たちを許容しない。

 故に“黒”と対する“赤”の陣営。

 愚かなる反逆者に鉄槌を下さんがため彼らもまたその御旗へと集っていく。

 

『──なあ、マスター。服を買ってくれないか?』

 

「あん? 何だ、突然」

 

 上り始める太陽と日を受けて輝く青空。

 朝のシギショアラは戦争前夜とは思えぬ程に平和である。

 しかし平和な街を闊歩するのは物騒な見た目の大男。

 言わずもがな獅子劫界離である。

 

 一見して彼に同伴者の姿は見えない。

 ゆえに獅子劫が独り言を漏らした、というのが普通の人々が思う感想だろう。

 だが違う。

 余人ならばいざ知らず魔術師ならば彼に侍る強大な神秘の影に気づくであろう。

 英霊──即ち、サーヴァントに。

 

『何だではない。服だ、服。この時代の服が欲しい』

 

「なんで?」

 

『霊体化はむず痒い。自分の足を地につけていないと落ち着かない。それに、このままでは昼の街を出歩けないだろ』

 

「…………」

 

 サーヴァントというものは基本的に霊体だ。

 戦闘に際しては魔力によって仮初の肉体を構成し、戦うがそれ以外の通常であればマスターの魔力消費を抑えるためにも霊体化しているのが基本である。

 加えて時代錯誤にしか思えない全身鎧に剣を携えた獅子劫の英霊──“赤”のセイバーを人通りの少ない朝とはいえ、往来の場で呼び出した暁には銃刀法違反で捕まる上、珍妙なものを見る視線を集めることとなるだろう。

 

 だからこそ目的地に向かう道中、獅子劫は“赤”のセイバーに命じて、霊体化をさせ、ここまで歩いてきたわけだが……。

 

“そういや、サーヴァントの中には霊体化を嫌う者も居たんだったか”

 

 英霊とはいえ人間だった時代のある存在である。

 肉を持ち、両足で大地を立つのが平時であったがため、実体無くして在るという状態が落ち着かないものも十人十色な英霊の中には存在するということだ。

 獅子劫が無言でそんなことを考えていると“赤”のセイバーはそれが渋っていると勘違いしたのかさらに言葉を付け加える。

 

『頼むぜ、マスター。俺は自分のマスターがサーヴァントの衣服を買う程度の金を出し渋る吝嗇家じゃないと信じてるからな』

 

「……しょうがねえな」

 

 嘆息しながら“赤”のセイバーの要望に応える獅子劫。

 まだ朝方のため店が開いてないので、用事を済ませたらこの街に折り返し戻ってくることになる。残念ながら戦争前夜の今日の予定は戦略の確認でも装備の確認でもなく、相棒の衣服を求めてショッピングということになりそうだ。

 

『よし、流石は我がマスターだ』

 

「そんなことで褒められても全く嬉しくねえな」

 

 憂鬱な獅子劫とは対照的に無邪気に喜ぶサーヴァント。

 ……まあ、この程度で良好な関係を築けるなら必要経費と思うしかあるまい。

 こんなことで駄々を捏ねられ、戦争に支障が出る方が問題だ。

 

『……しかし出歩けるとはいえ、俺の時代と大して街の見栄えは変わらないな。ビルとかそういうのは無いのか?』

 

「ないな。ていうか此処はシギショアラの観光名所、歴史ある旧市街の街だぞ。そんな現代チックな建物なんて建てているわけないだろう? この景観こそ俺たちにとっては見モノなのさ」

 

『ふぅん、こんな普通の景色の何がイイんだか』

 

「お前さんにとってはそうだろうな」

 

 “赤”のセイバーと駄弁りながら旧市街──ルーマニアが誇る観光名所シギショアラ歴史地区を歩く。

 

 かつてハンガリー統治下であった頃にはドイツ系の職人を多く雇い入れ、またオスマン帝国の脅威として十五、六世紀に城塞化した経緯を持つ街並みは、現代の人々が物語に見る中世ヨーロッパのイメージそのものである。

 住人に時刻を知らせる時計塔。通りには古くからある衣服や靴などの職人たちの商工会(ギルド)が軒を並べている。

 そして現在も使われている学校と隣接する教会……通称、『山の上の教会』を含めて、正に古き良きヨーロッパの街が此処にはあった。

 

 が、“赤”のセイバーからしてみればこんな景観よりも東京などの摩天楼の方がよっぽど見ごたえがあるらしい。

 現代人からすれば理解しにくいがまさに時代が異なるが故のすれ違いだろう。

 

 そんなことを思いながら獅子劫は先にも挙げた名であり目的地の山上教会へと辿り着いた。

 いわゆる観光パンフレットに掲載されている『山の上の教会』とは異なるが、この教会もまたシギショアラの名所の一つ。

 普段は観光人の姿が見れても不思議はないこの場所だが、まだ朝方とあってか……或いは此処を仮初の拠点とする者たちの仕事(・・)か人影一つとして見えない。

 

『マスター』

 

 と、“赤”のセイバーの口を開く。

 先ほどまでの暢気さがそこには無く、静かに呼びかけるような声。

 獅子劫もそれに頷いた。

 

「──ああ、静かすぎるな。人の気配がなさすぎる。結界か?」

 

『いや、違うな。これは戦場跡の雰囲気だ(・・・・・・・・)。マスター、気をつけろ』

 

「ふうむ、そう言われれば確かに……。全く、随分と血気盛んな奴がいるもんだな。セイバー、そのまま警戒を続けていてくれ。いざとなったら……」

 

『言われるまでもない』

 

 ピリッとした緊張が二人の間に奔る。

 獅子劫は臨戦態勢で教会へと続く百七十二段の階段を慎重に、罠や魔術を警戒しながら登っていく。

 やがて目の前には教会の重厚な扉。眼前に辿り着いた教会からもやはり人の気配という奴は感じられない。

 肌につくような生温い雰囲気と事後の沈黙が満ちている。

 

 時刻は九時。約束の通りの時間だ。

 

「──開けるぞ」

 

 重い扉をゆっくりと開ける。

 そこにあったのは奥の祭壇まで続く身廊、均等に並べられた複数の長椅子。争った痕跡一つない一般に見る何ら変哲のない教会の形式。

 唯一例外があるとすれば──祭壇に広がる血痕の存在とそこを中心に不自然なまでに粉々に壊れた長椅子たち。

 

「ッ……セイバー!」

 

「おう!」

 

 獅子劫の呼びかけに全身を鋼で包んだ小柄な騎士が出現する。

 言わずもがな“赤のセイバー”である。

 その手には騎士剣を携え、戦闘に挑む姿勢だ。

 

 獅子劫もまたジャケットの内ポケットに隠していた己の獲物。ソードオフの水平二連式ショットガンを手に取り、構える。

 

「……確認する。何か出てきたら遠慮なくやってくれ。ただし同じ陣営かどうかだけは確認してくれよ?」

 

「ハッ、この状況で仕掛けてくりゃあ、そいつは敵でしかねえだろう」

 

 言いつつ、剣を深く構える相棒に獅子劫は初めて頼りがいという奴を覚えながら銃を片手に血痕へと近づいた。

 

「乾いているな、半日……いや一日前か。争った痕跡みたいなのはあるにはあるがこりゃあどっちかっていうと一方的なものだな。破壊の跡に対して傷の痕跡が無さすぎる」

 

 床に垂れた血痕はかなりの量。破壊も相当な力で為されたのが分かる。

 だが血痕は一か所で他には血や肉が飛び散った痕がない。

 サーヴァント戦であれば確かに破壊以外の痕跡がなくても違和感がないが、だとすればこの痕跡があり得ない。

 だとすれば状況を分析するに。

 

「恐らく、血痕は“赤”のマスターの誰かだろう。血痕が一か所に集中してる辺り、先制攻撃は仕掛けた側だ。そして祭壇から波状に攻撃が広がっているような状態を見るに不意打ちを喰らって反撃をした、そんな所か」

 

「なるほどな。で? 不意打ちとやらを受けただろう“赤”の方はどうなったと思う? 血が残ってるからマスターの方だろ、やられた側は」

 

「だろうな。流石に生死の判断まではこれだけじゃ分からんが……」

 

 そういって獅子劫は木製の床に水たまりのように広がる血痕を見て、

 

「致命傷にはなってるだろう、生き延びたとしてもすぐに動けるようになる傷じゃあないだろうな」

 

「何とも間抜けだなそいつ。まだ本格的に始まってすらいないのにもう半分脱落かよ。サーヴァントの方も何をしてやがったんだか」

 

「言ってやるな。反撃以外に目立った争いの痕が無い辺り、先攻した方は完璧な不意打ちでマスターを襲ったんだろう。そして目的を達成した」

 

 そう被害者であろう“赤”のマスターとて魔術協会から、或いは聖堂教会から派遣された一流のそれ。戦闘には慣れているだろうし、サーヴァントだって護衛していたはずだ。にも拘らず攻撃を受けてから反撃するしかできなかった。

 それはつまり、一流のマスターとサーヴァントの警戒を掻い潜ったということでもある。そんなことができるとすれば……。

 

「“黒”のアサシンか?」

 

 まだ見ぬ敵方の暗殺者の仕事であろう。

 

「……で? どうするんだマスター。罠も襲われる気配もなし、が、集まる予定だった他の魔術師とやらの姿もねえ」

 

「だな。全滅したわけじゃないんだろうが、騒ぎを知って散ったか。警戒して工房に引きこもったか……こりゃあ合流は出来そうにねえな」

 

 面倒くさそうに後頭部をガリガリと掻く獅子劫。

 聖杯大戦。

 “赤”の陣営の始まりはどうやら良い出だしとはならないらしい。

 

「とりあえず一旦街に戻ろう。ひとまず態勢を立て直す。ついでにお前さんの服と、後は昼食でも食べながらな」

 

「そいつは良い案だ。乗ったぜマスター」

 

 獅子劫が言うが早いか急かすように霊体化する“赤”のセイバー。

 鎧越しでもわかるゴキゲンな雰囲気に獅子劫は肩透かしを受ける思いだ。

 懐かないがご褒美にだけ反応する大型犬。

 そんな感想が脳裏に過った。

 

「やれやれだ」

 

 いろいろ考えたのが馬鹿みたいだ、と思いながら獅子劫は祭壇に背を向け、そのまま身廊を歩いて再び扉に手を掛け、外に出る。

 もはや教会に用は無い。

 これからどうするかなどと他人事のように考えながら獅子劫は来た道を引き返す。

 

「……ん?」

 

 降る階段の一段目に足を乗せた時、不意に視線を感じて獅子劫が目を向ける。

 教会の景観にかかるよう生える木の枝。

 そこに一羽の烏がちょこんといた。

 烏は数瞬小首を傾げながら愛嬌のある目で獅子劫を見て、カァと一声鳴いて飛んで行った。

 

『どうしたマスター、何かあったのか?』

 

「いや、何でもねえよ」

 

『そか。じゃあ早く行こうぜ。俺はハンバーガーという奴が食べたい』

 

「……マイペースだなぁ、お前さんも」

 

 なんだかなあ、と呟きながら獅子劫は教会を後にしたのだった。

 

 

 

 ──『彷徨えるルージュ』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 時を戻して獅子劫が訪れる一日前。

 教会の祭壇に青年はいた。

 片膝を付き、一身に祈る様は聖者のそれだ。

 

 教会の神父らしく司祭服に身を包み、首元には金の十字架。

 特徴的なのは真っ白な髪と褐色の肌。

 それからこの国では見慣れない東洋人の顔立ち。

 

 シロウ・コトミネ。

 

 それが神父の名前であった。

 極東に生まれ、教会に帰依した東洋人である。

 

「────」

 

 何かのために祈るのではなく、祈るために祈る。

 聖者と言って差し支えない姿勢の神父である。

 確かに彼は聖者である。しかし断じて善人ではない。

 

 教会の教義に背くもの、これ一切を敵とみなし主の名の下、主に代わって断罪を代行するもの……異端狩り(エクスキューター)、代行者。

 それこそが青年の職務であった。

 同時に彼の役割は、表向きには存在しない聖堂教会が特務機関・第八秘蹟会に所属する今回の聖杯大戦を見守る監視役兼マスターでもある。

 

 荘厳な祭壇の前で祈ること実に半刻。

 シロウ神父は静かに閉じた瞼を開け、立ち上がった。

 瞬間──見計らったように声がかかる。

 

「祈りは済ませたのか」

 

 無音のまま虚空より不意に現れる人影。

 何処か人を堕落させるような甘い香りと暗闇のようなドレスを身に纏った退廃的な女性──シロウのサーヴァント、“赤”のアサシン。

 

「おや? 態々祈りを待ってくれていたのですか?」

 

 意外そうにシロウは目を見開く。

 彼女の性格を知るからこその反応だろう。

 常ならかつては暴君たる女帝として君臨した彼女は例え聖者の祈りだろうが用があれば容赦なく己の都合を優先する。

 そういう気質なのだとシロウは記憶していた。

 

 一方の意外そうな視線を受けた女性はクツクツと笑い、

 

「無論だとも。これより始まる聖杯大戦、その最後の祈りになるかもしれないマスターを心遣い、こうして待っておったのだ」

 

「なるほど」

 

 皮肉気に笑うサーヴァントにシロウは苦笑を漏らす。

 確かに事が始まれば暢気に祈っている時間は無いだろう。

 生死を争う空前絶後の戦場。

 もしも信仰する主への祈りの機会があるとすればそれはきっと最期になる。

 

「ですが、真意はともかく感謝いたします、アサシン」

 

「良い。それよりも明日であろう、獅子劫とやらが此処に到着するのは。お前から見て実際、どうなのだ?」

 

「五分五分といったところでしょう。既に目標の七割は達成していますし、最優クラスのセイバーは惜しいですが、上手くいけば儲けもの程度のものです。こちらには既に“赤”のランサーと“赤”のライダーがいますしね」

 

「ふむ、あの喧しい男とつまらない男か。確かにあれらがいれば無理をしてさらに手を伸ばす必要はない、か」

 

「ええ。寧ろここで揉めてこちら側の事情がバレた方が面倒です。勘付かれるようなら放流しておく方がこちらとしてもやりやすい」

 

 そういってシロウは柔らかに笑う。

 双方にしか通じない会話だが良い話ではないのだろう。

 それを証明するように“赤”のアサシンが毒花のように笑う。

 

「お前も中々に悪辣よな。監視役とやらの役目は何処にやったのやら」

 

「多少の越権行為は見逃してもらいましょう。監視役である前に私もまた、マスターでもある。聖杯をこちら側に齎す為に動くのは当然のことでしょう?」

 

「くくく、そうよな。確かにその通りだ」

 

 シロウの問いに“赤”のアサシンはより一層笑みを深める。

 そう確かに聖杯を手にするために行動することに間違いはない。

 問題があったとすれば、シロウのいうこちら側とやらが何処であるか……。それを良く知っているからこそ“赤”のアサシンは愉快だと笑うのだ。

 

「ところでアサシン、ユグドミレニアの監視はどうでしょう? 特に変わったことはありませんか?」

 

 丁度思い立ったとばかりにシロウが“赤”のアサシンに問う。

 

 “赤”のアサシン──彼女は広域を監視する能力を持っている。

 その能力でシロウはルーマニア全域の監視を命じていたのだ。

 問いに、“赤”のアサシンは端的に答える。

 

「特にないな。お前の警戒する存在が現れる気配もなければ、ユグドミレニアの魔術師とやらが居を構えるミレニア城塞にもこれといった動きは無い──強いて言うならばお前の警戒する魔術師の一人とやらは頻繁に城塞と街とを出入りしているようだがな」

 

「アルドル・プレストーン・ユグドミレニアですか」

 

「うむ、そやつよ。お前が警戒するほどの男かは知らぬが我の監視を幾度か街中で振り切った。中々に察しは良いようだな」

 

「見失ったのですか?」

 

「まさか。ただ常時監視できているわけではないだけだ。城塞外での大まかな動きは把握しておる」

 

「そうですか」

 

 “赤”のアサシンの言葉にシロウは考え込む。

 シロウにとってユグドミレニア側で最も警戒しなくてはならない存在はサーヴァントを除けば二名。

 ユグドミレニア家当主ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 そしてアルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 前者は実力と立場以上に個人的な理由で、そして後者は教会に所属する代行者として伝え聞いた存在であるがゆえに警戒している。

 

「実際どうなのだ? アルドル何某はそれほどまでに警戒しなくてはならぬマスターなのか?」

 

「ええ、伝え聞いた話が事実であるならばユグドミレニア側最強の魔術師でしょう。実際に目にしたわけではありませんが事によっては下手なサーヴァントに匹敵する」

 

 そういってシロウは“赤”のアサシンにアルドル・プレストーン・ユグドミレニアとはどういった魔術師なのかを語る。

 

 『先祖返り(ヴェラチュール)』アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。当初その名はそれほど有名なものではなかった。

 学友が非常に優秀だったこともあるが、彼の研究テーマが時計塔では一笑に付す内容だったために全く名前が通らなかったのである。

 曰く、『神の名と世界樹にまつわる研究』。

 加えて扱う魔術も北欧の廃れ切った古い呪術と半ば落ち目のルーン魔術とあって殆どの評判は彼の学友、蒼崎橙子の側へと流れた。

 

 唯一、考古学科(アステア)の学部長カルマグリフ──時計塔が十二君主(ロード)の一人、カルマグリフ・メルアステア・ドリュークからは随分と評価されていると囁かれていたが、それも中立派の弱小の教室に出資する貴重なスポンサーだからと魔術師としての評価には繋がらなかった。

 

 彼の名が広く通ったのは数年前に南米で起きた亜種聖杯戦争──死徒までもがマスターとして参戦したと言われるここ数年で最も混沌とした聖杯戦争でのことだった。

 何でもその死徒とやらが『六連男装』という名の通った存在だったらしく、加えて彼の企てた計画が黙視しかねる危険極まりないものだった様で、一時は時計塔の封印指定執行者、聖堂教会最大の禁忌の埋葬機関までもが動きを見せたという。

 

 さらには南米現地に基盤を持つ麻薬カルテルに属した魔術師までもが参戦し、文字通り戦争の様相だった言う。

 そんなサーヴァントと組織ぐるみの乱戦中、頭角を現したのが。

 他でもない、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアである。

 

 歴代でも最も激しい戦いであったというそれでは他の亜種聖杯戦争とは異なり、例外的にアサシンではないクラスのサーヴァントのマスターとして参戦した彼はマスターは勿論のこと、混戦の最中時計塔の狩人や聖堂教会の代行者たちとも渡り合い、遂には件の死徒さえも単独で討伐してみせたのだ。

 下級とはいえ並の魔術師など及ばないはずの死徒の討伐。

 それを以て『先祖返り(ヴェラチュール)』の名は誰もが知るものとなった。

 

 黄昏に忘れられた時代を再現する最後にして最強の魔術師として。

 

「南米の戦争以後は魔術協会、聖堂教会の両組織が差し向ける封印指定執行者や代行者に追われていたようですが、追われながらも各地で聖遺物回収に務め、また度々亜種聖杯戦争に姿を現したそうです」

 

「なるほどな」

 

 幾つかは聖杯から与えられる知識にもない単語や言葉であったが、シロウの語る内容を聞いて“赤”のアサシンは納得する。

 冬木の地より大聖杯を奪取したダーニックに勝るとも劣らないほど聖杯戦争に通じた歴戦の魔術師。

 シロウが最大の障害と数えるのも当然と言えるだろう。

 

「何にせよ、事態はこちらの状況が整ってから動かします。不確定要素もまだ幾つかありますし、本当の勝負は盤面に全ての駒が揃ってからになります。それはユグドミレニアにしても同じことでしょう。束の間貴女を退屈させることにはなりますが、そこはご容赦いただければ」

 

「相分かった。些かつまらぬが葡萄酒を煽りながら前座を鑑賞するのも一興だろうさ」

 

 そう言って“赤”のアサシンは状況を愛でるように目を細める。

 傲岸不遜な女帝にとってこの戦い自体、喜劇なのだろう。

 その様子にシロウは一つ頷き、

 

「ありがとう、アサシン」

 

 僅かに口調を崩し、素直に礼を告げた。

 

「……フン、礼など要らぬわ」

 

「ふふ、そうですか」

 

 そっぽ向く“赤”のアサシンにシロウは苦笑する。

 青年の見た目に反する老人のような笑みだった。

 

「さて、ではこちらも準備を──」

 

 日常の祈りも終わり、教会として、マスターとしての役割に戻ろうとシロウが会話を切り上げようとした……まさにその時であった。

 

 ゆっくりと、開く予定の無かった教会の扉が開く。

 

「──アサシン」

 

 穏やかな声音で名を呼びかける。

 すると“赤”のアサシンは現れたときと同じく音もなく消えた。

 

“とりあえず警戒をお願いいたします”

 

“くく、お前の予定にない想定外(ハプニング)だな”

 

 念話を通じてシロウが言うと“赤”のアサシンは楽しげに承諾する。

 果たして──現れたのは一人の女性だった。

 

「……あ、こんにちは! この教会の神父さんですか?」

 

「はい、一時的にですがこちらの教会に所属することとなったシロウ・コトミネと申し上げます。当教会にようこそ──と言いたいところですが本日、当教会は都合により部外者の立ち入りを禁止しているのです」

 

 そう言って頭を下げるシロウ。

 本職の神父とは些か立ち位置は異なるものの、それでも教会側に立つ人間として司祭を務める経験は幾度となくある。

 そのため表向き(・・・)の対応も何の違和感もなく行うことができた。

 

「え? そうだったんですか? それはごめんなさい。てっきりいつでも観光できるものだと思ってました……」

 

 しょぼんと顔を下げる女性。

 その手にはルーマニア観光と書かれたパンフレットを持っている。

 ショルダーバッグを提げ、派手すぎないワンピースを着た姿は一見してまごうことなく一般の観光客のようにも思えるが……。

 

“ふむ、教会には人除けの結界が張られていたのではないのか?”

 

“ええ。とはいえ物理的にではなく認識的に人を弾く程度の結界です。多少なりとも魔力を持つ者、或いはここ自体に目的を持つ者には機能しづらいです”

 

“なるほどな、ならば差し詰め迷い込んだ子ウサギか”

 

“さて、どうでしょうね……”

 

 愉快気に笑う“赤”のアサシンとは違い、警戒を崩さないシロウ。

 当然だろう。

 トゥリファスが管理地とはいえ、ここルーマニアは既にユグドミレニアが根を張る地。ましてや眼前には聖杯大戦が控えているのだ。

 何らかの罠である可能性は否めない。

 

「うう、一か所目の観光地巡りからいきなり出鼻を挫かれてしまいました」

 

 しかし警戒するシロウとは裏腹に女性はただただガッカリだと言わんばかりに悲しむだけ。餌にありつけなかった小動物のようだ。

 何らかの攻撃を仕掛ける様子も、罠を仕掛ける様子も、ましてサーヴァントを嗾けてくる様子もない。

 そもそもパンフレットを片手に歩く様は無防備同然であり、警戒以前にこんな隙だらけの女性が一人旅している状況に寧ろ心配すら覚える。

 

 或いは何か偽装した姿かとも思うが、女性の声音、言葉、反応に異常は一切見られないし、少々変わった異能を持つシロウの目にも反応は無い。

 神秘とは何らかかわりのない一般人。

 代行者として様々な経験をし、神父として多くの人を見てきた経験、そしてそれ以前から続く「力を持たない弱者」を見てきたシロウの目で以てしても女性は今を生きる旅行中の普通の女性としか映らなかった。

 

 これならば暗示を使うまでもないだろうとシロウは口を開く。

 

「いえ、平時であればいつでも観光客を受け入れているのですが、今日だけは教会側の都合で使用できないことになっているのです。すいませんね」

 

「あ、いえいえ! 確かに残念ですけどそういうことなら仕方がありません! 観光地は此処だけじゃありませんし、他の場所に行ってみます。また今度ここには伺わせてもらいます。その時はよろしくお願いしますね」

 

「そう言っていただけると幸いです。……そうですね、当教会は本日観光できなくなっておりますが、山の上の教会は本日も観光することが出来ると思いますよ」

 

「そうなんですね。ご親切に教えてくださってありがとうございます、神父さん!」

 

 満面の笑みで頭を下げる女性。

 その笑顔に応えるようにシロウもまた神父として穏やかに笑いかける。

 

「大したことではありませんよ。これも何かの縁だ、貴女のご旅行に幸運と神の加護がありますように。それから──これはお節介ですが、最近は何かと物騒だ。女性一人での旅行はあまり宜しくない。次に此処へ来るときはご友人かご家族を連れ立っての来訪をお勧めいたしますよ」

 

「そうなんですか? 分かりました! 次に来る機会があった時は気を付けますね!」

 

 シロウがそう忠告すると女性は素直に頷き、そしてもう一度お礼を言うとシロウの方へ背を向け、教会から出ていく。

 

“どうやら警戒は杞憂だったようですね”

 

“そのようだな。しかし随分と無防備な娘だ。くくっ、一つ揶揄ってやるのも一興か?”

 

“そこは私から勘弁の言葉を。何の罪もない一般人を困らせるのはマスター以前に、仮にも神父を名乗る者として容認できません”

 

 困った“赤”のアサシンの性格にやんわりと制止の言葉を掛けつつ、

 

「ではまたの機会に。何か困った時にはお立ち寄りください。今回は申し訳ありませんでしたが、教会は迷える全ての人々に手を差し伸べる場所ですから」

 

 女性の背にそう言葉をかけてシロウは最後に深く頭を下げた。

 正午の教会での何気ないやり取り。

 聖杯大戦を目前に控えた中での平和的な一幕だった。

 

 

 

『そう──故にこのタイミングしかないと考えた。本格的な開戦間際。サーヴァントたちが出揃い、マスターたちも舞台に姿を現し始めたこの一瞬。この一瞬だけがお前の隙だ。コトミネ・シロウ……いや』

 

 ──天草士郎時貞

 

 

 

 そういって教会から遥か彼方ミレニア城塞が一室。

 この状況を俯瞰していたアルドル・プレストーン・ユグドミレニアは呟く。

 

 彼は知っている。

 シロウ神父の正体が嘗て冬木の地で巻き起こった第三次聖杯戦争の生き残りであることを。さらには彼が聖杯戦争始祖の一族アインツベルンに召喚されたサーヴァントであることを。

 

 ことの始祖たるアインツベルンが故の特権(はんそく)を用いて呼び出したサーヴァントのクラスはルーラー。

 本来存在せざる聖杯戦争の調停を司るサーヴァント。

 そのために彼は他のどのサーヴァントよりもサーヴァントの看破に優れ、クラスは愚かその真名までもを詳らかにすることをアルドルは知っている。

 

 さらには彼が胸の内に秘めた野望の正体が人類救済であり、この五十年、聖杯に焦がれ、求め続け、そして今より挑まんとしていることを。

 本来であればこの外典の聖杯大戦を陰から推移させ、あのダーニックをも出し抜くという未来を──アルドルは、知っている。

 

 それはあり得ない状況だった。

 それはあり得ない事態だった。

 

 今現在、これらは伏せられた事実。

 秘密を隠す当人たち以外が知る余地のない情報を知る術などあり得ないはずだった。この時点、事が動く前では未来視ですら暴けぬ真実だった。

 

 もしも知っているとすれば──あり得るとすれば一つだけ。

 最初から全てを識っていた(・・・・・・・・・・・・)

 そんな、あり得ない場合のみだ。

 

 故にこそかの謀略家たる神父も読めない。

 周到深く慎重に事を進める彼でも──否。

 いやそういう男だからこそ、思いもよらない。

 

 舞台の幕が上がった直後に、令呪を使ってまで記憶を消し、殺意の自覚すら失くしたサーヴァントが、サーヴァントの目をも阻む正体隠しの礼装を纏い、人畜無害の女性の振りをして近づき、白昼堂々お前自身を暗殺(ころ)そうとするなど──。

 

 己が正体も目的も読まれていないと確信しているお前には。

 この大胆不敵な殺人を読み切れまい──。

 

 

 

 とある暗殺者(アサシン)がいる。

 血の革命が吹き荒れる仏蘭西の前夜に、一人の男を殺したことでその名は歴史に刻まれた。

 彼女は何の力も持たないただの田舎娘。

 修道院にて真っ当に育ち、真っ当な価値観を有し、当世の乱に憂いていただけのただただ普通の、何の特別も持ち合わせていない女性。

 

 にも拘わらず彼女は一つの歴史に関わった。

 皮肉にもそれは彼女の憂いた乱の引き金になったが、それでも彼女の名は余りにも無垢なる暗殺者として英霊の座に刻まれている。

 

 その名はシャルロット・コルデー。

 

 フランス革命におけるジャコバン派の重鎮、ジャン=ポール・マラーをたった一人で暗殺してみせた可憐なる暗殺の天使。

 

「────ぇ」

 

 その手際に、シロウも、“赤”のアサシンたるサーヴァントすら反応できなかった。

 見送ったはずの女性はシロウが視線を外した一瞬に、忘れ物を取りにでも戻るような仕草であっさりとシロウのもとまで戻ってくる。

 トスッ、と何とも軽い音と共にシロウの胸元に刺さるナイフ。

 決して過たず、心臓に突き立てられた凶器。

 

 驚愕も、痛みも、感じる間もなくシロウは崩れるように倒れ伏す。

 そのさなかで聞いた声──。

 

「──故国に愛を、溺れるような夢を(ラ・レーヴ・アンソレイエ)。おやすみなさい、神父様」

 

 天使のような声で囁く、無垢なる死神の言葉だった。




「此度の戦争で万が一にルーラーが現れるようならば私に対応を任せてくれないかダーニック。理由か? まあ色々あるが、何だ。私は神に愛されない。そんなところかな? まああの手の連中には何かと相性が良いのだ、私はな」

とある魔術師の会話

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