千年樹に栄光を   作:アグナ

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悲劇の聖女(ルート・チェンジ)

 たとえ道の先に破滅が待っていると分かっていても。

 一度決めたら突き進むしかない。

 端的に言えば、それが“私”の本質だ。

 

 まるで制御の出来ない暴走特急。

 歯止めが利かない。加減というものを知らない。

 走り出したら、死ぬまで止まらない。

 

 “私”の性根はそういうもので、だから目を逸らしていた。

 敬虔な信徒として、純朴な少女として。

 朝に祈り、昼に祈り、夜に祈って、眠りにつく。

 喜びはなく、悲しみは無く、怒りは無く、楽しみもない。

 ただ時間を無為に消費するだけの毎日。

 

 何も求めないことで、何も起こさないことで自らの性根から目を逸らしていた。

 

 その在り方を美しいと誰かが言った。

 その在り方を正しいと誰かが言った。

 

 外界から閉ざされた場所で、欲に溺れず、日々祈り続ける。愚痴もなく、不満もなく、祈るために祈り続ける様は、さながら聖女のようであると。

 

 ──違う。“私”は怖かっただけだ。

 

 牢獄のような日々に身を任せたのはただそれだけ。

 自分の性根に目を合わせるのが怖かっただけ。

 

 聖女だなんてとんでもない。“私”はただ中途半端なだけだ。

 普通の俗物的な誰かに成り下がる気はなく。

 その癖、信仰に人生を捧げるほどの覚悟もない。

 

 どっちつかず。

 行く先も分からぬまま、時間に押されて歩くだけ。

 

 この先どうなっても仕方がない。

 選んで変わって──その先に待ち受ける未来が怖いから。

 分からないから。

 何を選ぶこともない自分が行く先が信仰の虜囚でも何でも、仕方がないと。

 そう、思っていた。

 

 ──夢を見た。

 恐ろしくも勇ましく、苛烈ながらも切ない、運命の闘争を。

 

 聖杯──“私”の知っているそれとは違う。魔術師たちが求める願望器。あらゆる願いを叶える魔法の杯。

 それを巡って英霊と魔術師が競い合い殺し合う戦争──聖杯戦争。

 

 助力を乞うた聖女ジャンヌ・ダルクは言った。

 これは本来、平和に生きる衆生には関わりのない儀。

 だから眠っていればいいと。

 

 そう勧めてくれた聖女の言葉に首を振ったのは他ならぬ“私”の意志だ。

 後悔するかもしれない、見なかった方がいいと思うのかもしれない。けれどそれでも“私”は見ることを選んだ。向き合うことを選択した。

 

 聖女様に協力したかったから?

 ──それもある。

 

 世界の裏側にある真実を見たかったから?

 ──それもある。

 

 でも一番はやっぱり“私”のためだ。

 見るべきだと思った。

 この運命に向き合うべきだと思った。

 そして、そう思った己を、心を偽ることはしたくなかった。

 故に初めて“私”は私自身(我が儘)を行使した。

 

 願いを叶えるため、英雄が、魔術師が命を懸ける闘争。

 自ら確たる道を定めた誰かの一生涯。

 きっとこの先の人生を懸けても、絶対に見ることのできないものだ。

 自分のような中途半端じゃ、一生かかっても関われない話だ。

 

 ……だからこそ、“私”は見ることを選んだのだ。

 “私”とは違う。

 自分で決めた道を歩く誰かの背中を。

 

 恐怖に凍るような闘争を見た。心を奪われるような勇壮を見た。絢爛なる英傑の激突を見た。世界の裏側にある神秘なる粋を見た。

 中途半端なんかじゃない。己の全てを懸けて戦う彼らは勇ましく、恐ろしく、何より美しい。切なくなるほど純粋に、彼らは願いを求めていた。

 

 そして──その果てに“私”は見た。

 

(聖女様……!)

 

 透明な壁に隔たれたかのような分断。

 声は届かず、眼前の背に手は届かない。

 意志ではなく、使命に殉じる彼女に、少女の言葉は届かない。

 

 “彼”を一目見た瞬間に理解(わか)った。

 理解(わか)ってしまった。

 

 太陽のように燃える焔の瞳。

 自分自身すらも焼き尽くさんとする灼けるような強い意志。

 今まで見てきた者たちの中でひと際輝きを放つ者。

 

 それは自ら定めた道を征くもの。

 障害全てを粉砕して破滅(ゴール)へと突き進むもの。

 破滅を前提とした直進。

 帰り道の無い、片道切符の大遠征。

 

 同じだ(・・・)

 かつて、ある少女が踏襲した道と全く同じだ。

 

 もしも……この聖杯戦争において聖女様(あの方)の天敵を挙げるとするならば、それは“彼”だ。“彼”に他ならない。

 

 少女は、破滅を知りながらも駆け抜けた少女は。

 悲劇の果てに願いを叶えた(・・・・・・)

 

 後悔もなく、ただ噛み締めるように満足した。

 

 だから(・・・)ダメだ(・・・)

 きっと(・・・)ダメだ(・・・)

 

 この戦いにおける“彼”は最大の敵であり、同時に絶対に戦ってはならない敵なのだ。

 予測に根拠はなく、理由はあまりにも曖昧だ。

 けれども理解(わか)る。確信がある。

 何故ならば──。

 

 ──此処に()るのは、あの日の少女(ラ・ピュセル)ではなく。

 この日()を生きる、あの青年なのだから──。

 

(聖女様……!)

 

 手を伸ばす。届かないと分かっても叫ぶ。

 

 運命の車輪は廻る。

 無情にも廻り続ける。

 

 傍観者では、もはやその車輪に手を出すことは出来ない。

 仮に、運命に介入できる者がいるとするならば……。

 それはきっと。

 

「──信じていますから」

 

 胸に手を当て、静かに告げる。

 洛陽に照らされる空。

 淡い呟きを聞き届けるように、二対の鴉が鳴き声を上げた。

 

 

 

 

 踏み込みと同時に突き立てられる槍。

 凄まじい速度で迫るそれを聖女は剣で弾いた。

 

「ッ!!」

 

 威力、速度──ともに人間の領域に非ず。

 遂に人間の枠を放棄した魔術師の一撃を受け、その事実を聖女は認めた。

 目の前のこの男はもはや魔術師などという規模に収まるものではなく、英霊の領域すら超越した聖杯大戦における最悪の規格外(イレギュラー)だと。

 

「くっ、やあぁッ!!」

 

 細剣を振るう。本来であれば自らの破滅とともに振るわれるべき聖カトリーヌの剣は人理によって底上げされ、異端を屠る聖剣と化している。

 振るわれる焔は自らではなく、敵を焼くもの。

 遍く神秘を焼き払う焚書の剣である。

 

 打ち出された槍を振り払い、返す刀で突きだされる細剣。

 心臓を違わず狙い撃った攻撃は、攻撃直後で硬直する男には躱せない。

 

「『私に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)』」

 

 ──男は躱すことも守ることも選ばなかった。

 ただ一言、触れるなと。

 そう詠唱する(つぶやく)だけで剣を退けていた。

 

「そんなッ! いえ……その詠唱は……!」

 

今はそういう解釈だ(・・・・・・・・・)。私は神ではないからな。そちらの流儀に寄っている。まあ尤も──」

 

 予想外の出来事と想定外の力。

 二重の衝撃に立ち止まる聖女に向けて、男は皮肉気に笑みを浮かべながら。

 

「都合よく、利用しているだけだが……ねッ!」

 

「ッ! くっ……!」

 

 再び聖女目掛けて槍を突き立てにかかる。

 しかし次弾のそれは、純粋な槍撃であった先の一撃とは全く違っていた。

 槍が二重に重なっている。

 同じ事象が同じ座標で起こっているとでも言うべきか。

 

 何らかの能力を発揮しているのは歴然だった。

 

“宝具? 今度は一体何を……先の防御といい、彼は何らかの手段で教会の技を行使して……いいえ、だとしても私の守りを貫くことは……”

 

 第三宝具・『冠位指定・救済聖女(グランドオーダー・アポクリファ)』。これは確かに教会由来にして聖女ジャンヌ・ダルクが逸話の一つ、戦場で胸に矢を受けながらも戦い続けた彼女の奇蹟の一つだ。

 逸話を具象化したこの宝具は抑止力の加護によって与えられたもの。純粋なる聖女ジャンヌ・ダルクの宝具ではない。

 

 世界の敵を排除するため、世界が遣わしたこの宝具は運命力の補正によってあらゆる意味で都合よく聖女のために効果を発揮する。

 敵が教会由来の概念を持ち出そうとも、かの聖人を討ち果たした槍を持ち出そうとも。敗北の可能性(運命)を退ける加護は相性を無視する。

 

 槍が迫る。聖なる守りは神殺しの概念(ルール)を無視して、聖女を傷つける要因をあっさりと跳ね返し──直後、運命が捻じ曲がる(・・・・・・・・)

 

「痛ぅ……! 守りが、加護が突破された……!? そんな、どうやって!?」

 

 槍を掠めた脇腹を押さえながら思わず聖女は叫ぶ。

 それに男は平時の印象に噛み合ない、何処か爽やかさを持った口調で答える。

 

「悪いね、例外は存在する(・・・・・・・)。そちらが都合よく運命を操れるように、私は運命から独立している(・・・・・・・)。ヒトの抑止力にない私はある意味では対等(・・)なのだよ。故に、同じ能力を行使すれば、土台も対等となるのが当然だろう?」

 

「……! では、今のは運命を……!」

 

「ああ、運命力によって「傷つかない運命」を捻じ曲げさせてもらった。よって知るがいい、冠位英霊(グランドサーヴァント)。我が手に在るこの槍こそ、運命をも終わらせる正真正銘、神殺しの槍であると……!」

 

 好戦的な笑みを浮かべながら、ここぞとばかりに一気呵成と男が槍を振るう。もはや人の領域にない身体能力で放たれる怒涛の攻撃に聖女は防戦一方に圧し込まれる。もとより魔術ありきとはいえ、目の前の男は自前の武芸の腕で英霊と渡り合える達人である。

 それが英霊クラスにまで押し上げられているため、純粋な性能面で比べるなら、聖女と男に差は存在していない。

 

 加えて、自らが戦うことを前提に自らを鍛え続けてきた男と、人々を鼓舞して戦の指揮と士気を担い続けてきた聖女とでは、戦士としての性能は前者に傾く。

 

「おお……!」

 

「っ……捌き、切れない……!」

 

 今度は肩口を槍が掠める。依然、深手と言える傷はないものの、浅い傷が一方的に増えていく現状こそ両者の差を歴然に現していた。

 さらに聖女にとって不利はもう一つ。

 

“傷は浅いのに、回復しない……聖槍(ロンギヌス)、名に偽りがないというのであればあの槍の特性に間違いないでしょう”

 

 抑止力の加護がある聖女には常に莫大な魔力が流れ込んでいる。眼前の男によって『啓示』やその他の特権が減衰されているとはいえ、それでも冠位英霊の魔力までは妨害することは出来ていない。

 だからこそ多少の傷ならば、高い自己治癒能力を有する聖女はすぐさま回復することができるハズなのだ。

 

 しかし、傷の要因は救世主の命すら貫いた不死殺しの聖槍。

 放たれる不治の呪いは聖女の祝福であっても退けることは出来ない。

 

 何故、魔術師たる彼が……いいや北欧の神座に連なる彼が、異なる教典の槍を有しているかは分からないが、今それを考察しても無意味だろう。

 重要なのは、一つ確信を持って言えるのは、あの槍であれば己を殺すことができるということ。

 

 真正面からの衝突では……こちらがきっと削り殺される。

 

「天使の加護を……!」

 

「ほう、『天使』モドキ(ミカエル)か」

 

『────』

 

 聖女と男の間に割って入る銀の剣閃。

 素早く足を引いて逃れた男の眼前には、騎士のようにして聖女を庇う『天使』の姿が映っている。

 

「……ふむ、流石に戦乙女(ワルキューレ)たちに受けた傷は残っていないな。まあ再起動というからには当たり前なのだろうが……こうして無傷のオマエと改めて向き合うと少々不愉快だな……彼女たちの奮戦が馬鹿にされているようで」

 

『────!』

 

 眉間にしわを寄せながら感情的に呟く男に対して、『天使』は無言のままに刃を振るう。剣技としては並程度だが、能力値においては理不尽な領域に達する『天使』の剣は剛剣と言って差し支えない程の威力を誇る。

 掠めただけでも人の身体には致命傷だ。……そんな凶剣を前にしながらも、男は剣の間合いを完全に見切り、二歩、三歩と引いて紙一重で躱す。

 そして攻撃の呼吸に生じる間隙を狙い澄まし──。

 

トール(・・・)

 

 さながら得物に飛び掛かる猛禽類のように、伸ばした腕で『天使』の首を掴み取っていた。

 

『────ギ』

 

 『天使』が男から逃れようと抵抗する。だが、首を締め上げる手は万力のように凄まじい力で『天使』を掴み取り、男の腕は『天使』の抵抗にも微動だに動かない。

 無機質な演算思考が動揺する。

 単純な能力値においては大英雄に遜色のない『天使』の抵抗にすら揺るがぬ怪力。その現実を『天使』は目の当たりにしながら。

 

「──失せろ、使い走り風情が。情も誇りもない機械が、あの仔たちを侮辱するな」

 

 比喩ではなく身が凍ったと錯覚するほどに冷たい言葉。

 だが『天使』が怖気を自覚するよりも先に凄まじい衝撃が腹部を抉る。

 

『Gi──gg……!?』

 

 それは容赦も加減もない、ただの腕力打撃(ストレートパンチ)

 純粋な筋力のみに依存する攻撃が、あろうことか『天使』の防御を突破する。

 

 砕かれる銀の鎧。吹き飛ばされる有翼の身体。

 あろうことか力業で『天使』は半壊した。

 

 目の前の出来事に聖女は思わず呆然と固まる。

 ……膂力も増しているとはいえ限度がある。

 今の一撃はあの“赤”のライダー(アキレウス)すらも遥かに上回っていた。

 

「あり得ません! 如何に貴方の背後に神霊がいようとも、その力は異常に過ぎる……ッ!!」

 

「そんなに驚く話ではないだろう。トール(・・・)と言っただろう。そのように在るよう、教会に捻じ曲げられたとはいえ、伊達に愛されてはいない。都合よく使えるのは槍だけではないよ」

 

 男は聖女の言葉に淡々と応じる。

 そして、その言葉の意味を聖女が理解するよりも早く男は意味を実演する。

 

フレイヤ(・・・・)

 

 唱えられる名は北欧の美神。

 刹那、黄金の瞳が怪しく輝き、世界(・・)ごと聖女の身体を縫い留めた。

 

「ッ─────!!!!!」

 

 高い精神耐性を有する冠位裁定者(グランドルーラー)の抵抗をも突破する魅了の魔眼。もはや権能の領域に等しい効果が聖女を拘束する。

 激しい意識簒奪の中、聖女は確信に至る。

 信じがたいことに目の前の男が行使しているのは北欧の神々の権能だ。名を呟く、ただそれだけで瞬間的、限定的に他神の力を行使しているのだ。

 

我が父よ(オーディン)

 

 瞬く二十七の文字。

 失われた大神の秘奥が宿る。

 神殺しの力をそのままに、次代の大神が高らかに告げる。

 

「──継承・大神宣言(グングニル)

 

 渦巻き収束する真エーテル。

 神をも屠る黄昏の切っ先が動けない聖女に向けられる。

 その絶望的な光景を前に、しかし──。

 

「……我が身は此処に孤軍なれど、主の加護は確かにこの身に在り。掲げるべき旗を持たずとも、示すべき誓い、我が旗は此の胸に!」

 

 聖女の手に握られるは刃。にも拘わらず聖女の身体に守護の力が宿る。冠位由来の特性ではない英霊としての聖女の宝具。聖なる旗の守護。

 即ち『我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)』が旗を持たずして発動する。

 

「…っ、変則的な宝具の発動。この場面で曲芸に走るか……だが面白い、それでこそ」

 

 もとより其れは自身を示す誓いである。

 役目は変わり、霊器(すがた)は変わっても、心だけは変わらない。

 使命を果たさんがため、この土壇場で曲芸を成立させる。

 

 男は瞠目するが、止まらない。

 そのまま構えた宝具を振り切り、放つ。

 

我が神は(リュミノジテ──)……ここにありて(エテルネッル)ッ!」

 

「父よ────悉く貫け……!」

 

 地表を抉りながら輝き迫る黄昏の叡智。一軍を退ける破軍の災厄(ワイルドハント)が聖女を射止めんと奔り、それを黄金の精神が真っ向から跳ね返す。

 衝突、爆発、そして余波で視界を遮る吹雪と耳を突く轟音。

 

 果たして──聖女は健在だった。

 

「──お見事。よくぞ凌いだ」

 

「────…………」

 

 男は槍を構え直しながら、嘯き。

 槍を耐え抜いた聖女は言葉なく、剣を構え直す。

 雪原の戦場に、重い沈黙が横たわる。

 

 無言の均衡、敵手の隙を見出さんとする静寂。

 その中で──聖女は脅威の真髄に畏怖する。

 冠位(グランド)を以ても崩れない千年大樹の幹に。

 

“神霊の……デミ・サーヴァント”

 

 抑止力より聖杯大戦に必要以上の知識を付与されている聖女は、その未知なる概念を既知のモノとして知っていた。いわゆる世界のシステムとも言える英霊(サーヴァント)という概念を人間に憑依融合させた半英雄。英霊を人工的に受肉させ運用する英霊兵器。

 

 理論上のみ(・・・・・)成立する、魔術理論である。

 

 ……或いは並行世界においては、そういった事例があるのかもしれないが、少なくとも現代では荒唐無稽の理論に過ぎない。

 理由は極めて簡単で、単純に英霊の受け皿の問題だ。

 

 英霊とは即ちは英雄。人類史において、その名を未来にまで残すこととなる極限の魂。尋常ならざる功績で自らの名を世界に刻み付けた高位の存在だ。

 それら英雄たちの存在が記録帯としてカタチを得たモノこそが英霊。

 ヒトよりも精霊に近い霊格を纏う者たちである。

 

 そのような魂を人間の内に取り込めばどうなるか……答えは検証するまでもない。

 英霊という膨大な情報に器の方が耐え切れずたちまち情報飽和を起こすのは明白だ。

 

“例えば人工生命(ホムンクルス)のように、魂を受け入れやすいよう調節された自我の薄い精神。英霊の魔力供給に耐えられるだけの優秀な魔術回路。これに加えて遺伝子レベルで生まれる前から英霊の器として成立するだけの調整。被検体となる英霊と人間の高い適合率……それでも尚、成立させるのは奇跡に等しいでしょう”

 

 それこそ検証には多くの犠牲を必要とするだろう。

 魔術進歩のためならば何処までも非人道的になれる魔術師とはいえ、手間と可能性を考えれば手を出す話ではないだろう。何せ踏み越えねばならない課題が多すぎる。

 潤沢な予算と、大規模な魔術実験(プロジェクト)を進められるだけの組織性。そして砂漠から一粒の砂金を見出すような、奇跡を求める狂った執念。

 

 真っ当な魔術師ならば、まず考えない。

 これならばまだ、人工生命(ホムンクルス)を利用した疑似英霊の方がまだ芽が在ると言える。

 

“ましてや神霊。英霊よりも遥かに高位の情報体を人の身体に取り込むなんて、馬鹿げていますし、狂っている。普通ならば一秒と持たず情報飽和を起こして自壊しているハズなのに……”

 

 だが、目の前の魔術師はそれを実現している。

 神霊に適合し、適応し、その宝具(チカラ)を自らのモノとしている。

 

 ……生まれる前から調整されたわけでもなく。

 ……世界から定められた運命の出会いでもなく。

 

 ただ生まれ持った魔術回路(天賦の才)と荒唐無稽を実現する頭脳(計算)

 そして狂気を超えた狂気とも言える精神性。

 

 つまるところ、その身が持つ実力(・・)だけで不可能を捻じ伏せて、目の前の男は聖女に相対しているのだ。

 聖女の精神に初めて“恐怖”という感情が芽生える。

 何だ未知(コレ)はという人間として当たり前の反応をする。

 

 その視線を受けて男は──アルドルは懐かしさに苦笑した。

 

“正義の味方にも、似たような目を向けられていたな”

 

 あの時は今ほど余裕がなかったため、よく記憶してはいないが、彼にも狂っているという感想を投げられたことは記憶している。

 確かに、傍から見ればそう見えるだろう。

 尤もアルドルとしては、これもまた実例ありきの再現に過ぎない。

 

 前例があるならば踏襲できると考えるのは普通の話だ。

 そう言った意味で、アルドルは己の功績として大したものだと認識していない。

 単に最後の切り札として有用だと思ったから、これを選んだ。

 

“これでも初めから勝算はあった。もとより我が身に宿る魂は生と死の境界どころか世界の境界を跨ぐもの。ある意味では救世主の道を踏襲したもの。であれば通常の人間よりも霊格は相当に高いと自覚している”

 

 この身はあらゆる意味で『特別』だ。

 精神は常人のそれに過ぎないが、本当の中身は凡夫であっても、この世界における中身と肉体は至上至高のモノに他ならない。ならば後は選ぶモノは器に入れる中身と成立させ得る計算。

 即ち、全てをひっくるめた自身の運命力のみだ。

 

 そしてアルドルは賭けの全てに勝利し、この日を迎えた。

 間違いなく、世界の分岐点であろうこの場面に。

 

“……まあ神格解放(なまえ)を封じているとはいえ、流石に厳しい。さてと、果たして()は何という名前だったかな”

 

 自分の無茶ぶりに内心で苦笑しながらアルドルは本来の自分自身(プロフィール)を思う。

 この世界の外からやってきた■■■であることは覚えている。

 この世界がとある物語として描かれたものであることは記憶している。

 

 ■■での自分の名は「    」。生まれは日本で確か学問を学ぶような立場であった。

 家族や親族は居たかどうか忘れたが、それを思うと胸に寂しさを覚えるのできっと愛されてはいたのだろう。

 友人知人の有無も分からないが、きっと居たはずだと自分の心が囁いている。

 将来の夢、好きなこと、嫌いなこと、趣味嗜好、性質、性格、善悪の倫理。

 

 もはや何一つ、思い出せない。思い返せない。

 現在進行形で己に流れ込む『彼』の魂を前に、全ての記録が泡のように消えていく。

 

 ──これ以上の無い自己喪失。

 ──己がチガウものに塗り替えられていく感覚。

 ──曖昧となる現実はまるで夢のようだ。

 

 白い光に落ちるような浮遊感。

 自分を形作る、何もかもが無くなっていている──。

 

 今も身を襲う喪失感。それら一切を──アルドルは意志の力でねじ伏せる。

 

“……そうだ、覚えている。まだ、覚えている。胸の熱を、滾る思いを、栄光(ゆめ)を追いかけると決めた時の、あの高鳴りを”

 

 何のために多くを炉にくべたのか。

 何のために歩み進めてきたのか。

 

 全てを懸けて、聖杯を求めた理由は──。

 我ながら度し難い、極めて馬鹿馬鹿しい、子どもの夢だ。

 

 そう──もしものお話を、読んでみたい。

 理由はただ、それだけであった。

 

“ハッ、我が事ながら何とも愚かな話ではないか。一族への想いも、一族への感傷も。全てはたったそれだけなのだから”

 

 だが、たったそれだけに突き動かされて此処まで来たのだ。

 刹那を走り抜けることに恐れなどない。

 

 後悔など、あるわけがない──!

 

 槍を掴みなおし、自我を掴みなおす。

 分岐点は今、此処に。

 かつて憧れた感動(記憶)ごと、眼前の障害を突き破る。

 

「貴方は──何者ですか……」

 

「────……」

 

 敵が問う。未知との遭遇に疑問を投げる。

 己は、己は一体何者なのか。

 答えはあまりにも明白だ。

 

「──私は魔術師。魔術師アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。この聖杯大戦を勝利するモノであり、千年樹(ユグドミレニア)に栄光を齎す者だ」

 

 解答と同時に──両者は地を蹴っていた。

 

「オオオオオオオオオ──ッッ!!!」

 

「あああああああああ──ッッ!!!」

 

 後には絶対に引けぬ、かくて両者は終幕(フィナーレ)へと至る。

 演目の最後の盛り上がりは最も激しい激突となる。

 

 振るわれるは魔術師の総決算とも言える槍技。協力者は武の逸話を持たず、なればこそ武を担うは魔術師の役目。

 積み重ねてきた強敵との戦は消えゆく記録の中にも確かに残っている。

 この身は英霊足らずとも英霊を倒すために積み上げてきたものなれば。

 

 負けるつもりなどありはしない。

 

 迎撃するは裁定者たる矜持とも言える剣技。旗を執り、戦場を導く者として歩んだ己に武の逸話は存在しない。

 だが逃げはしない。劣るつもりは全くない。

 裁定者として選ばれた責務がある。人理の代表者として選ばれた義務感がある。

 このような異端、このような危険を残すことなど許されない。

 

 己の敗北は即ち世界の敗北──負けることなど出来はしない。

 

「そこを退け! ジャンヌ・ダルク──ッ!!」

 

「いいえ、此処は絶対に、絶対に退けない! 人理は、世界は決して譲りません──ッ!」

 

 為さねばならぬ理由がある。

 為さねばならぬ矜持がある。

 槍と剣の衝突はより激しく、より苛烈に。

 両者の心を表すように音を奏でていく。

 

 槍が奔る。速度という一点を追求した技は一呼吸の内に十三もの傷を聖女に叩き込み、傷はいずれも浅いが傷が作られていく現状こそがアルドルの槍が聖女の対応力を上回っている証明だろう。武芸の舞台において聖女は後退を強いられている。

 

 しかし──踏み込む。そんな実状など知らぬとばかりに聖女は踏み込む、前に出る。

 なんて無謀。自身の実力を上回る相手の土台に乗ったまま、真正面から向き合うなど現実の見えない愚者の愚行に過ぎない。それでも聖女は前に出る。

 何故ならば、聖女はやはり英霊なのだから。

 

 剣が奔る。其に宿るは人理の在り処を示す神秘殺しの陽炎。あらゆる異聞、あらゆる外敵を一刀の下に浄化する聖者の威光である。如何なる存在であろうとも、この刃の前に無傷で在ることは許されない。槍と衝突を重ねるたび、触れる聖槍は削られ、黄昏の世界はたちまちひび割れていく。

 

「ッ、チィ! 厄介な炎だ! ただ振るわれるだけで真エーテルをかき消すか……!」

 

「なんて出鱈目……! 個の意志で人理に拮抗するなんて……!」

 

 互いが互いの理不尽を叫ぶ。

 

 アルドルの構築した黄昏の世界(ドラウプニル)は固有結界の中でもずば抜けて完成度の高い魔術理論だ。もとより人理に対するカウンターとして創り上げた世界は人理に対して抵抗力を有している。これほどまでの神秘殺しを浴びながら未だ展開を保っていることがそれを示している。

 それが、此処に来て遂に揺らぎ始めている。積み重ねてきた魔力消費も理由の一つだが、最大の要因は炎の火力が上がったこと。

 

 眼前の敵だけは在ってはならないという聖女の決意が矜持が、炎をより強く熱く高ぶらせているのだ。実に恐ろしきは聖女の意志力。ずっと昔から対策に対策を嵩ね、準備と労力を費やしてきたにも拘らず、それでも尚、拮抗する鋼の意志。

 

「つくづく……眩しい女性(ひと)だ。……だが負けん!」

 

 袈裟斬りに、聖火を纏った剣が振り下ろされる。

 それをアルドルは雷神の権能が宿った裏拳で強引に跳ね除ける。

 権能は忽ち殺され、触れた手は骨髄まで焼け焦げる。

 

 片手の機能が死んだが、問題ない。

 

「があああッ!!」

 

 激痛を無視して打ち返した槍の一撃が、聖女の左目を抉り切った。

 

「っギ!……くぅ、ぁぁアアアア!!!」

 

 視界の片側が赤く染め上げられる。手痛い損失よりも先になんて人だという感想が聖女の脳裏に過る。神秘殺しのこの焔の本質は否定だ。人理を害するモノ、その悉くの在り方を根底から否定するのが、この焔の本質なのだ。

 だからこそ、これに焼かれることは炎に焼かれることと同義に非ず。言うなれば太陽が持つような放射能による細胞単位の破壊である。血の一滴、肉の一片も残さぬという否定の焔が生み出すだろう痛みはもはや堪えるや耐えるという根性論が通じるものではないのだ。

 

 それなのに、アルドルは耐えるどころか反撃までして来た。

 狂っている、壊れている。あまりにも悍ましく。

 

 なんて──強靭(つよ)い!

 

 そして片目を潰された以上、もはや猶予はない。

 これほどの強さを持つ槍兵(ランサー)を相手に、片目を失った状態で拮抗することは不可能に近い。

 

「その心臓──貰い受けるッッ!!」

 

 剣が躱される。距離感を失った視界では敵手を的確に狙えない。

 硬直の隙を残さないようにと放った一斬は返って敵を呼び込んだ。

 姿勢を下げ、剣の下に潜り込むようにしてアルドルが聖女の懐へと飛び込む。

 

 繰り出される渾身の突きはさながら刺し穿つ死の棘。

 敵の心臓を突き破る致命の一撃に他ならない。

 

 あらゆる動作は間に合わない。あらゆる加護も届かない。

 死の因果を確約するような一撃は聖女の心臓へと手を伸ばして──。

 

 否──と、聖女はその運命を否定した。

 

「な、ん────!!?」

 

 鮮血が宙を舞う、アルドルの顔が驚愕に濡れる。

 血は胸より溢れたものではなく、聖女の片足から溢れたものだ。

 

 足の裏から足の甲まで貫通する槍。

 強引な挙動のせいで引き千切れる筋肉。

 

 激痛に叫びだしたい衝動に耐えながら、そのまま回し蹴りの要領で、死の運命ごと槍を力業で振り払う……!

 そして、想定外の出来事に面を喰らうアルドルの脇腹を蹴り抜いた。

 

「が……ッ!」

 

「ぎ、ぅ……!」

 

 地面を転がり跳ねながら吹き飛ばされるアルドル。

 一方で槍の負傷そのままの足で蹴り抜いたため聖女もまた呻き声を上げる。

 

 ……此処だ、此処しかない。

 追撃するなら、あの敵を破るならば、此処しかない……!

 

「“諸天は主の栄光に。大空は御手の業に”

 “昼は言葉を伝え、夜は知識を告げる──”」

 

 呟くは最後の洗礼詠唱。

 冠位ではなくこの身に備わる英霊の矜持。

 旗に並ぶ第二の、敵と己を滅ぼす特攻宝具。

 その名は──。

 

「ぁ……ぐ、来るか……! 『紅蓮の聖女(ラ・ピュセル)』!」

 

 脇腹を押さえながらアルドルは立ち上がる。

 聖女を中心に輝ける光。

 アレなるは極限の概念武装。

 聖女自身の在り方、その全てを賭した固有結界。

 

 あらゆる不浄を焼き払い、希望を齎す明日への祈りに他ならない。

 

「『此処に神の仔、降臨せり──!』」

 

 ならばこそ、聖者を穿つは呪いの聖槍。

 いざゴルゴタの丘へと至れ、聖なる乙女よ。

 聖典に記されし、古の契約が汝が命を貫き穿つ。

 

「“話すことも語ることもなく、声すらも聞こえないのに”

 “暖かな光は遍く全地に、果ての果てまで届いて”

 “天の果てから上って、天の果てまで巡る”」

 

「『汝を救うものは此処になく、汝に汝を救うことは出来ない』」

 

 祈りに重ねられるは呪いの言葉。

 愚かなりし聖者に死を告げる、判決。

 

「“我が心は我が内側で熱し、思い続けるほどに燃ゆる”

 “我が終わりは此処に。我が命数は此処に。我が命の儚さを此処に”

 “我が生は無に等しく、影のように彷徨い歩く”

 “我が弓は頼めず、我が剣もまた我を救えず”

 “残された唯一の物を以て、彼の歩みを守らせ給え”

 “主よ、この身を委ねます────”」

 

「『汝の神は汝を救わず、故に汝は神の御心を知らぬ。

  愚かなる者よ、十字架に掛けられし王よ。

  その欺瞞、その偽りを死を以て証明せん。

  誰も汝を救わない(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)、その絶叫こそが汝の真実である』」

 

 儚くも強く輝く白き極光。

 世界のために、己の全てを聖女は賭し、命を炉へと捧げる。

 

 悍ましく猛き狂う純黒の魔力。

 一族がために、己の全てを魔術師は焚べ、運命を捻じ曲げる。

 

「『絶望の後には必ず希望が待つ(L'espoir vient apres desespoir)』」

 

「『偽典装甲(ヘヴンレガリア)()光届かぬ運命の槍(カルヴァリーロンギヌス)』」

 

 煌めく花焔(かえん)と塗りつぶす暗黒。

 此処に全ての決着をつけるため、あらゆる全てを燃やし尽くす。

 両者が掲げる理が、互いに互いを食らい合う──。

 

 

 

 ────此処だ(・・・)

 と。魔術師の狂気が、全ての前提を引っ繰り返す。

 

 

 

偽典解除(パージ・アウト)外殻変更(チェンジ)

 

「は────?」

 

 消える。黒い聖槍が消える。

 魔術師が聖女を討ち果たさんとして放った呪い。

 焔と激突せんとした宝具が掻き消える。

 

 残されたのは勝利を確信したように、狂笑する魔術師。

 防御は間に合わない、迎撃は間に合わない、回避は間に合わない。

 あらゆる意味で、何もかもが手遅れだった。

 

 それなのに──。

 

 魔術師は、笑いながら焔に飲まれた。

 

 

    宝具開放/我が名は■■■■──。

 

 

……

…………。

 

 

「────……あ、………れ……生きて……?」

 

 気づけば、夕焼けのトゥリファスにジャンヌ・ダルクは立っていた。

 黄昏の創界は消え失せて、激戦はまるで一夜の夢の如く。

 寂寥感を感じさせる鴉の泣き声だけが辺りに響いている。

 

「……どうして?」

 

 困惑は自身が生きていることに対して。

 特攻宝具。その名の通り、自身の命ごと相手を屠る切り札。

 なんであれ、発動させた以上、生き残ることは出来ない。

 

 それなのに生きてる、何故、どうして、と……。

 

「ぁ…………」

 

 不意に、視界の端で横たわる人影を見る。

 人影は何もかもを投げだすようにして地面に横たわる。

 血を流し、火傷を負い、浅い呼吸を繰り返す。

 だが、生きてる。確かに心臓は鼓動を刻んでいる。

 

「あ、づぅ──!」

 

 殺せ、と誰かが呟いた。

 アレは悪しき者である、許されぬ者である、異端であり異聞である。

 それを殺すことこそが汝の──。

 

「そうです、それこそが──我が使命──……?」

 

 ……そうだったか? 本当にそうだったか?

 己の成すべき役目は、役割は初めからそういうものだったろうか?

 違うような気がする。本来やるべきことは背負った役割は。

 

“聖女様……! 聞こえますか、聖女様!!”

 

「……レティシア?」

 

 混乱する頭に響くのは依り代となった少女の声。

 現代を生きるフランスの少女レティシア。

 切羽詰まったような、焦燥感に満ちた声でジャンヌに呼びかけていた。

 

「聞こえます、聞こえています、レティシア。……すいません、少し記憶が混濁しているようで。レティシア、私は一体何を……?」

 

“え──……ぁ、聖女様、覚えてないの、ですか──?”

 

 ジャンヌの言葉に息を飲むように反応するレティシア。

 不吉な予感が胸を襲う。

 何か、何か、途方もなく重大なことを忘れているようで。

 

 ──鴉の鳴き声が耳に障る。

 

「教えてください、レティシア。私は何を、いえ、私に何があったのですか?」

 

“──……”

 

 問いかける。

 真実を、知らなければならない。

 何があったのか、何が起こったのか。

 

 ──鴉の鳴き声が耳に障る。

 

“……聖女様はあの魔術師に出会って、”

 

 あの魔術師、眼前の倒れている魔術師のこと。

 

“……人が変わったように、私の声が届かなくなって”

 

 使命を、人理を守るものとして──?

 いえ、いいえ、違う、己はルーラー。

 英霊ジャンヌ・ダルク。

 その役目、その役割は、

 

“パッシオさんも……シャルロットさんもいなくなって……!”

 

「あ……」

 

 思い出した、そう思い出した。

 自分の使命は聖杯大戦の運行。

 それこそが本当の役目。それこそが本来の役目。

 敵を倒すことでも、誰かを殺すことでもない。

 

 守るために。そのために此処にあるのだ。

 何故それを忘れていたのだろう──?

 

「そうだ……! パッシオさんとシャルロットさんは!? 二人とも巻き込まれて──!?」

 

 そのことをようやく思い出した。

 だが──。

 

「……ふむ、僅かな差だが、間に合ったようだ」

 

 ふと、眼前に倒れ込んでいる魔術師が満足げに言う。

 口元には微かな微笑み。

 安堵したように彼はふうと息を吐いて。

 

「私の敗北──そして私たち(・・・)の勝利だ」

 

 青年が告げた瞬間、ジャンヌは『啓示』を得る。

 脳裏に──二秒後に死ぬ己の姿を見た。

 

 

「──私は世界を動かせず、けれど世界は私を鈍らせない。どうぞ御免あそばせ。私の無知なる殺人に、お付き合いくださいまし」

 

 

 コツコツと道を歩く足音。

 平穏を過ごす住民のように、街路を歩く平民のように。

 当たり前に、至極当たり前に。

 ただただ散歩するように。

 

 ジャンヌ・ダルクの背後から近づいてくる足音。

 背中越しの音が止む。

 息のかかる距離、友人と会話するような間合いで音は止み、

 

 

故国に愛を、溺れるような夢を(ラ・レーヴ・アンソレイエ)

 

 

 心臓にナイフが突き立てられる。

 殺意はなく、害意はなく、そこにはただ意志があった。

 呆然と振り返った先、見慣れた顔に思わずジャンヌは声を漏らす。

 

「……………………シャルロット、さん……?」

 

「はじめまして──サーヴァント、アサシン。真名シャルロット・コルデー。“黒”の陣営を名乗るユグドミレニア一族の魔術師アルドル・プレストーン・ユグドミレニアをマスターとする英霊です」

 

 人懐っこい、いつもの笑みのまま。

 少しだけ困ったように、シャルロットはそう言った。

 

「サー……ヴァント? そんな、では……まさか……」

 

「はい、ごめんなさいね。身分を少し偽っていました。貴女に近づくために、貴女を殺すために。それが私の、サーヴァントとしての役割でしたから」

 

 ──聖人を殺す最も簡単な手段はいつの世もたった一つだ。

 それは善良の中に隠された微かな悪意。

 いつだって彼らは信じた何かに裏切られて命を閉じるのだ。

 

 故に悲劇。守ろうとしたものに彼らは殺される。

 

「我が故国の偉大なる聖女様、それに我が故国の未来たる貴女。逢瀬の時は短かったけれど、貴女たちとの時間は本当に楽しかった。これは決して嘘ではないわ。だってフランスの女性なら誰もが憧れる聖女様に、可愛い子孫(こども)にも会えたんですもの。ええ、楽しかった、本当よ?」

 

 ナイフを引き抜く。

 聖女の血に濡れたその凶器を、衣装(ドレス)が赤く染まることを厭わず、抱える。

 

「──けれど。友愛で、私の刃は鈍らない。親愛で、私の意志は揺らがない。私はサーヴァント。マスターの勝利を願い、共に戦うモノ。そのために呼ばれ、そのために此処にいます。だから、楽しい歓談の時間は終わり。夢のような時は夢のように終わるのです」

 

「────」

 

 ジャンヌ・ダルクが崩れ落ちる。

 何か、何か言おうと口を開いて──。

 

「Au revoir──mon ami」

 

 無垢なる暗殺の天使が別れの言葉を手向けに贈る。

 

 倒れ伏したその時に──聖女の姿は何処にもなかった。

 静かに眠る、聖女によく似た少女だけがそこに居た。




かくして運命は此処に消え去った。

外典を紡ぎしは過ぎた願いを宿す者たち。

最後の勝者に、願いの器は顕れる。
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