千年樹に栄光を   作:アグナ

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戦の代償

 茜色の空に黄金の燐光が舞う。

 旗の聖女、ジャンヌ・ダルク。

 本来の筋書きにおいて、“赤”の陣営の支配者たる聖者に対する抑止力にして、運命の担い手たる少年を導くハズだった少女は、千年樹が結んだ黄金によって完膚なきまでに消滅させられた。

 

 残ったのは依り代たる少女と、そして辛くも勝利を掴み取った異端なる外典の語り部、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。

 もはや指一つ動かせぬ満身創痍でありながら、青年は口元に渾身の笑みを浮かべながら呟いた。

 

「……勝った……勝ったぞ」

 

 受けた損害は計り知れない。対策に持ち込んだ教会の概念武装は完全に使い切り、用意していた魔力も術式も殆ど使い切った。

 肉体は激痛と疲労に悲鳴を上げ、摩耗した精神は一刻も早い休眠を要求する。何より、ボロボロの霊格に『彼』を纏った代償で、ただでさえ進行していた情報の飽和は致命的な領域に達しており、残された寿命(時間)は恐らく聖杯大戦が終了するまでの数日間。

 戦いの勝敗がどちらであれ、アルドルにもはや未来はない。

 だが……。

 

「この勝利、この勝利によって間違いなく結末は変わる。私が見たかったもの。私が追い求めた可能性。それが見えただけで、私は……」

 

「マスター! 大丈夫ですかッ!?」

 

 独白するアルドルへと狼狽する声が降りかかる。首を傾げて視線を向ければ、先ほどまで聖女に対して泰然と構えていた様は何処へ行ったのか、シャルロット──己がサーヴァントたる“黒”のアサシンが焦った様子でアルドルの下へと駆け寄ってきた。

 

「……ああ、うん。見ての通りだ。満身創痍だが、取り敢えず生きている。なのでそう焦らなくても問題はないよ。当初の予定通り、だ。それよりもよく私のでたらめなプランニングに間に合ってくれた」

 

「──……色々と言いたいことはありますけど、満足そうで良かったですね。ええ、本当に色々と言いたいことがありますけど」

 

 ちょこんとスカートが汚れることも厭わず、倒れ込むアルドルの傍に座り込む“黒”のアサシン。

 表情は笑顔だが、心なしか威圧感を伴っている。

 

「うん? 何か怒っていないか? 君」

 

「……あのですね? 逆に聞きたいのですが、心当たりとか本当にないんです?」

 

「む?」

 

 言われて、アルドルは直近の記憶を脳裏に思い浮かべる。

 思い返すのは“黒”のアサシンに伝えていた作戦の概要だ。

 

 プランは二つ。

 

 一つ目は聖女ジャンヌ・ダルクが記憶のままの聖女としてアルドルに相対した場合。敵を楽観的に見積もった作戦だった。

 所謂、ルーラーがルーラーのままだった場合の話だ。

 

 こちらの場合はアルドルのプランでは、シャルロットとパッシオを魔術世界の闘争に巻き込まれた憐れな被害者として終始振る舞わせ、非情なる魔術師たるアルドルは目撃者抹消のため、ルーラーと戦う傍ら彼らを狙う。

 ルーラーの性質を考えれば知己たる一般人(・・・)の彼らを守るだろうから、混戦の最中、守るルーラーの背後を守られるシャルロットが突き刺すというシナリオだ。

 

 今回採用した後者と同じく騙し討ちの計略だが、支払うコストとリスクが低いままに得られる利益は大きい。

 少なくとも今回のように余力をも使い果たす羽目にはならなかっただろう。

 

 だが、元よりこちらのプランは楽観的なもの。

 高い確率で抑止力の介入があることはアルドルは承知していた。

 

 何故ならば……。

 

(この身は生まれながらにして、第一魔法の権化にして、第三魔法に手を懸けた魂だ。ああいや、ゼルレッチ老曰く、鍛えれば第二魔法の継承も行えるのだったか。まあそれなら新たに七つ目を開拓した方が早いだろうとも言われたが)

 

 かつて南米で見えた魔法使いは語っていた。こと“観測”に関して、この世界におけるアルドルの視点はあらゆる意味で規格外だ。

 外界(・・)からの来訪者など例外中の例外なのだから。

 それに加えてアルドルという存在そのものが、一つの懐疑主義(パラドックス)に意図せず結論を齎してしまっている。

 

 世界五分前仮説、シミュレーション仮説──数多の哲学者によって禁忌とされてきた一つの疑問の答えとしてアルドルは成立してしまっているのだ。

 これは人理の存在意義を消失させかねない劇薬。

 

 それこそアルドルの意志など関係ない。

 アルドルという存在が本当の意味でこの世界に流出すれば文字通り、それ自体が世界を破滅させる引き金になりかねない。

 

 故にかつて抑止力の使者は招かれ、魔法使いは忠告した。

 

 そして、その経験があったからこそ、此度もまたアルドルが大聖杯に手をかければ、再びヒトの生存本能はアルドルを襲撃すると予見していた。

 だからこその第二プランだ。

 

「“抑止力に、私は勝てない。何故ならば人理が担うはこの世界そのものであり、この世界において私はどう足掻いても邪悪な敵役だ。あらゆるご都合主義が必ずや聖女を守り、私を貫く刃とするだろう”」

 

 紡ぐ言葉は、戦以前に“黒”のアサシンへと伝えた言葉そのものだ。抑止力の加護を受けたルーラーと相対した場合、アルドルは初めから己が勝利する未来など欠片も信じていなかった。

 

「“だが、同時に一つの盲点を生む。それは本来であれば聖杯大戦の調停を担うルーラーが一時に私という異物に掛かり切りとなるという点だ。この地に働く世界という目はあらゆる意味で私を優先とする”」

 

 だからこそ狙っていたのは自分の命を賭けに乗せる紙一重の勝利。即ち物語に於ける逆転劇、或いは敗者の逆襲劇だ。

 

「“敢えて彼らの視点を私に注目させ、その上で盛大に負ける。そして私に止めを刺しに掛かる際に生じる一瞬の隙、そこをあらゆる警戒を突破できる君の手によって狙い撃つ”──と」

 

 我ながら無茶ぶりも無茶ぶりだが、それでも賭けに勝てるだけの自信はあった。元よりアルドルは一度、抑止力の性質を生で観測している上、反則的な視点も先天的に備わっている。

 それを加えて、防護能力という一点においてアルドルは聖女に勝るとも劣らない心当たりを有していた。

 

「“代償”の都合上、今の私に『彼』を名乗ることは出来ないが、それでも『彼』の持つ宝具を借り名で発動することは出来る。これを切れば一度だけは必ず生を掴み取れると踏んでいた」

 

 そう──『協力者』たる『彼』の宝具。それを展開できるからこそアルドルは勝てるだけの目算はあるとリスクを支払うことを選択したのだ。

 

「最後の賭けは私の瀬戸際に君が間に合うかだったが、それも君と、フギンとムニンが何とかしてくれた。君とちちう──かの大神の心遣いに感謝だな」

 

 ズキンと頭痛(記憶)襲われる(惑わされる)が、アルドルは息を吐きだすことで空白になりかけた意識を掴み戻す。

 ……相応に、無茶を通したが、アルドルは当初の予定通りに作戦を遂行しきり、勝利という結果を得たのだ。

 

 そこに、何ら“黒”のアサシンを怒らせる要素はないはずだ。

 何しろ全てが話した通り、予定の通りに動いていたのだから。

 

(予想外があったとすれば最後、聖女が生き残ったことぐらいか。恐らく、相打ちの可能性を避けるため、冠位(外殻)の消滅を身代わりに、本来の霊基の存続をさせたのだろうな。謀らずしも、同じような手法で互いに生を繋ぎとめたわけか)

 

 アルドルは『彼』の霊基を一瞬に被ることで生を掴み取り、聖女は仮初の衣を脱ぐことで生を掴み取った。

 相打ちを避ける最後の手段を互いに隠し持っていたこととなる。

 

「ああ、確かに、その可能性まで考察しなかったのは私の落ち度であったな。すまなかったな“黒”のアサシン。どうやら予想以上に私は死にかけていたようだ」

 

 冷静な思考が叩き出した結論にアルドルは神妙な面持ちで小さく頷く。

 そんな主に対して“黒”のアサシンは無言のまま、ペチンと、アルドルの額を叩いていた。

 

「……何をする。珍しく素直に反省しているというのに」

 

「失礼しました。的外れな反省に返って腹を立ててしまいましたので」

 

「的外れ? 他に憤る理由があると?」

 

「ええ、ありますとも。マスター、貴方は本当に大丈夫(・・・)なのですか?」

 

「──ああ、そっち(・・・)か」

 

 真剣な表情で改めて問う“黒”のアサシンの言葉に、アルドルは“黒”のアサシンが何に憤り、何を心配しているのかを察する。

 ……此度の作戦に限らず、共犯者たる“黒”のアサシンにアルドルは全ての情報を開示している。自分という存在の特異性、自らが望む未来と願い。

 そして──アルドルが支払った“代償”。

 

 全てを知る身だからこそ彼女は尚のこと心配し、怒っているのだ。

 必要な事とはいえ、アルドルが自らの未来(じかん)を捧げたことに。

 

「……マスターが神霊の権能(チカラ)を代行できるのは、ひとえにマスターと件の神様が極めて高い親和性を有しているから、とおっしゃっていましたね」

 

「然り。本来の神話体系には存在しない神霊、死後に再び王権の継承者として、理想の世界に復活する転生者。かの神霊の神話(いつわ)は私とこれ以上無い親和性を有している。同一の起源を有していることよりも、この接点があるからこそ神名接続(セイズマズル)でのデミ・サーヴァント化を成立させられる」

 

 通常、如何に神霊が相手とはいえ契約だけでは精々が、『彼』から魔力や幻獣、何らかの聖遺物移譲のみに留まるはずだ。

 にも拘わらずアルドルが『彼』の宝具やスキル、果てはそれを応用した偽装宝具の展開まで可能とするのは『彼』との関係は協力的という向こうの姿勢以上に、このアルドルとの凄まじい親和性あってこそのものと言える。

 

 アルドルが神霊という桁違いの情報(たましい)と接続しながら今も正気でいられるのはこの相性あってのことだ。

 しかし高すぎる親和性は新たな問題を発生させた。

 情報飽和による自我の損失、これとはまた違った消滅のリスク。

 それをアルドルは抱えている。

 

 即ち──神霊との同一化(・・・・・・・)

 神の新たなる身体(アバター)として、存在そのものを上書きされるというリスクを。

 

「……まあ、そうだな。先ほどは満身創痍などと形容したが、()()も含めて、人間としても魔術師としても致命傷の損失だ。聖杯大戦が終わるまでに命が持てば御の字と言ったところか」

 

 親和性が高いからこそアルドルは『彼』の権能(チカラ)を振るうことが出来るが、逆にその親和性の高さが故にアルドルもまた、『彼』の存在核(アバター)として高い適性を持ってしまっているのだ。言ってしまえば神へ捧げられる生け贄の状態。

 それこそがアルドルが支払った特権の“代償”にして彼の命を絶命たらしめるものだった。

 

 アルドルの淡々とした報告に“黒”のアサシンは悲痛な顔をする。

 元より一度目の抑止力との遭遇によって長くない命なのは“黒”のアサシンは承知していたが、今回の戦いの代償はそれを後押ししてしまうほどに重かったらしい。

 

「……大聖杯でも解決できない問題なのですよね?」

 

「そうだな、厳密に言えば解決する方法はある。私の肉体的損失や魂の摩耗は大聖杯の力を以って快復させることが可能であろうし、存在の上書きに関しても単に『彼』との接続を断てば良い」

 

 だが、それはアルドルの願いを達成することを諦めることに直結する。

 何故ならば新秩序の創世計画は元よりアルドル自身が『彼』と成ることで達成される。

 ユグドミレニアに連なる全ての魔術師に神代の魔術を。

 

 それを成すためにはどう足掻いても神を現実に降ろし続けるだけの縁が、肉体が必要なのだから。

 

「大聖杯が受け入れる願いは一つ。仮に大聖杯で神の器を新たに作ることを願ったところで、今度は『工房』の維持が叶わん。仮に計画が成功した場合、ユグドミレニアに賛同する魔術師たちに資源(リソース)を提供しなければならない。資源枯渇の可能性を考慮すれば大聖杯はどうあっても創界の維持には欠かせない」

 

 願いを叶えるために自分の命を捧げた。

 なのに自分の命のために願いを捨てたのでは本末転倒にも程がある。

 元より歩き出したその時より、アルドルの中に後退の二文字はあり得ない。

 

 勝つか負けるか、賽はとっくの昔に投げられているのだ。

 

「とはいえ、だ。顔見知りが自己犠牲に耽るのを傍目に、平気な顔を出来るわけも無いか。すまないなコルデー。君には本当に色々と心労をかける」

 

「……はあ、もう良いです。どうせ、何を言っても聞かないでしょうし」

 

「む、それは心外だ。私とて侍従の諌言を素直に聞き入れる心ぐらいは持っているぞ」

 

「そう言うことならもう少し自分の命を大事に使って欲しいのですが……」

 

「言えば、君はフランス革命時、かの暗殺を止めたのかね? ああ、ターゲットうんぬんの話では無いぞ」

 

「嫌な人。人の痛いところを突いて」

 

 口を尖らせながら半目になる“黒”のアサシンに、アルドルは肩を竦めてみせる。

 ……何だかんだ長い付き合いの上、二人は似たもの同士だ。

 互いに互いが、決めたことを言葉で退けられるほど物わかりの良い性格で無い事を理解していた。

 

「でも、そんな貴方だからこそ私が呼ばれたのでしょうね」

 

 ポツリと、“黒”のアサシンは囁くように言いながら苦笑する。

 眼前の主は“黒”のアサシンを元々狙って呼ぶつもりだったと言うが、その際用いた聖遺物は、例えば“赤”の陣営の獅子劫の用いた円卓の欠片と同じように複数の英霊が呼ばれる可能性を秘めたものだったという。

 

 正義の柱(ボワ・ド・ジュスティス)。フランス革命期、数多の人々を死に追いやった鮮血のギロチン。“黒”のアサシンを呼ぶのに際してアルドルはそれを使用している。

 ともすれば、かの王妃マリー・アントワネットや死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンなどが呼ばれても可笑しくは無いはずだった。

 

 にも拘わらず“黒”のアサシン、シャルロット・コルデーが招かれたのは呼ばれる英霊の中で最もマスターとの相性が高かったからこそだ。

 

「なら、しょうが無いですねー」

 

「何か言ったか?」

 

「いえいえー」

 

 アルドルの問いに“黒”のアサシンは笑顔で返す。

 不自然な態度にアルドルは小首を傾げるが、さして追求する必要も無いだろうと判断したのか、気を取り直して話題を今後のことへと転換する。

 

「さて、私のことは置いておいて聖杯大戦だ。ルーラーが脱落した以上、今後は後顧の憂い無く、“赤”の陣営と……いや天草四郎と事を構えることになる。英霊の情報は概ね握っているし、彼らの手管にもある程度理解が及ぶ。だが、此処から先は今までのように盤面を完全に整えて進めることは出来なくなるだろう。何せ、私にとっても完全なる未知だ」

 

 ルーラー脱落に至るこの戦況時点まで、アルドルはその生来の反則的な知識量と隠し札の数々で常に優位を保って進めてきた。

 本来の運命の担い手たち。彼らの動きを先読みすることでアルドルは常に相手は知らず、自分だけが知っている状況の押しつけを可能としてきたのだ。

 

 しかし此処に主演は脱落した。外典の筋書きは完全に破綻した。

 であれば、此処からは本当の聖杯大戦(・・・・・・・)だ。

 アルドルも知らぬ、“黒”と“赤”の陣営が真っ向からぶつかり合う戦いになる。

 

「正直、どうしたものかね」

 

「……意外な言葉ですね。てっきりマスターのことですから、もう戦いを勝ちきるための作戦なり、悪巧みなりを立てていると思ってたのですけど」

 

 知己だからこそ分かるアルドルらしからぬ言葉に“黒”のアサシンは驚きの反応を示す。

 それに対してアルドルは買いかぶりだと首を振った。

 

「無論、本当に何も考えていないわけでは無いよ。“赤”の陣営に対する対策や対応、勝ち進めるための筋道はある程度、私も用意している。だが……この先は、搦め手が機能する場面は少なくなるだろうからな」

 

 そう言ってアルドルは困ったように“黒”のアサシンの顔を見る。

 視線の意図を察せず、“黒”のアサシンは一瞬戸惑うが、すぐに理由に思い至る。

 

「搦め手……ああ──そういうことですか。確かに、神父様や聖女様はともかく、英雄の方々が相手では私のナイフは届きそうに無いですからね」

 

「それはこちらも同じだ。抑止力に対応するため、恐らく監視していただろう“赤”の陣営に殆ど手札を晒してしまった。それに加え言ったように、見た目以上に割と死に体でね。今までのように正面から事を構えられるほどの余力はない」

 

 元々、“黒”のアサシン……シャルロット・コルデーは聖人たちに対する暗殺者としてアルドルは招いていた。善良なる彼らを討つには、善良なる市勢からの使者が一番有効であると判断したからだ。

 しかし同時に、その選択によってアルドルはサーヴァント戦での活躍の可能性を切り捨てていた。

 

 そう“黒”のアサシンはアルドルの計画を進める上で間違いなく最良の暗殺者(アサシン)であるが、同時に暗殺者(アサシン)でしかないのだ。

 彼女は戦場で英雄的な活躍をしたわけでも、強大な敵と武力で以て戦ったわけでも無い。暗殺という一芸のみで英霊の座に刻まれ、そして暗殺という一芸しか持たぬサーヴァントである。

 

 “赤”のキャスターはともかく、“赤”のセイバー、“赤”のランサー、“赤”のアーチャー、“赤”のライダー。真性の英雄たる彼らの相手などとても務まるものでもない。

 

「神父様にも顔がバレちゃってますからね。二度目の暗殺は通用しないでしょう」

 

「そうだ──ああ、勘違いしてくれるなよ別に詰っているわけでは」

 

「言わなくても分かっていますよ。要するに戦争になる以上、私にせよ、マスターにせよ、直接的に介入するような干渉が出来なくなるというお話でしょう?」

 

「その通り。此処から先はダーニックを筆頭とした“黒”の陣営のサーヴァントが主体となるだろう。私に出来ることは精々助言程度になる」

 

 無論、アルドルとて此処まで来て後は自らの陣営に趨勢を託すなどという無責任は考えていない。此度の寄り道に不干渉のまま不気味な沈黙をするシロウ神父は重大な懸念事項であるし、不死を潰したとはいえ、大英雄アキレウスは顕在。さらに英霊という枠組みにおいて最もアルドルが警戒している“赤”のランサー、カルナがいる。

 

 勝利へは未だ遠く、越えねばならぬ強敵はまだ多くある。

 

「聖女様を倒しても、先はまだまだ長いですね……」

 

 ほう、と“黒”のアサシンが憂うようにため息を吐く。

 彼女の言う通り、山場を越えても次の試練がアルドルを待ち受けていた。

 

「そういえばマスター、彼女(・・)はどうするつもりなのでしょうか?」

 

「……うん? ああ、彼女(・・)か」

 

 両者の意識が自然とそちらへと向く。

 アルドルと同じように倒れ伏し、しかし、アルドルとは違って無傷のまま静かに眠る少女──ルーラーの器であったレティシアの方へと。

 

「殺しますか?」

 

 “黒”のアサシンが問いかける。

 仮にも知己の、それもただ戦に巻き込まれただけの善良な市民であると知った上で、彼女は本気でそう言っていた。──必要ならば誰であろうと殺せてしまう。

 かつて使命に準じた鋼の意志は、良心の呵責が生み出す痛みを無視してしまえる。

 シャルロット・コルデーを暗殺者たらしめた一端がそこにはあった。

 

「いや、その必要は無いよ」

 

 しかしアルドルはその問いに首を振る。

 鋼の意志に隠した“黒”のアサシンの心を案じたわけでも巻き添えになった少女に向けた良心からでも無い。単なる戦術的視点から必要の無い犠牲だと判断したのだ。

 

「レティシアという少女はジャンヌ・ダルクの器であった以上の何者でも無い。或いは抑止力がまた細工を施してくる可能性も無くは無いが……」

 

 その場合、あの少女を媒体とするよりもより直接的な手段に出るだろう。聖女が討ち果たされた以上、かの少女が聖杯大戦に持つ縁はもはや無い。

 かの聖女も、そしてかの少年も──運命は既にアルドルの手によって砕かれてしまったのだから。

 

「…………」

 

「マスター?」

 

「いや、何でも無いよ。下らない感傷を思い出していただけだ。──レティシアは聖杯大戦に巻き込まれた不運な犠牲者として、暫し此方で保護して記憶処理の後、日常に帰ってもらうことにする」

 

 そう言ってアルドルは平和的な──ある意味では残酷な結末を眠る少女へと告げる。

 或いは彼女の背中をささやかながらも押してくれる筈だった泡沫の出会いを、アルドルは握りつぶすのだ。

 少女が小さな希望を胸に未来へ向かって歩いて行く。

 そんなあり得たはずの“もしも”を想い、アルドルは瞑目した。

 

「さて、と……終わったことに、いつまでも引きずられるわけにも行くまい。取りあえず、アサシン。そろそろ起き上がりたいので悪いが支えてくれないか? 自力では立つことも危うくてね」

 

「ああ、無理しなくても大丈夫ですよ。これでもサーヴァントですからね。このまま私が城まで運んであげますとも。男性のプライド的には少々、嫌がる見た目になるでしょうけど」

 

 アルドルの言葉に悪戯っぽく“黒”のアサシンが笑う。

 大方、お姫様抱っこか何かでアルドルを城まで運ぶつもりなのだろう。

 普段から色々と心労(ストレス)を掛けられている事への可愛い仕返しと言ったところか。

 

 迷惑を掛けている自覚はあるのでアルドルとしては黙って仕返しを受け入れても良いのだが……生憎とやるべき事が残っているのでそうはいかない。

 

「いや、城に帰るにはまだ早い。……我が身から出た錆ではあるが、やらねばならぬことが残っているのでな。話すだけだから上半身(うえ)を支えてくれるだけで良い。寝そべったままというわけにはいかないからな。最低限の体裁は取り繕わねばな」

 

「話? 一体誰と──」

 

 “黒”のアサシンが疑問の言葉を口にしようとした直後、複数人の足音とキィと何かが軋むような音がして、視線を向ける。

 目に映るのはこちらを目指して近づいてくる男女の集団だ。

 

 ……アルドルにとっての懸念は何も敵対する“赤”の陣営だけでは無い。此処から先、始まるのは本当の意味での聖杯大戦。“黒”の陣営と“赤”の陣営による戦いである。

 ならばこそ、アルドルが向き合わねばならないのは敵だけでは無いのだ。

 

「……本当に、どうしたものかね」

 

 本当に珍しく弱音にも似た言葉をアルドルは漏らす。

 視線の先には居るのは、彼にとって“黒”のアサシン以上に付き合いの長い顔馴染みたちだ。

 ──此処まで派手にやらかした以上、もはや秘密主義は語れない。

 

 観念するようにアルドルは一度だけ、大きく息を吐いた。

 次の瞬間。

 いつものように、鉄面皮の表情をした次代のユグドミレニアを担う魔術師に戻った。

 事情を察したのだろう。“黒”のアサシンはアルドルを支えながらも口を噤んだ。

 そうしてアルドルは彼らへと向き合い、口を開く。

 

「──その表情を見るに。ルクス辺りからある程度の事情は聞いている、と判断して良いかな? フィオレ、カウレス」

 

「──はい。彼女からお話は聞かせてもらいました。此度の独断、そして、貴方が内に抱えていた一族の方針と異なる願いについて」

 

 感情を消した事務的な言葉。

 それを紡ぐのはフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 他ならぬ“黒”の陣営の同士にして、“黒”のアーチャーのマスターである。

 

 “黒”のアーチャーは主の座る車椅子を沈黙しながら支えている。やや厳しい表情をしているが口を挟む様子が無いのを見るに、身内の話(・・・・)に口を挟むつもりが無いと言うことか。

 フィオレの横にはカウレスの姿がある。彼もまた口を挟む様子は見られないが、此方は単に何を話せばいいか分からないと言った所か。

 

 このような事態になった以上、彼らとも一度話す必要があるだろうが、今は……。

 

「そうか……では、その上で私に何を聞きたい? フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。私の独断を咎めに来たか? 私と同じユグドミレニアの後継に名乗りを上げる者として」

 

「……っ!」

 

 敢えて感情の読めない無機質な言葉で、アルドルはフィオレに向き合う。

 フィオレの方はと言えば、気圧されるように……或いは何処か痛みを堪えるように一瞬、顔を歪めるがすぐに表情は魔術師としての、ユグドミレニアを代表する魔術師の者へと戻る。

 

「……一族を担う者として貴方の独断についても追求する必要があります。ですが、ユグドミレニアの次代を担う者の責務として、それ以上に貴方に問わねばならないことがあります」

 

 僅かに、フィオレの声に震えがあった。

 だがアルドルは気づかない。

 

 ──気づかないようにした。

 同じ一族の魔術師としてただ事務的に対応する。

 

「ふむ。では、その問いとは?」

 

「……叔父様、いいえ、当主ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは、我が一族の次期当主として第一候補に貴方の存在を挙げていました。一族随一の才気を持ち、叔父様が認めるほどの実力と精神を兼ね備えた貴方はユグドミレニアの次代とするに相応しいと」

 

「承知している。直接の打診はまだ受けていないが、そのような方向で話が進んでいることは内々で聞いていた」

 

「ですが、貴方の協力者より貴方を次代のユグドミレニアとするには憂慮すべき情報をお聞きしました。その真贋について、貴方の口から、直接聞かせていただきたく思います」

 

「私を後継とすることへの懸念か。良いだろう、疑義があるというならば嘘偽り無く応えよう」

 

 ……何を彼女が聞きたいのかは大方察せられる。

 だが、アルドルと向き合うかどうかはフィオレが判断すべき事だろう。

 数年前からアルドルのスタンスは変わっていない。

 

 アルドルはずっと前に選択した。次代のユグドミレニアを担う者として、ダーニックの期待を背負う者として、その責務を果たすと。

 そのためならば何を犠牲としても構わない。

 自分の命に代えても、何があっても突き進むと決めたのだ。

 

 だから……そこから先は彼女の話だ。

 棚上げしてきたわだかまりに向き合うべきは彼女だ。

 

 故にアルドルは言葉を待った。

 

「さあ、私に何を問う。フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。私に対する疑義の、その内容を聞かせていただこう」

 

「……ぅ……ぁ、貴方、に……聞きたいのは」

 

 車椅子の膝起きを握る手が、握りしめるあまり白くなっているのが目に映る。

 微かに俯いた表情が歪んでいるのが見えた。

 声は、無感情を取り繕えないほど震えていた。

 

 ユグドミレニアの枝葉。

 いつの日か、未来を語り合った少女が問う。

 

「魔術の代償で、あ、貴方が、貴方の命が、もはや尽きる寸前であると……貴方の寿命が残っていないという話をルクスという少女から聞きました。この話は……」

 

「ああ。事実だ」

 

 鋭い刃で斬りつけるように。

 少女の問いに間髪入れずにアルドルは応える。

 

「……ぇ……そんな、ほんとう、に?」

 

「ああ。嘘でも無ければ偽りでも無い。件の少女、ルクスの言は正しい。彼女は私の協力者だからな。ユグドミレニアの縁者に騙りを入れる人物で無い事を他ならぬ私が保証しよう──この聖杯大戦こそが、私に残された最後の時間だ」

 

 告げた言葉が盤石であるかに思われた“黒”の陣営の結束を壊すことになることを理解しながら、それでもアルドルは真実を語る。

 ──向き合わねばならない。

 抑止力を排し、これより“黒”の陣営として戦っていくならば、もはや隠し立ては許されない。

 元より独断専行を決めた時から波乱は想定されたもの。

 

 ユグドミレニア。

 

 自らの陣営とアルドルは対峙する。 

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