千年樹に栄光を   作:アグナ

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動き出す聖者

 ブカレスト──クルテア・ヴェケ教会。

 

 ルーマニアでも特に歴史あるその教会は、かつてこの国に君臨した偉大なる君主ヴラド三世が居城としていた旧王宮跡に隣接して作られていた。

 平時であれば今も地元の人々の信仰の場とされる筈のそこは、今は閉ざされている。

 

 そして閉ざされた教会内では現在、一つの映像が投影されていた。 

 

 ──投影されるのは古の神話であった。

 雄大な大地、壮麗な地平線。

 澄んだ空に穢れは無く、紡がれる神秘に陰りは無い。

 

 かつて、この星にあったとされる原風景。

 人理及ばぬ星の理。

 皮肉にも一人の魔術師(にんげん)によって再現された世界は斯くも美しかった。よって『彼』と同じく舞台を紡ぐ演出家であるからこそ──“赤”のキャスター、ウィリアム・シェイクスピアは万雷の喝采を捧げるのだ。

 

「素晴らしいッ!! 実に、実に! 素晴らしいッ!!! おお何たる光景、何たる舞台!! これこそ正に! 『この天地の狭間においては、(There are more things in heaven and earth,)我々の哲学など思いもよらぬことがある!(Than are dreamt of in your philosophy.)』」

 

 喝采せよ、喝采せよと大仰に手を広げ、歓喜の声を上げる“赤”のキャスター。本来敵であるはずの相手が見せた切り札に悲観をするでも警戒をするでもなく、ただただ驚嘆と歓喜を送る様は一種の狂気にも見えた。

 

 世界屈指の舞台作家にとって敵味方の区別などどうでも良い、ただ面白いかどうか。その一点のみで味方に喜劇も悲劇も齎す稀代の劇作家は主の前に遂に全貌を現した“脅威”に今はただ喝采を送る。

 

 “黒”の陣営、ユグドミレニア。

 否、千年樹の総決算、神世を紡ぐ黄金の末──アルドル・プレストーン・ユグドミレニア!

 

「まったく! 我が目の盲目さが嘆かわしい!! 何がルーラー! 何がジャンヌ・ダルク! あんなものは所詮ただの小娘に過ぎぬ!! 何故ならばこれは聖杯大戦! “(レッド)”と“(ブラック)”による願いを懸けた戦いなれば! やはり我らが大敵となるは“黒”の陣営なのだから!!」

 

 大仰な態度で熱烈に語り続ける“赤”のキャスター。

 不意に、そんな彼の態度を傍目に見ていた者。この場に集うもう一人の“赤”の陣営のサーヴァント、“赤”のランサーが口を開く。

 

「……ふむ。お前はあのルーラーを神父に相対する大敵と捉えていたようだったが。成る程、お前にとって脚本とは、その時点においてお前の言う面白さを記したメモ書きに過ぎず、より面白いものを見つければ破り捨てる程度のモノに過ぎないということか。物語る価値があると見たものへの移り気の早さとその厚顔、流石は稀代の舞台作家と言ったところか」

 

「はっはっは! …………貶しているのですかな? “赤”のランサー殿」

 

「? 褒めたつもりだが?」

 

「んん! ナイスユーモア!!」

 

「む??」

 

 “赤”のキャスターの言葉に小首を傾げる“赤”のランサー。絶妙に噛み合わない二人の会話は両者真面目に対応しているはずだが、不思議と滑稽な様になっていた。

 

 ……現在、彼らの目の前で投影される映像は“赤”の陣営の実質的な支配者、シロウ・コトミネが監督役として、予め設置していた聖堂教会の監視システムを利用したものだ。

 本来であればこのシステムはあくまで補助に過ぎず、本命は“赤”のアサシンによる使い魔での監視だったのだが、彼女亡き今、“赤”の陣営が頼りにする“目”はこの霊脈異常を感知して発動する監視システムであった。

 

 特性上、特定の箇所を集中して注目したり、詳細を映し出したりは出来ぬものの、此度の場合は街全体を覆い尽くす大規模な固有結界(魔術)であったがため、システムもまた何が起こっているのかを大まかに捉えていた。

 

「しかし、大したものだ。神々は既に地上を去り、神秘もまた未来を歩み往く人々の懐かしき思い出となりつつある。にも拘わらず、この時代に一個人の手によって過去を掬い上げてみせるとはな。その執念……いいや、熱意こそが成せる技か」

 

 視線を投影される映像の方に戻しながら“赤”のランサーは感心したように呟く。これだけの魔術(もの)を見せられれば、“赤”のランサーとて感じ入るものはある。

 一度は相対し、言葉を交わした。

 短い邂逅だけでも垣間見えた強烈なまでの意志力。まさにそれを具現したかのような光景だったからこそ“赤”のランサーは手放しに賞賛する。

 

「然り!! これは狂気であっても妄執の類いに非ず!!」

 

 “赤”のランサーの言葉に我が意を得たりとばかりに再び“赤”のキャスターが語り出す。

 

「彼は願いの杯に頼らずしてこの光景を創り上げて見せた! 不可能だと諦めることも! 無謀だと疑うことも無く! なし得ると信じ、突き進んだからこそ彼はなし得たのだ!! これが妄執などであるものかよ! これこそが情熱! いつの世においても決して朽ちること無く人を進ませ続ける原動力!」

 

 そう、過去に縋り付くのでは無く、未来のために過去を再び世界に現した。“赤”のキャスターが手に持つ情報では、彼が如何な展望を持ってこの光景を創り上げたかは知らぬし、態々知る必要は無いだろう。

 何故ならば見れば分かる。

 これは逆行では無く、再現。

 

 過去の破片を拾い集め、舞台を構築する術。

 今を生きる者が過去に思いを馳せながら紡ぐ楽園の夢だ。

 

 きっと──神話とはこうであった。

 こういうモノであって欲しい──。

 

 そのような幼さを感じさせるほど純粋なる夢の光景。

 まだ見ぬ未来に思い馳せるように。

 過去への純粋な夢想と期待があったからこそ辿り着く景色だ。

 

「全ては己が一族の夢を叶えるためにか! 何という傲慢、何という我欲(エゴ)! たった一つの願いのために世界一つを利用するとは!! これは我がマスターの対極と言って良い存在だ! 不倶戴天とは正にこのこと! ……そう思われませんかな? マスター?」

 

 感動と驚嘆する様から一転して、“赤”のキャスターは不気味な微笑みで以て、己がマスターと仰ぐ、この場における最後の役者、シロウ・コトミネへと言葉を投げる。

 全人類の救済を──そのために自らの憎悪も、怒りも、喜びも悲しみも自らが抱いた全ての感情を裏切って、全てを救うと決めた聖者がこの光景に何を思うのか。それを観察するような問いであった。

 

 果たして、水を向けられたシロウは──。

 

「……ええ、そうですね。敵ながら天晴れという他にありません」

 

「──おや?」

 

「…………」

 

 返事は至って、平静な言葉であった。

 

 全てを救うために感情の全てを捨てたという何もかもを受け入れる穏やかな口調。即ち、いつも通りである、と余人ならば思うだろう。

 

 だが至高の舞台を紡ぐために“人”を観察し続け、並外れた観察眼を有する“赤”のキャスター、それから偏見なき瞳を有する“赤”のランサーは、シロウに生じた微かな変化を捉えていた。

 

「ふむ……つかぬ事を伺いますが、マスター、もしや喜んでおられるのですかな?」

 

「────え?」

 

 “赤”のキャスターの言葉は不意打ちだったのだろう。

 シロウは……両者以上に夢中になって投影される映像を眺めていた神父は驚いたようにして“赤”のキャスターの方へ顔を向ける。

 

「何故……私が喜んでいるように見えましたか?」

 

「さて──少なくとも吾輩の目にはそのように。“赤”のランサー殿はどう思いますかな?」

 

「確かに俺の目にも些か高揚しているようには見えたな」

 

 シロウが問えば二騎の英霊は解釈に若干の違いこそあるものの、神父が何らかの感情の揺らぎを起こしていると断じた。

 そして言われて気づく。彼らの言葉を否定するような反論が不思議と思い描けないことに。

 

「────」

 

 ──己が喜びを抱いている。

 それは否定するべき言葉だろう。

 

 シロウ神父──真名・天草四郎時貞。

 全ての人類の救済を掲げた彼は、嘗て地獄を見た。

 そして、その地獄に消えぬ憎悪と怒りを抱いた。

 

 だが、それでも文字通り全てを救うと決めた、決めてしまった。

 鋼の決意で己の感情の全てを裏切り、蓋をしたはずだ。

 

 全てを救うとは、自分が憎むべき相手も恨むべき相手も含めた全てを救うと言うこと。そのためには自己の感情など不要であり、邪魔なものでしかない。

 

 だから捨てた。

 聖者として、救世者として。

 全ての人類を救うための機構(システム)として、自己を捧げた。

 

 故に感情を抱くはずなどないのだ。

 憎しみも怒りも悲しみも、喜びすらも。

 もはや、この胸に宿るはずなど無い。

 

 なのに──何故。

 

「…………」

 

 再びシロウは投影される映像へと視線を向ける。

 

 ──この時代に再現されし北欧の神話。

 魔術師が辿り着いた極限の魔術。

 大敵が成した不可能の先の景色。

 

 煌々と燃える意志と、突き進まんとする不断の覚悟。

 道理を、秩序を──。

 個人の意志でねじ曲げてみせる様。

 

「──……ああ、成る程。そういうことですか」

 

 ふと、納得が訪れる。

 確かに喜びと言えば喜びとも言える。

 高揚というのも間違ってはいない。

 

 全てを救うために感情を捨てた、そんなシロウが何故、敵方の成した大業に感情を動かされたのか。この胸の高鳴りは何処から来るものなのかシロウはやっと自覚したのだ。つまるところシロウは──。

 

確信(・・)か」

 

 己の決意(・・・・)()間違っていなかった(・・・・・・・・・)と自らの選択に確信したのだ。

 

「キャスター、確かに私は少し興奮しているようです」

 

「と言いますと?」

 

「──私はこの願いに、全ての人類を救うという願望を叶えるためにあらゆる準備を重ねてきました」

 

 第三次聖杯戦争より六十年。

 大聖杯の奇跡を目の当たりにしてからシロウは文字通り全てを懸けて準備してきた。

 失われた大聖杯の行方を調査し、次なる聖杯戦争の予兆を気取り、共に戦うサーヴァントを選別し、必要なアーティファクトの収集を行い、あらゆる展開を考慮し、戦略と謀略を用意してきた。

 その旅程、決して短いモノでは無く、断じて優しいモノでは無かった。

 

 全てを救うために、あの日の地獄から持ち帰ってきた、ただ一つの願望を叶えるために。

 シロウは今日、この日ために何もかもを懸けて此処に立っている。

 

「それでも、自分に疑問があったのもまた事実。救うための手段の是非では無い。果たして私に──俺に地獄を覆すことが出来るのか」

 

 ……それでも、僅かに不安があったのも事実なのだ。

 

 果たして主は、世界は、この願望を許容するのか。

 いいや否、否、たとえ許容しなくても叶えると決めている。

 だが、それでも──。

 

 運命を、秩序を、己は覆すことが出来るのかどうか。

 

 ……あの地獄で何も出来ず、両の腕から零れ落ちた命。

 今度こそ、それら全てを救い上げることがオマエに出来るのか──と。

 

「ですが──たった今、その疑問が晴れました。……ええ、本当に、我が敵のお陰で俺の迷いは晴れた」

 

 何があっても突き進むという意志。

 何があっても願いを叶えるという決意。

 

 英霊や神霊と言った人外では無い。

 ただの人間が、多少力を持っただけの魔術師が。

 一族のため、未来のために、神話にすら手を届かせ、運命を、秩序を打倒したのだ。

 正しく奇跡であり、偉業である。

 

 才能に恵まれているのは間違いない。

 努力してきたのもそうだろう。

 積み重ねてきた準備も用意も、シロウに決して引けを取らない。

 

 だが、それよりも重要なのは──彼の、精神(こころ)

 必ず願いを叶えるのだという、圧倒的な熱量。

 シロウは、それにこそ確信を見いだしたのだ。

 

全ては心一つなり(・・・・・・・・)。そも迷いを、不安を抱えること自体が間違いだった」

 

 叶えられるかどうか、ではない。

 必ず叶えるのだ(・・・・・・・)

 

 天草四郎時貞。

 

 英霊となり、現世に舞い戻り、あの地獄を見て、自分自身をも裏切って。

 オマエは、何のために此処に立っているのか。

 

「全人類の救済を、そのために全てを懸けると誓った。ならば、それで十分だった」

 

 誓ったのなら、進むだけだ。

 顔を上げ前を向き、どのような難題だろうと難行だろうと突き進むのみ。

 運命も秩序も──主ですらも関係ない。

 

 たとえこの聖杯大戦に敗れ去り、消滅するという結末が待っていたとしても。

 関係ない、全く以て関係ない。

 願いは既に天草四郎時貞という英霊(きろく)に刻みつけられている。

 

 ならば次も、また次も。次も次も次も次も……。

 願いが結実するその日まで、ただ歩き続ければ良い。

 

「俺は勝つ。勝って全てを救う。人類を、争いの無い平和な世界に導いてみせる。この願いの正しさ、信じることに疑いは無い」

 

 瞳に煮えたぎる圧倒的な熱量。

 今を生きる人間に見せ付けられたことで聖者もまた動き出す。

 譲れぬ願いを有するのは彼も同じなのだから。

 

 その様子、謀略家としての殻を破り捨てて感情的に呟く様は変質に等しい。

 元より願いに対し、狂気にも似た意志を宿していたのは事実だ。

 しかし、拳を握りしめ、決意に燃える様子はまるで──。

 

「これはこれは……」

 

 ……元より主が感情的な人物であることを“赤”のキャスターは見抜いていた。

 稀代の劇作家、ウィリアム・シェイクスピア。

 戦う英霊という意味合いにおいて彼は無力に等しい存在だが、人間を観察し、その性質を見抜くことに関しては他の英霊を圧倒している。

 人を視て、人を理解し、人を語る。

 

 ペンこそが、彼にとって最強の武器なのだから。

 

 憎む者すら救うために己の感情を封じた少年。

 それが今、身に宿した狂気をそのままに感情的に語っている。

 聖者と言うよりも、戦士とも言うべき狂奔の兆しを見せている。

 

「片や世界全ての人々を救い上げるために。片や世界を覆すために。義と私、全と個、されど願いがために今ある世界を犠牲にしても構わないという決意は同じ──ふ、ふふ、ふはははは、ははははははははははは! これは面白い、面白くなる! 絶対に面白くなるに違いないッ!!」

 

 どちらが勝っても、どちらが願いを叶えても。

 今ある世界は間違いなく変わる。

 悲劇でも喜劇でも無い。

 

 今ある世界にとっての惨劇(グラン・ギニョール)の幕が上がる。

 

「いいぞ、いいぞ! 実に良い! 筋書きは在り来たりだが、結末が違う! 何にせよ、世界は変わる!」

 

 何事も劇的で無ければ面白くない。

 正義と正義、善と善。

 或いはそのせめぎ合いこそが天草四郎時貞という少年を取り巻くと考えていたが、これはそう、聖杯大戦なのだから。

 

 始めから番外の役者など不要だった。

 願いと願い、我と我、その激突こそが最も面白い脚本だったのだ!

 

「……ふむ、楽しそうだな。“赤”のキャスター」

 

「無論! 我が主が今より動き出すのです! これを楽しまずして何を楽しめというのか! 貴殿はどうかな? “赤”のランサー! 英霊カルナ殿! あの魔術師に、我らが敵に! 貴方は何を思うのか!」

 

 興奮をそのままに“赤”のキャスターは語りかける。

 だが“赤”のキャスターの態度とは対極に“赤”のランサーは何処までも平静だった。

 

「俺の目的は変わらない。聖杯を手にするため、マスターは俺を呼んだ。ならば俺は、その願いを汲んで戦い抜くのみ」

 

 その高潔なまでの精神。

 魔術師の奇跡を目にした上でも尚揺るがず。

 彼にとって重要なのは終始一貫してマスターであり、そのために槍を取る。

 

 例の魔術師が相手でも救済を掲げる神父が相手でも関係ない。

 マスターを無事、この戦から帰し、その願いを叶えること。

 ただそれのみである。

 

「ふむぅ、些か、つまらない結論ですな」

 

「元より俺はつまらない男だ、“赤”のキャスター。お前が俺に何を思い、期待しようとも、それはお前の物語でしか無い。紙の上で俺を語ることは構わないが、悪いがお前の描く筋書きに従うつもりは無い」

 

 やや不満げな“赤”のキャスターの態度も知らぬと“赤”のランサーは切って捨てる。

 彼にとって、己に命じることが出来るのはマスターであり、従うのはマスターなのだ。

 もはや戦線復帰が叶わぬと分かった上で尚、彼は正気無きマスターに忠を尽くす。

 

「ゆえに問おう、神父。お前はどうするつもりだ? 同陣営として、方針には引き続き従おう。だがお前の選択がマスターにとって意義の無いモノであれば、俺は俺として行動させてもらう」

 

 “赤”のランサーの瞳がシロウを捉える。

 彼は本気だ。

 たとえ、“赤”の陣営を牛耳るシロウと敵対することとなっても、主のためにならぬと判断すれば躊躇いなく全てを敵に回すことを選ぶだろう。

 

 高潔なる精神は狂気を前にしても泰然として揺らがず。

 如何なる陣営にも靡かぬ天秤(ジョーカー)として、在るが儘に振る舞い続ける。

 

 シロウとも、彼とも違う、意志力の具現。

 変わらない“赤”のランサーの態度に一種の頼もしさと恐ろしさを再認識しながら、シロウは苦笑を浮かべて返答を返す。

 

「三日。それで全ての準備を終了させ、再侵攻を行います。……恐らく次が決戦となるでしょう、“赤”のランサー。貴方には迎撃に動くであろう“黒”のサーヴァントへの対応をお願いします。誰を倒すか、誰を狙うのか、それについては全て貴方に一任します。どだい、決戦となれば貴方にとって私もまた競争相手になるでしょう、ですので……」

 

「承知した。“黒”の陣営が健在の間は、お前の方針に従おう」

 

「ありがとうございます」

 

 潜在的な敵になり得る、そう認識した上でシロウは頭を下げる。

 最終的に相容れぬと分かっていても今は味方同士。

 足並みを揃えてくれる事には礼を言わねばなるまい。

 

 シロウの礼に“赤”のランサーは腕を組み、瞑目している。

 これ以上、言葉を交わす理由は無いということだろう。

 

「三日、三日ですか」

 

「おや、キャスター。何か不満がありますか?」

 

「いいえまさか! 吾輩はマスターのサーヴァント! マスターの言うことには従いますとも! ですが件の彼はルーラーを相手にし、消耗しているご様子。吾輩は素人ですが、敵が弱っている今こそ、仕掛け時では無いかと考えますが」

 

 “赤”のキャスターの言葉にシロウが頷く。

 彼の忠義の言葉は全く信頼できないが、彼の疑問自体は答える必要があるものだろう。

 シロウは疑問に答えるべく口を開いた。

 

「確かに、あれほどの魔術を発動した直後ならば、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは相当に消耗しているでしょう。少なくとも、彼だけを倒すのであれば、今すぐ“赤”のランサーに協力していただき、仕掛ければ良い」

 

 チラリ、とシロウは沈黙する“赤”のランサーに視線を向ける。

 “赤”のランサーは口こそ開かぬものの片目を開き、視線に視線を返す。

 

 ……“黒”の陣営を打倒する目的においては従う。

 先の言に乗っ取るなら、命じれば征く、という意味だろう。

 シロウは頷いて言葉を続ける。

 

「ですが、此度の激突。大きく動きを見せたのはあくまでアルドル・プレストーン・ユグドミレニアただ一人です。“黒”のセイバーを始め、他にも幾人のマスターが動きを見せていましたが、“赤”の陣営並びにルーラーと激しく衝突したのは実質的に二騎。半数以下の戦力です」

 

 あらためて口にすれば、敵の戦力の強大さが分かる。

 ルーラーを相手に一魔術師でありながら討伐して見せたアルドル・プレストーン・ユグドミレニアに注目しやすいが、彼とは別に居合わせた“赤”の陣営勢力の三騎の英霊、そちらもまた“黒”のセイバーただ一騎にまとめて迎撃されてしまったのだ。

 

 こちらの戦闘でも些か妙な出来事が重なっていたが、恐らくはこちらもまた、かの魔術師の仕込みと見て間違いないだろう。実質、彼はたった一人で“赤”の陣営とルーラー双方を敵に回して見せたのだ。

 

 ユグドミレニア一族、最強の魔術師。

 その評価が揺らぐことはもはや無い。

 

「アルドル・プレストーン・ユグドミレニアは確かに強大な敵だ。しかし敵は彼だけでは無い。彼の後ろには無傷にも等しい四騎のサーヴァントが残っており、対して此方は無傷であるのはキャスターとランサーのみ。此処で下手に仕掛ければ、場合によっては向こうの反撃に遭う可能性が極めて高い」

 

「おお、言われてみれば確かに! いや失敬! 吾輩はすっかり他のサーヴァントやマスターについて忘れてしまっていたようで!」

 

「……まあ、アレを見てしまえば、貴方の気持ちは私も理解できますよ。話を戻しますが、仕掛けるにしても今のままでは逆にこちらが手を焼かれることになります。ですので三日。その期間でこちらの態勢を再度整え、決戦に臨みます」

 

 期間が空けば向こうもまた迎撃の態勢をより固めてくるだろう。

 時間が敵に回る以上、拙速は巧遅に勝る。

 “赤”のキャスターが言うように仕掛けは早いほうが良いが、だからと言って無理に仕掛ければ、今し方シロウが語ったとおりだ。

 故に三日、最短で態勢を整え、可能な限りの最速で仕掛ける。

 

「幸い、ルーラーのお陰でアルドル・プレストーン・ユグドミレニアの手札を見ることが出来た。まだ仕掛けを残しているにしても、概ね手の内は我々が見せられた通りでしょう。少なくとも今までのような予想外の一撃を受けてしまうことは無くなった」

 

「ははは! 今にして思えばマスターの暗殺未遂から此処までかなり一方的にやられていましたからな! 果たして如何なる原理か、彼はこちらの隙を確実に狙い撃ってきましたし、お陰で吾輩の徹夜の成果も完膚なきまでに粉砕されてしまった!」

 

「神話再現とは異なる、未だ謎めいた先読みですね。取りあえずは何らかの未来視と仮定しますが、由来の方は……まあ彼の片目が魔眼であり、アレほどに北欧神話の再現に長けていれば察することは出来ます」

 

 真実、北欧の大神が如き全知を有するならば、流石に手の施しようが無くなるが、これまでの行動から推測するにアルドルの先読みも万全では無い筈だ。

 少なくとも、そうであればシロウはまず最初の暗殺を辛くも生き残ることは無かっただろうし、最初の邂逅時点で、“赤”のランサーに紙一重で救われることも無かっただろう。

 

 何らかの未来を予測する能力を有しているのは間違いないが、万全では無い。

 それがシロウが下した結論だ。

 

「加えてルーラーを相手に彼は消耗している。如何に未来を見通し、神話を再現するほどの魔術師であっても、アレほどの戦の後では二、三日程度では快復しきることは不可能でしょう」

 

 或いはまだ何か用意を残していることも考えられるが、それについては考えても切りが無い話だ。アルドルという魔術師の詳細な全貌を把握するのは諦め、今ある情報から最善と思われる策を選ぶ。

 その割り切りこそが、この状況に求められるものだ。

 

「ですので、侵攻に関してはアルドル・プレストーン・ユグドミレニアのことは一先ず置き、ミレニア城塞の攻略を主眼に考えます。──図らずしてルーラーに助けられましたね。お陰で頭痛の種を減らすことが出来ました」

 

「ふぅむ、小娘という評価を改めるつもりはありませんが、少なくとも不要な役者ではありませんでしたな」

 

 ──あのルーラーは意図していなかった事だろうが、彼女の奮戦は“赤”の陣営に二つ(・・)の優位を齎してくれた。

 一つは今まで未知であったアルドル・プレストーン・ユグドミレニアという魔術師の情報。

 そしてもう一つは……シロウが用意した仕込みについて。

 

「私としては《これ》は鍵として活用するつもりだったのですが、予期せぬ拾いものでした。お陰で失った魔力は勿論、決戦分の魔力を得ることが出来た」

 

 そう言ってシロウはアルドルに切り飛ばされた筈の右腕。

 隻腕であったはずの腕を見下ろした。

 

「……魔力の供給源、魔術回路の強化、それに加えて霊格の向上。気取られないため詳しく精査はしませんでしたが、差し詰め魔術師としての機能を一族全体で向上させる。彼の願いは恐らくそういう方向性なのでしょうね」

 

「ははぁ! 成る程! しかし吾輩が言うのもアレですが、件の魔術師殿、彼は些か脇が甘いのでは? よもやマスターのことをユグドミレニア一族である(・・・・・・・・・・・・)と思っているわけではありますまい」

 

 そう言って“赤”のキャスターは愉快げにシロウの左腕……厳密にはそこに宿る深緑の輝きへと目を向ける。

 《これ》もまたアルドルの先読みが不完全であろう証明の一つ。

 少なくとも真に彼が全知見通す慧眼を有するのであれば、《これ》がシロウの手に渡ることを確実に防いでいたであろう。

 

「脇が甘い、というよりはこういう使い方を始めから想定していたのでしょう。魔術協会の秩序をひっくり返し、ユグドミレニアを繁栄させる。《これ》の使用用途が私の予想通りであれば、在野の魔術師や時計塔に不満を持つ魔術師をも引き込むでしょうから、変に縛りを設けることを嫌ったのでしょう」

 

「ほう、胸襟を開き、誰もが《それ》を使えることこそが魔術師殿の狙いであったということですな! はははは! ならば、これは中々皮肉が効いている話だ! 何せ彼が本来、想定していた使い方をよりにもよって敵方である我がマスターに利用されているのですから!」

 

 傑作だと言わんばかりに手を叩く“赤”のキャスター。

 その声を聞きながらシロウはゆっくりと踵を返し、歩き出す。

 

「確かに、皮肉な話です。ですが使えるものは何であれ、利用させてもらいます。全ては我が願いを叶えるために。さて──そろそろ頃合いですね。それでは準備を進めて参りましょう」

 

 口元にはいつもの底知れない微笑が浮かんでいる。

 迷いは晴れ、疑いは此処に散った。

 もはや進む足取りが止まることは無いだろう。

 

 命が停止するその瞬間まで聖者はただ見果てぬ理想を求め続ける。

 

「では、先んじて。まずは挨拶から始めましょうか」

 

 扉に手を掛ける。

 教会を閉ざしていた門が重々しく開き、光が差し込む。

 そして待たせていた客に向けてシロウは頭を下げる。

 

 まずはそう──何を始めるにしても挨拶だろう。

 

「ようこそ、当教会へ。こうしてお会いするのは初めてとなりますので、まずは自己紹介を。私はシロウ・コトミネ。この聖杯大戦の監督役にして、己が願いのために“赤”の陣営のマスターとして“黒”の陣営の打倒を目指す者です」

 

「──……聞いてた通りか。もう隠す理由も無いって事か。ま、いいさ──初めまして神父殿。俺は獅子劫乖離。“赤”のセイバーのマスターだ。さっそくで悪いが、色々と話を聞かせてくれよ」

 

「──もちろん」

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