千年樹に栄光を   作:アグナ

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断章・同好の師

 二つの足音が通路に響いている。一定の歩幅、一定の速度で紡がれる音は、しかし人物の性質を表すかのように異なる音色で紡がれていた。

 一方は気難しい性質を表すかのようにコツコツと硬質な音を。一方は控えめな性質を表すかのようにヒタヒタと静かな音を。

 

 実際、音の主を見るとその印象通りの見目を両者はしている。

 

 前者の足音の主はスーツ姿の男だ。

 顔立ちからして年齢は二十代か三十代だと思われる。

 百八十センチは越えるだろう長身と、積み重ねて来た苦労を忍ばせる眉間に寄った皺が特徴的な男だった。

 

 ──彼の名は、ロード・エルメロイⅡ世。

 

 名門、エルメロイ家にかつて在った天才、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが亡き後、没落するエルメロイ派を引き継ぎ、立て直して見せた男である。

 

 就任当時は形だけのロードと揶揄された男だが、今は『現代魔術科』という時計塔においては長年軽視されてきた教室の講師として壇上に立って教鞭を振るい、多数の優秀な生徒を送り出してきた実績も持っている。

 

 彼の教室は『エルメロイ教室』と呼ばれ、その卒業者の殆ど全てが優秀な研究成果を生み出していることから魔術社会の次なる時代を作る新世代(ニューエイジ)を引き連れる若き君主(ロード)として、他の派閥や君主(ロード)から警戒や好奇心を向けられている。

 

 正に底辺から天上にまで成り上がった男だが、此処まで来る苦労は並のものでは無かった事だろう。

 彼からにじみ出る年不相応の貫禄と渋みこそ、彼がこれまで積み上げてきた経験と苦労の何よりの証明であった。

 

 そしてもう一人、従者のように彼から一歩離れて続くのは小柄な少女だ。人見知りなのか、或いは人に見られるのを嫌っているのか、黒い衣装(ドレス)に身を包み、衣装の上から羽織ったマントに付属しているフードで自らの顔を深々と隠している。

 

 僅かに灰色のフードから覗く顔立ちは決して衆目に晒すのを嫌うような醜さは無く、寧ろ染み一つ無い白皙の肌に、少女らしい瑞々しい若さを残す端正な顔立ちは美少女と言って差し支えのないものだった。

 

 しかし顔を隠し、何処か自信なさげに俯くようにして歩く様には影が付き纏っており、少女をよく知らぬ者が見れば、不気味さや不吉さと言った印象を受けることだろう。

 

「……あの師匠」

 

「なんだ、グレイ」

 

 不意に少女の方が口を開く。

 第一印象の通り、控えめかつどちらかと言うと陰気(ネガティブ)な性質なのだろう。聞く者によっては聞き逃す囁きに近い声音だった。

 

 しかし呼ばれた側は慣れているのか、特に視線を向けることも無く歩調をそのままに少女──さながら灰被りといった風貌の少女(グレイ)に応える。

 

「今向かっているのは君主(ロード)同士の会議の場、なんですよね。その、拙も一緒に行って大丈夫なんでしょうか」

 

「会議と言っても公式なものではない。というより本来であれば君主(ロード)同士の会議などと大仰な事にも成らないはずだったんだがな」

 

「……本当は違う会議だったんですか?」

 

「ああ、本来であれば──現在ルーマニアのトゥリファスで行われている聖杯戦争、いや『聖杯大戦』の経過を確認する場であった」

 

「聖杯……戦争……!」

 

 グレイが驚くようにして顔を上げる。

 さも今日の天気を話すかのような何気なさで師は語ったが、対する少女の方は衝撃に打ちのめされていた。

 

 聖杯戦争。

 

 それはかつて日本は冬木の地で行われていた魔術儀式。

 七人の魔術師が七騎の英霊をそれぞれに駆り、あらゆる願望を叶えるという聖杯を巡って殺し合う、凄絶な魔術闘争である。

 

 今でこそ、その形式と術式が外に漏れ出たことで世界各地で亜種聖杯戦争なるものが行われるほどメジャーな儀式と成りつつあるが、件の冬木で行われていた頃は時計塔で極東というマイナーな土地で行われる儀式は知る人ぞ知るものであったという。

 

 だが、聖杯戦争という響きに少女が驚いたのはそんな儀式が行われていることに対してでは無い。

 他ならぬ自らが師匠と呼ぶ男の口からその単語が漏れたことにグレイは驚いたのだ。

 

 何故ならばロード・エルメロイⅡ世。本名をウェイバー・ベルベットという男は、件の聖杯戦争を原型とした亜種聖杯戦争と呼ばれる儀式にかつて参加し、生き残った人物であるからだ。

 加えて、男が『Ⅱ世』とエルメロイを継いだきっかけ……ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの死もまた亜種聖杯戦争がきっかけだったと聞く。

 

 そして何よりも、今の師の人物像を作るきっかけとなった出会い……生涯の戦友(とも)との出会いも亜種聖杯戦争だったという。

 

 ロード・エルメロイⅡ世という男にとって、聖杯戦争とは人生の転機とも言える経験だったのだ。それだけに彼が聖杯戦争を語ることには特別な意味が宿る。

 

 驚くグレイの様子を確認することも無く、視線も歩みも前に向けたまま師は語る。

 

「一から説明すると長くなるので割愛して語るが、現在トゥリファスで行われる聖杯戦争は、魔術一族ユグドミレニアが企画するものだ。当主ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアはかつて冬木で行われた本家本元の聖杯戦争、アインツベルンの聖杯を冬木の地より持ち出しており、それを使って今回の儀式を企画した」

 

 本家本元、アインツベルンの聖杯……それが意味する所は、亜種聖杯戦争のように願望器を景品として魔術師を集めて英霊召喚の行い、殺し合うだけのもの──ではなく、本来の聖杯戦争の目的、第三魔法到達を大願とする『大聖杯』を用いた本物の聖杯戦争ということだろう。

 

「従来の魔術師一人に対して英霊一騎の戦いでは無く、“黒”の陣営と“赤”の陣営。ユグドミレニア一族と時計塔が互いに七騎の英霊を召喚して殺し合うというチーム戦の様相を見せているため『聖杯大戦』と時計塔側では呼称している」

 

「聖杯、大戦……」

 

「ああ。ユグドミレニアはこの戦いでの勝利と聖杯という杯をシンボルとして時計塔に代わる新たなる組織として名乗り上げることを目的としているようだ」

 

 淡々と語る口調は事務的で、動揺したグレイとは対極にあくまで君主(ロード)としての仕事だと割り切っているようだった。

 それとも、思うところがあっても表情の下に隠しているのか、いずれにしてもグレイから見て、師はいつもと変わらない有り様だった。

 

「今回の会議はその中途報告……時計塔が送り込んでいる魔術師からの報告を確認する場であったのだが──情報の中に予期せぬものが混ざっていたため、結果的に面倒事がより大事になってしまったという話だ。会議の場が意図せず君主(ロード)同士の会合になってしまったという風に……君を連れてきたのもそれが理由だ」

 

「……他の君主(ロード)と戦いになるかも知れない、ということですか?」

 

 ぎゅっとグレイが両手を握りしめる。

 緊張で身体が硬くなっていくのを自覚する。

 

 師匠──ロード・エルメロイⅡ世が内弟子であるグレイを連れ出すときは大抵、荒事が発生する可能性が高い現場である場合だ。

 

 時計塔に十三人しかいない君主(ロード)の一人を名乗るエルメロイⅡ世であるが、その威名に対して彼の魔術師としての腕は高くない。

 

 彼は、その弁舌と度胸、魔術に対する深い理解、弟子たちの才能を見通す観察眼こそずば抜けているが、彼自身の魔術師としての腕前はせいぜい三流が良いところで戦闘に関してもほぼ全くと言って良いほど無力に等しい。

 

 そのため荒事が目に見えている場合は、特異な出生と特異な異能を秘めた少女グレイを連れ出すのが恒例となっている。

 彼女は内弟子兼ロード・エルメロイⅡ世の護衛でもあるのだ。

 

 彼自身に言わせれば弟子に頼るのはナンセンスとの事だが、自分の美学を通しながら生き残れるのは強者にのみ許された振る舞いである。

 時計塔という魑魅魍魎が日々政争を繰り広げる現実を前にしては、彼もまた渋い顔で弟子の助力を頼らざるをえないというのが現状だ。

 弟子であるグレイもそれを承知している。

 

 だからこそ、グレイを態々、会議の場に連れ出すと言うことは荒事の可能性が高いということだ。

 否が応でもグレイは緊張が高まってくるのを感じる。

 

 しかし、身構えるグレイに師は首を振った。

 

「いや、流石に戦闘が発生するとは考えがたい。外ならばいざ知らず此処は時計塔だからな。あったとしても牽制が一つや二つ応酬する程度だろう。君に同行を依頼したのはあくまで保険に過ぎんよ」

 

 言外に「だから、そう緊張するものでは無い」という窘めるような落ち着いた口調にグレイはほっと息を吐いた。

 とはいえ、荒事の可能性が低いとあっても今から出席するのは時計塔を代表する魔術師たちが一堂に会する場である。

 強張った身はある程度、解けても緊張しないというのはどだい無理な話だ。

 

 しかし、師の方はというと足取りにも口調にも緊張の色は見えなかった。

 

 きっと本人に言わせれば、もはや慣れたとでも言うのだろうが……他の君主(ロード)と争いになるかも知れない場に向かっているのに、全く気負いしない度胸の強さを見せる辺り、口では自分の事を三流だ何だとは言うが、何だかんだ君主(ロード)を名乗るに相応しい不遜さを師もまた持っていた。

 

「さて、着いたな」

 

 師の足音が止まり、少し遅れてグレイの歩みも止まる。

 時計塔に設けられた会議の場の一室。

 防諜の対策に結界が張られたこの場所こそ聖杯大戦に関する話し合いの場にして、師とは異なる君主(ロード)の一人が待ち受けているだろう場所である。

 

 緊張に一度だけ唾を飲みながら、何の躊躇いもなく扉を開けて中に入る師に続いてグレイも部屋へと入室した。

 

「おお、来たかロード・エルメロイ」

 

「Ⅱ世を付けていただきたい、ロッコ老。……どうやら我々が最後のようですね」

 

 入室すると同時、何処かほっとした様子で挨拶を投げてくるのは嗄れた声の矮躯な老人……幾度か師の付き添いであったことのある人物だ。

 グレイの記憶が確かならば時計塔の召喚科学部長を務めているロッコ・ベルフェバンという人物である。

 

 師匠であるエルメロイⅡ世とは何かと出会う機会が多いが、その師匠はあまり好いてはいなかったと記憶している。自らが積極的には動かないにも拘わらず、美味しいところだけを持っていくような立ち回りが師匠と相性が悪いのだろう。

 他の派閥や君主(ロード)たちのように、明確に相容れない政敵同士という訳では無いが、同時に味方というわけでも無いある種、利用し、利用されるような関係だ。

 

 だが、平時とは異なり師であるエルメロイⅡ世を見るや否や老爺はあからさまに安堵していた。その理由、時として探偵のように振る舞う師のように考察するまでも無く、グレイは理由にすぐ気がついた。

 

 部屋に先入していたのは三名。

 うちロッコ老を除く二人は、あからさまに殺気立っていた。

 いや、正確に言うのであれば片方が敵意を放ち、もう片方がそれを涼やかに受け流しているという対立の構図。師匠がグレイを連れ立つことにした争いごとの可能性……その原因の二人である。

 

「…………」

 

 無言のままにあからさまな敵意を向けているのは眉目秀麗な赤毛の髪を持つ青年。

 視線の鋭さからして生来、責任感の強い貴族にありがちな強い意志を持つ男なのだろう。師匠とは異なる威厳、生まれながらの上級者特有の気品と怖さを備えた若者だ。

 

 そして、もう一人は……。

 

「や、まさかこのような場で貴方に出会うことになるとはね。ははは、久しぶりですね。ロード・エルメロイⅡ世」

 

「……ええ。よもや聖杯大戦に拘わる場で貴方にお目に掛かるとは私も考えてはいませんでしたよ。カルマグリフ・メルアステア・ドリューク──いえ、ロード・メルアステア」

 

 

………

………………。

 

 

「──さて、我々とて暇ではありません。ましてやロード御両名については多忙の身であることを私も十分に承知しています。故に単刀直入に言いましょう。……一体どういうつもりで? ロード・メルアステア? 事と次第によっては時計塔に対する造反行為と判断せざるを得ませんが?」

 

 最後に入室してきたロード・エルメロイⅡ世とグレイが着席するなり、真っ先に口火を切ったのは無言のままにカルマグリフを睨み付けていた若者──ブラム・ヌァザレ・ソフィアリ。

 降霊科学部長ルフレウス・ヌァザレ・ユリフィスを父に持つ、次代の後継者であり、一級講師を務めている若者である。

 

 立場を重んじてか口調こそ丁寧であるものの、声音はひたすらに剣呑かつ敵意を秘めていた。あからさまな慇懃無礼。だが、それに対してカルマグリフ……ロード・メルアステアは本心が読み取れない困ったような微笑で穏やかに対応する。

 

「それは誤解ですよ、ミスター・ブラム。あの情報封鎖の件については、あくまで彼が僕の教室に出入りしていた頃までの話だ。知っての通り、彼は時計塔では考古学科(アステア)に所属していましたから、時計塔の魔術師として、共同研究者として魔術師個人の情報を守るのは当たり前の事です」

 

「その彼は、今や時計塔に剣を向ける裏切り者です。開戦時より我々時計塔がユグドミレニアとの対峙姿勢を見せていたのは貴方とてご存じであったでしょう。にも拘わらず我々が追求するまで知らぬ顔をしていたのは明確な裏切り行為ではありませんか」

 

「はははは、それについては申し訳ない。何分、考古学科(うち)は他の各部とは違い、細々としていますから。世間の情勢には疎いのです。それに、うちは聖杯大戦の件には関わりがありませんからね。情報を把握するのにも遅れてしまった。いやはや、かつて我々の教室に所属していた生徒から裏切り者が出てしまうとは、こちらとしても汗顔の至りです。ユグドミレニアからは今まで資金援助を受けることもあったものですから、まさかこのような事態になるとは考えもしませんでしたよ」

 

「……いけしゃあしゃあと、知らぬ存ぜぬで通るとお思いか。他ならぬアルドル・プレストーン・ユグドミレニアの共同研究者である貴方が」

 

()は何の関わりも無い他人ですよ。それに魔術師とは、時に親や子であっても情報を秘匿するもの。たかだか共同研究者であった程度で共犯扱いされても困りますよ。威厳が無くて申し訳ないが僕とてロードの一人。ひいては時計塔に在籍する一人だ。裏切られ、被害を受けたのは私も同じですよ」

 

 さながら検事といった様で追求するブラムだが、対するロード・メルアステアはまるで最近になってようやく把握できたのだと素知らぬような態度で追求を躱す。

 うだつの上がらない平凡な何処にでも居るような容貌の男、その印象に反して、語り口には頼りなさに偽装された老獪さが見え隠れしていた。

 

 ……グレイは後で聞いた話だが、時計塔の三大派閥である貴族派、民主派、中立派のうち、中立派に属する考古学科ひいてはメルアステアは元々、歴史的な権威こそあれ、時計塔内でも細々と運営されていた学科だったという。

 だが、彼、カルマグリフが君主の席に着いてから急速に勢力を伸ばし始めたらしい。

 

 それを証明するように、貴族派のエルメロイが担当していた鉱石科(キシュア)の教室を奪い、取り込んだのもカルマグリフの手腕が関わっているとも。如何に当時はケイネス・エルメロイ・アーチボルトの死で混乱していたとはいえ、教室の一つを他の君主(ロード)から奪う手腕は並では無い。

 

 雰囲気で油断しそうになるが、カルマグリフ・メルアステア・ドリュークは中立派のトップも兼任する君主(ロード)の一人。やはり平凡な人物では無いのだ。

 

「──失礼。まずは経緯をまとめましょう。この場は会議の場であって、誰かを弾劾する場では無いでしょう。各々思うことはあるでしょうが、まずは目の前の問題を話し合うことから始めましょう。聖杯大戦について──私の口から語らせていただきますが、よろしいですかな?」

 

 追求するブラム、のらりくらりと躱すカルマグリフにエルメロイⅡ世が割って入る。

 このまま話させても切りが無いと判断したのだろう。

 強引な介入だったが、流石のブラムも現ロードの提案を勢いではね除けるなどという愚かなマネは出来ずに追求の言葉を切り、カルマグリフの方もまた、

 

「ええ。僕も今回の件については未だ詳細な情報を知らないのですよ。お恥ずかしい話、完全に寝耳に水という奴で。他ならぬロード・エルメロイⅡ世の口から聞かせていただけるのであれば私としても願ってもない話だ。ふふふ、実は僕、貴方のファンなんですよ。貴方の活躍振りは我々、中立派の耳にも良く届いていましてね」

 

 終始一貫して我々は知らなかったのだ、という主張を通すつもりなのだろう。

 ブラムが眉をピクリと震わせたが、彼が何かを発言するよりも早く師が、エルメロイⅡ世がこれ以上言い争いの場を繋げないため、滑らかな口調で語り始める。

 

「──さて事情を知らぬ御仁も居合わせていますので、まずは前提の情報から簡単に。かつて冬木にて行われていた聖杯戦争。その儀式の根幹足る大聖杯を日本よりルーマニアに持ち出したユグドミレニアは一月ほど前、これを新たなる魔術組織の象徴と掲げながら時計塔へと宣戦布告。時計塔側はこれを誅するために速やかに現地へと執行者たちを派遣しました。ですが……」

 

「奴らは聖杯の儀式にて召喚した英霊を用いて、これを撃滅した。始まりの経緯じゃな」

 

「はい」

 

 エルメロイⅡ世の言葉にロッコ・ベルフェバンが追従する。

 師が口にする話はグレイがここまでの道中、断片的に聞いた情報の通りだ。

 

 英霊云々の下りは初耳だが、ユグドミレニアの当主が強奪した聖杯を利用して時計塔に戦争を挑んでいるということはグレイも何となく理解していた。

 

「我々時計塔も彼らに抗する形で彼らの執り行う聖杯大戦に参加者として参戦することを決定し、私とロッコ老がマスター候補の選定を行い、ブラム氏が英霊召喚に必要な触媒を選出し、時計塔陣営は通称“赤”の陣営としてユグドミレニア、ひいては“黒”の陣営と対決する姿勢を取ることになりました。……此処までは宜しいですか」

 

「ええ。その辺りの情報までならばこちらも把握してます。っと言っても急いで私の助手に調べさせた情報ですけどね。精々、講師のセンベルン氏も参戦していると聞いている程度で参加者や英霊の詳細までは把握していませんが……」

 

「構いません。……というより、その前提からして問題が発生したからこそこの場が設けられたわけですからね」

 

 そう言ってエルメロイⅡ世は一度言葉を切って嘆息する。

 ふと見れば、苦虫を潰したかのようにブラムもロッコも渋い顔をしている。

 

 どうやらこの場はその前提が崩れるイレギュラーが発生したからこそ設けられた場であるらしい、とグレイもまた事情を察した。

 

「──現在、ルーマニアで行われている聖杯大戦で発生した大きなトラブルは二つに分けられます。一つは“赤”の陣営……我々側に属する六人の魔術師たちの陣営であるこれが、一人を除いて聖堂教会から遣わされた監督役によって乗っ取られてしまった、というものです」

 

「ほう、聖堂教会からの監督役が。そちらの話は初耳です、確かに大変なトラブルですね」

 

 何処か他人ごとのように、本心の見えない曖昧な微笑を浮かべながらカルマグリフが言う。

 随分と暢気な驚き方ではあったが、彼の言葉自体にはグレイも内心同調する。

 

 聖堂教会とは、言わば魔術教会と対する形で世界の裏側を牛耳るもう一つの組織である。直接的にぶつかるような事は現代においては早々ないものの、潜在的に敵対関係にある両組織は暗闘や政争という形で何かと衝突する機会も多い。

 

 監督役という役目はよく分からないが、そんな組織の人間がよりにもよって時計塔から直接遣わされた魔術師たちの陣営を乗っ取るというのは組織間の事情に疎いグレイでも大変な事態だというのが分かる。

 

「その件について聖堂教会からの報告はどうなっているんですか?」

 

 ロッコ・ベルフェバンを見ながら不意にブラムが口を開く。

 聖堂教会から裏切り者が出た以上、時計塔に対して何らかの連絡があっても不思議では無い。そうで無くとも件の裏切り者が行った行動は、間違いなく明確な時計塔への敵対行動だ。

 宣戦布告と受け取られても仕方が無いほどの逸脱である。

 ともすれば、これを契機に両陣営が全面戦争に陥ってもおかしくないほどの事態なのだから。

 

 果たして、問われたロッコはと言えば吐き捨てるように聖堂教会からの伝達を言葉にした。

 

「フン、どうやら連中も今回の騒動に泡を食っているようでな。親族に連絡を取ったようじゃが、知らぬ存ぜぬと言う話じゃ。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「……騒動を存外に連中も重く見たらしい。件の神父との手切れと此度の聖杯大戦から手を引くような意向が本国からも出ているとも聞く」

 

「それは……本国というとまさか枢機卿クラスが……? 流石にそれは……」

 

 ロッコの報告にそれまで不機嫌そうにしていたブラムが困惑するような表情を浮かべる。

 何やら驚くべき事態のようだが、時勢に疎いグレイではそれがどれ程の事態なのかは分からなかった。

 だが……。

 

“……?”

 

 それよりも印象に残ったのは師匠が厳しい表情で一瞬カルマグリフに目を向けたことだ。一瞬の出来事だったのでグレイ以外は気づかなかったようだが、師匠は確かにカルマグリフへと目を向け、対するカルマグリフは少しだけ愉快そうにしていたように見えた。

 

 ロード同士による刹那のやり取り。

 しかしそれも始めから無かったことのように、淡々とエルメロイⅡ世は続けて二つ目のトラブルを口にする。

 

「神父の件も気になりますが、トラブルはもう一つ。既にこの場の御仁らは把握しておられるようですが、我々が敵対するユグドミレニア……かの一族に属するアルドル・プレストーン・ユグドミレニアについてです」

 

 エルメロイⅡ世の口からその名が紡がれた瞬間、ブラムが睨み付けるようにしてカルマグリフに視線を送り、その視線を受け流すようにカルマグリフが肩を竦めた。

 ……どうやら先の諍いの原因は件のアルドル・プレストーン・ユグドミレニアに端を発するものだったらしい。

 

 ユグドミレニア、と言うからには聖杯大戦を取り仕切るユグドミレニアに属する魔術師なのだろう。グレイはその名を聞くのは初めての筈だが、不意に記憶に掠めるものがあり小首を傾げる。

 

“アルドル……アルドル……確か、一度だけ何処かで……”

 

 記憶の底を探り、思い出す。

 ユグドミレニアという家名を聞くのは確かに初めてであったが、以前『エルメロイ教室』でアルドルという名を聞いた覚えがある。

 『エルメロイ教室』に属する生徒の一人にして自身をメルアステア派のスパイだと公言する少女イヴェット・L・レーマンが何かの機会に師との会話の中で話していたはずだ。

 

“昔、イヴェットさんのお父さんが魔眼蒐集列車(レール・ツェッペリン)のオークションで負けたって言ってた相手も確かアルドルって言う人だったような……”

 

 何でも珍しい魔眼を巡って競り合った相手なんだとか。その時はイヴェットではなくその父がオークションに参加していたらしいが、下手なロードの家を凌ぐほどの大金を向こうが提示したため、負けてしまったのだとか何とか。

 イヴェットからしても興味があったモノだったらしくメルアステアを通じて、幾度か交渉をしたもののあっさりと蹴られてしまったのだと師匠に愚痴っているのを耳にしたことがある。

 

 件の話を加味するとカルマグリフがこの場にいる以上、イヴェットの言っていたアルドルは、ユグドミレニアのアルドルと同一人物である可能性が高いだろう。

 内心でそんな考察を立てるグレイを傍目にエルメロイⅡ世は話を続ける。

 

「……元々、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアという風変わりな魔術師の噂は私も耳にしたことがあります。時計塔在籍時には世界各地で行われる遺跡探索の任務に積極的に参加すると魔術探求に重きを置く魔術師らしい振る舞いをする一方、在野に下ってからは亜種聖杯戦争を始めとした多くの闘争に参加。その過程で魔術協会に限らず聖堂教会とも事を構える姿勢を見せる狂犬的な魔術師であるとか」

 

「在籍時の評判は今ほどに有名で無かったはずですが、今にして思えばユグドミレニア一族の中枢を担う魔術師だからこそ意図して牙を隠していたとも考えられますね。その辺りの事情は貴方の方が詳しいのでは? ロード・メルアステア? 一時期彼に発令されかけた封印指定に口を挟んだのは貴方であると聞いていますが」

 

「はは、そのような事もありましたね。まあ弁明させていただくのなら、あの時は考古学科で進めていたプロジェクトに彼も参加していたので、余計な横やりを入れられてプロジェクトが停止するのを避けたかったのですよ。それに彼の封印指定に関して否を示したのは、アニムスフィアも同じ事。私だけの責任にされるのは少々、穿った見方だと思いますね」

 

「……貴方は」

 

「──過去のいざこざは後日、御両名で話し合っていただくとして、今は聖杯大戦の話を続けさせてもらっても?」

 

 派閥争い的な側面もあるのだろうが、単に人物として相性が悪いのか再びブラムとカルマグリフが言い合いになりそうになったところに強引にエルメロイⅡ世が割って入る。

 師の顔をよく見ると眉間の皺が増えているので、若干ウンザリとしているなとグレイは思った。

 

「フン……そうですね、失礼しました。ロード・エルメロイⅡ世」

 

 明らかに不本意そうにブラムは口を閉ざし、カルマグリフの方は無言で黙礼し先を促す。

 エルメロイⅡ世は小さくため息を吐くと件の二つ目のトラブルを口にした。

 

「先日、ルーマニア方面の霊脈及び魔術式の発現を観測する天文台から大規模な魔力波長の変動・変質現象が確認された。恐らくは固有結界の類いだと推測されるが、問題は……」

 

「真エーテル、並びに小規模ながらも時空変動までも確認された事じゃな。端的に言えば超々小規模かつ局所的な神代回帰。魔法クラスの、時計塔でも未知の魔術式だったこと、だの」

 

 重い沈黙が会議の場に落ちる。

 知らずグレイも場に満ちる重圧に息を飲んだ。

 

 固有結界、真エーテル、神代回帰……。

 何れも師であるエルメロイⅡ世の講義で耳にした事がある単語だ。

 

 だが魔術世界でも禁忌中の禁忌、使える者など殆ど居ないという大魔術たる固有結界に加え、真エーテルも神代回帰も殆ど机上の空論とされるものである。

 確かにルーマニアで行われているのが、英霊を現代に呼び出す大儀式なのを加味すれば、著名な魔術師の英霊か何かがそういったことを行えるとしても不思議では無いだろう。

 

 しかし此処までの話の流れを聞くに、恐らくそうでは無いからこそ大問題なのだろう。

 

「……念のため、時計塔に残された彼の研究サンプルや魔力残滓を照合しましたが、まず間違いなく、件の魔術を行使したのはアルドル・プレストーン・ユグドミレニアに間違いはありません。つまるところ、彼は英霊の寄る辺なくして、魔法クラスの魔術行使を可能とする魔術師であるということです」

 

「全く……ただでさえ既に神父の件で此方は頭が痛いというのに、ユグドミレニア側にも厄介ごとがあるとはの。事と次第によってはそれこそ執行者たちを総動員して対応する必要があるじゃろうて」

 

 単にアルドルという魔術師がユグドミレニア側に属する優秀な魔術師というのであれば分かりやすかった。ただ敵として聖杯大戦にて打ち倒すだけの存在で済んだだろう。

 だが、身に宿す神秘がそれほどまでだというならば話は変わってくる。

 

 その稀少な神秘、みすみすただ敵として潰して良いものか、いやそもそも既存の戦力で打倒できるのか、事と次第によっては時計塔も傍観者では居られなくなる。

 何せ彼の属するユグドミレニアは魔術協会にとって変わろうと旗揚げした逆賊である。

 

 万が一にそれ程の魔術師が属する組織がこの戦いに勝利した場合、何が起こるか全く分からない。下手をすれば本当に彼らの下剋上が成功する可能性だって出てくるのだ。

 

「その上で率直に尋ねましょう、此度の件。どのように対応するべきか」

 

 エルメロイⅡ世の言葉にブラムもロッコも重い沈黙を返す。

 ……事はあくまでユグドミレニアという愚かな魔術一族を時計塔が叩き潰す、ただそれだけの話であった。だが、聖杯大戦の枠を逸脱し、事態が此処までに変化するとなると話はもはや聖杯大戦という言ってしまえば内々の話題では済まなくなる。

 

 ブラムにしても、ロッコにしても、彼らは時計塔を左右するほどに高い身分にいる存在では無い。だからこそ……。

 

「私としては貴方の意見を聞いてみたいものですね、ロード・エルメロイⅡ世。貴方はこの状況をどう見て、どう評価するのか」

 

「……ロード・メルアステア」

 

 時計塔を統べる頂点(ロード)たちの前にこそ、天秤は置かれていた。

 ……道中、師匠が君主(ロード)同士の会議の場だと言っていたのはこういうことだったのだろう。

 聖杯大戦の儀の関係者として、時計塔の方向を左右できる君主として、ロード・エルメロイⅡ世とロード・カルマグリフはこの場に相対しているのだ。

 

「一つだけ、お聞かせ願いたいことがある。ロード・メルアステア」

 

「何でしょう? 僕にお答えできることでしたらお答えしますよ」

 

「では……」

 

 真正面からカルマグリフの目を見据え、ロード・エルメロイⅡ世が問いを投げる。

 

「貴方から見て、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアはどのような人物に見えましたか」

 

「……魔術師では無く、人物と来ましたか」

 

 その質問が何かの琴線に触れたのか、カルマグリフが愉快そうに笑う。

 彼は「そうですね」と額をトントンと指で叩き、

 

「真面目で魔術探求に関して一際情熱を燃やす性格でしたよ。物事を常に多面的に眺め、あらゆる可能性を考察し、あらゆる事態を想定する。そうですね、性格は私とは全く異なりますが、私から見て彼は……強いて言うなら──同好の士、でしょうかね。彼の神秘に誠実に向き合う姿勢には好感を覚えますよ」

 

「────…………なるほど」

 

 カルマグリフの言葉を聞いてエルメロイⅡ世は瞑目し、静かにただその一言だけを漏らす。

 そして隣に控えるグレイだけが聞き取れるほど小さな声で。

 

「……間に合わんな」

 

 呻き声のように、諦めの言葉を口にした。

 

 

 

 

 ──結局、聖杯大戦への時計塔の対応は傍観となった。

 決定打はやはりロード・エルメロイⅡ世が事態が既に推移している以上、今から“赤”の陣営に増援を出すにしても今から戦力をかき集めるのでは聖杯大戦中に間に合わせることはできない。

 よって、寧ろどのような事態が起こったとしても対応できるよう、事後に備えるべきと言う事で話は固まった。

 

 聖杯大戦の対処の中心に坐す君主(ロード)の発言にロッコやブラムが口を挟めるはずも無く、ロード・メルアステアも同意を示したことから、そのような対応となった。

 

 カルマグリフに隔意のあるブラムはこの決定に些か不服そうにしていたが、流石に彼も君主(ロード)二人の決定に待ったを挟めるほど強気では居られなかったらしい。

 

 話し合いの結論はこれまで通り、静観ということに留まることとなった──。

 

「──僕からも一つだけ、質問させてもらいたい」

 

 ただ別れ際、グレイの印象に残っている出来事があった。

 時計塔の通路で師匠──ロード・エルメロイⅡ世がカルマグリフに呼び止められたのだ。

 

「ロード・エルメロイⅡ世。貴方は現状の魔術社会をどう思いますか?」

 

「……ふむ、また抽象的な質問ですな」

 

「ええ。まあ、そうですね」

 

 エルメロイⅡ世の言葉にカルマグリフが苦笑する。

 次いで意図を説明するように、或いは誰かに対して独白するように。

 カルマグリフは言葉を紡いだ。

 

「──冬木の聖杯戦争が世界に流出してから半世紀。今や亜種聖杯戦争という儀式は世界各地で巻き起こっています。当然、それによる被害は少なくなく、多発する戦いに多くの魔術師が倒れ、今や時計塔でも人材難は激しい。いいえ、人材に限らず召喚に際して必要な触媒、戦いに用いられる魔術、呪術、秘術、聖遺物──これが世界から急速に失われている」

 

「……確かに。この調子ならば衰退著しい魔術は何れ、神秘の希薄化を待たずして後継の不在を以て、終止符を打つことになるでしょう」

 

「そう──混沌の現状がこのまま続けば、数多ある神秘の数々をただの手段として浪費することとなる。今が続けば、魔術社会のあらゆる資源、資産が失われ、いずれ全てが破綻するのは目に見えています」

 

「──それがメルアステアの方針ですか」

 

「いいえ、僕の考えですよ。ロード・エルメロイⅡ世。僕は古きものに最大の価値を与えることを存在意義としているんです。ですから神秘をただ浪費するよりも、最大限、活かせるモノであれば別に何でも構わないんですよ。ははは、何せ──中立派ですからね」

 

「なるほど──質問に言葉を返しましょう。()の自分であったならば、それも良しとしたでしょう。けれど、彼方にこそ栄えあり──挑むのであれば私は自らの意志と足で征きたいと思っています」

 

「……く、ははは、それはそれは。『現代魔術科』のロードらしいお言葉だ」

 

 ……聖杯大戦の傍らで起きた二人の君主(ロード)の話はそれで終わり。

 或いはいずれ何処かでその道が交錯するやも知れないが……。

 

 それはまた外典とは異なる、冒険の話である。 

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