千年樹に栄光を   作:アグナ

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幹を伸ばし続けた千年樹は遂に真なる黄金を生み出した。
次なる千年紀を向かえるため、執念は情熱へと代わる。

野望の嚆矢が、希望の光を齎したのだ。


千年黄金樹 Ⅰ

 昏く苛烈な──夢を見た。

 

「此処は──」

 

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 時計塔に刃を向けた八十年を生きる“黒”の陣営の長は、ふと気づけば見知らぬ場所に立っていた。

 

 どうやらミレニア城塞の王の間のような、何処ぞの城に立っているらしい。

 広間を見渡せば、百人は入れそうな広大な空間と権威を証明するかのように豪奢な衣装が彩っている。

 ……だが、それらは全て薄汚れていた。

 

 最低限の手入れはされているようだが、それだけだ。床に敷かれた真紅のカーペットも、壁に掲げられたタペストリーも、経年劣化や積み重なった埃でくすんでいる。

 これではせっかくの豪奢な造りも台無しだ。

 貴種の血を引く者がこんなものを見せられた暁には、きっと、この無様を鼻で笑っていることだろう。

 最低限の手入れも出来ないのかと。垣間見える貧者の気配に、他の何よりも権威を重視する貴種たちは此処を居城とするものを下に見る。

 

 ダーニックとて、そうだ。

 部屋を彩る調度品、権力(チカラ)を示す美術品・宝飾品の数々、()する家の歴史を示す風格……招待された部屋から先ず始まる水面下の駆け引きは不合格も甚だしい。

 この様では熾烈な貴族間を生き残れまい、と呆れて嘆息してしまう。

 

「…………」

 

 ──しかし、ダーニックは嘲笑(わら)わない。

 いいや、嘲笑(わら)えない。

 

 その空間に満ちているのは王たる者が座するに相応しい圧倒的な威圧感。

 調度品の経年劣化も、部屋に積もった埃の数々も。

 

 それらが全て、これまでの過酷な環境を生き残ってきたことの証明だと、重々しい沈黙が主張していたからであり、何よりも──。

 

「────」

 

 王座に座るその者が、全ての汚れを権威に塗り替える程の絶対的な王威に満ちていたからである。

 

 その王が身に纏っているのは権力者や貴ぶ者が身につける豪勢な衣装などでは無かった。

 下級兵士が身につけていても違和感は無い傷と泥に汚された無骨な鎧。

 王はそれを正装のように身に纏っている。

 

 腰まで伸びきった婆娑羅髪。

 手入れのされていない無精髭。

 病的に白い肌の色。

 

 そして──薄闇に輝く、血走ったかのような真紅の凶眼。

 

 場所が違えば浮浪者と見紛う容姿だが、一目見て鍛え抜かれた肉体を見れば、そんな印象は一瞬で掻き消える。

 歴戦の武人。研ぎ澄まされた刃のような気配がそれを証明してた。

 

「そうか、これは──」

 

 ダーニックが納得したように頷く。

 つい先刻。

 来たる次なる決戦に備え、私室で軽く休んでいたはずのダーニックが何故こんな所にいるのか、微睡みから気づけば、このような状況に陥っているのか。

 

 何てことは無い。

 これは夢──しかし、ただの夢では無い。

 英霊と、マスター。

 

 その関係性が生み出す、無意識下での記憶の共有。

 すなわちは──。

 

「──知れ、我が領土を侵さんとする侵攻者たちよ! 地獄の具現こそ、貴様らの不徳の報いに相応しい!」

 

「──ランサーの夢か」

 

 血塗られた君主の、過去である。

 

 

 

 ──ヴラド三世。或いはヴラド・ツェペシュ。

 それは現代におけるルーマニア、ワラキア公国の支配者である。

 

 彼の名と逸話と言えば、始めに想起されるのはドラキュラの字だろう。

 

 アイルランドが生んだ作家ブラム・ストーカーが物語に登場する、人の血を吸って生きる不老不死の怪物吸血鬼ドラキュラ。

 その元となった人物であると。

 

 そして、次に想うのは、かの作家がヴラド三世を作中に採用するに至った血の逸話。数千人にも及ぶ人々を串刺しにして見せ付けた悪名高い串刺し公(カズィクル・ベイ)の話。

 

 残虐、冷酷、恐怖に支配──。

 彼をよく知らぬ者が表層だけの情報を浚えば暴君と呼称するだろう逸話の数々。

 

 だが、ルーマニアの地においては英雄と称えられていた。

 ……物事は、見る角度によって色も形も変わる。

 ヴラド三世という英雄を捉えるのであれば、まずは彼と、その周囲を取り巻く環境の方を理解しなくては始まらないのだ。

 

 当時のルーマニア……いいや、バルカン半島全域は一つの脅威に晒されていた。

 オスマン帝国。

 かつて世界全てを席巻した大帝国、ローマを飲み下す、中東からアフリカ、欧州と次々に勢力圏を拡大し、最盛期の最大版図は地中海世界の過半数を飲む込んだ大帝国である。

 

 十字教支配が主流である欧州においては、異教を崇拝するこの帝国の発展は衝撃と脅威を齎しめ、当時の世界列強も中東から生まれ出でた大帝国に対して警戒の目を鋭くさせていた。

 

 しかし──大帝国の前に抗う力を保有する世界列強らと異なり、小国の国々は野心燃える大帝国を前にただ貪り食われるのみだった。

 『ヴァルナの戦い』にて大帝国の支配を拒絶するワラキア含むバルカン半島の諸侯連合が敗走すると、バルカン半島の十字教国家は次々に支配され、為す術も無く、帝国への臣従を余儀なくされる。

 

 ヴラド三世の故国、ワラキアも例外では無い。

 支配の証明として、幼き日のヴラド三世、その弟のラドゥは帝国へと抑留され、実質的にワラキア公国に対する人質とされた。

 

 ──周囲全てを“敵”に囲まれた不遇なる幼年期。

 それが彼の心中に如何なる想いを積もらせたのか──。

 覚悟、怒り、王族に名を連ねる者としての使命感……。

 

 理不尽な外圧によって故郷を好き放題にされる屈辱。

 

 

 

「余は、必ず……必ず、我が故郷を、あの侵略者たちから取り戻す……!」

 

「…………」

 

 ───無意識に、ダーニックは自分の両手を握りしめていた。

 

 

 

 ヴラド三世がワラキアに帰国したのは、その数年後。

 きっかけは──父ヴラド二世と兄であるミルチャの暗殺。

 指示したのはオスマン帝国への臣従を良しとするような方針を取るヴラド二世を恨んでいたハンガリーの英雄フニャディ・ヤーノシュであったとも。

 

 真実はどうあれ、ヴラド三世とその弟、ラドゥは念願叶って故国への帰国を見る。無論、それは単にオスマン帝国が親の死を憐れんで慈悲を見せたわけでは無い。

 

 オスマン帝国の支配をより強めるための布石。

 オスマン帝国のために教育された王族を国に返し、帝国の傀儡となる王を生み出すための一手であった。

 

 当然、当事者たるヴラド三世もそんな思惑は承知している。

 実際にハンガリーの英雄フニャディ・ヤーノシュはヴラド三世を、当初はヴラド二世と同じオスマン帝国に与する存在として疎み、代わりとなる君主を支持して、新たなワラキア公へと据える手を打っていた。

 

 だが──そんなことはどうでもいい。

 

 どのような事情であれ、国に帰れる。

 それさえ叶えばヴラド三世はどうでも良かった。

 

 何故なら帰国の叶うこれまでオスマン帝国に臣従する態度を見せていたのも、表面上は従う振る舞いをしてきたのも、全ては胸に秘めた牙を隠すため。

 

 帝国から──故国を取り戻す。

 

 その決意があればこそ、いつ暗殺されるか分からない立場の恐怖にも耐え、密かに牙を研ぎ澄ませてこられたのだ。

 

 自国に帰り、王として国を纏め上げ、帝国を打倒する。

 そんな決意を胸に、自国に帰ったヴラド三世が見たものは──。

 

 

『おお! よくぞお戻りになられました王よ!』

 

『これからは我らが貴方をお支えいたします!』

 

『我らと共に、帝国の名の下に(・・・・・・・)この国を支えましょうぞ!』

 

 ……そう言って、笑顔で国を売ることを良しとする腐りきった貴族たちだった。

 

 

「……………………何だ、コレは?」

 

 

 ……彼のように面従腹背の精神で、表向きは帝国に仕えているならば良かった。

 反感を心に隠し、屈辱を噛み殺しながら帝国に従ってるだけなら許せた。

 

 

「…………────何だ、コレは?」

 

 

 彼らは──肥え太っていた。

 帝国の支配に苦しむ臣民を背に酒池肉林を楽しみ、大いに栄えていた。

 貴族たる者の責務を忘れ、享楽に耽っていた。

 

 

「────────何だ、コレは?」

 

 

 苦しんでなんかいなかった。

 悲しんでなんかいなかった。

 

 帝国から自国を取り戻そう────そんなこと欠片も考えていなかった。

 

 国を売って、民を売って。

 彼らは──豚のように肥え太っていた。

 

 

「────何なのだッ! コレはッ!!」

 

 その胸に抱いた憤激。

 もはや語ることすら出来ない。

 

 怒りがあった、憎悪があった。

 自分たちだけが繁栄できればそれでいいと。

 厚顔無恥な権力者たちに壮絶な嫌悪を抱いた。

 

 元より熱心な信仰者でもあり、ある種の潔癖性を求める性質(たち)なのもあったが、それを置いて尚、この無様だけは許容できなかった。

 

 笑顔を浮かべながら語り寄る貴族たちが、ヴラド三世にはもはや、同じ人間にすら見えなかった。

 故に──。

 

「領主たちよ、お前たちはこれまで何人の君主に仕えてきた?」

 

 豪勢な食事が彩る食卓にて、ヴラド三世が問う。

 すると、誇らしげに貴族たちは自らが仕えてきた様々な王について語った。

 

 恥じるどころか喧伝するように。

 忠義など名ばかりのものだと恥知らずに示した。

 

 その言葉を聞いたヴラド三世は頷き、

 

「お前たちのような奴らが国を滅ぼすのだ」

 

 貴族を名乗る豚共に、強制労働を命じて叩き出した。

 

 

「欲に溺れ、尊厳を嗤い、欺瞞すら無自覚となった、恥知らず共! 貴様らのような輩をオレ(・・)は許さん!!」

 

「全ての不義、全ての不正をオレは断じる! そして全ての腐敗を排し、必ずや故国を……我が国をあの帝国より取り戻す!」

 

「もはや誰にも何にも頼るまい──徹頭徹尾、(みなごろし)である!」

 

 

 かくして冷酷にして冷血。

 残虐無情な君主が此処に完成したのだ。

 

 

「────」

 

 

 その人生、映画のように傍観するダーニックは気づけば同調していた。

 

 ……頂きを目指して、若き野望と希望を胸に歩いていた。

 

 それを嫉妬に駆られて誹謗中傷を囀り、足を引いてくる卑怯者たち。

 火の無い煙に惑わされ、自分を足蹴にする裏切り者たち。

 偽りの風聞に貶められていく、己の家名と後に続くだろう子々孫々。

 

 忘れられるはずなどない。

 許せるはずなどありはしない。

 

 そう、何に変えても、何としてでも。

 失ったもの、理不尽にも奪われたものは取り戻さなければならない。

 

 

「……そうだ、そうだとも。そのために、足掻いた。そのために、根を伸ばしてきた」

 

 

 根を張り、伸ばす。

 密やかに、着実と。

 

 怒りと憎悪と屈辱を噛み殺し、いつか必ず栄光を取り戻すために。

 血を、名を、人を、魔術を、取り込んで、伸ばして。

 

 純血を捨ててまで、目指してきたのだ。

 

 一族の繁栄を。

 そして我ら(ユグドミレニア)を貶めた時計塔に、復讐を遂げるために。

 

 

「誰に頼らずとも、何に頼らずとも……私は、何としても……!」

 

 

 

「大丈夫ですか? 兄上(・・)?」

 

 

 

 ──不意に、穏やかな声音が耳を打つ。

 

「ラドゥか」

 

 景色が変わる、場所が変わる。

 いつの間にか──血染めの君主は、優しげな顔をしていた。

 

「────」

 

 不格好な笑顔だった。

 笑うことを忘れた者が、笑顔を見せようとする。

 そんな不出来な表情。

 

 されど、そこには心安らぐ平和な刻が流れていた。

 

 君主は孤独だった。けれど彼は決して、一人でも無かった。

 ヴラド三世。

 冷血なる国王が一時、その仮面を外せる相手。

 

 家族にして弟であるラドゥ三世。

 眉目秀麗にして懸命なる彼と過ごす一時こそ、王にとって刹那の安らぎであり、

 

「ダーニック」

 

 それは魔術師たる彼にも、覚えのある──。

 

 

………

………………。

 

 

 ──コンコンコン。

 

 私室の扉を叩く、その音で。

 ダーニックは目を覚ました。

 

 ……どうやら少し、微睡んでしまっていたようだ。

 

「…………」

 

 意識を切り捨てる。先ほどまでの出来事を忘却する。

 それ(・・)はいらない。一時の世迷い言は今はただ切り捨てる。

 

 仮面を被る。

 

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 彼はユグドミレニアの長にして。

 時計塔に復讐を誓った魔術師なのだから。

 

 下らない感傷を、彼は持たないのだから。

 

「──誰だ」

 

「私だ、アルドルだ。少し話したいことが出来たので尋ねた…………休んでいたか?」

 

「いや、問題ない。少し考え事をしていただけだ。入ってくれ」

 

「……そうか、ならば失礼する」

 

 ……扉が開く。

 そこに立っていたのは見慣れた青年だった。

 

 決意に満ちた蒼鋼(メタルブルー)の瞳。

 何処かダーニックに少しだけ似た、それでいて抜き身の刃物のような鋭さがある端正な顔立ち。

 貴種であることを証明するように、自然に威を連れる立ち振る舞い。

 

 ──千年樹が生み出した後継者(黄金)がそこに立っていた。

 

「……む──何かあったか? ダーニック?」

 

 入室して早々、鉄面皮の顔が訝しげに歪む。

 ダーニックの顔を見た青年は不思議そうに問いかけた。

 

「……いや、何でも無い。それよりもどうした? こんな時間に。態々、お前が私の部屋を尋ねるとは珍しい。……何か不測の事態でも起きたか?」

 

 誤魔化すようにダーニックは首を振って、訪問の理由を聞き返す。

 ……少し寝ぼけていただけだ。

 大事の前に、緊張で僅かに疲れが顔を見せただけだ。

 

 だから、何という事も無い。

 

「ふむ……そうか、それならば良い。それで用件だが……ん」

 

「……どうした?」

 

 青年が珍しく……というより初めて見るような表情をしていた。

 言葉に迷い、逡巡し、何かを躊躇っている。

 

 驚いた──青年が、甥がこういう顔をするなどとダーニックには思いも寄らなかったからだ。

 

 不断にして不屈。

 如何なる難行をも押し通るような鋼のような男。

 決して迷わず、躊躇わず、ユグドミレニア一族にて唯一。

 

 栄光への渇望(想い)を共有できる我が血縁。

 そんな男が、よもやこのような表情を浮かべるなど──。

 

「──……何があった? アルドル」

 

 ダーニックの声音に案ずる色が混ざる。

 よもや本当に、彼にとって不測の事態が起きたとでも──。

 

「んん……いや、そうだな……不測の事態、と言えば語弊があるな。こういう状況に陥る予測自体は私にも立っていた。だから、そうだな。うん、まあ、アレだ……」

 

 ──本当に珍しく。

 アルドルは言葉を迷いながら。

 やがて観念するように何かを諦めながら。

 

 

「大事な話がある。……少し、付き合ってくれないか?」

 

 

 そう言って、肩を竦めながら小さく微笑した。

 

 

 ──ああ、そういえば……と。

 不意にダーニックは先ほどまでの夢を思い出す。

 

 ヴラド三世の弟。

 ラドゥ三世、或いはラドゥ美男公。

 

 彼は後の歴史において、反オスマン帝国の旗手として守護のために立ち上がった兄とは異なり、帝国との協調を主張する地方貴族の支持を背に、ヴラド三世の宿敵足る存在メフメト二世のワラキア侵攻に随伴するのであったな、と。

 

 

 

 

「クソ……!」

 

 自室に戻るなり、カウレスは着替えもせず備え付けのベッドに飛び込む。

 思い返すのは一族最強の魔術師にして一族の次期当主の言葉。

 義兄と尊敬するアルドルの言葉だ。

 

『──この聖杯戦争こそが、私に残された最後の時間だ──』

 

「チクショウ……!」

 

 訳の分からない悔しさにも似た感情で歯を噛みしめる。

 これまで黙っていられたことも。

 ここまでに気づけなかったことにも。

 

 天を呪いたいような悔しさと不安が行き場無く胸に募っていた。

 そして何よりも……。

 

「……こんなの、どうしろっていうんだよ」

 

 あの犬(・・・)が亡くなった過去(とき)のように、能面のような無表情(ぜつぼう)を浮かべる姉の表情(かお)が忘れられない。

 

 

『端的に言って、アルドルはもうどうしようも無いの』

 

 

 悪戯を明かすように。

 不信と疑惑を向ける姉弟(きょうだい)少女(ルクス)は軽やかに、二人には重すぎる真実を語った。

 

 

『元々、寿命を削るように、一瞬で燃え尽きる花火のような無茶を重ねてきた彼だけど七回目の亜種聖杯戦争は致命的だった。──大英雄(アヴェンジャー)との遭遇戦から始まって、円卓の騎士に、エジプトの太陽王と死の聖母……同盟を組んでた若き日の大帝はともかく、集った相手は力を出し渋って勝てるような相手じゃ無かったの』

 

『本気で戦って、全力以上を引っ張って、未来(じゅみょう)を削って勝ち残っていった。でも、最後の相手だけはダメ(・・)だった。だって彼にしても予想外の出来事だったんですもの。色んな可能性を想定していた彼だけど……抑止力(ゲームマスター)まで敵になるなんて想定外だったのよ』

 

『当然よね。だって彼、重度の物語オタクだもの。真作、余分、夢の続きは当然、前夜も外典も偽物も探索も読み込んでいて、月だって、空だって、夜だって事件だって見てきてる。そんな人だから素人の筋書きだってキチンと読み込んでいたわ。だから……そうなるまで自分もご都合主義の産物だって考えていて当然でしょ? まさか例外は常に存在するって突きつけられるなんて、まさに想定外も想定外』

 

 少女の言葉は理解不能だった。

 少女の言葉は意味不明だった。

 

 まるで違う世界の言語を紡ぐように。

 一方的に少女は真実を語る。

 

 その全容、二人は把握できずとも──。

 アルドルが致命的に手遅れなのだと否応なしに突きつけられる。

 

『だから彼は予定をぜーんぶ前倒しにした。破滅も全滅も許容して正義の味方に挑戦した。そして……勝ちきった代わりに、これからの全てを台無しにした。持っていた過去なんて全部燃やしちゃって、外も内も傷だらけ。オマケに名前は神様にあげちゃったんだから残ったのはちょっとの時間とぶっ飛んだ自前の情熱だけ』

 

『あそこに立っているのは、そんな馬鹿な人の夢の残滓。憧れた舞台で好きなようにやりたいように振る舞える、ちょっとしたボーナスステージ。夜が明ければ無人になる刹那限りの舞踏会』

 

『助けるには遅すぎて、引っ張り戻すなら手遅れで、止めるにしても彼はきっと、その善意()を払う──何しろ生まれる前から覚悟が出来てるんですもの』

 

 よって──。

 

『手遅れよ──アルドル・プレストーン・ユグドミレニアに、未来は無い』

 

 恐怖も怒りも悲しみも無く。

 光の可能性(ルクス)自らの末路(アルドル)を口にした。

 

 

「…………クソ」

 

 要領の得ない言葉の数々。

 だが、怪しげな少女の言葉を義兄は当然のように肯定した。

 

 未来()はないと。

 これまでカウレスたちが当然のように思っていた未来()を否定した。

 

 ──なんでこうなった。なんでこうなる?

 

 グルグルと向ける相手のいない疑問が思考を巡る。

 その一方で──冷めた魔術師観(思考)が答え合わせをする。

 

 ──昔から知っていただろう? 義兄はとことんやる(・・)人だって。

 

 カウレスたちの両親も匙を投げた姉の両脚の治療を手伝ってくれた時も。

 ダーニックを除く一族の誰もが半ば諦めていた一族再興の野望も。

 

 義兄は、いつも眩しいほどに前だけを見ていた。

 

 努力するのは当然で、前を向くのは当たり前。

 迷いも疑問も抱きはせず、ただ全力で、成すべき事を成す。

 例え一人であっても、孤高であっても関係ない。

 

 全ては──一族に栄光を齎すために。

 

 魔術師らしく(人間らしく)狂っていた(願っていた)

 

 何処かで、思っていた。

 

 ──まあ、こういうことも、あるだろう──。

 

「だから…………!」

 

 気づかぬ振りをして、見なかったことにしたのはお前だ。

 なんでこうなったか、などと、そんな疑問。

 抱くまでもなく──。

 

 カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 

 《光》に目を眩まして、そこに生じた影を見ようとしなかった。

 否、気づかぬ振りをしたお前の──。

 

 

 

『“斯くも正しき聖君、理想の王聖、我が誇り、我が憎悪、我が主、我が呪い……忌々しくも眩き光──故に我は……”』

 

 

 

 ブツンと、雑に投影機の電源を落とすように。

 気づけばカウレスは闇に立っていた。

 

「な──何だ!? これ……!!」

 

 驚きに身を竦ませようと反射的に反応して──。

 ──己の身体の自由がきかないことに気づく。

 

 息が苦しい、身体が鉛のように重い。

 泥の中を藻掻くようにカウレスは身を捩ろうとする。

 

 暗闇──その中で妖しく光る赤い眼光の黒騎士。

 

「お前──は……ガッ!」

 

 騎士の両腕がカウレスの首に伸びる。

 万力のように首を圧迫する両腕。

 苦悶の表情で朦朧とするカウレスの意識に一方的な狂気が叩きつけられる。

 

『“我は──疎まれし者”』

 

 ──嘲られし者──蔑まれし者。

 

 我が名は賛歌に値せず、我が身は羨望に値せず──。

 

 我は憎悪する──我は怨嗟する──。

 

「……ぐ……ぁ……ぅ……!」

 

 ざあざあとノイズ混じりの映像(イメージ)が脳内に奔る。

 霞む視界に映るのは見覚えの無い光景と見覚えの無い人物。

 

『“あの貴影こそが我が恥辱──その誉れが不朽であるが故、我もまた永久に貶められる──”』

 

 ────輝ける、《光》を見た。

 

 携えるは星の聖剣。聖なる刃の柄を握る玲瓏たる若武者の姿。

 見るが良い。かの背中こそ理想の具現。

 誉れ高き円卓を統べる騎士たちの頂点。

 

 かの者こそ──。

 

『“貴様は贄だ──”』

 

「……ぁ……が……ぎ……!」

 

 黒騎士が呪う。黒騎士が絶叫する。

 狂える者──“黒”の狂戦士は己がマスターを締め上げる。

 抵抗など出来ない、する術が無い。

 

 為す術も無くカウレスはそのまま闇に飲まれる──。

 

『寄こせ──貴様の命を、貴様の血肉を──。

 我が憎しみを駆動させ』

 

 

「はい、そこまで。何処ぞの拗らせたオジさんはともかく。ボクの同盟者の所の若い子を捕まえて見当違いの憎悪を向けるのは許さないよ。神様(ボク)的に」

 

 

 再び景色が、一変した。

 

 

「がっ……は──げほげほッ……う、ぐう……生きてる、のか」

 

 締め上げられていた気道に新鮮な空気が流れ込み噎せ返る。

 悪夢から覚めるように闇は晴れ、カウレスは自由を取り戻していた。

 

「さっきのは……バーサーカー……英霊の夢って奴か?」

 

 ──ということは恐らく、悩みまくった結果、寝落ちでもしたのだろうか。

 何というか我がことながら情けない。

 

「じゃあ此処は──」

 

 一息ついて、顔を上げる。

 

 ──夢から覚めたのなら自室だろう。

 

 そう思って顔を上げ、視界に飛び込んできたのは。

 

 

「──偽りを書き記した北欧の伝説を真実に変える。以て大神の真の後継として損なわれし古の予言を現実に起こす。──これが私が貴方に捧げられる最大限の敬意だ。どうか、我が願いに応えて欲しい偉大なる我らが北欧の祖■■■■よ」

 

 そう言って見覚えのある人影が最上級の敬意を瞳に浮かべながら真っ向から何かに告げる。

 青年の持ち得る全ての言葉を聞き終えた何かは苦笑するように問う。

 

『うん。その条件ならば聞いてあげても良いよ。元より君に至った《起源》はどうやらボクより生じたものみたいだし、だとするならば本来はあり得ない、この邂逅に至る運命はボクが手繰り寄せた責任だと言えなくも無い。君が自棄を起こして人理を無茶苦茶にするという可能性を考慮すれば、無茶振りを戒めるためにも君が提示する世界にとって最良の妥協点(ソフトランディング)に乗って上げても良い』

 

 けれど──と憂慮するように何かは困ったような表情を浮かべ。

 

『良いのかい? それ。好き勝手に振る舞う、と言うのであれば君には別の道も用意されているはずだろう。第二の生を自由に生きる。その選択肢だってあったはずだ。責任とか一族のあれやこれやとかほっぽり出して純粋な気持ちでこの世界を生きることだって出来ただろうに。何故そうしない? 好きなんだろう? この世界』

 

「好きだとも。……だからこそ我慢できずには居られない。せっかくの晴れ舞台だ。どうせなら、運命を変えてみたい」

 

『……やれやれ、何て言うか思ってたより純粋というか、子供っぽいんだな、君。それにだいぶ愚か者だ。願いのために神の贄になるなんて。馬鹿者と罵倒されても文句は言えないと思うぜ。それに一族のためを思うなら酷い裏切りだ』

 

「全く返す言葉はないな。全面的に肯定しよう。その上で、()は止まるつもりは無い。そのように生きてみたいと、誓ってしまったのでな」

 

『馬鹿者、愚か者、酔狂者……けれど残念なことに嫌いになれないんだな。そういう気質。ボク達って結構、情に生きてる神格だからね。父上とか、結局どっかの竜殺しと愛娘の婚約を何だかんだ認めちゃったし、孫娘の心配してヴァイキングの王様に試練とか与えちゃうし、人理の安定とか言いながらちょいちょいそっちに干渉しちゃってるんだよね。──だからボクもそれに倣ってしまおう』

 

「では……」

 

『良いよ、その条件なら力を貸そう。せっかくの舞台だ。存分にやってみなよ。我が化身(アバター)

 

「言われるまでも無い──だが、承知。その神託、確かに請け負った」

 

 

「────」

 

 分からない(エラー)分からない(エラー)分からない(エラー)分からない(エラー)

 

 絶景に、意識が凍る。

 絶佳に、正気が消える。

 

 英霊、宝具、聖杯──規格外の神秘を目の当たりにしてきた。

 だが、これは無い(・・)

 信じられない、あり得ない、こんなこと、在って良いはずが無い。

 

 《(奇跡)》が顕現()った。

 《(希望)》が顕現()った。

 

 あまりにも美しく、あまりにも(おそ)ろしく、

 あまりにも眩く、あまりにも尊ぶべき……。

 

 《()》が顕現()た。

 

「────」

 

 知らず、頬を伝う涙。

 膝が屈する、頭を垂れる。

 

 これを前に真っ正面から望める人間など存在するまい。

 誰もが畏敬に顔を伏せるしかない。

 

 その威容を目の当たりにしながら。

 

 

 ──青年は、堂々と立っていた。

 

 

 畏れを抱いていないわけではない。

 感動に揺らいでいないわけではない。

 

 ただ覚悟があった。想像すら及ばない。

 壮絶なる覚悟があった。

 

 だから折れもしないし屈しない。

 

 我と彼は対等である。

 対等の関係として相対している。

 

 それを証明するためだけに神の威光を決意で以て捻じ伏せていた。

 

 

「違う」

 

 

 これは──あの人の過去だ。

 経緯は知らない、理由は分からない。

 けれど状況だけは理解した。

 

 これは、かつてのあの人の記憶。

 何処かであった、一幕。

 

 この聖杯大戦に臨むために、あの人が示した覚悟の証明。

 

 

「違う」

 

 

 全てを捧げた、と少女は言った。

 成る程、確かにこの光景こそ何よりの解答だ。

 

 全てを捧げて、全てを懸けて。

 あの人は、この戦いに挑んでいたのだ。

 

 

「違いすぎる」

 

 

 温かった。何もかもが温かった。

 決意も覚悟も恐怖も展望も──この戦いに挑む意志も。

 

 きっと、かの者の決意に比べればダーニックすら霞む。

 

 

「俺たちとは……俺なんかとは全然……!」

 

 

 命を懸けて戦いに挑む。

 この言葉の……何と軽い決意であることか。

 

 これに比べれば自分のそれは遊び感覚に等しい。

 義兄の覚悟に気づかぬふりをして、

 何の望みも展望もなく、流されるように戦いに参加して、

 

 ──悲しむ姉の表情(かお)を横目に、呆然と突っ立っているだけ。

 

 

「俺は──ッ!!」

 

 

 己の情けなさに死にたくなる。

 このまま、消えて亡くなりたいと、そう思って──。

 

 

「おいおい、そっちに流れるか。まあ確かに、彼は少々強火に過ぎる。気持ちは分かるけど例外は例外だ。基準にするものじゃ無いよ」

 

 

 ──後ろ向きの願望(ぜつぼう)から引き戻すように。

 優しく、誰かの声が耳朶を打つ。

 

 

「そいつの覚悟はそいつのものだ。胸に秘めた想いに強きも弱きもありはしないよ。比較するもんじゃないだろ、そういうのは。大体、わざわざお節介を焼いたのは君を絶望させるためじゃないぜ」

 

 

 困ったように、何かが笑う。

 迷える羊を導く先導者のように。

 

 何かは諭すように声を掛けた。

 

 

「──彼はこうして覚悟を示した。文字通り、命を燃やしてこの戦いに挑むことにした。なら、君はどうする? どうしたい? このまま傍観する? それとも要らない善意を焼いてみるかい? 止めはしないぜ、どう転ぶにせよボクは構わない。彼曰く、ボクは一族(きみたち)主神(かみさま)だからね。差別はしない」

 

 

 件の同盟者が聞けば、頭を抱えるかも知れない。

 余計な問題を増やすなと弾劾するかも知れない。

 

 けれど関係ない。

 何故ならば、(カミ)(ヒト)は対等なのだから。

 

 

「──それとも或いは、ついて行くっていう選択肢もあるかもだぜ?」

 

「──ついて行くって……義兄(にい)さんに……?」

 

「──違うよ、そうじゃないだろう? 君にとって一番大事なのは彼じゃ無い」

 

 

 ──神託が下る。

 お人好しを名乗る何かはカウレスを優しげに眼差しを向け、

 

 

「行ってあげなよ。家族のことは家族が一番分かっているだろ? 行きたい道が特にないなら、行きたい道があるけれど行けない人に付いて行ってあげなさい。たとえ結末が変えられなかったとしても少しでも幸せ(ハッピー)な方が終わり(エンド)の救いはあるだろう」

 

 

………

………………。

 

 

 ──目が覚める。

 何か、途方もない邂逅をした気がする。

 

「…………」

 

 頬を伝っていた涙の後を拭う。

 抱いていた葛藤も、悔しさも、何もかもを忘却する。

 

 両の頬を思いっきり両手で叩く。

 

「………………痛ってぇ」

 

 痛い。普通に痛い。

 ならばこれは現実だろう。現実で間違いない。

 自分の部屋で、自分の現実だ。

 夢からは覚醒した。

 さっきまでのことは取りあえず忘れた。

 

「……そうだな…ウダウダ悩んでても仕方ない」

 

 元よりド三流の魔術師。

 色々考えたところで、そもそも出来ることは限られている。

 なら限られている範囲で頑張るしか無い。

 

 そして──自分が出来る範囲は、今も昔も分かりやすい。

 

「良し……行くか」

 

 ──一人で車椅子の車輪を回すのは、きっと疲れるから。

 後ろを支えて、押して一緒に行ってあげないと。

 

 困った時は支え合うのだ。

 だって──姉弟(きょうだい)なんだから。

 

「姉ちゃんに、会いに行こう」

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