千年樹に栄光を   作:アグナ

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かくして小鳥は羽ばたく/救済の証左

 ミレニア城塞──王の間。

 中天に太陽が輝く真昼の平和。

 戦を忘れて二日目となるトゥリファスの午後にて謁見は行われた。

 

「──というわけで、以後のユグドミレニア当主は私が務める事となりました。それに伴い、大戦における指揮系統の頭も私に委譲されることとなりますが、ダーニックのサーヴァントとして何か異論はありますか、“黒”のランサー」

 

「いいや、無いとも。余はこの地の領主であり、王であるが、ユグドミレニアの当主を務めるは他ならぬダーニック・プレストーン・ユグドミレニア、我がマスターである。そのマスター自身が決めたことならば、余が口を出す理由も道理もあるまい」

 

「では、そのように……と言っても方針の変更も戦術の指定も特にないのですが。こちらはあくまで守戦、このミレニア城塞にて“赤”の陣営を待ち構え、迎撃する。当主が代わったからといって陣営の方針に変更はありません」

 

「相分かった。元より領土を侵さんとする蛮族を迎撃する戦には慣れている。来たる決戦、“赤”の陣営はそこで悉く処断するとしよう」

 

 玉座に座る“黒”のランサーはそう言って獰猛に笑った。

 此度の戦いにおいては武人よりも王者としての気質が色濃く出た英霊として現世に呼び出されてはいるが、ヴラド三世がヴラド三世であることに変わりは無い。

 

 強敵に対する武人としての昂ぶり、支配者としての冷酷さ。

 王としての決定の下、“黒”のランサーは蛮族と呼ぶ“赤”の陣営を討ち果たすと宣誓した。

 

「感謝いたします」

 

 それに礼を告げ、恭しく頭を下げるアルドル。

 流れるような所作に無駄は無く、過度すぎず、しかして確かな敬意を魅せる礼。

 貴種としての隙の無い立ち回りを見て不意に“黒”のランサーが感心したように息を漏らす。

 

「ほう、ダーニックよりも手慣れているな。その若さでよく心得ている。流石は我がマスターが後継者と定めた男なだけはある」

 

「む、そうでしょうか?」

 

「こと目上に対する立ち振る舞いに関してはな。……我がマスターは当主としての責務があったからだろう。一族を導くものとして彼奴は王に対する礼を払う一方で反骨心とも言える気配がどうしてもにじみ出ていた。その点、貴様にはそういったものがない。純粋に“価値”を認めたものに対して敬意を払える柔軟さが感じられる」

 

「……流石。見抜かれておいででしたか」

 

 その言葉にアルドルは思わず苦笑する。

 『八枚舌』と呼ばれ、卓越した辣腕を振るうダーニックではあるが、過去を生きた本物の王者が相手では心根を完全に伏せることは難しかったらしい。

 

「当然だろう。余は王であるが、この世にサーヴァントとして呼び出された立場もまた心得ておる。ならば己がマスターの考えもある程度、理解しているものよ」

 

「成る程。百戦錬磨、海千山千の政治家たる叔父上殿ですが、貴方相手では些か分が悪そうだ」

 

「ふふふ、あの男も相当な修羅場を潜っているようだが、文字通り年季が違うのでな。一つの国を率いたものとして、手練手管で負けるわけにはいくまいよ」

 

「強きを示すは剣のみに非ず、ということですか。護国の鬼将は多芸で有らせられる」

 

「不本意ながら、そうでなければ守れぬものが多かったのでな」

 

 言いながら“黒”のランサーは笑みとも悔いとも取れるなんとも複雑な表情をする。

 彼は自らが王者であることは自覚しているが、同時にサーヴァント……過去の幻想に過ぎない存在だ。

 だからこそ、もう終わったことに対しては諦観とも言える感情を持っているのだろう。

 

 同調とまでは行かぬものの、アルドルもまた命廻って此処に在る者。

 その複雑な感情に内心で理解を示した。

 

「しかし……ふむ……あのマスターが後継者を示したか」

 

「は、それがどうかなさいましたか?」

 

「いや、何、つまらぬ感傷よ」

 

 首を傾げるアルドルを一瞥しながら“黒”のランサーは目を細める。

 その表情は何処か、年老いた老爺のように優しげだとアルドルは思った。

 

「────そうか、あの男は余を越えたか」

 

「は?」

 

「うむ。忘れよ、ただの負け惜しみよ──精々励むが良い、千年樹の後継者よ。此度の戦の勝利を以て、あの男の目が間違いなかったことを証明してみせよ」

 

「無論、ユグドミレニアの夢に続く者として必ずや勝利を掴み取ってみせましょう」

 

 アルドルの言葉に満足したように頷くと、玉座から影が消える。

 どうやら謁見はこれにて終わりということだろう。

 

 霊体化した“黒”のランサーを見送って、軽く息を吐きながらアルドルは暫し、考え込む。

 

「……“黒”のランサーなりの叔父上への激励と捉えるべきかな。そこの所、どう思う? アサシン」

 

 視線をやるでもなく、柱の陰に隠れているだろう影にアルドルは声を掛けた。間を置かず気配も無く立っていた影は何処か楽しそうに言う。

 

「さあ? 残念ながら私は王様になったことも人の上に立ったこともないですからねー。ただサーヴァントというものは大なり小なりマスターに対して色々と想っているものですから、きっとランサーさんもそうだったということでしょう」

 

「君もかな」

 

「ご想像にお任せします」

 

 そう言って満面の笑みを浮かべる“黒”のアサシンにアルドルは肩を竦める。

 さながらお手上げだとも言いたげな反応だった。

 

「……ともあれ、これで私も晴れて当主か。まあ、短い王位だろうが期待通り努めは果たさせて貰うとしよう」

 

「責任重大ですねー」

 

「他人ごとな反応だな」

 

「実際、責任云々に関しては他人ごとですし。まあでも、貴方の夢には最後までお付き合いいたしますよ、マスターさん」

 

「……十分だ」

 

 “黒”のアサシンの言葉にアルドルは噛みしめるように言葉を紡ぐ。

 ……言うべき言葉、示すべき決意は全て晒した。

 ならば後は駆け抜けるのみだろう。

 

 残された時間は僅かなれど、願いに手を掛けるまでにはあと一歩。

 此処まで来た、という感慨と此処からだ、という緊張が同時にある。

 

 あらゆる意味で終わりを自覚してアルドルはそっと笑みを浮かべる。

 

「長かった──長かったが、ようやくだな」

 

「…………」

 

 思えば遠く遠く──夢のような旅であった。

 

 自らが得られぬと思っていた“資格(物語)”を手にして、目的の為に遮二無二駆け回り、文字通り知力と死力を尽くして己の出来る全てを行って来た。

 遠回りだった時もあったし、見当違いの徒労を重ねることもあった。それでもようやく望みに望んだ最終局面にまで持ち込むことが出来た。

 

 “黒”の陣営と“赤”の陣営。

 筋書きを此処まで書き換えた以上、希望に満ちた落着は無い。

 千年の悲願か、救済の夢か。

 どのような結末にせよ、世界は変わり未来は変わる。

 

「いや、どちらの夢も叶わず相打ちに終わるという結末も未だに無きにしも非ずか。些か興ざめな結末だが、それも一つの終わりなら、まあ良かろう」

 

 終わりを受け入れる準備は出来ている。

 悟りを得た賢者のような心持ちで沈黙する。

 

 ──後悔はない。

 未練はあれど駆け抜ける準備は出来ている。

 躊躇いなく残された時間を使い切る用意は出来ている。

 

 だからこそ、“もしも”そのような結末に落ち着くのであれば。

 

「……やはり来たか」

 

 確信したようにアルドルが呟く。

 同時に柱の陰にあったはずの“黒”のアサシンが霊体化し、王の間に続く扉が開く音がした。

 

 アルドルは振り返らない。振り返るまでもない。

 王の間に一人佇む青年の背後から車輪が軋む音がする。

 程なくして、青年の背中に声が掛かった。

 

「──お話があります、少しだけ、お時間をいただけますか。アルドル」

 

「構わない。少しと言わず、満足いくまで付き合うとも」

 

 言葉に応じながらアルドルは振り向く。

 ──予想通り、そこには緊張を浮かべた幼馴染みの顔があった。

 

 

………

………………。

 

 

 風が緑の絨毯を波のように揺らす。

 聖杯大戦の前線拠点、ミレニア城塞の中庭には決戦前というのが嘘のような穏やかな時間が流れていた。

 やや肌寒い空気と暖かな日差し。

 まさしく平和な午睡の時間を楽しむように、人工と自然が調和した箱庭を二人の男女が散歩する。

 車椅子を押す青年と車椅子に座る女性。

 

 アルドルとフィオレは穏やかな刻を歩く。

 

「──こうして過ごすのも懐かしい。まだ十年も経ってはいない過去なのに遙か昔の出来事のようだ。散歩というのは我らの年頃だと中々に老成した逢瀬(デート)だが、私達らしいというべきかな」

 

「デッ……!? こほん……そ、そうですね。私もこうしてゆっくり話すのは久しぶりなように感じます」

 

 何気なく言い放たれたアルドルの言葉にフィオレは違う意味での緊張と動揺をする。

 

 良くも悪くもアルドルは、感性をそのまま恥ずかしげも無く口にする悪癖がある。周囲から時に天然とも取られるその悪癖をフィオレは勿論知っているが、だからといって慣れるものではない。

 特にフィオレのように箱入りに育てられた娘にとって、彼のような振る舞いは場所と雰囲気によっては劇薬にも等しい効果があった。

 

 とはいえ、今日は後で後悔したくなりそうな優しい青春をしに来たわけではない。己の決意と意思を伝えるために会いに来たのだ。

 残念ながら彼に言わせる所の逢瀬を楽しむためではないのだ。

 

「…………」

 

 木製の車椅子が軋む。カラカラと音を立てて車輪が回る。

 

 交わす言葉の無い沈黙。

 小鳥の囀りと風の音が沈黙を和らげるが、それでも心臓が刻む痛いほどの鼓動と緊張に震える呼吸は誤魔化せない。

 心に決めたこととはいえ、実際に当人を前にしてみれば、早々言葉は紡げない。嫌われるかも知れない、煙たがられるかも知れない。

 

 何よりも大切な人を敵に回すのが恐ろしい。

 恐怖心が少女の意志を挫きに掛かる。

 

「──そういえば、昔。庭で話したな。もしも君の足が治ったならば、という話を」

 

 不意に硬直するフィオレを窘めるようにアルドルの言葉が掛かる。

 フィオレが振り返って見上げると幼馴染みは視線を虚空に向けたまま、過去を懐かしむように一人、言葉を紡いでいた。

 

「遙かは英国から極東まで、魔導探索紀行だったとはいえ、私はおおよそあらゆる地域に訪れ、旅をした。その話を君はいつも楽しそうに聞いていたな。食事、風土、文化、それこそ魔術とは何ら関わりの無いことまで。そして、こうも言っていた。自分もいつかは、世界を見て回る旅がしたいと」

 

「……そう、でしたね」

 

 ピクリとも動かない自らの両脚。

 それを優しく撫でるように触りながらアルドルの独り言にフィオレは応じる。

 

「今となっては“もしも”の話です。もしもこの足が動いたならば、地を踏みしめて歩き回ることが出来たならば、それはどんなに素敵で素晴らしいことで、自由であることなのかと、何度も思いました。貴方から話を聞くたびにそれを強く思った」

 

 ──かつて自由を求めた原動力はそれだった。

 自由に地を駆ける。

 この城に備えられた箱庭でも良い。

 何でも無いような街中でも良い。

 見知らぬ大地でも、過酷な山脈でも、何処までも続く荒野でも、何でも。

 

 ただ己の意志で地を踏みしめ、己の意志で道を往く。

 その選択があったならばどんなに自由で素晴らしいことなのかと。

 幾度となく空想した。

 

「でも、それは叶いませんでした。……いいえ、違いますね。結局私は怖かったのでしょうね。自由になることが。自らの意志と自らの選択で、誰でも無い、自分の責任で道を歩くのが怖かった。だから諦めてしまったのです」

 

「……逃げた、か。──苦痛を嫌うのは人間として当然の反応だろう。あの時、君が治療を中断したのは決して自虐することではあるまい。寧ろ、賢明な判断だったと言って良いだろう。痛みに耐え、無理をしたところで、待っているのは自壊だろう。無茶を行い、耐え続けることは正義では無いよ」

 

 何処か自嘲するようにアルドルが言う。

 それはフィオレに対する気配りであると同時に自身に対する皮肉であった。

 愚かであることを自覚しながら止まれない救われ無さ。

 アルドルは己の宿痾を嘲笑いながら、フィオレを優しく宥めた。

 

 だが──それに対するフィオレの返答は首を振ることだった。

 

「いいえ、逃げたのです。だってそうでしょう? どんなことであれ、決断には痛みが伴うものなのです。肉体的苦痛にせよ、精神的苦痛にせよ。何かを決めるということは何かを切り捨てるということ。魔術か、自由か、その二者択一。自分の意志で選ばねばならぬ道から私は逃げた。魔術師としての責任を言い訳にして、自分で選択することから逃げたのです」

 

「────…………」

 

 彼女の言葉にアルドルの足が止まる。

 何か、心底驚いたように、呼吸を忘れて固まる。

 

 それにフィオレは気づかない。

 気づく余裕は無かった。

 

 ──古傷を抉るような痛みに、フィオレは両手で胸元を押さえる。

 自分の愚かさを直視するのは苦痛だ。泣きたくなる。

 けれど、勇気を振り絞ると決めた。

 選ぶ恐怖よりも選ばなかったことで得るだろう恐怖を思えば、小さな勇気を振り絞るには十分すぎる。

 ……脳裏に弟と己がサーヴァントの顔が浮かぶ。

 

 大丈夫。踏み出すって決めたんだから。

 

「この聖杯大戦にしてもそうでした。ユグドミレニアだから、聖杯大戦に参加する。叔父様が仰るからこそ魔術師として戦う。この選択に自分の意志はありませんでした。足を治したいという願いも、聖杯大戦に参加すると決めた後に用意した言い訳でした」

 

 そう、彼と違って自分はあまりにも消極的だった。

 彼と違って初めから自分の意志で戦いに参加したわけでは無かった。

 

 流されて、流されて。

 いつも通り、言われるがままの人形のように従って、戦いに参加した。

 そこに自分の意志はなかった。自分の決断は無かった。

 望みは後から用意したものだった。

 

 なんて無様。彼を遠いと感じるのは当然のことだ。

 自らの意志で自らの決断で、墜落することを承知の上で、憧れの鳥は太陽を目指して飛び出したのだ。

 未だに籠の中で怯える小鳥と比べれば、遠く感じられて当然なのだ。

 

「でも……」

 

 もう遅いのかも知れない。決断するまでに悩みすぎたのかも知れない。

 鳥は既に太陽に手を掛けた。

 だから、追っているのはもしかすれば燃え尽きる寸前の影に過ぎないのかも知れない。

 

「私にも戦う理由が出来たんです。痛くて、怖くて、恐ろしいけど。聖杯を目指すに足る理由が出来た。傍観するだけでは二度と、貴方を幼馴染みだと呼べなくなるから」

 

 それでも。何もせずに、何も成さずにただ見ているのだけは、もうしたくなかった。遅くとも追いつけずとも──空を目指すと決めたから。

 

「アルドル──私は、私は貴方の願いを止める。貴方の夢を挫く。この戦争に勝って貴方の命を救いたい、それが、今の私の願いです」

 

 今更だけれど、籠の外へと羽ばたくのだ。

 

「────」

 

「…………」

 

 強い風が両者の間を吹き抜ける。

 ……言ってしまった。言ってしまった。

 口ずさんだのは完膚なきまでの敵対宣言。

 

 ユグドミレニア一族の悲願。

 ユグドミレニア一族の野望。

 ユグドミレニア一族の理想。

 

 その、今までの全てを切って捨てる。

 あまりにも過ぎた願いを言葉にした。

 

「…………なんともはや」

 

 沈黙の後、口を開いたのはアルドルだった。

 フィオレはぎゅっと目を瞑る。

 痛みを堪えるように、恐怖に耐えるように。

 

 嫌悪にせよ、怒りにせよ、飛んでくるだろう幼馴染みの激情を予見して、耐え忍ぶように身を丸くする。

 だが、予想に反してアルドルの反応は春風を思わせる屈託の無い笑いだった。

 

「──人生は目が覚めているだけで楽しいのだ、か」

 

「…………アルドル?」

 

「そう、か。まさしく至言だった。確かに、生きるということはこんなにも楽しいことだった。ふ、ふふふ、はははは、何とも優しい未知ではあるが、こんな私にも、紡げる物語があったのか」

 

「……アルドル? 怒って、ないのですか? 私はユグドミレニア一族としての責務を……」

 

「分かっている。分かっているとも。確かにユグドミレニア一族の魔術師として君の願いは許せるものではない。切って捨てるべき者だと判断する」

 

「ッ……それでも私は……」

 

「だが────ふふ、いや、何ともまあ、痛快だな……ふふふふ」

 

「……あ、の……えっと……アルドル?」

 

 堪えきれないと言わんばかりに含み笑いを漏らすアルドル。

 その幼馴染みの見たことも無い態度にフィオレは困惑する。

 

 ……ただ不思議と小馬鹿にされているような雰囲気はない。

 だって……その横顔はあまりにも純粋な少年のようであったから。

 

 今まで誰も見たことが無い、本音の本音。

 彼という人物の地金を、フィオレは初めて見た気がした。

 

「フィオレ」

 

「は、はいっ!」

 

 不意に名前を呼ばれてフィオレは勢いよく反応する。

 笑みを浮かべるアルドルの顔に今までとは全く別種の緊張を自覚する。

 

「私はユグドミレニアの魔術師だ。ダーニックに言われたからでは無い。私は自分自身の意志と決断の下、自らの願いでユグドミレニアの魔術師として立っている。そのためならば命を捧げることにも、幼馴染みと殺し合うことにも躊躇は無い」

 

「ッ……!」

 

 冷徹な言葉に身が竦む。

 

 ──アルドルは変わらない。

 敵対すると言うからにはたとえ身内とて、容赦なく切り捨てるだろう。

 

「だから──」

 

 ──アルドルは変わらない。

 彼は自らの情と自らの責務を完全に切り離して考えることが出来る。

 魔術師としてあまりにも理想の姿。

 

 故に──。

 

「──だから手を貸すことは出来ないが、君の決意を応援することは出来る。ふふ、まあ、なんだ……せいぜい頑張ってみると良い、フィオレ。それでも私が勝つがね」

 

 困ったように苦笑しながら、ポンッと。

 フィオレの頭に手を置いて優しく撫でた。

 

「……ぁ」

 

 ──致命傷だった。致命的だった。

 

 木陰で気配を殺して様子を見守っていた“黒”のアサシンが頭を抱えて、空を仰ぐ程度には色んな意味で致命傷だった。

 

 後輩の確かな成長を喜び、先達として、祝うアルドル。

 顔を真っ赤にしながら、言葉も無く、固まってされるがままにされるフィオレ。

 

 決戦を前にした──束の間の平穏。

 全ての事情を把握する“黒”のアサシンは顔を引き攣らせながら思う。

 

“どうするんですか、これ”

 

 約束された悲劇を予感して、“黒”のサーヴァントは天を仰いだ。

 

 

 

──『かくして小鳥は羽ばたく』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

『貴女は、愛なんて知らないじゃない』

 

『だって──貴女は誰にも一度も愛されなかったんですもの』

 

 ──……お前のそれは偽善だと。

 突きつける少女の声が反芻される。

 

 日が沈み、夜風が寒い夜のブカレスト。

 中世の色を残しつつも、最新の文化を取り入れ始めた現代都市にあるビルの屋上で夜を照らす光を眺めながら“赤”のアーチャーは両膝を抱えている。

 

 此処には森の湿った匂いは無く、小川のせせらぎは耳に届かず、大地の柔らかな感触は無い。

 人の喧騒と不愉快な排気の匂いと、冷たいコンクリートの感触。

 

 所違えば、時代が違えば、世界はこんなにも違う。

 野生の寵児が生きるにはあまりにも狭く、息苦しい世界。

 これが現代なのだと“赤”のアーチャーは茫洋と思う。

 

「…………私は、私の願いは間違っていたのだろうか」

 

 不意に弓兵としての卓越した眼力が街の景色を掴む。

 親子だった。

 母と娘。

 母親の手を強く引く少女はどうやら通りがかりに見かけた店頭の甘味を望んでいるらしい。駄々をこねる少女に母親は呆れ、小言を言い……けれど、最後には苦笑するように買い与える。

 

 喜んで飛び回る少女。それを見ながら困ったように微笑む母親。

 ……知っている。知っている。知っている。

 

 アレが愛だ。アレが幸せというものだ。

 親が子を愛する……ずっとずっと昔から続くあまりにも当たり前の……。

 

“女は要らぬ”

 

「……あ」

 

 ──ずつうがする。

 

『貴女は、愛なんて知らないじゃない』

 

 ──むねがいたい。

 

「……あぁ」

 

“──……おかあ、さん……?”

 

 ──めまいをおぼえる。

 

「…………ぁぁ」

 

 ぐるぐると、ぐるぐると。

 どろどろと、どろどろと。

 覚えがある感情と覚えの無い記憶が呪いのように駆け巡る。

 自分の願いは偽善だったのか、自分の願いは嘘だったのか。

 

 分からない。分からない。分からない。

 何が正しいのか、何がダメなのか。

 “赤”のアーチャーには、アタランテには分からない。

 

「求めたことが間違いだったのか……?」

 

 愛を知らない癖に、有るはずだと信じたのが過ちだった?

 

「願うことが、望むことが間違いだったのか?」

 

 全ての子供たちが愛される。

 ──そんな理想を思い描くのが愚かだったのか?

 

「……誰か……誰でも良い。教えてくれ……私の願いは、そんなにも……」

 

 罪深い、ものなのだろうか。

 夜風に紛れ、迷走する思考。

 グチャグチャに掻き乱された英霊としての矜持。

 

 孤高たる狩人には似合わない、弱々しい悲鳴にも似た弱音。

 闇に紛れて消えるはずのその言葉を。

 

「──いいえ。貴女の願いは間違いでは無い」

 

 拾いあげたのは聖人であった。

 

「────」

 

 微かに顔を上げ、視線を向ける。

 コツコツと足音を鳴らしながら、彼女の背後に聖人が──天草四郎時貞という真名を持つ、シロウ神父が立っていた。

 

 いつからそこに居たのか、どうやって己を見つけ出したのか。

 分からない。分からないがどうでもいい。

 視線を外し、夜の街を茫洋と眺める。

 

 その隣にシロウ神父は歩み寄ると彼もまた、街並みを眺めながらゆっくりと口を開いた。

 

「子供の幸せを願うこと、赤子の誕生を祝うこと……畢竟、愛すること。愛とは資格があって受け取るものでなければ、資格があって、与えるものではありません。人間として、いいえ、今を生きる生物として愛することは当然であり、当たり前の反応です。そこに間違いも何もありません」

 

「……だが、この世界には愛を知らない者もいる、者が在る。それは、それは何故だ」

 

「それも、いいえ。彼ら彼女らは愛を知らないのでは無い。その出力の仕方を知らなかったり、或いはその出力の仕方が歪んでいるというだけの話です。……残念ながら人間という生き物は完璧では無い。誰もが違う以上、愛の形も異なるものです。育った環境、先天的な嗜好、そういったものによって愛の定義は変わってしまう」

 

 例えば他者の不幸や破滅する様でしか、愛を表現できないものがいる。

 例えば美しいものが壊れていく様にしか、愛を見いだせないものがいる。

 

 彼らは歪んでいて、異形ではあるものの……。

 それもまた、愛ではあるのだ。

 

 善悪は、過程と結果に付随するもの。

 始まりの情動、歪みを突き動かす原因を否定することは誰にも出来ない。

 動機が愛というならば……歪であっても愛であることを否定できるものは存在していないのだから。

 

「子供しか愛せない……それの(・・・)何が悪い(・・・・)のです(・・・)。愛する心自体に嘘偽りがないのであれば、それは確かに愛なのですから」

 

 迷い無く言い切るシロウ神父。

 その言葉が琴線に触れたのだろう。

 “赤”のアーチャーが立ち上がって叫ぶ。

 

 それは道に迷う少女のようであり、世の不条理を嘆くか弱い女性の悲鳴のようでもあった。

 

「だが、私は……私は投影していたのかも知れない……! 愛されない子供たちを救いたいと願いながら……私は、私は本当は彼らが救われる様に自分自身を鏡に見ていただけだった! 口では彼らを救いたい、愛されて欲しいと言いながら! 本当はただ私自身が愛され、救われたいと願って……!」

 

「──重ねて言いましょう、それの(・・・)何が悪いのです(・・・・・・・・)

 

「悪いに決まっているだろう! こんな、こんな偽善で私は……!」

 

「偽善だから? それとも、慈愛に似せた自己愛だったから? 動機が不純であったから貴女の願いは間違いだったと? ならば私は言いましょう。しゃらくさい(・・・・・・)、そんなこと知ったことかと」

 

「……なっ」

 

 シロウ神父から飛び出した思わぬ言葉に“赤”のアーチャーが驚き固まる。

 一方でシロウ神父の方はそんな“赤”のアーチャーの様子を観察しながら思わず内心で賞賛と警戒と敵愾心を抱いた。

 

“麗しのアタランテ。ギリシャ随一の女狩人を此処まで崩し(・・)ますか。如何にして彼女の急所を見抜いたかは知りませんが、魔術師でありながら英霊を破るとは、つくづく貴方はとんでもない人間だ。アルドル・プレストーン・ユグドミレニア”

 

 シロウ神父から見て“赤”のアーチャーことアタランテは決して弱い英霊では無い。寧ろ強者側にカテゴライズされる存在だろう。

 天然自然を身一つで生き抜いてきたからこその死生観。武人として、狩人として培ってきただろう確かな実力と気高い矜持。そして、多少歪んでいるとは言え、当たり前のように他者の幸せを願える性根。

 

 正に英雄。“赤”の陣営を代表するアーチャーとして不足となる部分など何一つとして存在しない。

 そんな人物が、此処まで動揺して心を乱している。

 その事実が、敵の強大さをまざまざと示していた。

 

最強(・・)か。やはり“黒”の陣営を出し抜くためには、どうあっても貴方を倒す必要があるようですね、アルドル・プレストーン・ユグドミレニア”

 

 同時に、思う。

 これほどの敵、これほどの試練は、生前から今まで数えて他に無い。

 正に最大の強敵、最大の障害だろう。

 これが、主の思し召しだというのならば何とも手強い運命だ。

 

 しかし──いいや、だからこそ。

 

“だからこそ確信がある。貴方を超えた先に、我が救いがある”

 

 この戦いに勝利したその先に、シロウ神父は確かに救済の夢を見た。

 故にこそ、困るのだ。

 彼を相手には死力を尽くさねばならない。

 彼を相手には全力を尽くさねばならない。

 

 そのためには、傷だらけでも、鞭を打ってでも。

 英霊たちには立ち上がって貰わねばならない。

 

 傷心の女性を叱咤激励するのは些か心痛むものの、これもまた己が救済の夢を叶えるためならば。

 たとえ煉獄や地獄に落ちるのだとしても、躊躇う理由が存在しない。

 

“必ず成すと──誓ったのだから”

 

 炎と灰に巻かれようとも、少年は荒野を進むと決めたのだ。

 

「偽善、自己愛……それの一体何が悪い。言ったでしょう、動機だけは不可侵だ。心の形、胸に抱く感情、それを否定することだけは何者にも出来ないと。ましてや貴方の場合、動機は何であれ子供たちを救うという祈りに収束する。英霊らしい胸を張れる結構な願いでは無いですか」

 

「だが、だが……それでは同じだ……! 同じでは無いか! わた、私は子供たちを愛しているのではない! 救われる彼らを見て、救われる自分を見ているだけだ! それでは……それでは彼らを見捨てた者たちと何が違う! 彼らを愛さなかった者たちと何が違うという!」

 

「違うでしょう。貴女はそれでも拾い上げている。どんな動機であれ、捨てられ、落ちていき、誰からも愛されなかったものたちの幸せを切に願っている。動機が不純だから? 笑止、そも対価無き無償の愛など人間にはあり得ない。愛するから愛して欲しい、愛されたい……そう考えることは当たり前であり、そこに善悪は存在しません」

 

「そん──な…………では、ではお前は何だ! 天草四郎! お前は人類を救うと言ったな。それは、それは偽善なのか? 自己愛なのか? 違うだろう! 貴様は気に食わない男だが、貴様の夢は、貴様の理想は……!」

 

「ええ。ですから……私は感情を捨てたのです。喜びも、悲しみも、全ては人類救済のために捧げました。私の心は、もう二度とそれらを自覚することはないでしょう。簡単な話です。私は願いのために人間であることを捧げた。だからこそ、肯定しましょう。アタランテ、貴女は人間として(・・・・・)何も間違ってはいない」

 

「お前は──お前は……いったい……」

 

 己が願いのために“赤”の陣営を裏切って見せた聖者。

 “赤”のアーチャーは今までシロウ神父のことをその程度にしか考えていなかった。だが、違う。これは違う。この男は根本的に違っている。

 

 己が野望のために他者を轢き殺せる非情さは知っている。百と一を天秤に掛け、正しさを選択できる支配者の酷薄さは知っている。崇高なる目的とやらのために女子供を生け贄に捧げる狂気は知っている。

 

 だが、これは知らない。天然自然の寵児、弱肉強食を生きた者だからこそ、彼女は知る余地もない。

 

 何の対価も求めない、完全なる献身。

 

 子に対する愛情でも無く、番いに対する恋情でも無い。

 世界という機構、見ず知らずの何かに全てを捧げる精神性。

 人間としての要素を捧げて尚、他者のために生きる狂気を彼女は知らない。

 

 だから──。

 

「お前は、何だ。神父」

 

「──……そうですね。強いて言えば狂人の類いなのでしょうが……今は」

 

 脳裏に思い描くは、かの魔術師の影。

 あの男が一族のために世界を捧げるというならば、オレは世界のために世界を壊す。なればこそ、己に相応しい在り方とは──。

 

「人類救済を願う──ただの朝敵(・・)ですよ」

 

 いつか人類全てを救い上げるために。

 我は世界の全てを壊すのだと青年は穏やかに微笑んだ。

 

 

 

──『救済の証左』

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