千年樹に栄光を   作:アグナ

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決戦前夜

 束の間の平穏。穏やかな休息の時間。

 聖杯大戦の間に発生した三日という空白の時間は、各々に来たる決戦に向けた決意を新たにする幕間となった。

 

 ある者は抱いた大望を叶える覚悟をより一層深め、ある者はようやく聖杯に託すに足る願望を抱き、ある者は手を伸ばさずにはいられない理想に苦悩し、ある者は戦に臨んだ責務として結末を見送ることを決めた。

 

 思い、願い、祈り、望み。

 

 魔術師、英霊を問わず、様々な意思が交錯する三日間はあっという間に過ぎ去り、瞬く間に夜は更けていく。

 意図せずして“黒”と“赤”の陣営の思惑が一致し、発生した三日間の平和は終わりを告げようとしていた。

 

 筋書きは既に栄光と救世の夢に収束した。

 運命に出会うために目覚めるハズだった少年は目覚めることすら許されず握りつぶされ、調停を担う聖女は舞台から引きずり降ろされた。

 正しき史実は完膚なきまでに粉砕され、外典は異聞に書き換えられた。

 

 よって、この戦に正義は無く、この戦に運命は無く、この戦の終着を知るものは誰一人として存在しない。

 どうあれ今ある世界が書き換わる大一番。

 世界の意志さえ介入しえる余地を残さぬこの戦いの天秤を握るは二つの陣営の首魁に託された。

 

 以てこれこそ、外典にて語られぬ本来の聖杯大戦の在り方。

 “黒”の陣営と“赤”の陣営。

 二つの陣営によってなされる聖杯を巡る決戦の舞台。

 

 明けない夜が無いように、戦いの終わりが迫る。

 三日目の平和を締めくくる最後の夜。

 星空に浮かぶ白貌が最後の夜を記録する。

 

 

 ──夜が更けていく。

 

 “赤”のセイバーと獅子劫界離。

 両者はルーマニア首都のブカレストから遠く離れた地、ミハイル・コガルニチャヌ空軍基地へと向かっていた。

 先日、ロード・エルメロイⅡ世を通して伝えた品の受け取りと、“赤”の陣営を支配するシロウ神父こと“赤”のルーラーと結んだ作戦を実行するためである。

 

 運転席には獅子劫、その助手席には“赤”のセイバーが座っている。

 互いに言葉は無く、夜の沈黙を破るカーステレオだけが車内には静かに響いていた。

 

「……なあ、マスター」

 

「あん? 何だ」

 

 “赤”のセイバーが口を開く。

 視線を向けることもなく問い返す獅子劫。

 両者は互いに目線を合わせることなく、何気なく会話をする。

 

「悪かったな。不甲斐なくて」

 

「突然どうしたよ、おい。さっきのホテルで悪いもんでも食ったか?」

 

「ちげーよ。その、何だ。……聖杯大戦に召喚されて以来、あんま良い所ない戦いバッカだったからよ」

 

「……ああ」

 

 言われて、気づく。そういえばこと此処に至るまで“赤”のセイバーと獅子劫はしぶとく生き残ってきてはいるものの、これと言った戦果を出せていない。

 いや、もっとはっきりと言うのであれば、一度も勝利を収めることは出来なかった。

 

 一番最初のサーヴァント戦、あの黒甲冑の“黒”のバーサーカーとの戦いから始まり、“黒”のキャスター、“黒”のセイバーと“黒”の陣営のサーヴァントと多く戦ってきた二人だが、その多くは劣勢、或いは敗走であった。

 

 それでも尚、生き残れたのは悪運だが、聖杯大戦という勝者を決める戦いにおいて一度も勝利できていないというのは見過ごせない瑕疵だろう。

 ……それでも最後に勝利を搔っ攫えば良い。てっきり、“赤”のセイバーはそのような性格だと思っていた分、獅子劫は彼女の発言を意外に思った。

 

「お前さんも謙虚な態度が出来たんだな。未来の王様は伊達じゃないってか。出来れば平時からそうして欲しい所なんだが」

 

「茶化すなよ」

 

「……ま、気にするな。元々、“赤”の陣営があんなんなってるし、“黒”の陣営には化け物がいるしで勝ち目の薄い戦いだ。不利続きなのはある意味で既定路線だろ」

 

「……そうかよ」

 

 冷静な言葉だった。劣勢に嘆くわけでも、逆転に奮起するわけでもない。一種の諦観に満ちた発言。獅子劫は淡々と言葉を紡ぐ。

 

「元々、この戦いに参加した時点で半ば死んだような立場だからな。此処まで生き残ってるだけでも幸運だろうよ。死なない限り可能性はゼロじゃない。まだまだやり様はあるさ。それとも……お前さんは諦めちまったのかい」

 

「まさか。勝てねえ戦なら勝てねえなりに全部巻き込んでぶっ壊してやるぐらいしてやるさ。そうじゃねえ、オレが言いたいのは……あー……」

 

「本当にらしくねえな。どうした? 夜の陰気に当てられたか?」

 

「……マスターは召喚したのがオレで後悔していないか?」

 

「はあ? 当たり前だろ」

 

「────」

 

 問いの返事に間髪は無かった。

 窓ごしに反射する“赤”のセイバーの瞳が驚きに見開かれる。

 

「育ちのいい円卓の騎士様と戦場上がりの死霊魔術師(ネクロマンサー)じゃあ気が合わないだろうからな。お前さんみたいな不良娘が相手で助かってるよ。いちいち細かい気を回す必要が無くて助かる」

 

「おい、マスター。オレを女扱いするなと」

 

「わあってるよ。つか疑問に答えてやっただけだ。……ま、何だ。少しだけ夢が見れたみたいで悪くなかったよ」

 

「──夢」

 

 “赤”のセイバーの脳裏にある記憶が蘇る。

 なんて事の無い、魔術師らしい碌でもないエピソード。

 呪われた魔術一族が、無様に足掻いて、足掻いて。

 もういいと、諦めた。そんな話。

 

 ささやかな幸せに目がくらんで、小さな希望を抱いて。

 そして、罪深くも失った。そんな、ささやかな悲劇。

 

「マスター」

 

「なんだセイバー」

 

「……親ってどんなもんなんだ?」

 

「……さあな」

 

 再びの沈黙が車内を支配する。

 ──どうやら決戦を前に互いに感傷的になっているようだ。

 一丁前にこんな気分になる辺り、自分も性根はただの人間だったのかと。

 人でなしの魔術師には贅沢な時間に獅子劫は内心で苦笑した。

 

「──根拠のねえ話だがな。俺たちはきっと舞台の外で踊らされてる端役(ポーン)だ」

 

 ふと獅子劫はこの戦いに対する自分なりの所感を語る。

 自分で言っといて何ともあやふやな話だが、意外にも“赤”のセイバーは同意した。

 

「言いたいことは分るぜ。何というか、振り回されてるっていうか。オレたちの与り知らない所で事態が回ってやがる」

 

「だろうな。そんで、その予感はきっと正しいもんだろう。俺たち……いいや、きっと陣営を通して、大半の連中は俺たちみたいな感覚を覚えている。そりゃあきっと──」

 

 “黒”の陣営と“赤”の陣営。

 その双方に駒ならざる明確なる指し手がいるからだろう。

 魔術師、英霊問わず大半が駒であるにも関わらず、戦いの趨勢を自らの手だけで左右しうる指し手の存在。

 

 陣営同士の戦いは実質、その指し手による戦いなのだ。

 そして……恐らく獅子劫たちは彼らにとって、何処までいっても駒に過ぎない。

 

「俺たち側ならあの神父。向こうは……アルドル・プレストーン・ユグドミレニアか」

 

「あのチビガキは?」

 

「仕組みは知らんが、恐らくプレストーン後継の尖兵だろ。先生(・・)殿は神霊が地上に顕現するに当たって利用する化身(アバター)の原理を用いたのだろうとかなんとか言ってやがったが……まあ、使い魔の類とでも思っとけ」

 

「なら、あの魔術師を倒せば関係ねえか」

 

「さてな」

 

 時計塔に君臨する恐るべき慧眼の魔術師(ロード)も、そしてあの胡散臭い神父も、ダーニックではなく敵方の神話奏者をこそ最大限警戒していた。

 なればこそ、向こうの指し手はあの青年なのだろう。

 

 ……“赤”のセイバーは敗戦続きだ、と言っていたが幾ら何でもこの現状はおかしいだろう。最上とまではいかなくとも“赤”のセイバーの能力(ステータス)は間違いなく最優だ。マスターとしてその評価に疑問はない。

 

 なのにこうも勝てないのは……盤面が常にこちらの不利に整えられているから。黒騎士による突然の襲撃。不意を突かれることを読んでいたような、格上の存在による待ち伏せ。そして結集した“赤”の陣営に対する都合の良い強襲。

 

 まるで未来を先読みしたかのように悉く指し込まれる攻めの一手。

 思い返せば明らかに、誰かの意志が常に混じっていた。

 

「じゃあ、今回の作戦も読まれてるとマスターは考えてるのか?」

 

「少しはな。だが、完全に何もかもが見えてるなら俺たちは今日ここにはいないだろう。少なくともあの時、トゥリファスで神話が発動した時点で詰まされたはずだ。精度の高い読みがあることは確かだが、完全じゃねえ」

 

 そして、その考えには神父も至っているのだろう。

 だからこその今回の決戦だ。

 ブカレストを離れる前、神父に頼まれていた、かのロード・エルメロイⅡ世の所感を伝えた際に神父は言った。

 

“ご協力、感謝いたします。これでようやく、こちらから仕掛ける手筈が整えられます”

 

 穏やかに微笑みながら、そう言っていたことは記憶に新しい。

 

「ま、細かい腹の探り合いはあっちに任せるさ。俺たちは俺たちらしく、最後までやるだけさ──だから後ろを見ようとするのは今は止めとけ。後悔なんてもんは死ぬ直前にでもすりゃいいさ」

 

「は、随分と不穏な発言だ」

 

「何、こういうのは悲観的なぐらいが丁度いい。割とあっさり生き残るかも知れねえだろ?」

 

「なら割とあっさり死ぬかもな」

 

「おいおい、お前さんも十分不吉なこと言いやがるな」

 

「先に言い始めたのはマスターだろ、でもま、そうだな」

 

 “赤”のセイバーは窓の外の景色を見渡す。

 果ての無い荒野、薄い月の光に照らされた暗がり。

 砂音を立てて、孤独に進む一台の車。

 

 根無し草の二人。

 

「ハッ────」

 

 しがらみはない、不自由はない。

 あるのは野望と、そのために突っ張る命が一つ。

 

「確かに、上等だな」

 

「だろ。俺たちみたいなのはなんも考えずやりたいようにやりゃあいいのさ」

 

「馬鹿だろ。マスター」

 

「お前さんにだけは馬鹿と言われたくないね。叛逆の騎士殿」

 

「……く、くくく」

 

「……は」

 

 暫し車内に響く二人の笑い声。

 悪ガキが悪戯を目論むような稚気に満ちた飾り気のない喜色。

 悪くない──両者の内心が一致する。

 

「到着するまでどれぐらいだ? マスター」

 

「夜明けまで。まだだいぶ時間は掛かるな」

 

「なら何か話せよ、マスター。ただっぴろい荒野でただ座りっぱなしだと退屈で戦う前に死んじまいそうだ」

 

「ったく、しゃあねえな。なら此処は俺が戦場で味わった面白話でも披露してやるか──」

 

 笑い合って、下らない話を駄弁る。

 獅子劫界離と“赤”のセイバー。

 

 筋書きが書き換えられた聖杯大戦においても自由で在り続けた最優の主従は親子の様に最後の夜に語り合った──。

 

 

 ──夜が更けていく。

 

 ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアは破壊された工房の復旧作業に務めていた。瓦礫の山に視線をやればホムンクルスたちに交じって重い瓦礫を撤去する“黒”のセイバーの姿。ニーベルンゲンに語られる大英雄は、こんな下らない雑用に対しても表情一つ変えずしてせっせと後片づけに協力している。

 

「ふん、結構なことだ」

 

 それに鼻を鳴らして、ズカズカとゴルドは歩いて、惨状を観察する。

 

 英霊の魔力供給を代行するためのゴルド渾身の傑作工房は木っ端みじんだ。

 聞くところによると“赤”のセイバーの宝具による直撃を受けたというのだから、さもありなんといった惨状だ。

 だが、破壊されたことによる“赤”の陣営に対する忌々しさよりも何とも形容し難い、モヤモヤとした感情が胸にあった。

 

「…………」

 

 瓦礫の山にはもちろん、ホムンクルスの死体が転がっている。

 当然だろう。培養液の中にはホムンクルスがおり、それが破壊されたのだからホムンクルスの亡骸があるのは当たり前だ。

 

 そして、魔術師にとって彼らは命だが、同時に人工的に生み出したモノ(・・)に過ぎない。故に喪失に胸を痛めることなどないし、良識が罪悪感を囁くこともない。

 どだい、魔術師など人でなし。

 この程度の犠牲に痛みを覚える優しい倫理観など持ち合わせていない。

 

 その上で──。

 

「…………」

 

 ゴルドは歯噛みする。

 ……死体は、誰一人として穏やかな顔をしていなかった。

 苦痛、苦渋、苦悶……苦行を飲み干すこととなった彼らは皆、苦しんで死んでいた。

 

 死の間際にあってすら、彼らは安寧を得ることは無かった。

 

「……チッ」

 

 言いようのない不快感に舌打ちが漏れる。

 ──ふと、話し声が聞こえて視線が上がる。

 目線の先には“黒”のセイバーと、ホムンクルスの兵士がいる。

 

「……申し訳ございません。こちらの瓦礫を撤去していただくのにお力をお貸しいただけますか? セイバー、様」

 

「分かった。問題ない」

 

 おずおずと言うホムンクルスに淡々と頷く“黒”のセイバー。

 それにホッと安堵すると同時に小さく感謝を述べるホムンクルス。

 

「……ふん、ホムンクルスが。一丁前に緊張などして──ッ!?」

 

 ぼそりと口ずさんだ悪態にゴルドは自分で驚愕する。

 待て、自分は今何を考えようとした。

 ホムンクルスにも感情らしいものがあるのだな、などとそんな。

 

「ば、馬鹿馬鹿しい!」

 

 首を振って、ズカズカと歩く。

 ずっと使い魔(サーヴァント)であると思っていた“黒”のセイバーと私的な会話などしてしまったからだろう。気の迷いから意識が迷走してしまっているのだ。

 

 彼に感情があるのは分からないこともない。

 英霊、かつて地上にあった英雄の影、境界に記録された英雄の記憶。

 なるほど、精霊に等しい上位存在である彼らならば人並みに感情を持っているのは当たり前の事なのだろう。そういうものだと納得できる。

 

 だが──アレと道具に過ぎないホムンクルスを同一視するなど馬鹿馬鹿しいにも程がある!

 

「……くっ、こんな下らない考えに至るとは。やはりあのセイバーと会話なぞするのではなかった」

 

 ボヤキながら迷いから目を逸らそうと後処理に集中する。

 最中、不意に様子の違うホムンクルスを見付けた。

 

「ん……コイツは……」

 

 そこにあったのはホムンクルスの遺体だ。

 体格は十代半ば、少年と言った見た目だが、年齢はホムンクルスにあまり関係はない。だから目に付いたのは容姿ではなく様子。

 

 死んでいるのは間違いない。

 他のホムンクルスたちと同様、戦いに巻き込まれて亡くなったのも同じ。

 違うのは……彼は穏やかに死んでいた。

 

「これは……」

 

 何か掠めるものがあり、様子を探る。

 衰退、劣化──外的要因というよりも内的要因。

 恐らくは肉体が他のホムンクルスに比べて虚弱だったのだろう。

 彼は肉体機能の低下によって亡くなったようだ。

 

 しかし、強引な魔力供給に耐え切れず亡くなったというには苦しみの顔はない。彼だけは、眠る様に穏やかなまま亡くなっていた。

 

「……彼が、どうかしたのですか」

 

「ッ! な、なんだお前……!」

 

 突然、話しかけられてゴルドは動揺して飛び退く。

 いつの間にか、すぐそばに女性のホムンクルスが立っていた。

 

 鋭い目つきと短く切りそろえた髪が印象的な女だ。

 感情の伺い知れない茫洋とした雰囲気は他のホムンクルスと同じだが、一点、瞳の奥に揺らいでいる微かな意志が女ホムンクルスの個我を証明している。

 

 ホムンクルスから自発的に話しかけられるなどという異常事態に、パクパクと口を開閉して動揺するゴルドを尻目に、ホムンクルスの方は茫洋とした眼を亡くなったホムンクルスの方へと向ける。

 

「……彼は、最期に納得していました」

 

「……何?」

 

「無念がありました、悔いがありました、死にたくないと、死に恐怖する感情がありました。死にたくない、生きていたい、それでも彼は死にました」

 

「な、あ……お前、お前は一体何を言っている」

 

 淡々と呟く声音に感情は伺えない。

 されど確かに、その言葉は感情だった。

 

 絶句するゴルドを傍目にホムンクルスは感情を語る。

 

「望みは叶いませんでした。願いは届きませんでした。でも……最後の最期で彼は納得していました。何故死ぬのか、なぜ殺されるのか。その理由を知りました。理由を知って、穏やかに眠りました」

 

 悲しんでいる様子はない、怒っている様子はない。

 ただ、何故、という疑問だけが言葉には合った。

 

「……望みは叶わず、願いは届かず、彼は死にました。なのに、何故、彼は穏やかに眠りにつけたのでしょうか?」

 

「し────」

 

 知らぬ、と、そう罵倒しようとして言葉に詰まる。

 目の前には生まれたばかりの子供の様に小首を傾げるホムンクルス。

 それを見て……無造作に跳ね除ける気が何となく失せた。

 

 生家に置いて来た息子の顔を思い出す。

 ──子供(・・)の言葉を払いのけるのは些か大人げない対応だ。

 

「……ふん、心境の変化など知らん、知ろうとも思わん。ただ穏やかに逝ったのなら、それは満足したからだろう」

 

 結果、何となく律儀に答える。

 

 魔術師として、誇りあるムジーク家の人間として。

 そのような振る舞いは相応しくないと、そう考えた。

 それだけだ。

 

「……満足? 救われたのですか?」

 

「違う、救いなどではない。ただ──」

 

 何を律儀に道具風情に言葉を返していると、嘲笑う声がある。

 道具、道具だ。

 ホムンクルスは道具に過ぎない。

 

 錬金術師であるゴルドのその価値観を変えることは出来ない。

 本来、変えられるハズだったその成長、或いは退化は栄光の旗の下、除去された。

 

 それでも、サーヴァントと接し、責任というものを自覚したからこそ、ゴルドは答える。

 彼らの製作者(おや)として、その責任を果たす。

 

「失われる悔いはあれど、後悔は無かったのだろう。何かに納得し、消えた。だからコイツはこんなにも穏やかなのだろう」

 

「納得──」

 

 ゴルドの言葉にホムンクルスが難しそうな顔をする。

 その様にゴルドは鼻を鳴らす、所詮はその程度かと小馬鹿にする。

 

「ふん、やはり道具には理解できない難しい話だったな」

 

「む──」

 

 ……他の個体とは違い、多少個我が強いのだろう。

 ゴルドの言葉にホムンクルス、彼女が不愉快そうに眉を顰める。

 その態度にゴルドは内心で少しの驚きと若干の怯みを覚えつつ、それを表面に出さないように。

 

「悔しかったら貴様も一々私に問うのではなく、コイツの様に足りない頭で考えるのだな。……貴様らは我らユグドミレニアのための道具に過ぎんが、その生に何を見出すかは貴様らの勝手だ。我々には確かに貴様らを生み出した責任が存在するが、貴様らが生きる意味は貴様ら自身が考えねばならぬことだからな」

 

 捨て台詞のように吐き捨てて、ゴルドは作業に戻る。

 彼女は何か考え込んでいるようだが、もうゴルドには関係のない話だ。

 問いには答えた、最低限の責任は果たした。

 ならば後は、彼女自身の問題だろう。

 

「全く、何をやっているのだ。私は……」

 

 自分は聖杯大戦に参加したのに。

 魔術師として誇りある戦いを所望したのに。

 振り返ってみれば、やってることは周りに振り回され、翻弄され、挙句、後処理に片付けに子守まがいの説教などと。

 

「……いや、これで良いのかもしれんな。ユグドミレニアが勝つにせよ負けるせよ、色々と忙しくなることには違いない。あの若造は優秀だが、ダーニック程の手腕は無く、ダーニックはどの道長くは持つまい」

 

 ──実際の所、ダーニックのみならずアルドルもまた余命の限られた存在だが、ゴルドはそれを知らない。知らないものの、アルドルではどのみち事態の解決は出来ても、解決後は捌けないと判断する。

 故に計らずしもその結論は同じものとなった。

 

「戦後のユグドミレニアを支える、ふん、面倒な上に随分と地味な仕事だが──戦いに参加したものとして、その程度の責任は果たさねば、な」

 

 そう言って、ゴルドは苦々しく、ため息を吐いた。

 ──錬金術師は魔術師のまま、されど、その責任を自覚した。

 なればこそ確かに彼は千年樹を支える太い根として大樹の身体を支えるのだ。

 

 

 ──夜が更けていく。

 

「──よぉ、思ったより大丈夫そうだな、姐さん」

 

「……汝か」

 

 トン、と引いた弓が的に直撃したと同時に“赤”のアーチャーに声が掛かる。

 視線をやれば壁に背を預けるようにして“赤”のライダーが立っていた。

 

「足の傷はもう良いのか」

 

「……ま、良くはないが放っておいても治るものでも無し。どんな手品かで用意したあの神父の魔力量は次の決戦を戦えるに十分なものだったが、それでも回復させるには足りなすぎる」

 

「そうか」

 

 ──“赤”のライダーこと、ギリシャ神話最速の英雄アキレウス。

 彼の弱点が踵──語源ともなったアキレス腱なのは誰もが知っている常識だ。

 それ故に彼は一度弱点を突かれると、その回復は極めて困難な上、二種の宝具──その身に無敵を纏う『勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)』と自慢の快速『彗星走法(ドロメウス・コメーテース)』を失ってしまう。

 

 しかし、その不利を承知で英雄は不敵に笑った。

 

「何、この程度の重荷は大したもんじゃない。宝具が無かろうと足で負けるつもりはねえし、俺にはまだ戦車も槍もある。いざとなりゃあこの両腕さえあれば何とでもしてやるさ」

 

「強気だな。汝らしいと言えば、汝らしいが」

 

「……? 姐さん?」

 

「何だ?」

 

「いや…………」

 

 “赤”のアーチャーの反応に“赤”のライダーは首を傾げる。

 口調はいつも通りだが、今の反応は少し違和感があった。

 いつもの彼女なら……そう、

 

「……てっきり油断大敵だ、と小言を言われると思ったぜ」

 

「別に。今更、汝に言うべき事でもあるまい」

 

「ふむ……」

 

 素っ気無い反応。

 いつもの様子だが、いつもと少し違う。

 “赤”のライダーから見た“赤”のアーチャーは周囲に対して無関心であったものの、小言を始め、仲間に対して気を配れるだけの余裕のようなものが見えた。

 言うなれば孤高の狩人。自負と矜持、その二つに裏付けられた自信があったはずだ。

 

 それなのに今の彼女からはそういったものが感じられない。

 孤高の狩人というより、命令に従う兵士のようだった。

 

「なあ姐さん──」

 

「それよりも神父が定めた期限は明日だが彼奴は何と?」

 

 だが、その違和感を問い質すより先に“赤”のアーチャーが問いを投げる。

 その様も何処か余裕の感じられない様だったが言及する機会を失った“赤”のライダーは問うよりも先に疑問に答えていた。

 

「決行は予定通りだとよ。詳しい話は煙に巻かれちまったが……奴曰く、破城槌(・・・)は私がやります、とのことだ」

 

「……奴自身が、城の城門(守り)を破ると?」

 

「さあな。だが自信があるところ何か腹案があるんだろ。力業か、奴の宝具か、或いはトロイの木馬か。生憎と突っ込む方が得意でね。オデュッセウスじゃなし、頭脳働きは管轄外だ」

 

「そうか」

 

 “赤”のライダーの言葉に素っ気無く頷く“赤”のアーチャー。

 やはり、この淡白すぎる反応に“赤”のライダーは違和感を禁じ得ない。

 

 意を決して“赤”のライダーは問う。

 

「んで、だ。姐さん、何か悩みがあんなら俺が──」

 

「決戦は近い。汝も傷が治っていないのであれば、少しでも回復に努めるのだな」

 

 質問を口ずさむより先に、“赤”のアーチャーが背を向けて、霊体化する。

 確認することを終え、関わる意味を失くしたとでもいうべき様だ。

 

「……──あー……」

 

 素気無く振られた“赤”のライダーはボリボリと後頭部を搔きながら片目を瞑る。

 ……例の少女に何かされてから“赤”のアーチャーの様子がおかしいのは間違いない。

 父に聞いていた通り、アレほど麗しく、アレほど気高い魂が何処か曇っている。

 

 それを知りながら“赤”のアーチャーに掛ける言葉を“赤”のライダーは持たなかった。

 原因が分からないとか、言葉を尽くすのは苦手だとか、理由なんて適当に見つけられるが、つまるところ──彼はとことん英雄(・・)なのだ。

 

「……あの娘を倒せば解決するなら分かりやすかったが、ダメだな。悩み相談なんて、そもそも悩みなんてもんを抱いたことのねえ俺には出来ない話だったか」

 

 敵を殺すことは出来る。

 前線に立ち、仲間を叱咤激励することも出来る。

 涙を流す誰かを救い上げ、この背に希望を魅せることもできる。

 

 だが、内面の悩みを。胸に抱いた懊悩を払う導きの言葉を“赤”のライダーは持たない。

 或いはあの忌々しい宿敵ならば何か言えることもあったのかもしれないが……。

 

「……ちぇ、あのオヤジに出来て俺に出来ないってのはちと気に食わんが。ならせめて、姐さんが悩みを解決できるまで、護衛(ナイト)になってやるとするか」

 

 “赤”のライダーは虚空より槍を取り出し、構える。

 脳裏に描くは“黒”の英霊と神話の風景。

 会敵した面子とまだ見ぬ未知の面子。

 

「誰が出てこようと、俺は、英雄()たることを証明するだけだ」

 

 ニィと太々しく笑い、演武を開始する。

 不覚を取ろうとこの身は健在。

 

 どんな相手や事態が訪れようとも、この身を簡単に討ち取れると思うな、と。

 

 英雄は笑った。

 

 

 ──夜が更けていく。

 

「──正直な話、極めて困難な願いだと言わざるを得ないでしょう」

 

 ミレニア城塞──フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアの私室。

 問いに答える“黒”のアーチャーの第一声はフィオレの眉間を歪ませた。

 

「そう、ですよね」

 

「はい──アルドル殿の命を救う。サーヴァントとしてマスターの願いを叶えることに異論はありません」

 

 “黒”のアーチャーはいつも通りだった。

 フィオレの一族への裏切り、“黒”の陣営へ反旗を翻すとも取れる宣言に対しても、穏やかな表情で了承するのみだった。

 しかし、それはそれとして戦況判断は厳しいままだ。

 当然だろう。彼は確かにギリシャ随一の賢人であるが、これから敵に回そうとしているのは現代魔術師の枠を凌駕した北欧の神話に手を掛けし千年黄金樹。

 相手は所詮、今を生きる人間である──そんな常識が通用する相手ではないのだ。

 

「私から見てもアルドル殿の実力は並の英霊を遥かに凌駕していると言わざるを得ません。魔術の冴えは勿論の事、武術も相応に鍛えておられる。何より──彼には人としての限界を超えるに足る狂気に等しい情熱があります。一族に栄光を、その一念で用意された数多の策略と準備を昨日今日で上回ることは難しいでしょう」

 

「そうだよな。実力にばっか目がいっちまうけど義兄(にい)さんの怖さは戦闘面よりも、あの何もかも見抜いているような視野の広さだ。案の定姉さんの反旗もある程度、考慮してあったみたいだし、当然、こっちが出し抜いてくるのも読んでくるはずだ」

 

「そうですね。……彼ならばきっとたとえマスターやカウレス殿であっても障害となると判断したならば殺すことに躊躇いはないでしょう」

 

「殺す……アルドルに──」

 

 同席したカウレスの言葉に“黒”のアーチャーが頷く。

 口に出される当たり前の事実にフィオレはギュッと胸を押さえた。

 

「あ……とっ、そうだ! アーチャー、仮に俺たちの動きが義兄(にい)さんに読まれているとした上で、どういう状況なら義兄(にい)さんを出し抜けると思う?」

 

 捲し立てるようにカウレスが質問を投げかける。

 己の問いが空気を重くしたのを自覚したのだろう。

 雰囲気を変えるために、話題転換を図る。

 

「ふむ、分かっているとは思いますが、平時の彼を出し抜くのは当然難しいです。妨害工作には備えているでしょうし、言葉で折れる相手でも無し。ならばこそ、彼を出し抜くための最良はこちらの動きを掴まれてる上で、こちらに手を出せないという状況下でしょう」

 

「つまり──義兄(にい)さんが“赤”の連中と戦っている最中、ってことか」

 

「ええ。アルドル殿が次の戦いでどのように立ち回るかは分かりませんが……彼の事だ。ただ後方で大人しくしている、というわけにはいかないでしょう。先の戦いではアサシンと共に敵マスターの排除に動いたのです。きっと、今度もまた行動を起こすはずです」

 

 アルドルは優れた先読みに伴う様々な謀略を用意しているが──なまじ今まで単独で動いてきたからだろう。正攻法とは別に自分の勝利(・・・・・)のために能動的に動く傾向がある。

 ダーニックの様に後方で策略を張り巡らすより、積極的に自らの手で勝利に走るのだ。

 

「ですからきっと、此度も何処かでそのように動く。そして一度戦場に出れば、何もかもが予定通りというわけにはいきません。イレギュラーは多々起こるでしょうし、敵の策にも嵌る。先の戦いでアルドル殿が敵方を仕留め損なったように、彼の先読みもまた完璧ではないのですから」

 

「……そっか、そうだよな。義兄(にい)さんだって人間だし、失敗することもあれば、何か見逃すことだってある」

 

「はい。戦の渦中、そこがアルドル殿の制御の外にある状態です」

 

 “黒”のアーチャーは強く言い切る。

 相手は敵にするのは困難な相手だと承知の上で取れる手段を示す。

 

「……なら後は、出し抜く方法か。義兄(にい)さんを助けるってんなら聖杯は必須。だったら一番は義兄(にい)さんより先に聖杯を使っちまうってのが一番いい方法になるのかな」

 

「そうですね。願いを叶える、というだけであれば大聖杯の権能は必要ありません。“黒”か“赤”かを問わず、六騎の英霊が脱落した時点で聖杯は顕れます。その時に、願いを叶えることが出来れば一番なのでしょうが」

 

「……聖杯を守るのはきっとダーニック小父様です」

 

「だよな……そうだ! ダーニックに義兄(にい)さんのことを伝えれば……!」

 

「──難しいでしょう。ダーニック殿は生粋の魔術師だ。それも知っての通り、アルドル殿に多大な期待を向けておられる。彼の願いと彼の命を天秤に賭けた時、どちらを取るかは読み切れません」

 

「あー、そっか、そうだよな……それが普通か……って、悪い! 別に姉さんを非難しているわけじゃ」

 

「ううん。いいのよ、カウレス。もう分かっているから」

 

 不意の感想を取り繕うように気を回す弟にフィオレは淡く笑って首を振る。

 もう、とっくに自覚してしまっている。

 自分は魔術の天才になれても魔術師には成れないのだと。

 己の倫理、価値観は魔術師から大きく外れてしまっている。

 

「アルドルに生きて欲しい──これは間違いなく私の我が儘だわ。だからいいの」

 

「姉さん……」

 

「それでも私は、この我が儘を通すって決めたから。だから──ごめんなさい、アーチャー、それにカウレス。私は、私はアルドルのために──アルドルの夢を壊す。自分のために、一族を裏切ります」

 

 その強い言葉にカウレスが驚きに目を見張り、“黒”のアーチャーは優しく微笑んだ。

 恐れは今もこの胸にある、罪悪感も申し訳なさも。

 しかし──迷いだけは既にない。

 

 他ならぬ彼のお陰で、我が儘を通す決意は出来た。

 

「サーヴァントは、マスターの願いを叶えるために在る者。“黒”の陣営の──いいえ、サーヴァント・アーチャー、真名ケイローン。フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアに召喚された英霊として、力を尽くしましょう」

 

 主の言葉に、ケイローンは胸に手を当て、丁寧な所作で忠義を示す。

 この穏やかでまだ小さく無垢な小鳥が飛び立つ覚悟を決めたのだ。

 ならばこそ、英霊として彼女に掛かる暗雲を射止め晴らすが、役割なれば。

 射手座の星が道を示す輝きとなる。

 

「──うん。初めての姉さんの我が儘だ。正直、協力したところで俺なんかがどれぐらい力になれるか分からないけど、当然、俺も協力するよ。姉弟(きょうだい)なんだからな、助け合うのは当たり前だ」

 

 ケイローンに続き、カウレスもまた頷く。

 幼い頃より、我が儘一つ言わずに魔術師として在ろうとしてきた姉。

 そんな姉が初めて見せた自分自身の願い。

 今まで助けられてばかりだったからこそ、此処で動かずしていつ動くという。

 能力も、実力も、姉すら下回る三流魔術師だが、それでも矜持がある。

 

 対するがユグドミレニアの最強でも立ち向かうことに躊躇いはない。

 

「アーチャー、カウレス……」

 

 ただ情から来る我が儘。

 それに何の見返りもなく、フィオレの願いに協力すると言い切る二人。

 フィオレは思わず、声を震わせて瞳を揺らがせるが、拳を握って堪える。

 今はまだ、耐える。

 

 そう──此処からだ。

 話は何もかも此処からなのだ。

 

 これより選び征くこととなる戦場はフィオレの人生において、最大の艱難辛苦。

 最強を敵に回さねば、手に入れられぬ道。

 

 アルドル・プレストーン・ユグドミレニアの野望を砕く。

 

 全てを賭して尚、不可能とさえ言える壁に立ち向かわねばならないのだ。

 ならば泣いている暇などない。

 涙を拭い、顔を上げろ。

 

 今言うべきことはただ一つ。

 

「──ごめんなさい、それから……ありがとう」

 

 こんな無茶に付き合ってくれる二人に感謝を。

 そして──。

 

「この聖杯大戦は──私が勝ちます」

 

 かくして此処にささやかな宣戦布告が為された。

 

 

 ──夜が更けていく。

 

「そういえば聞いたことがあるかね? なんでもアトラス院の院長が──」

 

「アニムスフィア家が洋上の電力施設を買い取ったらしい。それに近頃、国連機関に──」

 

「知っている? 昔、時計塔で噂になったっていう転生の術式を聖堂教会の連中が入手して──」

 

「最近、米国政府が高い報酬で魔術師を集めているようで──」

 

 ──そこでは魔術師たちが歓談していた。

 時計塔から集められ、本来は“赤”のサーヴァントたちを指揮していただろうマスターたちである。

 彼らは各々、一見して情報を交換するように会話していたが、よくよく聞けば誰一人として会話の内容が噛み合っている者が居ない。

 その上、目線は上の空で、誰に向けたものでもない。

 

 一方的な独り言。端的に言って彼らは正気ではなかった。

 今は亡き“赤”のアサシンに毒を盛られた彼らは狂気の中に囚われていた。

 

「…………」

 

 それを、無言で眺める影が一つ。

 施しの英雄カルナ──“赤”のランサー。

 誰に言われるわけもなく、彼らの護衛を務める彼だけが傍観する。

 

 彼らはもはやマスターとして機能していない。

 ならばこそ聖杯大戦に参じたものとして彼らに従う理由はない。

 普通の英雄ならば──たとえば自陣営の“赤”のアーチャーならば早期に切って捨てるだろう。

 事実、そうなっている。

 

「…………」

 

 だが──“赤”のランサーにとって正気か狂気かなど関係はない。

 マスターが役に立つか、立たないか、そんな事実さえどうでもいい。

 

 彼はマスターに呼ばれ、マスターに願われ、マスターのために顕現したるもの。

 たとえ、もはやマスター自身が戦う術も理由も持たずとも。

 この地上に顕現する限り、最大限、マスターの意志を尊重する役目がある。

 

 ただ、それだけの理由で、彼は彼らの側に立ち続けた。

 

「…………」

 

 シロウ神父──天草四郎時貞に乗っ取られた“赤”の陣営において、ある意味では彼こそが唯一の“赤”の陣営と言えよう。あくまで自分自身の願いのために動くシロウ神父や獅子劫たちとは違い、時計塔側にある彼らを守護する“赤”のランサーだけが、律儀にその役目を果たさんとしていた。

 

「…………」

 

 ……願いの成就は極めて困難だろう。

 “黒”と“赤”。

 “赤”のランサーの立ち位置はその双方を敵に回さざるを得ない。

 “黒”の排斥までは共闘も出来ようが、そこから先は相容れない。

 

 確実に、あの神父と事を構えることとなるだろう。

 そうなれば“赤”のライダーも、“赤”のアーチャーも、“赤”のキャスターも等しく敵だ。

 

「…………」

 

 否、まず以て、不可能を可能にしたとて英霊では聖杯に触れられない。

 霊体たるこの身では願望の杯にはたとえ勝ち残ったとしても届かない。

 そして“赤”のランサーにマスターたちを正気に戻す手段は無く、他に協力者も無い。

 

「…………」

 

 無理、無謀、無茶──不可能。

 それはとっくに分かっている──分かっている上で尚、変わらない。

 

 マスターの願いを叶える。

 

 誰に言われるまでもなく、誰に強制されたわけでもない。

 ただただ当然として、意味の無いままに誓いを果たす。

 無償の奉仕、対価なき庇護。

 

 施すことに、“赤”のランサーは理由を求めない。

 

「──引き下がるつもりはない。ならばこそ、貴様の前に俺は立つだろう。神代の継承者、北欧の末子よ」

 

 記憶に思い描く、かの魔術師の姿。

 仮にも現代魔術師を大英雄たる男が敵手と見定める──。

 過分な評価だ、と余人は笑うだろう。

 しかし、彼は笑わない。疑わない。

 当然の事実として──彼を最大の敵と認識する。

 

 何故ならば──。

 

「オマエと俺は同じものだろう。経緯は違えど、俺が太陽を与えられたように。お前は光を与えられている。ならばお前は俺の前に立つだろう」

 

 半人半神──それこそが“赤”のランサーだ。

 故に分かる。()にも、それと同じ気配を感じ取る。

 

「お前がそうであるように、ただ単騎(ひとり)であろうとも引くつもりはない。今代の英雄よ、太陽の輝きを以て、その光を塗りつぶそう」

 

 虚空に呟く独白を終え、再び“赤”のランサーは沈黙する。

 脳裏に描く戦術予想(シミュレーション)

 如何な艱難辛苦が待ち受けようとも、大英雄はその全てを跳ねのける決意を固める。

 

 

 ──夜が更けていく。

 

「ふむ、良い貌になったな。ダーニックよ」

 

「はっ?」

 

 チェス盤を挟んで座るダーニックと“黒”のランサー。

 次の決戦に備えて、相談し合う中、ワインを傾けるこの国の領主は唐突にそういった。

 理解できず、反射的に疑問符を口に出すダーニック。

 

 それに、特に無礼を咎めることもなく領主は繋げる。

 

「覚悟を決めた男の目だ。この戦いに賭ける貴様の決意は余も知るところであったが──今の貴様のそれとは違うものだった。一族の上に立つものとしての責務、貴様はそれで立っていた。だが今の貴様は違う。今の貴様の目は、そう……漢が覚悟を決めた時の目だ」

 

「────」

 

 愉し気に言う“黒”のランサー。

 指摘に、思い当たる節は──当然ある。

 

「良い後継を持ったな、実に羨ましい限りだ」

 

「……公は、アルドルから何か?」

 

「当主の座を引き継いだ、と。その程度に過ぎん。ユグドミレニア一族は貴様らの事情だ。王であるとはいえ、余が立ち入るものではない。しかし──ある程度、察することは出来る。仮にもマスターの事情だ」

 

「──ご配慮、恐れ入ります」

 

「ふむ……せっかくだ、一つ教授してもらえないかな?」

 

「教授……貴方を相手に私が教えられることなど、そう多くは無いと思いますが──」

 

「いいや、私では知らぬ、貴様だからこそ教えられる話だ」

 

 困惑を隠せないダーニックを前に“黒”のランサーは何処までも上機嫌そうだった。

 まるで酒に酔う様に、珍しく、彼は私人として振る舞う。

 この一時に、王ではなく、一人の人間として問う。

 

「席を譲る、後継に託す──とは、どのような気分なのだ?」

 

「────なるほど」

 

 ──その答えは、確かに“黒”のランサーでは得られないものだ。

 世界の盾、救国の英雄、串刺し公。

 名声も汚名も、ありとあらゆるものを背負って王として立った英雄ヴラド三世。

 およそダーニックの手に入れられなかった栄光の全てを掴み取ってきた英傑だが、そんな彼をして唯一持たぬものがあるとすれば、それは後継。

 

 ヴラド三世は英雄であり、優れた統治者であったが……その道を引き継げるものはいなかった。

 だからこそ気になったのだろう。

 得られなかった後継。道を引き継ぐに足る継承者。

 その存在が先達にとって如何様な存在になるかを。

 

 ワインを傾け、ダーニックは答える。

 少しだけ酔いが回っていることを自覚しながら数時間後に忘れる戯言を吐く。

 

「寂しさ、頼もしさ……色々ありますが、安堵、でしょうね。一番は」

 

「ほう? その心は?」

 

「……私は、私しかいないと思っていました。一族を広げたのが私なら、一族を閉じたのも私です」

 

 ユグドミレニアの最盛期を作り、そして衰退の原因を作ってしまった者。

 ダーニックの心には常に責任感と義務感と、そして罪悪感だけが有った。

 

 自分が、自分だけが、自分しか……その一念で八十年も生にしがみついた。

 

 この聖杯大戦もそうだ。

 一族の者たちは本質的には外様だ。

 なればこそユグドミレニアという夢を叶えるためには自分が勝つしかないと、そう思っていた。

 しかし──。

 

「しかし──彼が、アルドルが現れた」

 

 時計塔のロードすら上回る魔術師としての資質。

 一族を背負うに足る貴種としての責任感(本能)

 どんな難題すら踏破する不滅の情熱(篝火)

 

 まるでダーニックの願望を叶える聖杯の如く、かの者が現れた。

 

「自分が死しても後がある。次がある。明日がある。それはどんなに──」

 

 どんなに──希望であったのかと。

 ダーニックは目を細めた。

 

 ……たとえそれが、既に失われゆくものなのだとしても。

 瞬きのような刹那に、彼が一瞬でも夢を引き継いでくれるならば。

 

 この妄執が、終わることに恐怖はない。

 

「成程な……それは何とも、実に──実に羨ましい話だな。ダーニックよ」

 

「ええ──そうでしょうとも」

 

 酔いが回る。常に心を隠し続ける政治家たちはこの一瞬に私人となって会話をする。

 王たることも、長たることも。

 サーヴァントたることも、マスターたることも。

 何もかもを一夜に忘れ、仕事を終えた一人の男のように本音を語った。

 

 

 そうして──夜が更けていく。

 

 

「時に槍はいるかね、ランサー(・・・・)

 

「へえ?」

 

 揺らめく翡翠の魔術工房。

 九つの世界を宿す秩序の金型を前にアルドルと──“黒”のキャスターが対峙していた。

 アルドルの傍には“黒”のアサシンが侍従の様に侍り、その背後の工房には……何かの気配がゆらゆらとある。

 

「正直な話、貴方の存在は私にとっても想定外だった。貴方を呼んだのも、貴方がキャスターのクラスで現れたのも想定外だったが……まさか全てを承知の貴方(・・・・・・・・)が顕れるとまでは思っていなかった」

 

「そりゃあ俺の方も同じだぜ。まさか妖精国からの帰り際(・・・・・・・・・)にまたお使いを頼まれるとは思ってもみなかったぜ。ま、随分と面白い状況に招かれたから気にしちゃいねえけどよ」

 

 アルドルの言葉に肩を竦める“黒”のキャスター。

 その会話は二人の間でだけ通じるものだった。

 ユグドミレニア──否、この世界(・・・・)にいるものでは識りえない会話だった。

 

()は切られないとの話だったが」

 

「おう。爺さん(・・・)からはそう聞いてるぜ。そもそもアンタが混じってる時点で、この偏向線は剪定できないんだとよ。そうだな、アンタが相手なら星見の連中が特異点に介入するのと同じ原理と言えば通じるか?」

 

「──観測、存在/意味の証明。なるほど、『私』という存在は抑止の敵という以外にも意味を持っていたか」

 

「ああ。アンタのような観測者がいる限り、世界の意志でも早々消せないってこった。何せ、優先順位はアンタにある。この世界じゃどうあっても届かない時空からの目を持ってるアンタはある意味では特異点を正当化しちまえるのさ」

 

「正しく世界の敵だな。ふふ、魔王の気分だ」

 

「へ、なら討伐されちまうんじゃねえのか?」

 

「何、正義が常に正しいとは限らないさ。それに昨今は勇者が勝つとは限らないのが流行りだ。魔王が世界を蹂躙することもあるだろう」

 

「そいつは、何とも悪人なこって」

 

「実際、勇者と聖女を殺害したんだ。魔王の謗りは免れまいよ」

 

 くくく、と悪童のように二人は含み笑う。

 両者だから通じる笑えない冗談を両者だけが理解していた。

 

「で? 槍ってのは俺の槍の事で良いのか? つか、もしかして」

 

「知っての通り、私の魔術だよ。神話語り……いいや、原作語り(・・・・)が出来るからな。せっかく、これほど強者たちが勢ぞろいしているのだから。貴方の性格を鑑みれば遊びたいのではないかと思ってね」

 

「嬉しい配慮だねえ」

 

「偶には弓兵以外ともやり合いたいだろう?」

 

「違いねえ。妙な縁でアイツと繋がっちまっているようだからな。こっちにも来てたんだろ?」

 

「ああ。お陰であの様だ」

 

 背後の本体を顎で指し示しながらアルドルは苦笑する。

 それに“黒”のキャスターはニヤリと笑った。

 

「だが、返り討ちにはしたと。大したもんだ。お前さん、もちっと時間があればアイツと違って正規の手段で成っちまってたかもな」

 

「さてね。仮定の話だ……で、どうする? 光の御子殿。森の賢者から衣替えをするかね?」

 

「いらねえ。お楽しみには心そそられるが、これでも約束は守る方でね。頼まれたからには最後まで見届け役を遣らせてもらうさ」

 

「そうか──」

 

 “黒”のキャスターの言葉にアルドルは息を吐いた。

 胸に抱くは納得と、ささやかな無念。

 せっかくならばランサー(・・・・)の奮戦も見たかったとそんな思いを飲み込む。

 

 そんなアルドルの態度に“黒”のキャスターはやや呆れながら──不意に神託を託す賢者の様に語り始めた。

 

「最初に伝えた通り、この事態がどのように収束するか……それを左右するのは此処に取り巻く者たちの運命と選択次第だ。世界の茶々を跳ねのけた以上、此処はどんな可能性も許容する。栄光も、救済も、或いは正史に立ち戻ることも、何もかもな」

 

「────」

 

「未知の結末、語られぬ異聞、選択肢になき可能性──お前(・・)の望むまだ見ぬ結論が此処にはある。その上で、お前はどうする? 生と死の果てにどんな道の結末を視る?」

 

「──決まっている」

 

 問いに、アルドルは即座に切り返す。

 葛藤も迷いも何もかも──何度も悩み、考え、結論した。

 正義を破壊し、秩序を破壊し、脚本を破壊し──何もかもを破壊して。

 

 そこに至ると──とうの昔に覚悟を決めた。

 

「この血に、栄光を。私が在る限り、舞台装置では終わらせん」

 

 胸に手を当てながら、次なる千年紀を刻まんとする黄金は高らかに宣言した。

 

「ハッ──」

 

 燃えるような情熱に圧されて、“黒”のキャスターの胸に熱が宿る。

 或いは己が“赤”であったのならばと。

 敵として相対したならば目の前の青年はどれほど──。

 

「──好きにしな。智慧の大神の代行がお前の全てを許す」

 

「感謝する」

 

 森の賢者の言葉に、アルドルは小さく頭を下げ、謝意を示した。

 

 

 

「ははははは、いよいよクライマックスですな!!」

 

「そうですね、決戦の時です」

 

 実に楽し気に笑い声を高らかに言う“赤”のキャスターを傍目に、シロウは穏やかに頷く。

 用意に時間は掛かったが、それに足る準備が出来た。

 持てる資産をすべて放出するに足る勝算は用意した。

 

 ならば後はどちらが勝つか、どちらが掴むか。

 全ては神のみぞ知る話だ。

 

「しかし、頼んだのは私とは言え、些か申し訳ないですね。きっと、知れば怒るのでしょうね。かの女帝であれば。デザイン、もう少しどうにかならなかったのですか?」

 

 そう言ってシロウは左手薬指に付けられた指輪を眺める。

 正しく結婚指輪と言った様だが、当然ながらこれは魔術礼装の一種だ。

 別段、婚姻を意味するものではないが……勝手を知れば“赤”のアサシンは激怒するだろう。

 

 だが、そんな所感を抱くシロウとは違い、“赤”のキャスターの所感は逆だった。

 

「意外と喜ぶのではないですか。何せ、正しく愛の物語(ロマンス)だ! おお! 『Love sought is good(自ら求めた恋も良いが), but given unsought,is better(相手から求められた恋の方がずっと良い)』!!」

 

「はは──後で貴方共々殺されそうですね、彼女に」

 

「……マスター、ちょっと怖いこと言わないでいただきたい」

 

 ぼそりと呟かれたシロウの一言に“赤”のキャスターがぶるりと震える。

 面白い劇のためなら神すら敵に回す恐れ知らずの劇作家だが、それはそうと怖いものは怖い。ぶちぎれたかの女帝の勘気に触れるのは正直、御免被る。馬に蹴られるつもりはないのだ。

 

「名づけるならば『過ぎ去りし誓いの指輪(セミラーミデ)』──吾輩の脚本ではないのが残念ですが、かの女帝にちなむならば、そんな所でしょうかな?」

 

「悲劇にするつもりはありません。彼女の献身に報いるためにも、私は──俺は必ず勝つ」

 

 遠く、遠く、ずっと昔に誓ったのだ。

 地獄を見て、地獄を巡って、地獄を知って、そして地獄から舞い戻った。

 人の世は救われない、神すら救うことは出来ない。

 世界という機構。世界という仕組み。

 残酷な秩序という枷が、この地獄を塗装している。

 

 故に奇跡が必要だ。

 明日への希望、人々を導く光。

 この日こそ、審判の時。

 

 神が人を救えぬというならば、我が人を救うのだ。

 

かく在るべし(Amen)

 

 涙の今日を終わらせるべく救世主となる──。

 

「──はは」

 

 “赤”のキャスターは胸に手を当て、ゆっくりとお辞儀をする。

 いつもの慇懃無礼さを捨てた丁寧な所作。

 舞台上の主演に最大限の敬意を払う様に。

 

 ──決戦(オペラ)の幕が上がる。

 

 

「さあ──」

 

 

「では──」

 

 

 立場も違う、場所も違う。

 理由も覚悟も、抱いたものも。

 

 私と公。

 個人と大衆。

 情熱と大望。

 

 決して交わらぬ不倶戴天は、奇しくも、この時に。

 同じ台詞を口ずさむ。

 開演(クライマックス)の口火は高らかに。

 

 

 

「「聖杯大戦を、始めよう──」」

 

 

 

 夜が更けて──そして、決戦の朝、来たる。

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