千年樹に栄光を   作:アグナ

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思い耽ることは私の趣味だ。

テーマは問わない。

歴史、政治、思想、哲学、etc.

大事なのは頭を回すこと。

機能は使わなければ衰える。

だからこそ意識ある間は考える。

無論、思考の大半は無意味なものだが、

無価値であるとは思わない。


夜中の思惟/真昼の憂鬱

「幾ら何でもこれは酷いと思います」

 

 頬を膨らませ、半眼でこちらを睨み、如何にも怒ってますと抗議の目線を向けるシャルロット・コルデー。

 視線の先にはもはや見慣れた鉄面皮のアルドル・プレストーン・ユグドミレニアがいた。聖杯大戦に臨むに当たって、彼に“黒”のアサシンとして呼び出されたシャルロットだが、実のところ付き合いは他のサーヴァントより遥かに長い。

 

 というのもシャルロットが呼び出された理由……曰く、聖人を殺して欲しいという依頼(オーダー)を達成するために、シャルロットが現代社会に溶け込む必要があったからである。

 そのため彼女はダーニックの召喚したランサー、ヴラド三世よりも先にサーヴァントとして現界しているのだ。

 

 ともすればその付き合いは半年以上。何となく互いがどういう人間かは知っているし、性格も願いも把握しているし、信頼もそれなりに育まれてきたと自負している。

 しかし、親しき仲にも礼儀あり。

 故に幾ら何でもこれは無いとシャルロットは抗議する。

 

「そりゃあ話を聞けば納得しましたとも。ええ、貴方(マスター)はいつも回り道が大嫌いな人ですからね。最短で決着を付けるためにも必要な手筈でしたと今なら分かります。でもいきなり令呪で私の記憶を消し飛ばした挙句、勝手に暗殺の手筈を整えるとかもうこれは信用問題に関わってくると思います」

 

 事の発端は言うまでもなく令呪による記憶忘却である。必要な処置とはいえ出会い頭にいきなり令呪による忘却を受けた彼女は暗殺に至るまでフランスからの旅行者として放浪していたのだ。

 

 気分は問答無用に一般人、そんな中予め暗示の中に仕込まれた神父との会話終了後、神父に宝具を使用するという命令を成して正気を取り戻したシャルロットが真っ先に見たのは怒り狂う“赤”のアサシンの砲撃。

 

 正直死ぬかと思ったし、俗的な言い回しをすれば超怖かった。

 

 何より一番腹が立ったのは令呪による撤退命令後だ。事情を呑み込めないシャルロットに向かって人の心を解さない男は言った「ありがとう、君のお陰でシロウ神父を倒すことができた、礼を言う」。

 

 シャルロットはキレた。

 必ずやこの厚顔無恥な男に鉄槌を下してやらねばならぬと。

 

「それについては昨日から再三謝罪しているのだがね、すまなかったと。詫びの印にブカレストで煙突菓子(キュルテーシュカラーチ)も奢ったし、これで仲直りという訳に──」

 

「いきません。ていうか何ですか、その物で釣っとけば大丈夫だろうみたいな浅はかな考え! 貴方(マスター)はもう少し誠意というものを見せるべきだと思います! 誠意を!」

 

「誠意……はちみつか?」

 

「だからその安直なモノで釣る考えから離れてください! 大体、そのいっつもいっつも物で釣られるような簡単な女だと思っているところもどうかと思うんです!」

 

「ふむ、別に簡単な女だ、とは思ったことは無いのだが……」

 

 しかし目的のためのフランス旅行で目的そっちのけであそこ行きたいここ行きたいアレ食べたいと自由気ままに振る舞う彼女は実に幸せそうだとアルドルは記憶していた。

 先日の煙突菓子(キュルテーシュカラーチ)──クルトシュの方が通りがいいか──にしても食べているときは万遍の笑みで「現代はおいしいものが多くていいですねー」なんて言ってたはずだ。

 食べ終わってしばらくしてからまた怒ってますモード(こうなって)いたが。

 

「俺なりに感謝はしているつもりだったが伝わっていなかったか」

 

「むぅ……感謝しているのは分かってますよ。ええ、その辺については貴方は誰よりも誠実な人だと知ってますし。私が言いたいのはですね、ええと、そういうことではなくて、もっとこう……」

 

「フワッとしてるな」

 

「そこ! そういうところです貴方(マスター)のダメなところ!」

 

「難しいな」

 

 困ったとアルドルは珍しく目を瞑り、どうするべきかと小首を傾げている。常時鉄面皮で感情が読みにくい彼にしては珍しい感情の発露だった。

 この場に他の身内(マスターたち)がいればさぞ驚いたことだろう。

 

「すまんな俺は女心という奴に疎いのだ。どうすれば納得できるか言ってくれると助かる。流石に何でも、とはいかないが……可能な限り善処しよう」

 

 結局、考え込んだ結論としてアルドルは己のサーヴァントに全権を投げることにした。色々と考えた挙句、分からなかったためである。

 元より人付き合いが()も今も苦手だった。文字でなければ感情が読めない彼にとってシャルロットのそれは難しすぎたのだ。

 

 ゆえに無条件で相手の要求を呑む。それは傍から見れば何一つ変わらない安直な対応であるようにも見えたが、アルドルなりの、精一杯の誠意という奴だった。

 それは付き合いのそこそこ長いシャルロットにも分かった。

 なので、彼女はそんな不器用な主にふっと表情を緩めて、

 

「では、そうですね。時間がある時でいいので色々お話に付き合ってください」

 

「そんなことで良いのか?」

 

「はい、そんなことが良いのです」

 

「ふむ……了解した。今すぐは無理だが、必ず時間を設けよう。面白い話は出来ないだろうが、構わないか」

 

「ええ、話題はさほど重要ではないので。貴方(マスター)には難しいかもしれませんけど語らうことで得られるものもあるのです。あ、知識とかの話じゃないですよ? 気持ちのお話です」

 

「なるほど」

 

 よく分からないがそういうものなのだろう。

 それで納得するならとアルドルは頷いた。

 

「そうか。では何れ機会は設けよう。また暫くは君とは別行動(・・・)になるので早々会えなくなるだろうが、そうだな、こちらの戦況が収まればそちらの仕事もすぐに済むだろう。話す機会はその後にでも」

 

「分かりました。約束ですよ? 破ったら承知しませんからね。針千本です」

 

「……極東に伝わる約定を破った際の罰則か。聖杯もまた随分とマニアックな知識を。それに君が言うと冗談には聞こえないな」

 

「はい、冗談じゃありませんから」

 

 そう言っていつもと変わらない笑顔を浮かべるシャルロット。

 

 ……言葉を受け取るアルドルは初めて背に冷たいものを覚えた。

 もし約束を破れば、本当にやってくるだろう、と。

 それも平時と変わらぬ笑顔のままで、当然のように。

 半ば確信じみたものを覚え、アルドルは思わず口ずさむ。

 

「了解した。何としても、必ず、約束を果たそう」

 

「はい。信じていますからね?」

 

 ではではーっとようやくゴキゲンになったシャルロットは軽い足取りでアルドルの私室を後にする。

 その背をぼうっと見送り、ぼそりと呟く。

 

「怖いな、流石はシャルロット・コルデー」

 

 そんな感慨のような恐怖のような何とも言えない感情を口に出すのであった。

 

 しかしそれも一瞬の事。

 彼女が辞したのを見送った彼はそのまま愛用の北欧チェアに体重を預ける。木製の硬質な感覚と独特の香りがアルドルの気を落ち着かせ、その思考をクリアにしていった。

 気づくと、片眼鏡(モノクル)の向こう、彼の右目はぼんやりと色を放ち始める。

 

「さて、何はともあれアサシンのお陰で私が求めていた前提条件は全てクリアされた。明日にでも始まる前哨戦にも後顧の憂いなく望めることだろう」

 

 第一に“黒”の陣営のサーヴァントの選定。

 第二に“赤”の陣営に属するシロウ神父またはそのサーヴァントの排斥。

 

 此度の聖杯大戦に臨む上で、アルドルが開戦前にやるべきこととして考えていた二つの条件、それが達せられたとアルドルは満足げに頷く。

 

「“赤”の陣営と戦う上でネックなのはやはりサーヴァントだ。セイバー、ランサー、アーチャー……これら三騎士は流石は三騎士だけあって極めて優秀。“赤”の陣営のセイバー、ランサー、アーチャーと比べて遜色はない者たちだろう」

 

 “黒”のセイバー、ジークフリート。

 “黒”のランサー、ヴラド三世。

 “黒”のアーチャー、ケイローン。

 

 これら三騎士は実に優秀な存在だとアルドルは思っている。上手く運用すればそれこそ“赤”の陣営のサーヴァントに何ら劣ることは無いと。

 召喚したマスターたち以上に、アルドルは彼らを評価していた。

 

 故に問題があるとすれば他だった。

 

「しかしライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーの四騎は別だ。敵が強力である以上に身内間での不和が起きかねん。特にキャスター……ロシェが呼び出そうとしていたアヴィケブロンは論外だ」

 

 口にしたその名前はキャスターのマスターであるロシェが、アルドルが口を出していなければ召喚していただろうサーヴァントの名前だ。

 真名アヴィケブロン。またの名をソロモン・イブン・ガビーロール。

 哲学者として中世ヨーロッパの思想界隈に多大な影響を与えたユダヤ教徒の詩人にして新プラトン主義哲学者。

 

 だが、英霊として呼ばれていれば彼の側面は哲学者よりも魔術師の側面が強調されて呼び出されていたことだろう。

 そう、数秘術(カバラ)を基盤とした魔術師、稀代のゴーレム使いとして。

 

「現代魔術師が及びもつかないゴーレムの生産速度、品質はなるほど確かにこういった戦争向きの性能ではある。しかし、気質がダメだ。宝具の完璧な完成のためならば手段を問わないその気質はこちらの勝利のためには邪魔になる」

 

 アルドルは知っていた。

 召喚される予定だったそのサーヴァントの能力も、そして願いも。

 

 『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)

 

 それこそがキャスター、アヴィケブロンの宝具であり、生前は完成させること叶わなかった彼の願いそのものである。

 ──一般にサーヴァントの持つ宝具、それは生前の武功、武勲、逸話、武装を由来としたモノとなる。

 

 例えばアルドルのサーヴァント、シャルロット・コルデーの宝具は逸話を基にした宝具である。

 故国に愛を、溺れるような夢を(ラ・レーヴ・アンソレイエ)。彼女の名を世に知らしめたたった一度の暗殺。暗殺の天使とまで謳われた殺される寸前まで一切の殺意を感じさせない殺人こそが彼女の宝具だ。

 

 しかし、こういった生前の行為ないしは武装を由来とした宝具の他に……例外的な形で英霊に宝具が付与されることがある。

 

 キャスター、アヴィケブロンの宝具もその類いである。

 彼の宝具は彼が生前完成させようとし、未完成のまま終わったカバリストたちが目指したゴーレムの完成形とも言える代物だ。

 未完であるが故に、通常の真名解放による宝具の使用とは異なり、道具や素材を集めて宝具を完成させねばならないという手間が掛かるものの、完成さえしてしまえば彼の宝具『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』は無類の強さを発揮しただろう。

 

 なんせ、アレは生ける固有結界。アヴィケブロンら信心深いカバリストたちが目指した『楽園(エデン)』の具現とも言える代物である。

 ランクにして驚異のA+という数値を叩き出すそれは、最優のサーヴァント、セイバークラスの聖剣魔剣であっても容易く攻略できないモノであるという事実をアルドルは知っていた。

 

 だがしかし、宝具の強さはともかくアルドルはアヴィケブロンという英雄を信用していなかった。

 生前は完成を視なかった彼の宝具。『王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』。その完成こそがアヴィケブロンの悲願であり、そしてそれを完成するためならばあの英雄は一切手段を問わないということもアルドルは知っていた。

 それこそ、召喚したマスターを裏切るほどのものであるとも。

 

 人物像からして人間嫌いの厭世家。ともすれば何よりも陣営での連携が問われる聖杯大戦において、能力の優良さを考慮してもとてもではないが味方として頼っていい英霊であるとはアルドルは考えられなかった。

 だからこそ、彼は同じゴーレム使いとして何より召喚することを願っていたロシェに待ったを掛け、アルドルが所持していた聖遺物……ケルト民族の先住民たちが祭儀に使っていたという旧いオークの杖をロシェに手渡し、それによる英霊召喚を態々命じたのである。

 

「加えて言うならば“赤”の陣営が召喚するサーヴァントが相手ではあまり有効に働くとは思えない。数で圧倒出来るほど敵陣営のサーヴァントらは甘くないし、宝具にしても“赤”のランサー……あの英雄の火力で以て挑めば、ともすれば固有結界ごと破壊されかねん」

 

 そう言いながら脳裏に浮かべるのは恐らく召喚されているだろう“赤”の陣営のランサーの姿。かの英雄の放つ劫火であれば固有結界型ゴーレムの起点となる炉心ごと物理的にゴーレムそのものを破壊すること可能であろう。

 無論、果たしてあの高潔な英雄が地上でそれを振るうかは分からないが、そうでなくとも単純な火力だけでAランクという宝具級の威力を叩き出す存在だ。ゴーレムの炉心を突かれでもすれば、そもそも宝具の使用すら必要あるまい。

 

「そしてアヴィケブロンが人的に使えないのとは別にライダー、アサシン、バーサーカーは各マスターに任せたままでは単純に戦力足り得ない」

 

 己の枠として取った“黒”のアサシンはともかく、ライダー、バーサーカーの二騎に関してはキャスターの事情とは違う理由で戦力足り得ないとアルドルは断言する。故にこそ後者にはロシェと同じように口出ししたし、前者の方も動かそうとはした。尤も……。

 

「あの趣味人を動かすことは出来なかったが、まあ二騎の入れ替えが出来ただけでも合格だろう」

 

 次期当主(じぶん)が口を出しても決して自分を曲げなかったセレニケを思い出してアルドルは思わず頭を振る。

 アレの性根は知っているが、此度の戦争がユグドミレニア存亡に関わる戦であることを仮にも一族代表としてもう少し自覚して欲しいと思うが、もはや今更な話である。

 既にサーヴァントは出揃い、開戦の号砲は鳴らされた。

 ならば悔やむより先に次を見るべきだろう。

 

 とはいえ、それでも強さや性能を抜きにしてもあのライダー……アストルフォを呼ばれることはアルドルの都合上、止めて欲しかったと考えざるを得ない。何せ一番面倒くさい。性格ではなく、これからの展開(・・)が面倒くさくなるのである。

 

「まあ尤も、私が先んじれば(・・・・・・・)いいだけか。とはいえ接触するタイミングが読みづらいのが懸念点だが。バタフライエフェクトか何かでタイミングが早まることも考慮すると、さてどうしたものか」

 

 不明瞭なままライダーだけは都合が悪いと言いつつ、アルドルはぼんやりと虚空を眺めるように右目を細める。

 

 ──召喚されなかったキャスターの宝具から未だ会敵すらしていない敵方のランサーの存在まで、さながら知っているかのように語るアルドルの姿は敵味方問わず異様としか言えなかった。

 

 如何に彼が多くの亜種聖杯戦争や魔術世界の神秘との交戦を経てきたとしてもこの未来視じみた知識の精度は異常としか言えまい。

 ともすればその未来視じみた読みはアトラス院の魔術師たちが誇る分割思考・高速思考の生み出すそれに近しいものを感じさせるが、違う。

 彼はもっと根源的に全てを知っていた。

 

「……ああ、なるほど。タイミングが分からないのであれば、タイミングを作ればいいのか。その発想は無かったな。そういうことであれば、なるほどライダーの幸運も抑止力の妨害も、運命も気にする必要はないか」

 

 頷き、納得し、思考の泉に浸かりながらより一層考えを深めるアルドル。

 まるで彼は見えない誰かと議論するように考え、考え、そして。

 

「ふむ。ひとまずこれなら問題あるまい。大まかだが、前哨戦の展開としても丁度よかろう。何より筋書きだけなら予定通りだ。実戦力の確認とでも言えばダーニックたちも納得しやすかろうし、悪くない」

 

 思考の果て、満足げにアルドルは頷いた。

 

「シロウ神父が生死不明になった以上、此処からの展開は読みにくくなるが、それでもアサシンのお陰で勝利にかなり傾いたのは確かだ。であれば未だ読みやすい方を読みやすいうちに利用するのは適切か。上手くすれば序盤で落とすこともできるやもしれん」

 

 言いつつ、アルドルは別段思い立ったセカンドプランに関してはあまり期待してなかった。あちらはあちらで実戦の目が効く。

 加えて言うなら入念に計画したシロウ神父暗殺とは異なり、本命に次いででの話だからだ。あくまでタイミングを合わすことがメインであって、首を取るのは二の次。

 シロウ神父の件ほど重要視していなかった。

 

「……街の監視は消えた。シロウ神父の生死は不明だが、それでも無傷ということは決してないだろう。どちらにせよ、すぐに動けなくなったのは確かだ。このタイミングでこちらの状態を完璧に仕上げ、決戦に挑むとするか」

 

 どの道、全面的な開戦をすれば向こうの状況は見えてくる。

 『庭園』が来るならば、大幅な計画修正が必要となってくるが、アルドルの読み通りで事が進めば、話は簡単だ。

 

「『庭園』が出てこないようならば、次の全面衝突を以てして──ユグドミレニアの勝利はほぼ確定する」

 

 ここまで出来る手筈は全て整えた。

 故にこそアルドルは予定通りに進めば勝利は確定すると断言する。

 何故ならばアルドルは知っている、これは戦争だと。

 

 “赤”のランサー、“赤”のライダーは確かに強力極まりない。もし手を加えていなければその二騎だけで“黒”の陣営が全滅させられていたのではないかと思う程に。だが、もはや筋書きは書き換えた。展開は塗り替えた。

 そう、サーヴァントの強さだけが勝敗を定めるのであれば、アルドルは九度の亜種聖杯戦争の中で命を落としていたことだろう。

 彼らの強さ、彼らの神秘、彼らの魅力に取りつかれるあまり、そもそも皆が皆はき違えている。これは、戦争(・・)なのだ。

 

「私は勝利するため、やるべきことをやるだけだ」

 

 ──物語は好きだが、現実はつまらなくて良いとアルドルは思う。

 展開はつまらなくて良い。

 盛り上がりなど無くて構わない。

 物語ならばいざ知らず、アルドルはドラマチック(そんなもの)を求めていない。

 

「全ては予定通りに。そうなることをせいぜい祈るとしよう」

 

 そう言うアルドルの表情は厳しかった。

 予定通りに、と言いつつ、そうはならないであろうことを同時にアルドルは確信していたから。

 このまま波風立たずして終わるほど聖杯大戦も、この世界(・・・・)も甘くは無いということもまた、アルドルは知っている。

 

 だからこそ常にありとあらゆる状況を想定しながらアルドルは思考を回し続けるのだ。

 次の展開、次の状況、次の未来、次の、次の、次の……と。

 勝ち切るその瞬間まで『先祖返り(ヴェラチュール)』に隙はあり得ない。

 

 

 今宵もまた夜が更けていく。

 未だ一人で盤上を動かし続けるアルドルは開戦を待つ一族を傍目に、また一つ、また一つと勝利へと繋がる布石を打ち続ける──。

 

 

 

 ──『夜中の思惟』

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。

 彼女にとってアルドル・プレストーン・ユグドミレニアという男は同じ学び舎で学んだ学友であり、ユグドミレニア一族という同胞であり、ユグドミレニア一族の次期当主の候補として名を並べた競合者(ライバル)であり、そして……。

 

「ふぅ……」

 

 サーヴァント召喚を経て一日ほど経過した昼下がり。

 正午のミレニア城塞中庭で少女はゆっくりと息を吐いた。

 

 昨夜の召喚でそれなりの魔力を消費したため今日の所は下手に魔術装備や対策などの行動をせずに魔力回復に務めていたが、それもあって現在調子は良好。これならば今日の夜にでも始まりかねない聖杯大戦にいつ挑むこととなっても問題ないだろう。

 正直なところ今回のユグドミレニアの宣戦布告はフィオレとしてはあまり乗り気にはなれなかったが。

 

「聖杯、アレがあれば私の足も……」

 

 すっと撫でるように自分の足に触れる。

 ──フィオレの願いは『己の足を治すこと』だ。

 それはあの一族の栄光を望むダーニックや本気で根源到達を望んでいるアルドルと比べればとても人間として普通な、悪く言えば陳腐なものだ。

 果たして聖杯に託さねばならぬほどの願いかと思う程に。

 

 だがフィオレの動かない両足、これは何も単純に生まれついて足が不自由だから歩けないという話ではないのだ。

 この両足が動かない原因。それは──魔術回路にある。

 

 魔術回路とは言ってしまえば魔術師が魔術師たるために必要な疑似神経である。魔力の根源たる生命力を魔力へと置換するために必要な器官であり、魔術師が魔術を使うための回路である。

 

 通常、魔術回路それ自体はただ在るだけでは魔術を使えるようになる以外に人体に何ら影響を及ぼすものではないが、フィオレの場合はそれが生まれついて変質していた。

 魔術師としての才とは引き換えに生まれついてから変質していた魔術回路は両足から歩行という役目を奪い、それだけに留まらず時折、耐えがたい苦痛まで襲い掛かってくるのである。

 それを克服せんがため一時は時計塔の学び舎で人体工学や降霊術を学び、自力での克服を目指し、また学友らの縁を頼って腕利きの調律師に依頼をしたこともある。

 だが結果はこの通り。結論から言って、魔術回路を捨て去らなければこの両足は自立することができない。

 

 両足を治したい、しかしそのためには魔術を捨て去らなければならない。

 そんな二律背反に苦悩する彼女だったが──聖杯。所有者の願いを叶える万能の杯。アレを見た時、彼女は叶わないと諦めていたささやかな希望が叶う可能性を見たのだ。

 アレを見たからこそフィオレは生死のかかったこの闘争に身を投じ、かつて学びを共にした学友たち……時計塔と相争う運命を受け入れたのだ。

 それにこの戦いを勝ち抜くことが出来れば。

 

「……アルドル」

 

 一族の同胞として、同じ学友として、自分の足を治すために手を尽くしてくれた彼と昔のように何の憂いもなく話すことが出来るのではないか──。

 そうフィオレは思うのだ。

 諦めなかった彼と、諦めてしまった私。

 あの日、完治する未来が見えない絶望と両足が生む痛みに耐えかね、「もういい」と言ってしまった以前のように。

 

「──こちらに居られましたか」

 

 と、フィオレが過去の憂いに思いを馳せていると穏やかな声がフィオレを捉える。視線を向けるとそこには一人の朴訥な青年が──サーヴァント、クラスアーチャーことギリシャ神話の英雄、ケイローンがいた。

 その両手にはお盆を持っており、茶菓子とポットが載せてある。

 

「疲れているご様子でしたのでハーブティーでも、と思いまして。一度、お部屋にお伺いしたのですが……無用な気遣いでしたか?」

 

 驚き黙するフィオレの姿にケイローンが苦笑を漏らす。

 その言葉にフィオレははっと意識を取り戻した。

 

「い、いえ、お気遣いありがとうございます。少々驚いてしまって」

 

「そうでしたか。確かに一声かけておくべきでしたね」

 

 そういってケイローンは丁寧な所作で抱えていた盆を中庭に設置されたテーブルの上に乗せ、茶器と茶菓子を並べていく。

 さながら熟練した使用人の如き、隙の無さである。

 手慣れた様子でハーブティーを注ぎ終わるとケイローンが問いかける。

 

「何か、お悩み事ですか? よろしければ相談に乗りますよ?」

 

「……そんなに分かりやすかったですか?」

 

「いいえ、ただ何やら憂いがあるご様子でしたので」

 

 そういって青年は穏やかに微笑んだ。

 如何にも余裕がある大人といった振る舞いである。

 何処か年月を経た大木のような穏やかさの雰囲気を纏う青年はフィオレが見てきた人々の中で誰よりも安心感を覚える存在であった。

 

 恋や愛とは違う、近しいもので言えば父母のそれに近いか。

 ともあれマスターとサーヴァントという関係以上に、フィオレは目の前の青年を信頼していた。

 だからこそ、つい憂いを見抜かれた憂いを告解する。

 

「アルドルのことを考えていました。聖杯が手に入り、願いが叶えば彼とも昔のように話せるようになるのではないか、と」

 

「アルドル・プレストーン・ユグドミレニア。“黒”のアサシンのマスターですね。ユグドミレニアの中でも随一の実力者、と」

 

 ケイローンの復唱するような言葉にフィオレは頷く。

 そして問うた。

 

「はい。……ケイローン、貴方から見てアルドルはどう思いますか?」

 

「どう、とは難しいですね。まだ話したことはありませんので」

 

「あ、そ、そうですよね……すみません」

 

「いえいえ、ただまあ……そうですね。私の印象だけで語るのであれば、凄まじい、その一言に尽きるでしょう」

 

「凄まじい……それは神代に生きた貴方から見ても、ですか?」

 

「ええ」

 

 その評価は身内として知るフィオレからしても驚くべき評価だった。

 ケイローン。

 彼はギリシャ神話に名高い屈指の賢人である。

 クロノス神と母ピリュラーの間に生まれた半人半馬の彼はケンタウロス一族の一人としてアポロン神より音楽と医術を、アルテミス神より狩猟を学ぶなど多くの学びを神々から授かり、自身もまた得た智慧の数々を後世活躍する様々な英雄らに授けていった賢者である。

 そんな多くの英雄、英傑を見て来ただろう彼をして凄まじいというのは神代の賢人が現代魔術師に贈る評価としては規格外であろう。

 

「もちろん、私の生きた時代……神代の英雄たちと比べれば力それ自体は比べるまでもないでしょう。立ち振る舞いからして剣は相当に使うと見ますがそれでも、神々の加護を授かった英雄らとは時代が違いすぎる」

 

 故に凄まじいとは、あくまで聖杯から得た現代の知識に合わせてのものだとケイローンは言う。神代の英雄には及ばないが、現代においては破格であると。

 

「第一感から受ける魔力の量、質。そして鍛え上げられた肉体。何よりも、アレは意思が強い。過去に見てきた英雄たちの炎を思わせる苛烈な意思とはまた違った……そうですね、使命感。あの意思の形はアスクレピオスに似通っているかもしれません」

 

「アスクレピオス……医神とまで謳われた英雄ですね。そういえばケイローンの弟子の一人でしたね」

 

「ええ。少々、のめり込みすぎる気質があり、そのせいで周囲との不和が起こることもありましたが、私の誇るべき生徒の一人です」

 

 そういってケイローンは穏やかに、されど誇るように笑う。

 教師が自慢の生徒を誇るような笑みだった。

 確かに育った弟子を、生徒を温かく見つめるような、目。

 

 フィオレはそれを見て少しだけ、羨ましいと思った。

 このような教師に導かれた生徒たちはさぞ幸せだったろうと。

 チクリと胸に微かな痛みを覚える。

 或いは自分もまた……。

 

「マスター?」

 

「あ、い、いいえ。何でもありません」

 

「そうですか。……ともかく現代の基準において尚、驚嘆すべき実力を秘めているだろう存在、私の第一印象はそんなところでしょうか」

 

 そういってケイローンは自分の評価を言い切った。

 ……尤も彼は全てを言い切ったわけではない。

 賢人として、多くのものを眺めてきた彼だからこそ分かる。

 アレは凄まじい(・・・・)

 

 先ほどケイローンは魔術師として見えるアルドルの凄まじさを語ったが、それとは別に英霊として彼を見れば、また違ったものが見えてくる。

 実際、ライダー……アストルフォも反応していた。

 

“ただの人間にしては霊格が大きい(・・・・・・)。いや正確には魂単一ではなくそこに外装……魂の鎧とでも言うべきものを纏っているのか”

 

 言ってしまえばケイローンの言う凄まじいとは、霊的に凄まじいということだ。

 ただの人間にはあり得ない、魂の格。

 英霊が、人ではなく霊的には精霊に近いように、彼もまた人ではなく、それ以上の何かの霊格を纏っている。

 

“それに腰に帯剣していたのは間違いなく魔剣。それも神代に由来するものだ”

 

 詳細は流石に刀身を見ていないので把握できないが、儀式場で見かけたセイバーに親しいものをあの剣からは感じた。

 アレは紛れもなく英霊が振るう宝具に匹敵する武具だろう。

 ケイローンから見ても剣使いとしてかなりの腕前であることを考慮すれば決して見せかけや飾りの類でもない。

 

 故にケイローンは凄まじいと称したのだ。

 ケイローンとて現代の神秘その全てを把握しているわけではないが、少なくともあの儀式場にいた面々……自身のマスター含め、あの場にいたユグドミレニアの魔術師全てが結束したところで彼には敵うまい、と。

 

 加えてあの眼だ。あの眼は間違いなく……。

 

「ケイローン?」

 

「……何でもありません。しかしマスター、話の流れから察するにマスターの憂いとはアルドルに由来するものですね?」

 

 小首を傾げこちらの様子を窺うマスターの視線を受けてケイローンは自身の思考を断ち切った。

 そしていつもの穏やかな笑みで主人の憂いの正体を問うた。

 それにフィオレは小さく頷く。

 

「……はい。やはりバレてしまいますよね」

 

「言いたくないのであれば……」

 

「いえ、良いんです。私も少し、誰かに話したい気分だったから」

 

 そう言ってフィオレは静かに語りだした。

 元々一族の中でも年若いことから交友関係があったこと。

 自分よりも二つ年上の存在として兄のように慕ってたこと。

 時計塔では先輩として何かと面倒を見てくれたこと。

 そして……。

 

「一時期私とアルドルは共同研究をしていました。研究対象は他ならぬ私の両足に関して。時計塔時代、彼は本気で私の足を治そうと動いてくれた時があったんです」

 

 その頃のアルドルと言えばどういう縁か当時アルドルが学んでいた学科、考古学科の学部長にしてロードの一人であるカルマグリフと北欧の古い遺跡の研究をしていた時期である。

 詳しい内容はフィオレも把握していないが、何でもキリスト教が北欧の地で広まる以前の……何の手も加えられていなかった北欧の信仰が手つかずだった頃の古いルーンの碑文を研究していたはずだ。

 そんな忙しい時期に、態々彼は私のために手を尽くしてくれた。

 フィオレでは話の通せないロードお抱えの調律師や、魔術協会とは縁を断って久しい古い大家など、知識は勿論、人脈すらも使い切って、フィオレの足を治すために奔走してくれたのだ、だけれど。

 

「先に私の方が根をあげてしまったんです」

 

 治療は、どうしても痛みを伴うものだった。

 足は治せなくてもせめて痛みは、とそんな願いを踏みにじるようにありとあらゆる手段を試せど良くなる気配は見られず、結果アルドルより先にフィオレの方が折れた。もういいと、そう言った時の彼の顔を今でも覚えている。

 

「……アルドルは何と?」

 

「「そうか」と一言だけ言ってました」

 

 諦めるような、嘆くような瞑目、沈黙。

 それ以来、フィオレは彼に負い目を感じるようになったのだ。

 

「だからこそ……と思うんです。もしも聖杯が手に入って、この両足が治せるようならば、と」

 

 その時こそ、彼ともう一度話せる気がするのだ。

 何の憂いもなく、昔のように──憧れの人の背を追いかけていたあの時のように。

 

「……すいません、聖杯大戦を前に考えることではありませんでしたね」

 

 そういってフィオレは頭を下げた。

 それに対してケイローンはいいえと首を振り、

 

「勝利した後に目指す先を思い浮かべることは何ら恥じることではないでしょう。寧ろ前向きに勝利を目指せるという意味ではプラスとさえ言える。その意志と願いがあればきっと、マスターの思いも届くと思いますよ」

 

「ケイローン……」

 

 そういってケイローンは胸に手を当て、言う。

 

「我がマスター、フィオレに誓いましょう。貴方のそのささやかな願いのためにも必ずや聖杯をユグドミレニアに齎してみせると」

 

「はい……はい、ありがとうございます、ケイローン」

 

 ケイローンの宣言に初めてフィオレは屈託なく笑う。

 ……憂いは決して晴れたわけではない。

 ただそれでも頼れるこのサーヴァントがいる限り、きっと大丈夫だという確信がある。それは根拠のない過信、なのかもしれない。

 しかし。

 

“アルドル、私も貴方のように頑張ってみようと思います”

 

 今ならばあの振り返らず進み続ける背中のように。

 前に進めると思うのだ。




「やっほー! アルドル! 元気ー? 丁度良かった。今から街に出ようと思ってて!  なのでお金貸して! え? 何でって? さっきすれ違った女の子がアルドルに頼めばなんでも買ってくれよーって言ってたからさ。いやー、他にも街でのおすすめのお店とか教えてくれて親切な子だったよー。アレ? 何で上向いて頭抱えてんのさアルドル。頭痛? 病院連れてってあげようか?」

とあるサーヴァントの会話

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