千年樹に栄光を   作:アグナ

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聖者の行進 上

 ただ始まりには疑問があった。

 (わたし)行進(歩み)の全てはそこから始まった。

 

 ──『おっかぁ! おっかぁ! おっかぁ……!』

 

 何故、奪うのか。

 

 ──『た、頼む……! 命だけは、命だけは助けてくれぇぇ!』

 

 何故、殺すのか。

 

 ──『畜生、畜生、畜生……! お前たちが、お前たちのせいで俺たちは、こんなにも苦しんで……』

 

 ……ずっとずっと、昔の話。

 少年は主と民の嘆きを聞いた。

 何処かで涙する誰かと、目の前で苦しむ誰か。

 

 他者(ひと)より特別だった少年は、それを救いたいがため、誰かの不幸を拭うがために立ち上がり、歩み出し、そして当然のように敗れた。

 

 結末は──初めから知っていた。

 己は特別であったが、その両腕は諸人を包み込むにはあまりにも小さい。

 (みんな)を救うなんて、初めから夢物語だったのだ。

 

 その夢物語の結末こそが目の前の惨状。

 飢えと殺戮、炎と略奪。

 怨嗟と嘆きに満ちたこの地獄(べんぼう)こそ、(わたし)に導かれた(みんな)の末路であった。

 

 ──どうすれば良かったのだろう。

 燃える城を見上げながら苦悩する。

 

 目を背ければ良かったのだろうか──誰かの嘆きに。

 

「奪い、盗み、嗤う──そんな悪性(誰か)を肯定しろと?」

 

 耳を塞げば良かったのだろうか──誰かの悲鳴に。

 

「殺し、踏み躙り、嘲る──そんな悪性(誰か)を容認しろと?」

 

 或いは──救われぬ日々(きょう)と、救い無き日々(きょう)

 

 そも……初めから救うなどと望まなければ良かったのだろうか。

 どうしようもない行き止まりに辿り着いた時点で、それはもう、どうしようもなかったとでもいうのだろうか。

 

「奪われ続ける弱者(誰か)を、殺し続けられる被害者(誰か)を、初めから見捨てることが最善(・・)であったとでも?」

 

 胸の内にこの理不尽(現実)に対する憎悪が燻る。

 英霊となってからも変わらない憎悪。

 高みにて見下げ、嘲弄する悪性(ひと)に触れ、ただそれを嫌悪する。

 

 認めよう──天草四郎時貞は人間を嫌っている。

 奪い、殺し、嗤う──人間を憎悪している。

 

 ……だが、そんな彼らもまた人間だ。

 此方と彼方で見える景色は異なる。

 正義の所在が立場で変わってしまう様に。

 

 彼らにとって、彼らを悪として見るこちらこそが、彼らにとっては悪なのだろう。

 

 だから……彼ら(にんげん)を憎むことは、己が幸福を望んだ彼ら()を憎むということになる。

 

 嗚呼──天を仰ぎながら思う。

 それは出来ない。救いたいと願った誰かを憎むことなど決して──。

 しかし憎悪は、胸に燻る憎悪(ほのお)は消えなくて……。

 

「だから私は心を捨てた」

 

 感情に蓋をする。

 誰も彼もを慈しむため、誰も彼もを愛するために。

 

「喜びも、悲しみも、憎悪も……衆生全てを救うため、私は感情(おれ)を切り捨てた」

 

 そうして荒野を歩み続けた。

 答えの出ない疑問を胸に問い続けた。

 

 なぜ奪うのか、なぜ殺すのか。

 どうすれば──みんなを救えるのか。

 

「結論として──容量の問題だ。この世界には奇跡が足りない」

 

 英霊として現界してから六十年。

 彼は様変わりした歴史(時代)を歩んできた。

 

 自分が知ってる頃より、発展した人の世。

 自分が知ってる頃より、発達した人の世。

 

 それでも争いは止めどなく、血と嘆きは雪のように積もっていく。

 

 ……いつか誰かが言った。

 ──『誰かを救うということは、誰かを切り捨てるということ』

 

「──資源には限度があり、全ての人間を幸福にすることはできない。だから奪う、限られた幸福を求めて。だから殺す、限られた幸福を求めて」

 

 二者択一。この不条理な原則に帰結するのは全てはそれが原因だろう。

 だからこそ欲する、人類(みんな)を受け入れる器を。

 汲めども尽きぬ水、汲めども尽きぬ資源──汲めども尽きぬ奇跡。

 

 そんなものがあれば──きっと。

 

「第三魔法──聖杯であれば叶う。人類全ての救済、もう誰も泣かない、泣く必要のない明日が」

 

 召喚され、追い求め、微かに触れたその一端。

 忘れがたい感触を覚えている──これならば、と。

 これならば全てを救える、確信がある。

 

「──我が希望、我が懊悩が果てに見た未来(ひかり)。それを手にして今度こそ、私は全てを救ってみせる」

 

 ──故にこそ。

 

「それを手にするのは俺だ。……奪わせてなるものかよ」

 

 聳え立つは千年樹。

 我が希望、我が望みを阻むもの。

 アレこそが最後の障害。

 アレこそが最後の試練。

 

「これが人類が流す最後の血と嘆きであらんことを──人類救済がため、黄昏に朽ち果てるが良い、千年樹(ユグドミレニア)

 

 少年は進む、救いを求めて。

 もう誰も泣くことのない希望に満ちた世界を齎すために。

 此処に──最後の乱の引き金を引いた。

 

 

 

 

 時は暫し遡る──。

 

 

 

 神霊顕現──アルドル・プレストーン・ユグドミレニアが戦場に与えた衝撃は大きかった。

 敵味方双方を問わず、無差別に振るわれる慮外の出来事。

 その影響が最も大きかったのは……やはり“赤”の陣営だった。

 

「チィ……!」

 

 振り下ろされた大剣を槍で弾き飛ばす。

 次いで間隙なく足元から襲い来る数百の杭を飛び退いて躱し、回避先を読んで追撃して来た魔術によって象られた火球を岩盤を蹴り上げて捌く。

 ……衝撃から立ち直った“黒”の陣営はこれまでの鬱憤を晴らすが如く、“赤”のライダーに反転攻勢を仕掛けてくる。

 

 無論、それを棒立ちで受け入れるほど“赤”のライダーは甘くない。

 “黒”のセイバー、“黒”のランサー、“黒”のキャスターが三騎の攻撃を躱し、捌き、凌ぎ切る。

 三対一の集中砲火。これを前に耐えてみせるのは正しく大英雄の証明だった。

 

 されど、その動きは明らかに“黒”の陣営に優位を取っていた先ほどまでと比べて精彩が欠けていた。

 

 神霊の顕現に動揺した?──それもある。

 神話を出身とする“赤”のライダーのことを考えれば意外かもしれないが、別段不思議なことではない。現代に比べ神は遥かに人に近しい存在であったが、それでも神は神だ。

 人を超えた存在に相対すれば精神に負荷は掛かるし、何より“赤”のライダー──アキレウスの生まれたギリシャ神話体系において神々は世界の秩序にして理不尽の象徴だ。

 

 彼らの気まぐれ、彼らの謀略によって振り回された英霊は数知れず。

 あのギリシャに名高き大英雄(ヘラクレス)ですら、神々によってその人生を振り回された。

 

 そんな存在がよりにもよって敵陣営の……“黒”の陣営に立つ存在として顕現すれば動揺するなという方が不可能であろう。

 ましてや、アレほどの魔性(カリスマ:EX)を纏った存在だ。

 寧ろこうして正気で耐え抜き、“黒”の陣営の猛攻に立ち向かっている現状こそが奇跡に等しい。

 

 “赤”のライダー……世界最速を誇る大英雄アキレウスだからこそ出来る奇跡だ。

 よって──彼ならぬもう一騎がそれに耐えられぬは当たり前のこと。

 そして、それこそが“赤”のライダーの足を引く正体であり、破滅への片道切符だ。

 

「クソ──おい! 姐さん! 姐さん!! しっかりしてくれ!!」

 

「ぁ……ぁぁ……」

 

 呼びかけに応じる声は信じがたい程に弱弱しい。

 そこに気高き女狩人の影は姿形も見えず、此処にいるのは紛れもなく──どうしようもない現実に咽び泣くことしか出来ないか弱い女性の姿であった。

 

 だが、だからといって戦場は容赦しない。

 余計な荷物を抱え、雁字搦めとなった英雄を討たんがため、非情な猛攻が彼を襲う。

 威力よりも数に頼った杭による面攻撃。

 さらには地盤に干渉した行動制限。

 そして一撃必殺を懸けた大剣による強打。

 

 味方の攻撃の影響を受けない優れた“黒”のセイバー(前衛)がいるからこそ可能となるお手本のような連携攻撃。一人ならばそれでも自慢の脚速で切り抜けることも出来ただろうが、“赤”のアーチャーを抱えた状態ではそれも難しい。

 何よりも──そもそもこれらの攻撃は“赤”のライダーを狙ったものではない。

 

「貴様ら……!!」

 

「戦場では足を止めた奴から落ちていく。テメエも知らぬ話じゃねえだろ。悪いがこれは戦争でね。弱点が明確ならこれを狙わねえ道理はないだろ」

 

「然り。そして勝つためには時に非情であることも必要である。たとえ鬼畜と罵られようとも、それが勝つために必要とあれば外道まがいの戦法に手を染める必要もあるだろう」

 

「………」

 

 修羅も斯くやとばかりに憤怒を宿す“赤”のライダーに返す反応は三者三様の冷徹。

 “赤”のアーチャーを対象にした集中砲火を悪びれずして言葉を返す。

 

 曲がったことを嫌う好漢にして激情家。英雄としての正道を歩みぬいた“赤”のライダーと違い、“黒”の陣営の英霊たちは多くが英雄として馳せた一方、それぞれ現実を目の当たりにして来た者たちだ。

 英雄としての矜持は持ち合わせているものの、“赤”のライダーほどそれに拘っていない。

 

 いいや寧ろ、必要とあらば自らの矜持を内に殺し、非情に徹することが出来る。

 “黒”のランサーなどはその逸話からして代表とも言える英霊だ。

 故にこそ、心折られた“赤”のアーチャーを狙うことに躊躇いは無い。

 それが陣営の勝利のためならばと、非情な詰将棋を続行する。

 

「────ッ!!」

 

 マグマのように煮えたぎる激情を噛み締める。

 それは敵に向けられるものではなく、己自身に向ける怒りだ。

 

 ……良い様に翻弄される自分の無様に対する怒り。

 ……敵の計略にまんまと嵌め込まれる不甲斐なさに対する怒り。

 

 何よりも──彼女の変調に気づいていながら、その変調を軽視し、こんな状態になるまで放っておいた自分自身の浅はかさに対する怒りで“赤”のライダーは狂いそうなほどの激情を胸に抱く。

 

 ──例の娘(ルクス)と相対して以後、“赤”のアーチャーの様子が可笑しいことには気づいていた。

 表層上はいつも通りに愛想のない冷徹な狩人然と振る舞っていたが、何かを迷うように弱弱しい様を時折見せるなどと明らかに良い状態でないことは明白だった。

 恐らくはあの娘……彼女は“赤”のアーチャーにとっての聖域部分、その願いに対して何かを囁いたのだろう。

 英雄としての矜持を砕きかねない何かを。

 

 多分──それは……。

 

『……子供なんだぞ』

 

「ッチ! あのクソガキ! 今度会った時は流石にただじゃ済ませねえぞ……!」

 

 “赤”のライダーとて聖人君子の類ではない。

 “黒”の陣営の非情に対して納得せずとも理解はできる程度には擦れているからこそ、大方あの少女が高潔なる狩人に何を突き付けたのかは察せられる。

 それが齎す結果の方も。

 

 神父は何か吹き込んで“赤”のアーチャーを立ち上がらせてみせたが、それでも荒療治の類だったのだろう。無理やり立て直させた代償は限界スレスレの精神状態であり、それが此処に来て外部からの神霊顕現(精神負荷)で打ち砕かれたといった所か。

 こうなってしまえば“赤”のアーチャーはもはや戦力として数えられない。

 否。戦力どころかこのままでは“赤”のライダーの足を取る要因になる。

 

「クサントス、バリオス、ペーダソス……!」

 

 ならばこそ、まずは彼女を戦場から引き離す。

 その判断の下、“赤”のライダーは待機させていた自らの戦車を引き寄せようと呼びかけるが。

 

『いやいや、この状態で近づけるわけないじゃないですか』

 

 嘲弄するように響く愛馬の声。

 戦車を引く三騎の騎馬の内、唯一人語を解するクサントスは主の呼びかけに、やれやれと言葉を返す。

 主人の窮地にふざけた態度だが、その言葉は状況を冷静に理解しているがために。

 

 “黒”の陣営三騎による怒涛の攻撃。

 これ自体は隙を見て、駆け抜ければ何とか間隙にねじ込める。

 しかし……。

 

『狙いはペーダソス。しかも余程目がよろしいようで。何処のどなたか存じかねますが、アレ、完全にこちらの動きを見切ってますね』

 

 主に接近を試みるたび、城塞から飛来する一閃の矢。

 “赤”のライダーと騎馬を分断するように迫る線の果てはペーダソス……三馬の中で唯一、神馬ならざる稀代の俊足を持つ名馬。最も死にやすい唯一明確なる戦車の弱点であった。

 

「野郎……!」

 

『怒るのは結構ですが、そろそろ何とかしないと死にますよ』

 

「うるせえ! 言われずとも分かってらぁ……!」

 

『ならば行動すればよろしいでしょう。それとも口に出して教えてあげた方が宜しいですか? さっさと荷物を投げ捨てなければ──』

 

「──黙れ!」

 

『──やれやれ』

 

 慇懃無礼な従者を射殺さんばかりに睨み返す“赤”のライダー。

 並の人物ならば震えあがるような視線を受けたクサントスはそれでも尚、鼻を鳴らす。

 ……クサントス。

 海神ポセイドンから賜った神馬ではあるが、この通り、性格にはとてつもない難がある。

 とはいえ流石に言葉が過ぎたせいか、或いは主がいつもの制裁を行えないためか、余裕のクサントスを代わりにバリオスとペーダソスが珍しく蹴り正した。

 

 何とも気の抜ける一幕だが、現実から逃避したい程度には現状は最悪だ。

 

「……づぅ! クソが……!」

 

 “赤”のライダーの肩に杭が突き刺さる。

 捌き損ねた数の弾幕が遂に軽傷では済まされない一撃を“赤”のライダーに与えた。

 即ちは……彼らの攻撃密度が“赤”のライダーの対応許容量を上回り始めた証明だ。

 

 このままでは性格の悪い従者の言う通り……追い詰められて死ぬこととなる。

 ならば自分の行うべき最善の選択は……。

 

「知るかよ! そんな現実(こと)……!」

 

 破綻した希望を咆える。

 多くの無謀、無理難題を押し通してきた大英雄だが、それでもこればかりは難しい。

 相手は歴戦。しかもこの状況を作って尚、欠片も油断せずに襲い掛かって来る。

 偏に大英雄の強さをよく理解しているからこその行動だが、それ故に盤石。

 

 如何な“赤”のライダーとて流石にこの状況を力業で何とか出来るほど卓越してはいない。

 せめて後一騎……“赤”のランサーが残っていれば勝機はあっただろうが、神を相手に相対することを選んだ彼は未だ戦場に戻らず、神と交戦する最中にある。

 

 万事休す──脳裏に浮かぶその言葉。

 このまま押し切られ、命を落とす未来を想定して、“赤”のライダーは──。

 

「────いや、そうじゃねえだろ」

 

 不意に──彼は静かに呟いた。

 思考を割く……代償に再び被弾するが気にも止めない。

 身体を襲う痛みも首に迫る死の刃も、この一時は忘れる。

 

 考えるのは己の選択、己の矜持、己の人生。

 己にとって、本当の意味での最善というものを考える。

 

 ──死ぬこと自体に恐れはねえ。

 

 戦場に立っているのだ。そういう覚悟は常にある。

 

 ──負けることにも恐怖はねえ。

 

 無念は残るだろうが、英雄として戦い抜いたのであれば悔いは無いだろう。

 

 ──聖杯も……まあ、別に良い。

 

 そもそも彼に聖杯に託すような大願は無い。

 乞われたならば英雄として立つ。

 英雄として立ったからにはそれにふさわしい生を駆け抜ける。

 

 ……そういう意味では、何かしらの大願を抱いて聖杯を切実に願うものたちに比べれば己は軽い(・・)のだろう。執念、執着、そういった熱で彼らに劣っているのかもしれない。

 けれど……己とて大切にする“信念”がある。

 

 『英雄として生き、英雄として死ぬこと』

 

 それは母に、そして自分自身に対して誓った絶対の大前提。

 これに比べれば第二の生も、聖杯すらも二の次だ。

 

「──そうだな。だったら、今度こそは。キチンとしなくちゃだな」

 

 頬を大剣が掠め、自慢の健脚を焔が焼く。

 されど窮地に、大英雄はニッと笑った。

 

 おざなりにした大切なことを今度は拾い上げるために。

 

「──なぁ、姐さん」

 

 抱える女性に呼びかける声はいつも通りの軽薄さ。

 差し迫る死など忘れたかのように暢気でさえあった。

 

「あんたが何を聞いたのか、あんたが何を言われたのか……まあ薄々察するが、どうでもいい。俺ぁ別に気の利いたことが言える性質でもねえからさ。あんたを救うような、あんたの心を助けるような、そんな答えは知らねえし言えねえ」

 

 聖人君子などとは己は違う。

 己は武勇で名を馳せた英雄。結局のところ殺して奪うことしか出来ない。

 屍を積み上げることでしか、救うことを知らない男だ。

 

「けどさ、そんな俺でも……いや俺だからこそ思ったんだ。あんたとあんたの夢は美しかった。報われない夢、敵わない理想、何よりそんな現実に諦観しながら、それでも尚、歩み続けようとするあんた自身。ああ、本当に──綺麗だってそう思ったんだよ」

 

「…………──」

 

「……あー、クソ。正面切って言うのは流石に恥ずかしいなこれ。けどま、言葉を惜しんで適当にするよか遥かにマシだわな。──ははっ、親父から聞いてはいたが、俺がコロッと惚れちまう程に美人で綺麗で、良い女なのさ。あんたは」

 

 言葉は返ってこない。ピクリと反応したところ聞いてはいるのだろう。

 なら……それで十分だ。

 

 “赤”のライダーは“赤”のアーチャーを庇う様にして敵に背を向け、そっと彼女を地面へと降ろす。

 その間にも攻撃は絶えまなく、大英雄はその背に多くの傷を負った。

 地にぶちまけられる鮮血。焼かれ、刺され、切り裂かれ、命に迫る多くの傷。

 

 しかし、意に介すこともなく、大英雄は現実を前に挫けた弓兵だけを見る。

 そして力強く頷いた。

 

「だからきっと……あんたは間違ってない。あんたの理想は、あんたの願いは決して間違ってなんかないんだ。それは、それだけは俺が絶対に保証してやる。下らねえ現実もつまらない冷笑も気にすんなよ。見ず知らずの誰かの幸福を当たり前のように願うその祈りが、間違いであるはずがねえんだよ」

 

 伝えたかった一番大切な言葉を英雄は口にする。

 ……そうだ。善だの悪だの、正義だとか正論だとか。

 そんな小難しいことはどうでもいい。というか、全く持って関係ない。

 

 子どもに幸福であって欲しい──。

 

 境遇や本人の趣向があるにせよ。

 その願いを一片の曇りなく語れる女の何処に間違いがあるという。

 当たり前の幸福が与えられますようにと祈る彼女の姿こそが真実だ。

 

 ならばそれで十分だろう。

 小賢しい正論を説く凡夫よりも、小難しい現実を語る聖人よりも。

 

 その理由の方が、命を張るには何千倍も上等だ。

 

「ぁ……汝、は……」

 

「……へっ、ようやく顔を上げたな」

 

 呆然と顔を上げる弓兵に騎兵が悪戯に成功した少年のように笑う。

 安心したかのように彼女を背に立ち上がる。

 

「立てないってならそれでもいい。膝を突いたって構わない。けれど顔だけは上げてくれよ。あんたがそんなだと俺の調子が狂っちまう。戦場のあれこれより、惚れた女に泣かれる方がよっぽど堪えちまうんだよ、俺みたいなのはな」

 

 満身創痍何するものぞ──笑みを浮かべたまま。

 大英雄は槍を構えた。

 

 

「英雄として、その願いを正しいと肯定するが故に此処に誓おう。あんたもあんたの願望(ゆめ)も、この俺が守ってみせる」

 

 

 ──空気が変わる。

 

「──キャスター」

 

「皆まで言うなよ、領主サマ。さて気ぃ引き締めてくれよセイバー。来るぜ(・・・)?」

 

「……ああ」

 

 戦場に満ちる信じがたいほどの重圧。

 その“決意”を前に“黒”の英霊たちは理解する。

 決死を覚悟した大英雄が動く。

 

 嵐の前を思わせる凄絶な沈黙。

 

 刹那、人類最速の英雄は何もかもを置き去りにして駆け出し──。

 ──何もかもを狙い澄ましたかのように。

 

 救世主の謀略が炸裂する(・・・・・・・・・・・)

 

 

………

………………。

 

 

「万事ニ叶イ給ウ天地創リ給イテ御親でうすノ御一人児われらが主人ヲ真ニ信ジ奉ル」

 

 主亡き虚栄の空中庭園。

 玉座の下、片膝を突いた神父は朗々と天に祈りを捧げる。

 

「ソノ御子すべりさんとノゴキトクヲモチ宿サレ給イテ處女ヨリ産マレ給ウ」

 

 口ずさむは使徒信条。

 聖堂教会が奉ずる唯一無二の『主』に捧げる祈祷文(オラショ)

 だが、一般に知られるそれとは響きが違っていた。

 極東の島国日本──その島国の言葉で語られる異形の響きは異国を加味しても余りにも異質だ。

 

 例えるならば……そう。

 踏みにじられ、差別され、忌避され、棄民された者たちが縋り続けた最後の光。まつろわぬ者と排他されようとも、どれ程の艱難辛苦を課されようとも変わる事なき覚悟。変わらなかったからこそ(・・)凄絶となった祈り。

 隠れ、潜み、伏して……尚も祈り祈り祈り続けた変わらぬ信仰。

 培われた情念はもはや言葉にし難く。

 正気を持つ者には理解できない。

 

「ぽんせりやぴりやとガ苛責ヲ受ケクライくろすニ架ケラレ死シ給イテ三日目ニ蘇リ給ウ」

 

 時には仏に偽装して、時には社に偽装して。

 異国の信仰に隠した異国の祈りは“深さ”において本家本元を凌いでいる。

 祈りに善悪も優劣もないと人は言うが、この常軌を逸した切実さを前に閉口するだろう。

 虐殺されることすら厭わぬこの祈りを前にして嘲笑うことが誰にできよう。

 

「肉親ニ蘇ルベキコト終ワリナキ命ハ真ニ信ジ奉ル」

 

 ──其は救済を夢見た聖人君子。

 死して尚変わらず救いを追い求める聖人(狂人)

 たった一つの願いが為、個の全てを捨て去り、献身したモノ。

 あらゆる命を救うため、主が掲げる晩餐の杯に預からんと列席する招かれざる使徒。

 

「──斯くあれかし(Amen)

 

 聖者が立ち上がる。

 地平線から玉座を照らす明けの明星。

 天に手を伸ばすように腕を掲げ──。

 

「宝具──左腕・天恵基盤(レフトハンド・キサナドゥマトリクス)、並びに右腕・悪逆捕食(ライトハンド・イヴィルイーター)接続(コネクト)──我が身が宿す最後の令呪へ。今は亡き我が従者、その最後の献身を此処に。空中庭園が余す全ての魔力を捧げ、我が道を示し給え」

 

 告げられるは自壊の指令。

 たちまち空中庭園を回す膨大な魔力が玉座に満ち始める。

 崩れ征く王座。

 魔力が齎す破滅の光の中──在りし日を神父は幻視した。

 

 玉座に君臨する女帝の姿。

 傲慢に傲岸に──嘲弄しながらも主の願いを肯定した女主人。

 

『──征け』

 

「──ええ。我が祈りを叶えるために」

 

 もはや振り返らない。

 玉座に背を向け、神父は走り出す。

 

「ははははは、ははははははは! 『世の中の関節は外れてしまった。ああ、なんと呪われた因果か、それを直すために生まれついたとは』!! 『たとえ幾千幾万の兄があり、その愛情すべてを寄せ集めたとしても、貴方一人(・・・・)のその愛には、到底、およぶまい』!! 『ホレイショー、この天地のあいだには、人間の見識など夢にもおよばぬことが、幾らでもあるのだ』!!!」

 

「──キャスター」

 

「──他ならぬ貴方へ送る言葉です、我が主人(マイ・マスター)。もはや筋書きは書き換わり、貴方に対するは聖女ではなく、神話を謳う魔術師なれば。此度の歌劇が喜劇で終わるか、悲劇で終わるか、それは既に神のみぞ知る。故に──祈りは天に達し、神のお慈悲に訴えかけ、すべての罪は赦されます。皆様も罪の赦しを請われるからはご寛容をもってどうかこの身を自由に」

 

 客席より壇上に向けて言葉を送る劇作家。

 普段の慇懃無礼さからは打って変わって恭しく頭を垂れる。

 ──物語はクライマックス。

 

 なれば此処から先は脚本家ではなく主演の舞台だ。

 描いた筋書きをどのように演ずるか、締めくくるか。

 舞台の質はトリを務める演者次第。

 

「──存分に」

 

 以って最後の舞台が開幕する。

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