千年樹に栄光を   作:アグナ

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終幕の歌劇

 フィオレが異変に気付いたのは偏に今が決戦の時であり、幼馴染を助けるために気を張っていたからである。

 己がサーヴァントである“黒”のアーチャーと視界を共有するまでもなく、彼女はミレニア城塞に接近する空中城塞とそこで起こる“暴走”をいち早く察した。

 

「──カウレス、伏せてッ!!」

 

「え──!?」

 

 突然のことに事態を把握しきれていない弟を傍目にフィオレは即座に魔術礼装を展開し、一緒の部屋にいたカウレスごと己の身を守りにかかる。

 

守護者の錫腕(ユーピター)!」

 

 接続強化型魔術礼装(ブロンズリンク・マニピュレーター)──起動。魔術的干渉を弾く機能を有する防御機能を持つ『腕』がフィオレの背後から伸びるや否や、『腕』の範囲に施された結界を、即座に部屋自体に拡大する。

 同時に工房としての役割を持つ私室の魔術礼装も励起。張り巡らした結界の強度をさらに補強する。

 

 魔術師としての資質はともかく、魔術の使い手としては一流だからこそ叶う、無駄のない魔力の流動と魔術式の起動は恙なく、二人の安全を守りに入る。

 だが、それでも尚、空中庭園の暴発というのはフィオレの地力を遥かに凌ぐ威力であり、結界は硝子のように叩き割られ、フィオレとカウレスは瓦礫の山に投げ出される。

 

「きゃあああああああ!?」

 

「うおおぉ!? く、姉ちゃん──!!」

 

 吹き飛ばされ、車椅子(魔術礼装)からも投げ出されたフィオレをカウレスが咄嗟に滑り込んで抱え込む。

 周囲は瓦礫の山と化したが、幸いにも結界の効果とカウレスが飛び込んだおかげでフィオレは身体を痛めることなく、カウレスは多少の擦り傷で済んだ。

 

「ってぇ……だ、大丈夫か姉ちゃん?」

 

「……ええ。ありがとう、カウレス」

 

「今のは、“赤”の陣営の攻撃か?」

 

「みたい。多分、外の空中城塞を自爆させて、ミレニア城塞ごと吹き飛ばしたんだわ」

 

「なんつー強引な……」

 

「敵もそれだけ切羽詰まってるっていうことでしょう」

 

 引き離された魔術礼装に身を戻しながらフィオレはそう結論付ける。

 ……同時に追い詰められているのはこちらも同じと顔を曇らせた。

 

 そう、“黒”にせよ“赤”にせよ王手は掛かっている。

 あとはどちらが先に寄せ切るかの速度勝負だ。

 だからこそ、フィオレに残された猶予はそう無い。

 

 今の一撃──“赤”の陣営が勝負を掛けに来たということは、“黒”の陣営も勝負を仕掛けに行くだろう。そしてその行動を起こすだろう相手は間違いなく──。

 

“聞こえますか? アーチャー”

 

 焦る内心を落ちつけながらフィオレは己がサーヴァントに念話を繋ぐ。

 先の爆発はかなりの規模であったが、魔術的な経路(パス)は途切れておらず、何より今程度の攻撃であの“黒”のアーチャーが遅れを取るとは考え難い。

 

 案の定、念話は即座に繋がり“黒”のアーチャーの無事が証明される。

 

“はい、マスター──どうやら、そちらも無事なようですね。良かった”

 

“何とか……ですけどね。アーチャー、今のは空中城塞が……?”

 

“ええ。“赤”の陣営は自ら城塞を放棄したようですね……回避に専念したため、逃しましたが、一つ、人影が空中城塞から飛び降りるのが確認できました。侵入を妨害できなかったのは痛恨ですが”

 

“侵入……英霊ですか?”

 

“いいえ──いや、この場合は、“はい”と言うべきなのでしょうかね。相手は恐らくアルドル殿が警戒していた例の神父かと”

 

“神父──第三次聖杯戦争の生き残りだというアインツベルンのルーラー──”

 

“はい”

 

 肯定する“黒”のアーチャーにフィオレは必死に頭を動かす。

 ──“黒”の陣営として動くのであれば、迷いなく選ぶべきは侵入者の排斥だろう。相手は英霊であるため、通常は魔術師では歯が立たないが、無理な霊基証明で立っているせいで今の相手はせいぜいが『身体能力と魔術に優れた強力な代行者』程度に収まっている。それでも強敵であるには違いないが、足止めや妨害程度ならば何とでもなる。

 

 その間に“黒”のアーチャーを呼び戻すなり、聖杯の守護に就くダーニックに報告するなりすれば数の優位で押しつぶすことが出来る。

 そうなれば──後は簡単だ。

 勝利したユグドミレニアが聖杯を使い、その願いを叶えるだけ。

 

 ……一人の犠牲の上に作られる、千年の栄光と繁栄を。

 

「──ッ!」

 

 それは、嫌だ。

 自分のこれまでとこれから、一族の意に反する行為だと自覚した上でフィオレは拒否する。栄光も繁栄も大事なことだが、そのために大切な人を犠牲に出来るほどフィオレは魔術師に徹することはできない。

 だから──分水嶺はきっと、此処だ。

 

“──アーチャー、今戦場が……いいえ、アルドルがどうなっているか、分かりますか?”

 

“……すいません。アルドル殿が神格をその身に降ろし、“赤”のランサーを相手取るところまでは確認しましたが以降は……恐らく以前見た神代結界か何かに引きずり込んだと思われますが”

 

“神……降ろし……? …………あ、アルドルは無事なのですかッ!?”

 

 衝撃の報告に思わず呆け、次いで慌てて問いただすフィオレ。

 彼が何をしようとしているのかとか、彼がどんな手段を有しているのだとか、話には聞いていたがいざ実際に改めて聞かされると動揺する。

 

 太古の昔ならばいざ知らず、現代ではとっくに廃れた文字通り神域の魔道を幼馴染が実践しているというのは、やはり現代魔術師としての常識下にいる者としては凄まじい衝撃なのだ。

 

“……申し訳ございません。遠目でしたし、流石の私も北欧の魔術には疎く……ただ私見を述べるのであれば、まだアルドル殿が犠牲になられたとは思えませんね。真っ当に考えれば神の依り代など、正気を失う類の魔術ではありますが──まだ聖杯の行方が不明の状況でアルドル殿が亡くなるとはとても、思えない。”

 

 推測のみの“黒”のアーチャーの言葉。だが、フィオレはその言葉を信じた。 

 

 ……良くも悪くもアルドルは誰よりも本気で聖杯大戦に取り組んでいる。

 予想外や想定外すらも備えてあらゆる手段を打ち尽くしてまで聖杯を求める彼が聖杯を前に死んでしまうとはとても考えられない。

 

 皮肉にもアルドルの覚悟を嫌というほど知っているからこそ、結末に至る過程でのアルドルの生存が信じられるのだ。

 ──どうせなら自分が生き残る術の方も、考えてくれていたら良かったのに。

 

“分かりました。他の状況は?”

 

“戦場では“黒”のキャスターが犠牲となりましたが、代わりに一騎、“赤”のアーチャーを倒しました……どうやら“赤”のライダーを庇ったようで、そちらは宝具を発動させ、“黒”のセイバーを結界に引きずり込みました。“黒”のランサーは無事ですが、空中城塞の爆破に際し、宝具を全力で稼働したために消耗しています”

 

“そうですか──”

 

 “黒”のアーチャーの報告からして状況はかなり混沌としているが──同時に両陣営とも己のことに掛かりきりで他に対応する余裕が無いという状況。

 即ち、付け入る隙が生じているということだ。

 ……彼を助けるためには彼を止めると同時に聖杯が必要だ。

 

 状況からみて城に侵入したであろう“赤”の首魁はダーニックと激突していることだろう。アルドルは不明だが“赤”のランサーを押さえているということは間違いなく戦闘中。つまり──現状、フィオレは自由が利く。

 

“マスター、どうされますか(・・・・・・・)?”

 

“────”

 

 問いかけは、覚悟を問うもの。

 これまで培ってきた魔術師としての矜持、一族の者としての使命感、それら自身が大切だと背負ってきたもの全てに対する裏切り。

 たった一つの私情がため、それを捨てられるのか問うている。

 

“──助けます(・・・・)。彼を”

 

“──わかりました。マスター、月並みな言葉ですが、貴方に呼び出されたサーヴァントとしてその選択を私は肯定します。魔術師としては間違っているのかもしれませんが、貴女は決して一人の人間として間違ってはいません。どうか、ご自分を責めぬよう”

 

“ありがとうアーチャー。苦しいですし、後で絶対後悔するでしょうけど……私は、幼馴染を失いたくないのです”

 

“承知。その願いは必ずや。その前に一つ、仕事をこなさなければならないようですが──いいえ。すぐに合流します”

 

“──? はい”

 

 念話が途切れる。直前、“黒”のアーチャーは何か気になることを言っていたが、戻ってくるということはさほど難しい要件ではないのだろう。

 それよりも気にするべきはこの後だ。

 敵の狙いは聖杯……ということは一直線にミレニア城塞中枢に安置される大聖杯に向かうことだろう。ダーニックが構える、決戦の地に。

 

 敵も味方も魔術師としては遥かに格上。フィオレ一人ではとても太刀打ちできない。しかも状況を考えれば、アルドルもすぐに向かってくるだろう。

 

「カウレス。貴方は──」

 

 傍にいる弟に声を掛けようとして、不意に途切れる。

 迷いが生じる──果たして弟を、カウレスを自分のエゴに付き合わせて良いのかと。

 状況はどうあれ、今からする行為は一族への造反だ。

 

 協力してくれると言ってくれたとはいえ──弟を、大切な家族を、果たして自分の勝手な願いがため、巻き込んでいいのかと。

 今更ながらの逡巡が、フィオレの言葉を詰まらせた。

 

「姉ちゃん? ……って、はぁ、そういうことか」

 

 “黒”のアーチャーとの念話を終えただろうに、突如として再び黙り込んだ姉にカウレスは首を傾げ、すぐに納得と呆れにため息を付く。

 そしてガリガリと雑に頭を掻くと──姉の手を取り、引く。

 

「──ほら、いくぞ! 姉ちゃん!」

 

「か、カウレス……?」

 

「今更、小っちゃいことで悩んでんな。手伝うって言ったのは俺なんだから。行って、助けるんだろ? ──義兄(にい)さんを」

 

「──……うん」

 

 ──姉弟は走り出す。

 

 一族の栄光、世界の救済。今、聖杯を賭けてぶつかり合う二つの大義名分に対してあまりにもささやかな願い事。決して譲ることのできない祈りのため、彼らもまた最後の舞台へと赴くのであった。

 

 

 

 

 ──時計塔魔術講師ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 

 時計塔から提出された資料。聖堂教会の調査資料。

 そして自身の経験からシロウは敵を分析してきた。

 

 曰く、北欧に起源をもつユグドミレニア家当主にして、魔術師。

 講師としては元素変換(フォーマルクラフト)の一種、元素転換を指導していたが、指導者としての評価は低く、その辣腕は魔術よりも時計党内政治に傾倒していたとされている。自身の階位──時計塔における最高位の『冠位(グランド)』も政治的に勝ち取った位階であるため、実力評価としては『色位(プライド)』に相当されるという。

 

 ただ一方で聖杯戦争を勝ち抜いて『御三家』を出し抜いて見せたように実戦での魔術の腕は相当であり、また魂を研究分野とするが故、霊的な存在の扱いに誰よりも長けている。実年齢が百歳を数えるというのに未だ若々しい姿でその存在を保っていることもまた、その証明。

 

 魔術師は研究を主眼とするため、純粋な戦闘能力では聖堂教会の代行者などに比べれば劣るというが、だからと言って決して油断してはならない相手。

 ……アインツベルンのマスターを討たれた故に、その事実を、シロウは誰よりも理解していた。だからこそ準備をした。装備を整えた。万全を期した。

 その上で──。

 

「フン──」

 

「くっ────!」

 

 百年に迫る執念の大樹は、聖者をも跳ね除ける試練として、神父の前に聳え立っていた。

 

 ダーニックを攪乱せんと動き回るシロウの影を追う蒼い炎。

 獅子劫も見た鬼火現象(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)は神父の命を焼きつぶさんと不気味にその身を照らし出していた。

 魔力に着火すれば、その魔力を餌に燃焼して燃え続けるという特性は、本質的に魔力の集合であるシロウにとっては鬼門中の鬼門だ。

 

 ルーラーとしての確かな霊基を確立出来ていれば自前の対魔力で跳ね除けることもできたのであろうが、“赤”のアサシンの不安定な術式で強引に命を繋ぎ止めた今のシロウにその加護は望めない。

 少しでも掠ればそれだけで、只でさえギリギリで運用している魔力が喰われ、瞬く間に存在を維持できずに消滅することだろう。

 

 故に──。

 

告げる(セット)ッ!」

 

 懐から黒鍵を取り出すとすぐさま投擲。地面にその刃を突き立てる。

 シロウが間髪入れず魔力を通した腕を地面に叩きつけると、突き刺さった黒鍵は一人でに行動を開始し、迫る炎を囲い込むように展開する。

 

「聖堂──結界か。下らん、それで私の炎を止められるとでも──?」

 

「フッ──!」

 

 嘲笑する魔術師の言葉を無視してシロウは予め手に握りこんでいた別の黒鍵を構えると結界越しにダーニック目掛けて放る。

 シロウの反撃に、されどダーニックは全く慌てない。

 自動追尾を可能とするように、鬼火はダーニックの命令が無くともある程度、自立判断が出来るようになっている。

 

 術者に迫る脅威を感知した鬼火は形を変え、生者の足を引く亡者のように不気味な蒼い腕を黒鍵に延ばし、その脅威を取り除こうと掴みにかかる。

 

“火葬式典──!”

 

 だが、死者の炎は突如として生じた聖なる炎に弾かれる。

 接触寸前──あらかじめ黒鍵に込められた浄化作用が鬼火を打ち払ったのだ。

 

 黒鍵が持つ柔軟性、概念武装としての付与(エンチャント)

 聖堂教会が有する洗礼詠唱(まじゅつ)、人類最大規模の基盤を持つ“祈り”の聖言が込められた刃が鬼火の壁を抜き去り、ダーニックへと襲い掛かる。

 

「小賢しい護符を──だが」

 

 ダーニックは動かない。

 魔術師として身体能力には長けない彼は、銃弾の速度で迫るこれに対応できない。

 出来ることと言えば、ただ手持ちの杖を鳴らすこと。

 

 そして──たったそれだけで裏返った石造りの床が迫る刃を受け止めるダーニックの盾となる。

 

「錬金術──いや、元素変換(フォーマルクラフト)か!」

 

「ほう。魔術に疎い聖堂教会にしては聡いな。いや、事前に備えていただけか。なんにせよその通り。故に──こういうことも出来る」

 

「ッ!! 聖堂よ、在れ──!」

 

 パチンと、ダーニックが指を鳴らす。

 刹那、大部屋を覆う鬼火の表面に紫電が奔った。

 

 その変化と空気が焼き付くような不穏な匂いを嗅ぎ取り、咄嗟にシロウは自己防御の結界を張り巡らせる。瞬間──結界ごと神父の身体を光が覆う。

 

セントエルモの灯(Feuer des Heiligen Erasmus)

 

「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 

 炸裂する轟音と光、無差別に襲う雷撃の鞭。

 シロウを圧倒する魔力で振るわれたそれは雷の槍と化して結界ごとシロウを貫いた。急所は避けたが、掠めた脇腹から肉の焼ける嫌な匂いと痛みが生じる。

 

 檣頭電光(セントエルモの灯)──古くは地中海の船乗りたちによって伝承されてきたその現象は、本来、悪天候時に船のマストなど尖った物体の先端に生じる発光放電現象を指して呼ばれたもの。

 原理は物体の形状に伴う電界強度などが関わる自然現象の一つであるが──死を警告する凶兆として信じられてきた側面を強調した雷撃術式は自然原理を無視して、シロウへと襲い掛かった。

 

「くっ──本分は魂の分野だと認識してましたが、思いの他多芸ですね……!」

 

「ハ──貴様は我々一族(ユグドミレニア)の何を見て来た。古く腐った伝統よりも根を伸ばし、垣根を広くしてきた我ら千年樹。魔術の系統が一つに寄るものか。独りよがりの典型的な魔術師連中と違い、知見の共有など当然済ませている」

 

「成程──!」

 

 忌々し気に言いながらダーニックが手を翳すと、シロウのすぐそばの床が先ほどダーニックを守る盾となったように裏返り、今度はシロウを押しつぶす壁となって左右から挟み込みに掛かる。

 シロウは後ろに飛び退きながら平面に黒鍵を突き立て、壁立ちして脅威から逃れるが、その後を魔術によって発生した風に巻かれて火勢を増す鬼火がすぐに追い立てる。

 

「──そもそも北欧においても元素変換(フォーマルクラフト)は基礎的な魔術式だ。世界樹によって、それぞれが独立した階層世界上に連なる以前、北欧において生命とは火と氷から発生した。そこから巨人ユミルが生まれ、大地は創造され、やがてオーディンが治める一つの宇宙となった──九つ(一つ一つ)自然現象(セカイ)が構成する一つの宇宙(大樹)。それこそが北欧神話だ」

 

 大いなる自然は神によって生み出されたものではなく神が司る(・・)もの。

 北欧神話の創世は神の手ではなく互いに交わる自然(セカイ)の手で行われたのだ。

 よって秩序無き混沌を征し、調律が神権の役割。

 

 災厄を齎す天然自然の原理(魔狼や邪竜種)に対する神々という善悪ならざる二元論こそ北欧神話体系の神髄である。

 

 故に自然現象を司る神秘(まじゅつ)、とは古きは神の役割そのものであり、それに通じる北欧系統の魔術師が有する当然の機能だ。

 

「……ご高説をありがとうございます。流石は時計塔を追放されたとはいえ、講師をやっていただけのことはあります」

 

「なに、貴様らの安い説法に比べれば大したものではないよ、聖堂教会」

 

 シロウの皮肉に挑発で以って返すダーニック。

 お互い攻め手に欠け、一見すると拮抗する両者であるが、泰然と立つダーニックに対し、息が乱れているのはシロウの方だ。……内心、シロウはダーニックに対する評価を改めていた。

 

 ──魔術の規模や派手さ、戦術的な大胆さに信じがたい手数の多さ、アルドル・プレストーン・ユグドミレニアのそれに比べればダーニックは下回る。

 魔術師としての性能は前者が遥かに上回っているのは間違いない。

 だが……。

 

“執念と研鑽、経験に裏打ちされた確かな厚み。強さを後継に譲るとしても、やはりユグドミレニアの魔術師の中でも一歩抜きんでている。これがダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。搦手を使わずともこれほどか”

 

 生前は英雄として、そして受肉したのちは代行者として、少なくない修羅場を潜りぬけて来たシロウをして難敵と称せる実力の持ち主である。その事実を改めてシロウは胸に刻み込んだ。

 その上で──勝ち筋を組みなおす。

 無傷で潜り抜けることはほぼ不可能。だが、手の届かないほどの差があるわけではない。あちらが積み重ねてきた魔道の厚みがある様に、こちらにもまた積み上げて来た技術が存在している。

 

魔術回路(サーキット)──励起(スタンバイ)

 

「……ほう」

 

 ゆらり、と息を吐き脱力しながら姿勢を低く取る代行者。

 同時に自身の魔術回路をより強く奔らせ、魔力を練り上げる。

 発動する強化の魔術と、両手に構える六本の黒鍵。

 

 それを見たダーニックもまた言葉少なく杖を構えなおし、小さく吐息を漏らした。

 

“──来るか”

 

 相手は代行者。魔術研究を本分とする魔術師とは異なる、異端殺しに特化した戦闘屋。

 その中でも英霊を下地にするあの男は間違いなく一級品。

 一方的に狩られるなどありえない。

 シロウがダーニックを評価するように、ダーニックもまたシロウを侮ってなどいない。

 

 いいや、むしろ甥が警戒し、事ここに至るまで己の目を搔い潜って存在を繋げた相手であることからも最大脅威と認め、相対している。

 “赤”の陣営首魁、シロウ・コトミネ。

 アインツベルンのサーヴァントにして、自分が仕留めそこなった冬木の聖杯戦争における生存者(サバイバー)

 

「貴様に──聖杯は譲らん!」

 

「それはこちらの台詞だ──ユグドミレニア!」

 

 魔術師の号令、敵の撃滅を命じられた鬼火が揺らいだ瞬間、神父が動く。

 直上に跳躍すると、すぐさま天井を蹴り飛ばし、壁へ床面へ再び壁面へと翻弄するように縦横無尽と飛び回る。

 

「猪口才な……!」

 

 攪乱のつもりなのだろうが一辺に面で押し込めば意味などない。

 ダーニックは鬼火の領域を拡大し、丸ごとシロウを飲み込むように炎を指揮する。

 

「シッ──!」

 

 視界いっぱいに覆いつくす蒼い炎を前にしかしシロウは動揺しない。

 肉体の性能だけで壁面に立ったシロウは鬼火目掛けて二本の黒鍵を投げ入れると、その風圧で強引に人ひとり抜ける分の風穴を作り上げる。そして、そのまま鬼火の影響が消えた中空に身を躍らせた。

 

「馬鹿め! その程度で切り抜けられるものか!」

 

 その動きをダーニックは嘲笑う様に吐き捨てる。

 杖を振る──魔術師の号令に合わせて蒼炎が腕のような形に変形し、幾重にも重なって抜け出そうとするシロウを抑えつけた。先ほども見せた形状変化。

 大した身のこなしだが、その程度の動きでは後追いでも合わせられる。

 

「終わりだ──代行者……!」

 

 鬼火が神父の身体を覆い尽くす。

 もはやこの包囲を抜き去ることは不可能。魔力を喰らう死者の炎は神父の生命力を喰らいつくし、その身を魂ごと喰い殺す──。

 

「ふ……聖堂教会を──あまり侮るなよ、魔術師!」

 

 だが、予期した未来は訪れない。

 炎の中、神父の不敵な笑みが過る。

 

 刹那──弾ける紫電。神父を覆い隠した炎が弾かれた様に霧散する。

 

「何──!?」

 

「もらった……!」

 

 予想外の出来事に動揺するダーニック。

 その隙を代行者は見逃さない。

 中空を蹴り、そのまま弾丸のような勢いでダーニック目掛けて飛び込む。

 

 獲物の首に添える黒鍵の断頭台。

 着地点をダーニックの背後に定め、すれ違いざまにその首を叩き落とす。

 

「く──っ、弾け……!」

 

「瓦礫が……? チッ──!」

 

 迫る死因を前にダーニックは咄嗟に魔力を練り上げる。

 散乱する瓦礫の山に機能する不気味な魔力の流動。

 ダーニックの首目掛けて振るわれる黒鍵の軌道を何処からともなく飛んできた瓦礫の破片が弾き逸らす。

 

「……念力か、騒霊現象(ポルターガイスト)か!」

 

「雷よ!」

 

 着地しつつ、何が起きたのか把握するシロウに対し、ダーニックはすかさず手を翳す。

 バチバチと音を鳴らしながらその手に収まるのは球電。

 直撃すれば人体など瞬く間に感電死させる雷の塊をシロウ目掛けて打ち放つ。

 

 しかし、それに対してシロウは最低限、黒鍵で頭部を隠すと、そのまま真正面から球電に向かって恐れることなく突進する。果たして、弾ける雷撃はされどシロウから生じた別種の紫電で弾き飛ばされ、球電の炎に阻まれることなくシロウはダーニックへと肉薄する。

 

「貴様──ッ!」

 

「はああ!!」

 

「ぐっ!」

 

 接近するシロウを振り払おうと杖を構えるダーニックだったが、それよりも早く振るわれた黒鍵がダーニックの手から杖を弾き飛ばす。

 そして勢い弾かれた影響で杖ごと体勢を崩したダーニック目掛けて爪のように構えた三本の黒鍵を振り下ろした。魔術の冴えは大したものとはいえ、彼はアルドルほどに身体能力に長けていない。

 この距離、この間合いであれば如何なる魔術の発動よりも早く、この刃が届く。

 

「終わりだ、ダーニック!」

 

「……ッ、おお!」

 

 死期を前に余裕をかなぐり捨てて叫ぶダーニック。

 確かにシロウやアルドルほどの体技を持たぬダーニックであるが、それでも死地を潜り抜けて来た経験がある。肉を切らして骨を断つ──負傷覚悟でダーニックは自らの足場に干渉し、己を強引に弾き飛ばした。

 

「ガッ──だが、これで……!」

 

「逃がしません──告げる(セット)

 

 身体を打ち付けつつ、されど何とか再びシロウから距離を取ることに成功したダーニック。

 僅かに安堵の息を漏らす彼に告げるのは神父の冷たい死刑宣告。

 逃れたダーニックに向かって片手に余した黒鍵を投擲。

 

 風力を纏って大気の壁を裂きながら飛び迫る概念武装。

 シロウ自前の筋力と魔術によって最速でダーニックの眉間に迫る浄化の矢。

 人間の反応速度をも上回る脅威が魔術師の死を告げる。

 

「まだだ……!」

 

 だが、ダーニックに反応できずとも彼には一手残されている。

 神父を逃し、残された鬼火の残火。

 先ほどの失態を清算しようと伸びた炎の腕が迫る黒鍵を取り除く。

 

「流石、しぶとい……やりますね」

 

「いけ、炎よ! 奴の魔力を喰い尽くせ!!」

 

 生き延びたことに感嘆する神父。

 その余裕顔に向かってダーニックは鬼火を指揮して嗾ける。

 

 ……先ほどからどうやって切り抜けているかは不明なままだが、とにもかくにも攻め続けられるのは不味い。状況を見極めるためにも多少強引にでも再び攻守を入れ替える──。

 反撃の狼煙を上げ、神父目掛けて伸びる蒼い腕。

 同時にダーニックは更なる追撃を加えようと魔力を練った。

 

 それに対して神父は持っていた黒鍵を使い切り、空手となった手でダーニックを挑発するように指を寄せる。かかって来いと挑発するような動作、それにダーニックは思わず眉間に青筋を浮かべるが──その怒りは数秒と経たずに霧散する。

 

「かはっ──は……な、に──?」

 

 背後から走る衝撃──体中に走る前兆のない激痛。

 視線をやるとそこには……五臓六腑に突き立てられる二本の黒鍵。

 驚愕と共に膝を突くダーニックに、神父は三本の黒鍵で炎を払いつつ、崩れた魔術師を見下ろしながら言う。

 

「炎を抜け出す時に投げた二本の黒鍵ですよ。あらかじめ魔力励起で弾けるように細工していました。念には念を入れておいて正解でしたね」

 

「ぐ……まだ……!」

 

「無駄です。内臓を損傷したのに加え、それには魔力を乱す効果を付与しました。さしもの貴方も、その状態では魔術は使えないでしょう。触媒たる杖も弾き飛ばしましたし──チェックメイトです、魔術師」

 

 踵を鳴らしながらダーニックに向かって悠然と歩く神父。

 血を吐き、倒れた主を庇おうと蒼い残火が道を阻むが、神父に寄るたび、奔る紫電がその火勢を散らす。

 

「貴様、どうやって……」

 

「ああ。これですか? ──なんてことはありません。対魔術師用に装備を整えて来た、それだけの話ですよ」

 

 そう言って神父は僅かに礼服をズラす、黒衣の下──そこに銀色の装甲が光る。

 

「灰錠──黒鍵と同じく、我々代行者が持つ概念武装(標準装備)の一つです。普通は手足に付ける装甲ですが、対魔術師用に改良したものを持ち出させていただきました。英霊として失った対魔力の代用品──とまではいきませんが、多少優秀な現代魔術師の魔術程度ならばこの通り、その干渉を弾き飛ばすことが出来ます」

 

「そういう──ことか……!」

 

 見るのは初めてだが、その存在はダーニックも認知していた。

 一般に代行者といえば黒鍵が印象的であるが、その用途上、癖が強く扱いにくい。そのため、黒鍵を使用する代行者はそれ自体が優れた戦闘屋である証明であり、普通の代行者よりも実戦的な達人(クラシカル)だと言われている。

 その点、灰錠──こちらは黒鍵よりも実力を選ばないより取り回しやすい装備だ。手足などに装備する鎧甲であるこれは平時は手袋やブーツに偽装でき、設定された紙片を通すことで形を取り戻す概念武装。

 媒体となる紙片を調整することで黒鍵と同じく特性を変化させるこれは、黒鍵以上に広く扱われる攻守両面に優れた代行者たちの武装である。

 

 シロウはこれに、アインツベルンが己を呼び出すにあたって使用した古い聖典──島原に伝わる祈祷原本を用いることで魔力払いの特性を有する対魔力の代替品としたのだ。

 

「最初から貴方に見せなかったのは動揺を誘うためと……どこまで貴方が情報を有しているか確認するため、まあ真っ先に躊躇い無く魔術で攻撃してきたことから、こちらの詳細が割れていることはすぐ察しましたが」

 

「おの……れ……!」

 

「さて──詰みです。厄介な敵も控えていることですし、余計な邪魔が入る前に片付けさせていただきましょう……ああ、令呪を切るならご自由に。尤も、貴方が念じるより私が穿つ方が早いでしょうが……」

 

「ッ……!」

 

 冷徹に告げる神父の言葉はどれも正しい。

 確かに令呪を使えば今すぐ“黒”のランサーをこの場に呼び出し、事態をひっくり返すことも出来よう。だが、勝利を確信しつつも欠片も油断せずに近づいてくる神父に隙は無い。

 令呪を発動させるよりも先に神父はダーニックを処断するだろう。

 

 加え、心臓を避けたとはいえ貫く二本の黒鍵は致命傷だ。

 刃が魔力回路を乱すため自己修復を走らせることは出来ず、流れる血がダーニックから熱を奪う。

 

 万事休す──ダーニックはそれを自覚する。

 

「──……北欧神話において、死せる魂、地上を彷徨う死霊は悪霊(ドラウグ)と呼ばれ、生者を脅威に晒す災いとして忌み嫌われていた」

 

「む──……」

 

 譫言のように語りだすダーニック。

 その、遺言とは思えない語り口にシロウの足が不穏を感じて止まった。

 

「よってエルフィ……死に際しては死者を確かな死出の旅へと送るため、様々な形で儀式が行われた。形式は様々あるが例えば──光の神バルドルの死に際して行われたものも、その一つ」

 

「──何を」

 

 警戒するシロウを傍目にダーニックは視界が霞む中、蒼い残火を見ていた。

 ある程度の自立制御を持つとはいえ、術者の消耗に伴ってはその脅威も薄れていく鬼火。

 旧い伝承にて、死者の魂そのものともされる、炎を。

 

「バルドルの遺体をフリングホルニと呼ばれる船に乗せ、遺品や手向けの品を置いて聖別された炎で燃やして送る──古代北欧における葬儀」

 

 血を吐く。

 熱が、魔力が、生命力と呼ばれる諸々がダーニックから零れ落ちていく。

 されど死期迫る中、それでもダーニックの瞳は死んでいなかった。

 一心に炎を見つめる彼の目に諦観はなかった。

 

 ──勝利する、絶対に。

 

 その視線の鋭さに、神父は黒鍵を振り抜きに掛かる。

 猶予は与えられない──ここで殺す。

 だが、その判断は──一歩遅かった。

 

 怨──と、大聖杯を収める大部屋の温度が一段下がる。

 神父の身体が反射的に竦む──冷気に対する怖気、ではない。

 突如として部屋に渦巻く不穏な寒気に強張ったのだ。

 

 例えるならば……死。

 まるで霊安室に立ち入ったように、本能的な嫌気が過る。

 

「とりわけ火葬というものは──火は北欧神話において特別な意味を有する。冬長き地において火とは生命のエネルギーそのものであり、太陽の活力の明示。浄化の作用もあるとされてきた火は始まりにして終わり、生と死、二つの側面を有する存在──スルトの炎が世界を焼くように、終末論を経て尚、残るもの」

 

「くっ──!」

 

 神父が飛び退き、結界を施す。

 何をする気か読めないが、仕掛けてくることは明白。

 死に瀕した老獪なる魔術師の抵抗──それが無駄な足掻きとは思えない。

 

 ダーニックは見る──今にも燃え尽きそうな鬼火。

 その、残火が燃え尽きる瞬間を。

 

「我が炎の本質は単なる民間伝承(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)に非ず──生と死……始まりと終わりを司る送り火たるが、その正体。さて、神父──炎が奪った熱は何処に消える?」

 

「! そういうことかッ! くっ──告げ(セッ)……!」

 

「一手遅い──せいぜい貴様の徳とやらを信じるのだな死霊送り(エクスキューター)

 

 蒼い残火が掻き消える。糸の細く立ち上る残滓の煙。

 以て──その特性が反転する。

 火が死者を送るというならば、火が無ければ死者は地上に留まるのみ。

 奪われた熱量が──燃焼しそこなった残滓が……地表に溢れかえる。

 

『AAAAAAaaaaaaaa────ッ!』

 

「なっ──!」

 

 外的排除並びにダーニックの魂の研究──鬼火に巻かれ、その犠牲になってきた数多の熱量が行き場を無くして悍ましい叫びを上げながら溢れかえる。

 さながら、それは霊魂たちの進軍──災いを呼ぶ百鬼夜行(ワイルドハント)

 

 大挙して押し寄せる悪霊の津波がシロウを飲み込みに掛かる。

 こうなれば最早、シロウはダーニックに届かない。

 よって死の川の向こうで、輝く赤い呪文を妨害することは、もう……。

 

「令呪を以って、命ずる。来い──ランサーッ!!」

 

 魔術師が叫ぶ──瞬間、黒い風が渦巻いて、夜の盟主が舞い降りた。

 

「──召喚に応じ参上した。さて、侵略者よ。我が城を、我が領地を、こうまで踏み躙った者よ。極刑である、ゆめ、生きて帰れると思うなよ……!」

 

 昏く輝く鬼のような両眼。

 死者の川を踏み渡る黒衣の英霊──ランサー、ヴラド三世。

 “黒”の陣営の王が君臨した。

 

 ──これにて形勢逆転、如何な神父とて正規の英霊、“黒”のランサーの相手は務まらない。

 大英雄たちとは異なり護国の鬼将を一蹴する剣など、神父は持ち合わせていない。

 

 だから──。

 

キャスター(・・・・・)

 

「ははははははははは!! 逆転に次ぐ逆転劇! 如何にも決戦(クライマックス)らしい仕草ですな! ですが繰り返し繰り返しは冗長(マンネリズム)が過ぎるもの! 然るに我が脚本にて今宵の歌劇は幕引きとさせていただきましょう!! いざ──開演の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)、開幕ッ!!」

 

 起死回生を一蹴する、幕引きの一撃(デウス・マキナ)が発動した。

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